プロが教えるわが家の防犯対策術!

類似の質問がすでにあり幾つか見ました。否定派肯定派いろいろいました。
あえて掲載しませんが、それぞれの意見はおおむね以下の4つのパターンに分類できました。

A:「見てみたい」という衝動そのものを根本的に否定し人格否定をする、完全否定派の人
B:「見てみたい」という衝動とは関係なく、渋滞の要因となっているなど迷惑をかけていたり、記念撮影を行う不謹慎な人や行為に限定して批判をする、限定的否定派・派生否定派の人
C:迷惑をかけなければいいとする、条件付肯定派の人
D:多くの人に知ってほしい、見たいという気持ちを持つのは当然、自分も行ったという、肯定派の人


「迷惑をかけるのはダメ」というのは、震災云々に関係のない当たり前の話なので、Bは除外します。ただ「見てみたい」と思った人は必ず迷惑をかけるなどとする論はあまりにも乱暴すぎるので、「迷惑をかけない見学」があるものとします。

※どのようにしたら迷惑をかけないかとか、迷惑をかけている人がいる・いた、という話は質問の対象にはしません。


「被災地を見たいという気持ち」についてどう思うか?
(1)あって当然の気持ちであり、特に抑制すべきものではない
(2)あって当然の気持ちだが、それは理性で抑えるべき
(3)「被災状況を見てみたい」という思いを持つことそのものが不謹慎
(4)その他

この辺についてのご意見をお聞かせください。
まずは回答者の方個人が(1)~(4)のどれに該当するかを教えてください。

よろしくお願いします。

A 回答 (9件)

私は、どうあれ、(1)です。


阪神・淡路大震災と「どこがどう違うのか」知りたい、また問題点も発見したいと考えている、阪神のときの経験者だからかもしれません。
そもそもアーダコーダ言っている人たちの大半は現地を見ていないはずです。原発にしてもしかり。その点、比較的一般人に近く(といっても原発関連の要職に就かれている)、自ら取材に赴いた青山繁晴氏(元記者でもある)の行動は当然のことといえます。
もちろん私は記者でもマスコミでもありません。ただの一般人です(情報発信はしています)。しかし、阪神のときもそうですが、肌で感じないとわからない被災地の状況というものは、映像という2次元の世界と実際に見る3次元とでは必ず異なって見えるはずです。
物見遊山ではなく、じっくり腰をすえて現地でつぶさに見てみたい(ボランティアも兼ねて)とは思いますが、金銭的な部分からそう簡単にいかないのが現実です。
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この回答へのお礼

> 阪神・淡路大震災と「どこがどう違うのか」知りたい、
> また問題点も発見したいと考えている、
> 阪神のときの経験者だからかもしれません。

私は「何があったのか自分の目で見てみたい」という感じです。でもその衝動の理由を自分でもうまく説明できないのでそれが少しでも分かればと思い質問をしました。

余談ですが神戸のときは2・3日に分けて尼崎から明石まで歩きました。これもうまく説明は出来ませんが、いろいろ感じるところがあり行って良かったと思っています。今回は時間的余裕がないのでおそらくは行かないと思いますが。

参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2011/05/02 17:16

あ、やはり「現地で」が付くのですね。



最近は「勝手に深読みして書いていないことに答えるな!」とお叱りを受けることが多いので、あえて「見る」だけに拘ってしまい、失礼しました。

>テレビで被災情報を見るのと、現地に行って見るのでは、構造は同じように感じます。違うところがあるのでしょうか?

テレビで見るのは安全地帯に我が身をおいて情報収集したい、自分が住む国で何が起きたか知りたい。という誰もが持つ欲求を満たすための手軽な方法、しかし、誰にも個人的に迷惑をかけません。
(現地で実際に見なければ分からない。という論もありますが人間は文字だけでも情報を正確に得ることが出来ます。見なければ分からないという方は想像力が欠如しているように思っています。)

現地で見なければ分からないという方が行くことは止めなくてもいいでしょう。
(物見遊山でなければ)

現地に行くことについて私を例に挙げますが、私は足に障害を持っているため現地に行けば本当に『見る』だけしか出来ません。

目の前に力仕事の人手が足りない状況を見ても手伝うことも出来ない。
地震警報で避難する時には誰かの手を借りることになるかもしれません。

それを考えれば私は行くことができません。

現地に行っていいのは現地で役に立とう、危険なことがあっても自己のことは自己で面倒が見られる。
現地の人と同じ復興という目的を持ち、自己を犠牲にすることも厭わないという方だけだと思っています。

「見に」行くからには役に立ってもらいたいものです。

この回答への補足

「迷惑をかけるのはダメ」というのは、震災云々に関係のない当たり前の話なので、「迷惑をかけるのはダメ」は除外してください。

繰り返しになりますがテレビで見るのと見に行くのでは何が違うのでしょうか?

