
言葉で「斬る」という表現があるように、しばしば言葉は武器だと言われます。なるほど論理的に冴えている言葉は冷ややかで、刃物に喩えるのが相応しいと思えます。それでは仮に言葉とは、刀のような武器だとしてみましょう。しかし、言葉を発することが、すなわち抜き身の刀を振りかざすことであって、相手を傷つけるかもしれないとは、恐ろしいことです。そこでこの比喩を出発点に、僕が考えてみた疑問は次のものです。
(1)武器を持ち歩くからには、近世の武士のように刀を管理するモラルのようなもの、さしずめ言葉の武士道のようなものがあるのか。それがあるからこそ、皆は言葉という武器を持ち歩いていても、平然としていられるのか。
(2)よりよく斬れる刀と、あまり斬れない刀の差はどこにあるのか。鋭利な刃物である言葉は、そもそも何を斬っているのか。自分の言葉は斬れる方がいいと思うか。
(3)ラヴ・レターの言葉や慰めの優しい言葉は、本当は何か悪しきモノを断ち切っているからこそ、逆説的に心に響いてくるものなのか。あるいは優しい言葉が存在するということは、言葉が常に武器ではないことの証拠となるものなのか。
特に(3)の問いについていえば、言葉の作用の仕方はケース・バイ・ケースだと言ってしまえばそれまでですし、この設問は比喩を過剰にした遊戯なのです。ですから投稿者の方が遊びにのって下さらないと、簡単に破綻する緩い設定の質問なのです。しかし遊びから出発して、言葉の作用する性質の一端を知ることもできるかもしれません。皆さんのお考えを聞かせてください。
No.6
- 回答日時:
言葉は自分を切っていることになりにけるかも。
相手を切っているつもりが、実は自分を切っている可能性も
なきにしもあらずや。また、それを認識すればこそ
これ、すなわちモラルとなるニダ。
よく切れる刀は、間違った方向をもつ空間ベクトルを切っている。
(方向性の修正をうながす)
さらによく切れる刀は、時間軸を切っている。
(直進を断念させ、分岐点からやり直しを考えさせる)
優しき言葉は自分の心を切って心の内を見せている。
つまり刀は自分と時空間を切っているに過ぎない。
他人に切られたと感じるのは、妄想である。
ただし、老獪な卑怯者が使う言葉は、相手の過去に切りつける事に
よって現在の相手自身の存在を傷つけようとする。これ、すなわち
悪魔の剣である。
しかし、悪魔の剣に対しての、受け方は、神が答えを出している。
「安心しなさい過去は過ぎ去った。悔い改めよ、されば悪魔の問に
答える必要など無い。過去は過去として神が認めた過去なのだ」
善き質問に感謝ハムニダ
お見事ですね。僕は剣道も居合も、とても修行したとは言えません。しかし師範が、「刀は己の心を斬るものだ」と言っていました。論破するだけではなく、導く言葉もあります。導く言葉が 真摯なものとして伝わるのは、言葉が単に優れているのではなく、言葉を振るう者が推敲の過程で、自らの心を練っているからだと思えます。
迷いや、憎悪など、気持ちを削ぎ落として文章を書くと、大体、よいものになると僕は思います。憎悪をそげば、嫌味が抜けて、「善い」モノにはなるでしょう。しかし同時に、過不足なく論旨も明らかになるので、優れているという意味でも「良い」モノにもなると僕は思えるのです。
悪魔の剣ですが、剣とお書きである以上、諸刃なのでしょうね。意地を張って、とにかく切り返してくる人はいるものです。僕はあまり相手にしません。相手は斬ったつもりでも、実は斬れていないからです。
他に僕は妖刀というのはよく知っています。斬らないでいいモノまで叩き斬る言葉です。たとえば喧嘩するつもりが無いのに、(当たりだとしても)相手の心を見透かしたことを言ってしまうのは、斬り過ぎというものでしょう。名刀は斬れ過ぎてはならず、斬る必要があるものだけをピタリと斬ると思えるのです。もしご関心があったら、どのような言葉が名刀とお考えか、聞かせてください。
余談ですが、小説、拝読しましたよ。結構面白いではないですか。どうぞ続けてください。SFと銘打ったのがマズかった気がします。というのも、SFだと聞けば、娯楽小説だと思って読みだすでしょう。しかしあれはスターウォーズを読むような娯楽とは違って、何かの不条理を考えさせるものに思えたのです。いっそ不条理劇のような形式をとるのが面白い気がしました。
No.5
- 回答日時:
回答したいと思うと同時に、慎重な回答をしなくちゃあかんな、と思うわせてくれる久方ぶりの問いかけでござる。
最初にお断りしておきたいのですが、愚拙の回答は、武士道の文脈ではございません。
武士道-山本定朝、新渡戸稲造系ではなく、剣術-宮本村出身の武蔵(たけぞう)君の視点で回答させていただきたいです。
すなわち、言葉は武器である。
問いかけ(1) 否。まったく管理されない状態。ジャングル。相手が切られて血しぶきを出しているにも関わらず平然としているだけ。ただし、物理的な剣で人体を切った場合には、大抵の人がある出血量で死ぬことになっておるが、言葉の剣で切られた場合の致死量は個人差が大きく、蚊に刺された程にも感じない者が居るかと思えば、再起不能にまで追い込まれてしまうほど傷つく人もおる。
