家紋「丸に三つ柏」と本田姓の関係を教えてください。ネットで調べたら「立ち葵」が本田姓の由来に関係する家紋であると掲載されていましたが、親に聞いたら「丸に三つ柏」とのこと。家紋って名前だけではなく地域によっても変わるものなのでしょうか?今は本田姓ですが、実は昔は違う姓を名乗っていたせいで家紋が三つ柏になったまま今に至ってるということも可能性があったりするのでしょうか?家紋は、名前から辿っていけばルーツがわかるものかと簡単に考えていたのですが、何かもっと複雑な事情があるのかどうか考えてたら、眠れない日々が続いています。どなたかヒントや手がかりでもご存じの方がいらっしゃったら、教えてください。

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A 回答 (3件)

うちは丸に木瓜紋


ありふれてて家紋では血筋を辿れません;;

さて、長い歴史の中で家紋がわかるかというと、変わります。
女紋が正式な紋になっちゃうことがあるんです。
家が女系になればそっちの紋でとね。
分家時に本家を憚って女紋にしちゃうこともあります。
家の始祖がどこの誰かがわからない限り家系図でもないかぎりまず辿れません。
単純に三つ柏ならごろごろいます
代表的なのは、土佐山内氏や牧野氏
伊勢の久志本氏、尾張の千秋氏。筑前の宗像氏、吉田神社の卜部氏
備前大守氏
清和源氏では今井氏・神尾氏・井上氏。
藤原氏では中御門氏・萩原氏・藤井氏・高橋氏・加納氏。
桓武平氏では長田氏など。ほかに大江氏流の境野氏が上り藤内に三つ柏紋。
あとは辻氏 渡会氏 など神社に関する紋です。
本田氏も神職をしていた一派がいますので、じっくり調べてみてください。
寺に過去帳が残ってればそれを参照なさり、なければご出身地の町史を覗くと意外と書いてありますよ。
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この回答へのお礼

早々のご回答ありがとうございました。菩提寺がどこなのかも不明なのですが、父方の親戚を頼って聴取していけば、菩提寺にはたどり着けそうですね。そこでの過去帳があるかどうかがドキドキです。また、出身地(今回は父方の出身地ですよね?)の町史情報も探ってみたいと思います。ありがとうございました。

お礼日時:2011/04/14 01:28

丸に”三つ柏”なら、私の家の紋もそうです。

本田姓ではありません。一番多い家紋らしく、前の方の言われているとおり
先へ辿りようが難しいと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。やはり、そうですよね。多い家紋であることはなんとなく覚悟してました。
他の手段も検討してみます。ありがとうございました。

お礼日時:2011/04/19 15:54

いろんな本田さんがいるからいろんな家紋があるでしょう。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%A4%9A% …
こっちだと 立ち葵だけど

http://x181.secure.ne.jp/~x181007/kamon/goodslis …
本田一本杉
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この回答へのお礼

一本杉は始めて知りました。ありがとうございました。

お礼日時:2011/04/14 01:24

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Q家紋に詳しい方、教えて下さい!

家紋に詳しい方、教えて下さい!

我が家は右離れ立ち葵という
家紋なのですがこの家紋について
情報がありましたら何でも良いので
教えていただきたいのです。

因みに名字は本多です。
家紋に詳しい方、宜しくお願いします!

Aベストアンサー

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。
(1)葵の紋は、京都賀茂神社の神紋であり、賀茂神社の神主、氏子、信仰者に葵紋が広がりました。

(2)三河から伊豆にかけて「賀茂」という地名が残っており、賀茂神社の社領が多くあった名残です。

(3)三河に居た松平氏、伊那氏、島田氏が葵紋を使っていましたが、徳川家康が天下を取ると、葵紋の独占を図り、他家での使用を禁止しました。

(4)ただし、本田氏(または、本多氏)のみが賀茂神社神官の出自であったため、徳川家の独占に対して、
「殿こそ、新田の出であるのであれば、丸に一の「一引紋」に変更されたらいかがでしょう」
と、断り、家康もそれにはさすがに「理の当然」と考え、本田氏だけには、元々の「立ち葵紋」を使用することを許可しました。

(5)そして、徳川家康は丸に三つ葉葵に変形させて、現代で言う「三つ葉葵」の紋を将軍家の紋所としました。

あなたの家系は、本多姓ですので、加茂神社に関係あるのではないでしょうか。
ちなみに、加茂神社の神紋は、NO1の方のWikipediaで「二葉葵」です。

Q自分が在日かどうか調べる方法

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証明)を取れば両親のこともわかるのですか?
母親の祖母が在日で帰化していた場合、その事はどの世代まで表記されるのでしょう?

