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この間、客観的だと先が読めるという
「岡目八目」ということわざのことを
質問しました。

http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=671164

これについていろいろ知りたいことがあるのですが、
このように先が読めるという人の心理状態を
心理学では何と表現していますか?
またそのような研究はいつごろ誰がどんな研究
対象で始めたのでしょうか?

 
 例えば「人間の見る夢について」という質問
なら、「フロイト」が性の意識と関連付けてと
いうような答えがあると思います。
そんな感じの答えが欲しいのですが。
 

A 回答 (3件)

「岡目八目」の質問スレッド、拝見させていただきました。

僕は、詳しくないのでズバリとは答えられませんが、これ、絶対に面白い研究がありますよ。

「岡目八目」の心理学的研究ということですよね。この場合、客観的だとなぜ先が読めるのか?というよりも、客観的な立場だとなぜ判断力が上がるのか?あるいは当事者はなぜ判断力が下がるのか?という問いの方が心理学的だと思います。つまり「岡目」(客観的な視線)にあるとき、判断や思考を阻害する要因は無いか、あっても当事者で入るよりは少ないが、当事者である場合、僕らは往々にして十分な判断や思考ができず、結果的に判断を誤ることがある。それはなぜか?という研究。

例えば、航空機の事故についての研究があります。ある航空機事故が起きたとき、車輪が出ないことに気を取られた搭乗クルーは機体の高度がどんどん下がっていることに気付きません。しかし、管制塔はそれに気付き、機長に対し「大丈夫か?」という質問を送りました。機長は、出ない車輪について、なんとかするよ、という意味で「大丈夫だ」と答えました。その航空機は結局墜落してしまったそうです。

そのような場合、まず航空機の搭乗クルーが冷静さを欠き、客観性を失っていた(広い視野を失っていた)ということが言えると思います。彼らの思考は、出てくれない車輪のことでいっぱいになっていたということですね。そのために管制塔からの言葉は、機体の高度についてのことだったのに、車輪のことだと勘違いしてしまったわけです。管制塔は、てっきり高度のことに気付いていると思っていたために「大丈夫だ」という答えを聞いて安心してしまいました。緊張と安心の差はありますが、どちらも客観性を欠いていたと言えると思います。

「岡目八目」についても、同様のことが言えるのではないでしょうか? 目の前に勝負がある人と、そうでない人の場への参入の具合とか、感情の昂ぶり方の違いとか、制限時間のプレッシャーとか客観的で冷静な思考と判断を阻害する要因はたくさんあると思います。

で、僕の回答ですが、心理学は、いろいろな立場や考え方があり、ちょっと分野を特定するのは困難です。ただ、状況判断ということで、人間の認知過程を扱う認知心理学や認知科学の状況論的アプローチや、人間の心理過程における社会的な影響と研究する社会心理学などがあげられるかな、と思います。apple-manさんが挙げておられるフロイトですが、彼を出すなら、緊張しやすい性格の心理療法というような感じで臨床心理学やカウンセリング心理学なんでしょうが、それでもたぶん、フロイトは出てこないでしょう。錯誤行為ということで防衛機制論と絡めてフロイトを出しても良いけど、ちょっと無理しすぎな感じ。臨床を追っていけば、フロイトの弟子筋は出てくるかもしれません。

例に挙げた航空機事故の事例は東京大学出版から出てる上野直樹『仕事の中での学習 状況論的アプローチ』を参考にしました。前述した「状況論」の入門書です。apple-manさんの質問に直接答える本ではないし(ヒントはいっぱい詰まってると思いますが)、ちょっと難しく、やや退屈な本かも知れません。でも読むと世界の見方が少し変わります。

参考URL:http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cg …
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この回答へのお礼

詳しいご回答有難う御座います。

私はよくアマゾンで本を買うんで
そちらの書評(レビュー)を見ましたとこと
心理学者のフィールドワークなどという言葉
あり、専門家の分析本のようですね。
買ってみます。

 この本を買った人が他に読んで
いる本のタイトルの中に認知科学というキーワード
が見えましたので、この辺も参考になり
そうです。

お礼日時:2003/10/11 07:13

♯1の者です



>自分が責められそうになると、
>まず他人のせいにして怒るという心理的自己防衛
>のようなものでは?
>もしその辺の研究が進んでいるのなら知りたい
>というのがこの質問の趣旨です。

そうでしたか・・・?

「岡目八目」や「判断力」(自分に対しても・他の事物および人に対しても)は、客観性の問題で、appleさんが仰るとおり、自分に対してはあまり客観的になれないんですよね。

しかし、そもそもから自己防衛本能という無意識の方面をお考えになっていたのであれば、それはもう、始めた人は「フロイト」で、時期は「19世紀末」、というのが回答になります。
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この回答へのお礼

防衛本能はフロイトの研究でしたか。
調べてみます。有難う御座いました。

お礼日時:2003/10/15 21:56

こんばんは



ある環境下に置かれた人間の行動が、ほぼ確実にある一定の行動パターン取るからこそ心理学が成り立つのでは?

つまり、ご質問自体が心理学そのものであり、先を読むことが出来るのは特殊な心理状態のおかげではなく、人の心理を知っているからこそ、先を読むことができるのだと思います。客観的になれば冷静に状況を判断できます。そして知識や経験から対象となる人の今後の行動がわかるのでしょう。
ということで、そもそも質問が成り立たないように思われるのですが。

ここではむしろ、客観的に判断する人間の能力は何か?、ということではないでしょうか。
それは、「物事を推理したり結論づける精神能力」である「理性」ということになります。そして、この理性を対象として学問し始めたのが、中世ラテン教父のアウグスティーヌスの『ソリロキア』という自分と理性との対話であります。もちろん、彼も心理学史的に分類されるので、質問からは外れていないと思われます。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Soseki/5237/p …

したがって、客観的な心情は理性と呼ばれるものであり、その端緒は、アウグスティーヌスで、始めの対象は自分自身の心であった。

(これでどうかご容赦ください)
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この回答へのお礼

有難う御座います。
参考にさせて頂きます。

>ある環境下に置かれた人間の行動が、ほぼ確実にある一定の行動パターン取るからこそ心理学が成り立つのでは?

 わが身のことになると、突然判断力が落ちる
といところに人間特有の心理があるのではと
考えています。
 
 深く考えた結果、自分が不利な状態にあると
いう結論にたどり着けば、自分を追い込むことに
なりますから、そうならないよう考えること
から逃避する心理が働いているのではないかと
考えています。

 自分が責められそうになると、まず他人のせいに
して怒るという心理的自己防衛のようなものでは?
と予想しているんで、もしその辺の研究が
進んでいるのなら知りたいというのがこの質問の
趣旨です。
 

お礼日時:2003/10/11 06:21

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