思い込みから、逃れることはできないか?
通常、人間は思いこみに縛られています。
政府や警察が国民や正義の為に動くというのも思い込みです。
自らの組織の利益のために動く場合もあります。
「人に迷惑をかけてはいけない」という、価値観が善というのも、思いこみかもしれません。
思い込みから、解放されるのは、エネルギーが必要ですが・・・
事実を、正面からみつめると、それが、思いこみであったことが分かりす。
(911テロの周辺で起こった事実を丹念に、検証すると、米政府発表に疑問を持ちます。)
しかし、事実をみつめる作業をしないと、思いこみから解放されないわけです。
また、正面から見つめるという作業を、面倒だからやらないという動きも心にはある感じもします。
とすると、思いこみから逃れることはできない気がします。
可能な限り、思い込みから逃れるにはどうすればいいでしょうか?
唯一、強力な武器は、哲学なのでしょうか?
No.30
- 回答日時:
>>哲学者は常々執着(探求の反語)しないよう訓練しています。
が、答えでしょうか?
>具体的に、どう訓練しているでしょうか?
義理人情に縛られること。
世間に合わせること。
欲望の虜になること。
自分を良く見せること。
こういったことの普遍性を疑い諦めて、
別の生き方や考え方もあり得ることを証明していきます。
「寛大」ないし「諦念」といいます。
>別の生き方や考え方もあり得ることを証明していきます。
哲学者を辞書で調べると。
「哲学の思索や研究にたずさわる者」とあります。
哲学とは
「物事を根本原理から統一的に把握・理解しようとする学問」
とあります。
回答者様の解釈と、ちょっと違うな~と印象を持ちました。
No.29
- 回答日時:
kunobouさんにとっての哲学は分かりました。
それなら破綻の心配はないと思います。
>>観念や概念までも思い込みの一部とするなら人は言葉を捨てなければなりません。
>それは
>>ゆえに、思い込みから自由になるには多面的に物事を見るということだと私は思います。
>という、主張とどういう関係になるのでしょうか?
観念がなければ生活できませんよという事、そして
思い込みは観念を否定することではないですよという事です。
>観念がなければ生活できませんよという事
子供が生活している事はどうなんでしょうか?
子供の観念は、観念と呼べるほど、しっかりしていないと思いますが・・・・
これは、質問スレッドの趣旨と外れるので、特に回答いただかなくてもいいですが・・・
No.28
- 回答日時:
#23です。
補足します--(1)
「思い込み」には「事実誤認」と「形質の抽出」があると言いました。
形質の抽出とは、
A氏:象ってのは鼻が長い動物なんだ
B氏:象ってのは耳たぶが大きな動物なんだ
C氏:象ってのは体重が重い動物なんだ
D氏:象ってのは焼肉よりシチューにすると旨い動物なんだ
などなど、象という動物に関してそれぞれA氏~D氏が勝手な「思い込み」を主張しても良いわけですが、そのうちのどれかひとつが真実であって、それ以外は誤りであるというわけではない。なぜならそれぞれの主張が「形質の抽出」だからです。
D氏の「思い込み」に関してはなかなか立証できないですけど、まあ、主張としては在り得る。
一方、
E氏:太陽が地球を回っているんだ。
F氏:人間は神様がおつくりになったなんだ。
G氏:豚と牛は人間に食べられる為に存在しているが、イルカと犬は食べちゃいけないんだ。
これらはE氏~G氏は事実誤認に基づいて発言しているのですから、間違った思い込みであって傾聴に値しませんね。
ご指摘の通り「形質」という言葉は生物よりの語彙なので、一般的用語としては特質:Characteristicの方が良かったかもしれません。
補足します--(2)
発言1:俺は酒を飲みたい
発言2:僕は君が好きだ!
