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私の両親は「働くのは、お金のためじゃない、子供を育てるためだ」
などと言っております。

さて、たとえ「子供の養育のため」だろうが「仕方なく」働くので『他律的』
と言えます。自分の内側から「社会貢献しよう」という意志がなく、
「子供もため」という「外的要因」によって働かずにはいられないのです。
(出世のため、ローン返済のため、貯金のため、等々も同様)

逆に「人助けのため」に働く=『自律的』と言えます。
自分の内側から「社会貢献しよう」という意志が芽生えて行動するからです。

さぁ皆さんは『他律的』or『自律的』?
正直に言って構いませんよ。「金のために決まってるだろ!」でもOK

A 回答 (17件中1~10件)

「子供のため」は、「(自己以外の)ひとのため」じゃないんでしょうか?


“親子関係”は、人の持つ社会性の一部だと思いますが。

この回答への補足

ツッコミありがとうございます。
自己がやりたい事ができず、我慢して「子供のため」に仕方なく働く、という場合を
想定しておりました。

あなたの言われることは理解できますが、どのように頭の中を整理したらいいか?
わからなくて、困っています。

補足日時:2010/12/22 14:17
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>私の両親は「働くのは、お金のためじゃない、子供を育てるためだ」などと言っております。



 これも突き詰めて考えれば「自分のため」です。

>さぁ皆さんは『他律的』or『自律的』?

 どちらでもない。自立的 です。
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zakky74でございます。



>固体ではなく「個体」です。

大変、失礼致しました。意味としては個体としての意味として受け取っておりましたが、意味を取り違える誤字となってしまっていますね。すみません。

ところで同じところをグルグル繰り返している様な気がしますが(原因・仕組みとして明確に理解できる科学的根拠を未だにご提示頂けず、目に見える結果現象を【原因・仕組みのないところで】言葉で書き綴っている状況の事)。

>(生物カテで質問されることをオススメします。私の力ではあなたに伝えきれないから)

これは、OtamaFJWRさんご自身が自分は科学的根拠を持たないんだと認識し、その様に判断したという意味でございましょうか?故に、科学的根拠があるのは生物カテなので、そこを訪ねて頂きたいという意味でございましょうか?

僕は、OtamaFJWRさんご自身が科学的根拠を持って僕の回答に対して更なる質問・意見を仰っていると受け止めているので、科学的根拠をお持ちのOtamaFJWRさんからお伺いしたいと思っておりますよ。

また、もしOtamaFJWRさんご自身が科学的根拠が実は無かったんだと再認識した上で、自分では根拠の提示が出来なかったから生物カテへ尋ねて下さいという意味であったとしましても、僕の目的は科学的根拠を知る事そのものではなくて、OtamaFJWRさんご自身が理解されている事に興味がありましたので、それは僕の目的からしまして筋違いという事になります。

僕が興味があるのは、個体には意識があるかもしれませんですのに、「個体には意識がない」と何度も断言されているOtamaFJWRさんに、違うかもしれないのに一体なぜそこまで断言するのだろう?との興味でございます。それを科学的根拠に基づいて語っているというOtamaFJWRさんでしたので、「え?今の科学全般にそれが可能なの?」と頭を捻る自分はいましたがOtamaFJWRさんご自身が科学的根拠と仰る点を受け取りまして、僕自身の観点は一旦横に置いたままにしている状態でございます。

故に、OtamaFJWRさんがどういう意味で、「個体には意識がない」と断言されているのかについて、ぜひ科学的に根拠をご提示頂けませんでしょうか?

