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動物も人間のように言語のようなものを用いてコミュニケーションをとっています。動物と人間が使う言語にはそれぞれどのような特徴があると思いますか?また違いなどもあれば教えてください。

A 回答 (7件)

人類の祖先と同時期に存在したネアンデルタール人は、声を出す機能は発達していなかったらしいです。


それでも、墓とおもわれる遺跡からは花の痕跡が発見されました。

言語での会話が制限されていても、亡骸に花を飾るという行動をしていたわけで、
「感情の共有や伝承」という行為があったのだという発見です。

コミュニケーションする動物は多くいます。
でも悲しんだり喜んだりしてる時間があるというのは、余裕のある生活があればこそです。
多くの動物では隙を見せれば捕食されてしまうので、危険の通報という意味での鳴き声や、
縄張りの表明という雄叫びが多いようです。

セミや野鳥の鳴き声にも地域性があるそうで、一概に遺伝のせいばかりでもなさそうです。

知ってることだけ書きましたが、ドキュメンタリー番組やネットを探せばもっと興味深い情報もあるはず。
図書館に行く手もありますよ。
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この回答へのお礼

的確な回答ありがとうございました。確かに住む生活環境によって言語の使い方は異なりますね。ということは、言語というものが不変の存在でないと解釈してもよろしいのでしょうか?
今度、インターネットや本などでも調べてみたいと思います。

お礼日時:2010/12/20 16:10

人類、および人類に近い動物に特徴的な行動は、


道具を使うことです。
もちろん鳥類や昆虫にも、自分の体以外のものを
使って目的を果たす行動がない訳ではありませんが、
それらは本能的なもので、環境認識(五感からの入力を
脳内で再構成して外的存在として把握)することで、
鳥や虫におけるような条件反射ではなく、予測による
道具(環境改変)を可能にするのです。

その「環境認識=相対としての自我の目覚め」において、
他の方のあげているような、感情や文化的伝承といった
ものが可能になるのです。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。言語の意味について自分は「情報の共有」「情報の保管」「情報媒体の活用」を円滑的に行うための記号のようなものだと解釈しています。つまり、人と動物の異なるところは、「情報媒体の活用」といった文化的、芸術的側面において言語を用いているか用いていないかの違いでよろしいのでしょうか?

補足日時:2010/12/20 16:22
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人間にとっての言語は自分自身を対話者としているところがほかの動物とは違うのではないかと思います。

この点で少し似ている気がするのは蝙蝠が発する超音波です。超音波の反射によって自分の位置を確認するのは人間の独語(ほぼ思考に近い)に似ているように思います。
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この回答へのお礼

つまり、人間は言語を用いることで自分の心に問いかけている、ということですね。確かに人間は自分自身に問いかけ思考する点で動物とは異なると思います。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/12/20 16:28

 専攻は法学と図書館情報であり、ご質問のことについては特に勉強はしていません。


 生まれて長く、そして人と付き合う野生の動物や雀は、或いは植物にはある程度言語性は見出せます。
 それは西洋の近代法学や哲学の、言語的概念性とか象徴性はどこまであるかは判りません。
 研究もしていなし、中島敦の作品のようにその動植物や鳥類の世界に意識投入をしておりませんので。
 人間の世界との接点や付き合いのない動植物や鳥類とは少し違うことが、大好きな山野跋渉との経験からうかがい知る事はできます。
 経験ですのお話でお伝えするのは難しいですが。

 私たち中学、55年以上の前ですが、ターザンという映画の主人公は、人間の言語界に馴染む事は困難があるでしょう。
 アヴェロンの野生児という本がありますが、ネットにもでています。
 名著です。
 そして狼などに育てられた人間の少年や少女が何人か発見されていますが、かれらが先天的に狼の頭脳機能しかないとか言語発生できないのかというのも疑問でしょう。
 そういう面からのご研究もかのうであるし、私もいくつかそういうHPを保存していたのに今はどうしても見つかりません。
 アヴェロンの野生児がネットで見つからなければ、日本社会事業大学図書館が所蔵しております。
 卒論でも何人かがテーマにしています(直接ではありませんが)。
 関連の書物も結構あると記憶しております。
 Hpでは動物ランドとかいう名称であったかと存じますが、いま探したのですが見つかりませんでした。
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 ANo.4:類似のことを回答とうこうしているのは以下のご質問でした。

失礼しました。
 http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6393359.html
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言語の違いに入る前に、人間と動物の違いそのものについて触れたいと思います。



最も大きな違いは、人間の脳は未熟状態で生まれてきて完熟するまでも25年という長い年月を要するという点です。そして、動物の脳は生まれて間もなく完熟に向かいます。

そうした脳の観点から観ますと、人間は脳が未熟状態でのコミュニケーションを行いますが、動物は完熟された状態でのコミュニケーションを行います。これによって、人間は未熟を補おうとする姿勢が生まれ、それが理性や考えに繋がり、同時に社交性を養う様になります。

