率直な質問なのですが、日本国内に展開するKGK(キリスト者学生会)という宗教団体のベースはキリスト教原理主義を背景にした団体と聞いたことがあるのですが、どうなのでしょうか?
その宗教団体に詳しい方がおれば教えていただきたいのですが?

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (2件)

キリスト者学生会(KGK) は、福音主義、聖書信仰、超教派主義に立つプロテスタントの学生団体です。


大学内での宣教活動・キリスト者同士の交流を主な目的として活動しているようです。

起源は、戦後の早稲田大学が日曜日にも授業を行う事を決定したのに対して、尾山令仁が「主日礼拝(所謂日曜日に行われるミサ)」が行えなくなるとして、それを守るために署名活動をしたことにあるとされています。
署名活動では当初の目的は果たせなかった物の、学内に「主日礼拝」を守るためにサークルを作りました。
それが、現「キリスト者学生会(KGK)」となります。
その思想は、「福音主義(「聖書主義)」、「超教派(プロテスタントの宗派を問わない)」「学生主体のサークル活動」を掲げているのが特徴です。
その後、他大学にも広がりを見せ今に至ります。

KGKは、エホバの証人・統一教会・聖神中央教会などの所謂「キリスト系新興宗教」とは全く関係ありません。
あくまでも、プロテスタント諸派の学生が集まったサークル活動を主な目的とした団体です。
なので、KGKそのものがキリスト教の一派であったり新興宗教であったりというわけではありません。
布教活動も大学ごとに温度差もあるようです。

参考URLにKGKのホムペのURLを貼っておきます。
リンクを辿っていけば、活動内容等が書かれたブログなどもありますので、参考にしてみて下さい。

参考URL:http://www.kgkjapan.net/xoops/
    • good
    • 0

いわゆる教団や教会の枠を超えた働きで、おもに大学においてキリスト者の集まりを計画したりする団体と思います。

キャンパスクルセードの日本版のようなものです。少なくともプロテスタントの教会では参加を薦めています。統一教会とはまるで関係ないと思います。マルチンルターにまでさかのぼるプロテスタントの各団体の教職者や牧師の中にはKGK出身者がかなりおります。

しかしながらモルモン教、エホバの証人、統一教会、などのいわゆるプロテスタントからいうところの異端的な教会はKGKとなにか関連しているということはないと思います。ただし教会や聖書を読み始めてまだ状況がつかめない方々が異端的な教会や教団に間違って入ってしまうというケースはよくあるようです。

教会になにか聖書以外の教えがあったり、聖書以外のなにか書物を用いていたりしたら、少しプロテスタントとは異なると思ってよいでしょう。プロテスタントの基本的な考え方は「聖書に帰る」ということですので、あまり儀式ばっていたり、建物が仰々しいいのも一つチェック項目になるのではないかと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
僕の友人にKGKに入っているので、なにか左翼的な何かに漬け込まれるのではないかと心配でした。
今後ともじっくりと見据えていきたいと思います。

お礼日時:2011/04/23 10:05

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q【日本人のキリスト教徒ってイエズス会のことだったんでしょうか?】 日本に隠れキリシタンがいた踏み絵の

【日本人のキリスト教徒ってイエズス会のことだったんでしょうか?】


日本に隠れキリシタンがいた踏み絵の時代です。

その当時のキリスト教=イエズス会のことを指していた?

今のキリスト教徒はイエズス会じゃないですよね?

キリスト教がイエズス会から日本に入ってきていつの間に違うキリスト教に乗っ取られたのでしょう?

今の日本のキリスト教ってユダヤ教でもなさそうですし何のキリスト教なんでしょう?

なんでイエズス会系から違うキリスト教系に信者がいつの間にか変わっていた。

不思議なことですよね。

Aベストアンサー

>その当時のキリスト教=イエズス会のことを指していた?
イエズス会ではなく「カソリック」を指していました。

キリスト教の簡単な歴史を書くと分かりやすかもしれません。
キリスト教は、もちろんイエス・キリストが1世紀の初頭に布教した内容が元になっているのですが、昔のことですからいろいろな地方でいろんなことを話したり、キリストが死んだあと弟子が話した内容が伝わっていたり、といろいろな教えがあったのです。ローマは最初、キリスト教を禁教にしていましたが、4世紀になるとキリスト教を信じる皇帝が即位したりして、キリスト教をローマの国教にしました。