テレビを見て困っている人を見て笑うのはOKなのでしょうか?
行って何もしないことは本当にダメなのでしょうか?
本当は5万10万くらい余裕で募金を出来るのに、1000円未満の小銭しか募金をしないもしくは全く募金をしない人はダメなのでしょうか?

補足日時:2011/05/08 08:41
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この回答へのお礼

見に行った場合、どんなに気をつけても絶対に少なからず迷惑がかかるということが前提なのですかね。その上で、迷惑を上回る分の貢献をすればいいということなのかなと解釈しました。だから物見遊山気分のテレビ観賞については、誰も問題視しないのでしょうかね。

なんとなくわかりました。ありがとうございました。

お礼日時:2011/05/08 08:47

非常に難しいですね~



実際に被災地へ行ってましたが…まぁ~観光客のマナーが悪い!そしてボランティアで来ていた大学生の一部も非常にマナーが悪く遊び半分って人達もいました、思わず怒鳴ってしまいましたが…被災地の方々はそんな中途半端な人達にも笑顔で接してました。

と言うことであえて(4)とさせて頂きます。
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この回答へのお礼

なるほど。本当に特筆するほどマナーが悪い傾向があるのですね。
大げさに言っている人がいるだけなのかと思っていました。
参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2011/05/02 17:47

(1)あって当然の気持ちであり、特に抑制すべきものではない


ですね
被災地の生活や復旧の妨げになるような行為を慎めば問題はないでしょう
興味本位だろうが物見遊山だろうが、人の集まるところにお金が落ちるわけだしね

物見遊山気分が駄目だと言うなら、東北に観光にはいけないですよ
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この回答へのお礼

>興味本位だろうが物見遊山だろうが、
>人の集まるところにお金が落ちるわけだしね

そういう考えですと、私は今年は青森に観光にいこうと思っています(被災地には行かないと思いますが)。今年は東北は観光収入が大幅に落ち込むと思うので少しでも支援したいのと、前から行きたいと思っていたのと、今年は空いていそうですので。余談ですけど。


>被災地の生活や復旧の妨げになるような行為を慎めば問題はないでしょう

なるほど。参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2011/05/02 17:57

(1)あって当然の気持ちであり、特に抑制すべきものではない



視察として、今後の成り行きをテレビと新聞・ネット以外の情報として肌で得られるのではないか。銚子に行って来ただけで、2.2mの津波と観光地の客の消滅した厳しさ、商店街・漁船・宿泊施設の今後はどうしたらいいか、理解と考察に役に立った。

つぶれてしまった街の回り何キロも、人っ子一人いない道路、開店休業中の商店と民宿。客として現れる、地元の物を買う、大量に買い付けて自分の街で売る契約を取る、などできる事もある。

たとえば、学校や幼稚園のバザーに災害地(東北だけではないのです)の物産展を出して助けになれば、それも良し。宿泊が大量に開いてますから社員旅行・合宿の相談を入れるとか。テレビの前に座っているだけでない、一歩進んだボランティアの形が訪問する事で形を取る事が出来ます。

やだねー、こわいねーと爪先で歩くだけならお断りです。
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この回答へのお礼

たしかに現地に行かなければわからないこともありますよね。
ただ、ほとんどの人が見に行っただけで終わると思うので、被災地に及ぼす直接的な影響としては興味本位の人と違いはないのではないかと思います。

結局、本人の気の持ちようとかが大事なのですかね…。

参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2011/05/04 10:16

机上の論はさておき、現実は大多数の人が見たいという欲求が有って(需要)、その欲求は抑制は否定されるものではないからTVで毎日被災地の様子を流している(供給)わけですね。


