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私の家は平家の子孫だと言われています。祖父以前は四国で生まれ育っています。家紋は丸に揚羽蝶です。苗字は門脇と言います。祖父の父が2年ほど前に亡くなったので、私の家が本家です。家紋も苗字もよくあるものではないので平家の子孫だと言われているのは本当なのではないかと思っているのですが、どれほど近い関係にあるのかわからないでいます。調べて下さる方、ご存知な方、教えて下さると嬉しいです。

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A 回答 (2件)

苗字618位 門脇 約32,300 土佐の門脇氏は桓武平氏。

ほか出雲社家など。土佐、出雲、羽後仙北地方に多し。

平家で門脇なら平敦盛ゆかりの苗字ですね。

敦盛は六波羅の角に住んでいたので門脇殿といわれていました。

平 教盛(ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%95%99% …
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この回答へのお礼

丁寧なご回答ありがとうございます。
その方について早速調べてみようと思います。また何かあればどうかよろしくお願いいたします。

お礼日時:2011/07/29 21:02

平家直系の門脇家の本家は今の鳥取県ではないでしようか?


家紋は「丸に揚羽蝶」ではなく、「揚羽蝶」です。
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Q平家の落人って・・・

最近、平家物語に興味を持ち出して本を買ったりネットなどでいろいろ調べたりして楽しんでいるのですが、そこで気になったことがありました。

ネットなどで「わたしは平家の落人の子孫です」と発言されている方がけっこういらっしゃるのですが、その方達はどちらかといえば清盛などの直系の子孫などではないのではないでしょうか?というのも、「落ち延びた」などという伝説は全国各地に残ってはいるものの、信憑性は不明で、主だった人物は壇ノ浦をなどでほとんど入水、戦死なさったりしていますよね。

例えば中流以下の平家方の貴族や、平家方について戦った平氏ではない一般人なども共に戦ったが故に「平氏である」と名乗た場合もあり、それが現代まで伝わっている場合もあるのではないでしょうか?


興味を持ち出してから日も浅いため思い違いなどもあると思いますが、このことが気になりだしてからここ数日、気がつけばこのことばかり考えてるので、ご存知の方がいらっしゃいましたらおしえてください。

Aベストアンサー

私は平家の子孫です。(らしい・・・かもしれない)
うちの先祖は平家方の武士のひとりで、どうも壇ノ浦敗戦以後、猟師になりすまして、ゲリラしていたらしいです。
源氏の監視がごろごろしている中、夜中に小船に乗って、平家物語で有名な入水自殺した安徳天皇の死体を引き上げて、赤間神宮というところにまつったそうです。(と、その昔、じいさんばあさんに教えられました。)
ひょんなことですが、ある日知り合いと話していて、その先祖の話をしたら、「あっうちの先祖もおんなじことした言い伝えがある!」・・・もちろん親戚でもなんでもないですから、そうすると何百年も前に、うちの先祖と貴方の先祖は同僚かなんかで、一緒にゲリラして、一緒に小船に乗って死体を引き上げにいったんだ!そして何百年たった今、その子孫が再会したんだ!ロマンだねぇ・・・って。
なんの回答にもなってませんでしたか。
こりゃまた、すんずれぃ致しました。

Q自分が在日かどうか調べる方法

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証明)を取れば両親のこともわかるのですか?
母親の祖母が在日で帰化していた場合、その事はどの世代まで表記されるのでしょう?

