3月中旬母が急逝しました。

私は結婚して実家から車で15分くらいの所に住んでいます
兄は海外で仕事しています

母が急逝したため、父は落ち込んでいます
亡くなってから、今現在も私と子供は実家に帰っています
旦那も仕事が終わると、私の実家に帰ってきます

もうすぐ49日です。
私は、自分の実家なので気にしていませんでしたが、
旦那がストレス感じているようです
当たり前ですよね。

もうそろそろ、自分たちの家に帰ろうかと考えてはいますが、
70歳近くになる父が心配です。
家の事は、亡くなった母が全てやっていたので、食事面など心配です

私はフルで働いているため、夜しかいませんが
父は体は元気ですが、精神的には弱っている今
出来れば一緒にいてあげたい
げど、旦那の事考えるとそろそろ帰ろうか・・。
いずれか、帰るのだから、49日がよい機会なのか
けど父が心配

一体どうすればいいでしょうか!?
乗り越えるにはどうしたらいいのかわかりません

アドバイス下さい

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A 回答 (5件)

  おはようございます。

50代女です。
  この度、お母様の訃報、
  心よりご冥福をお祈り申しあげます。
  今誰よりも辛く悲しいのはお父様です。
  いつも一緒にいた大事な伴侶を失った
  悲痛さは解りません。
  娘として当然のこと、側にいてあげること。
  こういう場合は女の助けは必要ですから。 
  49日の法要が終わるまであなたが支えになって
  あげてください。
  ただ、”可哀想”では今度はあなたの家庭が大変です。
  旦那様のこともきちんと考えてあげないといけません。
  嫁ぎ先と実家も近いのだから、様子を見に来る事くらい
  にとどまらないとお互いがギクシャクしてしまいます。
  お父様も今は"抜け殻"状態かも知れませんが
  子供が思うほど親とは弱くないものです。
  何れはどちらかが先旅立つもの。
  人間、生まれてくればいつかは死ぬもの、
  これも運命です。
  最後を見届け責任を果たされた。
  りっぱな”夫婦愛”です。  
  こういう時はお子さん(お孫さん)を口実に時々、実家に
  連れて行ってあげて成長を共に喜びましょう。
  子供の笑顔が何よりです。
  私は14歳で母(47)と兄(25長男)を交通事故でなくしました。
  父は48歳、祖父78歳、
  このときの父の顔には"涙"はありませんでした。
  母をなくした哀れな娘(私)をどう育てようか
  必死でした。ましては年老いた父の世話もあります。
  普段、お酒も好きで晩酌は欠かさなかった父
  お酒に溺れることなく、仕事とに専念し家計を支えてくれました。
  あれから37年。昨年永眠(85)しました。
  大切な伴侶をなくしても再婚することなく
  自分の子供を第一に考え、教育し,独立させ
  親として子供を嫁がせ孫に囲まれ幸せに旅たちました。
  海外に移住されているお兄さんにも今後のことを相談され
  子供達が親孝行してあげて下さい。
  ”見守る”これも愛の形ですから。  
    
   
    
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四十九日がちょうどいい「きり」だと思いますよ。



子より先に親が亡くなるのは当たり前のことで、これはきちんと
乗り越えられることです。うちも母と兄が続けて亡くなって、当時
父は「死にたい」と言いましたが、今は元気に独り暮らししています。
(軽度の認知症も抱えています)

まずはご自分の家庭を優先しましょう。
御主人の立場を自分に置き換えたらご理解できるかと思いますが
義理の実家というのは気を使います。50日近く一緒というのはきっとかなりの
ストレスになっていると思います。ただ事情が事情なので御主人も我慢してくれて
いるんだと思います。そこはしっかりと感謝しましょうね。あなたとは夫婦でも
義理親と御主人は他人なのですから。良くやってくれたと御礼を言いましょう。
御主人が今回のことで「もうこりごり」と感じたら後々大変ですよ。
してもらって当たり前、の感覚にならないように御主人にたくさんのありがとうを
言いましょう。


またご実家も遠くないのですから、お総菜をストックしたり、作った物を取り分けるとか
工夫されてはどうですか。老人向けに配食サービスが利用できる地域もあるでしょう。
最初は訪問も1日おきぐらいにして、それから間隔を開けるようにしてはどうですか。

あんまり質問者様が心配顔をするとお父さんも不安になります。
「四十九日が済んだら、私達ももう家に帰らないとね。でもいつでも何かあれば
声かけてね。すぐに行くから」と逆に質問者様が元気を上げて下さい。


大事な人が亡くなっても、お腹は空くし、ゴミは溜まるし…と日常は容赦なく
やってきます。ただ、それが悲しみからすくい上げてくれる一歩になります。
まだお亡くなりになって間なしなので、共に泣くことも大切ですが、早くお父さんが
日常のリズムを取り戻して、そしてお母さんがいた頃とは違う新しい生活を手に入れないと
いけません。急にお父さんが小さくはかなげに見えるようになったりするでしょうが
人はそんなに弱くありません。質問者様は見守りつつ、支えつつ、寄り添いつつ、そして
出来ることは自分で何でも出来るようになるのがお父さんの幸せです。


娘家族がいてくれた事はお父さんも感謝してると思いますが、実際に1人になったら
それはそれでほっとするらしいです(笑)お母さんの御霊前で2人だけでしんみりと
話すこともあるでしょう。泣きたいときにも泣けるでしょう。

側にいるのもいないのもどちらも親孝行だと思いましょう。大事なのは忘れないこと。
「いつでも飛んでいくよ」という子どもの言葉はお父さんの強い支えになると思います。

そして質問者様ご自身も自宅に戻って、今までの日常を取り戻しましょう。
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僕の父は73歳で逝って,その後母も73歳で逝きましたたが,兄2人に代わって後始末をしました。

この後母には1人暮しをお願いしました。

勿論落ち込んで当たり前です。でも健康だから1人で暮らす事を薦めました。誰に気兼ねなく暮らせるからです。時々様子を伺いに行くだけでした。

かえって一緒に住むと情が移って駄目なのです。福祉会館等でいろいろな事をしています。一度伺って相談してください。
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はじめまして 二児の母です。



私自身も 実母を数年前に亡くし、父は健在です。
貴方の気持ちも分からなくは無いですが、誰が側に居ようと 配偶者を亡くした場合 相当の時間が必要ですよ。
我が家の場合ですが、一年程度は ほぼ毎日墓地へ父は通ってました。
現在では 月に一度は必ず行っている様です。

貴方には貴方の家族があり、貴方が貴方の母様から教わった事は何でしょうか?
きっとあると思います。
と言うか、貴方は母様に育てて貰ったはず、、、ご両親の間で優先的に育てて貰ってませんでしたか?
自分の子供や旦那様に ストレスを感じさせながら 実家で過ごすのは もぅ辞めた方が良いと思います。 多分それは母様も望んでないと思いますよ。
それに 貴方はフルで働き、昼間家に居て 話をしてあげる事は出来てないはずです(変な意味じゃなくて)、帰って来れば食事を作り、洗濯物や子供の事。
食事面は父様が助かっているでしょうけど、ならば 貴方の居た家から運んでも良いと思います。だって15分でしょ?
個人的にですが、運ぶ必要も無いと思いますけどね。。。
外に出る切っ掛けは 買い物でしょうから、外気に触れつつ 人と触れ合って 落ち着くと思うのです。
例えば、1週間のうち、月曜/水曜/金曜 はお父様が貴方の家にご飯を取りに来る。
火曜、木曜、日曜は お父様が自分で賄う
土曜は ご実家で一緒にご飯を食べる 等と しても良いと思います。

