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思い込みから、逃れることはできないか?

通常、人間は思いこみに縛られています。
政府や警察が国民や正義の為に動くというのも思い込みです。
自らの組織の利益のために動く場合もあります。
「人に迷惑をかけてはいけない」という、価値観が善というのも、思いこみかもしれません。

思い込みから、解放されるのは、エネルギーが必要ですが・・・
事実を、正面からみつめると、それが、思いこみであったことが分かりす。
(911テロの周辺で起こった事実を丹念に、検証すると、米政府発表に疑問を持ちます。)
しかし、事実をみつめる作業をしないと、思いこみから解放されないわけです。
また、正面から見つめるという作業を、面倒だからやらないという動きも心にはある感じもします。

とすると、思いこみから逃れることはできない気がします。

可能な限り、思い込みから逃れるにはどうすればいいでしょうか?
唯一、強力な武器は、哲学なのでしょうか?
 

A 回答 (50件中11~20件)

 コメントを頂かないうちに、また回答して恐縮です。


 哲学というのは「心の問題」についての学問ですよね。“心”と“心でないもの”の境い目は、人によって見方が違うかどうかです。人によって見方が変わるようなものは「心の問題」ですし、誰が見たってこの机は机であるなら、それは心の問題ではありません。『机じゃなくて、ただの台じゃないか!』というのは「心の問題」ですが、『机と呼ぶかどうかは別として、木でできたこういうものがあるでしょ、見えるでしょ』と、万人が認めるならば、それは心の問題ではありません。“思い込み”という題材が、「心の問題」での思い込みなのか、「心以外の問題」での思い込みなのかによって、回答は違ってきます。心の問題であれば、どのような見方をしようがすべて思い込みである、とも言えます。
 『心とは何か?と問われたら、あなたは何と答えますか?』、これは爆笑問題がやってるNHKの番組で東大の哲学の教授が発した問いです。こういう問いには、「心」と「心でないもの」の境い目を言えばいいわけです。
 こういうことを僕が述べたのは、このスレッドで言う「思い込み」が何を想定してのものかによって、回答の仕方を考えないといけないことをわかってもらいたいからです。
 先ほど述べたように、心の問題での思い込みならば、厳密な正解というものは存在しません。しかし、心以外の問題での思い込みならば、正解がある話であり、間違った思い込みも存在します。
 たとえば、「地球温暖化の原因は二酸化炭素の増加である」という命題です。これは、心の問題ではありません。今現在、はっきりした因果関係が判ってないだけで、かならず正解のある話です。ベストセラー『生物と無生物のあいだ』の著者、 福岡伸一氏は『定量的に考えよ』と言っています。
  http://www.cafeglobe.com/cool/people/cp20080115. …
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>>深く考えないことが唯一の方法です。


>それって、哲学を否定していませんか?
>哲学は、徹底して深く考える事だと思いますが・・・
>それとも、哲学は思い込みだと言うのでしょうか?

哲学を否定なんてしていません
なぜなら前にも言っているように私は思い込みを否定しておりません
思い込みこそが人間が何かを行うときのきっかけでありエネルギーです
何度も言うように思い込みが全くない人間なんて生きていられません
生きる意味がないと感じるでしょう
いや、それさえも感じないか・・・

哲学は思い込みです
哲学には答えはないかもしれません
それでも答えを探す行為は思い込み以外の何者でもありません

>悟りを、勝手な自己解釈していませんか?
>悟りましたか?
>悟りとは何か、(禅の本等で)検証しましたか?
>自己勝手な解釈で、論を進めていませんか?

私は悟っていません
自己解釈というか悟りを理解できる者が現在のこの世界に存在するとは思えません
つまりみんな自己解釈です(思い込みです)

悟りとは何かについては私も私なりに検証(勉強?)致しました
そして件の自己解釈に至っております

論を進めるとき人は自分の主張をするわけですが
主張とは思い込みです
これはすべての人間に言えることです

あなたも私も思い込みです
私の悟りの解釈(私の思い込み)が間違っていると思ったあなたは
はきっと自分の中に悟りに対する自己解釈(あなたの思い込み)をお持ちなんでしょう

思い込んでもいない持論を公然の場で人にたいして発言していたら
それは詐欺師かただの愉快犯ですよ(もしくはイジメかな?)

