愚問ですが敢えて問います。

発想など、何をもってして越えたのかはなかなか決められないとは思います。

ですが問いたい。

村上龍は芥川龍之介を越えたのでしょうか?

または芥川龍之介を越えた小説家はいるのでしょうか?

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A 回答 (4件)

「芥川龍之介を超えたか」について。


村上龍については故人でもないですし、作品だけを切り取って比較するのは難しい。
龍の活動は多岐に渡っていますし、それは現代と龍之介との時代的な背景があります。
龍の死後、ようやく総合的に比較でき「超えた・超えてない」といえるのではないでしょうか。
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村上龍は初期の作品しか読んでいないんですが、芥川龍之介よりは鋭い気がします。

芥川龍之介の小賢しさは、時に、読んでいてばかばかしくなりました。三浦雅士は、小賢しい台詞を言わずには居られない人と言っていたような覚えがあります。
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芥川龍之介、即ち、純文学に与えられる芥川賞という発想で「芥川龍之介」を理想モデル基準に定めたのでしょうか。

芥川賞とは、様々な噂のあった年上の友人にして出版社のオーナーだった菊池寛が営業戦略上の理由によって創設したもので、作家的価値の優劣によって、その名が冠せられたわけではありません。菊池寛は、自分と芥川と醜聞を世間に面白おかしく揶揄され、その宣伝効果による売り上げ増を目論んでいたのかも知れません。また、村上龍は、かつて某有名文芸評論家に、まがいもの作家と決め付けられ、村上作品は純文学とは認められませんでした。龍という名前の由来は承知していますが、村上龍は、そもそも、誠の純文学などとは別物を希求しているように思われます。
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文学とは言え、所詮エンターテイメントの世界です。

 作家、作品、それぞれの好みですから、「超えたか」と言われても、何を基準にして、超えたかどうかを判断するのでしょう? その基準と言ったって、個人個人の基準があるので議論になりません。

読者自身が芥川が一番だと思えば、それで物語は完了です。 続きはありません。

まあ、最後っぺみたいで嫌味ですが、村上龍はキライです。 どっかの外国を知ったかぶりしてこまごまと・・・。 とは言えそれが好きだという人もいるのだし、その好みを否定する権利は誰にもありません。
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Q芥川龍之介の「羅生門」について教えて下さい。

青空文庫の芥川龍之介の「羅生門」を読んでいる外国人です。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/127_15260.html

わからないところがあるので、質問します。

>>どうにもならない事を、どうにかするためには、手段を選んでいる遑はない。選んでいれば、築土ついじの下か、道ばたの土の上で、饑死うえじにをするばかりである。そうして、この門の上へ持って来て、犬のように棄てられてしまうばかりである。選ばないとすれば――下人の考えは、何度も同じ道を低徊ていかいした揚句あげくに、やっとこの局所へ逢着した。しかしこの「すれば」は、いつまでたっても、結局「すれば」であった。下人は、手段を選ばないという事を肯定しながらも、この「すれば」のかたをつけるために、当然、その後に来る可き「盗人ぬすびとになるよりほかに仕方がない」と云う事を、積極的に肯定するだけの、勇気が出ずにいたのである。

>>下人は、頸をちぢめながら、山吹の汗袗に重ねた、紺の襖の肩を高くして門のまわりを見まわした。

①「この「すれば」のかたをつけるために」
②「その後に来る可き」
③「紺の襖の肩を高くして」
というところの意味を、教えて下さい。
よろしくお願いします。

青空文庫の芥川龍之介の「羅生門」を読んでいる外国人です。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/127_15260.html

わからないところがあるので、質問します。

>>どうにもならない事を、どうにかするためには、手段を選んでいる遑はない。選んでいれば、築土ついじの下か、道ばたの土の上で、饑死うえじにをするばかりである。そうして、この門の上へ持って来て、犬のように棄てられてしまうばかりである。選ばないとすれば――下人の考えは、何度も同じ道を低徊ていかいした揚句あげくに、やっとこ...続きを読む