49日の段取りを済ませ、貴方は家に帰った方が良いです。
49日後は 一周忌、と どうしても続いてしまいますので、なかなか帰るタイミングもつかめず、だと思います。
地域によって異なるでしょうけど 49日法要の後は 祭壇が片付けられると思いますので、お父様も心の落ち着く時間が必要だと思いますし、何となくの実感と言うか、今後の事を考える時間でもあると思います。

若干我が家と異なるのは 発病する以前に 両親と同居していたので。
でも ある程度距離を保たないと 夫婦関係にも支障をきたすと思います。
自分達の生活のリズムの中で 無理が続かない様なら 引き受ければ良いですし、無理が続くのなら 意見をすり寄せる必要があると思います。
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あなたには家族があるのですから、まず第一に家族の事を考えるべきです。


父親が心配なのは分かりますが、家族を蔑ろにしてまで面倒を見て欲しいとは父親も思ってないでしょう。
幸い車で15分で着くのであれば、休日とかに行けば良いでしょう。
あとはこまめに電話するとか・・・
出来る範囲のことをすれば良いと思いますよ。
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Q母に先立たれた父

9月末に、70歳の私の母が 間質性肺炎のため亡くなりました。8月始めまで 普通の生活をしていたのに、あっという間に悪化していましました。

私もまだ心の整理がついておりませんが、実家に一人残された父(76歳)は 後悔や自分を責めることを繰り返し、ため息ばかりついています。
私は、実家から車で30分くらいの場所に住んでいるので 週に何度か父に食事を持って行ったり、話し相手をしています。
ですが、最近 あまりにも後ろ向きなことばかり繰り返し聞かされることが苦痛になって来てしまいました。(私は、鬱病を患っています)
「こんな家に住んでいても仕方がないから 老人ホームにはいる」「何で 俺ばかりこんな目に会うのか」…などと言っています。父は友達が全くおらず、親戚やご近所の方々とも接しようとしません。趣味もありません。私や弟が何かアドバイスをしても、ことごとく否定されます。

母を亡くした哀しみは 私達きょうだいも父と変わりません。いつまでも 足踏みをしている父の姿を見ていると、実家から足が遠ざかりそうです。

まだ母が亡くなってから、2ヶ月しか経っていないので仕方の無いことかも知れませんが 今後、父とどう向き合えば良いか解らなくなってしまいました。
何かアドバイスがございましたら、教えて頂けると大変有難いです。どうぞ よろしくお願い致します。

9月末に、70歳の私の母が 間質性肺炎のため亡くなりました。8月始めまで 普通の生活をしていたのに、あっという間に悪化していましました。

私もまだ心の整理がついておりませんが、実家に一人残された父(76歳)は 後悔や自分を責めることを繰り返し、ため息ばかりついています。
私は、実家から車で30分くらいの場所に住んでいるので 週に何度か父に食事を持って行ったり、話し相手をしています。
ですが、最近 あまりにも後ろ向きなことばかり繰り返し聞かされることが苦痛になって来てしまいました。(私は、...続きを読む

Aベストアンサー

はじめまして 二児の母です。

私の母(当時58歳)も 数年前他界してます。父は健在です。

貴方の辛さも分かりますが、

>母を亡くした哀しみは 私達きょうだいも父と変わりません。
そうでは無いですよ。
父様と母様の関係の方が 断然深いのです。
だって 妻ですからね。配偶者は全然違いますよ。

うちの場合は 地域的にでしょうけど 葬儀後すぐに納骨なのです。
だから 父は毎日の様にお墓に 長座布団と水筒にお茶を入れて持って行ってました。
亡くなったのは 11月なので結構寒く、、、引き止めても行くだろう と思ってましたから 父が行く事は引き止めませんでした。
年齢も年齢ですから、貴方も弟さんも既に自立されているでしょうから 
お父様の気の済む様にされたら良いと思います。
土地、家屋を売り老人ホームに入りたいと言うなら それが良いと思います。
窓から見える景色だって 母様と見た景色であり、触れたものもでしょ?
辛すぎると思いますよ。
好きにさせるのが一番です。
親だと思うから、、、駄目で、、、子供だと思えば見守れると思います。
寒い中毎日墓地に行く父に <風邪引くから暖かくしないと、昼間の暖かい時間にしないと>とは言ってました、カイロを目に見える場所に置いたり、、、
だけど一定の時間に行く訳じゃないし、気が向いた時間に行くのでしょう、、、結局肺炎になり、だから言ったでしょ? ってなりましたけどね。
父もそうでしたが、1年、、2年にはならないと思いますが 病んでいました。
年齢もまだ当時59歳でしたが 早期退社。
引きこもりか? って思う期間が それ位あったと思います。
あれこれ言っても無駄ですよ。。。言えば言う程凹みますから。
当人の好きな様にさせるのが一番です。それが一番早く前向きになれる方法だと思います。
老人ホームに入るなら 施設を探す必要がありますから 外に出る事が必須ですよね?
入る/入らないは イザって時に決めるとしても ドライブがてら 外に出る事が出来る切っ掛けにはなりますから。
施設巡り最中に 例えば<切り絵体験>等あれば 立ち寄ってみても良いと思います。
何か切っ掛けですから。。。

はじめまして 二児の母です。

私の母(当時58歳)も 数年前他界してます。父は健在です。

貴方の辛さも分かりますが、

>母を亡くした哀しみは 私達きょうだいも父と変わりません。
そうでは無いですよ。
父様と母様の関係の方が 断然深いのです。
だって 妻ですからね。配偶者は全然違いますよ。

うちの場合は 地域的にでしょうけど 葬儀後すぐに納骨なのです。
だから 父は毎日の様にお墓に 長座布団と水筒にお茶を入れて持って行ってました。
亡くなったのは 11月なので結構寒く、、、引き止...続きを読む

Q母が亡くなり、父の事で相談させて下さい。

母が亡くなり、現在父と2人で生活をしています。
私は30代独身女性です。父は60代です。
先日四十九日を迎えたばかりで、
気が付けば泣いてばかりの生活を送っています。
母は我が家の太陽であり、親を亡くすというのは
こんなに悲しく辛い事なのかと、
亡くなって改めて母の偉大さを痛感しています。

父はショックと看病の疲れからか、よく横になってそのまま眠ってしまうことも、
最近ではふとした瞬間に寂しそうな遠い目をすることが多くなりました。
このままだと父は弱ってしまうのではないかと、とても心配です。

父は『生涯の伴侶としたい人が現れたら、お父さんに遠慮せず
その人のもとに行っていいんだよと。娘の幸せを見届けてから死にたい
お母さんに胸を張って報告できるしな。』言っています。

しかし私にとって結婚し新たな家族を持つということは、
父の寂しさや孤独の上に自分が幸せがあるような気がして
ならないのです。自分だけ幸せになるなんて絶対嫌です。

一生独身で父の側にいるという決意が私の中にはあります。

ところが先日どこかでお年を召された男性とと、お孫さんらしき人の姿を拝見し
とても幸せそうな表情をされていたのがとても心に残りました。

もし私が結婚して子供ができたら
父は笑顔になってくれるのではないかと思うようになったのです。

特に皆様にお聞きしたいのは

おじいちゃんにとって孫の存在って大きいですか?
生きる希望や張りあいになってくれるような存在ですか?

