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"個人住宅が自然を食い荒らさないよう、田舎の真ん中に高層共同住宅を建てるべきである。だれもが小庭園つきの田舎の別荘などをもったら、田舎などはなくなってしまうことを忘れてはならない。
これらの高層共同住宅は、人間の生活に必要な設備をすべて備えたものとし、5万人程度は居住できるようにする必要がある。
人類は、自然を再創造できないかぎり、また自ら創造者でないかぎり、自然を尊重しなければならない。(ラエル)"

田舎 → 人類の生命の源 → 食糧生産基地 。
田舎の減少を止めるべく高層住宅の推進建設が明示提案されていますが、日本政府その政策立ち遅れてはいないでしょうか? 自然を尊重しない日本政府、自ら創造者のつもりなのでしょうか? すべての政策がすこしづつ狂いだし現在に至るとはいえないでしょうか ? 配慮のない無能金権腐敗その政策により、農地は転売され、それにより耕作面積の減少、食糧自給率低下、海外の農産物を買えばよいとする安易なショッピング思想、無危機管理、目に余るものがあります。 農業以外の産業等もそれらの施設の集約化高層化とし農地面積の減少を食い止め、食糧自給率回復、農地拡大に参加し協力するべきではないでしょうか? 何かと不透明で見えない政策、居住区とそのサービス等の集約高層化そして余った土地は大きな最新設備導入可能な大農地建設、高層住宅地域と大農地建設この2本を柱とし大別し政治とする土台からの見直しひつようではないでしょうか?
将来予想されえる農作物の不作その被害その対策対応その回避策もなしに大災害に発展するまでわからないそのような国策では無能かつ問題外、政策の引き締めをのぞみたいものです。バイオエタノール等新たな可能性も見え隠れするところですが、、、

所見など ?

A 回答 (10件)

 No.3,5です。



 現在、地方都市の一集落で、法務局・官庁への書類提出・手続きを請け負う仕事と兼業で、地元の営農組合の役員をやっていて、個人では年間3.5トンの米を作って売っています。

 私の住む集落では、農業の崩壊は集落の崩壊に直結し、高齢化・農業人口の減少に対する対策は最重要です。
 ですから、農業に問題意識を持つ若い方は大歓迎です。地方都市では、『本気で農業をやります』と言う人が住んで農業をするならば、遊休農地を無償で託してどんどん使ってくださいと言うところが、探せばいくらでもあります。
 実際に体験してみて、農業の問題点を実感して、実際に問題解決に汗を流して頂けないでしょうか。 

>>耕作放棄された水田がどんどん増えています
食料の備蓄は5年分でも10年分でも多いに越したことはないのではないでしょうか?

 昭和40年頃までは、日本の米消費が1200万トン(現在は700万トン)あり、日本の食糧が不足して(外国からの食糧輸入が少なかった。)いました。
 その頃は、食料管理会計というものがあり、農家の生産した米をすべて買い取り、国が販売を管理して、買占めによる不当利益・米があるのに消費者は買えないという状況が起きないようにしていました。
 ところが、高度経済成長で国民が豊かになってくると、米の消費量が減少し始め、政府が買い取った米が売れ残り、200万トンレベルの在庫が倉庫を埋め尽くすようになり、極めて保存性の良い米の備蓄でも、2年経過した古々米は味が落ちて、消費者は誰も買わなくなり、古々米を豚のえさとして極めて安価に売り払う状況が何年も続き、1兆円を超える大赤字となってしまいました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9F%E7%B3%A7% …
 
 食料備蓄というのは、防衛兵器と同じで、使うことがなければ、いずれはお金をかけて破棄処分しなければならないものなので、必要十分な最小量を確保すればよいものと、私は考えます。
 過去の十数年前のコメ不作の時であっても、残飯などや賞味期限切れで破棄された消費されない食料は、米の減産量の何倍にもなっています。

 基本的に、食糧備蓄は冷害などに対処できる量があればよく、最優先は農地も含めた「災害に強い食糧生産システム」です。
 農地の減少、農業を忘れた国家、は滅亡を意味するものであるのは当然ですが、今の農地減少の主要因は「耕作放棄」であって、農地の宅地化ではありません。
 
 また災害に強い食糧生産システムは、その土地に合った作物を、その土地に合った作り方で作ることが必要です。
 全国一律の巨大化した農地では、そのような災害に強い食糧生産システムに対応できません。
 

>>規模拡大
 泥、土壌の良し悪し、機械導入の明暗を分ける所ですが、水田がだめなら麦畑にてもよいのではないでしょうか?
 麦は、同じ場所で毎年作付をすると、極端に収量が落ちます。
 基本的に、「畑作」で同じ作物を同じ場所で作り続けると、土中の微量成分が減少し、更に前年の病害虫が拡大していき、『連作障害』を起こします。それを防ぐためには、農薬・化成肥料が欠かせません。

