「教えて!ピックアップ」リリース!

私、39歳。
独身の公務員です。
母親63歳。膵臓ガンで、この先あまり長くないらしい。
最初にいつものクリニックに行ってから、まだ一ヶ月。
病気が発覚して、手術できると先生も言っていたので、そのつもりでいたら、「36年間外科医をやっているが、こんなに進行が早いのは初めて(大学病院の教授です)」とのことで、結局手術できず、今、化学療法中です。
「親が死ぬ」って、どんな感じですか?

A 回答 (12件中1~10件)

Smile Again !!neterukunです



私は28歳の時に父を肝臓がんで無くしました。
酒好きだったから仕方ないといってしまえば
それまでですけど、死ぬとわかってたんなら
殴ってでも酒を取り上げたらよかったのか
こうなるのがわかってるならせめて好きなお酒を盛大のませてあげたらよかったのか,15年経った今も
その答えは出せていません。

亡くなったのは妹の結婚式の翌々日でした
写真が焼きあがってきたのはそのまだあと
ですから一人娘の花嫁姿をみることなく亡くなっています
結婚式の父親の席は入院中の父に代わって
私が座っていました。
妹は新婚旅行を途中で引き返して帰阪しました。

なんていうかなぁ悲しいっていうよりね、
すごく悔しかったんです。生きていればあれもできたろうこれもできたろう,おまけに自分は親孝行したとはいえないんじゃないか,そう考えると
親父が何を悪いことしたんや、世の中にはもっと悪人は一杯おるのに、なんでやねん・・と
寂しさよりこれからのオヤジの未来がないとおもうと
すごく悔しいです。今でも生きてりゃ平成になり、
ことし絶好調の阪神も応援いけただろうし、
前よりは綺麗な家にも住めたろうし,海外旅行もいけただろう,そんなする予定だったことができないと言う事実をわかりたくなかった,でもそれが現実だと認識した時
すごい悔しかったです。
寂しさを実感して涙したのは
棺おけが焼き場に入るのみて,もうあえないんだって
そのときはじめて実感したからだと思う
出てきた骨には面影なんか残ってないもの
信じろというほうが無理でした。

望みがあるならすべてかけてあげてくださいね。
たった一人の人なんですからね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
お礼遅くなってごめんなさい。
neterukunさんも大変でしたね。
Smile Again !!この言葉に、涙ぐんでしまいました。

>望みがあるならすべてかけてあげてくださいね。

本当にありがとうございます。

お礼日時:2003/07/04 20:59

私は34歳の独身です。


4年前に母が病気で亡くなり、先日父も病気で亡くなりました。
両親も病気は別々ですが、病院の方からは長くはないと言われてました。
母の時は初めての親の死に局面して、ショックと悲しみと信じられない気持ちで涙涙で泣き叫んでました。その後もショックと信じられない気持ちで呆然でしたが、
父の死に目に会った後も涙涙でしたが、母親よりも落ち着いてました。
「これで、母も一人天国で寂しい思いしなくて済むね、お父さんも、お母さん亡くなってから寂しかったものね、会いたかったものね」と語りかけました。
母親が一人ぼっち寂しい思いしなくて済む、父もやっと母に会えると思う事で、心のすくいになりました。
母親が亡くなった後、初めての葬儀で喪主の父が大変な思いをした事を分かっているだけに・・・
今度は姉が喪主になるので、父の大変さを見てきてるので
その後の葬式の準備やらで訳が分からず、ただ無我夢中で二人動いてたので父の死を悲しんでる余裕がなかったです。
親の死に目に会えない人が居る中、看病したくても出来ない環境におられる人が居る中、自分達なりに出来る限り両親の看病できる環境に居られた事、両親の死を看取れた事を、幸せだと思ってます。
お母様との時間、大切に過ごしてくださいね。
お大事に・・・・
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
大変でしたね。
先のことは考えず、今のことを考えようと思います。

お礼日時:2003/06/28 16:47

人によって違うものですけど、私の場合は、父親が2年半前に肺ガンになり、もう長くないことがわかっていました。

亡くなったのは去年でした。もう以前から亡くなることがわかっていて、心積もりできていたので悲しみも大きくはなかったです。最後の3ヶ月は、手厚い介護を受けることができて、大往生できたと思っています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
私もkenk789さんみたいに思えるように、したいと思います。