>「個体のは意識がない」=「部分には意識がない」
>「意識がない」とは、認識体ではなく宇宙を持たないという意味です。
>(宇宙が認識体との相対によって派生しているのは量子論でご存知と思います)

量子論では、そこまでは言っておりませんよ。

量子論は、「宇宙が認識体との相対によって派生している」とまでは言いません。量子論が言っているのは、観測する対象物が非常にミクロであった場合、観測する際に誤差が生じるというものです。そして、その科学的根拠として、光は電子と波動の二重性があるですとか、位置と運動量を同時に正確に観測できないですとか、そうしたものが挙げられます。

ただ科学の領域でない方たちが、量子論を用いて科学的根拠は無いのですが科学っぽく言う事はある様です。

それで、再度お尋ね致します。

1.意識とは何なのか?
2.意識とは何によって生じるのか?
3.意識をどの様に検出するのか?

せめてこれくらいは科学的に根拠をご提示頂けないと、「個体に意識がある」とは言い切れないのではないでしょうか?余り質問を多くするのは大変かもしれませんので今回は、この3点のみで構いません。意識について、科学的根拠をご提示下さいませ。

>アリやハチの個体に意識がないのはなぜか?

言うまでもなく現段階では、これは科学的根拠ではございません。現象を、人間が、その様に判定しただけでございます。現象を、ただパッとみて、そこに名前を付けただけでは、仕組みの理解でもありませんし、原因の究明でもございませんし、従いまして科学的根拠ではございません。

原因によって、現象をご説明下さいませ。その方法は、1~3で構いません。

そろそろ次のステージへと行けるかもしれません。楽しみです。
どうか宜しくお願い致します。
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zakky74でございます。



>科学的根拠になったでしょうか? なってなければごめんね。

そうですね。これを持って科学的根拠とは言いがたいです。科学的根拠とは言いがたい理由を申し上げます。僕からの質問は、「固体には意識がない」と言われる根拠を科学的にご提示下さいというものでした。

固体には意識があるかもしれません。なのに、固体には意識がないと言われるにはそれを仰る根拠がございますでしょうから、それを科学的にお教え頂きたいのでございます。

この場合、なぜ固体には意識が無いという判断が出るのか?という論理的なプロセスが生じるかと思います。その論理展開を期待しておりました。ですから少なくとも、

意識とは何なのか?
意識とは何によって生じるのか?
意識をどの様に検出するのか?

を科学的に明らかにした上で、

固体とは何なのか?
固体とは何によって生じるのか?
固体をどの様に検出するのか?

を科学的に明らかにした上で、

それらにどういう関係性を見出せるのか?

という事をお伝え頂いた時に大雑把ではありますが、固体と意識の関係が明確になろうかと思います。そんな中、OtamaFJWRさんは、

>まずは「意識的」行動とは、どのようなものか?を考えてみましょう。それは、環境認識(五感からの入力を脳内で再構成して外的存在として把握)することで、予測による環境改変を可能にする。これが意識的=自律的・・・

とお伝え頂きましたが、触れられている文章はこの箇所のみでしたし、

物理的にも(エネルギー・力・光・物質を扱う)、
数学的にも(方程式を扱う)、
生物的にも(細胞を扱う)、

根拠をお伝え頂いておりません。故に、論理展開に乏しく、説得力に乏しく、結果的に伝達が不十分なのではないか?と受け止めております。故に、もう一度科学的根拠をご提示下さいませ。

それと僕がお伺いしたい事が、もしかしたら不十分に伝わっている可能性を感じました為に、もう少し詳しくお伝えした上で、お尋ね致します。

OtamaFJWRさんは「固体には意識がない」と仰っています。ですが、固体には意識があるかもしれませんですよ。意識があるかもしれませんのに、OtamaFJWRさんは「意識がない」と断言されております。

それで、僕はそこのところを科学的根拠に基づいてお伺いしたい訳でございます。

固体には意識があるかもしれませんが、固体には意識がないと言われるにはそれを仰る根拠がございますでしょうから、それを科学的にお教え頂きたいのでございます。

繰り返しますが、科学的手法と致しまして当方は数学・物理学・化学・生物学などの基本的な知識がございますので、遠慮なく活用して頂いて構いません。

「固体には意識がない」

今回は、この一点で構いません。これが言えるという事を、科学的に根拠をご提示下さいませ。楽しみにしております。宜しくお願いします。

この回答への補足

固体ではなく「個体」です。
つまり「全体」と「部分」の関係性において、「部分」を個体としています。

「個体のは意識がない」=「部分には意識がない」
「意識がない」とは、認識体ではなく宇宙を持たないという意味です。
(宇宙が認識体との相対によって派生しているのは量子論でご存知と思います)

全体と部分の関係性において「部分には意識がない」のはなぜか?