 それに対して、米は「水田」で育てるため、大量の水を土地に供給することで、川の水から微量元素(=山の岩石の風化による)が常に補充され、水に守られることによって、発生する病気・害虫は極めて種類が限られています。

 その証拠に、アジアの米作地帯は、同じ面積のヨーロッパなど麦を主体とする農業地域の3倍以上の人口を養っています。
 日本の農業を麦主体にすると、穀物生産の絶対量が落ち、水はけのよい畑の状態を維持するために、降った雨は速やかに排水しなければならず、雨の多い日本の気候風土では、耕地の土壌が水と共に流され(水田で大型機械を使うための乾田化で、既に土壌流出が問題化しつつありますが)、収穫の低い農地となっていきます。

>>公的農業経営について
 農業を魅力的にして、新規営農者を引きつけるには、多様な農業形態を許容できる農業生産システムが必要だと考えます。

 現在の新規営農者は、大規模工場生産の味気なさを嫌い、個人の自由な裁量・発想で仕事が出来る農業に魅力を感じて参加してきています。
 公的農業経営の雇用労働者という職業は、脱工業生産労働者と言う人々にとって、魅力ある職場とは思えません。
 
 農業の魅力や多様性をより大きくするために、『公的政策的に対策を行ずる』ということは、必須と考えますが、20年かけて全国的に圃場の大規模化がほぼ完了した現時点で必要な政策は、更に大きな耕地区画という方向性ではないと考えます。

この回答への補足

>>農業の問題点を実感して、実際に問題解決に汗を流して頂けないでしょうか
 日本は資本主義、金権主義国家であり、価値の基準としてすべてのものを金の数値に換算計算するその教育指導みたいなものが上層部から底辺の人々まで蝕み、金がなければ身動きできない状況を異常なまで露呈しますが、国家行政という看板を持ち、金銭的紙幣的権利権力も認められている公務という存在、先頭をきって国家の実、民法の天然果実といわれるもの、それらを生産し技術を磨き充実とする義務はないのでしょうか?金権主義を掲げる国である以上、農業なりその新たな実を創造する計画、金権を保障される公的公務的人員により執り行われ行動活動されるのが最も手っ取り早いのは言うまでもないのではないでしょうか?
 公的公務的新農業_農業エネルギー生産人員そして基地、整備されるべきではないでしょうか?

 また、石油の可採年数41年とか再生エネルギーのない世界、豊富にあるのは日光だけではないでしょうか?農業によるバイオエタノール等E10とかE50とか農業機械の燃料として生産使用する努力ひつようなのではないでしょうか?

>>災害に強い食糧生産システムは、その土地に合った作物を、その土地に合った作り方で作ることが必要です。
 農業のむずかしいところなのはわかります。

>>土中の微量成分が減少し、更に前年の病害虫が拡大していき、『連作障害』を起こします
 無科学肥料農薬のほうですが、土壌を有用な微生物投入にて管理する、有用な微生物が発酵管理して病害は増加しないと聞いたことがあります?

 多様な農業形態を許容できる農業生産システム_もっともな考えとして同感します。それになお、工業的バイオエタノール用の生産など配慮としたならば農業に取り巻く不安要素徐々に解放へと向かうのではないでしょうか?

補足日時:2011/05/25 13:20
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この回答へのお礼

ご回答有難うございました

お礼日時:2011/05/25 17:29

zakky74でございます。



> 世界にて流行のテーマパーク→ 動物園となっているようですが、人を含めても、内外を見渡しても、そのようなところではないでしょうか? 一方で無機質という学問もあるでしょうが...。

現状はその様なところもあるかもしれません。
ですが、そこに対して絶望はしていません。
寧ろ、やるべき事がハッキリしてくるかと思います。

>>農業が要らないとは言っていません
> 他にもやりたいことは多々ある、最もだとおもいます。24時間365日生涯が終るまで食べ続けるだけ健康に悪いのは言うまでもありません。適度の運動、創作活動、必要なのは言うまでもありません。

そうです。

To live.(ただ生きる)
To live well.(よく生きる)

では環境に合わせるレベルです。条件反射レベルです。
これは、食べる事が出来ればいいという生き方です。
動物と、そんなに変わらない生き方です。

To live better.(よりよく生きる)
To live best.(最高で生きる)