Aベストアンサー

まず、下人の思考の流れを押さえましょう。

①「どうにもならないことを、どうにかするためには、手段を選んでいる遑はない」
②「手段を選ばないとすれば」
③「盗人になるより仕方がない」
ということですね。

「当然、その後にくる可き(べき)…」というのは、②の後に③となるのは自然な結論だ、というような意味です。

しかし、下人は「盗人になるよりほかに仕方がない」ということを「積極的に肯定するだけの、勇気が出」ないのです。そのために、「すれば」のかたがつかないのです。

下人は、「仕方がない」と思いつつも、盗人になる決心がつかないようですね。

ここで、②から③への結論を、「積極的に肯定する」とき、下人はどう考えるでしょうか。
「手段を選ばない以上は、おれは盗人になるしかないのだ」といったところでしょう。

下人は、頭では他に手段がないと分かっています。
しかし、盗人になるより仕方がないのを「積極的に肯定するだけの勇気がない」ので、手段を選ばないと「すれば」という段階に あえて止まっているといえます。

この「選ばないとすれば」というのは、どういう意味でしょうか。これは、他にいい手段がある「かもしれない」という希望だといえるでしょう。

しかし手段はないのです。「とすれば」はありません。すがりつく希望はないのです。

「かたをつける」とは、「盗人になるのを積極的に肯定する勇気をもつ」ことで、その希望を切り捨てることを意味しています。

まず、下人の思考の流れを押さえましょう。

①「どうにもならないことを、どうにかするためには、手段を選んでいる遑はない」
②「手段を選ばないとすれば」
③「盗人になるより仕方がない」
ということですね。

「当然、その後にくる可き(べき)…」というのは、②の後に③となるのは自然な結論だ、というような意味です。

しかし、下人は「盗人になるよりほかに仕方がない」ということを「積極的に肯定するだけの、勇気が出」ないのです。そのために、「すれば」のかたがつかないのです。

下人は、「仕方がない」と...続きを読む

Q芥川龍之介の「芋粥」の侍の言葉について教えて下さい。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/55_14824.html
青空文庫の「芋粥」を読んでる外国人です。
侍の言葉がたくさんあって、わからないところが多いです。(・_・;)

「芋粥」の侍の言葉を、標準語で書いてみますと、

①「まづ、さう思はれたがよろしからう。」→まず、そう思ってもいいでしょう。
②「粟田口では、ござらぬのう。」→粟田口ではありませんか。
③「いかにも、もそつと、あなたでな。」→全然わからないんです(・_・;)
④「山科は、これぢや。もそつと、さきでござるよ。」→山科はここだ。もっと前へ進もう。
⑤「それは、又、稀有な事でござるのう。」→それもめずらしいことですか。

正しいですか。間違えば、正しい意味を教えて下さい。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

① 思われたがよろしからう→お思いになったほうがよろしいだろう
「そうするほうがいい」と相手に勧める意味です

②ござらぬのう→ありませんねえ
ござらぬ→ありません
のう→ねえ

③いかにも、もそつと、あなたでな→確かに、もう少し 、あっちでね
いかにも→(いろんな意味があるが この場合は)そのとおり、確かに
もそつと→もう少し
あなた→(離れた方角をさして)あちら

④さきでござるよ→先ですよ
先→(この場合は)今の地点から進んだ場所のことです
ござる→です

⑤でござるのう→ですねえ

Q芥川龍之介の羅生門についての質問です下人が検非違使ではない、と言ったり、老婆の答えに失望したのはな

芥川龍之介の羅生門についての質問です
下人が検非違使ではない、と言ったり、老婆の答えに失望したのはなぜですか?

Aベストアンサー

検非違使ではないと言ったのは、
老婆が怖がって、逃げようとしたからです。
逃げられてしまっては、死体の髪を抜く理由を訊き出せなくなるからでしょう。
死体だらけ、荒れ放題の羅生門は、地獄絵図のようで、
魑魅魍魎、何が出てもおかしくない。
モラルも常識も通用しない場所でした。
仕事を失った下人は、明日からどうするといったことも考えられないくらい、
心が麻痺したような状態で、
老婆の言葉に、具体的に何を期待したわけでもないけれど、
何か、超現実的なもの、刺激を求めたのでしょう。
無意識のうちに、それによって、生きている実感をしたかったのかもしれませんね。
ところが、返ってきた答は、
「今のこの状況なら、そうだろうね」
「そうする人が出てもおかしくないよね」
という、羅生門では普通のことだったので、失望したのだと思います。