苦労苦労の両親でしたので、父には母の分も幸せになって欲しいのです。

つたない文章ですが。色々アドバイスを頂けたら嬉しいです
皆様よろしくお願いします

母が亡くなり、現在父と2人で生活をしています。
私は30代独身女性です。父は60代です。
先日四十九日を迎えたばかりで、
気が付けば泣いてばかりの生活を送っています。
母は我が家の太陽であり、親を亡くすというのは
こんなに悲しく辛い事なのかと、
亡くなって改めて母の偉大さを痛感しています。

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最近ではふとした瞬間に寂しそうな遠い目をすることが多くなりました。
このままだと父は弱ってしまうのではないかと、とても...続きを読む

Aベストアンサー

30代 女性です。

質問者様のお気持ち、痛いほどよく分かります。

私も、24歳のときに母を亡くし、父と二人暮らししていました。父は当時、60歳でした。
私も父も、母を失い、毎日毎日悲しみの中にいました。質問者様は、まだ四十九日を終えたばかり。まだまだ、気を落とされていて当然です。
私も、父と暮らしているときは、私の存在で父を元気づけてあげたい、明るくなってもらいたい…と思っていました。でも、その考えは違いました。父にとって、妻と娘は違うのです。娘はあくまでも子供。父と共に生活し、苦楽を乗り越えて支えとなってきたのは、妻である母、ただひとりです。母しか、父の悲しみを本当の意味で救うことはできません。
このことに気づいたとき、私も、生涯、支え合って生きていくひとがほしいと思いました。そして、そうすることが、父、亡くなった母が一番望んでいることだとわかりました。

去年、母の13回忌を終えましたが、私は今現在、結婚し、娘にも恵まれ、心からの幸せを感じ、毎日を笑顔で過ごしています。
父も、孫に会うのがとても嬉しいようで、おひな様をお祝いしてくれたりと、母の分も色々としてくれています。
天国の母も、なにより喜んでいると思います。

質問者様、どうか、一生お父様のそばで、独りでいるなんて考えて心を縛らないでください。
一生を共にしたいと思う方が現れたら、何も気にすることなく、自分の幸せに飛び込んでいって下さい。
そうすることが、お父様とお母様の望みです。
子どもが笑顔で生きていることが、親にとっての幸せです。

長くなってすみません。。。

質問者様のお幸せを心よりお祈りしています。

30代 女性です。

質問者様のお気持ち、痛いほどよく分かります。

私も、24歳のときに母を亡くし、父と二人暮らししていました。父は当時、60歳でした。
私も父も、母を失い、毎日毎日悲しみの中にいました。質問者様は、まだ四十九日を終えたばかり。まだまだ、気を落とされていて当然です。
私も、父と暮らしているときは、私の存在で父を元気づけてあげたい、明るくなってもらいたい…と思っていました。でも、その考えは違いました。父にとって、妻と娘は違うのです。娘はあくまでも子供。父と共に生活...続きを読む

Q母の急死で、父の世話にこまっています

私の家族は4人家族で、父母と私と妹です。
私と妹はすでに結婚して家を出ています。
古い家に夫婦2人で住んでいたのですが、最近、母は急死しました。心臓の病気でした。

わたしの家は町工場を1階で営んでおり、10年前に定年で引退して両親は年金暮らしをしていました。

家のことすべて、母が仕切っており父は何もわかりません。
母の死後も葬儀関係、相続関係、すべてわたしと妹が処理しました。
父は会社員の経験もないので、世間しらずで、いまでも自分で銀行へ行ってお金をおろすことさえできません。

わたしと妹はそれぞれ実家のとなり町に住んでいるのと、私と妹はわたしの主人が経営する会社で働いているので、会社で集まって、葬儀や相続のことなどを話し合ったりしていました。会社が実家の近く(歩いて20分くらい)にあるので、父を日頃サポートするには、都合のいい環境ではあります。
(とはいっても、毎日実家に行ったりすることはできませんが。。)

父はおとなしい性格ですが、最近では物忘れが少々出てきまして、頼んだこととかを忘れてしまったりすることがあります。といっても痴呆症というわけではなく、物忘れが多くなってきたなという程度です。

現在、父は、広い実家に一人で住んでいます。
炊事はできないので、1週間に2度ほど、食材をもっていったり作り置きをしておきます。洗濯は週に2度ほど妹と交代で持ち帰って洗濯しています。

最初のうちは、毎日のように献立を考えて作っていたのですが、翌日実家に行ってみると食べてくれなかったり、人にもらったものを食べてしまったりして、こちらもストレスがたまりやめてしまいました。
父は「自分で買って食べるよ」と行っていたのですが、最近では面倒がって食べない日もあり、やせてきてしまいました。

正直、この時期は夏も暑く、車もないので、実家を往復するだけでヘトヘトです。
いくら妹と交代とはいえ、このまま父の世話をしていくことがとても不安です。

かといって、父は歩けないわけではないし、怪我してるわけでもありません。町内会の会合に出たりすることもあるのです。
でも一人ぼっちにしておくと、何をするかわからないし、食事もちゃんとしないし、猛暑なのにクーラーもつけないし、、こうこまり果ててます。

この先どうするばいいのでしょうか?
一緒に住むなんてこともできません。もしそんなことしたら、私も妹も気が狂うし、仕事に差し支えてしまいます(今でも十分差し支えてますし。。)
こういう場合そどのような選択肢があるのでしょうか?

私の家族は4人家族で、父母と私と妹です。
私と妹はすでに結婚して家を出ています。
古い家に夫婦2人で住んでいたのですが、最近、母は急死しました。心臓の病気でした。

わたしの家は町工場を1階で営んでおり、10年前に定年で引退して両親は年金暮らしをしていました。

家のことすべて、母が仕切っており父は何もわかりません。
母の死後も葬儀関係、相続関係、すべてわたしと妹が処理しました。
父は会社員の経験もないので、世間しらずで、いまでも自分で銀行へ行ってお金をおろすことさえできません。

...続きを読む

Aベストアンサー

お父様のご住所地を管轄する、「地域包括支援センター」を探してみてください。
 まだ、介護が必要とは思いませんが、地域包括視線センターでは配食サービスの業者の情報など有料サービスの情報なども持っていると思います。
 配食サービスは、少々値段が高くても、直接手渡しをしてくれる業者を選ぶと、安否確認も出来ます。

 お母様が亡くなられて一番戸惑っておられるのはお父様なんだと思います。
 そう言っても、大きな子供みたいなのに、プライドもあるし・・大変だと思います。

 介護が必要になったときに、すぐ手続きできるように知識を得る為にも、一度相談に行かれることをお勧めします。
 

Q母の死

4/17 夕方、最愛の母が永眠しました。

昨年の10月に膵臓がんが見つかり、約半年の闘病をしていました。私は小さい時から母が大好きで、この世で絶対に起って欲しくないことは「母の死」でした。

母が死ぬくらいなら、自分が死にたい、死んだ後、精神的に耐えられないと思ってました。ですから、昨年夏頃から調子が悪く、行きつけの病院に行っても原因が分からないとの事で、地域の大病院で精密検査した結果、家族が先生に呼ばれ「病気と治療方針」について病院で説明がしたいと連絡を受けた時は、非常に嫌な予感がしました。

その日の朝は朝一番で近くの神社に行き、神主さんに祈祷をして頂きました。家族と病院に向かう途中「痛いのは胃だと言っていたので、最悪胃がんかも知れない、しかし、胃がんであれば手術が間に合うかもしれないし、今日はその説明かも知れない」とそれだけが頭の中にこだましていました。

しかし、医師から出てきた言葉は「膵臓にがんがある、進行がんでステージ4a、がん摘出手術は出来ない、バイパス手術も出来ない、ステント挿入手術をしたいがそれも成功するか分からない」との事でした。母はその時点でも毎日の様に嘔吐していましたので、元々小太りだった体型はかなり痩せてしまっておりました。