ちなみに私は両親の戸籍から分籍(転籍)しており、本籍は東京ですが、出身および両親の本籍は大阪です。


在日か調べたい→戸籍を取れ、という解答はよく見るのですが、
具体的な方法が見つからず困っています。


また在日がどうのという質問に非難が集中している様子を見ることがありますが、
まぁ私のアイデンティティを明確化させたいだけですので、今回はご容赦ください。
日本生まれの日本育ち、ここ数世代の直系は全員日本人の日本人!と、
日本生まれの日本立ち、でも曾祖母は朝鮮人だから87.5%はチョッパリニダ!では、
やはりちょっと心持ちが変わるので、はっきりさせたいのです…。

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証...続きを読む

Aベストアンサー

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで韓国併合政策により在日朝鮮人はもとより、朝鮮半島にいる朝鮮人まですべて大日本帝国臣民扱いで法律上、外国籍ではなかった(両者とも本籍は半島にある)。
昭和20年の終戦を迎え在日の多くは半島に帰国しましたが、日本に残ったり、また朝鮮から戻ってくる人達もおりました。
明治時代から昭和26年までの間に朝鮮より日本へ渡って来た朝鮮人達は昭和27年にそれまであった日本の国籍を失って正式に外国籍となる。そして、在日朝鮮人の日本国への帰化が始まったのも昭和27年。

古来からの日本人家系なら苗字漢字に制限なく明治時代からの苗字漢字を継続できます。
在日朝鮮人の帰化が昭和27年に始まり、名前の漢字制限(上記)は昭和23年に始まってますから、朝鮮籍、韓国籍から日本に帰化した者は旧字体漢字で帰化するチャンスがなかったんです。

簡単な調べ方としては『住民票』での苗字名前漢字が旧字体で表記されてるなら明治時代からの日本人家系。
新字体ならば、
「戦前の家系状況が分かる戸籍みせて」と役所に言ってみること。
戦前の家系状況が記されていて朝鮮人を思わせる記述がなければ日本人。
戦前の家系状況が分かる戸籍を見せてくれない場合や戦前の戸籍が日本以外にある場合は帰化人だと判断できます。

戸籍取得方法は先に回答されてる方法をやるといいでしょう。

ただ、例え純粋な日本人でなかったとしても質問者さんが日本が大好きで在日の方々のように反日感情を露わにされるのが不快に感じるなら、心はちゃんと日本人ですよ。

…私も可能性はあるかもしれないんで経済的に余裕が出来れば戸籍を追ってみたいです。


以上、参考程度に

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで...続きを読む

Q農民の家紋使用はいつから?

家紋が必要なのは主に紋付きを作るときかと思います。
ならば、紋付きなど着なかった江戸時代の農民には家紋がなかったのでしょうか?

それとも、苗字と同じように、使わなくても我が家の家紋はコレ!と決まったものがあったのでしょうか?

江戸時代に農民が家紋を使っていた証拠となる文献をおご存じでしたら教えてください。

建造物や墓石に家紋がある、というのでも結構です。

または、明治以降になってこうして家紋を決めた、という資料でも結構です。

Aベストアンサー

日本における紋章は、苗字と共に受け継がれた「家」との関係を表わすもので、称して「家紋」と呼んでいます。
また衣服に紋章を付ける用い方は、日本独自のもので、他の国には見られないようです。
家紋には、自然物からの描写である雲・波・草花、扇面・亀甲や文字を意匠化したものまであり、現在では5000種類、一説によれば2万種類もあるといわれています。
家紋をつける風習は、平安時代の中頃、公家が自分の牛車や調度品に本人や家の好みの文様を付けたことから始まったといわれています。実際着物に家紋を付け出したのは、足利時代以後のようです。その頃の紋は男性のもので、女性が紋を付けるようになったのは、江戸時代中頃になってからのことのようです。そのころから「女紋」が作られ、男性の紋と区別するようになりました。
身分に関係なく、どの家でも自家の紋を持つようになるのは明治になって、一般庶民にも苗字が許されるようになってからのことです。
ただ、それ以前でも苗字帯刀を許された一部の豪農は武家を真似て家紋を使用していたようです。また商人は、所謂「屋号」としての紋章は使用されていました。

日本における紋章は、苗字と共に受け継がれた「家」との関係を表わすもので、称して「家紋」と呼んでいます。
また衣服に紋章を付ける用い方は、日本独自のもので、他の国には見られないようです。
家紋には、自然物からの描写である雲・波・草花、扇面・亀甲や文字を意匠化したものまであり、現在では5000種類、一説によれば2万種類もあるといわれています。
家紋をつける風習は、平安時代の中頃、公家が自分の牛車や調度品に本人や家の好みの文様を付けたことから始まったといわれています。実際着物に家紋を...続きを読む

Q丸に九曜の家紋は、何系でしょうか?