ちなみに私は両親の戸籍から分籍(転籍)しており、本籍は東京ですが、出身および両親の本籍は大阪です。


在日か調べたい→戸籍を取れ、という解答はよく見るのですが、
具体的な方法が見つからず困っています。


また在日がどうのという質問に非難が集中している様子を見ることがありますが、
まぁ私のアイデンティティを明確化させたいだけですので、今回はご容赦ください。
日本生まれの日本育ち、ここ数世代の直系は全員日本人の日本人!と、
日本生まれの日本立ち、でも曾祖母は朝鮮人だから87.5%はチョッパリニダ!では、
やはりちょっと心持ちが変わるので、はっきりさせたいのです…。

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証...続きを読む

Aベストアンサー

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで韓国併合政策により在日朝鮮人はもとより、朝鮮半島にいる朝鮮人まですべて大日本帝国臣民扱いで法律上、外国籍ではなかった(両者とも本籍は半島にある)。
昭和20年の終戦を迎え在日の多くは半島に帰国しましたが、日本に残ったり、また朝鮮から戻ってくる人達もおりました。
明治時代から昭和26年までの間に朝鮮より日本へ渡って来た朝鮮人達は昭和27年にそれまであった日本の国籍を失って正式に外国籍となる。そして、在日朝鮮人の日本国への帰化が始まったのも昭和27年。

古来からの日本人家系なら苗字漢字に制限なく明治時代からの苗字漢字を継続できます。
在日朝鮮人の帰化が昭和27年に始まり、名前の漢字制限(上記)は昭和23年に始まってますから、朝鮮籍、韓国籍から日本に帰化した者は旧字体漢字で帰化するチャンスがなかったんです。

簡単な調べ方としては『住民票』での苗字名前漢字が旧字体で表記されてるなら明治時代からの日本人家系。
新字体ならば、
「戦前の家系状況が分かる戸籍みせて」と役所に言ってみること。
戦前の家系状況が記されていて朝鮮人を思わせる記述がなければ日本人。
戦前の家系状況が分かる戸籍を見せてくれない場合や戦前の戸籍が日本以外にある場合は帰化人だと判断できます。

戸籍取得方法は先に回答されてる方法をやるといいでしょう。

ただ、例え純粋な日本人でなかったとしても質問者さんが日本が大好きで在日の方々のように反日感情を露わにされるのが不快に感じるなら、心はちゃんと日本人ですよ。

…私も可能性はあるかもしれないんで経済的に余裕が出来れば戸籍を追ってみたいです。


以上、参考程度に

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで...続きを読む

Q「平家の落人伝説」について教えてください。

この場で申し上げてよいものかは疑問ですが、私は東京在住で旧姓は「喜多」といいます。

私の故祖父は今から100年ほど前(明治30年ごろ)に現在の徳島県池田市の山あいから瀬戸内を渡って本州へでて、そこから親戚を頼って上京したそうです。

去年私はそんな祖父の故郷を一度見てみたいと思い、一念発起して池田へ出かけていきました。

一昔前に甲子園を賑わせた池田高校の「山彦打線」に象徴されるようにとても山深いところでしたが、吉野川の清流がとてもきれいで昔話に出てくるようなとても静かなところでした。

伝え聞くところによりますと、私の祖父の生まれ育ったところは池田からさらに山あいに入った「東祖谷地区」といわれて下りますがそこは「平家の落人伝説」が残っているところだといいます。

よくこの「平家の落人伝説」という言葉を各地を旅行したときなどに聞きますが、「平家」=「負け組み」、「落人」=「差別民」などのイメージがありますが。。。

知っている人には大変基本的なことなのかもしれませんが、

「平家の落人伝説」というのは一般的にいってどのように言い伝えられまた受け止められてきているのでしょうか?昔の「新平民」や現代の「部落差別」的な意味も潜んでいるのでしょうか?

もっと砕けた質問の仕方をすれば、「私のおじいさんは平家の落人伝説の残る村の出身なんです。」と普通に人に自慢げに言える事なのでしょうか?

