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「本音と建前」と「裏表」の違いについて教えてください。

例えば、『裏表のある人』と言った場合にはほぼ確実に悪いニュアンスがありますが、『本音と建前を使い分ける人』と言った場合には必ずしも悪い意味とは限らないと思います。本音と建前を使い分けるのは日本の文化であるなど、美徳として語られる場合もあるからです。

事実上、ある人の言動や行動を「裏表」と評価するか、それとも「本音と建前」と評価するかは聞き手の主観に委ねられている気がしますが、どう思いますか?

それとも、「本音と建前」と「裏表」という言葉の明確な使い分けは存在するのでしょうか?

よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

お礼をありがとうございました。


追加のご質問に対しては、その通りだと思います。
また、hakobulu さんが、すぐれた回答をなさっておられます。

> 「裏表」は、主に相手の性格に関する判断で、「本音と建前」は、相手の主張や考え方に関する判断という印象を持ちます。

というご説明には、私もなるほどと頷きました。
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この回答へのお礼

再度ありがとうございます。

No.1のご回答と併せてとても参考になりました。

お礼日時:2010/10/30 20:45

#2です。



>「裏表は」相手の本質的な問題、「本音と建前」はあくまで相手の意見や表現方法などその人の本質とは関係ない部分に関する評価といった感じですね。

そうですね。
本音と建前を使い分けなければ人間社会で生きていくことは不可能ですから、その意味での必要悪という捉え方です。

>ところで、No.1さんのお礼欄に書いた問題についてどう思われますか。
>社交辞令などを「建前」ととった聞き手は、建前と知りつつ話をあわせる。しかし、そうでなかった人は真に受け、後になってから裏表のある人だと怨むことになる。こう考えたのですが、この考え方は正しいのでしょうか?

自分が騙された格好になっているために、たしかに怨みつらみは残るかもしれません。
真に受けた内容が実は社交辞令だったのだ、と納得できればいいわけですが、それができる人とできない人はいると思います。
できない人にとっては、相手の主張や考え方、あるいは、おっしゃるところの「>表現方法」などの問題ではなく、相手の人間性自体、つまり性格という本質的な問題だと捉えてしまうでしょう。
「社交辞令」として認識することができなければ、別のものとして認識せざるを得ませんから、「建前」が「裏」に転換するひとつのパターンとして、ありそうです。
その意味で正しいのではないでしょうか。
  
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この回答へのお礼

再度ありがとうございます。

「本音と建前」というのも相互の了解があるから、成り立つものなんですね。もちろんコミュニケーション一般がそうですが、この場合は裏表というネガティブなイメージを持たれる可能性があるので、相手によってはリスクがありそうですね。

お礼日時:2010/10/30 20:42

『裏表のある人』に悪いニュアンスがあるのは、「裏」という語が含まれているせいではないでしょうか。


人の見ていないところでは良い面を見せているが、見てないところでは実は逆の良くない面を持つ人、という意味ですが、「裏」が「良くない面」を意図していることは、すぐにわかります。
そのため、いやおうなく「>悪いニュアンス」が生じるのでしょう。
「表」は常に陽の当たる面で、「裏」は常に暗い陰、という要素も「裏」のマイナスイメージにつながっていそうです。

『本音と建前を使い分ける人』の「建前」の場合は、あくまで「原則論としては」というニュアンス。
「本音だけではうまくいかないこともあるよね」ということに対応する必要悪、というイメージでしょう。

「裏表」は、主に相手の性格に関する判断で、「本音と建前」は、相手の主張や考え方に関する判断という印象を持ちます。
  
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>「裏表」は、主に相手の性格に関する判断で、「本音と建前」は、相手の主張や考え方に関する判断という印象を持ちます。

「裏表は」相手の本質的な問題、「本音と建前」はあくまで相手の意見や表現方法などその人の本質とは関係ない部分に関する評価といった感じですね。

ところで、No.1さんのお礼欄に書いた問題についてどう思われますか。いろいろなご意見をいただきたいと思っています。

お礼日時:2010/10/30 15:26

「裏表」 については 「聞き手の主観に委ねられている」 と書かれている通りだと思います。


対象となる人が、自分で 「これは表で、こちらは裏だ」 ということは考えられないことですから。
ただし、「本音と建前」 の場合には、「これはあくまでも建前の話ですが、・・・」 と切り出すことがないとは言えません。その場合は、話し手が自ら自覚しているということになります。
また、ある人の発言を聞いた人が、「それは建前でしかない」 と評価を下すことも考えられます。
「本音と建前」 に対して 「裏表」 は、ある人物について、表の顔と裏の顔に分けて、表の顔だけで信用してしまうのは危ないと思われる人物だ、と評価する場合に用いられます。
「裏表のある人」 というと、「言葉通りには信用出来ない人」 「おべっか使い」 「腹の中では何を考えているか分らない人物」 などといったニュアンスがつきまとうので、ある人物に関する好ましくない評価であるといえると思います。
ですから、似てはいるが用い方が異なる表現であるといえるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

「本音と建前」と「裏表」の持つ語感の違いがよくわかりました。

この質問で聞きたいことがもう一つあります。本音と建前の場合、「これはあくまでも建前の話ですが」と前置きしなくても、建前と意識して発言する場合があると思います。例えば、社交辞令などです。

社交辞令などを「建前」ととった聞き手は、建前と知りつつ話をあわせる。しかし、そうでなかった人は真に受け、後になってから裏表のある人だと怨むことになる。こう考えたのですが、この考え方は正しいのでしょうか?

お礼日時:2010/10/30 15:02

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