あなたの習慣について教えてください!!

大変くらだない質問なのですが。。。結局、値段の価値って何?
お正月のTV特番とか、昨日のTVバラエティ番組で、芸能人がどちらの食材・飲み物が高級品か
を当てるという番組があります。
例えば、
松坂牛A5ランク 100g ウン万円と外国産輸入牛肉 100g 500円
高級ワイン 1本 ウン万円と普通のワイン 1本 600円
というような食材をどちらが高級品かを当てます。
それなりに成功した芸能人で高級レストランで食べる機会の多い人達なので
いとも簡単に当ててしまうかと思いきや
なかなか的中しません。
あるいは5つの料理の値段をそれぞれ
500円、2500円,5000円,10000円、30000円
から選んで的中させるという番組もありますが、これも的中率は高くなく
テーブルが回転します。
結局、高級品っていうのは、味もそれほど大きく区別がつかないとすると
何を基準にお金の価値は決まるのでしょうか?
勿論、生産が需要においつかないと物の値段は上がりますが、
それほど高級牛肉や高級ワインを国民全員は食べたい、飲みたいとも思いません。
であれば高級品はあくまでも個人の自己満足が価値を決めているようにも思えます。
食べ物は特に食べてしまえばあとはウンコになってでてくるだけなので
味もそんなに変わらないのであれば、高級食材を食べてもあまり意味がないようにも
思います。
結局、物の価値ってなんなのでしょうか?

A 回答 (7件)

先の例ですが、普通の肉も高級な肉も栄養として消化され無くなるという意味では効用はあまり変わらない、その例の延長として1億の絵は絵を見ない人にとっては意味が無い効用がないという流れの中であげています


1億円の絵が1万円で買えれば売れるからお得などという例えを出されていますが、さすがにそれは小学生でもわかることであり、そのようなレベルの低い話は対象としておらず割愛させて頂いておりますのでご容赦ください
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為替は応用であって、お金の性質を変えるものではないと思います。


海外にある魅力的な商品・サービスを自国の貨幣制度を変えることなく享受するためにある仕組みだと考えられます。
現状では相場の変動によって為替を売買することで利益を得ることができますが、それは利点のように見えて貨幣経済の限界を示す要素の1つではないかと思います。

”お金そのものには価値がありません、単なる媒介物”と言ったのは、その見方を基本にしておかないとモノやサービスそのものの価値を見失うことになりかねないからです。

現状では為替の取引そのものがサービス業として成り立っているため、それを維持していくことの価値への対価として利益が発生しています。

まだまだ『価値を交換する仕組み』は発展途上にあると見るべきです。

減価償却費という考え方は、企業などのための仕組みですよね?
財産を管理する仕組みとして都合のいい優れた方法だとは思いますが、価値のある物全てにもれなく適用できる考え方ではないと思います。

個人的に現在の貨幣は、多種多様な価値の一部(あくまで全てではありません)を相互交換可能にしたツールの1つでしかないという認識を根底に持って付き合うべきだと考えています。
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物の値段は、市場のセリと同じです。


需要と、供給で決まります。

需用に対し供給が多ければ、値段は下がる。
逆なら、上がる。

今年のサンマと同じ。

高い牛肉や、ワインがあっても、誰も買わなければ、
売れないので、安くなります。

ま、芸能人や、中国人は、人に見せびらかす為に、
高価な物を買います。
この手の人間は、高いから買うのです。

ベンツは、高いから売れる、
安いと売れないですな。

>結局、物の価値ってなんなのでしょうか?
価値は人間が作ったものです。
絶対と言う価値はないです。

人間には価値があっても、
猫にはない場合もあります。
猫に小判?
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ブランドにお金を払っていると思います。


・食品の偽装(原産地、賞味期限など)が時々報道されますが、消費者が「味がおかしい」と言ったのが発端というのは皆無です。
・新潟県のある有名な日本酒の偽モノが通販で出回ったことがありましたが、「味がおかしい」とクレームがあったのは500本売って1本だけだったそうです。

良い物だから高くお金を払うのではなくて、値段が高いから良い物(?)なのです。陶芸をやっている人に聞いた話ですが、展示販売のとき売れないので、値札を高く付け直したら売れるようになったそうです。
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これらの番組はある程度の脚色も入っていて、目隠ししてスプーンの先に少しだけのせて食べたり、見た目で豪華そうに作っていたりして、答えが外れるから面白いのでしょう。



いっぱい生産できるものと少ししか生産出来ないものでは、材料の「価値」が異なり、また料理する人の「評判と価値」が違うので価格に大きな差が出来るのだと思います。

一般庶民ですが、スーパーの輸入牛とデパートの国産和牛では、同じロースでも香りも味も全く違いますよ。
ただしシンプルな調理の場合であって、色々な下ごしらえやらソースで味を変えられると、言われるとおり後は食感だけの違いになる事もあります。
A5だってサシの多さが嫌気のさす調理にかかればまずいですし、短角牛だって熟成が若ければ香りのしない牛かよと言うのもあります。

モノの価値は客観的な価格設定と言うものがありますが、要はその人が納得して支払える価格なんではないでしょうか。料理の味なのかステータスなのか空間なのかなどの要素に対して。