発言3:カレーは辛い
これらの発言のうち、発言3だけが「命題」と呼べる文です。
なぜなら、発言1の酒を飲みたいという内容に「真」「偽」は無いでしょう。俺の勝手だから。
発言2も真偽は無くて、貴方の勝手よ、と言われてしまえばおしまい。
「カレーは辛い」だけは真偽判定の対象となる文章なので命題と言えるのです。「真偽を判定できる文」とは真か偽が判明している文ではなく、真偽判定の対象になるという意味です。
ここまで補足説明して以下、#23の後半部を再掲します。
=====再掲=====
ですから哲学することは思い込みを排除することではなくて、色々な観点からの記述を網羅的に検証し、自分がもっとも好む形質の記述を選択し獲得することだと思います。
失敗と不幸の文脈で離婚を論ずることも可能だし、
自由と解放の文脈で離婚を論ずることも可能です。
それらの色々な「思い込み」を検証して、最後に(あるいは当面の)自分好みの「思い込み」を選択するのが哲学じゃないでしょうか。
ニーチェの思い込みを研究して、自分の思いこみの選択肢を広げるのも哲学の楽しさですね。
>などなど、象という動物に関してそれぞれA氏~D氏が勝手な「思い込み」を主張しても良いわけですが
すみません。A氏、B氏の主張が「思い込み」とは思えません。
一特徴を取り出して表現する事が、どうして「思い込み」なのですか?
「一部の特徴の表現」って言ったらダメなんですか?
全特徴の表現って存在するのですか?
すみません、お馬鹿で・・・・
また、回答いただければ嬉しいです。
No.27
- 回答日時:
思い込みがどれほど生産性があるかをの例を紹介してみます。
世界の宗教を眺めてみると、ユダヤ・キリスト・イスラム系の一神論的な宗教、アメリカ人のプロテスタント系の人々が信じる good and evil すなわち神と悪魔の二神論的な宗教(これは半分冗談)、仏教・ヒンドゥー・神道系の多神論的な宗教、等々、いろいろな幅広いスペクトルに分布しております。そして、各々の宗教が他の宗教を偽物かあるいは思い込みだと互いに非難しております。もし、本当にキリスト教の言う一神論が正しいのなら、仏教や神道は間違いであることになります。一方、もし仏教や神道が正しいのなら、ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も間違いだと言うことになります。あるいは人によっては全てが間違いだと言う方も居ります。孰れにしても、どれかは思い込みか間違っていることになる。
ところが、驚くべきことに、人類は仏教のあの荘厳な大伽藍や、神道の素晴らしいお宮、ヒンドゥー今日の大寺院、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂、アメリカで国葬が行われるワシントン・ナショナルカテドラル、メッカのマスジド・ハラームやイスタンブールのスレイマニエ・モスクに代表されるイスラム教のモスクなどを建てて来ました。どれもこれも、人類の英知の粋を集めた、驚嘆すべきすばらしい大建築です。ところが上で述べましたように、それが建てられる基盤となる宗教の根本思想は、互いに受け入られない、両立出来ないものであり、従って、単なる思い込みか、あるいは間違った物の考え方を根拠にして、その大伽藍や大聖堂が建てられていることになる。
ところが誰でも認められると思いますが、それらの多様な大伽藍や大聖堂は、人類に夢や感慨や希望を与えるものとして、営々と引き継がれて行くべき人類の宝なのですね。
では、何がこの宝の存在を可能としたか。上の議論から判るように、それを可能としたのは、各民族や文化の思い込み、そして、他の文化から見ると間違った考え方だったのですね。こんなのは思い込みが如何に生産的であるかを示すほんの一例に過ぎないのですが、こと程左様に、思い込みは人類をこんなにも豊かにするだけの力があるのです。
宗教という立場に立てば、そうかも知れません。
では、物理学(科学)という立場に立てば、どうなのですか?
以前は、空間はエーテルで満たされている。という思い込みがありました。
これが、物理学の進歩を邪魔したのではないでしょうか?
光は、粒子か、波かのどちらかである、との思い込みもそうではありませんか?
思い込みは、科学のわざわいという役割を演じた面があると思いますが・・・・
No.26
- 回答日時:
♯22です。
自分が黄色い色メガネを掛けているのが判っていれば、ものが黄緑に見えたら本当は緑ではないかと類推できます。その要領でどのようなバイアスがかかるかを計算して、その分を差し引く作業をすればよいと思います。(単純でしょうか?)