人間でしたら、こうした生き方が追求できます。
よりよく、そして最高に。
その追求が人間らしい生き方です。

つまり、問題意識が明確になっていれば、その問題を常に解消し、解決し、より進化発展していこうとするのが人間らしい人間の生き方です。

合わせる生き方ではなく、積極的に創造する生き方とはこの事です。ただ食べれば良いというのは今となっては人間らしい生き方とは言えません。

人間にとって、問題意識とは常に進化します。

もう解消した問題意識にいつまでも引きづられていては、To live. To live better.の動物的生き方に留まってしまいます。その意味で、

>>農業に中心を置こうとする問題意識は、農業革命が起きる前の人類意識に戻る事の意味と何ら変わりありません。重要な事は、人間は問題を一つひとつクリアして前進していますので、中心は明確に変化してしまっているという事です。

とお伝えしました。農業革命の時は、社会プレートは農業中心でしたよ。中心は一つです。次の社会プレートも中心は一つです。

中心は幾つもあってはいけません。

中心が一つの心ですと、忠。
中心が二つの心ですと、患。

飛行機は中心軸が一つですから安定して飛べます。
飛行機に中心軸が複数あったらどうなりますか?
植物も茎という中心軸が明確にあります。

人間も、中心が幾つもあった場合には、その生き方は安定しません。ふらふらした生き方になります。考えもまとまりません。条件・状況・環境にコロッとコロッと変わってしまい、大事を為すことは出来ません。問題の解決にも当たれません。

中心が定まっているからこそ、多様性を生み出します。
中心が一つだからこそ、多彩さが生まれます。

いつも戻り来るところ、いつも出発するところ。中心が定まっているからこそ、思いっきり飛び出し、思いっきり返ってくる事が出来ます。

始めに起こった農業社会のプレート、農業に中心が置かれていた頃、その時はそれが最高の中心でした。それが人類共通にして悩んだ問題であったからです。それを解決するのが農業革命であり、農業社会へと進化発展していきました。

ですが、何度もお伝えしていますが、それは既に解決しております。そして、未だ未解決の問題を解消・解決するには、農業社会のプレートでは限界でした。農業に中心を置いていただけでは、その問題は解決できなかったんです。

ですから、中心が移動しました。

そして、中心が移動する事は大ヒットだったんです。全人類にとって、相当大ヒットしました。それは、農業中心の生き方だけでは解決し得ない問題を解決してくれたからです。

>>農業に中心を置こうとする問題意識
> どこに中心を置くか、他を中心に置いても自らを中心に置いても、その間の距離は出てくるとおもいますが、あらゆる産業技術、通信、交通、流通、サービス等距離はその障害となり距離があってよいのは休むときだけとはいえないでしょうか?

中心をどこに置くかという事で幾つかが候補に挙がる事はあるかと思います。その中で、自然発生的に中心が選ばれていく事はあるでしょう。

ですが、結果的に中心は一つに定まります。
それこそが真の多様さを生むからです。

そして、僕がお伝えしているのは、農業は既に中心であった時代が明確に終わり、その昔に問題を解決しているという事です。そして、農業ではもはや今ある様々な問題を解決できないという事です。

> いい加減なところを中心とするそれはまったくよいところはなく、

仰る通りです。
ですので、農業には設定できません。

>真に人々のためとするならば中心それは多いほうがよく

いいえ。
中心は一つでなければなりません。
そうでないと中心とは言いません。

繰り返しますが、中心が一つという事と多様さが死ぬという事や個性が削がれるという事とは違います。

>尚且つ人々の身になるように整備されるべきではないでしょうか?今かかえる国の問題そんなところにあるのではないでしょうか?

仰る通りです。

ですので、在るべき中心の姿とは、真の問題意識から芽生えてくるものでございます。農業に中心を置くべき時には農業革命が解決してくれた問題意識が存在しました。人類に、とても大きな貢献をし、限界を突破しました。

次は、産業社会のプレートです。工業に中心が置かれました。この時には農業社会では解決出来なかった様々な問題を、産業革命によって解決してくれました。そんな問題意識を解決してくれた中心だったんです。これも人類に、とても大きな貢献をし、限界を突破しました。

ですが、今また新しい限界が来ています。
中心が、移動すべき時です。

今、全世界で抱えている問題を解決するのは、農業でも工業でもありません。新しい中心の設定を、間違えてはいけません。

それは、問題意識を履き違えてはいけないという事でもあります。

この回答への補足

 農業のしっかりしていないところ、食糧のないところには、権力者たりとも滞在できないが当然ではないでしょうか?世界にて飢餓が撲滅される日、そのニュースが流れる日、期待したいとおもいます。
ありがとうございました。一旦、締め切りたいとおもいます。

補足日時:2011/05/28 13:55
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この回答へのお礼

ーーー

お礼日時:2011/05/28 13:58

zakky74でございます。



>>中心は農業にはありません。
> 世界、そのあらゆる施設、場所、環境、歴史上に置いてもそれらに食堂、食卓が存在しなかったことはないのではないでしょうか? 農業、食卓、日に3回程度中心にある、訂正したいとおもいます。