もしもご親切な方がおられましたらお教えいただけましたら幸いでございます。よろしくお願い申し上げます。

この場で申し上げてよいものかは疑問ですが、私は東京在住で旧姓は「喜多」といいます。

私の故祖父は今から100年ほど前(明治30年ごろ)に現在の徳島県池田市の山あいから瀬戸内を渡って本州へでて、そこから親戚を頼って上京したそうです。

去年私はそんな祖父の故郷を一度見てみたいと思い、一念発起して池田へ出かけていきました。

一昔前に甲子園を賑わせた池田高校の「山彦打線」に象徴されるようにとても山深いところでしたが、吉野川の清流がとてもきれいで昔話に出てくるようなとても静か...続きを読む

Aベストアンサー

私は四国に赴任しているとき、祖谷はよく行きました。すばらしい自然に囲まれたなんと美しいところでしょう。近くの大歩危、小歩危も雄大な景観ですね。四国の3大名勝と勝手に決めています。後2つは鳴門の渦潮、四国カルストですね。
平家落武者伝説は哀れを誘う悲しくもそれでいてなんとなく勇気を与えてくれる物語です。戦に敗れた平氏が追い来る源氏の恐怖にさらされながら、山の奥深くに世を忍んで生き延びる。「かずら橋」は源氏が渓を渡れないようするために、いざという場合に切り落としたそうですね。その渓底には温泉が湧き出でて、とてもすばらしい自然を満喫できますね。
さて、お尋ねの平家=負け組 落人=被差別 というのは確かに一部では言われています。しかし、この認識は誤りです。今でも残っていますが、被差別部落を存在さすための口実に利用されました。士農工商のまだ下に「エッタ」と呼ばれる被差別民を政策的に生み、民の不満の捌け口に利用されたのは事実です。
といって、なにも、被差別部落の人が悪いわけではありません。平家の
落武者であることを隠すことはありません。なんせ、平家とか源氏とかは1千年も前の、それこそ伝説の時代のことです。
確かに平家は負けたのですから、負け組でありますが、そんなことを現在になって問題にする人はいないでしょう。そんなことを言ったら、かっての戦争でアメリカに負けた日本人全員が負け犬です。他人のことを悪くいえません。むしろ、かっての名門の一族として誇りを持つべきでしょう。私はそう思います。

私は四国に赴任しているとき、祖谷はよく行きました。すばらしい自然に囲まれたなんと美しいところでしょう。近くの大歩危、小歩危も雄大な景観ですね。四国の3大名勝と勝手に決めています。後2つは鳴門の渦潮、四国カルストですね。
平家落武者伝説は哀れを誘う悲しくもそれでいてなんとなく勇気を与えてくれる物語です。戦に敗れた平氏が追い来る源氏の恐怖にさらされながら、山の奥深くに世を忍んで生き延びる。「かずら橋」は源氏が渓を渡れないようするために、いざという場合に切り落としたそうですね。...続きを読む