ものを考えるとかかるバイアスは、考えている問題の比重が増すことです。ほかにも考えるべき事柄はあるはずなのに、ということです。また、一度設定した枠組みにとらわれるということもです。「思い込みからどうやって逃れるか」という枠組みではない、「思い込みの積極的意義や効用」とか、思い込みを排除して正しく考えることに価値があるのか?「正しく考えるより、賢く考えた方が価値があるのではないか」といった、本来の命題からずれた視点でも吟味することが必要でしょう。
また、われわれが思考する方法そのものの中に誤謬が含まれていないかという点検です。「思い込み」という同じ言葉を使っていても、その指し示す中身によっては、議論の方向が違ってきます。サザンの♪“ミス・ブランニュー・デイ”の歌詞に、「しなやかと軽さを はきちがえてる♪」というのがあります。「履き違える」というのは、イメージが似通っているものを区別できないで起こる誤りだと思います。ソシュールよろしく、恣意的な区分である言語を使えば、細かく分ける人に『それは誤りだ!』と指摘される可能性は付きまといます。
僕はこのスレッドとは少しズレた回答を試みているのです。「思い込みから、逃れることはできないか? 」という命題からズレたいのです。
http://homepage1.nifty.com/gatagoto/1BanHome/ne/ …
『そんなに何から何まで考えて行動してるわけじゃないでしょ。』
http://park6.wakwak.com/~psychol/communicate/cba …
『言葉の内容だけが伝わるんじゃない。それ以外の部分の方がたくさん漏れて伝わっちゃてる。』
http://www.katotaizo.com/lecture/index.html
『行動を変えれば…を聴いて、ひょっとして、自由意思で考えているようで、本当は無意識に自説を強化しているだけなのではないか?』
僕の今のところの結論としては、どのようなバイアスがかかりやすいかを想像する。枠組みをずらしてみる。その命題の比重自体を吟味する(場合によっては、問題視しない道を選択する)。です。限がないっちゃぁない命題ですネ。
No.25
- 回答日時:
NO,27のasaqです
>不可能と言いながら、できることを提示するのは矛盾していませんか?
すいません、勘違いしていました
質問が「可能な限り」ということを見落としてました・・・・
可能な限りで良いのなら
>できることと言えばなるべくなるべくすべての物が間違っていると常に疑うことです
>自分の存在さえも・・・・
これで可能かもしれません
しかし何か納得できないものが私の中にあります(笑)
そこでもう少し考えてみます
デカルトが行き着いた答え「我思う故に、我あり」という結論はどうでしょう?
思う我は果たして本当に存在するんでしょうか?
私は間違っていると思います
というかそれでさえも不十分だと思います
思っている我さえも思わされているだけだとしたら・・・・
思い込みという言葉を国語辞典で引くと
深く信じこむこと。また、固く心に決めること。
となっています
別に悪いこととは限らないですね
思い込みから逃れるとはどういったことか?
何も深く信じない、何も固く心に決めない
そういう人が仮にいたとしてどんな人になるでしょう?
なんだか信念のない、ふわふわした人っぽい感じがします
それどころかすべての思い込みを排除するなら自分の存在さえ信じられず
目の前の出来事も信じられない
目の前の道に一歩踏み出すときそこに地面はあるのか?
生きていくことさえ出来なさそうです・・・・
質問者さんの逃れたい思い込みとはどんなものですか?
>質問者さんの逃れたい思い込みとはどんなものですか?
これが、思い込みって思ったら、それは、客観視された、思い込みから解放された事になると思います。
思い込みって、気がつかないから、思い込みだと思うんですけれどね
なんか、禅問答みたいですが・・・・・(o・。・o)
>何も深く信じない、何も固く心に決めない
>そういう人が仮にいたとしてどんな人になるでしょう?
>生きていくことさえ出来なさそうです・・・・
子供って、思い込みが少ないと思いますけれど・・
十分に、元気に生きていけそうですけど・・・ ( ̄_ ̄ i)
No.24
- 回答日時:
>思いこみから逃れることはできない気がします。
それが思い込みです
>911テロの周辺で起こった事実を丹念に、検証すると、米政府発表に疑問を持ちます。
思い込みです
>唯一、強力な武器は、哲学なのでしょうか?
