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僕は日本のアニメというのが大嫌いです。内容が病的でつまらないものが多いというのも理由ですが、一番の理由は、美術的に醜悪だと思うからです。

日本のアニメのスクリーン内では全てが単純化されます。
例えば前から見た「開いた口」は赤い逆三角、空は青くて雲は白い、人の肌は肌色、髪の毛はとんがった針のようで反自然的な色をしている。。。
うんざりです。

現実の美しさはそんな退屈なものじゃないでしょう。雲は黄色や青が混ざり合っているし、太陽光線の加減によって色は変わるし、万物には陰影があって、その陰の落ちたところの色の変わり具合だってアニメによくあるただ黒く塗りつぶしただけのような単純なものじゃない。ものは全て立体で、見る方向によって輪郭はさまざまに形を変える。

そういう複雑さを理解したうえでデフォルメしているならばよいのですが、日本のアニメ製作者は現実を観察して本質を掴む努力をしないで、全く関係の無い部分の都合で作られています。

日本のアニメは世界一だ、なんて大法螺をつく人が多いですが、だったら美術的に高める工夫や努力をするべきではないでしょうか。
日本のアニメーションは美術的に見てどう思われますか。

A 回答 (7件)

芸術性が高い物を作ったら、視聴率5%とか有り得るし潰される可能性も有る

この回答への補足

芸術性ではなく美術性です。
例えば登場する家具や風景のデザインなどの絵作り、構図の美を際立たせるのに必要な、きちんと摂理を持った説得力のある描写力などのことです。
もっとも、私に言わせれば日本アニメはきちんと遠近と造詣を表現してその世界を感じさせると言う基本的なことすら出来ていないので、広い意味をこめて美術性といっているのですが。

補足日時:2010/12/03 16:31
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この回答へのお礼

よく考えたらこの回答が一番真理をついてますね。
キモヲタは芸術性があるものがむしろ積極的に嫌いなんでしょうな。

お礼日時:2010/12/04 19:09

デザイン系の専門学校でしたが、総合美術も学びました。



美術というものを何か勘違いされていませんか?
写実的なものだけが美術ではありません。

「現代美術を認めない」と仰っているのと同じです。
世界的に認められている村上隆氏の作品もきっと認められないでしょうし、同じく世界で認められている天野喜孝氏の作品だってデッサンが狂っていると一蹴でしょうね。
マティスやパウル・クレー、ピエト・モンドリアンのコンポジションなどもだめでしょうか?

そこは置いといて。

現在は韓国や中国に真似されて「世界一」と名乗るのは危うくなってきましたが、アニメーションという分野をここまで発展させてきたのは日本だと思います。

>雲は黄色や青が混ざり合っているし
いいえ黄青の他に赤も入っていますし、アニメでも色指定ではRGBすべて数値が入っています。
作業効率のために単純な色にしている所もありますが、放映時に残念ながら色が飛んでしまう事もありますし、一般家庭のTVでうまく再現できていないこともよくあります。

今はそうでもないですが、アメリカのアニメ(cartoon)はもっと単純な色使いでした。
(POPっぽくて可愛いですが。。。)
>前から見た「開いた口」は赤い逆三角、空は青くて雲は白い、人の肌は肌色、髪の毛はとんがった針のようで反自然的な色をしている
全てcartoonが元祖です。
もっとも、人種がちがうキャラクターには焦げ茶や黄色を使っていましたが・・・
(例外としてディズニースノーホワイト。健康的な美を表現するためにセル画にチークを乗せました)

日本のアニメでも定型通りの作画がありますが、子供向けか萌アニメしかやっていませんよ。

やろうと思えば全て3D化しリアルティを追求できますが、視聴率10%も取れないものに誰が金と時間を使ってやろうと思いますか?
ただでさえアニメ番組のスポンサーは付きにくいのにです。

