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生きている霊と亡くなった霊の違い、分かりますか?

江原さんが壇れいさんの霊視をなされたとき、生きている父親を間違って亡くなられたとかなんとか…がインチキだと言われているみたいなんですが。

私も霊感らしきものがあるのでわかるのですが、生霊?と死んでいる霊って区別できないときがありませんか?

高校生の頃、人と会話中、まだ存命だった知人を見て、(この見るという感覚は、私にとっては目で見る感覚ではないのですが)私に注意してくれたことがあって、一瞬、生きていることを忘れて、「あ、○○ちゃんの幽霊だ」と思い、違う!生きてるじゃん、ってなことがありました。
なので、ずっと生きている人も、死んでいる人も、見えるときは大差ないと思ってきたのですが。
だから、その番組を見ていて、いい間違いをしたとき、「ああ、あるよね」と思ってしまいました。だって、どちらも肉体のような見え方じゃないので、例え知人でも瞬間的に区別がつきません。コンディションの悪いときなんて、特に分からないので放置しますが。

私は霊的感度がきっと少ないので、こう思うだけかもしれないんですが、私にとって生きいようと死んでいようと、霊魂は霊魂です。あやふやで、肉体のような実感がなくて、見ている自分も、は?何だ?と思い、まあいいやと忘れちゃおうとつい思うような、もの。
霊魂で見えるときって、きっと思いがとてつもなく強いんだと思います、生きて人が見えるのは。だから、肉体を置いて見えちゃうみたいなものだと思っているんですけども。
普段、深く考えたりしないのですが、江原さんをネット検索したら、インチキってあったので質問してしまいました。インパクト的には、生霊の方が重い感じがしますが。個人差があるんですかね。今まで、考えたこともなかったです。
(普段霊感を感じたことがない人にとっては、トンデモな話で不愉快にさせたら、すみません。)
少し疑問に思ったので質問させていただきました。

A 回答 (3件)

生霊と霊魂の違いは、感覚的なこととなります。


霊視を行って、生霊が現れた方がいました。

生霊の場合は、恨みや妬みなど、負のエネルギーを強く発して起こる現象ですので、
霊魂と違い負のエネルギーが強いですので、慣れてきますと違いは判断できるよいになります。

私は江原さんに対して、可でもなく不可でもありません。
彼の書籍も読んでもいます。
私が高次元や守護霊から教えていただいている内容と、
江原さんが言っている内容とでは、同じのもあれば違うこともあります。

江原さんの件ですが、あの番組は、事前にスタッフが調べているようです。
壇れいさんの件も、スタッフの調査が行き届かなかった結果のようですと聞いています。

番組で、江原さんの視線が気になりました。
ゲストの方を見ているのではなく、画面下をよく見ています。

えなりかずきさんが出演したときに、
御婆ちゃんが現れていたのですが、それに関して一言も言っていませんでしたので、
それ以来、その番組は見なくなりました。
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私もごく最近35年以上生きていて初めて自分が霊感体質だということに気づきました。


私も心のモニターに映っているものを見ていたり、いつも自分の頭の中に聞いている自分の声よりも
ややはっきりと声が聞こえる程度なのですが、ある霊媒師さんに訳あってお祓いをしてもらいに行ったときに
(その方と会ったのはそのときが初めてだったのですが)
「あんた、15年かからないできっと私と同じようなことしてるよ」と言われました。
その人のところに行ったのは別の理由からでしたが、私はそこで初めて自分は今まで妙に勘のいい人で、
想像力が豊かである人間だと思っていたのが、ある種の霊感で人の考えていることなんかが
わかってしまう人だったと知ったのでした・・苦笑
その方に「あなたの中にも神様はきちんといるから、自分の神様に聞いてご覧」と言われ、
心の中深くに「私は今後どう生きていけばいいですか?あなたの意志に従います。私をどうか
正しい方向にお導きください」と聞いたところ、はっきりとした声で「人々を救いなさい」と言われました。
以来、独学で少しずつですが古神道を勉強中です。
私が目指すのは以前から割と得意だった「人の話を聞いてあげる」ことを相手にわかりやすい程度に
スピリチュアル(最近はやりの言葉で言うところの・・ですね)を織り交ぜてしてあげる、
カウンセラーみたいなことですね。