動物と人間は、どちらも交流する様に見えますが根本的に違います。

人間は、未熟・不完全をベースとしながらの疎通・交流であり、従いまして環境の変化を自らに取り込みやすく、取り込むだけでなく環境を創造するにまで至っています。

そして、人間は悟る事が可能ですが動物は悟る事が出来ません。

以上を踏まえまして、動物と人間の言語にはどういった違いがあるのか?が観えてくるかと思います。如何でございましょうか?
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人間の脳内には『動物として或は生き物として或は命ある者の命を守る』働きとしての脳の機能と、生きてゆく事から学び取ってゆく機能としての能の働きがあります。



もっと簡単に言うなら、『目の前のものや、森羅万象』と同時に反応する機能としての脳の働きと。『目の前のものや、森羅万象』を受け止めようか、受入れないようにし様かとする『分別する機能』から成り立っている脳の働きが存在しています。

始めに書いた機能をもっと簡単に言うならば『仏性=命そのものの働き=神』という事になります。

後者を『自我意識=言葉を持つ事によって生じた機能=分別』という事になります。

一人一人の命は『その命を生まれる前から守っている働き』と云う働きのお陰で生まれた瞬間から適切に働いていて、教えられないにも拘らず、不安や安心を嗅ぎ取って、その環境に順応して命を守って生きることが出来ています。

子供の時代を聖書では天国と形容しています。脳の機能が未発達で脳内の人格が未だ二つになっていない時代を言います。『幼子が天国に一番近い存在』と云う事なります。

脳の機能が完成に近くなる頃、いわゆる思春期頃から、脳内の機能分化が完成に近くなる頃『人間には悩みが生じ始めます』知恵が付いて天国から追放されると云う言い方です。

『命の働きの意思=仏性』は、無意識界と潜在意識界を司っていて、更に、脈拍からホルモンの分泌からその場に応じての呼吸数までも調節しています。命をそのままに働かせる働きという事になります。

他方『我=自我意識』は、意識界を司っている事になります。

天国から追放されたと云う意味は、二つの意識が『同調できなくなる』ことを意味しています。

眠る事を例に取るなら、眠る時には『自我意識』は一旦無くなって『無意識の自分が』体と心を統率した状態になって、それから深い眠りが保障されています。』その状態とは『自我意識が眠ろうとは計らわない状態です。=言い方を替えるなら眠る事さえ忘れ果てた時』本当の眠りが保障されています。

神経症の場合には全て、今言った事が当てはまります。神経症の原因とは無意識の自分に任せて置くなら全てがOKという事ですが、『自我意識が出て無意識の自分になれない事を』意味しています。

二つの意識が同調できなくなる事は、言い方を替えるなら『心に矛盾や対立や分裂』が生じた事を意味しています。

人間の言語は見た事や聞いた事や感じた事を『分別意識』と云うフェルターを通して言葉にすると云う特徴があります。この特徴の為に人間にのみ天国や地獄を知り得る事になります。言い換えるなら『目の前には無い不安におびえる事がある』と云う意味になります。

何の不安の実態も現実には無いにも拘らず『身体と心が』不安と感じて、不安におびえる事があると云う意味になります。

この事を『妄想や地獄』と聖典や仏典では形容しています。

人間には不安解消の道は在るのか?と云う事が宗教の永遠のテーマになっています。具体的にその道を指し示す事が困難なために、簡単に書いてみます。

人間の悩み苦しみとは『心の矛盾』と書いています。心の矛盾の解消がそのまま『不安解消の道』という事になります。

例えば自律神経失調症の場合なら『心の矛盾の解消』とは、自我意識がどんなに頑張っても身体の機能は何一つ自由にならないと云う事を判る事です。『自我意識には出来なかった』と知るところにあります。

例えば不安障害やパニック障害ならば、不安を感じる事が悪い事ではなかったことを納得する中に存在します。不安の元が『自身の不安を感じさせるシステムであった事』を納得して受入れる中に存在します。

心を病む事も悩みを悩むことも今言った事が関係します。自分で自分を病ませたり悩ませていた事を知る中に存在します。

言い方を替えるなら『自身の心の中の識られざる神と和解すると云う事』になります。

自我意識の受けている圧迫は『自分自身の無意識からの圧迫です』その意味するところは『もっと無意識の自分を信頼してもらいたい』と言う要請に他なりません。

我を忘れる機会が在るならその時には、心は=自我意識は休んでいます。自我意識がでしゃばって引っ込みが、付かない状態を『意識地獄=妄想』と呼んでいます。
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