親子におすすめの新型プラネタリウムとは?

30歳独身の女性です。長文です。この4月末に父親を癌で亡くしました。母は3年前にやはり病気で亡くなっており、これで両親共に亡くしてしまいました。
私は高校卒業後、進学の為に上京してからずっと親元を離れて生活していました。母が発病した際は数ヶ月間休職して実家に帰り看病しました。
母が亡くなった際、父から「こっちに戻って一緒に暮らしてほしい」と言われましたが私は断って又東京に戻って一人暮らしを再開してしまいました。
それからわずか数ヶ月で父から「癌が転移した」との連絡が入りました。(元々数年前に癌の手術を受けていました)
その電話を受けた時はショックで気分が悪くなってしまいトイレに座り込んでしまいました。
しかし新しい職場に配属されてまだ3か月だった事もあり、実家に戻るという選択が出来ませんでした。今思えば思いきって戻るべきだったのに。
父はそこから2年半、たった一人で闘病生活を送りました。通院治療だったので、仕事もずっと続けていました。
私は月に1回程度実家に様子を見に行っていましたが、副作用で辛そうな時も父は私に心配をかけないようにいつも明るく振る舞っていました。
合併症で何度も緊急入院をしていましたが、私が知るのはいつも退院後でした。心配させたくなかったのでしょうが。。
私は主治医の先生に話を聞いた事がありませんでした。物理的に離れている為なかなかすぐに病院に行けないうこと事もありましたが、それよりも怖かったんだと思います。先生に父の余命を宣告される事が。私は、近い将来来るであろう父の死というものを受け入れたくなくて現実から逃げていました。
テレビで有名人が癌で亡くなったといえばすぐチャンネルを変えていました。
周りの友人や職場の先輩皆から「帰らなくていいの?」と言われていたのに帰りませんでした。
又、実家を離れて10年でしたので、生活の基盤が東京にあり、それを捨てられなかった。
久しぶりに優しい彼氏も出来たし彼氏と離れられなかった。
結局私は病気の父よりも自分の生活を優先させてしまいました。。
でもそんな私に父はいつも愛情を注いでくれました。本当に私にとっては世界一の父親でした。

体調が急変した時、父からついに「お父さん体調悪いから覚悟したんだ。。帰って来れない?」と電話があり、急いで休職して2か月半実家で看病しました。
その時には父はすっかり痩せほそっていて、一日中癌の痛みに耐え、ほとんど外出も出来ない状態でした。
何でもっと元気な内に一緒に暮らしてあげなかったのか、一緒に病気と闘ってあげなかったのか。。現実逃避して自分の生活を優先させた事で、私は父を見殺しにしてしまったも同然ですよね。。
今更後悔しても、自業自得なのは分かっているのですが、今になって父親に本当に申し訳なくて毎日何もやる気が起きず泣いてばかりいます。

すみません、何を質問したいという訳ではなく、ただ、周りに両親を亡くした人なんていないし、こんな重い話は出来ないのでここで気持ちを吐き出させて頂きました。
もし似たような境遇の方などいらっしゃったらお話を伺いたいと思いました。
長々と乱文を読んで頂きありがとうございました。

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A 回答 (10件)

30代女性子供あり。



私は父を亡くして、同じように3ヶ月ほど帰省し父親を見送りました。
ずっと一人暮らしをしていて実家には母親がいたこともあり
3ヶ月前までは帰るという気すらありませんでした。

あなたのご両親が築いた家庭がすばらしかったからこそ、
あなたは喪失感にさいなまれるのだと思います。

私があなたに伝えられることは
あなたはお父さんにとって自慢のすばらしい娘だということです。
そしてあなたのお父さんは、本当に、優しく強い父親なのだということです。
娘が、父親のために、自分の人生を犠牲にしないように、
最後の本当に必要なときだけ、少しだけ一緒にいてほしいと連絡したのです。
こんな素敵なお父さんが、娘がこれだけ後悔することを望むでしょうか?

たとえ今は落ち込んだとしても、
「わたしたち両親が与えた愛情と、教育をもって」
まぶしい未来に向かって
生きていってほしいと願っているに違いありません。
そして、あなたがこれから迷ったときに一緒にいられないことを
本当にすまないと思っているはずです。

あなたがやることは、幸せな花嫁になって、その写真を墓前に供えることであり
自分に必要な努力を精一杯やって、悔いのないように生き
両親が与えてくれた愛情を、誰かに与え、与えられ、
育くみ、自分で自分を不幸にするような人生を送らないことです。

もし幸運なことにあなたのところに新しい命が訪れたなら、
あなたは両親の気持ちをはじめて理解することができると思います。
ただ親が望むのはどうかどうか子供が幸せでありますように、とただ祈る気持ち、
それだけであるということです。

両親が亡くなるときにあなたに対してそう思いながら旅立ったように
あなたもいつか人生の最後の日に、誰かに感謝の気持ちで
自分の生涯を終えることができるように生きていけばそれでいいのです。
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最期の二ヵ月半があって良かったですね


言葉は悪いですが、それで滑り込みセーフじゃないですか?
お父様、さぞ嬉しかったことでしょう
それすら無く後悔してる人も居ると思います

もう十分ですよ
責めなくていいです
もう、いいと思います
お父様も怒ってはいませんよ
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こんにちは☆



後悔してしまうこと、思い返せばたくさんあると思いますが、
最後の2か月半、お父様のそばで亡くなるまで一緒に過ごせたことに感謝ですよ。

お父様はきっと恨んでいないはずです。
それより、毎日ふさぎ込んで泣いているあなたを心配していると思いますよ。

お父様もお母様も、あなたが毎日後悔して泣いている姿を望んでいるとは思えません。
あなたが元気に笑顔で毎日過ごしていることを望んでいるはずです。
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はじめまして。

40代既婚男性です。

私は…子供の立場で、貴女と同様、いや、もっとひどかったと思ってます。

私は大学卒業して実家から電車、車でも離れた企業に就職しました。私はひとりっ子。親は就職活動時から自立を進め『子供の世話にはならない!』と半ば追い出されるようでした。そういう自分も好きな仕事で親に甘えていました。就職後、仕事も多忙でお盆正月なども時に日帰りもあり、また結婚・子供もあって親にまともな孝行は出来ませんでした。

入社数年でまず50代の母が癌になりました。以前から注意があって半年ごとの細かい検診を受けていてたのですが、それでも見つからない癌でした。不調で病院へ行きその時で既にステージ4余命宣告…本人には告げなかったですが、医師に呼ばれた父と私は茫然としてその日の事はほとんど覚えてません。父も仕事人間で多忙でしたが、会社に申し出して仕事をセーブしたり、夜は母のベットの傍で仮設ベットで看病してました。私は…仕事でとても休みも取れない、家族もいる、そして、父から『お母さん心配してしまうから帰ってくるな。タイミングで呼ぶかもしれない。来れる時に来てくれ』でした。入院一か月目で食事がとれなくなり、一度呼ばれたのですが、母から『仕事さぼって帰ってきたの?来ることない』と言われ、ついケンカ…(その時父は不在)それが母の生前最後の顔でした。帰りの時謝ったら涙をこぼされ、私もつい我慢できず目が潤んでしまいました。その夜父から『涙こぼすような甘ったれで…と母さん言ってたよ。取り敢えず今度呼ぶまで待ってくれ』と言われました。その後まもなく痛み止めも効かない状態の中で亡くなりました。最後は看取れませんでした。

母の死後、しばらくして50代の父も検診で引っかかり…9時間の大手術でした。そこから、治療が開始されたのですが、癌を取り切れてなかった(ともあるし、見えないところに転移してたのかもしれません)で、再発し、結局入退院繰り返して亡くなりました。父の時も看取ることが出来ませんでした。この時の私が30歳前です。父の時は、既に私は仕事上抜けられないポジションで、日帰りでも、1泊でも時間が出来れば会いに行くのですが、何も手伝いが出来ず、親戚にお願いする限りでした。父は何も言わず私の家族と仕事だけを心配してました。元妻も育児~仕事もあり、どうしようと散々悩んだのですが、父から拒否されそれに従いました。
葬儀の時は無我夢中ですが終わると空虚感で茫然自失で、そのあたりも周りの事含めほとんど覚えてません。喪主としての務めで精一杯でした。

この時点で、『俺は両親を捨てた子供だ…』と本当に後悔しました。無理やりでも休職でもすればよかったのか?もっと別な方法も無かったか?よりよい病院の選択は無かったか?そして、自分が親元を遠く離れて就職を選んだことを心から後悔しました。この後悔は40過ぎの今でも苦しいです。

しかし…数年前に親の回忌の区切りの法要の時、親戚縁者に集まってもらい法要後会食したのですが、親戚から私が自立して生きているので安心だという両親の生前の言葉を初めて聞きました。実際は父の葬儀の後私に話したらしいのですが、私は全く記憶が飛んでいて…。なんか救われた感じでした。

私も病魔で苦しむ姿を見るのが辛く、面会を中止する時もあったし、家族もいて仕事もあり、結局自分優先だったのかな…と思います。でもね、貴女は未だ未婚ですが、ご自身の仕事・生活があるし、貴女自身で自活しなければ、ご両親が亡くなられても生きていけませんよね。『子供には子供自身の人生がある』。亡き両親が学生時代にある時私にこう言いました。

貴女は、ご両親の看病を最後しっかりされてますよね。親の願いに答えて休職して看病した…私はそれだけでも十分な親孝行と思うし、自立しているのは一番ご両親が安心されていると思います。貴女はきちんと子供の役目を果たしたと思いますよ。私なんかに比べたら全然はるかに立派です!ご両親もきっと貴女との時間を慈しみ貴女の今後を想ってるはずです。

