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明治時代の資料を紐解いています。「ベースボール」というカタカナが「野球」に変わるときがいつなのか、知りたいです。翻訳者が誰かわかるものでしょうか。教えてください。また、「ベースボール」について「野球」以外の訳語が使われた形跡はないのでしょうか。もしそうであった場合、何故「野球」として定着したのでしょうか。

A 回答 (2件)

ベースボールを「野球」と翻訳したのは明治27年第一高等


中学校の「中馬かなえ」です。
「ベースボール部史」を執筆中、思いついた言葉です。
明治30年一般向けの「野球」という野球専門書を出版し、
このころから定着したと思われます。
添付 URL 参照。

当時は第一高等中学(のちの第一高等学校)が野球の指導的
立場にありました。

それ以前は「棒球」(今はベースボールの中国語)や「塁球」
(今はソフトボール)と訳されたとも聞いて
います。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E9%A6%AC% …
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。「棒球」「塁球」なんて語もあったんですね。

お礼日時:2010/09/28 22:34

記録によれば日本に「baseball」が伝播されたのは、1871年(明治4年)に来日したアメリカ人、ホーレス・ウィルソンが当時の東京開成学校予科(現在の東京大学)で教え、その後「打球おにごっこ」という名で全国的に広まったのが始まりです。



「baseball」を、初めて「野球」と日本語に訳したのは、当時、第一高等中学校の野球部員であった中馬庚(ちゅうまん かなえ)さんです。1894年(明治27年)、彼らが卒業するにあたって部史を刊行する事になり、中馬さんの書いた文章中に「野球」が登場するのです。

明治期の俳人で、1889年(明治22年)に病気でやめるまでキャッチャーとして好んで野球をプレイした正岡子規が翻訳したという俗説がありますが、これは間違いです。なぜなら!1896年(明治29年)、新聞「日本」で連載した正岡子規の随筆の中で、「ベースボールいまだかつて訳語あらず」と書いているからです。この俗説は正岡子規が自らの本名である「升(のぼる)」にちなんで「野球(のぼーる)」という雅号を用いていたことが誤解されたものと考えられています。正岡子規は「野球(のぼーる)」という雅号を1890年(明治23年)から使い始めています。これは中馬さんが「baseball」を「野球」と翻訳する4年前の事です。つまり、「野球」という表記を最初に使用したのは正岡子規でありますが、「baseball」を「野球」と最初に翻訳したのは、あくまでも中馬さんです。ちょっとその辺は複雑なのですが。因みに正岡子規は野球用語を数多く翻訳しており、日本野球殿堂入りを果たしています。

この回答への補足

ある史料によると、明治31年には「ベースボール」と書いていて、32年には「野球」になります。別の史料では、31年、32年に単に「ボール会」とか、「ボールに来る」というのがあります。これらも「ベースボール」を意味していると考えていいのでしょうか。

補足日時:2010/09/28 22:47
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