哲学=思い込み です
>可能な限り、思い込みから逃れるにはどうすればいいでしょうか?
不可能です
人は何かを信じています
何も信じないというのは不可能です
自分が生きていると信じてます
見えた物を見えてると信じてます
何かを正しいと信じてます
ですから相対的に何かを間違っていると信じています
できることと言えばなるべくなるべくすべての物が間違っていると常に疑うことです
自分の存在さえも・・・・
>可能な限り、思い込みから逃れるにはどうすればいいでしょうか?
>不可能です
>できることと言えばなるべくなるべくすべての物が間違っていると常に疑うことです
>自分の存在さえも・・・・
不可能と言いながら、できることを提示するのは矛盾していませんか?
その、できることをやったのがデカルトではありませんか?
それなら、可能な限り思い込みから逃れる方法ある事になりませんか?
その方法が、哲学と言う事になるといっていると思われるのですが・・・・
No.23
- 回答日時:
話を少し主題に戻しましょうか。
>思い込みから、逃れることはできないか?
kunobouさんが使う【思い込み】という言葉の範疇はどの辺までなのでしょう。
いわゆる、観念や概念までも思い込みの一部とするなら人は言葉を捨てなければなりません。
私の質問にある言い回しは比喩として使っているのですが、これも観念や概念なしでは理解不能です。
>政府や警察が国民や正義の為に動くというのも思い込みです。
では正義の為に動くものではないとして良いのですか?
私の、なぜ思い込みから逃れたいのかの質問に対して哲学とは思い込みを排除する作業であるとお答えになっていますが、ではなぜ哲学をするのかという疑問が出てきます。
私は自分を救うために哲学をするのだと思っています。だから哲学でなくても良いのです。
哲学は道具の一つだという認識です。哲学することが目的ではないのです。
何が言いたいのかというとあまり極端な方向に行くとkunobouさんの世界が破綻するのではと危惧するのです。
デカルトがわれ思うゆえにといったところで、実際にはお金を稼いで生活していかなければいけません。
哲学によって通常では知りえない世界を知ることも出来るでしょうが、同時に私たちは現実世界で生きていかなければならないです。
どなたか書いていたかと思いますが、思い込みとはある一つの視点からみた景色に対する執着だと思います。
ゆえに、思い込みから自由になるには多面的に物事を見るということだと私は思います。
>何が言いたいのかというとあまり極端な方向に行くとkunobouさんの世界が破綻するのではと危惧するのです。
その心配は不要だと思います。
自分は、自分の世界を保持したいという気持ちはありません。
破壊する方向なら、それを見極める方に興味があります。
ですから、論理的に破壊するのを提示していただけると嬉しいです。
それは、それで、新しい視点。知識ですから。その、知識が欲しいです。
>僕は、哲学するとは、思いこみを排除しようとする作業である。・・と、感じています。
と言いました。信じていると言っていません。
自分が哲学に接した来た範囲で、そう感じていると言う事です。
ですから、違う印象を受ける部分に出会ったら、全体の印象が変わるので、新しい印象を述べるだけです。
>なぜ哲学をするのかという疑問が出てきます。
それは、以前書きましたが、子供が空は何故青いと問う様に
数学者が、難しい証明問題に挑む様に、根本には知識欲がその動機になっていると思います。
問いを突き詰めるために、思い込みが邪魔なので、プロセス上思い込みを排除する作業が出てくると言う事です。
>デカルトがわれ思うゆえにといったところで、実際にはお金を稼いで生活していかなければいけません。
哲学によって通常では知りえない世界を知ることも出来るでしょうが、同時に私たちは現実世界で生きていかなければならないです。
経済的な問題ですが・・・生活する方法は、いくつも選択し得ます。
哲学関係の教職に就く。哲学関係の本を書いて生活する。哲学と関係のない職業に就き、哲学を研究する・・・etc
方法が選択しえるならば、方法は目的を否定しないと思います。
>観念や概念までも思い込みの一部とするなら人は言葉を捨てなければなりません。
それは
>ゆえに、思い込みから自由になるには多面的に物事を見るということだと私は思います。
という、主張とどういう関係になるのでしょうか?