未だ、悲しみや様々な想いから心の整理がつかないと思います。今後、お墓の事、供養、法要等(宗教・宗派によりますが)いろんな事があります。自宅の整理、亡きお父さんの身辺整理等もあるでしょう。(既にある程度完了してるのかもしれませんが)当面はいろいろ大変な事が続くと思います。でも貴女ご自身が体調を崩さずご自身の身辺整理もしながら心を落ち着かせて下さい。時間は人それぞれですが、心が落ち着き安定するには時間もそれなりにかかります。時薬も必要。でも、これも親から受ける最後の試練と愛情と思ってください。いつかは来る試練です。

私事、拙い経験と感情の話で、貴女の心を癒して元気づけられるか…的外れであったり力不足と思いますが、ある子供の立場の一例として…。ご両親のご冥福と、貴女の今後の人生のご多幸を願います。
失礼しました。
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私は年齢的に質問者の方よりそのご両親の方に近いのでこれだけは言えますが、自分が死んだ後に残った子供が自力で生きていくのに何の心配も無い事ほど嬉しく有り難い事は有りません。



最後の最後に『帰って来られないか』と聞いたのは、本当に最後だと自分で分かっていたからで、『期間限定の最後の我がまま』だと本人も自覚していた事と思います。『わざわざ帰って来てもらって済まんな』と思う事は有っても、質問者の方が仰る様な『もっと早く帰っていれば』など考えてもいなかったはずです。

自分が死んでも子供は既に自活する力と能力を身に付けており何の心配も無いと言う事ほど、親が安心して死ねる条件は有りません。最高の親孝行だと思います。

ちなみに質問者の方は、将来ご自分が亡くなってあの世でご父君と会った時に、『あの後、後悔で心を病んで、良い人生では有りませんでした』と報告なさるおつもりですか。それであの世のご両親は『ほうらご覧。早く帰ってもっと親の世話をすれば良かったのよ』と仰るでしょうか。

違いますよね。違うと思いますよ。そんな事を望む親など有りません。盆、暮れ、春秋のお彼岸などの墓参りや供養などこれからもいくらでも出来ます。

あの世でご両親に会った時、『楽しい人生でした』と報告出来るような人生を歩まれる事が、さらなる親孝行だと愚考します。

とりあえず次の休みに墓参りにでも行く時は、『もう大丈夫だよ』とお墓に報告出来る様に、元気になるのが親孝行だと思いますが、いかがでしょう。
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私の母は糖尿病に始まり子宮癌、乳癌、大腸癌(肺などに転移)、そして急性心筋梗塞で亡くなりました。



私も色々後悔しました。

ですが納棺師の方に
「後悔するのは構いません。人間は完璧にできているわけではないですから。だから後悔ができるんです。ですが、後悔するだけでは何もできません。今は悲しんでください。故人様の死を悲しむことで前に進むことができます。残されたご家族に悲しんでいただき、未来進んでもらうことも私たちの仕事です。」
と涙さえ出ない私に言ってくれました。

それから数年かけ、遅いかもしれませんが、家族で遺影と供に様々なことをして、区切りを付け進めるように努力しました。

今でももちろん後悔はあります。
でもそれを含めて「母との思い出」なので、なかったことにしたいとは思いません。
私が後悔できたのは、母がそれほど愛情を持って育ててくれたということだと思うので、これからも、遅すぎますが親孝行をしていきたいです。
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確かに「後悔」があるんだと思う。


ただ、
それは結果を既に知っている状態での「後悔」であって。
当時の貴方は、
当時の貴方が選んだようにしか動けなかったんだよ。
たとえ今なら「あっち」を選ぶのに・・・
そういう選択肢を選べる状態があったとしても。
やっぱり当時の貴方は自分を優先した筈。
それは「後悔」とはまた違うんだと思う。
ただね、
自分を優先する作業自体は、
貴方次第で「いつでも」出来る事なんだよ。
でも、
今しか出来ない事もある。
今じゃなきゃ出来ない事もある。
今の貴方なら、
今「しか」出来ない事に何故向き合わなかったんだ?
そう強く思っているんだと思う。
でも、
それって、
向き合わなかった(向き合え買った)経験を持っている人にしか
分からないものなんだよ。
そういう経験なんてしたくなかった。
そういう経験をせずに、
確実に今の自分が選ぶ「べき」ものを、
心を乱す事無く、最短距離で見つけていきたい。
それは誰でも思う事なんだと思う。
でも、
人間は完璧じゃない。
貴方は器用では無い。
貴方のお父さんだってそうだよ?
貴方に対して一心に思いを注いでくれた姿だって、
それはお父さんの不器用さなんだよ。
不器用なりに「選んだ」お父さんの姿なんだよ。
貴方がこの世に生まれてきてくれた事に心から感謝をして、
そういう貴方(子供)を心から愛しいと思える事。
お父さんはそれを全身で表せる人だった。
そして、
貴方を思わせて「もらって」いた自分がいる。
父親として、
娘の貴方を心から愛する事が出来た(愛させてもらった)。
実はお父さんの方が感謝しているんだよ。
確かに貴方には一緒に生活して欲しいとは言ったよ?
でも、
貴方の人生のステージを邪魔したくない気持ちって、
世界一のお父さんだからこそ誰よりもあった。
出来るなら一緒に過ごしたい気持ちもあったけれど。
貴方がお父さんの為に極端に「滅私」を選んでも。
それはそれでお父さんも喜ばなかったんだと思う。
思ったようにお父さんとの最後の時間を共有出来なかった。
その悔いは消えないと思う。
でも、
最後貴方と過ごす事が出来て、
お父さんは幸せだったんだと思う。
時間の「長さ」では無くて。
改めて娘である貴方の存在を「実感」出来たから。
出来た状態で天国に召された。
それは間違いない事。
そういう意味では、
貴方が今自分を責めたり、後悔で気力を失っている事。
それはお父さんにとっても不本意なんだと思う。
そして、
「現実」的に貴方に残された「もの」があるとしたら。
それは今「しか」出来ない事に対して、
貴方自身が後々の自分に悔いを残さないように向き合っていく事。
その目線を無くさずにこれからを生きていく事。
その大切さを、
「人一倍」体感、痛感する事が出来た、という事なんだと思う。
これからの貴方は、
まさかの時に真の対応が出来る自分になっている。
それはお父さんから与えてもらったものなんだと思う。
勿論、
世界一愛情を注いで貰ってきた、
その感覚だって、余韻だって消える事は無い。
これからは、
今の自分に残されている「活きた」財産を大切にしていく事。
もう少し心も梅雨の時間があるんだと思う。
でも、
梅雨もいつか明ける。
貴方は貴方なりの整理整頓を以って進んでいけば良い。
急がなくてもいいい。
改めて、
深呼吸を忘れないで。
自分をもっともっと大切に。
それが何より貴方のお父さんが求めている事なんだからね☆
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役に立つかは判りませんが、親の立場から言えば、質問者さんの取った行動で良かった。


と思います。

自分のために、子供が全部投げ打つ、もしくは、それに近いことになる。というのは、自分の死よりも辛いです。
子供の未来の糧になるなら何でもしますが、重しや足枷になるなら、生きていたくはない。
というのが、お父さんも、本音でしょう。

死は、誰にでもくるし、ある程度の年になれば覚悟もできます。
問題は、後に残った人が困らないかだけですよ。
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お悔やみ申し上げます。




私は母を亡くした3年後に、父を亡くしました。
発病後に、私は実家に戻って両親の看病をしましたが
もっと自分にできたことがあったはず、
と今でも時々思います。
勿論、自分の生活だけを大切にしていたら
もっと後悔したと思いますが。


近所の方々がそんな状況を見てきていたので、
十分すぎるほど面倒を看たよ、
と言ってくれて、私も少し救われましたね。



質問者様におかれましては
辛い時に彼氏がいて良かったですね。

お疲れが出ませんように。
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まだ良いですよ


私など両親の死に目に有って居ないし≪3人兄弟誰も会って居ません≫
母親の時等、通夜にも出て居ません≪何とか、チリ焼きには間に合いました≫
幸いに私の仕事を一番理解して居てくれたのが母親でしたので、判ってくれていたと思いますが
これは私が死ぬまで引きずるでしょう
本音は母親の死に目だけは見取ってあげたかったけど、
母親から帰って仕事をしなさいと言われたでしょう≪調理師で1人で仕事をして居ました≫
その点貴方は帰って看病して居る、それだけでも親は判ってくれますよ(^-^)
でもお互いに、死ぬまで引きずって行くと思います
悲しんでいる事を、親はどう思うでしょう
忘れる事は出来ませんが前を向いて行ってください
お互いに頑張りましょう、ファイト(^0^)
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Q親がある日突然死んだショックを引きずっています

去年母を亡くしました。父はすでに死んでいるので私は一人暮らしになりました。
ある日突然死んだので、心の準備ができておらず、今でもつらいです。

母が入退院を繰り返すなどしてたら心の準備もでき、母の死を受け入れられ、悲しみや寂しさも時間とともにやわらいでくると思います。突然死だったから辛いのです。それまでふつうに暮らしてたのに
ある日突然倒れ、そのまま死んでしまいました。70代でした。

私は独身男性ですので「お嫁さんをさがしたら?」と言う人もいますが、そう簡単に結婚相手が見つかるものではありません。

今でも時々母を亡くした悲しみや寂しさに襲われ、胸が締め付けられるような辛さを感じたり、うつ状態になることもあり病院で相談して薬を出してもらっていますが、それでもどうしようもない辛さに襲われることがあります。

「予測できる死」と「突然死」では同じ死でも悲しみの度合は違うと思いますか?