ところが・・・道半ばな私はなんだかおそらく修行の一環なのでしょうが、心の中の神様に導かれて
いろいろなところに出向く羽目になりました。
この間も急に星空観測がしたくなり、主人と相談したところ当初予定していた富士周辺は今夜は
天候がいまいちだから伊豆に行ってみよう、ということになり、伊豆に行ったまでは良かったのですが、
伊豆も天候が良くなく、久しぶりに伊豆に住んでいる叔母のところに立ち寄って帰ろう・・
と気軽に叔母のところに行ったところ、どうやら・・というか完全に叔母に憑いている。
妙に生々しいぞ。生き霊?なんじゃこりゃ?
「ところで叔母さん、別れたっきり会っていない元ご主人、何してるの?」
「三年前に死んだんだって」
(死んでんじゃん~!・・・泣)
「ところでさ、捻挫したって聞いたけど、どうやって?」
「酔っぱらって、5センチの段差を踏み外しちゃったんだよね!私も60超えてたら、絶対
骨折してただろうけど、まだ若いから捻挫ですんだのかねぇ!あっはっは・・・」
(引っ張られてんじゃん~・・・号泣)

家に帰ってから友人(私よりずっとベテランさん。祓うだけでなくどうやら全員とはいかないが
浄霊もできる模様)に聞きました。開口一番に
「ねえ、生きてるか死んでるかよくわからない状態の霊っているの?」
「あぁ、いるねぇ」でしたね。
へぇぇ・・・やっぱりいるんだ。って私も素直に納得しましたが。

叔母のことは・・・まあそのうちきっと私が何とかする日が来るんだと思います。
2週間ほど前に叔母を説得している声と、叔母の息子に話す声、亡くなった元夫に「さあ、次はあなたの番だよ」
と言っている私の声が心の中に入ってきて、私自身がびっくりしましたから。
そのうち私も説得して浄霊する日が来るのかしら・・・と思った次第です(苦笑)
(今はまだ浄霊どころか除霊も満足にできませんし・・汗)

江原さんは・・・私が思うに、あの方のお役目は伝道師ではないかと思います。
人々が心豊かに人生を過ごせるようにするにはどうしたらいいのか、スピリチュアルという
目に見えない世界のことを現代語に翻訳しながら提案していく、それが彼のお役目だと思うんですね。
似たような感覚を私も持っているので、彼の言うことはすぐに理解できましたし、それ故
彼の言葉から卒業するのも早かったです。
私も似たようなことをカウンセラーといった感じの立場からやりたいのですが、そう一朝一夕にはいかないですよね。
お告げによるとあと10年以上は修行しないといけないみたいですし。
(私の中の予想だと12年てとこでしょうか。)
まあ、今はぼちぼちと亡くなった友人の最後の声を奥さんに届けたり、生きる気力を失った
近所のママとものお母様に亡くなったお父様の声を届けて元気づけたり、
なんだかそういったものに導かれて自力で修行している毎日です。

質問者様も一度、いろんな方面の書物を読んでみると良いですよ。
どれが自分に合っているのかは、読めばすぐにわかります。
ぴったりとはまれば、教え(祝詞やお経など)を読むだけで、涙が出てきます。(私が年取って涙もろいだけかもしれませんが)
きちんと修行すれば、何にも惑わされずに心の声に従って生きていけるので、こんな他の人から見たら
「変な力」を持っていてもなんだか普通に生きていけますよw
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この回答へのお礼

お答えいただき、ありがとうございます。

私にとって修行とは、日々の生活の中のことです。わざわざ霊的なことは学ぶ必要性をあまり感じません。

祝詞やお経などの言葉よりも、思いが強くないといけないと思います。研ぎ澄まされた強い思い。それこそが、日常の生活で、日々の中で培える経験をもとにした思いだと思います。私には大したことはできませんが、犬を育て育てるときの、他人の粗相を片付けているときの、愚痴ばかり言う人と共にしたときの、物事がうまくいかなかったときの、ちょっとした日常が私の修行です。つまり、根気強さとか母性みたいなものですかね。
その修行のおかげで、理解できなかった優しさに気づくこともできました。愛は馴れ合いではなく、優しさばかりでもないことを学ばさせていただいたのも、現実の生活からです。

私にとって、現実の生活、人とのふれあいこそが修行です。色んなことを経験させていただいて、そのたびに自分の引き出しが増えていくようで、楽しいです。これからもどんどん経験していきたいと思います。
文章が下手なので、うまく伝えられていなかったのかもしれませんが、今現在、霊感で悩んでいることはないです。ごくごく普通に暮らしています。ご心配させてしまったのかな、と反省です。