No.22
- 回答日時:
ANo.19です。
(誤変換)諮問⇒質問です。失礼しました。
みなさん思い思いの場合・場面でのいろんな経験や切り口で、ある特定の思い込みをある面から語っておられます。
それらはそれぞれに成る程と思うものばかりです。
ちょいと思い付きかもしれませんが、類似のことや関連のこと、連想することなどを書かせてください。
1.群盲(所謂る差別用語ですね)撫象は、一部の知認を全体の知認にする誤りを画く故事ですね。
2.ある知認や観念を以って、普遍的であるとか、絶対であるとかいうことは宗教や哲学などの主張ではよくありますね。
それらはその信仰や理論内では普遍的でありましょうが、他にもたくさんの普遍的で絶対的な知認や観念ってそれぞれにあるのでしょうね。
それをさし措いて、他の宗教や思想などを否定や肯定したり、序列したり、或いは価値評価したりしてきたことが欧米的歴史の歩みで見られますね。
先進性のあるとされる、いろんな文化や思想が、素朴な民俗性や民族、文化や思想に影響して、時には無理やりに変化させてきたことは、文化の伝播のプロセスた多く見られますね。
3.何か斬新性、或いは先進的と思われる、理論や観念に影響され、受け入れ、自ら変化していくということはその主体にとって、いい事なのでしょうかね。
どう自分に取り入れ、自己改革し、変化していくべきかとても大事な問題ですよね。変化そして自己喪失はとても不幸ですよね。
educateって確か、引き出す出したよね。
引き出すという継続性がない自己改革や変化は問題ですね。
自己からのeducateでいけば、自己の思い込みの展開がどんな先進文化とも並びうるのだと存じますが。
◆:以上の思いとともに、・・・。
それでも、やはり人の感情や判断、そして知認の誤りや歪み、そして更にそれからの観念の歪みって、その人の中の整合性から考えても存在することはあると思います。
そして閉鎖的というのも誤謬や歪みをもたらすし、原因であり結果になっていると思います。
実は私はこの誤りや歪み、そして閉鎖性や受容性の狭隘性をどう改善しようかということを、もう何十年も工夫しているのですが、それは純化、そして自己の基盤に行く。存在の基盤にいく。ということだと思っています。
そういう事でANo.19ですにあげた団体の教える原理をここ40年ちょいとやっています。
そしてなお、先の群盲撫象のように、もし全体とかあるなら自分が撫でているのは確かに本当かも知れないが、極く一部であり、自分の手と感覚、意識そして心身の情況という中での情報や知認、ないしは観念に過ぎないのだということを忘れないようにすることが大事だと思っています。
それにしても此の世や宇宙、或いは創造界って全体なんてあるのでしょうか?
無限なんてあるのでしょうか。そうであっても自分の知認と情報や観念は全く、個性性の中の事件であり、一部なんだということですね。
せめてはそういうことを忘れないという事と、ゆがみと不整合性、誤謬をできるだけ排除する為の自己の正常性を確保したい。
全体の中での位置づけなどさへもできるものではないのだ、という事も忘れないでありたい。
という思いから、ANo.19ですにあげた団体の教える原理で、自己の正常性を保持し、更に求めています。
結論づけはしても、どんな結論もいつも仮置きでしかないのです。
No.21
- 回答日時:
自分を救うためです。
>何故、哲学しようとするのか?哲学とは何だと思いますか?