お礼日時:2003/06/27 18:08

こんばんは。


他の回答者の方のお話は、泣きそうになってしまいそうなので読んでいません。その為重複する部分もあるかもしれません、申し訳ないです。

私は7年前、17歳の時に母を亡くしました。
入院する一日前まで元気に働いていました。検査したところ、末期ガンでした。二度目の手術はもう手がつけられないほど進行してしまっていて、手術は中止となってしまいました。二度目の手術からはずっと個室で口にできるのは水くらい、食べる事は許されませんでした。
抗がん剤の副作用で意識が無くなり、痴呆のように子供に戻ってしまった事もありました。ガンの痛みや治らないもどかしさ(母には最後まで告知していません)で苦しみ「もう殺してほしい」と泣き叫ばれた事もあります。どんなに傍にいても健康な私達に母の苦しみはわからなかったでしょう。私達はどんな母でも1分1秒でも長く生きていて欲しかった。でもそれが母にとってはプレッシャーで、弱音を吐いたりもしました。何度も峠を越え「もう一週間ももたないでしょう」と言われても、点滴の台を押しながら歩けるまでに回復もしました。
「今までも何度も奇跡を起こしたんだから、またきっと元気になれる」と信じたかった。
でも、つらく苦しい闘病生活も1年で終わってしまいました。

母は私にとってとても大きな存在でした。
母が死んだ事も、もう子供ではないからわかってるはずなんだけど、信じられなかった。
いつか戻ってくるんじゃないか。そう思うんです。
目の前で母のお葬式をしてるのに「あれお母さんは?」って思ったり、何日も経ったあと「そういえば最近お見舞い行ってないなあ。寂しがってるだろうなあ・・・」って思って、はっと我に返るんです。「もういないんだ・・・」って。
心から母の死を受け入れるのに半年くらいかかりました。
『心に大きな穴がポッカリ開いたみたい』まさにそんな感じです。

今でも母の事はよく思い出すし、夢にもよく出てきます。
「もっといろんな話をしたかった。結婚式を見てほしかった」あげればキリがありません。

「親が死ぬ」というのはどんな感じでしょう。
人によって違いますよね。
私のこの気持ちをどうすれば上手く伝えられるかわかりません。
「とても悲しい。頭の中が真っ黒。」という感じでしょうか。

今はお母様が亡くなられる事を考えず、傍に居てあげてください。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
>『心に大きな穴がポッカリ開いたみたい』
私すでにそんな感じがしています。
いけませんね。

お礼日時:2003/06/27 18:07

こんばんは。

39歳で結婚した現在42歳の本家長男です。

肝臓ガンで母を亡くしたのは、16歳の秋でした。
父が盲腸で入院したついでに母が検査を受けたら、肝臓ガンであることがすぐに分かりました。
もっとも、知らされたのは父だけでした。
母には無論のこと(当時はそれが常識)、3人の息子にも知らされませんでした。
入院して1ヶ月ほどたった頃に、父と祖母、たまに来る叔母の様子がおかしいことに気づきました。
(間違いないな。母は肝臓ガンだ!覚悟を決めよう。)

父が長男であるわたしを呼んで、
「今から話をする。驚くなよ。」
と言ったのが、母がなくなる8日前でした。
「別に驚かんよ。」
「ほんとに驚くなよ。」
「だから、驚かんて言っとるじゃん。」
「実は、かあちゃんは肝臓ガンだ。」
「ふうん。やっぱり。」
「おまえ、なんで驚かんだ?」
「だって、分かるじゃん。みんなの様子が変でしょ。かあちゃんの具合だって見れば分かるて。」
「やす(弟:中学1年)は分かっとるかなあ?」
「そんなん分かっとりゃあへんて。別に見とっても変わった様子はないし。」
「おおそうか。」
「ぼくは、いつ父ちゃんが話してくれるかと待っとったよ。」

わたしの場合は、覚悟を決めていたのです。
だから、母親の死を、
「不運だが、これも運命。」
と割り切っていました。
もっとも、死ぬ10ヶ月前から体の不調を訴えていたので、入院2ヵ月半前に両親に必死に頼んだんですけどね。
「ねえ、かあちゃん。ぼくは気が気でないで、頼むで精密検査を受けてよ。」
答えは、ノーでした。横にいた父に、
「ねえ、父ちゃんからも頼んでよ。精密検査受けるように。」
「ううん?そんなのは本人の問題だあ。」