涙がボロボロと流れて止まりませんでした。医師からは具体的な余命は告げられませんでしたが、事の深刻さは分かりました。

それから母は放射線治療と抗癌剤治療を受けることを選択し、3週間後に退院してからは自宅からの通院治療を続けました。

退院後も母は前向きに生きていました。それは恐らく、がんになっても何年も生きている人が居ると言う事や治療の効果を期待していたんだと思いますが、私はネットや本、がん患者の家族会に参加したりして聞こえてくる手術が適応出来なかった場合の末期すい臓がんの現実を知ると1年は持たないだろうとは思っていました。

ただ、その時は現実には母は生きているし、同じ家に住んで話もしたり、TVを一緒に見たりしていたので絶望と言う気持ちではなかったのです。ただ、今年の正月の時に家族が集った時に全員で迎える正月は最後だろうなと思って凄く寂しくなりました。

今年の2月に主治医から「検査の結果、抗癌剤治療は中止し、今後は緩和ケアに移行したい」と説明を受けたと母が言いました。その時に母は非常に不安になり初めて弱気になりました。

母、そして家族と相談し、病院が斡旋する在宅看護を受けつつ、他の治療法を探す事にしました。
そこで、4月の初めにセカンドオピニオンとして国立がんセンターに資料を提出し、見解を聞きました。当初、母も同行する予定でしたが、すでに家から外出するだけの体力も無くなっており、私一人で訪問しました。

そこの先生の話では「データを見る限り、早ければ2週間後、長くても一ヶ月持たないでしょう」と言われました。私は久々に大泣きしました。

家に帰ると母は「どうだった?何か他の治療とか紹介された?」と聞いてきました。
私は本当の事は言えずに「先生は、薬は無い訳じゃないけれど、今は体力が落ちているので、その薬が飲めるようになるまで体力を戻す事が先決だと言っていたよ」と伝えました。

母は久々に嬉しそうな顔をして「じゃ、お母さん頑張って食事取るね」と言いました。私は自分の部屋でわんわん泣きました。

実はもう一つ、母には隠していた事がありました。3月一杯で10数年務めた会社を辞めていました。
退職は会社から解雇通告されたからです。解雇理由は「ここ一年の仕事のパフォーマンスが低い」からとの事でした。

私の会社は外資(アメリカ)で確かに成果に厳しく、社員の出入りは激しいです。自分自身良くこんな自分でも10年以上居れたなと思っていました。パフォーマンスの低下は精神的な影響は多分にあったと思います。会社からはパッケージの提案があり、私はそれを承諾しましたが、1つお願いをしました。

それは退職時期を1、2ヶ月遅らせて欲しいと言う事です。理由は、母は私が働く姿を喜んで居てくれていて、このタイミングで自分が無職になったら母に余計な精神的ストレスを与えてしまう、それで死期を早めるような事があっては絶対にならないと考えたからです。

会社が提示した退職は3月末でしたが、自分は母の状況の事を説明し、4月若しくは5月まで延期してくれないか。3月一杯で社員待遇は終わり、身分はバイトでも何で良いから、そして約束の時期がきたら必ず退社すると必死に食い下がりました。上司は一旦は懐柔を見せ、マネージャー会で検討させてくれと言ってきました。

1週間後に上司に呼ばれ「検討したが、決定は変更できない」と言われ3月退職が決まりました。
その時点で私は会社には完全に愛想が尽きていたので、すぐにパッケージにサインし、4月からは「会社からは家族の状況を相談したら介護休暇と言うのをもらえた、だから、当分は自分が母さんの身の回りの世話をする」と家族に説明しました。母は喜んでいました。

母が「あんたは良い会社に入っているね」と喜んでいるのを凄く苦々しく感じましたが、一方これで一緒に入られると嬉しかったです。

在宅でしたので、自力ではトイレも行けなくなっていて、おむつの交換、座薬を入れるなど私と家族で行いました。母は「男の子にこんな事してもらうの恥ずかしい」と嫌がっていましたが、私は「そんな事気にするな、恥ずかしがっている場合ではない」と言いました。確かにおむつの交換、座薬などは最愛の母とは言え、きついです。でも他人に任せたくなった。そう言う汚い部分だけ人に任せて、臨終の時に「お母さん」って泣くのは嫌だったからです。

そして、4/17 夕方母は家族全員に看取られて、最後は私の手を握って、痛みに苦しみながら、荒い呼吸が段々と小さくなって呼吸が完全に停止し、永眠しました。

そして、その日のうちに葬儀会社が来て、葬式が終わり今日に至るのです。

なんかだらだらと長くなってすみません。何が質問かと言うと私は母が死んでから、殆ど泣かないのです。がん告知を受けた時やがんセンターで余命を聞いた時はあれほど取り乱したのに今は何故か冷静なのです。一方、母の葬儀以降、毎日空虚で無気力になってしまい、無職だし、仕事探すとかしなければとは思うのですが、やる気が起きず、母の写真を見たりして過ごしています。

感情が消えたみたいです。抜け殻の様な感じです。
同じような経験をお持ちの方アドバイス頂けたら幸いです。
宜しくお願いします。

4/17 夕方、最愛の母が永眠しました。

昨年の10月に膵臓がんが見つかり、約半年の闘病をしていました。私は小さい時から母が大好きで、この世で絶対に起って欲しくないことは「母の死」でした。

母が死ぬくらいなら、自分が死にたい、死んだ後、精神的に耐えられないと思ってました。ですから、昨年夏頃から調子が悪く、行きつけの病院に行っても原因が分からないとの事で、地域の大病院で精密検査した結果、家族が先生に呼ばれ「病気と治療方針」について病院で説明がしたいと連絡を受けた時は、非常に嫌な予...続きを読む

Aベストアンサー

はじめまして。

今あなたの文章を読んで泣いてしまいました。

私のお父さんも膵臓ガンでした。
あれから約3年経ちましたが、記憶の中のお父さんと被って、久々に泣きました。

私のときは、お父さんが発病したのは、私が中学二年のときでした。
三人家族で私がまだ精神的に幼いと両親は考えたのか、お父さんの病気のことをまだ受け止められないと思い病気のことは黙っていました。

何時間にも及ぶ手術に集まる親戚、心配そうなお母さんの顔…
今思えば自分は本当に幼かった
そんな空気の中でさえ、事の異常に気付かず、盲腸の手術程度に思ってました。
その後の抗がん剤治療も順調に進み、やっとガンだったのかと知りました。

でも中学三年の秋、突然お母さんに涙目で一言
「パパ後3ヶ月しかもたないって…」

頭が真っ白でした。
ガンを克服し会社にまで復活して頑張ってたのに…
この世に神様はいないのかと本気で思いました。
夜一人部屋の中で色んな思いが溢れて泣きました。
私は身近な人で死んだ人がいなかったので、お父さんの死ということがあまり上手く理解できませんでした。
でも、ふとある時、よぎったのは
3ヶ月後は自分の誕生日……
ということ。
なんだか急に現実味がまして怖くなり、これからの人生の色々な思い出のなかにお父さんはあといくつ居られるのだろう…そう思うようになった。

それからお父さんは余命宣告よりも5か月も長く生きました。
でも、みるみる痩せていく体、何度も繰り返す嘔吐…色々なことが私には死が迫ってくるようで怖くて怖くて耳を塞ぎ目を閉じ、この世現実が夢だったらと願いました。
今までずっとお父さんを支えていたのはお母さんだったので、当時の私には一緒に支える方法を知りませんでした。
支えようとするどころか、部屋で一人で泣くことしか出来ませんでした。
だからお父さんはお母さんの前でしか泣きません。
それを見て、私は二人を困らせてはいけないと、泣いてはいけないと誓いました。