お礼日時:2010/11/13 21:24

正直言って、真の霊能者であっても、ある日突然、霊能力が消えたり、出たり、行いによってダメになるって良くあることです。

でも、それを生業にしてしまうと、無くなったとは言えなくなってしまいます。
彼も当初は、そのように言っていました。いずれ自分の能力も消えるかもしれないと。
それは霊能力の多くが指導霊によって与えられた使命だからです。つまり、使命を終えるか、使命を違えると消える可能性も高いということ。或いは指導霊が別のものに入れ替わると、霊能力の中身も変ります。

これは個人的意見ですが、彼がパワースポットがどうのと言い始めた頃、と言うか、それをマスコミが取り上げられ始めた頃から変化してきたのは事実です。(パワースポット自体は以前から言っていましたけど、最初は殆ど自分の想い出の場所でした。そのうちなぜか全国に広がっていったのです。)

で、本題ですが、生きていると言うのはあくまでも肉体を持っているかの違いだけで、霊(魂)本体は同じものなので差はありません。
しかし霊視の程度により、或いは観察眼の差によって、生霊と死霊の差を感じる人はいます。判りやすく言えば、生きている間はへその緒のようなもので肉体と繋がっているといいますが、それが見えれば生死の差が判るという感じです。
でも実際には生きていても肉体と分離している人や接続が希薄な場合も少なくありません。
また、思いというのは魂の欠片のようなもので、良く生霊が取り付くというのはこの欠片が憑いているという事です。これは肉体と繋がっていないので、その人の生死は判別し難いです。
つまり、彼が分離した欠片を見たのなら、見分けがつかなかったとしても仕方の無いことです。

と言うか彼の使命は人の霊視をする事ではなかったので(彼自身が言っています)テレビなどでやっていたこと自体、彼の使命とは違っていたという事です。彼自身それは承知していたから、あらぬ方に進んで行く度に番組を降りていましたが、オーラの泉は余りにも大きな影響を与え過ぎたのでしょうかね。

安易にインチキとか何とかいう連中は、霊の世界など理解していない烏合です。この事に限らずですが、世の中で一番騒ぐ奴等はトーシローということです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

私はあまり自分がそういう世界の人間だと思っていなくて、今まで淡々と生きてきたものですから。世間の人が江原さんの霊視にあまりに驚くので、逆に驚く感じです。だから江原さんについて、良きにしろ悪きにしろヒートアップしている人を見ていると……びっくりしてしまいます。もう少し、世間の人々は霊感と距離を取った方がいいだろうにと…最近、本当に、もちろん自分を含め(自分の霊感?と距離を持つ)思います。信じる信じないの中間ぐらいが丁度いいのに、過度に極端だとバランスを崩しそうです。

やはりスピリチュアル?の恩恵は、霊の世界の解明ではなく、肉体を持つからこそできる限られた生命と可能性を宿した魂を実感し、いかに生きるかが大切なんだろうなあと心底思う日々です。実行途中ですが。

隣の芝生は青いと言いますが、私は生まれたときの記憶がない、霊感を感じたことがない、という人がうらやましかったことがあります。というより、そういう、天真爛漫な人が大好きです。私もそう生きたいと思ったものですが、生まれときの記憶とか、前世のおかげで、私が今ここにいることも事実です。何度、救われたか分からないです。ある人生とあまり分からない人生を選べと言われたら、ある人生をまた選んでしまうかもしれません。
でも、それを思わせてくれたのは良きも悪きも霊感のない?方々との出会いです。

物事は相対的に客観的に第三者的に精査する能力が、どんな世界でも、霊感あるなし関係なく大切だなあと、日々、自分を省みて思います。常に、例えどんな状況でも、自分を保つことを。それは特に霊感に関わる物事なら(一時期的でも)、ないと思う人もあると思う人も必要不可欠なことに思います。しかし、霊感のないと思う人にとっては、客観的に判断する心理や自分の経験によるデータがない場合は、ある程度の誤解もやも得ないのかもしれません。霊感の強い人と霊感のないと思う人との間に、まあまあある人が二人の橋渡しでもすれば、この溝?誤解はある程度解消するようにも思えなくもないのですが(適当な思いつき)。
基本的に霊感というのは補足事項しか能力がないと思います。現実の動きがなければ、察知できても無意味ですので、そういう距離感を大切にしたいと思います。

お礼日時:2010/11/07 14:12

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