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矢立の墨壷の墨が漏れないようにするために、どのような工夫がされていたのでしょうか。

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A 回答 (3件)

 #1です。



 もうご覧になったと思いますが、下記に説明と絵があります。
 http://100.yahoo.co.jp/detail/%E7%9F%A2%E7%AB%8B/
 http://qprc.web.infoseek.co.jp/Stationery/Yatate …
 http://www.rakuten.co.jp/kobijutu/831944/1871737/
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#1さんのように、墨汁を繊維に染み込ませた状態であったと考えられます。

なぜなら、当然の「お困り」のごとく液漏れがするからですよね。

通販では、体積以上に液体を吸収するスポンジ素材の化学雑巾があるので、これを適切な大きさに切って墨つぼに入れたらよいのでは・・・と思います。(・・・思うのは、矢立なんて使わないから)

それに、使用する直前に水を足すのが液漏れ防止策であるので、濃い目の墨汁にする必要があるかも・・・トライ&エラーで適正解を得る必要がありますね(・・・って答えになっていません)
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 矢立ての墨は「液体」の墨を携帯していたのではなく、墨をたっぷり滲みこませた綿か布切れを、使っていたのだと思います。



 実際に使っていた訳ではありませんので、間違っているかも知れません。僕は身内に大工がいて、材木に線を引く時、糸巻きの糸を、墨壷(ただの墨ではなく揮発の遅い油性の墨をしみ込ませた綿か布のかたまりを入れた壷)を通して、糸に墨を付け、所定の場所に引っぱり「パチン」と指で弾いて、直線を書く手法を見たことがあり、同じ手法を使ったのではないか、と思っただけです。
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Q貴殿と貴台の使いわけについて

貴殿と貴台では、何が違うのでしょうか?
また、文書では、どちらを使えばいいのでしょうか?

Aベストアンサー

#2です。お礼欄でちょっと気になりましたので。

>貴殿を使っていたのが、貴台に直された…

【貴殿】より【貴台】のほうが、より丁寧な印象を受けると思います。

>送り手の男性女性によって、かわるのですね。(ちなみに私は女性です)

おそらくビジネス文書であると推察しますが、
○○株式会社△△部☆☆課
山田 花子
というように、発信者欄に担当者名まで書かれるのであれば、【貴台】は使われない方がよいでしょう。しかし、発信者欄が社名のみ、あるいは担当部署名のみで終わっているなら、書いた人の性別まで詮索する必要はなく、【貴台】でよいと思います。

>貴台は貴職と同じ意味だと言うことも聞いた…

これは少し、いや、だいぶ違うでしょう。【貴台】は個人に対する敬称、【貴職】は役職名に対する敬称です。会社に対する敬称なら【貴社】ですね。

Q江戸時代の旅の手荷物や衣類・食事などは?

お世話になります。

時代劇を見ると、江戸時代の旅装束・手荷物・衣類・食事は、かなり少ない様子です。即ち、

●笠、合羽程度を振り分け荷物で着たきりスズメ

で、手ぶらのようです。その他には、せいぜい杖くらいです。泊りは宿場なので問題なしとしても、こんな軽装で旅が続けられたのでしょうか?

よって、質問です。

Q1.着物の洗濯はしない?(乾かすひまがない・・・)
Q2.朝晩は宿屋で準備された?(食料事情は問題なし・・・)
Q3.昼ごはんはあった?(平安時代は、朝夕の2回だそうですが・・・)

特に、食料事情は重要で飢饉があるくらいですから、食料が不足している可能性がありますが、お金があれば食べるには困らない状況だったのでしょうか。また、荷物が少ないし、着の身着のままみたいで、不思議です。お遍路くらい荷物が限定されたのでしょうか?

ご回答をよろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

東海道を例にとりましょう。
東海道では、男足で15日位。
女足では20日位。
これを念頭において・・・

>>Q1.着物の洗濯はしない?(乾かすひまがない・・・)

着物は1着。下着は2~3着・・・洗濯は道中の小川や池で行いました。そして、良く絞って油紙に包み持ち歩きました。


>>Q2.朝晩は宿屋で準備された?(食料事情は問題なし・・・)

大概は、旅篭での朝夕の食事でしたが、途中の茶屋などで団子や饅頭などで代用しました。


>>Q3.昼ごはんはあった?(平安時代は、朝夕の2回だそうですが・・・)

昼飯はヌキが多かった。しかし、前述のように茶屋などで団子を食べたり饅頭を食べたり煎餅を食べたりしました。


>>特に、食料事情は重要で飢饉があるくらいですから、食料が不足している可能性がありますが、お金があれば食べるには困らない状況だったのでしょうか。

やはり、「銭」が一番でした。
農村部では飢饉などで困ったことでしょうが、旅篭などでは、米の流通を銭の力で優先的に差し押さえていましたので、旅人にはあまり不自由なく往来できました。


>>また、荷物が少ないし、着の身着のままみたいで、不思議です。お遍路くらい荷物が限定されたのでしょうか?