ゲームでは単価が高いのでやっているところもありますが、経営的に危なくなってしまっています。

補足にて
>アニメで表現している世界は我々のすんでいる現実世界なのだから
とありますが、アニメは現実世界ではありませんよ。
そこを勘違いなさっているのだと思います。

すべての人にとっての100%リアルなドキュメントなんて実写でもほとんど映像ではありません。


結局アニメーションって娯楽なので、現実性を求めるだけ無駄ですが。

この回答への補足

どうしてアニメ関連の回答者は理屈を垂れるのか不思議です。
質問にお答えしてくれればそれでいいんです。
それとも自信をもって「日本のアニメは美術的に優れている」といえないのでしょうか。
それならそれが答えなのだから、そういってくれればいいのです。

補足日時:2010/12/03 19:27
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まあネタとしてはおもしろいんですけど


Q&Aという場の性質をよくよく考えたほうがいいのかな。と。
(たぶん判っててわざと、なのだろうけど)
事実として、反論しか寄せられないないのなら、そこでもう「自分の解釈がおかしいらしい」と納得するべきでは。
この時点で。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6308585.html

何かというと「回答になってない」と返すようですが
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6360129.html
質問文がそういう性質を濃厚に帯びているのだから、そこは自業自得ですね。
「困ります」「びっくりしてます」って言われましてもね…。
3択なら3択と判るように、余計な修飾なく質問するべきでしたね。

>好き嫌いについても同様で、評価と好き嫌いは全く別の次元のものです
なんて書いてるけど、質問文でイキナリ「僕は日本のアニメというのが大嫌いです」って切りだしておいて、それはないよなぁ、って感じです。

>だったら美術的に高める工夫や努力をするべきではないでしょうか
努力してるんじゃないですか?
なんで「してない」前提で質問するのか分からないんですが。

>僕には妥協の連続で線をひいて、でたらめに色をつけているようにしか見えず、ただの言い訳にしか見えません
ま、それはそうでしょうね。「努力してない」前提なら。
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現実とちゃうから


ええんやろうが

おんなじ質問何回もせんでいいって
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往復書簡になりますが、反論を。



>立体を画面に写し取るのが絵画

そんなことはありません。別に写し取るものは立体じゃなくても良いんです。平面だって、それこそ多次元だって良いんです。要は「何かを2次元で表現している」と言うだけで、それ以上のものじゃないです。

>当然アニメの世界でも立体的整合性はあってしかるべき

そんなことも全くありません。立体的整合性などを始めから無視していたって良いんです。単なる「2次元で動くもの」ですから。ちなみに先に示した「モノノ怪」はそういう「立体的整合性を始めから無視して成立させたアニメ」です。

>普通の絵画より平面的であってはならないのです。

ということで、別に平面的であろうがデッサンが狂っていようが、始めっから問題は無いんです。だって「日本アニメ」は始めから「写実的」であることを放棄しているんですから。あれだけ現実をしっかり写し取っている「おもひでぽろぽろ」の高畑監督ですら、「アニメーションは究極的に現実を模写することは出来ない」と断言されていますしね。

ですので、何度も言ってますが、アニメ内の人物はピカソの裸婦と同じで「記号」です。写実性などは始めから一切ありませんし、そう言う世界で評価すべきものです。

この回答への補足

絵画にも色々ありますが、アニメで表現している世界は我々のすんでいる現実世界なのだから、立体的な考察がなされた上で美術デザインがなされていなければおかしいのです。
アニメーションを動きの面から評価すべきといっておいて、紙芝居化した日本のアニメを「これでいい」と言ってしまえる思考回路が理解できません。明らかに内容が映画的な方向に近づいているのにミッフィーちゃんでいいんだ!というのは無理があります。
二次元であらわさなければならないということはより本質(三次元)を知らねばならないということです。アウトプットが平面による表現だからといって、扱っているものが立体であることを忘れて画面の都合で世界を歪めていいはずがありません。