Q夫が部落出身である可能性が高いです

悔しくて夜も眠れずこちらに辿り着きました。
(理解していただきたいので内容が細かく、長いです。申し訳ありません。)
出会った当時私は学生で、夫は県外の人間でしたが仕事の為に都心部に移り住んでいました。
結婚して4年です。子供が一人います。
夫が実家近くに転職したので、今は夫の実家の近くに住んでいます。
私は3人姉妹の末っ子で、父が中学生のときに亡くなったので母親に育てられましたが、祖父母が会社を経営していたので何一つ不自由なく育ちました。
出会った当時、夫は実家にルートセールスで度々来ていました。
母は時々物を買っていて、私と知り合う2年前から夫を知っていました。
その間、彼氏がいなかった私の写真を見せていたのは知っています。よく母から、「面白いお兄さんがいて○○(私)に会ってみたいと言っているけれど、どうする?」と言われており、その一年後に初めて3人で食事に行きました。
付き合いはそこからです。
付きあってから度々悩まされたのは、他人に対して暴言を吐いたり道路の真ん中で車を止めて怒ったりすることでした。
(先日も駐車場の枠外にとめていた車の人に暴力団のような言葉を吐いていたので知らない顔をして子どもと逃げました。)
私にも暴言や暴力(年に数回)があり、何度も別れようと思ってきました。
しかし、夫にも優しい所があり、初めての人でしたので夫がすべてだという気持ちがあり、結局結婚に至りました。
何かがおかしいと思ってきたのは結婚してからのことです。
毎週夫の実家に行くごとに義父母から親戚の職業を耳にしてきましたが所謂部落の方が多い職業についており、部落の方と結婚している人がとても多いのです。
また、義父は自営業をしていますが暴力と酒癖が悪く部屋中のものを壊したり、年に数回は義母の顔にあざができるほど殴るので本当に恐ろしいです。
本人たちの口から「部落」という言葉は結婚してからは何度となく聞いていますが、自分たちは違うというニュアンスで話してきます。
差別があるから夫のいとこは子供をつくらないし、結婚もしないとも聞かされてきました。
私が少し調べた結果は義父が部落出身のようです。
調べるきっかけとなったのは私の職場に夫がやくざまがいの電話をしてきたことでした。
それは、私の仕事用携帯に職場の男性のアドレスがあっただけのことでした。私的なメールは一切しておらず、上司から同僚まで全ての電話番号とアドレスが入っています。
夫はそれを浮気だと勘違いして、会社に怒鳴りこみの電話をしてきました。しかも妊娠初期の事でした。
その後出産の為辞めることとなりましたが、会社の上司から夫のことをかなり詳しく聞かれた上でそれとなく言われました。
本当にショックで血の気が引きました。
その後、義父母や夫がよく口にする地区をネットで検索してみると、全て部落に当てはまる地区で自分が住んでいる地区も昔はそうだったと知りました。
本当にショックでした。
冒頭に「悔しい」と書いたのは騙されたと感じるからです。
結婚前に夫の性格や暴力のことで母や親戚から反対されながらも結婚を選んだのは私です。
でも、墓場まで持って行こうとした夫が許せません。
私に話していたら結婚は迷ったかもしれない。
でもきっと結婚していたと思うんです。
それなのに純粋な気持ちでずっと夫を思ってきたのに隠し通そうとしている夫は裏切り者です。大嘘つきです。
夫を許せません。
結婚するまでは部落の人がいるのかどうかも知りませんでした。そして、部落が何かもよくわかりませんでした。
しかし、少しずつ勉強したり地区や周りの人間を見ていく中で分かったことがあります。それは差別する人間だけが悪いのではなく、差別される側にも問題があるということです。
義父や夫の親戚の会話は人間の血が通っていなくて、私にはとても理解ができません。酷い言い方かも知れませんが、気が狂いそうになるほど見ず知らずの他人を悪く言ったり暴言を吐きます。
私が言われることもあります。
今、人生にとても悩んでいます。こどもが小さいので母子家庭は厳しいかもしれませんが、穏やかな暮らしがしたいです。
夫とも義父母とも一切の縁を切ってこの土地からも逃れたい・・普通の考えをした人間と関わりあって生きたい。これが正直な気持ちです。
簡単にはいきませんが、何も考えずに生活しようとしても夫や義父が何か言動を起こす度にうんざりしている自分がいます。
まとまりの無い文章ですみません。
経験談やアドバイスなど、皆さんの考えをお聞かせ下さい。
どうぞ宜しくお願い致します。
最後まで読んで下さってありがとうございました。

悔しくて夜も眠れずこちらに辿り着きました。
(理解していただきたいので内容が細かく、長いです。申し訳ありません。)
出会った当時私は学生で、夫は県外の人間でしたが仕事の為に都心部に移り住んでいました。
結婚して4年です。子供が一人います。
夫が実家近くに転職したので、今は夫の実家の近くに住んでいます。
私は3人姉妹の末っ子で、父が中学生のときに亡くなったので母親に育てられましたが、祖父母が会社を経営していたので何一つ不自由なく育ちました。
出会った当時、夫は実家にルートセ...続きを読む