九曜紋は伊達とか、細川とか、相馬とかよく見かけますが、丸が付いたのはあまり見ません。
教えてください。  

Aベストアンサー

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。
お尋ねの件ですが、
まず、丸を付けるか付けないかは、例えば、大大名の「分家」や「庶子家」「一門」などになると、一族を表す「紋」を引き継いで、そして、一歩下がって丸を付ける場合があります。
根本的には、丸があっても、なくても、「紋」が一族を知る上での手がかりとなります。

九曜紋は、

<源氏系>
三木(松平系)、桜井(松平系)、大給(おぎゅう、または、おおきゅう、松平系)、宮石(松平系)、松平、桜井、吉野、青野、田沼、村田、陰山、土屋、榊原、細川、島田、山本、岡田、諏訪部、山田、牧野、原、比留間(ひるま)、久保田、諸星(もろぼし)、白須、青木、伴野、木曾、押田、村上、飯島、保科、平岡、伊丹(いたみ)、太田、浅野、土方、渡辺、大野、佐野、吉益、中島、西川、飯田、柿沼、柴田、郷渡(ごうど)、宮岡、森川、栃木、浅井、野村、小倉、久世、芝、木村
<平氏系>
山梨、高樋、犬塚、尾崎、笹本、河合、平野、小栗、相馬、佐久間、佐野、牛袋(うしぶくろ)、上坂、遠藤、東、原、堀、飯河、岩下、風祭、深沢、杉浦、由比、豊島(としま、または、てしま)、奥平、土屋、戸沢、梶、町野、奥山、飯塚、河内
<藤原氏系>
佐久間、青山、大久保、喜多川、富沢、藤井、佐野、佐山、糟屋、加加爪(かがづめ)、伊達、林、加藤、斉藤、西山、伊丹、橋本、上野、内藤、桑島、山上、藤沼、村越、榊原、稲生(いなふ、または、いなお、いのう)、松倉、熊沢、興津、伊東、六郷、曾根、石谷、戸田、加茂宮、井上、権太(ごんだ)、桜井、西川、山角、三橋、高城、中村、落合、正木、石場、粕谷、岩瀬、植村、細井、平岡、久津見、室田、市橋、富岡、清水、石黒、大河原、浅岡、樋口、関、反町(そりまち)、前沢、勝屋、和田、松倉、尾崎、猪狩(いかり)
<越智氏系>河野
<紀氏系>茂野
<小野氏系>岡部
<服部氏系>服部
<飯高氏系>飯高
<三善氏系>町野
<宮道氏系>蜷川(にながわ)
<坂上氏系>田村
<安倍氏系>阿部
<未勘系>米津、伊達、諸星、大津

以上が、
「見聞諸家紋(けんもんしょけもん)」
「雲上明鑑(うんじょうめいかん)」
「寛政重修諸家譜(かんせいちょうしゅうしょかふ)」
「日本紋章学」
「大武鑑」
によるものです。

ここに書き出した「姓」は、公家または武家の苗字で、日本の「姓」の全てと言っても過言ではありません。

この中に、あなたの「姓」があれば、家系図をたどって行くと、先祖がどのような人物だったかが分かる、かも、知れません。

ただし、明治になって苗字を名乗るようになってからの「農」「工」「商」は、「あやかって」付けた場合もあります。

また、家紋も同じく明治になってから「あやかって」、家紋としたものもあります。

さて、あなたの家系は、公家や武士につながっているのでしょうか・・・。

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。
お尋ねの件ですが、
まず、丸を付けるか付けないかは、例えば、大大名の「分家」や「庶子家」「一門」などになると、一族を表す「紋」を引き継いで、そして、一歩下がって丸を付ける場合があります。
根本的には、丸があっても、なくても、「紋」が一族を知る上での手がかりとなります。

九曜紋は、

<源氏系>
三木(松平系)、桜井(松平系)、大給(おぎゅう、または、おおきゅう、松平系)、宮石(松平系)、松平、桜井、吉野、青野、田沼、村田、陰山...続きを読む