高校一年になってすぐ、お父さんは病気と闘いながら死にました。
今でも、お父さんが焼かれて骨になった姿は焼き付いて消えません。

お父さんが死んだあと、家は母子家庭になり、お母さんは自分が守らなくてはと思うようになりました。
当時私は私立の女子高に通っていました。
親の死は女子には格好の話のネタなのは以前別の人がそうだったので黙ってもらってました。
可哀想だとか惨めだと思われたくなくて、学校ではバカみたいにテンションをあげてましたが、家では、部屋で泣きながら勉強してました。
というのも、私立は学費が高かったので、あまり成績はよくありませんでしたが、奨学金を目指し必死で頑張りました。
そのお陰か、高一は奨学金ももらえ、クラスでも1位の成績でした。
でももう心はギリギリで高二の夏に精神を病み学校へは行けなくなりました。
半年ほど、何もやる気がせずただ泣いたり、今の自分に失望したり…
こんなんじゃ、お父さんより私が死んだ方が…なんてことを永遠と考えてました。

だけどある時、自分が心から楽しめるものを見つけ、その時からこんなんじゃダメだと思いました。
もう一度高二からやり直すために転入しました。
今私は一年遅れの高校三年生です。
やっとお父さんの死から立ち直ることができたんです。

私はあなたの文を読んで、隣でお母さんをずっと支えていたあなたを心から尊敬します。
私が目をそむけ、現実逃避しようとした現実から最後まで逃げなかったあなたは誰よりも強いと思います。
今まであなたもずっと闘ってきたのだから、何もやる気がしなかったり、脱け殻のような状態から無理に抜け出そうとしないでください。
そんないまを悲観しないでください。
今は少し心が疲れてるんです。

こんな私が言うのはなんですが、今はあなたのやりたいように、好きなだけ休ませてあげてください。
そうすれば、ある時からきっと生きる気力が湧いてきて前向きにいまを考えることができると思います。
私がそうだったように。

人にはいつか自力で乗り越えなければならないとてつもなく高くて厚い壁が一度は来ると思います。
それを乗り越えたらのなら、私は、あなたは人の痛みや苦しみを、人よりなん十倍も身に染みて理解し、やさしくなれるんです。

壁は逃げれば自分についてきてどんどん高く厚くなります。
だから、たまには外にも出て、壊そうとする努力をしてください。
努力なしに得られるものなんてたかが知れてます。

最後にあなたは一人ではありません。
苦しくなったら、こうやって、いまみたいな場で良いから、吐き出して見てください。

そうすればあなたが一人ではないことに気がつくでしょう。
だから、いまのこの自分をどうか否定しないであげてください。
長文失礼しました。

はじめまして。

今あなたの文章を読んで泣いてしまいました。

私のお父さんも膵臓ガンでした。
あれから約3年経ちましたが、記憶の中のお父さんと被って、久々に泣きました。

私のときは、お父さんが発病したのは、私が中学二年のときでした。
三人家族で私がまだ精神的に幼いと両親は考えたのか、お父さんの病気のことをまだ受け止められないと思い病気のことは黙っていました。

何時間にも及ぶ手術に集まる親戚、心配そうなお母さんの顔…
今思えば自分は本当に幼かった
そんな空気の中でさえ、事の異常に気...続きを読む

Q母が父の死から立ち直ることができません。

母が父の死から立ち直るにはどうしたらよいでしょうか。
皆様のお知恵をお貸しください。

昨年の春に父が定年を間際にして急逝しました。
母は父の定年後に二人で一緒に旅行に行ったりすることを楽しみにしていたようで、父の死に大きなショックを受けたようです。
(もちろんみんなショックを受けましたが。)
私も弟も結婚して別の家に住んでいるため、それ以来母は一人で生活していましたが、父への依存が大きかっただけに父がいない生活に耐え切れなかったようで、うつ病になってしまいました。
私は夫の仕事の関係もあり、母が住む実家から約60km離れた場所に住んでいるため、あまり頻繁に会いに行くことはできないのですが、時間を作って週末に会いに行ったり、ときどき我が家に泊まってもらったり、毎日電話をかけて話を聞いたりとできる限りのことはしているつもりです。
それでも寂しさを紛らすことはできないようで、会ったり話したりするたびに寂しいという言葉を口にします。
本来ならば家族である私か弟が母と一緒に生活してあげるべきなのだとは思いますが、私は嫁いでいる身ですし、幼稚園に通う子どももいるので、そう簡単に実家に帰るわけにはいきません。
弟も実家から少し離れたところに住んでおり、将来的には実家を弟が継ぐことになっているのですが、今の家から実家に戻ると通勤時間が10分から1時間半になってしまうことと、実家が今の家よりも田舎にあり子育てに不向きな環境だと考えていることから、実家に帰ることに消極的です。
母も、弟が不満を抱きながら家に帰ってきても毎日文句を言われたりして居心地が悪いだろうと考えているようです。
母が実家と土地を処分して家族のもとへ行けばよいと考える方もいらっしゃると思いますが、実家は先祖代々から守ってきた土地で、父の両親が他界したときに父がその土地やお墓を守るという約束で父の兄弟に相続を放棄してもらっているという事情があるため、勝手に処分することは許されないと母は考えているようです。
母も自立したいと考えてはいるようなのですが、やる気が起きないらしく、仕事などを始めても長続きしないようです。
(もちろん、がんばらなくていいということは伝えるようにしています。)
かといって何もしないで家で過ごしていると、どうしても父のことを考えてしまって落ち込んでしまうそうです。

ほんの少しでもよいので母が今よりも幸せな生活を送れるようになるためにはどうしたらよいでしょうか。
ご回答のほどよろしくお願いいたします。

母が父の死から立ち直るにはどうしたらよいでしょうか。
皆様のお知恵をお貸しください。

昨年の春に父が定年を間際にして急逝しました。
母は父の定年後に二人で一緒に旅行に行ったりすることを楽しみにしていたようで、父の死に大きなショックを受けたようです。
(もちろんみんなショックを受けましたが。)
私も弟も結婚して別の家に住んでいるため、それ以来母は一人で生活していましたが、父への依存が大きかっただけに父がいない生活に耐え切れなかったようで、うつ病になってしまいました。
私は...続きを読む

Aベストアンサー

レスありがとうございます。

例えば「趣味」です。
趣味とは、よほど大事なものなのです。よく加藤 諦三さんが著書で仰っております。
私は四十代男性ですが、二十代の頃、英会話サークル校で同席だった女性が、
「私の母は、歳を取った時困るから、寂しくなるから、だから趣味を持ちなさいって言うの。
だから私は英語を習いにきているの」と言っていました。
又、高齢者の施設等では、習字でもカラオケでも俳句でも絵でも「趣味」というものを重要視します。

「趣味」とは、要は「自分が好きなこと」です。「自分が好きなこと」とは、
例えば幼児にとっては「自分という存在の全て」に近いものです。

人のために生きる。そしてそれに区切りがつく時がくる。
その時、やはり「自分を支えるもの」が必要なのです。
元より真の自立の意味とは
「自分の力だけで自分を支えて立てること。自分の力だけで生きられること」であります。

そのために、趣味というのは時に、とても大切なものであろうと思うのです。
精神的な自立。自分だけで自分を支え立てること。これができないとしたならば、
厳しい言葉になりますが、それは「甘え」。或いは「依存(他者依存)」とも云えるのか、と。