Aベストアンサー

難しい問題ですね。 差別する事はいけない事だと倫理を
説いても、実際にはいろんな形で区別されている事も事実。

自分がその立場に立った時に、つゆほども気にせず過ごせるか?
と聞かれると自信がありません。

普通に・・・・と言う気持はよくわかります。

昨今は、まだ昔ほどの差別はないにしても、中には未だに
違った目で見る人がまだまだいる事も確かです。

そのうえ、いろんな事件が世間を騒がせますから、この事が
表だって知られるようになれば、なにがしかの弊害はあるやも
しれませんしね。

この事案からまったくかけ離れた所で生活している物が
当事者に対して簡単に「差別はいけません」とは言い難いです。

関わった物の苦しみは関わった者しか分かりませんね。

輪の中に身を置くという事で、私は単なる個人の人格だけの
問題でもない気がします。

生活の環境と言う物は、個人の主観に大きく影響します。

周りを取り囲む人々が同じ価値観で接してくれば、少なからず
感化されますからね。

さて、問題は今後ですよね。
離婚されるなら身を隠す必要があると思いますよ。

今までの言動・行動を見ても旦那様自身がこの事をかさに
人を威圧する性格が見受けられます。
そういう境遇が持たしたら性格かもしれませんが、実際問題
多少危険である事は覚悟する必要があると思います。

出来れば御実家のご両親にもきちんと相談されて、考えうる
対応を模索しておく必要があると思います。

それでも先を考えれば、行動する価値は十二分にあると思います。
今は×1も珍しくありません。
心穏やかな生活が迎えられると良いですね。

難しい問題ですね。 差別する事はいけない事だと倫理を
説いても、実際にはいろんな形で区別されている事も事実。

自分がその立場に立った時に、つゆほども気にせず過ごせるか?
と聞かれると自信がありません。

普通に・・・・と言う気持はよくわかります。

昨今は、まだ昔ほどの差別はないにしても、中には未だに
違った目で見る人がまだまだいる事も確かです。

そのうえ、いろんな事件が世間を騒がせますから、この事が
表だって知られるようになれば、なにがしかの弊害はあるやも
しれませ...続きを読む

Q九州地方でアゲハ蝶の家紋が多いのはなぜか?

九州地方ではアゲハ蝶の家紋がよく使われているそうですが、
その由来等が分かれば教えていただきたいです。

アゲハ蝶の家紋は平家の家紋として使われていたそうですが、
そのことが何か関係しているのでしょうか。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

平家の落人伝説が多く残っています。
そのせいでは。

Q厚生年金は25年納めないと、一銭も受給できない?

年金の受給について教えてください。

私の年金加入状況は、
・会社員時代の厚生年金が236か月
・退職後、フリーターとなり国民年金(第1号被保険者)が59か月
です。

このまま国民年金を支払い続け、会社員時代の236か月と合算し、300か月を越えたら年金がもらえるのだろうと考えていました。

先日、70歳すぎの某企業の社長に、
「厚生年金を25年払っていないなら、厚生年金はもらえないよ。あと6年どこかで働いて厚生年金を払いなさい」と言われました。
この論でいくと、今まで236か月納めつづけてきた厚生年金は、厚生年金単独として25年(300か月)納めないと高齢者になってから一銭も受給できない、ということになります。

そうでしたっけ? 混乱しています。
自分の解釈では、
年金は2階建て構造で、1階の国民年金、2階の厚生年金で、厚生年金を納めている=自ずと国民年金を納めていることになる。よって、国民年金はまずもらえる。
で、厚生年金は300か月とは関係なく、納めた分の比率でもらえる(国民年金にプラスして)、と理解していました。

今後は、フリーターのまま、あるいは社会制度が完備した企業での契約社員やパートでの雇用の両方が考えられます。
この社長の言うことが本当なら、フリーターのままでいるのは損に思います。