人間は、食べる事のために進化してきたのではありません。食べる事だけでしたら、動物の時代にやりました。或いは、植物の時代にもやっています。

食べる事を人間として生きる事の中心に置いてはいけません。当初の段階は、その時代もありました。だから、その時代は農業社会でしたし、食べる事を安定とさせるのが中心の時代で良かったんです。

ですが、同じ事を繰り返しますが、安定的に食べる事の問題は解決していますが、未だ解決されていない重要な課題があると僕は言っています。それが、農業社会、農業を基盤とするプレートでは解決が出来ていません。

だから、次の社会プレートが誕生したんです。

食事を、一日に二回や三回取る事は理解しています。

ですが、その事は人類が解決しなければならない問題としてはもう終了しています。既に農業に中心はありませんし、今後もおいてはなりません(その必要性は起こり得ないでしょうが・・・)。

繰り返しますが、農業が要らないとは言っていません。

文明の中心、産業の中心、生きる中心、問題解決の中心にはならないと言っています。

> それはプレートなどという口に入れてよいのかどうか解からないものではなく、すべての人々の身となり明日への行動力その源となり得るものとしたいと思います。

口に入れる事を考えるのは、人間的ではありません。それは動物の時代にやりました。人間は、頭に入れるべきモノとそうでないモノ、その事と真剣に向き合わねばなりません。

と、まぁ言葉尻を取りましたが。

農業社会の時代にもプレートはありましたよ。プレートは、その時代の社会基盤の事をイメージして使っている言葉です。農業社会のプレート、次の社会のプレート・・・と言う様にです。

本当に重要な事は、食べる事の為だけに生きてしまう生き方を変えねばなりません。また、人間が最も人間らしい生き方をする為には、何がどうなっている必要があるのかに意識を持っていかねばなりません。

農業に中心を置こうとする問題意識は、農業革命が起きる前の人類意識に戻る事の意味と何ら変わりありません。重要な事は、人間は問題を一つひとつクリアして前進していますので、中心は明確に変化してしまっているという事です。

もし真に農業の事を考えるのであれば、農業社会時代に解決すべきだった問題点、農業社会時代では解決できなかった事についてhateha2_gooさんが真剣に向き合う事です。そうすれば、人類が今からどういう方向性へと向かっていこうとするのかが明確に見えてきます。

この回答への補足

>>農業に中心を置こうとする問題意識
 どこに中心を置くか、他を中心に置いても自らを中心に置いても、その間の距離は出てくるとおもいますが、あらゆる産業技術、通信、交通、流通、サービス等距離はその障害となり距離があってよいのは休むときだけとはいえないでしょうか? いい加減なところを中心とするそれはまったくよいところはなく、真に人々のためとするならば中心それは多いほうがよく尚且つ人々の身になるように整備されるべきではないでしょうか?今かかえる国の問題そんなところにあるのではないでしょうか?

補足日時:2011/05/27 10:10
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この回答へのお礼

 世界にて流行のテーマパーク→ 動物園となっているようですが、人を含めても、内外を見渡しても、そのようなところではないでしょうか? 一方で無機質という学問もあるでしょうが...。

>>農業が要らないとは言っていません
 他にもやりたいことは多々ある、最もだとおもいます。24時間365日生涯が終るまで食べ続けるだけ健康に悪いのは言うまでもありません。適度の運動、創作活動、必要なのは言うまでもありません。
ご回答有難うございました

お礼日時:2011/05/27 10:25

zakky74でございます。



すみません。僕側の伝達不足がありました。

> 地球の環境を考えるに移動するプレートそれを考えるのは構造物の地震耐震設計上、身の安全を守る上で重要ですが、地表部分のやわらかい土壌を考察する重要ではないでしょうか?それは人々の生命を維持する植物、動物が生まれ育つ環境、食物が育つ環境とはいえないでしょうか?

恐らくhateha2_gooさんは、プレートの意味を僕がお伝えしたかったイメージとは違うイメージで受け取っています。

地震が起きる時の地殻変動が・・・などという時のプレートをイメージされているのだろうと推測いたします。

勿論、そのイメージの延長ではありますが、ここで言っているプレートとはそのプレートではなく、社会プレート(社会基盤)の事を指しています。

その時代の社会プレートが農業が中心にあった時は農業社会・・・の様にです。それを確認した上で、

> 農業、確かに中心にあるとはいえませんが、

そうです。中心は農業にはありません。

>絶対必須条件であるのはおおかた合っているのではないでしょうか?

僕は不必要とは言っていません。
ですので、農業はあれば良いでしょう。
ですが、中心でもメジャーでもありません。

それに、真に農業の環境をよくしようと思う際には、やはり人間が変わらねばなりません。これ以上、人間以外を変化させようとする一切のモノは中心に居座ってはなりません。

ですから、農業は中心ではありません。

>おおかた合っている以上、農業食糧生産なしの創造ありえないのではないでしょうか?