アリやハチの個体に意識がないのはなぜか?

それは条件反射で動くだけですむので、自発的な意志を持つ必要性がないからです。

(生物カテで質問されることをオススメします。私の力ではあなたに伝えきれないから)

補足日時:2010/12/30 06:44
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zakky74でございます。



>あなたは「きっかけ」により判別されていますが、

なるほど!その様に見えるし、そう受け取れるのかもしれませんね。

ですが少し違います。スイッチがどこと共に在るか?による判別です。自らの意志そのものがスイッチであるのか?自らの意志とは切り離された何か(対象)と共に在るか?でございます。

そして、もしかしたらOtamaFJWRさんの理解を超えた範囲で充分に科学的な判断であるかもしれないという可能性を1%くらいは感じながら聞いて頂ければ嬉しいです。無知の知という事もあります。

>もう一度、科学的判断(社会進化の2パターン等)について考えてみてください。
>「きっかけ」で判別するのは不適当だと思いますよ。ありがとね。

分かりました。

僕は、社会進化の2パターンを科学的判断であるとは思いませんし、科学的判断が優れているとも思いませんが、このままでは交流が成り立たない事も一方では理解しておりますので、僕の見解や観点は一旦横においておきまして、OtamaFJWRさんの観点をお伺いしたいと思います。

宜しくお願い致します。

>こう考えればどうでしょうか?先に述べたように、他律的社会化には個体に意識がない。

なるほど!「固体には意識がない」という事。
これが言えるという事を、科学的に根拠をご提示下さいませ。宜しくお願いします。

なお、僕は物理学・数学を初めとしまして生物学など、多様な学術の土台や基礎について一通りは理解しております。ですので、遠慮なく書き記してください。

>逆に自律的社会化では個体は任意に行動する・・・

なるほど!「固体は任意に行動する」という事。
これが言えるという事、こちらも科学的に根拠をご提示お願いします。

僕は、一旦自分の観点は置いておいたまま、OtamaFJWRさんの観点を理解するために全力を注ぐ事に致しますね。楽しみにしております。

改めて宜しくお願い申し上げます。

この回答への補足

ツッコミありがとう。自分自身の勉強にもなります。

さて、まずは「意識的」行動とは、どのようなものか?を考えてみましょう。

それは、環境認識(五感からの入力を脳内で再構成して外的存在として把握)することで、
予測による環境改変を可能にする。これが意識的=自律的です。

逆に、「無意識的」行動とは、外部からの信号に対し、条件反射的に行動することです(他律的)。

例えば、同じ単細胞でも、アメーバは意識があり自律的に行動します。
ところが、我々多細胞生物の細胞単体には自律性はなく、脳からの信号により反射的(他律的)に動くのです。

アリやハチも個体には意識はなく、集団全体で1個の意識を持っています。
同じく、あなたの細胞単体に意識はなく、集団全体で「あなた」という自我が目覚め「意識」となるのです。

また、さらに、我々人間が、お金や権力といった馬車馬の目の前のニンジン方式で、他律的に生かされるならば、それは「アリ型進化」への移行という結果を生み、人間の意識は希薄化し、いずれ無くなります。そして、人間集団をコントロールする中央ホストコンピュータが、意識を持ち、地球が1個の「脳」となるのです。

