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生きることと死ぬことの共通のファクターって何だと思いますか??

A 回答 (14件中1~10件)

こんばんは。



「生きること」と「死ぬこと」に共通なファクターは、
「どちらもあなたに権利があるということ」だと思います。

「生きる」ことは義務のように言われますが、義務ではないと思います。
「死ぬこと(自殺すること)」はいけないことのように言われますが、死ぬ権利はあると思います。

単に自殺を肯定するわけではないのですが、
私は私なりに根拠を突き詰めていった結果、
「生きる理由も死ぬ理由も同様に無い」という結論に至りました。

ただ、cafebrownさんがどういう意図でこの質問をされたのか分りませんが、
死は恐ろしいことだと思います。真っ暗で、絶望的なことだと思います。

死の縁の闇の中で改めて人生を見ると、中には光るものも見つかります。

後半、回答とは関係ありませんが…参考までに。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
今、このような事態が起きている世の中で、生と死について深く考える時は、今しかないんじゃないかと思い、質問させていただきました。
生きることにおいて、権利や義務があるとは考えてもみなかったです。

ありがとうございました。

お礼日時:2011/05/09 23:35

どちらを選んでも地獄というか最善の結論にはならないということ(ハムレット?)から、


これは共通だといえます。
人生と言う言葉が浮かびます。
死も含めて4区八苦と言うくらいだから
おしゃかさまは自殺を肯定したのでしょうか。

でもひとは人生において能動的にはこの二つしか選べないので、結局最後には宙ぶらりんの痴呆状態になるリスクも避けられない。自業自得か。

あ、みみーさんだったかやややさんだったかが言ってたような。
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良く働く事だと思います。


良く働いて生き、良く働いて死ぬ。

ちなみに孔子はこんなことをいってます。
「民の義を務め、鬼神を敬してこれを遠ざく。知と謂うべし。」

「われわれは、ややもすれば人間を超えた存在に
 頼る気をおこしがちだ。しかしまず人間として
 やらねばならぬことは何なのかと考えること。
 それが知だ。」

なんか生き死にを論ずる事に、否定的な言葉になってしまいました。
申し訳ないです。謝意表明。
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死は生の部分集合だから、死の要素(元)すべてが生の元だよ。



全体集合から生の元を除外すると死の元も無くなる。
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生きることと死ぬことの共通のファクターって何だと思いますか??



○どちらも人生という台本の一部ということですね。台本には登場場面「生まれる」から「成長」・・現在のように人生とはと迷っているあなた「質問しているあなた」・・「老いて死ぬ」までありますね。
これは誰しもいっしょですから。変わることはありません。生まれて死ぬまでが人生ですから、どう生きるかだけでしょうね。終り、死は必ず来るものですからね。だから終りだけは天命(舞台監督)に従うというだけなのですね。
当然、台本は自ら終りにすることもできますが、それは人生という努力の放棄ですから、あとできついお仕置きはありますね。これは、舞台にあなをあけて乾される役者とおなじですね。だから「くるわないかぎり」常識的にはやらないですね。
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 自殺を含め、己自身の意志的な足の踏み入れではない。

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 “生きなければならないし、死ななければならない”については素晴らしい回答が出たので、そちらをどうぞ。



 蛇足かもしれませんが、「苦」はファクターの一つと思います。
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元々その二者は同一の本質を有します。


人は往々にして、「生とは死を避けた所に残るもの」
=生と死は対立概念だと思いがちですが、その実、
より良く生きる事とは、より良く死ぬ事なのですから。

人類の遺伝子にも、DNAの最後に回数券のような
くり返し配列が(50回ほど)あり、細胞分裂する毎に
くり返しが1つ減って、なくなると細胞分裂できず、
新陳代謝できずに老化して死ぬようになっています。

生物は、有性生殖以前の「突然変異による多様化と、
その淘汰による選択」という人まかせで遅い進化に
対して、交配する事で、遺伝子の配列をシャッフルして
多様性を生み、また交配のための種内の競争による
選択という、すばやい進化を可能にしたのです。
そこにおいて、世代交代しなければ個体数が増える
一方なので、自ら寿命を制限しているのです。

細胞分裂で増えるゾウリムシ(単細胞生物)は、有性
生殖など必要ないようですが、実は時おり、他の細胞と
くっついて遺伝子を交換する、「接合」を行います。
もし接合をせずに、細胞分裂だけしていると、百数十回
分裂したところで、それ以上分裂できなくなり死にます。
接合をすると、また若返って、百数十回分裂できます。
それほど「遺伝子の交配&そのための死」というのは、
進化(=より良い生)に有効なのです=長生きは退化。

死は世代交代を意味し、その有性生殖において愛は生じ、
親や子供は存在するのです。
自己チュー化の中で人は、不死の幻想を抱きがちですが、
人も愛さず子供もいない社会は魅力的ではありません。
逆に愛があれば、自己の肉体の限界を超えて、意志
(=精神的充足)は広がり得るのです。
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人は生きてきたように死ぬという言葉を聞いたことがあります。

つまり「生きざまとは死にざま」だというわけです。確かに私どもは「生きつつある」と思っているときに実は「死につつある」と気づかされます。生と死はコインの裏と表のようなもので、表だけがあって裏のないコインがないように、生と死は密接に関連しています。

生と死に共通した要素は生まれた瞬間から死までを共有する「時間」ではないでしょうか。よい人生を生きた人はよい人生を死につつ過ごしたといえます。
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泣くってことかなぁ



生まれる時は自分が泣いて、死ぬときはだれかが泣く。。みたいな。

あとは自分の意志ではどうにも出来ないことかなって思います。
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