Q家紋は変えることができるか

苗字や名前は、個人が自由に変えることはできず、よっぽどの事情がある場合に限り、裁判所等に申し出て認められれば変更できると聞いたことがあります。

質問は家紋はどうなのかということです。

うちの家は、父の話では、苗字に「藤」があるため「上り藤」の家紋、とのことです。
しかし、この家紋、ありふれていてつまらないので、変えたいと思っています。

うちは、先祖代々、名家でも大名でもないただの普通の農民です。
庄屋だったと聞いていますので、貧農ではないある程度、食うことができる程度の農民だったのでしょう。たいした家柄ではないです。
父は、次男坊で、下っぱ公務員として定年まで務めた人間です。
私は、次男坊の長男で私もたいした身分ではないです。
ですので家紋を大事にしなければいけないという一族・家族のしばりはありません。
父も聞かれたから、おそらく「藤」が苗字についているので「上り藤」といっているだけで、家紋にこだわってはいないようです。

法的には変えるのは自由なのでしょうか。
法的に問題なかったとして、世間的に変えることは非常識でしょうか。

Aベストアンサー

変える必要性が、全く無いですね。
家紋くらい、あまり深く考えないで良いし、逆に家紋の意味など、深く考えるべきところを考えて下さいね。

最近は家紋は実用性やら法的有効性などが無いですが、昔は家紋などトレーディングカードみたいなモノで、一家で2~3の家紋を持つくらい普通です。
実際にも、婚姻関係やら友好の証として、「交換紋」なんてのもあり、トレカ扱いしてます。
それこそ質問者さんが、「ウチのはダサいから、カッコ良いのと変えたい!」みたいなコトも、当たり前にやっていたのですよ。

一方、質問者さんが変えたい!と考えてるのは、正式の場で用いる本紋(定紋,表紋)の話です。
これは変えるべきじゃないと言いますか、これをコロコロ変えるなら、そもそも家紋なんて無用で要りません。
コチラはアイデンティティや正統性などを示すシンボルです。
「我が家はそう言う必要性が無い」と仰るなら、「家紋などは要らない」と同じことです。
また、質問者さんは、自分で気に入った家紋で満足でしょうけど。
好みでコロコロかえたら、いずれ子孫は「ウチの家紋って何だっけ?」みたいなコトになりかねないですよ。

家紋は、日常使いは好き勝手に使って良く、それらは替紋,副紋,裏紋などと言われます。
自動車のエンブレムなどと同じで、時々変更したり、複数使ったりして良いのです。
ワンパターンでは飽きますし、いくらカッコ良いデザインをしても、いつかは古臭くなりますし。
ただ、トヨタ車,日産車などと識別が出来なければ、エンブレムの意味を成さないでしょ?
従い、あまりコロコロ変えたり、多過ぎたら、「アホか?」と思われるだけの話ですね。

しかし「社章」なんてのは、そう易々と変えるモノではありません。
社名や社章をコロコロ変える会社など信用されませんし、会社側も正統性などを証明や維持が出来ません。

それと何より、「庄屋の系譜」がホントなら・・・スゴいことですよ。
身分制度上は「士農工商」ですけど、公務員と民間企業では、ドッチが偉い?みたいな話で、そんな単純な比較は出来ません。
地方の下っ端公務員と、中堅企業や地元有力企業の社長さんでは、比べ物にならないでしょ?

庄屋ってのは、まさにそんな感じで、別名は「豪農」と言われ、「豪商」と同じく有力な豪農は、ちょっとした財界人で、政界にも顔が利き、下級武士などより遥かに権力者。
現在の社長さんが、地元の政治家やら行政の部課長と関係がある様に、代官や奉行はおろか、家老と交誼や大名と面識くらいがあっても、何ら不思議じゃありません。

あるいは創作の話で申し訳ないですが、実在の旗本 長谷川平蔵の小説「鬼平犯科帳」では、平蔵の生母は庄屋の娘と言う設定になってますけど、大歴史小説家の池波正太郎さんの創作ですから、そういうことが有り得ない話ではなかったと言うことです。

そんな権力者である庄屋(豪農)ですから、簡単になれるワケも無く・・。
むしろ、とんでもない系譜の人も多いです。
かく言う私も豪農の分家筋で、質問者さんと同じく、ガキの頃は平凡な名前や家紋がイヤでしたけどね。
ただご先祖は、室町時代に貴族の流れで発祥し、その貴族の系譜を遡れば、親王,天皇にまで連なります。

戦国時代に足軽から多少の手柄を立てた、下っ端武士などの家系が、豪農に楯突けるワケが無いのですよ。
どちらかと言えば、コッチはそれなりに名のあるお武家やお公家さんなどと親戚筋なのだから。