>悟りについて深く考えていなくて、十分に思い込みがあると思いますが、
>それについて、どう思いますか?

私が深く考えていないというおなたの考えが思い込みです
あなたは私が誰か知らないし何をしているかもしくはしたかを知らない
それなのに深く考えていないとこの場で私を批難しました
それはあなたが思い込んでいるから出来ることです
しかしそれでいいんですよ
そうでなければただの愉快犯ですから
何度も言いますが私は思い込みを肯定しておりますし
(なんでもかんでも思い込めって意味ではない)
私は思い込みを持っております
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この回答へのお礼

 
回答ありがとうございました。

asaqさんの回答を読んで、(他の回答者とのやり取りでもそうだったのですが)
何かが凄くかみ合わない違和感を強く感じ、その元は、何だろうかと考えました。

結果、これは、私がまずかったのかも知れませんが、「思い込み」の定義をちゃんとしなかったため
各々が、「思い込み」の意味を勝手に解釈し、それを元に話を進めていると、感じました。

(それは、それで「定義」の大事さを思い知らされたという、面はあるのですが・・・(;>_<;))

そこで、asaqさんの、思い込みの定義を提示していただけないでしょうか?

因みに私が採用する定義は、wikiを採用して、  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%9D%E3%81%84% …

「ある考え方に執着し、合理的な推定の域を超えて、固く真実だと信じること。」

と、したいと思います。
 
 

お礼日時:2010/09/29 18:40

>思い込みは、科学のわざわいという役割を演じた面があると思いますが・・・・



思い込みは両刀の刃なのですね。学問とは、もう既に判っていることを研究するのでは在りません。まだ誰も判らないからやるのです。その中で、何か的を射たことを探り出そうとするには、ただ闇雲に思い付いたことを調べて行けば良いと言う訳には参りません。まだわからないことに対して、その答えの可能性は無限の方向があり得るからです。そこで、学者達は、自分の経験や洞察で培って来た直感を頼りに、神懸からなくてはならない。この神懸かりを思い込みとも、仮説とも言います。くどいですが、学者は闇雲に仮説を立てている訳では在りません。自分が提出した仮説が正しいそうだと思い込めるから、それを検証してみる気になれるのです。ですから、全ての創造的な営みには思い込みが必要なのです。そして、ほとんどの場合、その思い込みは間違いであるから、偉大な仕事は滅多にあるものではなく、だからこそ、その思い込みを神懸かって出来た方が、学者の間で羨望の的でみられ、また尊敬されているのです。

別な言い方をすると、正しい思い込みのまわりには、間違った思い込みで討ち死にしている方が累々としているのです。しかし、質問者さんも自然科学の結果としてご存知のように、この世界が自発的に構造を作り出すためには、すなわち、その部分系としての構造のエントロピーの値を小さくするためには、必ず、その周りでエントロピーを生成して、全体としてのエントロピーの値を前よりも増大させなくてはならない。すなわち、構造を創る出すためには、討ち死にするアイデアを一杯出さなくてはならない。意味の在る構造を生み出すためには、間違った思い込みが一杯必要だと言うことです。それ無しに正しい思い込みは出て来ません。たとえそれが間違った思い込みでも、それは創造的な営みの過程で重要な役割を演じているのであり、それは科学のわざわいではありません。科学の進歩に取って、必要条件なのです。

科学の世界ばかりではありません。人間は失敗した時にだけ何か新しい事を学ぶのです。失敗の繰り返しが、その人間を堅固で深みのある者にする。逆に、失敗した事の無い人間は当てのならない虚弱な存在です。

蛇足になりますが、質問者さんは相手の言うことの生産的な主張を捉えて物を考えようとするよりも、相手の主張の反例を挙げて、その非を指摘することによって、生産的な何かを見付け出そうと言う傾向にあるようにお見受けしました。