親の突然死の悲しみをやわらげるいい方法はありますでしょうか?

Aベストアンサー

申し訳ないけど、悲しみをやわらげるいい方法は無いです。

私も19の時と22の時に両親を突然死で無くしました。どちらも60に満たなくて、突然死という割には若年齢でしたが、その後、若いからと人の足元みたような態度や発言をする大人と喧嘩したり、それこそクスリも飲みましたが結局何も変わらなかったし、自殺未遂も、彼女やその他のことでそれを相殺すればしようすればするほど、精神的に浮き沈みが激しかったし随分苦しみました。

「予測できる死」と「突然死」の悲しみの値について安直には計れないんじゃないかなと思います。それでも貴方が現在おいくつか分からないですが、少なくとも20代、30代で両親を亡くすというのは普通じゃないことですし、「予測できる死」と「突然死」という死の基準よりも、死という現実を受け入れる年齢が、「早いのか」、「遅いのか」ということ。

親が死ぬと言うことは誰でも経験することではありますが、実際若い身空で親の死を経てフラットになった時、何にもない自分に喪失感が出てくる気持ちは非常によく分かります。

結論からいいますと22歳の私はその踏ん切りつまり親の死を乗り越えたと、自分で思えたのは26の頃でした。質問者さんと同じく22ぐらいの時にはわかったような口を聞く大人に「はやく結婚すれば?」と言われました。結果、26で結婚しました。そのとき初めて肩の荷が降りる思いでした。

19の頃は絶望感ばかりがあり22の時にその加速度が増しました。大学もやめ、バイトをしながら親の貯金を食いつぶし、親が残した有り難くないコトを整理して俺が何をしたっていうんだよ!って毎日思ってました。23、4のとき就職をきっかけに地元を離れ違う土地へ行き、それこそ色んな年相応のことを経験してに両親のことに対して前向きな諦めをつけた瞬間に彼女が出来て、すぐに結婚~という流れになりました。ただし結婚して全てのことが払拭されたわけでもなく10年経っても未だ悩みはつきません。
だけど、自分の経験したことは確実に同世代にはない経験でしたし、自分の友人らにもし突然のことがおきても冷静に対応できるだけの能力は備わったと思っています。

できれば10年前の絶望感ばかりだった自分に今、まともに生きていることを教えてあげたい。

質問者様へも私自身、早く結婚しろとはいいませんが、今すべきこと、10年後のよりカッコいい自分を想像してみてはいかがでしょうか?そのために今自分がなにをすべきなのかが見えてくると思います。
それが答えです。

申し訳ないけど、悲しみをやわらげるいい方法は無いです。

私も19の時と22の時に両親を突然死で無くしました。どちらも60に満たなくて、突然死という割には若年齢でしたが、その後、若いからと人の足元みたような態度や発言をする大人と喧嘩したり、それこそクスリも飲みましたが結局何も変わらなかったし、自殺未遂も、彼女やその他のことでそれを相殺すればしようすればするほど、精神的に浮き沈みが激しかったし随分苦しみました。

「予測できる死」と「突然死」の悲しみの値について安直には計れないんじゃ...続きを読む

Q親の死を乗り越えたものの、無気力。

親の死を乗り越えたものの、無気力。

32歳男性です。よろしくお願いします。今年の初めに母親を亡くしました。勿論当時は身を切られる辛さでしたが、仕事が多忙だったこともあり、苦しみながらも一番辛い時期は何とか乗り越えることができました。

しかし、初夏に入り仕事も少し落ち着くと、張りつめた糸がプツンと切れた様になり、いわゆる無気力状態になってしまいました。それまでの疲れが出たこともあるのですが、仕事でもつまらないミスを連発するようになり、明らかに自分でも覇気がないと実感でき、また人付き合いも悪くなりました。

軽い夢遊病のような状況です。一番苦しい時期に悲しみを堪えてふんばらなければならなかったこともあった反動なのか、喜怒哀楽の感情が上手く制御出来ていない感じがし、頭には常にモヤがかかったような状態です。行動にせよ言動にせよ、以前と比べて明らかに”芯が通っていない”と感じます。

はた目から見る分には正常のようですが、このような状態が続くとマズいな、とは感じます。

どうしればようでしょうか?もし似た様な状況を克服した方がいましたら、何か良い方法を教えて下さい。
よろしくお願いします。

尚、多忙のためお礼が遅れてしまうかも知れません。ご了承下さいませ。

親の死を乗り越えたものの、無気力。

32歳男性です。よろしくお願いします。今年の初めに母親を亡くしました。勿論当時は身を切られる辛さでしたが、仕事が多忙だったこともあり、苦しみながらも一番辛い時期は何とか乗り越えることができました。

しかし、初夏に入り仕事も少し落ち着くと、張りつめた糸がプツンと切れた様になり、いわゆる無気力状態になってしまいました。それまでの疲れが出たこともあるのですが、仕事でもつまらないミスを連発するようになり、明らかに自分でも覇気がないと実感でき、また...続きを読む

Aベストアンサー

お察しします。
わたしも仕事は割とちゃんと、しっかりやったつもりですが(当時のわたしの仕事は量が多いだけで内容は簡単なものだったのですが)、人間関係には波のような周期というか、得意な時期と不得意な時期が来ました。すっかり治ったのは・・・そうですね4年位かな。
もともと女性で喋り好きですし、表面的には何もおかしくなかったと思いますけどね。人間「関係」というより、自分の感情表現ですよね。そのコントロールがおかしくなるの、もう、自分のことのようによくわかります。真面目なかたなんでしょうね。いっしょです。

一人で、好きなだけ、泣き通す時間が必要でした。

で、それは、今だったら、もうすっかり正常なので、ちょっとした、ニュースとか、写真とか、音楽、美術、なにかちゃんとしたものにふれたとき、すぐに来ますけど、(ニュースを見たらすぐ泣けるという意味です)

当時は、まとまった時間、集中出来る環境がないと、なんかとにかくぜんぜんダメでしたね。
「今、そのモードじゃない」という感じでしょうか、切り替え「しちゃならん」と思ってるからか、切り替えスイッチ、入らないんですよね。

わたしの場合は、死んだ家族と、同居の家族のほうが、ある意味、立ち直りが早くて、
わたしのほうがついて行けなかったです。それもものすごくつらかった。時間のたちかたが、ひとりひとり、違うんですよね。本当に違います。もうそれはどうしようもない。

なので、一人暮らしの、一人の部屋で、「もう帰省した」とか「旅行中」とか、友人や彼氏に嘘をついて、ひとりになりきりました。買いだめして。ちょうど、夏休みとか冬休みとかの長い企業だったので。

やっと集中出来て、モードに入ると、もう、あきれるほど、何時間でも、泣けるんですよ。
びっくりです。

それで徐々に治った感じですね。

参考になれば。

お察しします。
わたしも仕事は割とちゃんと、しっかりやったつもりですが(当時のわたしの仕事は量が多いだけで内容は簡単なものだったのですが)、人間関係には波のような周期というか、得意な時期と不得意な時期が来ました。すっかり治ったのは・・・そうですね4年位かな。
もともと女性で喋り好きですし、表面的には何もおかしくなかったと思いますけどね。人間「関係」というより、自分の感情表現ですよね。そのコントロールがおかしくなるの、もう、自分のことのようによくわかります。真面目なかたなんで...続きを読む

Q母の死

4/17 夕方、最愛の母が永眠しました。

昨年の10月に膵臓がんが見つかり、約半年の闘病をしていました。私は小さい時から母が大好きで、この世で絶対に起って欲しくないことは「母の死」でした。

母が死ぬくらいなら、自分が死にたい、死んだ後、精神的に耐えられないと思ってました。ですから、昨年夏頃から調子が悪く、行きつけの病院に行っても原因が分からないとの事で、地域の大病院で精密検査した結果、家族が先生に呼ばれ「病気と治療方針」について病院で説明がしたいと連絡を受けた時は、非常に嫌な予感がしました。

その日の朝は朝一番で近くの神社に行き、神主さんに祈祷をして頂きました。家族と病院に向かう途中「痛いのは胃だと言っていたので、最悪胃がんかも知れない、しかし、胃がんであれば手術が間に合うかもしれないし、今日はその説明かも知れない」とそれだけが頭の中にこだましていました。

しかし、医師から出てきた言葉は「膵臓にがんがある、進行がんでステージ4a、がん摘出手術は出来ない、バイパス手術も出来ない、ステント挿入手術をしたいがそれも成功するか分からない」との事でした。母はその時点でも毎日の様に嘔吐していましたので、元々小太りだった体型はかなり痩せてしまっておりました。

涙がボロボロと流れて止まりませんでした。医師からは具体的な余命は告げられませんでしたが、事の深刻さは分かりました。

それから母は放射線治療と抗癌剤治療を受けることを選択し、3週間後に退院してからは自宅からの通院治療を続けました。

退院後も母は前向きに生きていました。それは恐らく、がんになっても何年も生きている人が居ると言う事や治療の効果を期待していたんだと思いますが、私はネットや本、がん患者の家族会に参加したりして聞こえてくる手術が適応出来なかった場合の末期すい臓がんの現実を知ると1年は持たないだろうとは思っていました。

ただ、その時は現実には母は生きているし、同じ家に住んで話もしたり、TVを一緒に見たりしていたので絶望と言う気持ちではなかったのです。ただ、今年の正月の時に家族が集った時に全員で迎える正月は最後だろうなと思って凄く寂しくなりました。

