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 正岡子規がなくなった後、高浜虚子が「子規逝くや 十七日の 月明に」という俳句を詠んでいます。しかし、正岡子規の命日は9月19日であると様々な資料には出てきます。

 子規の命日は、9月17日なのでしょうか、それとも19日なのでしょうか。そして、どうして17と19という数字が出てくることになったのか、という2点について知りたいです。ご存じの方是非教えてください。

A 回答 (3件)

正岡子規の没日は明治35年9/19で間違いありません。

この頃日本はすでに「新暦」が使用されていたのでこの日にちは新暦でのことです。
しかし、虚子が歌った「十七日の月」とは旧暦の十七日という意味。旧暦では月齢と日にちが合致していますから十五日の月といえば必ず満月です。ですから十七日の月とは満月を少し過ぎ右側が欠けてきた月です。
この月齢の月は夜になってから地平線上に出て、夜半に南に高く上ります。
子規が亡くなったのは夜半過ぎだそうですから、そのとき虚子は南の空にさえざえと掛かった明るい月を見たのでしょう。
参考に↓
http://www.lib.ehime-u.ac.jp/KUHI/JAP/sikihetima …
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この回答へのお礼

なるほど!ありがとうございました!!

お礼日時:2010/12/15 14:34

#1で回答した「pasocom」です。


#2様から厳しいご指摘がありました。
ご質問自体が「文学」のカテゴリーであり、「天文」ではありませんので、質問者様はこのような議論には興味ないことかも知れませんが、念のため釈明をしておきます。
下記の「旧暦カレンダー」というのを参照下さい。たとえば今年12月を確認すると12/20日が旧暦の11/15日に当たります。しかし「満月」は翌12/21(旧暦11/16日)です。
http://www.ajnet.ne.jp/dairy/
このように正確に言えば、確かに「旧暦では月齢と日にちが合致している」も「十五日の月といえば必ず満月」も誤り(正確ではない)です。
しかし、これはそもそも旧暦(太陰暦)が現在の太陽暦とは違って精密な暦ではなく、実際の天体の動き(地球・太陽・月)と誤差が出てくると「適宜(随時)」うるう月(13月)を挿入することによって誤差を吸収するような仕組みであるから起こるものです。
しかしこのような厳密な議論はさておき、上記カレンダーからもわかるように「旧暦の日にちは、『おおむね』月齢と合致している」と言えるでしょう。
(『おおむね』という一言が入っていなかったことは、それほど指弾されるような誤りとも思えませんが。)

念のために下記サイトで子規没日(1902/9/19)の月齢を確認してみましょう。
すると、この月は9/18日が満月。没日は満月の翌日に当たることがわかります。
http://star.gs/cgi-bin/getucal1.cgi?dyy=p&dy4=1& …
私が回答したように「満月を少し過ぎた月」で間違いありません。
余談になりますが、「満月」というのは地球から見て月が太陽と反対側に位置しますので、夏至(6月)前後の満月は低く掛かり、冬至前後の月は高く昇ります。従って虚子が見た「(八月)十七の月」は比較的低く掛かる満月だったはずです。ひょっとすると障子越しに亡くなった子規の枕元を照らすような光が差し込んだのかも知れません。「・・・ 十七日の 月明に」はそんなことを感じさせるものがあります。
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この回答へのお礼

丁寧なお答え、ありがとうございます。暦のことも併せて知ることができ、勉強になりました!

お礼日時:2010/12/15 14:35

正岡子規がなくなったのは9月19日の午前1時ころ。


ちなみに9月19日を旧暦に換算すると8月18日です。だから17日の深夜ということでしょう。

なお,「旧暦では月齢と日にちが合致しています」は誤り。また「十五日の月といえば必ず満月です」も誤り。しかし「十七日の月とは満月を少し過ぎ右側が欠けてきた月です」は正しい。
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この回答へのお礼

ありがとうございました!!

お礼日時:2010/12/15 14:36

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