(「ここには〇〇が有りましたが、津波の力で影も形もなくなってしまいました。」とアナウンサーが毎日何処かで言ってます。)

この現実を受け容れている私は

(1)あって当然の気持ちであり、特に抑制すべきものではない

です。

TVという文明の利器を使って『個人的には誰にも迷惑かけず』自分の意思で見ている人間に(2)(3)は有り得ない気がします。

ご質問に『現地に行って』が付けば、また違った回答になりますが・・・。

この回答への補足

>ご質問に『現地に行って』が付けば、また違った回答になりますが・・・。

明記していませんが「現地に行って」という意味のつもりでした。テレビで被災情報を見るのと、現地に行って見るのでは、構造は同じように感じます。違うところがあるのでしょうか?

この点は、本当に知りたいところなので追加でご意見をいただきたいです。よろしくお願いします。

補足日時:2011/05/04 09:24
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この回答へのお礼

>現実は大多数の人が見たいという欲求が有って(需要)、
>その欲求は抑制は否定されるものではないから
>TVで毎日被災地の様子を流している(供給)わけですね。

そうですよね。「見てみたい」が「不謹慎 or 控えるべき」なら、テレビを見るのも放送するのも新聞で記事を書くのも「不謹慎 or 控えるべき」ということになりますよね。

参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2011/05/04 09:24

是非見たほうがいいと思います


自然の脅威と人間の無力さと驕りが見えるかもしれませんし
明日は我が身で教訓になるかもしれませんし

松島は遊覧船も運航してますし、旅館も営業してます
お泊りで是非おいで下さい
松島は島々が自然の防波堤となり被害が少なかったのです

まだ少し余震がありますが、大丈夫ですよ
義捐金のつもりでお金を消費してください
亘理町では被害の大きい場所は通行許可証が必要です
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この回答へのお礼

今回は、時間的余裕があまり無いのでタブン行かないと思います。私の場合、本当に行きたいと思ったら人にどう思われようと行くと思います。

それが悪いことだとは思わないのですが悪くいう人が少なくないので、その点だけにしぼっていろいろなご意見を聞かせていただきたいと思って質問させていただきました。

東北方面の旅行という意味では、前から行きたいと思っていた恐山に今年こそは行こうと思っていました。「松島は島々が自然の防波堤となり」これはいろいろ感慨深いですね。松島も検討しておきます。

参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2011/05/04 09:15

難しいですね!


恐らくほとんどが物見遊山で、現地に行ったら写真パチパチだと思いますが、たとえそういう人でも、現地に行ったら何かしら買うだろうし泊まるだろうし利用するだろうし・・・
そう考えると、現地が直接・間接かかわらず、潤うきっかけにもなるわけです。

ですが、質問が「被災地を見たいという気持ち」に限定して、波及や影響するさまざまなことに対する回答は除外してますから上記のことはとりあえず無視するとして、その前提でいえば個人的には(3)かもしれません。
単に被災地を見たいというのは(二度と見られない光景なので)興味があるからですが、亡くなった人や被災して不自由な生活を送っている人もいるので、そういうことをどの程度意識するかだと思います。
自分の興味を優先するのか、被災した人の気持ちを酌むのか、そういう気持ちの問題だけを考えたら行けないはずです。
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この回答へのお礼

>そういう気持ちの問題だけを考えたら行けないはずです。

なるほど。

私の場合、自宅が火事の被害にあったことがあり、
避難所生活をしたことがありますが、
AM03時頃であるにもかかわらず、多くの見物客がいました。
それは当然のことだと思いましたし、不愉快だとも感じませんでした。

もしかしたら自分が平気だから人に対する配慮が足りないのかもしれません。
この辺は人により感じ方が大きくく異なるのかもしれませんね。

参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2011/05/02 17:45

私個人としては、正直なところ(2)の気持ちです。



そして、物見遊山の気持ちで被災地に出向くようなことがあっては絶対にならないと思います。

また、(3)を選ぶ人の気持ちもわかりますし、そもそもこんなところに「被災地を見てみたい」なんてのんきなことを書くべきではないというような事もあると思います。

しかし、「どんな状態なのだろう」という気持ちがあるのは否定できませんね…
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この回答へのお礼

なるほど。参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2011/05/02 16:55

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