今年の2月に主治医から「検査の結果、抗癌剤治療は中止し、今後は緩和ケアに移行したい」と説明を受けたと母が言いました。その時に母は非常に不安になり初めて弱気になりました。

母、そして家族と相談し、病院が斡旋する在宅看護を受けつつ、他の治療法を探す事にしました。
そこで、4月の初めにセカンドオピニオンとして国立がんセンターに資料を提出し、見解を聞きました。当初、母も同行する予定でしたが、すでに家から外出するだけの体力も無くなっており、私一人で訪問しました。

そこの先生の話では「データを見る限り、早ければ2週間後、長くても一ヶ月持たないでしょう」と言われました。私は久々に大泣きしました。

家に帰ると母は「どうだった?何か他の治療とか紹介された?」と聞いてきました。
私は本当の事は言えずに「先生は、薬は無い訳じゃないけれど、今は体力が落ちているので、その薬が飲めるようになるまで体力を戻す事が先決だと言っていたよ」と伝えました。

母は久々に嬉しそうな顔をして「じゃ、お母さん頑張って食事取るね」と言いました。私は自分の部屋でわんわん泣きました。

実はもう一つ、母には隠していた事がありました。3月一杯で10数年務めた会社を辞めていました。
退職は会社から解雇通告されたからです。解雇理由は「ここ一年の仕事のパフォーマンスが低い」からとの事でした。

私の会社は外資(アメリカ)で確かに成果に厳しく、社員の出入りは激しいです。自分自身良くこんな自分でも10年以上居れたなと思っていました。パフォーマンスの低下は精神的な影響は多分にあったと思います。会社からはパッケージの提案があり、私はそれを承諾しましたが、1つお願いをしました。

それは退職時期を1、2ヶ月遅らせて欲しいと言う事です。理由は、母は私が働く姿を喜んで居てくれていて、このタイミングで自分が無職になったら母に余計な精神的ストレスを与えてしまう、それで死期を早めるような事があっては絶対にならないと考えたからです。

会社が提示した退職は3月末でしたが、自分は母の状況の事を説明し、4月若しくは5月まで延期してくれないか。3月一杯で社員待遇は終わり、身分はバイトでも何で良いから、そして約束の時期がきたら必ず退社すると必死に食い下がりました。上司は一旦は懐柔を見せ、マネージャー会で検討させてくれと言ってきました。

1週間後に上司に呼ばれ「検討したが、決定は変更できない」と言われ3月退職が決まりました。
その時点で私は会社には完全に愛想が尽きていたので、すぐにパッケージにサインし、4月からは「会社からは家族の状況を相談したら介護休暇と言うのをもらえた、だから、当分は自分が母さんの身の回りの世話をする」と家族に説明しました。母は喜んでいました。

母が「あんたは良い会社に入っているね」と喜んでいるのを凄く苦々しく感じましたが、一方これで一緒に入られると嬉しかったです。

在宅でしたので、自力ではトイレも行けなくなっていて、おむつの交換、座薬を入れるなど私と家族で行いました。母は「男の子にこんな事してもらうの恥ずかしい」と嫌がっていましたが、私は「そんな事気にするな、恥ずかしがっている場合ではない」と言いました。確かにおむつの交換、座薬などは最愛の母とは言え、きついです。でも他人に任せたくなった。そう言う汚い部分だけ人に任せて、臨終の時に「お母さん」って泣くのは嫌だったからです。

そして、4/17 夕方母は家族全員に看取られて、最後は私の手を握って、痛みに苦しみながら、荒い呼吸が段々と小さくなって呼吸が完全に停止し、永眠しました。

そして、その日のうちに葬儀会社が来て、葬式が終わり今日に至るのです。

なんかだらだらと長くなってすみません。何が質問かと言うと私は母が死んでから、殆ど泣かないのです。がん告知を受けた時やがんセンターで余命を聞いた時はあれほど取り乱したのに今は何故か冷静なのです。一方、母の葬儀以降、毎日空虚で無気力になってしまい、無職だし、仕事探すとかしなければとは思うのですが、やる気が起きず、母の写真を見たりして過ごしています。

感情が消えたみたいです。抜け殻の様な感じです。
同じような経験をお持ちの方アドバイス頂けたら幸いです。
宜しくお願いします。

4/17 夕方、最愛の母が永眠しました。

昨年の10月に膵臓がんが見つかり、約半年の闘病をしていました。私は小さい時から母が大好きで、この世で絶対に起って欲しくないことは「母の死」でした。

母が死ぬくらいなら、自分が死にたい、死んだ後、精神的に耐えられないと思ってました。ですから、昨年夏頃から調子が悪く、行きつけの病院に行っても原因が分からないとの事で、地域の大病院で精密検査した結果、家族が先生に呼ばれ「病気と治療方針」について病院で説明がしたいと連絡を受けた時は、非常に嫌な予...続きを読む

Aベストアンサー

はじめまして。

今あなたの文章を読んで泣いてしまいました。

私のお父さんも膵臓ガンでした。
あれから約3年経ちましたが、記憶の中のお父さんと被って、久々に泣きました。

私のときは、お父さんが発病したのは、私が中学二年のときでした。
三人家族で私がまだ精神的に幼いと両親は考えたのか、お父さんの病気のことをまだ受け止められないと思い病気のことは黙っていました。

何時間にも及ぶ手術に集まる親戚、心配そうなお母さんの顔…
今思えば自分は本当に幼かった
そんな空気の中でさえ、事の異常に気付かず、盲腸の手術程度に思ってました。
その後の抗がん剤治療も順調に進み、やっとガンだったのかと知りました。

でも中学三年の秋、突然お母さんに涙目で一言
「パパ後3ヶ月しかもたないって…」

頭が真っ白でした。
ガンを克服し会社にまで復活して頑張ってたのに…
この世に神様はいないのかと本気で思いました。
夜一人部屋の中で色んな思いが溢れて泣きました。
私は身近な人で死んだ人がいなかったので、お父さんの死ということがあまり上手く理解できませんでした。
でも、ふとある時、よぎったのは
3ヶ月後は自分の誕生日……
ということ。
なんだか急に現実味がまして怖くなり、これからの人生の色々な思い出のなかにお父さんはあといくつ居られるのだろう…そう思うようになった。

それからお父さんは余命宣告よりも5か月も長く生きました。
でも、みるみる痩せていく体、何度も繰り返す嘔吐…色々なことが私には死が迫ってくるようで怖くて怖くて耳を塞ぎ目を閉じ、この世現実が夢だったらと願いました。
今までずっとお父さんを支えていたのはお母さんだったので、当時の私には一緒に支える方法を知りませんでした。
支えようとするどころか、部屋で一人で泣くことしか出来ませんでした。
だからお父さんはお母さんの前でしか泣きません。
それを見て、私は二人を困らせてはいけないと、泣いてはいけないと誓いました。

高校一年になってすぐ、お父さんは病気と闘いながら死にました。
今でも、お父さんが焼かれて骨になった姿は焼き付いて消えません。

お父さんが死んだあと、家は母子家庭になり、お母さんは自分が守らなくてはと思うようになりました。
当時私は私立の女子高に通っていました。
親の死は女子には格好の話のネタなのは以前別の人がそうだったので黙ってもらってました。
可哀想だとか惨めだと思われたくなくて、学校ではバカみたいにテンションをあげてましたが、家では、部屋で泣きながら勉強してました。
というのも、私立は学費が高かったので、あまり成績はよくありませんでしたが、奨学金を目指し必死で頑張りました。
そのお陰か、高一は奨学金ももらえ、クラスでも1位の成績でした。
でももう心はギリギリで高二の夏に精神を病み学校へは行けなくなりました。
半年ほど、何もやる気がせずただ泣いたり、今の自分に失望したり…
こんなんじゃ、お父さんより私が死んだ方が…なんてことを永遠と考えてました。

だけどある時、自分が心から楽しめるものを見つけ、その時からこんなんじゃダメだと思いました。
もう一度高二からやり直すために転入しました。
今私は一年遅れの高校三年生です。
やっとお父さんの死から立ち直ることができたんです。

私はあなたの文を読んで、隣でお母さんをずっと支えていたあなたを心から尊敬します。
私が目をそむけ、現実逃避しようとした現実から最後まで逃げなかったあなたは誰よりも強いと思います。
今まであなたもずっと闘ってきたのだから、何もやる気がしなかったり、脱け殻のような状態から無理に抜け出そうとしないでください。
そんないまを悲観しないでください。
今は少し心が疲れてるんです。

こんな私が言うのはなんですが、今はあなたのやりたいように、好きなだけ休ませてあげてください。
そうすれば、ある時からきっと生きる気力が湧いてきて前向きにいまを考えることができると思います。
私がそうだったように。

人にはいつか自力で乗り越えなければならないとてつもなく高くて厚い壁が一度は来ると思います。
それを乗り越えたらのなら、私は、あなたは人の痛みや苦しみを、人よりなん十倍も身に染みて理解し、やさしくなれるんです。

壁は逃げれば自分についてきてどんどん高く厚くなります。
だから、たまには外にも出て、壊そうとする努力をしてください。
努力なしに得られるものなんてたかが知れてます。

最後にあなたは一人ではありません。
苦しくなったら、こうやって、いまみたいな場で良いから、吐き出して見てください。

そうすればあなたが一人ではないことに気がつくでしょう。
だから、いまのこの自分をどうか否定しないであげてください。
長文失礼しました。

はじめまして。

今あなたの文章を読んで泣いてしまいました。

私のお父さんも膵臓ガンでした。
あれから約3年経ちましたが、記憶の中のお父さんと被って、久々に泣きました。

私のときは、お父さんが発病したのは、私が中学二年のときでした。
三人家族で私がまだ精神的に幼いと両親は考えたのか、お父さんの病気のことをまだ受け止められないと思い病気のことは黙っていました。