高級料理はそれを食べて満足する顧客を相手にしていますし、格安グルメはそれを楽しむ客層を相手に商売しているわけで、一からげに論ずることはナンセンスだといえます。
食べ物題材でしたのでこういう書きぶりになりました。

何千万円の絵画が1万円でも欲しくないと言うのは詭弁ですね。モノの価値がわかっていれば転売できるのですから、金銭価値に変換できるわけでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
物の価値はそれを必要としている人達の判断基準で決まるという事ですね。
これが重要で、
この考え方があるから、自分にとっては全く興味のないものでも、投資として成り立つということですね。
マンションも最近ではアジア各国からの投資で市場はそれなりに活発になっているとも聞いています。
まさしくこれは投資ですね。
しかし投資のリスクとしては、やはりそれを買う人(需要)が十分見込める投資でないと損をしてしまいますね。
安定的な投資としてはやはり”金”が良いのでしょうか?
ローリスク・ローリターンですが。。。
お金はただ寝かせているだけではそれだけで損をすると言われています。
確かにそうですが、それなりに利益を生みそうな投資先を見つけるのは難しいですね。
投資信託もありますが、これも元金保証タイプでないとどの投資信託を買うのがよいのか
なかなか判断がつきません。
目標としては元金1000万で10年後1500万くらいです。

お礼日時:2010/09/26 19:58

質問者さんが文中で述べている通りで、物の価値は個人の自己満足でかなり決まると思います。


例えば絵画とか壷とか、欲しい人にとっては何億円という価値なのでしょうが、欲しくない人にとっては1万円でもいらないでしょう
食べ物にしても、高級なワインがうまいという人もいれば、安いワインが最高にうまいという人もいます
基本的に必需品のようなものは、みんなにとって必要なので価値はある程度一定です。高級品や嗜好品は、それこそ自己満足で欲しがる人も少ないので、安いものと比べるとべらぼうに高いように見えます。それでも欲しい人にとってはその値段が適正で払う価値があると考えているのです。
需要と供給の関係で、あまり手に入らないものはうまかろうがまずかろうが高いです。そういう意味では高い=うまいというわけではないでしょう
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
やはりこれも狭義の世界でいう”需要と供給”の関係ということと理解しました。
味の判断基準は、各個人で違いますね。
最近の若い人たちは何にでもマヨネーズをかけて食べる人がいます。
彼等にとってはマヨネーズが5倍の価格になっても買うのでしょうね。
これからの商売は万人に受け入れられるスーパーマーケット方式ではなく
ある特定の人達には喉から手がでるほど欲しいものを提供する商売を見極める
ことが必要ですね。
そしてできれば、その世界人口が多い市場であれば、その商売で独占的な市場を得られ
ますね。
ポートフォリオでいう”花形製品”での商売ですね。
でもいつかはこの花形は市場が飽和状態になると次の金のなる木を見つけないといけませんね。
でも花形製品で儲けた資金を元にもっと金のなる木を育てる資金に回せるので
とにかく利益がでやすい物あるいはサービスの提供が必要ですね。

お礼日時:2010/09/26 19:46

このことについて考えるには、今現在の社会構造から考える必要があると思います。


すごくシンプルに考えると、物質的なものに限らずそれら提供されるそのものに価値があるのであって、お金そのものには価値がありません。
お金はそれら価値あるものを授受するための媒介物としての役割があるだけです。
今の社会はその媒介物に支配されすぎた構造なので、本当のものの価値を知るにはそれを差し引いて考える必要があります。

様々なものの値段というものは、その価値を理解できている提供者がそれを必要とする消費者のニーズに合わせて決めています。

ものの価値は金額の高低ではなく、それぞれの個人にとって必要なものであるかどうかだと思います。

価値は個々が自分で決めるものです。
値段に関係なくその個人にとって必要なものは必要ですし、不要なものは不要です。
値札に書いてある価格はその商品の価値を表す要素の1つに過ぎません。

料理について言えば、自分が食べてみて美味しいかどうかです。
高級品も実際に食べてみて自分で判断すればいいわけです。
ものの価値を理解している提供者と、それの価値を理解できる消費者という関係をベースに販売価格を決めることが望ましいのです。

余談ですが私個人のことを言えば、添加物に敏感な体質であるため、いくら良質な食材を使っていても製品に添加物が含まれていれば価値はグンと下がります。
私に買う価値を感じさせる食品はまだ少ないのが現状です。

ご参考までに。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
狭い世界での需要と供給という事と理解しました。
つまり、一般人にとってはそれほど欲しいものではないが、ある人達の狭い世界の集団の
中では、需要と供給が成り立って、どうしても欲しい(食べたい)から大金を払ってもその人達に
とっては十分対費用効果はあるということですね。
”お金そのものには価値がありません、単なる媒介物”ということですが、そうなると”為替”って
どういう理解をするといいのでしょうか?
国の通貨を売り買いするというのは、実際に物を買うわけではなく、信用というか
実際に眼には見えない通貨の売買自体が成立しているマーケットであって単なる媒介物という
捉え方はできないような気もしています。
”信用”という実際には見えないものを買うという味方もできますね。
実際に眼に見えないから売ったり買ったりできるのでしょうか?
実際に物を買えば、その時点から物の価値は下がっていく場合が多いですから減価償却費
という考え方があって、それを売りにだすことは中々難しいということなのでしょうか?

お礼日時:2010/09/26 19:35

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