一口に百姓と言っても、本百姓と水呑百姓では雲泥の差があり、本百姓と庄屋では、これも雲泥の差があります。
「藤○」「○藤」姓や「上がり藤」はゴマンと存在しますが、どこの出身の「藤○さん」で、どの「上がり藤か?」で、全く違います。

もしホンモノの「藤」に連なるのであれば、天皇家の系譜では無いにせよ、「源平藤橘」の筆頭名門の「藤原」の流れを汲むもので、ホントに庄屋の家系であれば、決してその可能性は低くありません。

そう言うルーツを辿ったり証明し得るものの一つが、「苗字」や「家紋(本紋の方)」です。
もしトレカ感覚で変えて良い家紋であれば、質問者さんのご先祖が、大事に守ってこられなかったはずです。
トレカ遊びは、いくらでも替紋でやれば良いですから、本紋の方は大事になさって、後世に受け継いでください。

変える必要性が、全く無いですね。
家紋くらい、あまり深く考えないで良いし、逆に家紋の意味など、深く考えるべきところを考えて下さいね。

最近は家紋は実用性やら法的有効性などが無いですが、昔は家紋などトレーディングカードみたいなモノで、一家で2~3の家紋を持つくらい普通です。
実際にも、婚姻関係やら友好の証として、「交換紋」なんてのもあり、トレカ扱いしてます。
それこそ質問者さんが、「ウチのはダサいから、カッコ良いのと変えたい!」みたいなコトも、当たり前にやっていたのですよ。

一...続きを読む

Q創価学会の人かどうかの見分け方を教えてください。

事情で、創価学会の人とできるだけ関わりたくありません。
(詳しくは書きませんが、かなり迷惑を被っています。)
これからいろいろな人と知り合いになると思いますが、
創価学会の人かどうか見分け方がありましたら、
知っておきたいです。

ちなみに自分なりに考えたのが、
・どこの新聞をとっているか聞く
・どんなスタイルの結婚式を挙げたかを聞く
(神式、キリスト教式だと大丈夫かも)  です。
最近知り合った人には、さりげなく聞いてみて一安心でした。

たまたま私の知り合った人が熱心すぎる人だっただけで、
学会の人全てを否定しているわけではありませんが、
この事にかなりナーバスになっていますので、
学会の方はお気を悪くされないで下さいませ。
あと、学会の批判ではなくて、見分け方のみご回答願います。

Aベストアンサー

学会会員です。比較的簡単な見分け方は.

1.死者がいないのに(紙製の)仏壇を持っている
2.木製の仏壇の場合は.つくりが派手(他の宗派の場合には.分家したときに作った仏壇をいつまでも使いつづけるので.結構古い物が転がっています)。
3.お守り.破魔矢.熊手.達磨等の縁起物を持たない・買わない(私のような例外もいますが)
4.命日など家族で遠距離の墓参りに行く。(近所の宗派の方は.命日の近くの都合のよい日に出かけます。)
5.若い人のばあいには.「宗教の話をする」。今の若い方々は.宗教関係に興味を持たないのが大多数ですから。
6.夕方特定の遊びまわるわけでもないのに集まる(勉強買いです)。若い方の場合には.酒飲んでカラオケで騒ぐのが普通ですが.これをしない場合です。
7.宗教(日蓮)関係のわけのわからない本がある。

Q親の血液型で生まれる子供の血液型のパターン

よく○型と○型の生殖によって○型の子供は生まれないという、血液型によって生まれる子供の血液型のパターンがありますが、そのパターンがわかりません。
どういうパターンになっているんでしょうか?。

Aベストアンサー

血液型はAA・AO・BB・BO・AB・OOの組み合わせで決まります。

A型はAAとAO。
B型はBBとBO。
AB型はAB。
O型はOO。

A型同士
AA×AA=AA
AO×AA=AA・AO
AO×AO=AA・AO・OO

A型とB型
AA×BB=AB
AA×BO=AB・AO
AO×BB=AB・BO
AO×BO=AB・AO・BO・OO

A型とAB型
AA×AB=AA・AB
AO×AB=AA・AO・BO・AB

A型とO型
AA×OO=AO
AO×OO=AO・OO

B型同士
BB×BB=BB
BB×BO=BB・BO
BO×BO=BB・BO・OO

B型とAB型
BB×AB=AB・BB
BO×AB=AB・BO・BB・AB

B型とO型
BB×OO=BO
BO×OO=BO・OO

O型同士
OO×OO=OO

AB型同士
AB×AB=AA・BB・AB

書きもれが間違いがあるかも解りませんが、このように理解しています。
逆に考えれば、子どもの血液型と親の血液型で自分がA型B型でもAAかAO、BBかBOが推察する事が出来ます。

血液型はAA・AO・BB・BO・AB・OOの組み合わせで決まります。

A型はAAとAO。
B型はBBとBO。
AB型はAB。
O型はOO。

A型同士
AA×AA=AA
AO×AA=AA・AO
AO×AO=AA・AO・OO

A型とB型
AA×BB=AB
AA×BO=AB・AO
AO×BB=AB・BO
AO×BO=AB・AO・BO・OO

A型とAB型
AA×AB=AA・AB
AO×AB=AA・AO・BO・AB

A型とO型
AA×OO=AO
AO×OO=AO・OO

B型同士
B...続きを読む

Q一人娘との結婚。嫁の実家、どうします/しましたか?