何時間にも及ぶ手術に集まる親戚、心配そうなお母さんの顔…
今思えば自分は本当に幼かった
そんな空気の中でさえ、事の異常に気...続きを読む

Q母の死後、後悔や無念で育児が手につきません。

母の死後、後悔や無念で育児が手につきません。

その日まで元気だった母(60後半)が突然、心筋梗塞か脳血栓で他界し
10日ほどが経ちました。通夜と葬儀に比べたら落ち着いたものの、
普段の生活に帰ったら、その中に母がいた風景を思い出し、クヨクヨしています。
もう変わらない事実だって事、仕方がない事、全てわかってはいるのですが。

私は遠方に嫁に行ていて主人と子供二人と暮らしています。
はじめは優しかった主人も、1歳の下は特に手がかかる時期なのに、
あまりにも私がクヨクヨして子供たちの相手を放棄しているので少々あきれ気味です。

特に何が無念かと言いますと、

一つは、母の病気の事をもっと真剣に知ろうとすればよかった、
心配をしてあげて、私が大きい病院を変えるとか入院をするとか何か真剣に対策をとっていれば、
10日前のあの日ではなかったかもしれない、
という死なせずに出来たのではないかという後悔。
不整脈の病気があるのに、何年も元気に通院していたので、一人暮らしのまま、
母にすべてを任せていた。特にここ数ヶ月は愚痴を聞いてあげる優しさがなく、
弱音を吐く母に、頑張ってって、私も大変なんだからって、叱咤ばかりしていたこと。

もうひとつは、死ぬ前にもっとしたあげたかったことが、毎回伸ばし伸ばしにして、
出来ずに終わってしまった。本当に元気だったので、まさかこんなに早くこの日が
くるとは思わずに、自分の生活と自分の家族と過ごす事を優先にしてしまっていた。
旅行の約束も何年も伸ばしてしまった、やっとあと2ヶ月後に実現するはずだったのに。
育児と仕事に追われ、休みの日も掃除などの家事に追われ、母と妻と仕事人の自分を懸命に
生きるあまり、高速で3時間かければ行けるところに住む一人暮らしの母の娘であることを
おろそかにしていた。
特に最近は、愚痴が多いのが嫌で少し距離を置いてしまったいた。優しくなかった。
もっと孫を連れて顔を出せばよかった、メールや電話ももっとすればよかった。
優しい言葉をかければよかった。全てこうなってから気づく事。

すみません。まとまりのない感情になってしまいました。
母のためにも乗り越えて、愛していた孫たちのお世話をするのが供養だということは
わかっています。でも子供たちの顔を見ると、こんなこと出来るようになったとか、
今こんなことしてるんだ、とか母に話したい、相談したい、こぼしたい、
写真を添付したい、見てもらいたいといった気持ちにかられて、辛くなってしまいます。
特に下の1歳に方はぐずられるとイライラして、「今あんたがこんなに大変だから、
私はばあちゃんを心配する余裕がなかったんだからね!」みたいに
チビのせいにしてしまう気持ちがあります。母として最低ですよね。
主人がいるときは主人に甘えています。
本当は育児も家事も仕事もなにもせず、布団とパソコンにいたい気分です。

何かスピリチュアルとかカウンセリングに行ったほうがいいですか?気持ちは解決しますか?
ああいうのは偽りで、お金を取られるだけでしょうか?
母と話がしたい、謝りたい、許しを請いたい、、、戻ってきて欲しい。
それは無理だとわかっていますが。私の症状にスピリチュアルなどは有効でしょうか?
どうすれば、、、無念を乗り越え、現実の生活を頑張れますか?

母の死後、後悔や無念で育児が手につきません。

その日まで元気だった母(60後半)が突然、心筋梗塞か脳血栓で他界し
10日ほどが経ちました。通夜と葬儀に比べたら落ち着いたものの、
普段の生活に帰ったら、その中に母がいた風景を思い出し、クヨクヨしています。
もう変わらない事実だって事、仕方がない事、全てわかってはいるのですが。

私は遠方に嫁に行ていて主人と子供二人と暮らしています。
はじめは優しかった主人も、1歳の下は特に手がかかる時期なのに、
あまりにも私がクヨクヨして子供たちの相手...続きを読む

Aベストアンサー

大事な人を失った悲しみは津波のようにあとからあとから押し寄せてくる物です。
ですから、正直な話、何年も心の整理が付かない、というケースも多々あります。
私自身も母親と兄弟を続けて亡くしました。今年で3年になります。日常生活に
支障はありませんが、やはり苦労を掛けた母や、あまり理解をして上げられなかった
兄のことを思い出すと、今でも新しい涙がこみ上げてきますし、なにか美味しいものを
食べたり、楽しいことを体験する度に「私だけこんなに良い思いをしてもいいのか」と
罪悪感に苛まれることもあります。

数年経った私ですらこうなのですから。
質問者様ご自身も「今はまだそういう時期なのだ」と受け止められて下さい。

スピリチュアルのことは分かりませんが心が弱っているときは、善悪の判断がつかずに
目の前の物に何でもすがってしまう怖さがあります。私は別件でカウンセリングに
かかっていましたが、そこでは「グリーフケア」というものをやっていました。

http://www.grief-care.org/about/index.html

これは魂がどうとか言う抽象的なことではなく「死に直面した人間の多くが
たどる道」を段階的に示しています。ご参考までに。

お子さんに対しても今は余裕がなくなってしまっているのですね。
それはとてもよく分かります。でもお母さんの死でひとつ学びましたよね。
「時間は戻せない」ということです。

失った悲しみは大きなものですが、今ある幸せは小さな物ですか?
どうでもいいものですか?そしてそれは未来永劫そこにあるものですか?
「無くなってしまったらもうどうにもならない。だからこそ今、あなたの手の中に
あるものを大事に慈しみなさい」私には亡くなった母の声が聞こえます。

どうぞこの詩を心に刻んで下さい。

http://home1.netpalace.jp/counseling/room/room.cgi?mode=koumoku&no=27


そして、今ある悲しみはどうぞそのまま。癒えるときが必ず来ますから。
無理に元気にならなくても大丈夫。今はしっかり悲しむことが大事です。
たくさん泣いて、たくさん後悔して。そして今生かされてる自分や家族を
愛しましょう。

「日常」は残酷です。知り合いが幼い子を亡くしたとき「私は悲しみに浸って
いたいのに、ゴミの日はやってくるし、洗濯物もたまってくる。なんて理不尽
なんだと思ったけど、今思えばそれが心のリハビリにもなっていた気がする」と
言っていました。煩わしいけど避けられない日々の暮らし。でも本当はそれが
一番大事なものかも知れません。

頑張る必要はありません。ご主人やお子さんを支えに少しずつまた立ち上がれば
いいんですよ。必ずその日は来ます。1年2年。気長に待ちましょう。

そしてお母さんには「ごめんなさい」ではなく「ありがとう」と言えると良いですね。

大事な人を失った悲しみは津波のようにあとからあとから押し寄せてくる物です。
ですから、正直な話、何年も心の整理が付かない、というケースも多々あります。
私自身も母親と兄弟を続けて亡くしました。今年で3年になります。日常生活に
支障はありませんが、やはり苦労を掛けた母や、あまり理解をして上げられなかった
兄のことを思い出すと、今でも新しい涙がこみ上げてきますし、なにか美味しいものを
食べたり、楽しいことを体験する度に「私だけこんなに良い思いをしてもいいのか」と
罪悪感に苛まれること...続きを読む

Q両親の死が辛い

母が突然亡くなりました。父は勿論、私と娘は何が起こったのか分からないまま葬式をしました。なぜ、どうして母が…と云う思いで信じられず、でも会社も行かなければならないし、家にいる年老いた父の事が心配なので昼休みには帰って食事の用意をし、夜も急いで帰ってました。がその父も母が亡くなって49日目に亡くなりました。それからの日々は、二人の遺影を前に、何をしても何を見ても悲しいと言う想いを語り、泣いています。急に4人家族が2人になって寂しいです。

若い時から内職をして家計を支え、本当に気のいい母でした。少し口やかましいところはありましたが。私が子供をつれて実家に戻ってからは、ずっと食事など皆の世話をしてくれました。
娘にとっては、祖母であり母親でした。私は小さい時から母が大好きで「一緒に死ぬ歳まで待って」と言ってましたが先に逝ってしまいました。当然です、21歳違いですから順番からは親が先です。

父も自分が先に逝くはずだったと嘆き、「寂しい」とションボリしている日が続いていました。昨年末に手術・退院後は回復に向かって喜んでいましたが、やはり体力は弱っていたのでしょう。母の急死で気が弱り余計に菌を受け付ける体になっていたのです。母の法要の後に入院し5日後に亡くなりました。
続けて二人を送り、私は気が動転し何も興味がなくなりました。
今は、夕暮れ時になると母を思い出し、そして父が亡くなる前に世話になったと書き残した言葉と顔を想い辛く悲しく、気が変になりそうです。
また、自分もいつか天国へ行く日が来る、今度は娘たちが同じ想いをする、させてしまうと思うと、どうしようもなく悲しく、それまでに身辺整理をしなくては…とあせってしまいます。
みんな生まれると、必ず死が待っている事は分かっているのですがなかなか立ち直れなくて、もう一度会いたい、声を聞きたい、話がしたいと云う思いに胸が押しつぶされそうです。