厚生年金の受給について、どうぞご教示をよろしくお願い致します。

年金の受給について教えてください。

私の年金加入状況は、
・会社員時代の厚生年金が236か月
・退職後、フリーターとなり国民年金(第1号被保険者)が59か月
です。

このまま国民年金を支払い続け、会社員時代の236か月と合算し、300か月を越えたら年金がもらえるのだろうと考えていました。

先日、70歳すぎの某企業の社長に、
「厚生年金を25年払っていないなら、厚生年金はもらえないよ。あと6年どこかで働いて厚生年金を払いなさい」と言われました。
この論でいくと、今まで236か月納...続きを読む

Aベストアンサー

昔は、国民年金や厚生年金はそれぞれ独立した制度でしたので、単独で被保険者期間を満たす必要がありましたから、その記憶のままなのかも知れませんね。

今は基礎年金制度が導入されてますので、どの年金制度も通算されます。
25年の保険料納付済み+保険料免除+合算対象の期間があれば年金を受給できます。

厚生年金については65歳前の特別支給は1年以上、65歳からの厚生年金は1ヶ月以上の加入期間があれば、上記条件も満たせば受給できます。
ご安心を。

Q平将門の直系子孫について

平将門の直系子孫(将門の弟の子孫も含む)っているんでしょうか。

あんな華々しい活躍をして子孫全滅は悲しいです。
貞盛の子孫は一応、栄えたのに・・・

Aベストアンサー

相馬家がそうだと思います。
下記、氏祖に相馬将門とありますが、これが平将門だと思います。

参考URL:http://www.tanutanu.net/roots/database/s/souma1.htm

Q朱印帳は神社・お寺 混在でも大丈夫?

京都・鎌倉などを訪問するときは、ご朱印をもらって訪問の記念にしています。まぁ、夏休みのラジオ体操のスタンプ帳みたいな感覚ですが。

しかし、このご朱印帖、日ごろ持ち歩かないため、ぶらりとどこかのお寺さんに出かけた際、「しまった忘れた!」という状況が何度もありました。で、何度もその場で買うことを繰り返し、今では4冊ぐらいあります(^_^.)。

このご朱印帳たち、頑張って朱印でいっぱいにしたいと思うのですが、聞くところによると、神社でもご朱印を頂戴できるとか。(むしろ本来は神社で始まったものなのでしょうか?)

そこで質問なのですが、今もっているお寺の朱印帳に、神社の朱印を押していただいても失礼にならないでしょうか。みなさん、どうしていますか? これ以上朱印帳を増やしたくないので、神社の朱印帳を新たに購入することなく、出来れば手持ちのお寺の朱印帳に神社仏閣ミックスで進めて行こうと思うのですがどうなのでしょうか?

御存知の方、御意見をお願いいたします。

gooの過去の参考質問
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=438077
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=222278

京都・鎌倉などを訪問するときは、ご朱印をもらって訪問の記念にしています。まぁ、夏休みのラジオ体操のスタンプ帳みたいな感覚ですが。

しかし、このご朱印帖、日ごろ持ち歩かないため、ぶらりとどこかのお寺さんに出かけた際、「しまった忘れた!」という状況が何度もありました。で、何度もその場で買うことを繰り返し、今では4冊ぐらいあります(^_^.)。

このご朱印帳たち、頑張って朱印でいっぱいにしたいと思うのですが、聞くところによると、神社でもご朱印を頂戴できるとか。(むしろ本来は神社で始...続きを読む

Aベストアンサー

神社・仏閣を分ける必要はありません。
 そもそも、朱印帳は納経帳ともいいますが、その名の示すとおり本来は自らが写経した経典を神社仏閣に奉納した、その証明として寺院(神社の場合は別当寺、つまり神社を維持管理する寺院)から受けとった証文書です。そのため古い形式のものの多くは右側に「奉納経」と書かれ、また本尊・祭神名も現在のように墨書きではなく木版で捺印されていました。初めはそれを自らが綴じて帳面のようにしたのですが、後に無地の帳面に捺印してもらうようになりました。
 ですから、本来は写経した経典を奉納するのが本義ですが、本尊・祭神への読経(どきょう:経典を音読すること)・看経(かんきん:経典を黙読すること)も「経典の奉納」と見なし、朱印を発行するようになりました。よって本尊・祭神への読経・看経、礼拝せずに朱印を頂くのは単なるスタンプ帳に過ぎなくなることを留意してください。