一人娘(一人っ子)と結婚された方、もしくは結婚された一人娘さんご本人、
お嫁さんの実家はどうしますか?どうされましたか?

ご主人が婿養子に入らない限り、”お家取り潰し”のようになってしまいますよね。
当然ながら、どうするのが良い悪いという話ではありませんし、
お嫁さんのご両親の考えにもよると思います。

あなたの場合、どうします/されましたか?

Aベストアンサー

女2人姉妹の長女です。
私は、結婚して姓が変わったままで実家の墓をみています。

私が結婚する際、実家をどうするのかということは気にしなくて良いと両親が言ってくれました。
また、祖母をはじめ親戚はどう思っているか知りませんが、両親は、姓を継ぐものが無くなることには拘っていなくて、墓を守る人がいれば良いと常々言っていましたし、妹も私も(私の主人の方の実家も)、親の面倒や墓は、みれる人がみれば良いという考え方です。
私は、結婚する前から何となく、自分が墓をみるんだと思っていて、盆・正月・彼岸の前には帰省して、両親と墓掃除に行っています。
私が結婚して8年後、妹が長男と結婚しましたが、婚家は長男が親の面倒を見る事が当たり前だと考えている家で、両親のどちらかに不都合が出た場合には同居するように、と、結婚前に言われていました。
ということで、自動的?に、実家の墓は私が見る事が決まりました。
両親も70代になったので、数年のうちに実家に戻る事になるのではないかと思っています。

Qぼったくりの永平寺曹洞宗

ひどいと思いませんか?私は先ごろ母の葬儀などを行いました。寺はあの有名な永平寺の系統で大変大きな寺の檀家です。僧侶は4人、戒名は信女です。35日の忌明けまで7日ごとの経にきてもらいました。その費用は90万円請求されました。その他に、初盆の人が寺に集まり初盆の行事がありましたが、家族が順に呼ばれて焼香をするだけで一家族は5分程度で終わりました。タッタの5分ですよ。それで4万円以上のお布施を請求されました。
 葬儀や法要に関する明細書も請求書もなくそれどころか領収書もありません。これってひどすぎると思いませんか?100万円近くの金を払ったのですよ。これは当然ビジネスというべきです。それなら明細書、請求書、領収書をだすべきでしょう。
 このことを永平寺に質問しましたが、10日経っても返事がありません。無視しているのです。
 永平寺の修証義というお経には、貪ってはいけない、欲を出してはいけないなどと書いてあります。それなのになんという強欲な!!
 聞くところでは、永平寺系曹洞宗は一番えげつないそうです。金をぼった繰ります。
 みなさんのご意見をお聞きしたいと思いますのでよろしくお願いします。

ひどいと思いませんか?私は先ごろ母の葬儀などを行いました。寺はあの有名な永平寺の系統で大変大きな寺の檀家です。僧侶は4人、戒名は信女です。35日の忌明けまで7日ごとの経にきてもらいました。その費用は90万円請求されました。その他に、初盆の人が寺に集まり初盆の行事がありましたが、家族が順に呼ばれて焼香をするだけで一家族は5分程度で終わりました。タッタの5分ですよ。それで4万円以上のお布施を請求されました。
 葬儀や法要に関する明細書も請求書もなくそれどころか領収書もありません。これっ...続きを読む

Aベストアンサー

 なにか話がごっちゃになっていますね。
 タイトルだけ見ると曹洞宗大本山永平寺がぼったくりをしたように思われますが,現実に質問者の方が「ぼったくり」」だと思っているお寺は別のお寺ですよね。
 永平寺もそのお寺も別々の宗教法人ですから,あたかも曹洞宗大本山永平寺がぼったくりをしたように勘違いさせるタイトルは好ましくありません。削除要求をされるかも知れません。
 よく,曹洞宗の寺院で,「永平寺系」「總持寺系」と称する寺院がありますが,それらの寺院を,永平寺又は總持寺が統括しているわけではありません。「曹洞宗」という宗教法人が包括しています。
 ですので,永平寺に質問書を出されても,永平寺はそれらの寺院を統括又は包括していませんので,永平寺にとってはお門違いの質問であり,回答がないのも然りです。
 包括している「曹洞宗」としても,教義に関しては,僧侶を監督し,曹洞宗の教義と違うことを弘通すれば指導しますが,寺院の運営に関してまでは口出しできません。法律上,別の宗教法人であるからです。
 