しかし、その方法論が成り立つのは、数学の世界だけです。人類は未熟な数学をいろいろ拡張して、現在の高度で複雑な数学の世界を創出して来ました。ところで、数学者は無限に在る拡張の世界で、一つだけ譲れない拡張の仕方をして来ました。それは、背理法を使えるように数学を拡張して来たのです。言わば白黒の世界です。それを直接証明する代わりに、その対偶を証明する。すなわち、数学の世界ではそれが白であることの証明をする代わりに、それが黒であるとすると矛盾が起きる、従って、黒でないという否定的な証明をすれば十分です。そのように、相手にケチを付け、相手に反例を示せば、何か生産的なことが言えてしまうのが数学です。

しかし、数学の世界は例外です。それ以外の世界は決して白黒では出来ていません。灰色の世界なのです。そんな世界で相手を説得するためには、反例を示して、相手の主張の非を挙げつらっているだけでは駄目なのです。数学の世界では、反例が示されたら、それで終わりですが、それ以外の世界、すなわち本質的に灰色の世界では、黒でなかった事が示されたからと言って、白に決まった訳ではなく、黒に限りなく近い灰色であることだってあり得るのです。したがって、反例は今後気をつけなければならない単なる一つの指摘に過ぎす、それで話しが崩れてしまった訳ではありません。相変わらず正しい答えの限りなく近傍にいる可能性だってあるのです。

そのように、数学以外の世界では、「貴方の意見はそこが駄目ですね、ここが駄目ですね」では、何も出来上がって来ない。皆さんの意見の中らら、肯定的な部分を探り出し、それの積み重ねで何かができて来る世界なのです。その肯定的な主張をする過程で、自分には意味があると思える仮説の提示、すなわち、思い込みが本質的な役割を演じているのです。
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この回答へのお礼

 
ありがとうございます。

納得できる意見だと思います。

考察の参考にさせていただきます。
 

お礼日時:2010/09/28 18:22

No.33です。



私が思い込み、感情についての考察で述べているのは
哲学は人間の活動全般を示すものとして
肉体を関与させていることにあります。

表現者は既成の価値観ではなく演技力です。
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asaqです



>911同時多発テロの犯行をアメリカ政府の発表通りに信じる事ですか?
>政府は正しいという思い込みを利用して、情報で一般市民を洗脳しまくりじゃないですか?

深く考えないことが唯一の方法です
深く考えてませんので発表通りに信じるも何もないです
はっきり言って聞き流してます
深く考えないという行為にとって信じるという言葉は最も縁遠い言葉です
洗脳さえされようがありません
思考、思想を誘導さえされません
深く考えてませんから・・・

子供は思い込みが大人より激しいです
サンタ 幽霊 アニメ 親の言うこと 
すぐ騙されて、すぐに信じます

瞑想とは究極の思い込みです

悟りを開いてしまいます
答えもない、確かめ様もないことに、納得を得られたとき
人は悟りを開いたと感じるのでしょう
宗教などは思い込みの最たる例だと思います

別に宗教を否定はしていません
むしろ肯定派です
思い込みも否定していません
思い込みがなくては生きていけないし
すごく無価値な人生になるでしょう
思い込みこそが人生においての最高の幸福を手に入れる方法でしょう

良い悪いは相対的なものです

思い込みは他人から見れば悪いかもしれませんが
本人にとっては思い込んでますからまったく悪いことではありません

人の思い込みを否定する人は何か違うことを思い込んでいるから否定するわけです

思い込みをまったく持たない人がいたとしたら
その人は他人のどんな思い込みも否定はしないでしょうね
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この回答へのお礼

 
>深く考えないことが唯一の方法です。
それって、哲学を否定していませんか?
哲学は、徹底して深く考える事だと思いますが・・・
それとも、哲学は思い込みだと言うのでしょうか?


>答えもない、確かめ様もないことに、納得を得られたとき
人は悟りを開いたと感じるのでしょう

悟りを、勝手な自己解釈していませんか?
悟りましたか?
悟りとは何か、(禅の本等で)検証しましたか?
自己勝手な解釈で、論を進めていませんか?