迷惑ばかりかけていたとは思いません。母も「お前たちと暮らすようになって生活に張りが出来た」と言ってくれていました。父の病院通いにも毎日行きました。母は元気でした。元気に見えていました。血圧降下剤は飲んでいましたが、それが悪かったかも…と言う人もいます。もっと早く気付いていればこんな事にならなかったのに。もっと手助けをしていれば、もっと早く帰って母との時間を持っていれば…、など色々悔やまれる事ばかりです。
今日は母の4回目の月命日です。もう4ヶ月たちました。まだ4ヶ月なのかも…当初は何がなんだか分からず泣いたり後悔や自責の日々でしたが、今は忙しくしている時や会社にいる時などは忘れる時間があります。
こういう時は両親に対して罪悪感に似たような気になってきます。少しずつ落ち着いてきたので良いのかな?と思ったりもしますが、夕暮れ時や、何もないのに突然悲しくなったり、会って誤りたいと落ち込みます。こんな事を繰り返しながら日々を送り、いつの間にか普段の生活に戻るのかなあとも思います。
もっと若くして親と死別した方々もおられますが、私はもういい歳です。60です。次は自分の事を考えなければならない歳です。娘が嫁ぐと一人になります。その時こんな気弱でどうしていけばいいのでしょうか?
世間では親の歳を聞いて「大往生」と言いますが自分の親なら、大事に思っているからなおさら「大往生」だとは思いません。母は病気で寝込んだ事はないのです。夜中に一人で逝ってしまったのです。
82歳でした。まだまだ一緒に買い物も遊びにも…

私は娘に心配をかけまいと頑張り、仕事と家事で疲れています。これはかえって悪いのかもと思いますが今はまだ「気分転換にどこかへ」という気になれません。

会社のストレスもあり(小さい会社で休むのもままならないです)早く辞めて家の事だけにしたいと思いますが、そうなると収入も減るので大変です。

両親とか大切な人との別れを経験した人はどのようにして、どれくらいの年月でこの辛さがマシになるでしょうか?
私のようにいい歳をして、いつまでもクヨクヨしていてはいけないのでしょうか?

宜しくお願い致します。

母が突然亡くなりました。父は勿論、私と娘は何が起こったのか分からないまま葬式をしました。なぜ、どうして母が…と云う思いで信じられず、でも会社も行かなければならないし、家にいる年老いた父の事が心配なので昼休みには帰って食事の用意をし、夜も急いで帰ってました。がその父も母が亡くなって49日目に亡くなりました。それからの日々は、二人の遺影を前に、何をしても何を見ても悲しいと言う想いを語り、泣いています。急に4人家族が2人になって寂しいです。

若い時から内職をして家計を支え、本当に気...続きを読む

Aベストアンサー

40代既婚者男です。

>私のようにいい歳をして、いつまでもクヨクヨしていては
>いけないのでしょうか?


そんな事はありませんよ。
年齢なんて関係ありません。最愛の人を失った時の喪失感や
悲しみ、寂しさは、何歳になろうと同じだけ辛いものです。
世間では、高齢者が旅立つと大往生という言葉で片付ける
風潮があるのは確かですが、あなたの仰るように、身内にしたら
そんな言葉で整理できるほど単純ではありませんよね。
あなたも理解しているように、人は生を受けた以上、必ず死を
迎えます。
そして寿命というものがあり、親から先に旅立つのは必然です。
しかし、そんな事は頭で理解できることであり、決して心では
理解などできないのが本音だと思います。
私の両親はまだ健在なので、まだ死別の悲しみを味わったことは
ありません。
ただ、大好きだったお婆ちゃんとの別れは経験しました。
肝臓癌が判明してから、あっという間でした。
本人には知らせていなかったので、遠く離れて暮らしていた僕が
急に何度もお見舞いに行くと、おばあちゃんが自分の病を疑う
かもしれないと思い、泣く泣くお見舞いの回数を減らしました。
今思えば、愚かな気遣いであったと後悔しています。
何であろうと、毎日でも会いに行けばよかった。そしてたくさん
話をすればよかったと悔やみます。

人は大切な人を失って初めて、いろんな後悔に押し潰されます。
あの時こうしていたら、あの時もっと・・・・。尽きることは
ありません。
でも、悔やんだところで、亡くなった人は戻ってきてはくれ
ません。
それも頭で分かっているのですが、複雑な思いでした。

私はいつも近しい人とのお別れを経験する度に、思う事があります。
それは、人の死というのは、最後にその人から教えられる
愛なのだということです。
人は死というものがいつも身近にありながら、中々そこを見よう
とはしません。
ですから、そうした愛する人の死を目の当たりにすることで、
そこで改めて、死について見つめることで、それまで気付かなかった
事に気付くのです。
自分がその時を迎えた時、どんな思いで旅立つのだろうか?
思い残すことがあるのだろうか?
残していく大切な家族へどんな思いなのだろうか?
などと、リアルに感じることができます。

私も、41歳となり、結婚して妻も子供もいます。
あなたが言うように、私もいつかその時が来るのです。
妻や息子を残して旅立った後、妻や息子が私の死を悲しみ
苦しみ、毎日を泣いて暮らしていたならば、きっと心配で
心配で、残してきたことを悔やみ、きっと次なる場所へ行けなく
なってしまうと思います。
故人への一番の供養とは、故人に心配させないような生き方を
することだと、ある人から教わりました。
そうすることで、故人は思い残すことなく、次へと向かうこと
ができるのだそうです。
私は、その言葉を頂き、それからは、おばあちゃんに対して、
いつも「ありがとう。僕なら心配ないからね」って伝えるように
なりました。

この世へ誕生することをそばで見守ってくれた親へ、今度は
あの世へ向かう時に、そばにいて見守るのが、子供としての責任
だと思っています。
今度はあなたが、子供さんへ教えてあげる番です。
しかしあなたはまだお若いですから、まだ見えない先のことを
考えて悲観的にはならないでください。
そして、また今度会いに行けばいいでは無くて、会いたいと
思えたら、すぐに会いにいくのです。
伝えたい言葉があれば、すぐに伝えるのです。
それが後悔の無い人生というものです。
あなたのお母さんとお父さんがいてくれたから、今のあなたがあります。
そして、子供さん、お孫さんへと命のリレーはどんどん繋がって
いるのです。
私の祖母も祖父と二人で人生をスタートさせてから、今では30人という
家族たちができました。
そして今もなお、増え続けています。
そうした歴史も踏まえて、それぞれのドラマがあります。
辛い事、苦しい事。そして楽しいこと、嬉しかったこと、涙が出る
ほどの幸せな思いを感じてきたのです。
今はとにかくとことん泣いていいと思います。
気が済むまで泣けばいいのです。
そしていつか、涙を拭いて、新しい一歩を踏み出して下さい。
お母様とお父様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

40代既婚者男です。

>私のようにいい歳をして、いつまでもクヨクヨしていては
>いけないのでしょうか?


そんな事はありませんよ。
年齢なんて関係ありません。最愛の人を失った時の喪失感や
悲しみ、寂しさは、何歳になろうと同じだけ辛いものです。
世間では、高齢者が旅立つと大往生という言葉で片付ける
風潮があるのは確かですが、あなたの仰るように、身内にしたら
そんな言葉で整理できるほど単純ではありませんよね。
あなたも理解しているように、人は生を受けた以上、必ず死を
迎えます。
そして...続きを読む

Q親が突然他界してなかなか立ち直れません。

親が突然他界してなかなか立ち直れません。

高齢の母が今年の夏突然他界しました。
母と息子(私)の二人暮らしでした。
以前私は別のところで一人で住んでいましたが、
母が風邪をこじらせ何日も寝込むことがあって以来、
一人暮らしをしている母が心配になってきて同居してました。

父はかなり前に他界してます。父の場合は長年病気で入退院を繰り返して
いたので父が他界したときは心の準備ができていたので
自分でも驚くほど早く立ち直りました。

しかし母の場合、突然倒れて死亡したので心の準備ができておらず
私は時々悲しみで押しつぶされそうになるのです。

母は高齢のわりには元気でしたが、この夏の猛暑の影響もあったようで
突然他界しました。
倒れる前日までは「普通のお婆さん」という感じで
普通に生活していました。

私はできるだけ楽しげに生活して普段はなにげなく仕事したりしてますが
誰もいない家に帰ると
「口では表現できないような喪失感」に襲われ、
これがいったいいつまで続くのだろうかと悩んでいます。

「父も母もいなくなって一人ぼっちになってしまった」
という寂しい気持ちにおしつぶされそうになり
なにをやろうとしても集中できないのです。

いつかこういう日(両親ともに亡くなる日)がくる・・・
と自分で自覚してたつもりですが
自覚が足りなかったのか、気持ちが乱れます。

また母の突然の死後
私の体調も不安定で
不眠や胃腸の不調に悩まされ、クリニックに通ったりもしてますが
「口では表現できないような喪失感」までは治せません。

ただ、自分が幸せだと思えることもあります。
それは今、母に心から「ありがとう」と思えること。
そして私が母を最後まで看取ったことです。

仮に親が元気でも
親子関係が険悪な状態が長期化してたりすると
それは不幸せだと私は思うのです。

また母の死後知ったことですが、
母は周辺の人から評判が良かったことを知りました。
周辺の人からは「心が優しい親切なお母さん」、「真面目で誠実な人」
「年齢を感じさせない若々しいお婆さん」など・・・。

家の中では
母は歳をとってからは
よく私に愚痴を言ったりもして私はウンザリすることもよくありました。
でも今ではそれさえ大切な思い出です。

そのように言われていた母を亡くしたことに
いっそう心が悲しくなるのです。

早く立ち直りたいと思えば思うほど、
何故か自信がなくなってしまい自分が情けなくなるのです。

親や家族を亡くして悲しい思いをしたとき、
人はどうやってその悲しみをのりこえるのでしょうか?