Q芥川龍之介の日本語

日本語を勉強中の中国人です。芥川龍之介に少し興味を持っています。中国語に訳された「支那遊記」を読んでいるところです。なんかおもしろい人だなぁと思います。お聞きしたいのですが、彼の日本語の特徴は何どうでしょうか。ユウモアの人でしょうか。

また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

 最近、中国語訳の芥川龍之介全集が刊行されています。
 また、中国語ばかりでなく、他言語に最も多く翻訳されている近代作家です。
 亡くなってからすでに、80年以上経っていますが、魅力的な作家なのでしょう。

 芥川龍之介の作品に出てくる日本語は、日本近代の作家の中で、最も豊かな変化があります。たった、10年間で活動を終えた作家とは思えないほど豊かな変化のある作家です。

 その中で「支那游記」は、新聞社の特派員として派遣された中国の様子を、新聞に連載したものですので、平明な日本語で書かれています。
 もちろん、その数十年前の江戸時代までは漢学の素養が、当時階級の高かった武士階級の必須教養でしたから、そうした時代の影響は受けていますが、分かりやすい文章でしょう。

 そういった意味で、「支那游記」からユーモアの人という印象は、出てこない様に思いますし、作家活動全般からも、ユーモアという印象は少ないと思います。

 しかし、彼の没後20年以上を経て映画化された映画『羅生門』の原作である『薮の中』などは、不条理小説とも評されますが、人の思考の皮肉を的確に表現した秀作です。

 『薮の中』はちょうど、「支那游記」を書き始めた頃に書いていますから、もしかしたら、そういった大きなユーモアが込められているかもしれません。

 最近、中国語訳の芥川龍之介全集が刊行されています。
 また、中国語ばかりでなく、他言語に最も多く翻訳されている近代作家です。
 亡くなってからすでに、80年以上経っていますが、魅力的な作家なのでしょう。

 芥川龍之介の作品に出てくる日本語は、日本近代の作家の中で、最も豊かな変化があります。たった、10年間で活動を終えた作家とは思えないほど豊かな変化のある作家です。

 その中で「支那游記」は、新聞社の特派員として派遣された中国の様子を、新聞に連載したものですので、平明な日本...続きを読む

Q芥川龍之介の「戯作三昧」について教えて下さい。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/38_14487.html
芥川龍之介の「戯作三昧」を勉強している外国人です。
いくつわからないところがあって、お教えいたたければ嬉しいです。

①結構と言や、先生、八犬伝はいよいよ出(い)でて、いよいよ奇なり、結構なお出来でございますな。
「出(い)でて」は、「出る」「出版する」ことですか。

②「もっとも、当節の歌よみや宗匠くらいにはいくつもりだがね。」
ここでの「いくつもり」はどんな意味ですか。

③というのは、その悪評を是認するために、勇気が、沮喪するという意味ではなく、それを否認するために、その後の創作的動機に、反動的なものが加わるという意味である。
「勇気が沮喪する」という表現がよくわかりません。「その悪評を是認する勇気がない」か、「その悪評を是認すると沮喪する」か、どの解釈が良いですか。

④日は無心に木犀の匂いを融かしている
辞書で調べたら、「無心」は「雑念や欲心のないこと」と「思慮・分別のないこと」です。しかし、ここではどちらも意味が合わないと思いますが、どう解釈すればいいですか。

⑤「もちろん気に入ったと言っても、今まで描いたもののうちではというくらいなところですが」
「今まで描いたもののうちではというくらい」の意味を、教えて下さい。

⑥「御老人がそんなことを言っては、困りますな。」
あくまで私の推測ですが、崋山が困るのは、彼が「馬琴が自分より才能がある」と思っているのに、そんな馬琴さえ「古人には及ばない」と自分を貶すと、崋山自身のレベルが低くなる気がするから、
と思いますが、いかがでしょうか。

よろしくお願いします。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/38_14487.html
芥川龍之介の「戯作三昧」を勉強している外国人です。
いくつわからないところがあって、お教えいたたければ嬉しいです。