この時、先ほどのようにいろいろな教え、いろいろな記録を集めて整理して聖書にしたのですが、2世紀にはローマの範囲外であったギリシャ周辺には「正教会」ができていて、正教会はローマの国教化には協力しませんでした。かれらはのちにプロテスタント、と呼ばれることになります。
また、のちにドイツになるあたりでも、キリスト教は布教されていたのですが、ローマの範囲ではない地域もあり、やはり国教化に協力はしませんでした。

このローマの国教化に参加してできたのが「カソリック」で、今のローマ法王につながっていきます。

で、このカソリック戦国時代にはいろいろな会派として世界中で布教するのですが、これは植民地化の手先だったわけで、それを知った秀吉や家康は弾圧して、踏み絵をさせているわけです。
だから、イエズス会だけでなく、カソリックが弾圧を受けたのです。

鎖国後もイギリスとオランダは日本にくることを許されたのは、彼らがキリスト教でもカソリックではなくプロテスタントだったからです。

>今の日本のキリスト教ってユダヤ教でもなさそうですし何のキリスト教なんでしょう?
今の日本のキリスト教はいろいろな宗派があります。

2世紀にカソリックと袂を分けた正教会も日本に教会をもっていますし、明治以降はカソリックもきています。

>その当時のキリスト教=イエズス会のことを指していた?
イエズス会ではなく「カソリック」を指していました。

キリスト教の簡単な歴史を書くと分かりやすかもしれません。
キリスト教は、もちろんイエス・キリストが1世紀の初頭に布教した内容が元になっているのですが、昔のことですからいろいろな地方でいろんなことを話したり、キリストが死んだあと弟子が話した内容が伝わっていたり、といろいろな教えがあったのです。ローマは最初、キリスト教を禁教にしていましたが、4世紀になるとキリスト教を信じる...続きを読む

Qバハーイー教という宗教の教義が文章だけ見ると大変魅力的な宗教に見えます。 ①上記宗教に関して魅力的な

バハーイー教という宗教の教義が文章だけ見ると大変魅力的な宗教に見えます。
①上記宗教に関して魅力的な点、問題点。
②世界を良くする、人の心を善くする教えはバハーイー教以外にありますか。宗教でなくても構いません。
未熟な私に教えて頂けますでしょうか。
宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

誰に何を聞いても無駄・・

自分で その宗教に入り 自分の目で確かめて 初めて解かる事・・

宗教を嫌いな人は 唯・・ 批判が目的なのだから・・

Q江戸時代はなぜキリスト教はNGだったの?

日本は仏教が中心ですが、キリスト教信者もいます。キリスト教に篤い学校・老人施設・病院などもあります。
しかし、江戸時代はキリスト教は禁止されていました。キリスト教を信仰すると罰を受け、踏み絵などキリスト教信者を見つけては処罰という制度もありました。天草四郎を中心とした島原の乱も起きるなどしながらもキリスト教は禁止されましたが、隠れキリシタンも多数存在していました。
で、いったいなぜ江戸時代はキリスト教が禁止されていたのでしょうか???

Aベストアンサー

江戸幕府のキリシタン禁制は慶長17年(1612)、幕府直轄領での禁制、翌18年に、全国さらに外国まで広げたものですが、キリスト教禁令にはさまざまな要素があります。
 キリスト教布教当初から信仰が拡大するにつれ、キリシタン大名領では神社仏閣の破棄が行われました。そのことから民衆側からもキリスト教を邪教視する風潮がありました。同時に寺社の破棄は、日本の伝統的倫理観の破壊と恐れられたのでしょう。

 次に創造主の元の平等、つまり創造主の絶対性ですが、それが日本の封建領主の倫理観とは相容れなかった。欧州では支配者と創造主は同一であるという「神権政治」、そこから発展した、王の地位は創造主より授けられたものという「王権神授」という伝統的倫理観が土壌にあります。そのような倫理観がない世界(日本)に創造主の絶対性を重んじる思想は、主君・領主への忠誠より、創造主への忠誠を優先させます。このことが天下統一のさわりになると、豊臣秀吉は天正15年(1587)に禁教令を発します。