有り得ますのでお伝えしています。
重要な事は、今の時代の課題がどこにあるか?です。

それは農業では解決できません。

今の時代の課題がどこであるかが明確になっており、まずは明確にその問題が解決する事です。それによって自然と農業に纏わる問題も全て解消されます。

農業によって農業の問題や人間の問題を解決する事は出来ません。人間によって、農業の問題や人間の問題を解決する事は出来ます。

まずは人間そのものが変わる事ではないでしょうか?

この回答への補足

>>中心は農業にはありません。
 世界、そのあらゆる施設、場所、環境、歴史上に置いてもそれらに食堂、食卓が存在しなかったことはないのではないでしょうか? 農業、食卓、日に3回程度中心にある、訂正したいとおもいます。
 それはプレートなどという口に入れてよいのかどうか解からないものではなく、すべての人々の身となり明日への行動力その源となり得るものとしたいと思います。

補足日時:2011/05/26 17:11
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この回答へのお礼

ご回答有難うございました

お礼日時:2011/05/26 17:17

zakky74でございます。



> 農業、人々の生命・食の安全をつなぐものでその備蓄欠かしてはならないものですが、最も早い効果の出る再創造など在りましたら?

人間は、動物とは違います。

食べていれば満足かと言いますと、満足しません。
人間は、考える存在です。
この考える存在というところに向き合う事です。

そうして、考えた結果、農業だけをしなくても食べれるという事を知った存在たちが、次のプレートを作りました。

僕は、農業が要らないと言っている訳ではありません。

中心には、ならない!と言います。

既に、農業が中心だった時代には限界が来ていました。多様な限界で、当時それを突破する事が中々出来なかったんです。

農業中心の時代は、明確に終わりました。
凄まじい限界を超える事が出来なかったからです。

まずは、その事の理解を明確にする事でしょう。

そして、農業の中心が移動しました。

移動したそのプレートは、その農業だけだった頃の限界を超えていきましたが、未だ本質的な限界を残しておりました故に・・・

今、向き合っているのは、農業から次へとプレートが移動した新しいプレート・・・しかし、それも今となっては旧いプレートであるが故に、さらに新しいプレートへと進化させる時なんですね。

それで、この様にお伝えしました。

新しいプレートを創る前提条件であり、農業の時、その次のプレートでも限界を未だに超えていない点、そこと向き合うのがここにございます。

>>今からは益々、人間が自然を再創造するようになりますし、また自ら創造者となっていきます。

最も早い効果の出る再創造・・・
それは、人間そのものが再創造される事です。

この回答への補足

>>移動したそのプレート
 地球の環境を考えるに移動するプレートそれを考えるのは構造物の地震耐震設計上、身の安全を守る上で重要ですが、地表部分のやわらかい土壌を考察する重要ではないでしょうか?それは人々の生命を維持する植物、動物が生まれ育つ環境、食物が育つ環境とはいえないでしょうか?
 農業、確かに中心にあるとはいえませんが、絶対必須条件であるのはおおかた合っているのではないでしょうか?おおかた合っている以上、農業食糧生産なしの創造ありえないのではないでしょうか?

補足日時:2011/05/25 17:20
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この回答へのお礼

ご回答有難うございました

お礼日時:2011/05/25 17:30

 No.3です。


 質問者さんのコメントに対して、追加回答をさせていただきます。


 現状では、関東の一部の府県を除き、全ての道府県で人口が減少中で、都市拡大は止まっていて、人口の都心回帰(以前はドーナツ化現象といって、都心から郊外へと人口が移動していた。)が始まっており、郊外の古い新興住宅地は、高齢化が進んでいます。

 現時点では、農地として利用されなくなった耕地面積は、耕作放棄>>農地から宅地への転用という状態です。
 なぜなら、現在は、米余りで日本国内のうち、40%は米作に使われていないのですから。
 今の状況は、米より高い食べ物が多く消費されており、お米に関しても、より値段の高い銘柄米は売れても、安く効率的に作ったお米は余っている現状です。効率よくお米を作っても消費が増えないのです。銘柄米の産地以外は、耕作放棄された水田がどんどん増えています。