これは空想ではなく、事実です。アリ型進化をとげた異星人を私は見た事があります。
まるでアリのように、単調な動きをしていましたよ。

科学的根拠になったでしょうか? なってなければごめんね。

補足日時:2010/12/28 06:00
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 ANo.8, 12: 付言


 根源意識というものを想定でなく、意識の本態であり本体(まぁ好きじゃないが、バイブルとかの証人ですわな)であるとつきとめていくと、意識には自律性があるが生きるとか、感覚するとか、生活するなんていうものの中に行為が入るんでしょう。
 そういうのはどこまで遡行しても、自律というのはからは懸絶してますね。
 価値性がどうのこうのとは違いますよね。
 そんなのは全く、論理的恣意、思考の問題でしょう?
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 OtamaFJWR さん。


 ご法度ですが口を挟みます。自律性・他律性ということでは、已むを得ずzakky74さん(#11)
に私は納得します。
 つまり、意識は他律的な場合もあると存じます。
 ここで意識の根源などに関しては申し上げる事は控えますが、思いや生理機能、感覚するという行為においても、顕在的な本人においては自律的ではなくても、意識はあるということが正鵠を得ていると存じます。
 OtamaFJWRさんの#11の対応を拝読して、私もzakky74さんと同様の思いに到りました。
 意識って意識することは普通はできないですね。意識の経過や動作、その結果や内容は意識できますが。
 意識者とは自律性とはことなる存在者ですね。
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zakky74でございます。



すみません。仰っている事が、まだよく分かりません。

>生物(ヒト)として、生きることは自発的(自律的)であり、全ての行動は任意です。

本当にそうでしょうか?僕には必ずしもそう思えない事があるのですが、根拠は何でございましょうか?

>よって、その「対象のために動く」のは任意(自律的)です。一方、蟻や蜂のように遺伝子にプログラムされた個体が、条件反射的に動くことを「他律的」といいます。

ここもよく分かりません。遺伝子にプログラムされた個体が・・・というのはどういう意味でございましょうか?

OtamaFJWRさんとの交流が噛みあっているかどうかがとても不安な僕がいます。

もしかしたら僕がお伝えしたかった事がちゃんと伝わりきっていない印象も少し受けました為に、再度、書いてみたいと思います。

僕は、自律的というのは自分自身の内面から溢れ出る意志の事であると思っております。自分の外面がどうであっても・・・の世界でございまして、自分自身が出所であり、自分以外の何かという対象とは関係の無い世界であると認識しております。

自分自身が原因となって、自分自身が意志そのものとなって動く事ですね。スイッチは自分の意志そのものでございます。

逆に、自分以外の何かという対象があって、その対象に原因があって、その対象をキッカケに自分にスイッチが入るというのは他律であると認識しております。

自分がスイッチそのものであるか?
それとも、自分以外の対象によって自分のスイッチが押されるのか?

OtamaFJWRさんのご質問内容には、

>「人助けのため」に働く=『自律的』と言えます。

とありましたが、「人助けのため」というのは自分以外の対象・・・だとは思われませんか?

僕はそこのところが気になりました。自分以外の対象がキッカケで自分のスイッチが押されるという事であれば、それは他律的だと言えないでしょうか?というのが、僕のご質問でした。

如何でございましょうか?

この回答への補足

こう考えればどうでしょうか?
先に述べたように、他律的社会化には個体に意識がない。つまり「他律的=無意識的」と言えます。
逆に自律的社会化では個体は任意に行動するので「自律的=意識的」と言えます。

つまり「人助けのため」に働く場合、
1。意識的に「助けたい」という意志がある=自律的
2。お金のために働けば、結果として他を利することになりますが、無意識的社会行動です=他律的

あなたは「きっかけ」により判別されていますが、
私は「意識的」or「無意識的」で判別しています。その根拠が先に述べた生物学的要因や社会進化の違いによるものです。

もう一度、科学的判断(社会進化の2パターン等)について考えてみてください。
「きっかけ」で判別するのは不適当だと思いますよ。ありがとね。
(「他律」ということを言葉の上のみで考えるのはお勧めできません)

補足日時:2010/12/27 08:33
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 自分のために働きます。



 子供の養育のため ⇒自分のため.
 出世のため    ⇒自分のため.
 ローン返済のため ⇒自分のため.
 貯金のため    ⇒自分のため.