 さらには外交政策の面。徳川家康は和平外交を進めるため、当初は信仰を黙認していましたが、慶長5年、オランダ船リーフデ号漂着により、プロテスタントであるオランダ・イギリスと交渉開始。日本市場の拡大を図るため、ポルトガル・スペインの締め出しを計画。そこでカトリックへの不利な情報と中傷を行いました。つまりカトリック国の侵略的意図。信徒を利用した反乱計画などをは、当時の幕府としては「天下統一のさわりになると」いう危惧をより拡大させました。禁制により教会の破壊・宣教師の国外追放。信徒の東北・蝦夷地への放逐などが行われました。
 徳川家光はさらに厳しく禁制を行いますが、寛永14年(1637)の島原の乱による衝撃から、鎖国政策の徹底とキリシタン弾圧はより強固となります。
 カトリックの海外布教は、プロテスタントに対する対抗措置という面がありました。その点、海外布教を重視していないプロテスタント国とは幕府は貿易を行えたのでしょう。

参考
『国史大事典』(吉川弘文館)

 ただし、禁制も太平の世が長く続くことで形骸化していき、当初はキリシタン監視の意味でもうけられた寺請制度も、寺院側からすれば「檀家としての勤めを果たしていれば、裏でキリスト教を信仰していても黙認する」という事実もありました。領主も「良き領民としての勤め」を果たす限りは信仰も黙認状態でもありました。キリシタンであると暴露しても、領主の監督不行届と罰せられる危険性があったからです。
 現在でも「カクレキリシタン」の家では、寺院の檀家であり、神社の氏子であり、家には仏壇・神棚が祀られて、同時にカクレキリシタンである。その信仰体系は仏教・神道・民間信仰とキリスト教が混在した、いわゆるカトリック・プロテスタントとは異なる信仰形態ですが、キリスト教公認以後も、カトリック・プロテスタントに改宗せず、先祖が守ってきた信仰として「カクレキリシタン」として守り続ける家があります。

資料
『オラショ―魂の通奏低音 カクレキリシタン』(宮崎賢太郎・長崎新聞社)
http://www.nagasaki-np.co.jp/jigyoubu/book/kakure_book.html

『カクレキリシタンの信仰世界』(宮崎賢太郎・東京大学出版会)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4130104020/250-7207972-6663457

江戸幕府のキリシタン禁制は慶長17年(1612)、幕府直轄領での禁制、翌18年に、全国さらに外国まで広げたものですが、キリスト教禁令にはさまざまな要素があります。
 キリスト教布教当初から信仰が拡大するにつれ、キリシタン大名領では神社仏閣の破棄が行われました。そのことから民衆側からもキリスト教を邪教視する風潮がありました。同時に寺社の破棄は、日本の伝統的倫理観の破壊と恐れられたのでしょう。

 次に創造主の元の平等、つまり創造主の絶対性ですが、それが日本の封建領主の倫理観...続きを読む

Q真面目に筆問です。キリスト教とイスラム教の世俗主義は戒律に縛られないのに原理主義者の人は他の宗教を認

真面目に筆問です。キリスト教とイスラム教の世俗主義は戒律に縛られないのに原理主義者の人は他の宗教を認めないしISIS等は平気で殺人、キリスト教徒はゲイのクラブで射殺、何故白黒付けるのでしょうか?ハンドルと同じであそびがない危険な気がする。普通のキリスト教徒やイスラム教徒は私は差別しない。原理主義とは何ですか?

Aベストアンサー

まず初めにイスラム教に原理主義は有りません
イスラム教徒はコーランの教えに従って戒律を守って生活してます
一言でいえば「イスラム教徒すべてが原理(コーランを守る)主義者」です
所謂「イスラム教原理主義」とはコーランやイスラム教の戒律を
都合がいい様に歪めて自分勝手にやってます
件のISISは主要なイスラム教の宗派から破門されてます
原理主義=過激派=宗教狂いでは有りません
これは世界的なメディアの印象操作です
ISISは「宗教を利用する政治結社」と表現した方が適切な気もしてます

で、キリスト教には原理主義がいます
聖書(キリストの教え)に従って生きている人たちです
ご存知のようにキリスト教的世界観からしたら資本主義は堕落しています
金、セックス、ドラッグ等々
人間、自由になったら堕落するって奴ですね
ガキが快楽や楽しい事ばっかりするのと一緒ですよ
それが許せないのです。「ソドムとゴモラ」ですよ
因みにソドムの悪もん達にロトは娘を差し出しました。ソドムの住民は
これを拒否しました。女を拒否する=男性同士で愛し合うって解釈が
一般的です。で、ソドムの街は神の怒りで滅ぼされました
てな訳で同性愛、特にゲイは神の怒りで滅ぼされるべきだって
主張がキリスト教原理主義の主張です