補足日時:2010/12/03 16:27
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あらゆる美術的な創作物には好き嫌いがあって、嫌いなら嫌いで全く問題無いですし、評価しないなら評価しないでそう言う論評があってしかるべきですなんですが、とりあえず擁護する立場から。



まず、アニメーションというのは「絵を動かす」ことが主な目的となる芸術であって、「現実を模写する」のが目的ではありません。実際「現実を模写する」を究極まで追求したジブリアニメ、「おもひでぽろぽろ」にしたところで、かなりの部分で省略や誇張があります(一度見てみて下さい。その背景美術の表現には圧倒されますよ)。
http://www.amazon.co.jp/dp/B00005R5J5/

現実世界を2次元の上で動かすと言う制約上、むしろ図案は記号化される方向に動かざるを得ないんで、どちらかと言うと西洋写実絵画の方向ではなく浮世絵やシュールレアリズムなどの「抽象化された図案で一定の機能を表現する」方向の芸術であると理解した方が良いんです。例えば「アホ毛」と言われる髪の毛の表現方法でも、あくまで現実ではなく、キャラクターを特定するために描かれているわけで、始めから現実を模写する努力を放棄しているんですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9B% …

そう言う意味で、「開いた口は赤い逆三角、空は青くて雲は白い、人の肌は肌色、髪の毛はとんがった針のようで反自然的な色をしている。。。」は「記号性」の一環として理解する必要があります。アニメーション表現の記号性については論じた論文が多く、一度検索してみればいいかと思います。

ちなみに日本アニメが「絵」を「記号」と理解した最大の理由は、金と時間の無かった虫プロ(鉄腕アトムなどを作った初期のアニメスタジオ)が、同じ絵を繰り返して使ったり、絵の一部だけを動かしたりする技術を編み出し、それが独特な効果を生んだために、写実かではなく記号化の方向で進化してしまった・・・ということらしいですが(苦笑)

なお、そういう「記号化」の究極の方向性としては、絵なんぞ立体的に動かなくてもアニメは成立する、ということになり、そういうスタイルで作られたのが「モノノ怪」です。こちらもアニメ表現の一つとして見て置いて良いかもしれません。
http://www.amazon.co.jp/dp/B000UMRGW8/
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この回答へのお礼

ありがとうございます。アニメの美を静止画の次元ではなく動画として評価するべきという意見は至極最もです。

しかしならばなおさら、日本アニメの立体的デタラメさは問題です。
アニメの絵は平面の世界だからそれでいいんだ、というのはおかしいです。平面じゃない絵なんて存在しません。立体を画面に写し取るのが絵画なのだから、当然アニメの世界でも立体的整合性はあってしかるべきです。むしろ浮世絵などと違って動作をしなければならないのだから、普通の絵画より平面的であってはならないのです。

アニメが何故ああいう表現になったかの事情については、美術的評価とは関係のないことです。台所が厳しいんだから勘弁してあげて、とでもおっしゃるのでしょうか。
好き嫌いについても同様で、評価と好き嫌いは全く別の次元のものです。

お礼日時:2010/12/03 15:25

ジャンルで言えば、アニメは美術の世界では何に属すのでしょうか。


ピカソの絵が素晴らしいと判断することと幼稚園児の絵が素晴らしいと判断するとこは同じ基準で行っているのでしょうか。
嫌いであることは構いませんが、一つの基準でしかものが見れないのはただのエゴでしかないと思います。

この回答への補足

ジャンル付けする意味をお聞きしたいです。ジャンル付けしようとすることこそ美術の基準に当てはめることではないですか。
ここでいう「美術的にみて」というのは、「美観に関する意識が高いか」と置き換えていただけると良いかと。アニメにはアニメの摂理がある、と言い張るパターンはよく見かけますが、僕には妥協の連続で線をひいて、でたらめに色をつけているようにしか見えず、ただの言い訳にしか見えません。

補足日時:2010/12/03 15:12
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