だと思います。

 他人のためになど働かない、というのが本音です。
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他律的と自律的という事の理解について、いささか疑問を感じます。



>逆に「人助けのため」に働く=『自律的』と言えます。

僕はこれも他律的でなかろうか、と思うのですが如何ですか?

自律的というのは自らの内側から芽生えてくる意志なんでございましょう?そうしますと、例えばですが自律的というのは「楽しい」という内面の原動力であったり「嬉しいから」「ワクワクするから」などの自らの心情的な原動力の事を指すのではなかろうか?と思うのです。

ただ、その方向が「自分のために」向かうのか、「人のために」向かうのか、という対象があるのだとは思いますが、対象によって自らを動かしているのはやはり他律だとは思いませんか?

対象のために動いているのは、自らの内面から生まれ出るものではないのだと思えてしまいます。

故に、僕は、

>逆に「人助けのため」に働く=『自律的』と言えます。

さえも他律的であろうと観ております。

如何でございましょうか?

この回答への補足

ツッコミありがとうございます。

>その方向が「自分のために」向かうのか、「人のために」向かうのか、という対象があるのだとは思いますが、対象によって自らを動かしているのはやはり他律だとは思いませんか?対象のために動いているのは、自らの内面から生まれ出るものではないのだと思えてしまいます。

生物(ヒト)として、生きることは自発的(自律的)であり、全ての行動は任意です。
よって、その「対象のために動く」のは任意(自律的)です。一方、蟻や蜂のように遺伝子にプログラムされた個体が、条件反射的に動くことを「他律的」といいます。

整理すると、
>「自分のために」向かうのか、「人のために」向かうのか
は「真に自己中心的ならば、利己は利他を包含する」はずです。

そして「自律的」を捕足しますと、例えば「あなたは任意で生きている」と言え、要するに、後天的に、認識力を持ち、その判断で行動するのが、自律的と言えます。

逆に、お金や権力といった二次的情報に操られ(例を挙げると、馬車馬の目の前のニンジン(出世)、ケツを叩かれてようやく動く、先生に叱られるからしない、人気があるから買う、等々)は、他律的社会行動(条件反射)なのです。

さて、まとめ。
社会の定義は「社会とは助け合うために集まったもの」です。あなたの身体の細胞も集まってるでしょ?
その社会において自然界には2パターン存在することが知られています。
それは「自律的社会化」と「他律的社会化」です。
前者は、ヒトという種族に代表される社会進化で「ヒト型進化」と言います。
後者は、アリやハチに代表される社会進化で「アリ型進化」と言います。
よって、助け合うために集まった社会において、「人助けのため」に働くという「意志」がある以上、
「他律的」とは言えず、自律的社会行動と認識するのが適切です。

逆に「金に困ってヤバいからバイトする」というのは「条件反射(他律的)」に思えませんか?

「意志」は、意識があるから発生するのであって、他律的社会のアリの個体には意識はなく、
女王アリを中心とした中央集権社会そのものが1個の「意識」を作っています。
あなたの身体の細胞も1個1個は意識がない。つまり自律性を犠牲にして、あなたの脳を
中心とした司令塔からの信号であなたの細胞は条件反射的にうごいているのです。

現代人は意志があるにもかかわらず、多くの場面で他律的要因で動かされているのが現代であり、ヒトは皮肉にもアリ型進化へと移行中なのです。それを踏まえて、もう一度考えてみてください。ありがとね。

補足日時:2010/12/26 04:45
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