しかし元よりお母様を責めるつもりは毛頭ありません。ご容赦下さい。
特にこの年代の方々は、趣味だとか言っている間もなく、ひたすらに自分のことを捨ててまで、
懸命にご家族のために生きてこられたのだと思うのです。ですからお母様は立派な方だと思います。

脳血管障害でも何でも、高齢になってそういう運命がやってきた。病気で倒れた。
そしてリハビリです。
例えばそんな時、自分を支えてくれるものは「趣味」であったりもします。
趣味である○○がやりたい。もう一度やりたい。この気持ちがリハビリの意欲となったりもするのです。

そんなことで、一つの具体的手段として、お母様に趣味を持つことをお勧めされるのも宜しいのかな、と。
或いはもし既に趣味をお持ちなら、それに一層力を入れるよう、手助けをして差し上げるのです。
そして、趣味というものの大切さを、さりげなく諭して差し上げるのです。

レスありがとうございます。

例えば「趣味」です。
趣味とは、よほど大事なものなのです。よく加藤 諦三さんが著書で仰っております。
私は四十代男性ですが、二十代の頃、英会話サークル校で同席だった女性が、
「私の母は、歳を取った時困るから、寂しくなるから、だから趣味を持ちなさいって言うの。
だから私は英語を習いにきているの」と言っていました。
又、高齢者の施設等では、習字でもカラオケでも俳句でも絵でも「趣味」というものを重要視します。

「趣味」とは、要は「自分が好きなこと」...続きを読む

Q母が亡くなって3ヶ月…。まだ泣いてしまいます。

30代女性です。
2年間、病と闘った母が3ヶ月前に亡くなりました。
告別式を迎えるまでの4日間…ふいに溢れる涙を自分でもどうしようもなく、本当に泣き続けました。

告別式を終えても、本当はもっと泣き続けていたかったし、母の思い出に浸っていたかったけど、「毎日」は容赦なくやって来て日常生活に引き戻され…。

もう3ヶ月も経つのに、一人の時間に、またふいに涙が溢れてしまいます。

同じような経験をされた方がいらっしゃいましたら、ただお話しをかき聞かせて頂ければ…と思っています。

Aベストアンサー

お辛いですね・・・お察しいたします。

わたしは、随分前に、5年間闘病した母を亡くし、4年前には1年の入院のすえ、
父が亡くなりました。

母のときも長い間、道行く人に母の面影を重ね、枕を涙で濡らす毎日でした。

記憶に新しい父の死のときには、母のとき以上に毎日泣いていました。


最近もいろいろ考えると泣けてきますし、夢も見ます。

闘病のさいの可哀そうな姿を思い出すと、後悔もしますし、罪悪感も感じます。

もっとああすればなどと、際限なくハードルを高くして、できなかった自分を
責めてしまいます。

写真のなかの笑った父を見ると、会いたくてたまらなくなります。

今でもとても淋しいです。


亡くなって半年頃、うつのお薬も飲みました。(2週間くらい。)

特別なことではなく、こういうのもアリなのだと思います。

遺品整理でまた泣けて、父の手帳を見てまた泣けて。


でもそうやっているうちに、少しずつ、涙の量が減っていきました。

今でも思い出すといろんな気持ちが溢れてきます。

ただ、自分の悲しさと少し距離の取り方が学べた気がします。

母のときとはまた違うので、亡くなるたびに、また一からですね。


いつまでも泣いていると亡くなった人が悲しむといったことを聞きますが、
そうでもない気もします。

子どものとき、こけて痛くて泣いていたときのように、天国から、
あーあ、泣いてるね、と、笑って慰めてくれているような気がするのです。

kataomaさん、声が聞けなくて、触れなくて、とても寂しいですが、
きっとそばにいてくださっていると思います。

本当に鵜悲しいですよね、大切で、大好きだったのですから。
だからkataomaさんはとても正常なのだと思います。
(すみません、変な言い方ですが。)

どうぞ安心して悲しんでくださいね。
それが人の通る道なのだと思います。
そしてきっとその分、お気持ちに優しさが増えていくのだと思います。

お気持ちを逆なでしてしまったら申し訳ありません。

お辛いですが、悲しいお気持ちをしっかりとお受け止めになれるといいですね。

そうしながら、お気持ちはまた、少しずつ元気に向かわれていると思います。

悲しくて泣かないではいられないほどのお母様との思い出を、これからも
きっと大切にしていかれるのでしょう。

応援しています。

お辛いですね・・・お察しいたします。

わたしは、随分前に、5年間闘病した母を亡くし、4年前には1年の入院のすえ、
父が亡くなりました。

母のときも長い間、道行く人に母の面影を重ね、枕を涙で濡らす毎日でした。

記憶に新しい父の死のときには、母のとき以上に毎日泣いていました。


最近もいろいろ考えると泣けてきますし、夢も見ます。

闘病のさいの可哀そうな姿を思い出すと、後悔もしますし、罪悪感も感じます。

もっとああすればなどと、際限なくハードルを高くして、できなかった自分...続きを読む

Q末期癌~死ぬまでの状況を教えてください。 

末期癌~死ぬまでの状況を教えてください。 
末期癌の母は現在ホスピスケアを受けています。
これから母の面倒を見るのは私の役目なのでこれからどうなるのか不安です。

母がすいぞう癌だと宣告されたのはおよそ1年前です。
肝臓にも転移しており既に手遅れでした。
今年の3月頃までは癌だと思えないほど元気な母でしたが
4月頃から急に階段を転げ落ちる様に容態が悪くなってしまいました。
あらゆる箇所の骨に転移し、強い痛みも出てきました。
肺へも転移し、咳がひどいです。
今ではほんの少し動いただけでも息切れがひどく、時々咳き込んで嘔吐してしまいます。
急に食欲もなくなりました。
一日、一日ごとにどんどん体力がなくなり弱くなっていきます。
母はこれからどうなっていくのでしょうか。
苦しみが増しますか? 
意識は最後まであるものですか?
自分でトイレにも行けなくなったらどうすればいいのですか?
この状態で、あとどのくらいと考えていればいいでしょうか。。。

文章がうまくまとまっていなくてすみません。
少しでも心の準備ができればと思います。
宜しくお願いします。

Aベストアンサー

「人はがんでは死なない」という言葉があります。
がんが特別な毒素を出すわけではありません。
では、なぜ、人はがんで死ぬのか?
それは、がんが増殖することで、臓器に様々な障害が起き、
その障害が引き起こす様々な症状によって、死にいたるのです。

様々な症状の一つには、疼痛もあります。
これは、モルヒネなどによりかなりコントロールできるようになってきました。

気管支のがん細胞が増殖して気管支を塞げば、窒息の危険があります。
肝臓のがんが増殖して、肝臓の機能が低下すれば、体内の様々な化学作用
が止ることになり、肝性昏睡などの様々な症状を起こします。
大きな血管にがんができて、血管が破れるということも起きます。
腎臓の機能が低下すれば……
脳の機能が低下すれば……

つまり、がんがどこにあり、その臓器は、どんな仕事をしているのか、
ということです。
何が起きても不思議ではない、ということです。

「苦しみが増しますか?」
軽くなるということはないでしょう。
出てきた苦しみを押さえるということになります。

「意識は最後まであるものですか?」
わかりません。
先に昏睡状態になる場合もありますし、最後まで、意識がはっきりしている
場合もあります。

「自分でトイレにも行けなくなったらどうすればいいのですか?」
状況によりますが、オムツということも考えてください。
尿はカテーテルを留置することになります。

残酷な言い方ですが、何らかの理由で昏睡状態になった場合、
「それを治療して、昏睡から醒めさせて、延命をする」ということを
しないという選択肢もあります。

末期症状は、医師や看護師がよく知っています。
まずは、医師や看護師と相談してください。

「人はがんでは死なない」という言葉があります。
がんが特別な毒素を出すわけではありません。
では、なぜ、人はがんで死ぬのか?
それは、がんが増殖することで、臓器に様々な障害が起き、
その障害が引き起こす様々な症状によって、死にいたるのです。