ついでに言っちゃうとロトのカミさんはソドムとゴモラ滅ぼされた時
巻き込まれて死にました。子供が出来ないからこりゃイカンってんで
ロトの娘がロトを酔わせてセックスしてます
この辺から女性、特に自分の娘に対する性的暴行が多いのも解るってもんですよ
世界を見る時は一神教的世界観で見ないといけませんよ

まず初めにイスラム教に原理主義は有りません
イスラム教徒はコーランの教えに従って戒律を守って生活してます
一言でいえば「イスラム教徒すべてが原理(コーランを守る)主義者」です
所謂「イスラム教原理主義」とはコーランやイスラム教の戒律を
都合がいい様に歪めて自分勝手にやってます
件のISISは主要なイスラム教の宗派から破門されてます
原理主義=過激派=宗教狂いでは有りません
これは世界的なメディアの印象操作です
ISISは「宗教を利用する政治結社」と表現した方が適切な気もしてます

...続きを読む

Q日本でキリスト教が禁止されたら?

江戸時代のはじめごろ、日本ではキリスト教が禁止されました。その時代は踏み絵などでキリスト教を徹底的に排除しようとしましたし、キリスト教を信仰し続ければ死刑になっていました。しかし、隠れキリシタンも多数出現しました。

ここで2つ質問ですが、
1:キリスト教の禁止は徳川家光将軍時代だったように思いますが、なぜ当時の将軍は日本でのキリスト教の信仰を禁止したのでしょうか?
2:もし、現在日本でキリスト教の信仰が禁止されると、どうなると思いますか?

Aベストアンサー

> 1:キリスト教の禁止は徳川家光将軍時代だったように思いますが、なぜ当時の将軍は日本でのキリスト教の信仰を禁止したのでしょうか?
スペインによる植民地化を防ぐための政策だった。(下記url参照)

> 2:もし、現在日本でキリスト教の信仰が禁止されると、どうなると思いますか?
戦時中に英語が敵性語として禁止され、様々な言葉が日本語に置き換えられました(野球の「ストライク」→が「よし」、「カレーライス」→「辛味入汁掛飯(からみいりしるかけめし)」等々)。それと同じように、キリスト教の影響があるものを禁止されたり表現を変えられたりするのではないでしょうか。

参考URL:http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog154.html

Qキリスト教等宗教に関する質問です。

最近のイスラム原理主義のテロの背景には宗教対立があるような気がしてなりません。以下質問です。
1.キリスト教もイスラム教を同じ神(エホバ)を信仰しているのだから兄弟宗教では?
2.旧約聖書ではエホバ以外にエジプトの神とかがいると(映画十戒で観ただけですが)されています。従ってエホバは唯一の神では無いのでは?
3.キリスト教ではゴッド、イスラム教ではアラーと名前が異なるのは何故ですか?
4.上記質問をキリスト教徒、イスラム教徒は不快に感じますか?(感じるなら理由は?)

Aベストアンサー

個別の回答の前に、前提と歴史を少し、

元々これらの宗教はすべてユダヤ教に源があります。ユダヤ教を信奉したのはユダヤ民族で選民思想ですから、ユダヤ人=ユダヤ教です。この民族の歴史は古く紀元前17世紀ぐらいにはエジプトで奴隷として集団生活をしていたと史実が残っています。
 彼らが一神教のなるのは紀元前1280年頃、モーセに率いられてエジプトを出発し神との約束の地を求めて今のイスラエルに移住した時です。このときにモーセは神から十戒を授かり「唯一ヤハウェのみを信仰する」と契約してユダヤ民族が誕生しました。
 このときの約束の地が今のイスラエルでユダヤ人の王国が作られたのです。

そして紀元前963年にソロモン王が誕生し、今のエルサレムに宮殿を作りました。これが今もユダヤ人に聖地として崇めらえているのです。
ソロモン王の死後は、10の支族に分裂し散りじりになったといわれています。その後はギリシャの支配をうけたり、ローマの支配を受けたりしました。

キリストはユダヤ人の子として産まれます。そして磔にされて死に、復活を遂げることで「救世主」となりました。キリスト教の誕生です。

次のターニングポイントは、紀元1世紀に行われたヤムニア会議で、ここでキリスト教とユダヤ教が経典の扱いを巡って分裂をします。それまでは同じ旧約聖書を使う同じ宗派だったのです。

そして、キリスト教は2世紀いっぱいかけて新約聖書を編み出し、ローマが390年にキリスト教を国教化すると、一気に広まっていきます。しかし、この時期までに編み出された様々な聖書によって、コプト教やのちにギリシャ(ロシア)正教などになるキリスト教の宗派も生まれました。