<規模拡大>
 
 円高による外国からの農業開放圧力に対応して、競争力を高めるため、今まで1000m2程度であった水田を3000m2に大きくする工事が全国的に行われ、現在完了しつつあります。秋田県など東北の平野部では、200m×50m=10000m2と言った水田区画も作られています。
 こうした水田では、大型機械を使うために『乾田化』が行われています。
 基本的には、雨の多い日本ですから、水田の水はけを良くしておかないと、大型機械が泥の中にもぐってしまって動けなくなってしまいます。平らな水田区画を大きくすればするほど、排水設備を充実させて大雨が降った場合、速やかに排水路から川に流してしまうようになっています。(水のないときは、ダムから給水されます。)
 これによって、ホタルや希少種どころか、メダカやドジョウ・タニシやシジミといった、ありふれた生き物が、農村では急速に減っています。
 また、雨の多い日本では、水田が「ダム」の代わりとなっていました。なぜなら、ダムが少ない昭和初期までは、畦を切って畔越しに次の田へ水を導くことが普通で、一枚の田に入った水が、次の田を潤し、更に次の田へと、少しの灌漑施設と水で田が維持できるようになっていました。
 その結果、下流では今までは起きなかった洪水が、圃場整備後に起きるようになってしまい、河川の堤防の改修・かさ上げが必要になってきています。

 また、圃場整備の済んだ現状の日本の農村では、更なる大型農業機械が本当に必要か、疑問視されています。
 一枚の水田規模拡大と機械の大型化・化学肥料・農薬の使用はワンセットとなって、食糧の工業的生産が進み、日本人の好む味や作物の安全(有機・無農薬化)を確保できる健康な稲作りの難しい田となっています。余りに大きな規模の水田は、逆に農業の可能性を狭くしてしまう側面もあります。
 米余りの現状では、米を安く大量に生産するよりも、美味しく安全な米を作るほうが、農村活性化・若者の流出防止となります。

<公的農業経営について>
 公務員が農業経営をやると、大赤字・環境破壊になると予測されています。 
 
 過去において公的人員による現業部門であった国鉄は、大赤字を理由に解体され、民営化によって、現在は黒字で運営されています。
 また、山村振興と密接に関係のある、林野庁が行っている国有林野事業は大赤字で、過去に国民有志のお金を集めて行った「緑のオーナー制度」も大赤字となり、国土の緑化・保全を願った善意が無に帰しています。
 http://jumoku.sakura.ne.jp/web/web-frs-1552.html

 また山村地域の人が保存を求めていた森林を伐採して売り払ったり、伐採のための林道建設で(良好な森の木は高く売れるので、赤字の林野事業側としては、伐採を決行。)、地域住民から見れば、自然破壊を行っていると見られているケースもかなりあります。

 林野庁の自然破壊をテーマにしたサイトは、検索すればかなりヒットします。
http://blog.livedoor.jp/rokuten1/archives/cat_10 …

この回答への補足

>>耕作放棄された水田がどんどん増えています
 農業は当然として日照、天候に左右され、また災害等にても壊滅的な被害を受ける、火山灰が降ってもだめ、河川が氾濫してもだめ、冷害でもだめ、日照りでもだめ、原発等の事故でもだめなどそのたびに丸1年棒に振っているの感がありますが、その備蓄大丈夫なのでしょうか? 今回の地震災害、規模想定外ということになりましたが、救援物資の早期到着を合わせて考えるに食料の備蓄は5年分でも10年分でも多いに越したことはないのではないでしょうか? 値が上がる下がるの危険な調整は止め備蓄10年分確保など真の安全の第1歩を検討する必要があるのではないでしょうか?それは農地の大々的経営作付けのみにて実現される懸案なのははっきりしたことであり、農地の減少、農業を忘れた国家、滅亡を意味するものではないでしょうか?

>>規模拡大
 泥、土壌の良し悪し、機械導入の明暗を分ける所ですが、水田がだめなら麦畑にてもよいのではないでしょうか?

>>公的農業経営について
 高齢化後継者不足、重大な問題ですが、戦前戦後からの団塊の世代に殉死するような日本であってはならない。徹底的に若返りを図るべく公的政策的に対策を行ずる、必須ではないでしょうか? 経済騒ぎ赤字の問題等、”実態”のない流行のテレビ、実態がないものは気にする必要はないのではないでしょうか?

補足日時:2011/05/24 22:18
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この回答へのお礼

ご回答有難うございました

お礼日時:2011/05/25 11:57

>人類は、自然を再創造できないかぎり、また自ら創造者でないかぎり、自然を尊重しなければならない。



ここについては仰る通りではあるかとは思いますが、それは一昔前までの時代かと思います。今からは益々、人間が自然を再創造するようになりますし、また自ら創造者となっていきます。

言い換えれば、自然と文明のバランスが完全に取れる様になってきます。その場合、hateha2_gooさんが仰るそれ以下の文章は全て変化していくかと思います。

この回答への補足

>>今からは益々、人間が自然を再創造するようになりますし、また自ら創造者となっていきます。
 農業、人々の生命・食の安全をつなぐものでその備蓄欠かしてはならないものですが、最も早い効果の出る再創造など在りましたら?