昔読んだ哲学の本の一番最初に「哲学とは、それが何をやる学問であるかを分かった時に分かる学問だ」と書いてありました。私は何か狐に摘まれたような気になり、他の学問はそうじゃないと思っておりましたが、その後物理学の専門家に成り、最近になって「物理学とは、それが何をやる学問であるかを分かった時に分かる学問だ」と言うことが判って来ました。だから、「物理学」と言う項を辞書で引いても、物理学のほんの片隅を齧っただけで、その表現で物理学とは何かを私は判った気には成れません。
しかし誤解されると困るのですが、その学問が何なのか判らなければ、その学問に寄与が出来ないと言う訳ではありません。自分ではその学問がまだ何なのか判らないのに、その学問に対して大変な寄与をしてしまう場合が幾らでもあります。事実、物理学では重要な寄与はほとんどの場合、若い人によって為されています。それは何故か。若い連中はまだ何も知らないので、経験を積んだ年寄りから見ると明らかに向こう見ずな方向に行ってしまうからです。ほとんどの場合、年寄りの予測が当たり、その向こう見ずな若者達は年寄りの予測通り途中で討ち死にしてしまい、その死体が累々としているのですが、万に一つ、いや、数十万に一つ、その年寄りの予測が間違っている場合があります。その時に、その向こう見ずな若者が途轍もない偉大な仕事をやってのけてしまうのです。だから偉大な仕事は、万に一つ、いや、数十万に一つぐらいしか出て来ないのですね。
さて、何故哲学をしようとするのか。私は貴方と同じように、自分を救うためだと考えています。ただし、前にも書きましたが、人々は皆それぞれ個性を持ち、したがって、違った文化、すなわち価値観を持っています。だから、ある個性が救われたと、その個性が判断したことが、即、残りの者に共感を得るとは限りません。と言うよりも、そうは思えないと言うことが、この世の中を多様で豊かで面白いものにしているのだと思います。だから、
>結果的に他人を救うことにもなりますから一石68億鳥です。
と言う考え方には同意出来ません。
次に、
>思い込みが間違った判断を招く点はどう思いますか?
に関して。我々の住むこの世界は我々人類が今まで手に入れて来た程度の理詰めの論理の展開で判ってしまうほど単純な世界ではありません。もっともっと底なしに複雑な世界なのです。ですから、物質がどうだの、宇宙の大きさがどうだのと言う自然科学の中でも最も単純な物を対象としている物理学ですら、新しい発見や認識法の発明はほとんど全てと言って良いくらい圧倒的に、偶然や思い込みと言う神懸かりで見付かって来たのです。だからこそ、上にも書きましたように、その進歩して来た轍のまわりには、神懸かりや思い込みで失敗した若者達の死体が累々としているのです。確かに、思い込みが間違った判断を招いた結果、その若者達が死んで行くのを見るのは痛ましいですが、だからと言って、これからも何度も繰り返される筈の向こう見ずな若者達の神懸かりや思い込みを排除してしまうと、我々人類は、我々が全く想像すら出来なかったような全く新しい世界を見出すことが出来なくなってしまいます。
「我々が全く想像すら出来なかったような全く新しい世界」とは、その言葉通り、前もって理詰めで見付け出すことが出来ない世界のことです。その発見には、本質的に思い込みが決定的な役割を演じています。もし、ただ単に論理的な整合性だけで新しい発見がなされるならば、そのうちに、人間がその発見に関してコンピューターには敵わなくなって来る時代が必ずやって来てしまいます。コンピューターの論理処理は、現在でも既に人間より遥かに正確で、且つ、桁違いに速くその処理が出来ておりますから。しかし、私はいつまでたってもコンピューターには神懸かりは出来ないのではないか、人間だけが神懸かりや思い込みが出来るのではないかと言う、神懸かった思い込みを持っています。
学問とは創造的営みです。ですから、学問とは、すでにそこに「在る」ものとして存在しているのではなく、その学問の内部や外部との相互作用や情報のやり取りで、自ら変化して自発的に構造を手に入れて来る、すなわち「成る」ものなのです。変化、すなわち「成る」世界は本質的に非決定論的な世界のです。ですからあらゆる学問は、この神懸かりや思い込みという「揺らぎ」がなくては、学問と言う言葉の定義に矛盾してしまいます。そして私は哲学とは学問の一種であると考えております。だから、
「哲学するとは、思いこみを排除しようとする作業である。」
と言う意見は哲学の否定に成っていると思います。
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