イスラム教は西暦610年頃にメッカでムハンマドが「神の啓示を受けた」と新しい宗教を語り始めたのが最初です。イスラム教の聖典であるコーランは650年ごろまでに成立したと言われています。また、ムハンマドは死ぬ前に大勢力を誇るようになっており、2代目3代目に引き継がれますが、4代目のころに跡目争いがあり、現在のスンニ派とシーア派に分裂してきます。

イスラム教もユダヤ教の旧約聖書を「最初の経典」としており、そこからの引用やコピーが多数あります。またモーゼは最初に神の啓示を受けた偉大な預言者であり、キリストも預言者としており、旧約聖書も新約聖書も聖典として認めているのですが、今のイスラム教の考え方では「現代に残っているのは悪質なコピー」であって聖典としては認められない、ということのようです。

とざっくりと流れを追ったところで
1.キリスト教もイスラム教を同じ神(エホバ)を信仰しているのだから兄弟宗教では?
はい、兄弟宗教です。でも兄弟だから仲がいいわけではありませんし、同じキリスト教・イスラム教の中にも対立があります。

2.旧約聖書ではエホバ以外にエジプトの神とかがいると(映画十戒で観ただけですが)されています。従ってエホバは唯一の神では無いのでは?
 元々、ユダヤ民族以外はすべての民族が多神教で、それぞれの民族に神がおり、となりの民族は神々の中のこれで、じぶんところはこっち、みたいな感じでした。日本の八百万の神が氏神としてこの村はお稲荷さん、あの村は八幡様というような感じだったのですが、エホバは「俺だけを信じたら、お前らに土地をくれてやる」と十戒をさずけ、モーゼとその民はそれを受け入れたので「唯一神」となったのです。

3.キリスト教ではゴッド、イスラム教ではアラーと名前が異なるのは何故ですか?
元々はヘブライ語でヤハウェのような発音でしたが、文字を転写したり発音が訛ったりしているうちに、分岐していきました。ちなみにフランス語で神はDieu、ドイツ語だとGottです。イエス・キリストと日本で呼ぶのもポルトガル語の発音がもとであり、英語ならジーザス・クライストなのはご存知だと思います。その民族の言葉によって変化していったのです。

4.上記質問をキリスト教徒、イスラム教徒は不快に感じますか?(感じるなら理由は?)
感じる人も居ます。自分の神はキリストのみ(正確にはキリストは救世主であって神ではない)、またはアラーだけで他の神の話は聞くこと自体「自分の信仰が試されている」と思う人もいるからです。
 他の神の話を「聞く」ということは「興味がある」ということで、「興味を持つ」ことがすでに「他の神・信仰に誘惑されている」と考えるからです。

でと、現在のテロはもちろん宗教対立が発端となっています。
しかし、難しいのそれだけではない、ということです。

そもそもテロということなら、キリスト教内でもあったのです。たとえばイギリスの一部である「北アイルランド」、北とつくように本来はアイルランドで1国なのですが、一部をイギリスが占領している形になっています。そしてアイルランド人はキリスト教の中でもカソリックであり、イギリスはプロテスタントの一形態であるイギリス国教会ですので、アイルランド人は北アイルランドをなんとしても取り戻したい、として1970年代までは過激なテロを繰り返していたのです。

またイスラムの方も問題があります。先に書いたようにイスラムにはスンニ派とシーア派があるのですが、これが対立を生んでいます。たとえばisisはスンニ派で、イラクなどの政府はシーア派が有力な状態なため、イラクなどに住むスンニ派がISISを支持してISISの占領地の維持に一役かっていたりします。

日本からは単なるキリスト教徒イスラム教の兄弟げんかのように見えますが、実際には各宗派の中にも対立があって、一筋縄ではいかないのです。

それもこれも「俺の言っていることだけ信じろ」といったヤハウェが発端で、それを時代時代の人間がつごうよく解釈してきたのが一番の問題だといえます。

カソリックはローマ教会を設立したニカイア公会議において、現在死海文書として知られている聖書経典を含めたいくつかの文章を廃棄しています。ですので、死海で見つかった文書は原初的なキリスト教を調べるのに適しており、中にはローマ法王の権限を失墜させる内容もあるのではないか、とも言われていました。

質問者様のご質問1から4は、テロや宗教対立を読み解くには重要な視点ではありますが、実際には「その時々の為政者の運用や勝手な改変、取捨選択の結果」であるともいえます。結局「神」の問題ではなく、人間たちの問題なのです。

個別の回答の前に、前提と歴史を少し、

元々これらの宗教はすべてユダヤ教に源があります。ユダヤ教を信奉したのはユダヤ民族で選民思想ですから、ユダヤ人=ユダヤ教です。この民族の歴史は古く紀元前17世紀ぐらいにはエジプトで奴隷として集団生活をしていたと史実が残っています。
 彼らが一神教のなるのは紀元前1280年頃、モーセに率いられてエジプトを出発し神との約束の地を求めて今のイスラエルに移住した時です。このときにモーセは神から十戒を授かり「唯一ヤハウェのみを信仰する」と契約してユダヤ...続きを読む

Qキリスト教の最終目標は何ですか?