①結構と言や、先生、八犬伝はいよいよ出(い)でて、いよいよ奇なり、結構なお出来でございますな。
「出(い)でて」は、「出る」「出版する」ことですか。

②「もっとも、当節の歌よみや宗匠くらいにはいくつもりだがね。」
ここでの「いくつもり」はどんな意味ですか。

③というのは、その悪評を是認するために、勇...続きを読む

Aベストアンサー

①八犬伝はいよいよ出(い)でて、いよいよ奇なり
「いよいよ~て、いよいよ~なり」という構文で、「出版されて世にでると共に、ますます評判が高くなる」という程度の意味。昔から「奇」は珍しい、変わったの意味で「奇談」「奇譚」のように珍しい話であり、同時に物語・小説の類が人びとにもてはやされることを意味していました。

②「もっとも、当節の歌よみや宗匠くらいにはいくつもりだがね。」
 「いく」は「達する・到達する」の意味で、「歌よみや宗匠くらい」のレベルには達しているつもりだと言ったのです。これは勿論、作者芥川が言わせたのであって、馬琴自身がどう思っていたかは分かりません。(もっと自信があったかも)実際には、二の最後に芥川はつぎのように書いています。

 『馬琴は、「性に合わない」という語(ことば)に、ことに力を入れてこう言った。彼は歌や発句が作れないとは思っていない。だからもちろんその方面の理解にも、乏しくないという自信がある。が、彼はそういう種類の芸術には、昔から一種の軽蔑を持っていた。なぜかというと、歌にしても、発句にしても、彼の全部をその中に注ぎこむためには、あまりに形式が小さすぎる。だからいかに巧みに詠よみこなしてあっても、一句一首のうちに表現されたものは、抒情(じょじょう)なり叙景なり、わずかに彼の作品の何行かを充(みた)すだけの資格しかない。そういう芸術は、彼にとって、第二流の芸術である。』

③「勇気が沮喪する」「沮喪」が「気力がくじけて元気がなくなること。」ですから、「勇気が沮喪する」は勇気がなくなるの意味でしょう。
 >「その悪評を是認する勇気がない」か、「その悪評を是認すると沮喪する」か、どの解釈が良いですか。

「その悪評を是認すると沮喪する」という意味ではなく、それを否認するために、その後の創作的動機に、反動的なものが加わるという意味である。」と言っています。すなわち「悪評」に立ち向かっていくところに真意があります。

④>「無心」は「雑念や欲心のないこと」と「思慮・分別のないこと」です。しかし、ここではどちらも意味が合わないと思いますが、どう解釈すればいいですか。

 「雑念や欲心のないこと」の意味です。ちょうど赤ん坊のように、無心に「日」が融かしているのです。「日」を擬人化した表現です。

⑤「もちろん気に入ったと言っても、今まで描いたもののうちではというくらいなところですが」
>「今まで描いたもののうちではというくらい」の意味を、教えて下さい。

 ほとんどそのまま、「今まで描いたものの中では(一番)という程度」の意味です。

⑥「御老人がそんなことを言っては、困りますな。」
>そんな馬琴さえ「古人には及ばない」と自分を貶すと、崋山自身のレベルが低くなる気がするから、
 その意味もいくらかあるかもしれません。しかし、芸術家というものは古人よりも自分がすぐれていると思わないし、後世(こうせい=若い人たち)よりもすぐれているとも思わないものだと、崋山も馬琴もそして芥川も、思っていただろうことは明らかです。
 「困ります」と言ったのは「そんな風におっしゃらないでください」という、単なる儀礼的なものでしょう。

 以上の、回答は「作品の解釈は、作者の気持ちをむししては成り立たない」という私の考えから来たものです。

①八犬伝はいよいよ出(い)でて、いよいよ奇なり
「いよいよ~て、いよいよ~なり」という構文で、「出版されて世にでると共に、ますます評判が高くなる」という程度の意味。昔から「奇」は珍しい、変わったの意味で「奇談」「奇譚」のように珍しい話であり、同時に物語・小説の類が人びとにもてはやされることを意味していました。

②「もっとも、当節の歌よみや宗匠くらいにはいくつもりだがね。」
 「いく」は「達する・到達する」の意味で、「歌よみや宗匠くらい」のレベルには達しているつもりだと言ったの...続きを読む

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