Q平家の縁結び神社(寺)教えてください

我が家(無宗教)は毎年成田山に参拝していますが、最近家族があるものを成田山に奉納する時、成田山の方に「お宅の名字は平家の名字だけどこちらに来て大丈夫ですか?うちは源氏なんです。」と言われました。家族は誰もうちが平家なんて知らず驚きました。
関係ないだろうと思いますが、うちは何十年も成田山に参拝していますが、両親は数年前に離婚、姉がいますが、姉も離婚しました。

私はいい年なのですが最近急にご縁がなくなり、いいご縁を求め縁結びの神社に参拝したいと思っています。そこで、平家をまつった神社(寺)で縁結びのご利益があるところをどなたか知っていたら教えていただきたいのです。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

#1です。
それほど喜んで頂けるとはこちらこそ感激です。そのように言って頂けると及ばずながら回答した甲斐があるというものです。
「お寺」についてはあまり触れていませんでしたが、そもそも神社に比べるとお寺に「縁結び」のご利益があるところは決して多くないのです。
何故かというと「仏教」というのはそもそもこの世の中に終わりなく幾度も生まれてきてしまう(「輪廻転生」というやつですね)苦しみから逃れること(「解脱」とか「悟り」とかいうものです)を目的とするものであるからです。
なので本来「現世利益」的なものとは縁遠いという訳なのですが、お坊さんはそれで良くても庶民はやはりいつの時代も「現世利益」を求めてしまうものですよね。
そういうこともあって仏教も間口が広がっていった(?)ようなところはあるのですが、江戸時代以前は「神仏習合」といって仏様達と日本の神様達は本来同じものであるといったような信仰があったもので、お寺も神社も明確な区別がなく「現世利益」はどちらかというと神社の担当のままということで構いませんでした。
そんなこともあって「縁結び」のようなこともどちらかというとやはり(両者の区別が明確になっている)今でも神社が担っている割合が多いのです。
そうは言っても皆無な訳ではなく、仏様の中には「愛染明王」のようにその手のことを引き受けてくれるものもあります。
そのほかにも「大聖歓喜天(聖天)」という象頭の仏様などもあって、これは秘仏だったりするので中々実物を見ることは出来ないのですが、雌雄(?)が抱き合っているような独特なものもありまして、そのような姿からも「縁結び」や「夫婦和合」にご利益ありとされています。
それから調布市にある「深大寺」のように、仏様自身とは関係なくお寺にそのような「いわれ」があって「縁結び」のご利益があるとされているところもありますが、いずれにしても数はそれほど多くありません。
各地に色々な「落ち武者伝説」があるように、勢いを失った平家の者達は散り散りに落ち延びたようなことも伝わっており、それぞれにその菩提を弔うようなお寺があったりはするかもしれませんが、当然のようにあまり「縁結び」のご利益があるとは考え難いです。
それにその多くは西日本でしょう。
質問者さんがどこにお住まいなのかはわかりませんが、「成田山に代えて」ということなので、関東近郊のほうでのほうが都合がよいのではと勝手に考え(的外れでしたらすみません)、諸々の事情も併せて「将門公所縁の神社」などが良いのではないかと思った次第です。
(煩雑にならないよう、説明はかなり大雑把なものになっています。ご容赦下さい)

「縁結び」が主眼にお考えでしたら、こちらなども何かしら参考になるかもしれません↓
http://enmusubida.com/index.html

度々のお邪魔失礼致しました。

#1です。
それほど喜んで頂けるとはこちらこそ感激です。そのように言って頂けると及ばずながら回答した甲斐があるというものです。
「お寺」についてはあまり触れていませんでしたが、そもそも神社に比べるとお寺に「縁結び」のご利益があるところは決して多くないのです。
何故かというと「仏教」というのはそもそもこの世の中に終わりなく幾度も生まれてきてしまう(「輪廻転生」というやつですね)苦しみから逃れること(「解脱」とか「悟り」とかいうものです)を目的とするものであるからです。
なの...続きを読む

Q現在でも源(みなもと)さんは居ますか?