様々な症状の一つには、疼痛もあります。
これは、モルヒネなどによりかなりコントロールできるようになってきました。

気管支のがん細胞が増殖して気管支を塞げば、窒息の危険があります。
肝臓のがんが増殖して、肝臓の機能が低下すれば、体内の様々な化...続きを読む

Q親がある日突然死んだショックを引きずっています

去年母を亡くしました。父はすでに死んでいるので私は一人暮らしになりました。
ある日突然死んだので、心の準備ができておらず、今でもつらいです。

母が入退院を繰り返すなどしてたら心の準備もでき、母の死を受け入れられ、悲しみや寂しさも時間とともにやわらいでくると思います。突然死だったから辛いのです。それまでふつうに暮らしてたのに
ある日突然倒れ、そのまま死んでしまいました。70代でした。

私は独身男性ですので「お嫁さんをさがしたら?」と言う人もいますが、そう簡単に結婚相手が見つかるものではありません。

今でも時々母を亡くした悲しみや寂しさに襲われ、胸が締め付けられるような辛さを感じたり、うつ状態になることもあり病院で相談して薬を出してもらっていますが、それでもどうしようもない辛さに襲われることがあります。

「予測できる死」と「突然死」では同じ死でも悲しみの度合は違うと思いますか?

親の突然死の悲しみをやわらげるいい方法はありますでしょうか?

Aベストアンサー

申し訳ないけど、悲しみをやわらげるいい方法は無いです。

私も19の時と22の時に両親を突然死で無くしました。どちらも60に満たなくて、突然死という割には若年齢でしたが、その後、若いからと人の足元みたような態度や発言をする大人と喧嘩したり、それこそクスリも飲みましたが結局何も変わらなかったし、自殺未遂も、彼女やその他のことでそれを相殺すればしようすればするほど、精神的に浮き沈みが激しかったし随分苦しみました。

「予測できる死」と「突然死」の悲しみの値について安直には計れないんじゃないかなと思います。それでも貴方が現在おいくつか分からないですが、少なくとも20代、30代で両親を亡くすというのは普通じゃないことですし、「予測できる死」と「突然死」という死の基準よりも、死という現実を受け入れる年齢が、「早いのか」、「遅いのか」ということ。

親が死ぬと言うことは誰でも経験することではありますが、実際若い身空で親の死を経てフラットになった時、何にもない自分に喪失感が出てくる気持ちは非常によく分かります。

結論からいいますと22歳の私はその踏ん切りつまり親の死を乗り越えたと、自分で思えたのは26の頃でした。質問者さんと同じく22ぐらいの時にはわかったような口を聞く大人に「はやく結婚すれば?」と言われました。結果、26で結婚しました。そのとき初めて肩の荷が降りる思いでした。

19の頃は絶望感ばかりがあり22の時にその加速度が増しました。大学もやめ、バイトをしながら親の貯金を食いつぶし、親が残した有り難くないコトを整理して俺が何をしたっていうんだよ!って毎日思ってました。23、4のとき就職をきっかけに地元を離れ違う土地へ行き、それこそ色んな年相応のことを経験してに両親のことに対して前向きな諦めをつけた瞬間に彼女が出来て、すぐに結婚~という流れになりました。ただし結婚して全てのことが払拭されたわけでもなく10年経っても未だ悩みはつきません。
だけど、自分の経験したことは確実に同世代にはない経験でしたし、自分の友人らにもし突然のことがおきても冷静に対応できるだけの能力は備わったと思っています。

できれば10年前の絶望感ばかりだった自分に今、まともに生きていることを教えてあげたい。

質問者様へも私自身、早く結婚しろとはいいませんが、今すべきこと、10年後のよりカッコいい自分を想像してみてはいかがでしょうか?そのために今自分がなにをすべきなのかが見えてくると思います。
それが答えです。

申し訳ないけど、悲しみをやわらげるいい方法は無いです。

私も19の時と22の時に両親を突然死で無くしました。どちらも60に満たなくて、突然死という割には若年齢でしたが、その後、若いからと人の足元みたような態度や発言をする大人と喧嘩したり、それこそクスリも飲みましたが結局何も変わらなかったし、自殺未遂も、彼女やその他のことでそれを相殺すればしようすればするほど、精神的に浮き沈みが激しかったし随分苦しみました。

「予測できる死」と「突然死」の悲しみの値について安直には計れないんじゃ...続きを読む

Q母の死をどう乗り越えたらいいのか分かりません

母の死をどう乗り越えたらいいのか分かりません
 今年の4月に母を癌で亡くしました。62歳でした。若い時から“百五十歳ぐらいまで生きるんじゃないか?”とみんなに言われるほど元気な人でした。フルタイムの仕事を定年退職してからも、地域のボランティアで広報誌を作り、“若い頃の夢だった新聞記者に一歩近づけた”と、60歳を過ぎてからワードやエクセルを自由に操れるまでに覚え、あちこち取材に行っては記事を書き、楽しそうにしていたのに、去年の2月に末期寸前の卵巣癌と診断されてしまいました。

 それでも、手術を受け、半年間の抗がん剤治療をし、去年の年末には腫瘍マーカーの値も下がり、快方に向かっていた…はずだったのに、年明けに早くも癌が再発。その後は、脳梗塞・脳内出血・てんかんなどを立て続けに併発して抗がん剤治療ができなくなり、あれよあれよと言う間に逝ってしまいました。

 母とは大親友以上の仲だったので、亡くなった当初は天地がひっくり返るような感じだったけど、四十九日を終えて、少し落ち着いたつもりでした。でも、三ヵ月半たった今、なんとも言えない虚無感でいっぱいです。

 母はきっとどこかで見ていてくれるから、前向きに生きていかなければいけない。…とか、
 私が悲しんでばかりいたら、きっと母も辛いだろうな。…とか、
 40年間ほとんど我慢するだけだった結婚生活を送った母だから、きっと今ごろ若くして亡くした最愛の両親と、天国で平和に暮らしてるんだろうな。…とか、
 常に人への感謝の気持ちを忘れずに、いつも回りの人を笑顔にしていた母の心を受け継いでいかなければいけない。…とか、
 そんな心を、自分の子供にも引き継いでいかなきゃいけない。…とか、
 まだ3歳の子供の前で、しょっちゅう泣いているのはきっと良くないんだろうな、…とか、
 いつか母にもう一度会えた時に恥ずかしくないような生き方をしていくしかないかな、…とか、
 きっと時間にしか解決できないことなのかな、とか。

 頭ではいろいろ考えるのですが…。 

 飛行機と電車を乗り継いで6時間かかる実家に、職場にこれ以上ないくらい無理を言っては、しょっちゅう長期で帰って、してあげられるだけのことはしたつもりだし、最期にも間に合ったから、後悔はあまりしていないつもりです。だからか、亡くなる前や亡くなった直後の方が、悲しみは深いながらも上に書いたような前向きな悟り、みたいなものを心から感じていました。でも、ここに来て、なんだか時間が止まってしまったような感覚に陥ってしまっています。

 長い文章を読ませてしまい申し訳ないですが、皆さんはどうやって身近な人の死を乗り越えられましたか?乗り越える手助けになった本なども、もしあれば教えていただけませんか? 