 さて,うちの菩提寺(曹洞宗・永平寺直末)の相場ですと,
 枕経+通夜+葬儀     =30万円
 葬儀脇導師3万円×3名  = 9万円
 葬儀御車料1万円×4名  = 4万円
 葬儀御膳料2万円×4名  = 8万円
 逮夜法要2万円×5回   =10万円
 逮夜法要御車料1万円×5回= 5万円
 逮夜法要御膳料1万円×5回= 5万円
     計         71万円 となります。
 うちの菩提寺では,院号なしの信士又は信女の場合,戒名料はありません。
 
 曹洞宗では,施食法要が営まれます。新亡施餓鬼と言って,前の施食法要以降に亡くなられた方のある檀家が施主となり,お布施を包むのですが,からお盆の法要と並修するお寺もあれば,彼岸法要と並修するお寺もあり,全く別の日程で営むお寺もあります。
 うちの菩提寺ですと,1霊3万円ですので,質問者の方の菩提寺が1霊5万円ということは,おおむねうちの菩提寺の1.5倍の額と考えれば,71万×1.6=100万超となりますので,質問者の方の菩提寺の相場の額を請求されたのではないでしょうか。
 うちの菩提寺と比較すれば,「高いなぁ」とは思いますが。
 同じ曹洞宗の寺院でも,それぞれの地域性や檀家の状況にもよりますので,1ケ寺をもってして,曹洞宗寺院全部がそうであるかのような誤解はしないでください。
 
 質問者ご自身が,御母様を亡くされ,初めて菩提寺と接されたのではないでしょうか。
 寺院は住職のものではなく,檀家のものです。宗教法人としての代表役員は住職が就いているでしょうが,檀家(その中の総代)が寺院を支えているのです。檀家の多い寺院であればなおさらです。きちんと会計担当の責任役員が居り,お寺に納めたお布施などは,住職の懐に入るのではなく,宗教法人の会計に入り,そこから住職は給料を貰っています。所得税等の源泉徴収もされています。
 お寺から示された額も施食法要のお布施の額も,檀家総代会(寺院護持会)が決めた額であると思われます。
 お布施などは個人のプライベートな支出なので,領収証を貰ったところで,経費で落とせるわけではないので,領収証を求める人が少ないのが実情ですので,求められれば領収証を出すというスタンスの寺院が多いと思います。求めれば領収証を出してくれることが多いようです。特に葬儀に掛かった費用については,遺産分割協議の際に揉めないように,喪主が相続人全員に葬儀費用を示すために領収証を求められる方もいらっしゃると聞いています。
 また,曹洞宗大本山永平寺ですと必ず領収証をくださいます。
 
 それから,お寺が相続税を脱税するということはありえません。法人に相続税が発生することがないからです。お寺が相続税を脱税したのではなく,そのお寺の住職が相続税を脱税したのでしょう。

 曹洞宗寺院及び僧侶全体を貶めようとなさっているようで,悲しくなりました。

 

 なにか話がごっちゃになっていますね。
 タイトルだけ見ると曹洞宗大本山永平寺がぼったくりをしたように思われますが,現実に質問者の方が「ぼったくり」」だと思っているお寺は別のお寺ですよね。
 永平寺もそのお寺も別々の宗教法人ですから,あたかも曹洞宗大本山永平寺がぼったくりをしたように勘違いさせるタイトルは好ましくありません。削除要求をされるかも知れません。
 よく,曹洞宗の寺院で,「永平寺系」「總持寺系」と称する寺院がありますが,それらの寺院を,永平寺又は總持寺が統括して...続きを読む

Q道行、コート、羽織について

桜の散る頃に脱いで、楓の色づく頃に着るという
慣わしがあると思うのですが
具体的に言うと
11月から4月上旬までは
道行またはコートを着て
帯を隠すというのがマナーなのでしょうか?
それ以外の
5月から10月までは帯付き姿でも良いのでしょうか?
単に寒いから着るものかと思っていましたが
わきまえないと、「帯び付き」という揶揄が
背後から来るそうなので
教えていただきたいです。

また、羽織はカーディガンのようなものといいますが
洋装では、コートの下にカーディガンも有りですが
和装では道行きやコートの下に羽織は有りなのでしょうか?
厚着になってしまい、変なきもします。

帯び付き姿の時に羽織るもののようなイメージです。
結構着物は暑いので、夜とか少し冷えたけれど
春だし、コートまではいかないでしょう、と言う時に
羽織る感じで良いのでしょうか?