続きます。父の場合です。
亡くなったのは、わたしが31歳の秋です。
アルコール中毒になって、体はぼろぼろでした。
風呂場で倒れて、はいそれで終わりです。

でも、このときも冷静でしたね。
いくら兄弟3人で忠告しても、酒飲むのをやめないんだから。
死ぬ1年半前に、兄弟で話し合いましたよ。
「おい、親父いつまでもつと思う?」
「う~ん。まあ1年半ぐらいじゃない。」
「なんでそう思うだ?」
「だいたい、退職してああいう生活しとると、3年ぐらいでダメになるのが多いからな。」
「おお、そうか。まあ覚悟しとかにゃいかんな。」

そして1年半後。
風呂場で倒れていた父を発見し、人工呼吸と心臓マッサージをし、弟に救急車を呼んでもらました。
わたしとしては、最善を尽くしたんです。
だから、悔いはありませんでした。
救急車で付き添った弟から電話があり、
「先生は、万一助かったとしても植物人間だと言っとる。このまま救命措置を続けるかどうか、兄貴はどう思う?」
と確認をしてきました。
「植物人間か。親父はそんな生き方は望んでなかったな。先生にありがとうございましたと言って終わりにしよう。それでいいな。」
「うん、いい。」

これを読んで、冷たい息子だと思われる方がかなりいるでしょう。
それは、一つの見方として納得します。

さて、kasuteraさん。
お母様は、80%ダメでしょう。
(今でもガンに関心がありますので、こう言えるのです。)
でも、残りの20%に賭けてみましょう。
そして80%だったとき、悔いを残さないように接してあげましょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
そんなに若くしてご両親を亡くされたのですね。
少しでも可能性があるのなら、頑張って治療を受けて欲しいです。
多少不自由になっても、いて欲しい。

お礼日時:2003/06/27 18:05

こんばんは。



父をガンでなくしました。
もう手遅れの状態で、しかも予想よりも早くなくなって
しまいました。
まだこれから定年でゆっくりすることを夢見て
あくせく働いた父であっただけになんだか運命のいたずらっていうのかな、なんだか神様が恨めしくなりましたよ。
今でも父には申し訳ない気持ちでいっぱいです。
側にいたのに体の不調に気づいてやれなかったこと、
もっとゆっくりさせてやりたかったとね。
実家にはもちろん母がいるんですが、なんだか実家に帰省すると父のことが思い出されて、申し訳ない気持ちでいっぱいになり、足が遠のいている感じです。
帰省時には一人で墓に参り、手をあわせております。

お母様には病気のこと、告知しているのですか?
告知してるなら、体の動けるうちに、望むことは叶えて
あげてほしいです。いずれは体も動けず、痛みも増してくるでしょう。見ているほうもたまらなくなりますよ。

「孝行したいときには親はいない」というのは本当です。
どうか大切に。
でも、これは幸せなことです。子供に最後を看取ってもらえるのだから。祖父母、父母、子供、孫、この順になくなっていくこと、それが幸せなことだとおもいます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
母はガンで転移があることは知っていますが、残りがどれ位ということは聞いていないみたいです。
やりたいことがあれば、元気なうちにやって欲しいと思うけど、別にないなら、いっそのこと「長期生存記録」を狙って欲しい。
母の両親はまだいるんです。
先日、母の父親が見舞いにきたらしくて、母がたいそう落ちこんでいました。
母の父や、母のことを考えたら、私が落ちこんでいる場合ではないですね。

お礼日時:2003/06/27 18:03

自分の親が死ぬなんて若い頃には想像もつきませんでしたが40歳を過ぎていても実際に体験するとその心の痛手は相当のものです。



私の母は三年間も脳梗塞の後遺症と闘いながら69歳で亡くなりました。
今年で三回忌になります。

早朝に危篤状態になり病院に駆けつけたときには医師が蘇生を試みていたところでしたが亡くなる瞬間には立ち会えました。
正直その瞬間は実感も沸かずただ立ち尽くして涙も出ずぽっかりと心に穴があいたという感じでしょうか。

でも四十九日を過ぎてからというもの何か不安感に突如襲われたり夜中も眠りが浅く“うつ状態”になり原因不明の腕の痛みに悩んだりと、とてもつらい日々でした。
街を歩いても母と同年齢の老婦人を見かけると「なぜ私の母だけが亡くなってこの同世代の人は楽しそうに、、、」と妬みの気持ちが沸き、そんな自分に嫌気が差したりと悔しさと哀しさで引き裂かれる思いの日々でもありました。