母の死をどう乗り越えたらいいのか分かりません
 今年の4月に母を癌で亡くしました。62歳でした。若い時から“百五十歳ぐらいまで生きるんじゃないか?”とみんなに言われるほど元気な人でした。フルタイムの仕事を定年退職してからも、地域のボランティアで広報誌を作り、“若い頃の夢だった新聞記者に一歩近づけた”と、60歳を過ぎてからワードやエクセルを自由に操れるまでに覚え、あちこち取材に行っては記事を書き、楽しそうにしていたのに、去年の2月に末期寸前の卵巣癌と診断されてしまいました。

 それでも...続きを読む

Aベストアンサー

私は同居の祖父母の死を経験しました。
両親よりも接する時間が長かったので,存在も大きかったです。
年相応で,ある程度予想はできており,質問者さんほどの衝撃ではありませんでした。
しかし,

>母とは大親友以上の仲だったので
という部分,私が祖父に対して持っていたのと似ているようにも思えるので,お答えになるかどうか分かりませんが,ご参考になればと思い書いてみます。
私の場合は,親友というよりも,耐え難い日本の不条理に対する戦友のような感じでした。

私は祖父譲りの徹底的な無信仰です。
なので天国で~,といった感傷はありません。
でも,「生きていたらどう言うだろうか」というシミュレーションはします。
祖父はとくに
「死亡通知は出さない。形式ばかりのお悔やみをもらっても意味がない。知人から連絡があったときに,こういう事情で亡くなりましたが故人の意思によりご連絡しませんでした,と返信せよ」
と,若い世代でもなかなかできない思い切ったことを遺言しました。
「死者は生者を惑わすべからず」が信念でした。

また,私自身は非婚男性で,おそらくこのままだと思いますが,「先祖代々」といったつながりは重視していません。
よく言われる「たくさんの人が先祖にいてあなたがいる」というのも信用していません。

霊感商法が問題になったときに,祖父の言った言葉が強烈な記憶になっています。
「先祖が苦しんでいるから供養がどうのなんていうが,子孫を苦しめるようなことをするはずがない」
私はさらに拡張して,子孫を苦しめるような祖先はいなくても結構だ,と言っております。

でも,これだけ極端に過激な考えを持ってる私でも,純粋に今でも「かっこいいなあ」と思います。
現代の若い世代でもこんなこと言えるのは何人いるんだ?と,身内贔屓ながら思ってしまいます。

死後の世界を否定しても,受けた教育や影響,話してくれた体験談や直接見聞きした記憶というものはちゃんと残ります。
長所も短所も個人の記憶として残っています。
自分のDNAは残せなくても,こういう考えをした人がいる,という話は伝えられます。
教育は誰も奪うことのできない財産であり,絶対に消えないものだと信じています。
残っているのは過去の出来事であっても,そこから新たな法則性や価値基準は抜き出せると思います。

視点を,ちょっとだけ亡くなったお母様から外してみませんか。
~してはいけない,~しなくてはいけない,と考えるのはどんな場合にもつらいです。
お母様は,あなたをここまで育てあげたんだから,あなたは何をするにも自分の考えと都合に素直に従っていいと思います。
泣きたいなら泣いていいでしょう。そこで泣けるように育ててくれたんですから。
お母様がどう思うかと意識が集中しすぎるとつらいと思います。
親がどう思うかで動くのは,言い方は悪いですが,ある種子どもの考え方ですよね。「怒られるからしない」と同じような。
でも,一個人として成長すれば,誰が何と言おうと私は嬉しい,何と思われようと私は悲しい,といえるようになります。
それで必要かつ十分です。
いま,質問者さんはどうしても亡くなったお母様に視点を合わせてしまうために,どう思うだろうか・これではいけない,と自分を抑えつけてしまうのではと思います。
自分を信じてあげてください。自分を大事にしてあげてください。
ときに自信がなくなったら,「お母さんが私には合格出してくれたんだから私はこれでいい!」と考えてはいかがでしょうか。
ご参考になれば幸いです。

私は同居の祖父母の死を経験しました。
両親よりも接する時間が長かったので,存在も大きかったです。
年相応で,ある程度予想はできており,質問者さんほどの衝撃ではありませんでした。
しかし,

>母とは大親友以上の仲だったので
という部分,私が祖父に対して持っていたのと似ているようにも思えるので,お答えになるかどうか分かりませんが,ご参考になればと思い書いてみます。
私の場合は,親友というよりも,耐え難い日本の不条理に対する戦友のような感じでした。

私は祖父譲りの徹底的な無信仰です。
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Q母が突然死しました

母を突然亡くしました。入浴中の事故で私が浴室に駆けつけた時にはもう既に意識は全くなく呼びかけにも全く答えてくれない状態でした。救急隊が来て救命処置、病院に搬送されましたが帰らぬ人となりました。
病院で死を告げられた時は突然のことで涙一つ出ませんでした。急を聞いて会社から弟も駆けつけたのですが、弟は人目も憚らず大声で泣きました。私はそんな自分に嫌気、自己嫌悪に陥りました。最愛の母が亡くなったのに涙が出なかった。今は少しずつですが、涙も出て悲しいと言う感情が沸き上がってきて今度は失った喪失感で何もする気が起きません。家には弟もいますし、父(これは長くなりますから後述、別の質問します)もいます。私が母がしていたことをしなければ家のことは動きません。ですが、どうしても母のことを思い出し、近所のスーパーに行くことすら出来そうにないのです。大切な人を亡くした方はどうやって克服したのでしょうか?
どんなに小さなことでもいいから教えて下さい。
よろしくお願いします。

補足
入浴中の死亡と言うことで警察が来まして色々と聞かれた上に監察医の検死が入らないと遺体は返せないと
言われてそれがまた悲しみが一層深くなりました。法律上仕方ないことなのでしょうが、いたたまれない気持ちでした。
検死も昨日終わり、虚血性心不全と言うことで死因がわかりました。もう少し詳しく知りたいのなら解剖がありますが、どうしますか?と聞かれこれ以上母の体をいじられるのも嫌だったのでそれはお断りしました。
突然死と言うことになるのでしょうが、本当に突然目の前から母がいなくなってしまって喪失感が日に日に大きくなっていってとても耐えられそうにありません。心療内科にも急遽かかりました。
突然死や事故で最愛の人を亡くした方の克服したお話を伺いたいです。
よろしくお願いします。

母を突然亡くしました。入浴中の事故で私が浴室に駆けつけた時にはもう既に意識は全くなく呼びかけにも全く答えてくれない状態でした。救急隊が来て救命処置、病院に搬送されましたが帰らぬ人となりました。
病院で死を告げられた時は突然のことで涙一つ出ませんでした。急を聞いて会社から弟も駆けつけたのですが、弟は人目も憚らず大声で泣きました。私はそんな自分に嫌気、自己嫌悪に陥りました。最愛の母が亡くなったのに涙が出なかった。今は少しずつですが、涙も出て悲しいと言う感情が沸き上がってきて今度...続きを読む

Aベストアンサー

私も似たような状況で母を失いました
病院で死を告げられた時は私も涙はでませんでした
後から考えると認識するまでに少し時間がかかったのかなという感じがします
体が反応してなかったんだと思います、全然問題はないです

乗り越えるのには時間はかかりました
母というのは生涯で一番子どもに多くのものを与えます
既に自分は多くのものを与えてもらっていたと気づくことで
そんな自分を信じて生きていくことが大切なのかなということで今は普通に生きています


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