キリスト教の最終目標は何ですか?

キリスト教の国が戦争をしているので、キリスト教がいる限り世界平和は訪れることはないと思うんですが、信者は馬鹿ですか?

キリスト教の国が戦争をしているのに、キリスト教は世界平和をうたっている。自分たちが戦争を仕掛けてるのに????

Aベストアンサー

全人類をキリスト教に改宗させることです。そのためには何でもやります。戦争も虐殺も侵略も弾圧も、何でもありです。この2014年間の世界史をつぶさに勉強すればそのことがよく分かります。2014年間に起きた戦争のほとんどはキリスト教徒によるものです。その中には分派のユダヤ教も入ります。仏教徒やイスラム教徒が起こした戦争は少ないです。

Qキリスト教、仏教、ヒンドゥー教、イスラム教・・・などなど、さまざまな宗教の考え方や特徴を知りたいです。

最近、宗教について興味を持つようになりました。たとえばイスラム教では女性の地位が低かったりヒンドゥ教にはカーストがあったりと、宗教によってさまざまな考え方の違い、特徴があると思います。そんな宗教の違いなどについて分かりやすく解説していただけたら幸いです。

Aベストアンサー

 こんにちは。

 宗教事情と言いますか 実際の生活日常にどう現われているかについてよりは 考え方をめぐって理論的に捉えようとしてみます。

 ヒンドゥイズムは古代では ブラフマニズム(バラモン教)ですが この宗教はすでにいわゆるカーストが定まったところで起こっています。侵略と支配が出来あがったところで そのおしえが持たれます。
 ひとつには 宇宙の原理ないしその力としてのブラフマン(梵)とひとの《わたし》としてのアートマン(我)とが一体であると説きます。梵我一如と言うようです。
 もうひとつには 輪廻転生かつ因果応報の説があります。梵我一如を身に現わしたとされる司祭(ブラフマナ)は 過去世で善い因を積んだ結果そう成ったというわけです。
 そしてこの場合 低い身分の人びとは 過去世で悪い因を積んだ結果だというのですが それだけではなく いま現在善い因を積めば そして生まれ変わり続けていつの世にかは よき身分に生まれると説きます。

 ブディズムは このブラフマニズムを批判し否定して起こりました。
 ただ その内容は必ずしも明確ではありません。
 低い身分のまま生まれ続けるという六道輪廻は 目覚めた状態(ブッダ)に成れば断ち切ることができると言いますが 輪廻転生が全体として否定されたわけではありません。
 ひとは仮りにモノが集まってその存在となって生まれて来たものだから 《わたし》が確固とした存在だとは見るものではないようです。(諸法無我)。何ものにも依存しないブラフマンと一体でありうるというアートマンであるとは見ない。ただし 誰もがブッダの状態に成ることができるというその《仏性》を身に宿すとも もう一方では説くようになります。
 ですから一般には 《梵我一如》をブディズムのおしえだと捉えているのではないでしょうか。

 イスラームは 単純です。《神(アッラーフ)》が直接にムハンマドの口を借りて ひとの思いやおこないをすべて〔と言っていいほど〕おしえの中に示しているということです。きわめて具体的な内容を示すかたちで表現されていますから。 

 ▲ (クルアーン=コーラン)~~~~~~~~~~~~~~~~
 まことにわれら(* アッラーフ=神 の自称・複数形での語り)が 汝(ムハンマド)に啓示したのは ノアとそれ以後の預言者たちに啓示したのと同様である。われらは アブラハム イシマエル イサク ヤコブの各支族に また イエス ヨブ ヨナ アロン そしてソロモンに啓示した。また ダヴィデに詩篇を与えた。(4:163)