>洗脳さえされようがありません
>思考、思想を誘導さえされません
>深く考えてませんから・・・

悟りについて深く考えていなくて、十分に思い込みがあると思いますが、
それについて、どう思いますか?
 

お礼日時:2010/09/28 13:33

#23です。



>「一部の特徴の表現」って言ったらダメなんですか?

全く逆の事を申し上げてきたのですが、、、、。

日本語でのコミュニケーションは無理みたいですね。諦めます。
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この回答へのお礼

 
すみません。お馬鹿で・・・m(-_-)m
 

お礼日時:2010/09/28 12:44

>子供が生活している事はどうなんでしょうか?



実際に全ての観念を否定して生活できるかやってみてください。
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この回答へのお礼

 
子供には戻れないですから・・
戻れるものなら、戻って調べたい・・
(ToT)泣く・・
 

お礼日時:2010/09/28 09:26

瞑想や悟りこそ「思い込み」の究極の形だと思います



ということは
何も考えない楽天的な人間こそ思い込みから対極にいるのかもしれませんね

思い込みから逃れる最良の方法は深く考えないことかもしれませんね
それでさえ完全に逃れられるとは思えませんが
なるべく逃れられる現実的にかつ具体的に出来る方法はそれかと思います
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この回答へのお礼

 
>思い込みから逃れる最良の方法は深く考えないことかもしれませんね。

911同時多発テロの犯行をアメリカ政府の発表通りに信じる事ですか?
政府は正しいという思い込みを利用して、情報で一般市民を洗脳しまくりじゃないですか?


>瞑想や悟りこそ「思い込み」の究極の形だと思います。
根拠を示して下さい。
根拠を検証する事が、思い込みを排除する有効な方法だと思います。
結論だけ提示し、根拠を深く考えないのは、思い込みに至りやすいパターンだと思います。
   

お礼日時:2010/09/28 06:59

具体的に如何云う事をするのかと云う問いを頂きましたので、書いてみます。

その答えは「自分自身を知る」という事になります。つまり悟りを開くと云う事です。

人間の思い込みとは「自我意識」にものを言わせている事です。人間には顕在意識のほかに、もう一つ意識が在ります。この事が分り難いために、戦争が起きたり、心を病んだり、悲しい思いが続くことになっています。

もう一つの意識は全ての人と繋がっています。悲しみを共有したり、喜びを共有しています。その証拠が演劇や映画等です。人の悲しみに涙したり、勇気を貰ったりしています。それは「意識の根底には」お互いに黙っていても分かり合える者が「内在」しているからです。

その者は、全てを見通していて、又良い事も悪いことも、全てを肯定している者です。そうして永遠の命を持っています。その者との出会いで、死の恐怖を持っていた者は、死の恐怖から逃れる事になります。その事を「生死の問題が解決した」と、表現します。

その者は全ての行為に「見返りを求めません」従ってその者に任せた場合には、全てをうまく取りまとめる事が出来ます。知恵者と云うよりは「バカに見えるかも知れません」

その者は言葉を持っていません、その者は言葉ではない情報で「自我意識」にダイレクトに脳梁を通して、絶えずコンタクトしています。

その例を挙げるなら、納期が迫った事を、スピードを出し過ぎた事を、今高い所にいる事を、鋭い刃物を見た時には、その鋭さを言葉に拠らない情報で自我意識に伝えています。嫌いな人や、好きな人や、愛する人に会う場合には、事細かいところまで含めて詳細に、端的に、直感的に教えてくれています。

危険が迫った時には、心臓の速さまで、或いは呼吸数までその時々に合わせて調節してくれます。胃や腸の具合を整えたり、ホルモンの調節まで最適に保つ事がその機能として備わっています。

人間が生まれる前から備わっている働きの事です。お腹にいる時から備わっています。生まれる訳でもないから、死ぬ訳でもない者の事です。お腹から出た時には、習わないにも拘らず、全てを知っているものの事です。