補足日時:2011/05/24 20:58
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この回答へのお礼

ご回答有難うございました

お礼日時:2011/05/25 11:50

<参考>


 現状では、田舎の少子高齢化によって、耕作放棄された農地の拡大が大問題になっています。
 田舎でも谷合の農地など、現在では誰も買わないので、森に戻りつつあります。

 現在、全国の水田のうち40%は、米の転作で麦・大豆などを作るように奨励されていますが、農家の後継者不足で、単に草が生えないように管理されているだけの水田面積が全国の農地面積の10%を超えている状況で、今必要な政策は、農地拡大ではなく農地利用促進です。

 大農地建設は、40年以上前から農政改革の要として、政府は農地集約化を進めようとしてきましたが、農地を所有する個人の土地所有権がネックとなって、あまり前に進んでいません。
 戦前、田舎には広い農地を所有する地主が多数いて、農地の集約化が進んでいましたが、戦後の「農地解放」で、地主は強制的に極めて安い価格で土地を買い上げられ、地主の土地を借りて耕していた多数の小作農家に、細かく分割して安く売り払われました。その結果、土地の所有権が細かく細分化されたために、農地の集約利用が進まなくなっています。

 また、田舎の集落が今必要としている労働力は、本当に農業をする気のある新規農業者、数家族、数十人です。
 5万人=1万家族以上の農業者が新規に生まれるならば、一つの県の農業が救われます。
 これだけの新規農業参入者を一か所に集中させるのは、大変『もったいない』ことで、無駄遣いと思われます。

 また、市部周辺の土地の大部分は、個人住宅が建てられない市街化調整区域となっており、農家が農業用倉庫を建てる場合にも、許可が要ります。
 

この回答への補足

 現状の日本、農業が衰退し、残ったものは輸出産業と都市化ですが将来を見据えるに砂漠化にも似た都市拡大、国土面積3700万ヘクタール、1億3千万人に必要な農地1300万ヘクタール、国の基たる農業・食の安全を侵食し危険ではないでしょうか? 農地その面積を守るべく都市住宅居住区は高層化集約化により面積縮小を目差し、それにより余る面積を農地とし再生し、少子化高齢化後継者不足等もありますが、自衛隊とまではいかずとも公的人員を配置投入しつつ規模拡大、技術革新、最新大型機械、設備の導入を図っていく事、可能なのではないでしょうか?
 市街化調整区域などあるようですが、現状の日本、大型農業機械等本当に動き辛そうなのは目に余るものがあります。今後、食の問題、国民一人一人の問題として再確認し、農地拡大 & 都市住宅居住区高層化集約化、国を揚げて推進するべきではないでしょうか?

5万人程度は居住できる人間の生活に必要な設備をすべて備えた高層共同住宅となっていますが、町村部では千人程度とか、大都市部にては数百万人規模のとか地域その住民によって最善の設計が異となることはいうまでもありません。目差すのは農地の保護保全拡大とするからです......?

補足日時:2011/05/24 16:17
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この回答へのお礼