親を亡くすとこんなにも気持ちが乱れ
自分がもろくなるものなのでしょうか。

親が突然他界してなかなか立ち直れません。

高齢の母が今年の夏突然他界しました。
母と息子(私)の二人暮らしでした。
以前私は別のところで一人で住んでいましたが、
母が風邪をこじらせ何日も寝込むことがあって以来、
一人暮らしをしている母が心配になってきて同居してました。

父はかなり前に他界してます。父の場合は長年病気で入退院を繰り返して
いたので父が他界したときは心の準備ができていたので
自分でも驚くほど早く立ち直りました。

しかし母の場合、突然倒れて死亡したので心の準備ができて...続きを読む

Aベストアンサー

無理に悲しみから逃れる事を考えなくて良いと思います。
突然死は誰にも解らぬ事で在り、誰もが受け入れるのに時間が掛かる事です。
時間が解決してくれるのは、理解してるのですから、喪失感・・・良いじゃないですか!
貴女以外、誰も居ない部屋で一人で想い出に浸り、泪しても誰が何を言えるでしょうか?誰が早く立ち直れと言えるでしょうか?誰も言えません!
お母様との想い出に心ゆくまで浸り、悲しみに浸り、喪失感に浸れば良いでは在りませんか。
今の在るが儘が最高の時ですよ、在るが儘の姿が美しい涙であり、心なのですから、もっともっとお母様との想い出話を目に見えない糸電話で会話して下さい。

私の場合は親が突然死では無かったのですが、私が外国で仕事をしていたので、看取る事も無く、葬式すら出る事無く、日本に帰国後、墓参りをした時に親不孝者と悔やみ、嘆いた事を今でも想い出して悲しくなる時が在りますが、不思議に親の残した言葉が、心の中から蘇って来ては懐かしむ事がしばしば今でも在ります。
ただ、辛かったのは、遺品として父親が愛用していた、コーンパイプと万年筆を見た瞬間は男泣きしながら、物凄い喪失感に襲われました。
そして、今でも遺品を見ながら父親と会話をしています。
貴女とは違いますが、無理に忘れる事も無いし、喪失感でも良いじゃないですか!姿が無くても、見えなくても心の会話を一生しましょう。
心がもろく成っても、目に見えない糸電話で母親が支えてくれてるので心配ありません。
永遠の心の糸電話を楽しんで下さい。

無理に悲しみから逃れる事を考えなくて良いと思います。
突然死は誰にも解らぬ事で在り、誰もが受け入れるのに時間が掛かる事です。
時間が解決してくれるのは、理解してるのですから、喪失感・・・良いじゃないですか!
貴女以外、誰も居ない部屋で一人で想い出に浸り、泪しても誰が何を言えるでしょうか?誰が早く立ち直れと言えるでしょうか?誰も言えません!
お母様との想い出に心ゆくまで浸り、悲しみに浸り、喪失感に浸れば良いでは在りませんか。
今の在るが儘が最高の時ですよ、在るが儘の姿が美しい涙で...続きを読む

Q母が亡くなって3ヶ月…。まだ泣いてしまいます。

30代女性です。
2年間、病と闘った母が3ヶ月前に亡くなりました。
告別式を迎えるまでの4日間…ふいに溢れる涙を自分でもどうしようもなく、本当に泣き続けました。

告別式を終えても、本当はもっと泣き続けていたかったし、母の思い出に浸っていたかったけど、「毎日」は容赦なくやって来て日常生活に引き戻され…。

もう3ヶ月も経つのに、一人の時間に、またふいに涙が溢れてしまいます。

同じような経験をされた方がいらっしゃいましたら、ただお話しをかき聞かせて頂ければ…と思っています。

Aベストアンサー

お辛いですね・・・お察しいたします。

わたしは、随分前に、5年間闘病した母を亡くし、4年前には1年の入院のすえ、
父が亡くなりました。

母のときも長い間、道行く人に母の面影を重ね、枕を涙で濡らす毎日でした。

記憶に新しい父の死のときには、母のとき以上に毎日泣いていました。


最近もいろいろ考えると泣けてきますし、夢も見ます。

闘病のさいの可哀そうな姿を思い出すと、後悔もしますし、罪悪感も感じます。

もっとああすればなどと、際限なくハードルを高くして、できなかった自分を
責めてしまいます。

写真のなかの笑った父を見ると、会いたくてたまらなくなります。

今でもとても淋しいです。


亡くなって半年頃、うつのお薬も飲みました。(2週間くらい。)

特別なことではなく、こういうのもアリなのだと思います。

遺品整理でまた泣けて、父の手帳を見てまた泣けて。


でもそうやっているうちに、少しずつ、涙の量が減っていきました。

今でも思い出すといろんな気持ちが溢れてきます。

ただ、自分の悲しさと少し距離の取り方が学べた気がします。

母のときとはまた違うので、亡くなるたびに、また一からですね。


いつまでも泣いていると亡くなった人が悲しむといったことを聞きますが、
そうでもない気もします。

子どものとき、こけて痛くて泣いていたときのように、天国から、
あーあ、泣いてるね、と、笑って慰めてくれているような気がするのです。

kataomaさん、声が聞けなくて、触れなくて、とても寂しいですが、
きっとそばにいてくださっていると思います。

本当に鵜悲しいですよね、大切で、大好きだったのですから。
だからkataomaさんはとても正常なのだと思います。
(すみません、変な言い方ですが。)

どうぞ安心して悲しんでくださいね。
それが人の通る道なのだと思います。
そしてきっとその分、お気持ちに優しさが増えていくのだと思います。

お気持ちを逆なでしてしまったら申し訳ありません。

お辛いですが、悲しいお気持ちをしっかりとお受け止めになれるといいですね。

そうしながら、お気持ちはまた、少しずつ元気に向かわれていると思います。

悲しくて泣かないではいられないほどのお母様との思い出を、これからも
きっと大切にしていかれるのでしょう。

応援しています。

お辛いですね・・・お察しいたします。

わたしは、随分前に、5年間闘病した母を亡くし、4年前には1年の入院のすえ、
父が亡くなりました。

母のときも長い間、道行く人に母の面影を重ね、枕を涙で濡らす毎日でした。

記憶に新しい父の死のときには、母のとき以上に毎日泣いていました。


最近もいろいろ考えると泣けてきますし、夢も見ます。

闘病のさいの可哀そうな姿を思い出すと、後悔もしますし、罪悪感も感じます。

もっとああすればなどと、際限なくハードルを高くして、できなかった自分...続きを読む

Q母の死をどう乗り越えたらいいのか分かりません

母の死をどう乗り越えたらいいのか分かりません
 今年の4月に母を癌で亡くしました。62歳でした。若い時から“百五十歳ぐらいまで生きるんじゃないか?”とみんなに言われるほど元気な人でした。フルタイムの仕事を定年退職してからも、地域のボランティアで広報誌を作り、“若い頃の夢だった新聞記者に一歩近づけた”と、60歳を過ぎてからワードやエクセルを自由に操れるまでに覚え、あちこち取材に行っては記事を書き、楽しそうにしていたのに、去年の2月に末期寸前の卵巣癌と診断されてしまいました。

 それでも、手術を受け、半年間の抗がん剤治療をし、去年の年末には腫瘍マーカーの値も下がり、快方に向かっていた…はずだったのに、年明けに早くも癌が再発。その後は、脳梗塞・脳内出血・てんかんなどを立て続けに併発して抗がん剤治療ができなくなり、あれよあれよと言う間に逝ってしまいました。

 母とは大親友以上の仲だったので、亡くなった当初は天地がひっくり返るような感じだったけど、四十九日を終えて、少し落ち着いたつもりでした。でも、三ヵ月半たった今、なんとも言えない虚無感でいっぱいです。

 母はきっとどこかで見ていてくれるから、前向きに生きていかなければいけない。…とか、
 私が悲しんでばかりいたら、きっと母も辛いだろうな。…とか、
 40年間ほとんど我慢するだけだった結婚生活を送った母だから、きっと今ごろ若くして亡くした最愛の両親と、天国で平和に暮らしてるんだろうな。…とか、
 常に人への感謝の気持ちを忘れずに、いつも回りの人を笑顔にしていた母の心を受け継いでいかなければいけない。…とか、
 そんな心を、自分の子供にも引き継いでいかなきゃいけない。…とか、
 まだ3歳の子供の前で、しょっちゅう泣いているのはきっと良くないんだろうな、…とか、
 いつか母にもう一度会えた時に恥ずかしくないような生き方をしていくしかないかな、…とか、
 きっと時間にしか解決できないことなのかな、とか。

 頭ではいろいろ考えるのですが…。 

 飛行機と電車を乗り継いで6時間かかる実家に、職場にこれ以上ないくらい無理を言っては、しょっちゅう長期で帰って、してあげられるだけのことはしたつもりだし、最期にも間に合ったから、後悔はあまりしていないつもりです。だからか、亡くなる前や亡くなった直後の方が、悲しみは深いながらも上に書いたような前向きな悟り、みたいなものを心から感じていました。でも、ここに来て、なんだか時間が止まってしまったような感覚に陥ってしまっています。

 長い文章を読ませてしまい申し訳ないですが、皆さんはどうやって身近な人の死を乗り越えられましたか?乗り越える手助けになった本なども、もしあれば教えていただけませんか? 