問いかけ(2) 言葉は言葉を切る。自分の言葉はより切れる方が良いに決まっている。言葉は武器なのだから。
わかりやすい例をあげれば、政治家どもが質疑応答をしている議場とか、法律家どもが裁判している法廷を想像すればよいと思う。日常の生活にも、政治力の行使とか、権利・義務の議論はちりばめられており、強力な武器としての言葉を持っている者が、この俗世間を勝ち抜いている。一番良い例は、合衆国の大統領選挙ではないかな。はじめに言葉あり。その後に言葉あり。それ以上何もなし。
大統領候補でもなく、弁護士でもない俗世間の人間が切れる言葉を持っていた方が良い点はなにか。それは競争に勝つ側面だけでなく、切らずともよい部分まで傷つけてしまうリスクが少ないからじゃ。鈍(どん)なる刃物で刻んでは切り口がギザギザになって痛いし、治癒に時間がかかり、かつ傷跡が永く残る。
問いかけ(3) 恋文の言葉と慰めの優しい言葉とを同列に論じることはできない。まず、恋文は典型的に目的を持った文書であるから、目的達成のための武器の優劣が極めて重要である。鈍(どん)なる言葉で明眸皓歯、一顧傾城の美女を獲得できるわけが無い。「愛さえあれば、言葉は要らない」なんちゅうのは、武器としての言葉が貧弱なる者の負け惜しみですね。
一方の「慰めの優しい言葉」に関して仔細に分析してみると、二種類に分けられるようだ。ひとつは、恋文と同じで、信仰宗教の勧誘員が信者獲得という目的をもって語りかける優しい言葉、そう、武器としての言葉だな。もう一方は、なかなか見極めがつかないが、見返りを一切期待することなく、相手のことだけを思って語りかける優しい言葉です。なかなか実例が思い浮かばないほど稀有だと思いますが、お釈迦様が赤の他人に優しい言葉を掛けたなんてこともあったのかもしれない。こちらは、なにかを獲得するという目的を持たないので、愚拙が提唱する「武器としての言葉」の範疇外だなぁ。
さて、ことほど左様に言葉には武器としての側面が大きく強いので、まずは武器としての言葉の利害得失を良く理解したいところですが、日常生活に飛び交う言葉のうち「言葉の下痢」というのがあるのでこれはこれで峻別するべきです。
言葉は本来、話者から他者に伝えるものですが、他者に伝えるという目的を忘れてだた虚空に向かって発せされる言葉のなんと多きことか。これを言葉の下痢といいます。とまらない。始末に負えない。迷惑。
英語でスピーチ・ダイアリア、ドイツ語でシュプラーハ・ドゥルヒファレンと言いますが、実際に英語人、ドイツ語人に対してこの「言葉の下痢」という概念を説明したところ、すぐに理解してもらえたので、文化を超えて下痢が蔓延しているのでしょう。
武士道とは関係なかったですが、武蔵(たけぞう)あらため宮本武蔵が書した五輪書を読み直しながら、武器としての言葉の使い方を観が直してみるのも一興ではないでしょうか。
親方、どうもありがとうございます。僕の問いの枠に沿ってくださったわけですが、総合すると、言葉を発するのは、何かを獲得するためであり、目的をもって使役する以上、武器であるということですね。したがって、目的を持たない無償の行為に伴う言葉に関しては、武器の比喩は当てはまらない。また目的無く垂れ流す言葉は不快である。こういうお考えのようです。
この設問、僕は、人それぞれ、どの場面で言葉を操ってきたかが、もろに出てくると思っています。おそらく親方は、ビジネスの世界で生きてらっしゃったのかもしれない。それなら会社の利益なりを背負ってるわけで、下手に譲歩するわけにはいかなかったのだろうと思えます。目的を明確にもって、そのために言葉を振るっていらっしゃった。そういう方の経験を聞きたいということではあるのですが、少々、反論させてください。
たとえば相手を論破することが商売である場合、切れ味のよい言葉をもっていた方がよいでしょう。弁護士などその典型です。相手を打ちのめせば、それだけ結果が出ると言えます。剣客商売をやればよいのです。
しかし、選挙演説の場合はどうでしょうか。対立候補をやっつけ過ぎると、逆に「この人は冷たい人だ」ということで、票が逃げてしまうのではないでしょうか。それよりはいっそ、バカかもしれないが、実直な方がよいということはあるでしょう。会議でもそうではないでしょうか。相手を叩き潰すより、まぁまぁなぁなぁとやった方が、提案した議題が可決しやすくありませんか。恋愛も同様です。俺はすごいのだぞ、おまえを愛していると言い続けると、大体は失敗します。どうも駆け引きが必要で、常にスパスパと切れ味のいい刀を振るっているのが上策とは限りません。
こうなると言葉は武器ではあるが、電光石火の如しと、機を捉えて相手を叩ききればよいのではないらしいということになります。むしろ、実は、何かしらのルールに則って、美しく斬らねばならないのではないか。そのルールを外れてしまうと、「外道」という烙印を押されてしまうのではないか。親方は切れ味の良い刀の方が、傷も直りやすいとおっしゃっているが、ここには相手への配慮があるわけです。何かモラルがあるような気がしますが、いかがですか。
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