 ご回答有難うございました

お礼日時:2011/05/25 11:47

100回嫁、低能。



クロード・ラエル、あなたは私たちが地球に遣わす大使であって、あなたを信じる人たちは、あなたの使命遂行のために、あらゆる便宜をはからなければなりません。あなたは、最後の審判の前に遣わされる、最後の預言者なのです。あなたは、宗教の中で最も偉大な宗教の預言者であり、羊飼いたちの羊飼いなのです。私たちの代理人である古代の預言者たちによって、あらゆる宗教においてその到来を予告されてきた人、それがあなたです。あなたは、洪水が起こる前に羊飼いたちを連れ戻し、すべての創造物を創造者たちのもとに連れ戻す人です。その声を聞く耳のある人は聞くことができ、その姿を見る目のある人は見ることができます。物事を見通す力のある人には、あなたが、進んだ科学を身につけた人にのみ理解され得る、最初の預言者であることがわかるでしょう。あなたの言葉は、原始的な人々には理解できません。これは、目を開かれた人にのみ見えるしるしなのです。アポカリプス、すなわち真実の啓示のしるしなのです
 イスラエルの民へ
「イスラエルは、エルサレムの近くの土地を、最高ガイドに与えなければなりません。これは最高ガイドがエロヒムの大使館を建て、そこに住むための土地です。イスラエルの民よ、待望の新しいエルサレムを建設するときがきたのです。クロード・ラエルこそ、かつて予告されたその人なのです。先祖から伝わる書物を再びひもとき、目を開きなさい。
 イスラエルの民は、エロヒムの息子たちと人間の娘たちが交わって生まれた子供たちの子孫であり、したがって私たち自身の子孫というわけで、そのために私たちは、イスラエルに大使館を置きたいと願っているのです。
 イスラエルの民よ、私たちはあなたがたをエジプト人の手から解放しましたが、あなたがたは私たちの信頼を受けるにふさわしいものではありませんでした。私たちはあなたがたに、全人類へのメッセージを委託したのに、あなたがたはそれを世界に広めるどころか、後生大事に自分のところにしまい込んでしまったのですから。あなたがたは、自ら犯した過ちのために長い間苦しんできましたが、今や赦しのときが到来し、かねてからのプランに従って、私たちはこういいます。
「北に、与えよ。南に、もの惜しみするな」
 私はあなたがたの息子や娘を、世界の隅々から呼び集め、そのおかげで、『イザヤ書』にもあるように、あなたがたは再び国を持つことができるようになったのです。もし、あなたがたが、この最後の預言者、かつて予告されたその人の言葉を聞き、その使命達成に力を貸すならば、あなたがたは平和のうちにこの国に住むことができるでしょう。
 これは、あなたがたにとって、最後のチャンスです。このチャンスを逃せば、ほかの国、それもイスラエルの近くの国が最高ガイドを受け入れ、その領土内に私たちの大使館を建ててしまうでしょう。その国は私たちによって守られ、幸せな道を歩むでしょうが、そうなれば、イスラエルは再び破壊されるでしょう。
 クロード・ラエル、あなたはイスラエルの息子でありながら、まだ祖先の土地に足を踏み入れたことはありませんが、もうしばらく待って、イスラエル政府が私たちの大使館設置を認めるかどうかを見きわめなさい。もしこれが拒否された場合、祖先の地に戻ってはいけません。イスラエルは破壊されても、あなたは滅ぼされることなく、やがて時が満ち、あなたの子孫が約束の地を再び見ることができるでしょう。
 最後にもう一度警告しておきますが、イスラエルの民よ、あなたがたは、かつて予告されたこの人を受け入れて、大使館を建てるための土地を提供しなさい。もしそうしなければ、ちょうど2000年前に起きたのと同じように、大使館はどこかほかの国に設置され、あなたがたは再び離散の民となるでしょう。
 2000年前に、もしあなたがたが私たちの使者であるイエスを受け入れていたら、世界中に今いるキリスト教徒は、実はキリスト教徒ではなくユダヤ教徒になっていたはずで、あなたがたもあんな苦難の道を歩むことなく、私たちのよき使節でありつづけたでしょう。しかし実際には、私たちの仕事はほかの人たちに委ねられ、その人たちは、根拠地としてローマを選んだのでした。2000年前、あなたがたは私たちの使者を受け入れず、そのため、栄光を受けたのはエルサレムではなくローマだったのです。今あらためて、エルサレムが栄光を受けるチャンスがめぐってきたわけですが、あなたがたがもしこのチャンスを逃し、栄光がほかの国の上に輝くことになれば、あなたがたはもはや、イスラエルのために用意された土地に住むことを許されないでしょう。
 これで私の話はおしまいです。
 あなたは地球に戻って、私が話したことをすべて、地上で人々にわかりやすく説き明かすことができるでしょう。」
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この回答へのお礼

 中東地域もたいへんというところでしょうか?
ありがとうございました。

お礼日時:2011/05/24 10:38

提言ご苦労、でもここでやっても不毛です。

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この回答へのお礼

~ 原始的な民主主義すなわち平均政治
 現在、人が民主主義と呼んでいるものは、実際は平均政治にすぎない。というのは、最も人数が多いのは、平均的知性を持った人びとであり、したがって、かれらの決定が投票のさいに勝利を得るからである。
 非常に良く作られたテストのおかげで、実際の人口のうち、わずか0.5パーセントがきわめて優秀、すなわち天才である。しかし、こうした天才たちの声は、同じく0.5パーセントを占める白痴的な人たちの声によって、投票の際に相殺されてしまうのだ!
 優秀な人たちはわずか二パーセントしかおらず、かれらの声も、同じく二パーセントを占める知恵遅れの人たちの声によって相殺されてしまうのだ!
 平均より十~三十パーセント高い知性を持つ人たち、つまり「平均以上」の人たちは、人口の二十五パーセントを占めているが、かれらの意見もやはり、同じく人口の二十五パーセントを占め、平均より十~三十パーセント低い知性を持つ人たち、つまり「平均以下」の人たちの意見によって相殺されてしまう。
 結局、平均的知性を持つ人たち、つまり平均的な人たちが、投票の際に決定を下すことになる。なにしろ、かれらは四十五パーセントもいるのだから。以上、民主主義のこのような形態が、実際は平均政治にすぎないことの理由である。 ~

 原始的な民主主義、普通民主主義、何の対応回避策もなしに、将来、破局、飢餓、災害をむかえるのではないでしょうか? 防ぐ手立て考慮したいものです?
ありがとうございました。

お礼日時:2011/05/24 10:32

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