 おまえたち(* ムハンマドを含めた信徒たちのこと。むろんアッラーがムハンマドの口を借りて語っている)は言うがよい。
   《われわれは神を信じ そしてわれわれに啓示されたものを アブラ
   ハムとイシマエルとヤコブともろもろの支族に啓示されたものを モ
   ーセとイエスに与えられたものを 信じる。
   また もろもろの預言者が主から与えられたものを信ずる。われわれ
   は これらのあいだでだれかれの差別はしない。
   われわれは神に帰依する。》
    (2:136)
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ ちなみに セム語は三個の語根子音から成るのが 一般です。
 《S-L-M》は ヘブル語でも シャローム( SaLooM )と言って挨拶に用いる語です。アラビア語では 定冠詞(アル→アッ)を付けて 《アッサラーム(al-SaLaaM = 平安を!)》です。
 同じ S-L-Mから派生する語として イスラーム iSLaaM は 《降伏・服従》の意をも伴なう《身をゆだねる》つまり《帰依》のことです。
 その帰依した信徒を表わすムスリムは 《〔わたしはそこで自らが健全・安寧(S-L-M)であると知覚し認識し これを受け容れて わたしは〕 すこやかならしめられた》と言っています。〔  S-L-M > muSLiM。(初めの m- は いわゆる過去分詞の接頭辞)というわけのようです〕。
 つまりは ブラフマニズムやブディズムで目指された《安寧としてのさとり》の状態は ムスリムとしては その名前じたいの中に堂々と名乗っているというわけです。《われ やわらがしめられたり》と言っています。
 ひとこと悪口を言えば つねにいつもいつも《われはアッラーを信じる。アッラーに帰依する》と言っていなければならないのかと思ったりします。そんなことぢゃ 信じていないのではないか。弱いのではないかと思ったりします。
 
 さて ムハンマドに乗り移って語ったアッラーフの言葉の中に アブラハムやモーセのほかに イエスも出て来ています。そこで クリスチアニズムについてです。
 これは ひとことで言えば 人がついていけないほど すっ飛んでいます。なにしろ ヨセフとマリアという夫婦から生まれた人間であるイエスは この世のものではないなぞの霊としての存在である神の独り子であり みづからも神である。こういう出で立ちです。

 いくらかは分かるようなところを示してみますと。
 ひとは誰でも《仏性》を宿すと言ったりしますが クリスチアニズムもひとには神の霊が宿ると言います。
 ブラフマンとわたし(アートマン)とが 一体となるという説に対しては 神〔の霊〕がわたしをおおい包む。そこでわたしは 無条件に只で(無料で=恩恵として)癒されやわらがしめられたと告白する。
 ただし これはすべて ひとりの人の主観の内において起こる出来事であり その主観内面におさまるものであると知っています。ですから 神が人間の言葉でそのまま語るということは まぼろしとして――文学表現において――触れたりすることもあるにはあるようですが 基本的にはないと思っています。
 神をひとは見ることが出来ない。それは 非思考であると捉えます。言いかえると その信仰の内容を 言葉にして伝えることはあるにはあっても その人の主観の問題であると捉えています。言いかえると 二人以上でこの信仰内容をおしえとして具体的な表現において共有するということは すでにもはや非思考の信仰ではなくなると見ています。すなわち 教義と組織を伴なった宗教は 信仰の自殺行為であると見ます。そういう信仰です。
 (教会組織は わたしに言わせれば 犯罪行為です)。

 さらに言いかえると もし人と人のかかわりやつながり あるいはきづな これらのことを《愛》と言うとすれば そのような愛は 非思考つまりなぞにおいて神のほうがなんとかしてくれると思っているという意味です。人もその一端をになうと言ってもいいでしょうが――そして人間の為し得る努力という努力はすべておこないますが―― 基本は 絶対他力です。隣りびとを愛せとは 自分と同じくらいは――もしくは自分を思う前に一秒くらいは相手を先に思うかたちで――愛しなさいということです。

 こんにちは。

 宗教事情と言いますか 実際の生活日常にどう現われているかについてよりは 考え方をめぐって理論的に捉えようとしてみます。

 ヒンドゥイズムは古代では ブラフマニズム(バラモン教)ですが この宗教はすでにいわゆるカーストが定まったところで起こっています。侵略と支配が出来あがったところで そのおしえが持たれます。
 ひとつには 宇宙の原理ないしその力としてのブラフマン(梵)とひとの《わたし》としてのアートマン(我)とが一体であると説きます。梵我一如と言うよ...続きを読む