不安や恐怖などを、教えてもらわなくとも知っている者です。体温の調節に始まって呼吸やホルモン等、或いは心臓の速さまでその時々に応じて、習わないにも拘らず「知っている者」の事です。

人間が思春期頃から、悩み始める事を「聖書」では、知恵のりんごを食べると言います。是は脳の機能の分化が完成に近くなった事を意味しています。それは自我意識を司る脳「左脳」の機能と、命そのものを司っている「右脳」の機能が完成する事を意味しています。

二つの脳が其々独立した考え方をするようになったと云う意味になります。つまり人間が「心に矛盾や対立を」感じると云う意味です。その対立や矛盾や分裂を、「自我意識は」生き難い想いとして感じるようになると云う意味です。一人の人間の脳内に二つの意識が存在する事から「古今東西」を問わず、人間は苦しむ事になります。

その苦しみからの解放を、宗教文化の発展として、人間は後押しをしてきた事になります。処が今は宗教離れが進んで来た事もあって、或いは世襲制のせいなのか、宗教家達も本来の仕事を忘れ果てて、他の世間一般の、損得勘定を学んで、世渡り上手な坊さんが溢れている様に感じられます。

漠然とした不安や、罪悪感や、業による苦しみを抱えた「迷える子羊達は」精神科医の元に押し寄せています。精神科医達は「内因性の精神疾患の本態が未だ分っていない事は精神医療のスキャンダル」と言いつつも、「治療をすれば治ります」と言って、治療を開始しています。

何処が到達点か、或いは、心を病む事や、病まない事の本態を了解出来ていない事が「寛解」と云う再発するかもしないかも分からない、中途半端な言葉を良しとしています。

精神疾患も自律神経失調症も神経症も、或いは検査をしても悪くないにも拘らず「自覚症状」として訴える現象は、人間の自我意識たる心が抱えている「意識の根底に横たわっている不安」がその元になっています。

その元を成しているものは「心の矛盾」です。心の矛盾の解消こそ本来の宗教の仕事だったと云う事になります。心同士が争わなくなる事を、西洋では「神と和解する」と言います。心同士が争わなくなる事を、東洋では「涅槃」と言っています。精密に詳細に比べた時には、違う点も多々在るかもしれませんが、一人の人間の「心的変化は」ほぼ同じと言えるはずです。

自我意識ともう一つの意識は矛盾と対立をしていました。自我意識が優位に立って、苦しみから離れられないでいます。どんなに時間をかけても、そのままの認識では「心の中で、頭の中で」妄想として地獄を作っています。

自我意識が折れます。その下になります。

この回答への補足

 
雑な回答ですみません。
長い文と、宗教の臭いを感じ、消極的に読んでしまいました。

m(_ _)m
 

補足日時:2010/09/28 07:54
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この回答へのお礼

 

お礼日時:2010/09/28 07:12

自分の心を真っ白にしておく事からと思います。

自分の思惑や、欲得が無いと云う意味です。つまり計らいの無い心で素直に見つめる事で、世の中の現象を見つめる事です。利害得失を超えた観点から眺める観点を掴む事と思います。

我欲を捨てた見方の事です。言い方を替えるなら、子供のような心です。先入観でさえ邪魔になると思うからです。限り無く素直な心と云う言い方になるかも知れません。
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この回答へのお礼

 
言わんとしている事は、賛成できる方向だと思っています。
でも、

>自分の心を真っ白にしておく事からと思います。
って、どうすればいいの?って事です。

>計らいの無い心
どうしらた、計らいの無い心になれるの?って事です。普通はなれません。

子供には、戻れないのです。

こんな、問いが何度も出てきます。

腹筋するとか、腕立て伏せをするとか、具体的に何をしたらいいか分かりません。
すぐに、(時間がかかってでもいいですが)なにを、どうすればいいのか、具体的に実行可能な作業をいわないと、念仏をとなえて、幸運を待つのと同じではないでしょうか?

瞑想しましょうの方が、なにをすればいいか分かります。
僕なら、この答えの方に、高得点を上げます。
 
 

お礼日時:2010/09/27 08:57

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