どなたかアドバイス、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

羽織の上に道行きや道中着を着るのはアリです。
重ねる時は羽織が隠れる丈にしてくださいね。
コートの裾から羽織が見えているのはかっこわるいので・・・。

防寒だけでなく、羽織には「あらたまった服装にする」「ただのおしゃれ」、
道行きには「塵よけ」という役目もあります。

女性の正装には羽織は着ません。
だから留袖や喪服用の羽織というのはありませんよね。
礼装用のコートを着て、目的地で脱ぎます。

礼装するほどではないおでかけ(入学式の付き添いや盆暮のご挨拶など)の時に、
きちんとめの小紋に無地の一つ紋の羽織を着れば、服装を整えた感がでます。
アンティークの着物のお店で、夏生地の黒紋付の羽織を見かけることはありませんか?
これなどは明らかに防寒の役割ではありませんよね。

また、同じ小紋に友禅の絵羽の羽織を着れば、お正月やちょっといいレストランへのおでかけに。
小紋の羽織ならば普通のおでかけ着です。
これらは「ただのおしゃれ」の用途です。

ご存知のようですが、洋装で言うなら道行きはコート、羽織はジャケットやカーディガンです。
道行きは汚れを防ぐために着るものなので、よそのお宅に伺うなら玄関前で脱ぎます。
これは洋装でも同じことですね。
コートを着たままお座敷に座りません。
反対によそのお宅の応接間で、勧められてもいないのにジャケットを脱ぐ人がいますか?
そんなことをしたら、「この人なんだか馴れ馴れしい」って思われてしまいます。
ビジネスマンならお客さんが訪ねてきたら、スーツの上着を着て、ボタンを留めてから応対するのと同じです。

羽織や道行きもやはり季節のものがあります。

真夏は紗や絽などのシースルーの生地で単衣仕立にします。
4~5月、9月終わりから10月半ばは、夏生地以外で単衣仕立てにします。
秋から冬は透けない生地を袷仕立てにします。
さらに真冬には綿入れ羽織にもできます。
これは真綿をごく薄く入れたもので、ほんの少しふっくらしてあたたかいのです。
鹿の子絞りの羽織も空気の層ができるせいか、すっぺりした生地の羽織よりもあたたかいものですよ。

秋から春に帯付では・・・というのは、季節的に寒々しく見えておかしい、ということではないかと思っています。
洋服でさえ、寒い季節にコートを着ずに歩いていたらみすぼらしく見えます。
季節感を大事にする和装ならなおさらだと思いませんか。

おっしゃる通り、桜の季節、日差しが明るくなったら帯付で十分なのですが、
個人的にはGW前までくらいは薄いストールくらいは羽織った方がかっこいいと思っています。
洋服ならUネックのワンピースに春っぽいカーディガンでも体感は寒くないけど、
首周りがでていると寒々しく見えて物足りないので、ストールやスカーフをふわりとあしらうかんじ。

私の場合、単衣羽織や夏羽織は自分の楽しみですね。
だっておしゃれしたいんだも~ん!というワケです。
真冬にミニスカートの裏にカイロをたっぷり貼ったり、真夏に純白の編み上げブーツをはく若い女の子と変わりません。
もちろん暑いものを我慢して羽織を着たりする必要はないのです。
でも少しくらいなら我慢して、自分が素敵に見える(と自分が思う)格好をしたいだけなのです(^^;)ゞ
そんなことありませんか?

ここ5年ほどの間に羽織の人気も盛り返してきて、素敵な羽織紐なんかも手に入りやすくなりましたよね。
うれしいことです。
あとは羽裏なんかの種類が増えてくれればいいんですけど・・・。

羽織の上に道行きや道中着を着るのはアリです。
重ねる時は羽織が隠れる丈にしてくださいね。
コートの裾から羽織が見えているのはかっこわるいので・・・。

防寒だけでなく、羽織には「あらたまった服装にする」「ただのおしゃれ」、
道行きには「塵よけ」という役目もあります。

女性の正装には羽織は着ません。
だから留袖や喪服用の羽織というのはありませんよね。
礼装用のコートを着て、目的地で脱ぎます。

礼装するほどではないおでかけ(入学式の付き添いや盆暮のご挨拶など)の時に、
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