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戦国武将の鎧について写真などを見ているのですが、
鎧は、頭から胴体まで全て防護されてありますが、
敵は、鎧を着た敵のどこを攻撃して殺しているのでしょうか?

鉄砲であれば、鎧の上からでもダメージ与えれるかと思いますが、
刀や槍などの刃物だと鎧の方が強固だと思いますが、
戦国武将は、どのように攻撃していたのでしょうか?

A 回答 (3件)

普通は、刀で斬り付けても鎧は切断出来ません。

(殴られた様な衝撃は与えられるでしょうが。)

なので、取っ組み合いをして超至近距離から「鎧通し」という短刀を使って、首元や脇などの隙間を狙って突き刺します。
(どちらかと言えば、刀の方が補助武器という認識の方が正しいかもしれません。)

また、鎧の弱点は脇の下なので馬上の武者の場合は、脇の下を槍で狙います。

しかし、足軽の鎧は防御部分が小さいので、刀、弓、槍で致命傷を与える事は可能です。

(槍や刀で縫い目や繋ぎ目を狙って突きます。そうやって一度倒しておいてから始末します。)

ただ、時代によって鎧も変化しています。

日本の鎧は「小札」という小さな革や鉄製の板をつなぎ合わせて作られてきました。

これが、戦国期に入ると「小札」よりも大きな「板札」を連結するようになり、更に「南蛮胴」のような1枚ものの鉄板へと進化して行きます。

小さな板を連結した鎧は、凹凸が多く刺突に弱いという面があり、体重を掛けて繰り出される槍や近距離から射掛けられた矢は貫通してしまいます。(モチロン鉄砲の弾もです。)

「南蛮胴」は表面が滑らかな曲線で構成されているので、槍の先端が滑り結果的に刺さらないと言う事が起きます。(十分な厚みさえあれば、鉄砲の弾にも有効です。)

ただ、鉄砲が出現してからは実戦では正規の鎧も余り着用されなくなり、「籠手」とか「胴丸」だけ着用する様になりました。
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いろいろな文献などに出ていますが、


脇や股から切り上げるのが、有効な戦法だったのでしょう。
そのうえで、馬乗りになって鎧通で首を掻き切る・・・

鎧武者には刀は役に立たなかったのでしょうね。
有効な武具は槍だったという記述を見たことがあります。
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関節の周辺は、動きやすいように、覆うことができません。


そこが隙間になります。
とくに、首の周辺や、わき、腕の内側は、がら空き。
それに全身を覆っているような鎧は、一部の偉い人だけで、ほとんどの兵士は、
胴を守るだけか、鎧もつけてない状態でした。

攻撃する場所は、首が致命傷になるけど、面積が大きい手足を傷つけて、戦闘力を奪うほうが合理的。
だから、完全に殺す率は少ないです。

戦国時代の合戦の武器は、刀より槍が主流だと思う。
鎧相手では、刀のように線の攻撃じゃなくて、フェンシングのような点の攻撃が必要だから。
もちろん、鎧をつけていない下っ端をやっつけるのには、刀も有効だけど。

槍は、鎧の隙間を突くことができるし、騎馬に攻め込まれても、槍を構えた歩兵がずらーっと横一列に並べば、馬でも突っ込んでこれません。

西洋の鎧は、その隙間もほとんどないタイプだから、鎧の上からぶったたけるような斧や鈍器で倒していました。
でも、日本の鎧は動きやすさも重視されたので、隙間をつける槍でも十分なんです。
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