天皇から賜わった姓としては「藤原」さんや、「橘」さんが現在でもわりと多いので有名だと思いますが、「源(みなもと)」さんや「平(たいら)」さんは現存しない姓なのでしょうか?
前者はよく聞く名前なのに、後者はほとんど、というか聞いたことないので不思議に思いました。

また、関連した質問として、上記の「藤原さん」たちは鎌足から脈々と続く藤原さんなのでしょうか?それともほとんど関係ないですか?
やはり藤原さんの中でも、教科書にでてくるような藤原氏の血筋の子孫は1%未満ですか?

Aベストアンサー

私の知人にも源さんがいます。その方の家の近くに源三位頼政に関する伝承地があり、
聞いてみたのですが、「先祖代々ここに住んでいる百姓だが、源頼政の子孫とかの言い
伝えもない」ということでした。

もともと、源平藤橘などの氏(姓)は、明治になって法的には廃止となっています。その
廃止になった時に、公家や武家などのそれなり以上の地位にあった家にはそれぞれ家名
(名字・苗字)がありました。明治以後はその名字が正式な名前となります。例えば
明治維新の時点での総本家は
源氏  徳川家(清和源氏)→久我家(村上源氏嫡流)
平氏  西洞院家(堂上平氏)
藤原氏 近衛家(摂関家筆頭・藤原氏嫡流)
橘氏  ※平安時代に没落
源氏と藤原氏は、細胞分裂のように数え切れないくらいの家に枝分かれしていること
はご承知のことと思います。源氏の足利・新田・武田・今川、平氏の北条・織田、
藤原氏の九条・西園寺などは有名ですね。明治維新の岩倉具視は村上源氏、三条実美
は西園寺の本家筋にあたります。

ですから、古代より脈々と続くこうした「お家柄」のご子孫たちは、上記の近衛・久我とか
九条・西園寺・岩倉・三条とかの家名を現在も名乗っておられますので、現在
藤原・源・平などを名字としている方々は、明治になってから名字としてそれらを
名乗るように決めた家ということですので、少なくとも「お家柄」の子孫ではない
と見るのが無難でしょう。
(だからといって、絶対に藤原・源・平氏の子孫ではない、とは断言できませんが)

なお、藤原道長とか藤原定家、源頼朝や平清盛などは、上記の家名がまだ無いか、
あっても定着していない時代の人物ですので、そのまま藤原・源・平を名乗っています。
藤原定家の子孫は、のちに冷泉家を名乗ります。

あと、橘さんはちょっと微妙ですね。橘氏は家名が成立する時代より前に没落して
しまっているので、家名を持たないまま橘氏のままで明治を迎え、そのまま名字を
橘にした、という地方の旧家があっても別に不思議ではありません。

私の知人にも源さんがいます。その方の家の近くに源三位頼政に関する伝承地があり、
聞いてみたのですが、「先祖代々ここに住んでいる百姓だが、源頼政の子孫とかの言い
伝えもない」ということでした。

もともと、源平藤橘などの氏(姓)は、明治になって法的には廃止となっています。その
廃止になった時に、公家や武家などのそれなり以上の地位にあった家にはそれぞれ家名
(名字・苗字)がありました。明治以後はその名字が正式な名前となります。例えば
明治維新の時点での総本家は
源氏  徳川家(清和...続きを読む


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