母の死をどう乗り越えたらいいのか分かりません
 今年の4月に母を癌で亡くしました。62歳でした。若い時から“百五十歳ぐらいまで生きるんじゃないか?”とみんなに言われるほど元気な人でした。フルタイムの仕事を定年退職してからも、地域のボランティアで広報誌を作り、“若い頃の夢だった新聞記者に一歩近づけた”と、60歳を過ぎてからワードやエクセルを自由に操れるまでに覚え、あちこち取材に行っては記事を書き、楽しそうにしていたのに、去年の2月に末期寸前の卵巣癌と診断されてしまいました。

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Aベストアンサー

私は同居の祖父母の死を経験しました。
両親よりも接する時間が長かったので,存在も大きかったです。
年相応で,ある程度予想はできており,質問者さんほどの衝撃ではありませんでした。
しかし,

>母とは大親友以上の仲だったので
という部分,私が祖父に対して持っていたのと似ているようにも思えるので,お答えになるかどうか分かりませんが,ご参考になればと思い書いてみます。
私の場合は,親友というよりも,耐え難い日本の不条理に対する戦友のような感じでした。

私は祖父譲りの徹底的な無信仰です。
なので天国で~,といった感傷はありません。
でも,「生きていたらどう言うだろうか」というシミュレーションはします。
祖父はとくに
「死亡通知は出さない。形式ばかりのお悔やみをもらっても意味がない。知人から連絡があったときに,こういう事情で亡くなりましたが故人の意思によりご連絡しませんでした,と返信せよ」
と,若い世代でもなかなかできない思い切ったことを遺言しました。
「死者は生者を惑わすべからず」が信念でした。

また,私自身は非婚男性で,おそらくこのままだと思いますが,「先祖代々」といったつながりは重視していません。
よく言われる「たくさんの人が先祖にいてあなたがいる」というのも信用していません。

霊感商法が問題になったときに,祖父の言った言葉が強烈な記憶になっています。
「先祖が苦しんでいるから供養がどうのなんていうが,子孫を苦しめるようなことをするはずがない」
私はさらに拡張して,子孫を苦しめるような祖先はいなくても結構だ,と言っております。

でも,これだけ極端に過激な考えを持ってる私でも,純粋に今でも「かっこいいなあ」と思います。
現代の若い世代でもこんなこと言えるのは何人いるんだ?と,身内贔屓ながら思ってしまいます。

死後の世界を否定しても,受けた教育や影響,話してくれた体験談や直接見聞きした記憶というものはちゃんと残ります。
長所も短所も個人の記憶として残っています。
自分のDNAは残せなくても,こういう考えをした人がいる,という話は伝えられます。
教育は誰も奪うことのできない財産であり,絶対に消えないものだと信じています。
残っているのは過去の出来事であっても,そこから新たな法則性や価値基準は抜き出せると思います。

視点を,ちょっとだけ亡くなったお母様から外してみませんか。
~してはいけない,~しなくてはいけない,と考えるのはどんな場合にもつらいです。
お母様は,あなたをここまで育てあげたんだから,あなたは何をするにも自分の考えと都合に素直に従っていいと思います。
泣きたいなら泣いていいでしょう。そこで泣けるように育ててくれたんですから。
お母様がどう思うかと意識が集中しすぎるとつらいと思います。
親がどう思うかで動くのは,言い方は悪いですが,ある種子どもの考え方ですよね。「怒られるからしない」と同じような。
でも,一個人として成長すれば,誰が何と言おうと私は嬉しい,何と思われようと私は悲しい,といえるようになります。
それで必要かつ十分です。
いま,質問者さんはどうしても亡くなったお母様に視点を合わせてしまうために,どう思うだろうか・これではいけない,と自分を抑えつけてしまうのではと思います。
自分を信じてあげてください。自分を大事にしてあげてください。
ときに自信がなくなったら,「お母さんが私には合格出してくれたんだから私はこれでいい!」と考えてはいかがでしょうか。
ご参考になれば幸いです。

私は同居の祖父母の死を経験しました。
両親よりも接する時間が長かったので,存在も大きかったです。
年相応で,ある程度予想はできており,質問者さんほどの衝撃ではありませんでした。
しかし,

>母とは大親友以上の仲だったので
という部分,私が祖父に対して持っていたのと似ているようにも思えるので,お答えになるかどうか分かりませんが,ご参考になればと思い書いてみます。
私の場合は,親友というよりも,耐え難い日本の不条理に対する戦友のような感じでした。

私は祖父譲りの徹底的な無信仰です。
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Q死んだ親を思い出して寂しく思う時はどうしたらいい?

数ケ月前、母を亡くしました。父はすでに亡くなってるので私(男です)は天涯孤独になりました。

もともと母と私は別居してましたが、母は体調を崩すことがあったので、母のことが心配になり母と二人で同居してました。

母とは喧嘩することもよくありましたが、母と私は仲は良かったです。

しかし、ある人に「いい歳を男が母と仲が良いだなんて甘えてる」と言われたことがありショックを感じました。
甘えてると思いますか?

あと世間の人は死んだ親を思い出して寂しさを感じたとき、どうやってその寂しさを紛らわしてるのでしょうか?

(結婚したら?という人もいますが、当面は結婚する気にもなれないのです。)

Aベストアンサー

こんにちは。
色々皆さんが回答されてるので僕はひとつだけ。
気を紛らわすのはいいですが、やはり強くなるのが一番かと。
あなたの周りの友達や同僚、後輩や部下、上司でもかまいません。
あなた体験談を聞かせてあげてみてはどうですか?まだ、親が生きているうちにやるべき事、後悔しないようにした方がいいこと。
聞いたほうは煙たがるかもしれませんが、なかにはそれを聞いて人生がかわる人もいるかもしれない。
決して恥ずかしいことではないですよ。
みんな頭ではわかっていても親孝行とかなかなか出来ずに後悔してしまいます。それを背中を押してあげるようになれば、あなたはきっと強くなっていくし、そんなあなたを見てる両親はきっと誇りに感じてると思いますよ。
あなたは優しい人です、みんなにもその優しさを…
長くてごめんなさい!

Q末期癌~死ぬまでの状況を教えてください。 

末期癌~死ぬまでの状況を教えてください。 
末期癌の母は現在ホスピスケアを受けています。
これから母の面倒を見るのは私の役目なのでこれからどうなるのか不安です。

母がすいぞう癌だと宣告されたのはおよそ1年前です。
肝臓にも転移しており既に手遅れでした。
今年の3月頃までは癌だと思えないほど元気な母でしたが
4月頃から急に階段を転げ落ちる様に容態が悪くなってしまいました。
あらゆる箇所の骨に転移し、強い痛みも出てきました。
肺へも転移し、咳がひどいです。
今ではほんの少し動いただけでも息切れがひどく、時々咳き込んで嘔吐してしまいます。
急に食欲もなくなりました。
一日、一日ごとにどんどん体力がなくなり弱くなっていきます。
母はこれからどうなっていくのでしょうか。
苦しみが増しますか? 
意識は最後まであるものですか?
自分でトイレにも行けなくなったらどうすればいいのですか?
この状態で、あとどのくらいと考えていればいいでしょうか。。。

文章がうまくまとまっていなくてすみません。
少しでも心の準備ができればと思います。
宜しくお願いします。

Aベストアンサー

「人はがんでは死なない」という言葉があります。
がんが特別な毒素を出すわけではありません。
では、なぜ、人はがんで死ぬのか?
それは、がんが増殖することで、臓器に様々な障害が起き、
その障害が引き起こす様々な症状によって、死にいたるのです。

様々な症状の一つには、疼痛もあります。
これは、モルヒネなどによりかなりコントロールできるようになってきました。

気管支のがん細胞が増殖して気管支を塞げば、窒息の危険があります。
肝臓のがんが増殖して、肝臓の機能が低下すれば、体内の様々な化学作用
が止ることになり、肝性昏睡などの様々な症状を起こします。
大きな血管にがんができて、血管が破れるということも起きます。
腎臓の機能が低下すれば……
脳の機能が低下すれば……

つまり、がんがどこにあり、その臓器は、どんな仕事をしているのか、
ということです。
何が起きても不思議ではない、ということです。

「苦しみが増しますか?」
軽くなるということはないでしょう。
出てきた苦しみを押さえるということになります。

「意識は最後まであるものですか?」
わかりません。
先に昏睡状態になる場合もありますし、最後まで、意識がはっきりしている
場合もあります。

「自分でトイレにも行けなくなったらどうすればいいのですか?」
状況によりますが、オムツということも考えてください。
尿はカテーテルを留置することになります。

残酷な言い方ですが、何らかの理由で昏睡状態になった場合、
「それを治療して、昏睡から醒めさせて、延命をする」ということを
しないという選択肢もあります。

末期症状は、医師や看護師がよく知っています。
まずは、医師や看護師と相談してください。

「人はがんでは死なない」という言葉があります。
がんが特別な毒素を出すわけではありません。
では、なぜ、人はがんで死ぬのか?
それは、がんが増殖することで、臓器に様々な障害が起き、
その障害が引き起こす様々な症状によって、死にいたるのです。

様々な症状の一つには、疼痛もあります。
これは、モルヒネなどによりかなりコントロールできるようになってきました。

気管支のがん細胞が増殖して気管支を塞げば、窒息の危険があります。
肝臓のがんが増殖して、肝臓の機能が低下すれば、体内の様々な化...続きを読む


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