人に薦められて精神科のカウンセリングを受けたりして今は大分落ち着きましたが完全ではありません。

大勢の人の雑踏を歩いていてたまに母にそっくりな老婦人を見かけるとつい眼で追ってしまいます。
この年になって子供でも有るまいし、、とふっと悲しくなりますが、自分の親はいくつになっても親なんですね、きっと。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
せめて、平均寿命くらいまでは生きて欲しいと思っていたのですが。
亡くなる瞬間に立ち会えて良かったですか?
親の死に目になんて、会いたくない気がする。
でも、「おつとめ」だと思って乗り切るしかないですね。

お礼日時:2003/06/27 17:59

10年ほど前に、父を同じ膵臓ガンで亡くしました。

父とは一緒に仕事をしていましたし、「一卵性親子」と言われたほど、私は父の影響を受けていました。入院前に、「ガンだったら、告知してやるよ」などと、軽口をたたいていましたが、検査の翌日には、末期で余命1ヶ月といわれました。告知はするつもりではなかったのですが、2週間ほど後、逆に父のほうから、たまたま膵臓ガンの記事が載った週刊誌を突きつけられ、結局告知をしました。結局ほぼ1カ月で他界しました。
その間は、何とも表現できない、憤り、悲しみ、不安、何に対してなのか分からない怒り、父への愛しみ等々様々な感情が自分の中に渦巻いていました。
しかし父の死後直後からでしょうか、「俺は親父の息子だったことが誇りだ」と思え始めてからは、却ってそれまで以上に父の存在を身近に感じられるようになりました。生前以上にです。
今でも50になる初老の親父が、その親父の存在を心中に持っています。つらいときには親父が励ましてくれます。苦しいときには激励してくれます。
kasuteraさんもお母様の死を見るのではなく、「存在」を感じ、見てください。お母様がなくなるまでの短い間を、その存在をもっともっと自分に刻み込むための時間としてください。充実した二人の時間を持ってください。
姿形は仮のものだといいます。お母様が亡くなることを考えるのではなく、心にお母様を存在させることを即ち生き続けることを考えてください。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
bigtotoroさんも、大変でしたね。
私は母親のことは、あまり好きではないけれども、死んだら困ります。
「存在」そうですね。
今はまだ、自分で歩いているけれど、そのうち、脱毛や嘔吐を見るのかな。良い形で「存在」を刻むことができるだろうか。

お礼日時:2003/06/27 00:36

親の死は、ひとによってそれぞれ違うと思います。


また、死に方によっても変わるのではないかと思います。
私の場合、父親は庭で倒れているを発見されてから、意識の戻らないまま半月後に他界しました。
集中治療室で機械につながったままの姿をみていると、いっそ早く楽にしてやりたいとか、いやそれは子として願ってはいけない事なのかと、自分自身の気持ちの整理が付かないまま、終末を迎えた次第です。
意識のあるうちに、できるだけの事をしてやれたらばと、それが残念でなりませんでした。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
人それぞれだけど、それぞれの気持を聞いてみたくて質問させていただきました。
「順番」なので仕方がないと思うけど、弱る親は見たくない。
自分勝手ですね、私。

お礼日時:2003/06/26 20:51

 私も両親を送った人間です。


 父は急死で5分で他界しました。死因は急性心不全でした。
 葬儀を出しても実感が湧かず、1年くらい経って他界を実感した者です。
 母は、10年闘病生活をしました。
 何度も、救急車とか、急患で病院に運んだものです。
 仕事を持っての看病ですから非常にきつかったです。
 危篤状態は、職場に病院から容赦無しで電話は入りますし、仕事に穴は開けれない等フルタイムでの勤務は、両立が厳しかったです。
 長いこと闘病が続くと、しんどさから早く解放して欲しい気持ちに代わり、早く天国に行って欲しいとも思いました。
 要は闘病も、長くなると看護疲れで疲労困憊ですので、自分の健康管理と気力を要求してきますので、病気など掛らないように十分注意して下さい。
 最後の気持ちは、通らなくたはならない道(人生)だから仕方無いと、割り切り看病生活を送りました。
 葬儀が終わってからの方が、気持ち的に追い込まれますので、放心状態も葬儀終わった後ですので十分気をつけて下さい。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
ここ一ヶ月、いろいろありすぎて、もう何ヶ月もたったような、疲労感があります。
母の闘病生活が長くなるのか、どうか。
長くなって欲しい気が、今はしています。
母に良く接するためには、自分の心身のコンディションも良くなくてはいけないと思うので、健康管理をしっかりしなくては、と思っています。

お礼日時:2003/06/26 20:13

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