江戸時代書かれた「道中案内記」によると・・・

着替えの衣類(着物1着・下着2~3着)、脇差(道中差、女は懐剣)、頭巾(または笠、女は市目笠)、三尺手拭、扇子、矢立(筆記用具)、鼻紙、草履(草鞋)、財布、道中記・・・などを小物篭に入れて包み、肩から振り分けにして持参すると良いと書かれてあります。

(よもやま話)
江戸時代中期(文化・文政の頃)になると江戸も繁盛するようになり、小旅行がもてはやされました。
箱根の関所手前までなら、「通行手形」もいらなかったので、自由に往来できました。
日帰りまたは1泊2日くらいの旅としては、
箱根七湯、江ノ島詣、鎌倉見物、金沢八景、大山詣、成田山新勝寺詣、秩父三十三箇所詣、日光東照宮参り、
などが人気でした。

また、関所でも「○○講中」と書かれた白い上着を着て、それらしき旅姿であれば、通行手形は不要でした。

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

東海道を例にとりましょう。
東海道では、男足で15日位。
女足では20日位。
これを念頭において・・・

>>Q1.着物の洗濯はしない?(乾かすひまがない・・・)

着物は1着。下着は2~3着・・・洗濯は道中の小川や池で行いました。そして、良く絞って油紙に包み持ち歩きました。


>>Q2.朝晩は宿屋で準備された?(食料事情は問題なし・・・)

大概は、旅篭での朝夕の食事でしたが、途中の茶屋などで団子や饅頭などで代用しました。


>>Q3.昼ごはんはあった...続きを読む

Q明治初期の筆記用具

明治初期(20年までの間)、学生などにとって一般的たっだ筆記用具は何だったのでしょうか?

調べていると万年筆、つけペン、鉛筆、筆、どれも存在はしているようなのですが、
まだこの時代、一般的なのは筆だったのでしょうか?
坂の上の雲などでは正岡と秋山は鉛筆を使っていたようなのですが…

ご存知の方、教えていただけますと嬉しいです。
宜しくお願いします。

Aベストアンサー

日本の筆記具は、ご存知の通り、長らく筆と墨でした。もちろん携帯には全く向かない筆記具です。
しかし、アイデアマンの集合体の江戸時代ですから、筆と墨を持ち歩ける「矢立」という携帯用筆記具がありました。それでもやっぱり使いにくいことは変わりません。
江戸時代に徳川家康や伊達政宗が、オランダ人から鉛筆を手に入れていたようですが、あくまで献上品の類で、日常的に使用していたものではないといわれています。
本格的に輸入され始めたのは明治時代になってから。輸入品ということで高価だったのでしょうか、使う人は少なかったようです。しかし、筆と墨よりも手軽で使いやすい鉛筆ですから、何とか国内で作ろうと、当時の人々は努力しました。
若者をヨーロッパに研修に行かせたりもしたそうですから、その熱意は相当なものです。その人々の中に、真崎仁六(まさきにろく)という人がいました。
この人がついに1887年(明治20年)、水車の動力を利用して鉛筆を国内で初めて量産することに成功し、広く世間に広まるきっかけを作ったのです。
ちなみに、この真崎仁六は、「真崎鉛筆製造所」を創業し、その後、この会社は「三菱鉛筆株式会社」となりました。

なのでぎりぎり筆のようです。

日本の筆記具は、ご存知の通り、長らく筆と墨でした。もちろん携帯には全く向かない筆記具です。
しかし、アイデアマンの集合体の江戸時代ですから、筆と墨を持ち歩ける「矢立」という携帯用筆記具がありました。それでもやっぱり使いにくいことは変わりません。
江戸時代に徳川家康や伊達政宗が、オランダ人から鉛筆を手に入れていたようですが、あくまで献上品の類で、日常的に使用していたものではないといわれています。
本格的に輸入され始めたのは明治時代になってから。輸入品ということで高価だったのでし...続きを読む


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