Q精神科医とキリスト教

私はキリスト教徒で、心療内科に通っていますが、以前「キリスト教はいいですよ」と担当医にはなしたら、困った顔をされました。やはり精神科医は、「キリスト教は死ぬと天国だから自殺の引き金になる」と思っているのでしょうか?
精神科医とキリスト教について詳しい方、ご意見願います。
また、私個人は、キリスト教によって精神の安定が保たれていますが、たまに疑いが起こることもあります。
心療内科に通う身として、キリスト教とどう付き合っていくべきかもご意見伺えたら嬉しいです。

Aベストアンサー

No.7です。
ちょっと補足を。
私はうつ病を患ってますので、逆に、
自殺=キリスト教的には絶対の禁忌。
であることが、自殺衝動への強烈なストッパーになっているのも事実であります。
自殺=自分をこの世に生み出した神の全否定=自分の信仰の全否定=アイデンティティの崩壊
とつながっていくからです。
自殺衝動が起きると、自殺してしまいたい誘惑と信仰の間で身もだえし、「神さま、助けてください。苦しい。つらい。これでもまだ『生きよ』とおっしゃるのですか? 私にはまだ耐えられる力がありますか? この試みを耐え忍ぶ力をどうか私にください」と祈ります。
信仰がなければ、躊躇なく死の誘惑に身をまかすだろうにと。信仰があるからこそつらいと思うことさえあります。

西洋の映画で、キリスト教徒が自殺する場合、自分の命とともに、自分の神も宗教も参加しているコミュニティ(お墓に入れてもらえません)も何もかもかなぐり捨ててしまう決意や絶望感であると思います。

天国と地獄については、真っ向から「そんなものありませんよ」というプロテスタント信者はいないでしょう。日本の風土に「地獄と極楽」のイメージは根強くあるので、地域の風習や習慣をむやみに否定はしないのです。
大航海時代にカソリックが全世界に布教したとき、その地域の風俗・習慣をむやみに否定して不必要な反感を買うことはせず、むしろキリスト教の教義に結びつけて利用しました。日本でも「聖母マリアは観音さまと同じような存在」とか「極楽は神さまの国に行くことですよ」と、既存イメージを上手く利用して布教しました。この柔軟性がキリスト教が広く知れ渡った遠因でもあります。
天国と地獄についての認識は、キリスト教を深く知れば正しい認識に自然となっていきますから、それでかまわないと思います。

それから「私はキリスト教徒です」とおっしゃると、キリスト教の信者は「この方は洗礼を受けてどこかの教会に所属しているクリスチャンなんだな」と誤解しますよ。

最後に、私はカソリックについては全然わかりませんので、悪しからず。

No.7です。
ちょっと補足を。
私はうつ病を患ってますので、逆に、
自殺=キリスト教的には絶対の禁忌。
であることが、自殺衝動への強烈なストッパーになっているのも事実であります。
自殺=自分をこの世に生み出した神の全否定=自分の信仰の全否定=アイデンティティの崩壊
とつながっていくからです。
自殺衝動が起きると、自殺してしまいたい誘惑と信仰の間で身もだえし、「神さま、助けてください。苦しい。つらい。これでもまだ『生きよ』とおっしゃるのですか? 私にはまだ耐えられる力がありますか? ...続きを読む

Q【宗教】宗教で都合が良いように解釈されている事例を教えてください。 例えば、日本の仏教。 本来

【宗教】宗教で都合が良いように解釈されている事例を教えてください。


例えば、日本の仏教。

本来の仏教は1日2食で、正午を過ぎると食事をしてはならないという教えだが、現代のお坊さんは1日3食食べており、正午以降の食事を薬と湾曲して捉えて平気で夕食やおやつをボリボリ食べている。

日本以外の仏教徒が日本のお寺に修行に来ているときは裏で隠れて食事をして、アジアの仏教徒は正午以降は何も口にしないので12時までに昼食を取るように特別に大急ぎで準備している。

Aベストアンサー

本来も何も、宗教の教えは全て人が考えだしたものですよ。
天から降ってきたわけではありませんし、普遍的なものでもありません。
派生した宗派は数え切れないほどにありますし、その時代にあったものに変貌したとしてもおかしくはないです。
キリスト教だってもとはユダヤ教から派生した一派です。
処女から生まれたとかご都合主義もいいとこでしょう?
人はわざわざ都合が悪いように解釈するなんて無意味なことしません。
すべての宗教は都合が良いように解釈されるものです。
そしてどんな派閥でも序列がありますから、生きている人の中で序列の上の人間が認めればそれが正式な解釈になります。
そういうものです。


人気Q&Aランキング