単二電池

「おやじの小言」に表題の一節があります。他は概ね納得が行くのですが、この一文には意表を突かれる思いがすると共に、疑問が湧いて来ました。(「知ったかぶりをせず、いつも謙虚にせよ」という意味はわかります。)

この人生訓に関し、何か具体的な体験談があったら教えて下さい。また、この言いつけを守った場合のメリットはどんなことがあるのでしょうか?

愚問を承知で、諸兄諸姉のご意見をお聞かせくだされば幸いです。

A 回答 (7件)

人間、何かしら行動すれば、大なり小なり確実にヘマします。


それが新しいことなら、なおさらです。
そして、そのヘマを他人は馬鹿にします。
行動することは(特に新しいことをすることは)他人から馬鹿にされることと
同義だと、私は考えています。

だから、この小言は
「謙虚であれ」という意味のほか、
「常に行動しろ。新しいことをやれ。」
という意味もあると私は信じています。

私は研究者ですが、新しいことをするのは非常に勇気が要ります。
革新的なものであれば、なおさらです。
研究は、いつだって嘲笑への恐怖との戦いです。

人間、恥をかかなくなったら終わりです。
恥をかきたくないと、行動を減らして、行動を伏せて、
結局何の経験も積まないまま年老いた人を、
私は知っています。
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この回答へのお礼

ご意見、及び体験談ありがとうございました。

「馬鹿にされろ=新しいことへ挑戦しろ」とまでは考えが及びませんでしたが、確かに「馬鹿にされる=批判される」のも、「無視される」より意味があるますものね。

最後の一文は、耳が痛い・・・。

お礼日時:2011/05/28 22:32

家庭での小言だとすると、人というのは妬みからも陰口や嫌がらせをするものなので、ちょっと下に見られているくらいが波風立たず穏やかに生活が出来るって部分はあるんじゃないですかね。


何かと親切にしてくれたり、よく見られようと思わなければムダな出費もないわけですし・・
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございました。

ちなみに「おやじの小言」というのは、江戸時代、上の世代から次の世代への日常生活上のよかれと思うことを箇条書きにした言い伝えです。

お礼日時:2011/05/29 16:50

言いかえると「言いたいやつには言わせておけ、まともに受けるな」ってことです。



人が馬鹿にしていても、それを真に受けて立つなということです。
真に受けて立てば馬鹿にしていることが事実になってしまいます。
「人が馬鹿にしているのなんて、テキトーに受け流しなさいよ」ということです。
日本で一番文句を言われて馬鹿にされている菅直人だって、その心持で
政権運営に当たっているから、ちっともやめようなんて思わないのです。
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この回答へのお礼

新しいご意見ありがとうございます。

色んな見方があるということは、この「人生訓」はそれだけ含蓄の深いセンテンスなのかな?

お礼日時:2011/05/28 22:45

意味不明な処世訓です。



「他人(ひと)には馬鹿だと思われろ」

であれば
利口だと思われる事は同時に警戒もされるという事なので他人から馬鹿だと思われているぐらいが処世上都合が良い。
と言う意味で理解出来ますが

「馬鹿にされろ」という事は「軽蔑されろ」とほぼ同意になりまから、処世上何のメリットもないでしょう。

私ごときには理解出来ない深い意味があるのかもしれませんが、単にこれを言った人の日本語スキルが低いだけだと思います。
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この回答へのお礼

型破りのご意見ありがとうございます。

言われると「そうかも知れない」と思ってしまうのは、馬鹿なのか素直なのか自分でもわかりません。

いずれにしろ、自分の参考になったのは確かです。

お礼日時:2011/05/28 22:27

こんなものが人生訓とは思えません。

私は数年前に父親が亡くなったのを受けて会社を継ぎました。所謂2代目です。しかし2代目に対する世間の目というものは、特に仕事関係については厳しいもんです。結局は「比較」されてしまうんですよ。特に建設関係。完全に「馬鹿にされて」ましたね。これ聞こえよがしに「オヤジさんはこうだった」と私のいる所で言うんですから。それで神経参っちゃったんです。社員は社員で皆二周りも年上の人ばかりだから、怖い物がいなくなったで、好き勝手する。

確かにそうゆう悔しさをバネにして成長しろという意味だと思います、この小言は。でもこの小言を考えた人は、そうゆう具体例がある事まで考えていないんでしょう。神経を壊してまで馬鹿にされ続けるのは如何なものかと思います。私としては受け入れられません。
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この回答へのお礼

貴重な体験談ありがとうございました。

2代目として立派に成長すること、そして将来3代目に引き継ぐことを一億分の一として応援しております。

お礼日時:2011/05/28 22:24

 人間が最も簡単に馬鹿になる方法はいばることです。

生まれがどんなに賢くても、人間いばりはじめると途端に愚かになるものです。知能がいくら高くても所詮ひとり前の賢さでしかないのに対し、聞き上手の元には世界の知恵が集まるからです。人から叱られる、人から教えられる、聞きたくない話を聞くことが人間を愚かな道から守ってくれます。いばる人間が馬鹿になるのは批判勢力というものを持たないからです。

 社会人にとって馬鹿か賢いかという尺度はIQが高いか低いかではなく判断の結論が良いか悪いかです。「俺はプロだ。プロのやることに口を出すな。」などという言葉は人からプロと認められる人の口からは出ません。「私たちに良い点がありましたらお友達にお伝えください。悪い点がありましたら私どもにお伝えください」という、あるアジアの空港のみやげ物店の袋に書かれた文字こそがプロ根性と言うものだと私は思います。人に馬鹿にされる立場、人から叱られ教えられる立場を維持することが、真にプロフェッショナルの姿勢であると私は思います。人から馬鹿にされよ、とは、人にいばって自ら馬鹿になるなという教えだと私は思います。
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございました。前の方にも申し上げましたが、丁寧に読ませていただきました。

敢えて馬鹿なふりをする必要はないでしょうが、人間、威張ってしまってはオシマイだなということは充分理解できます。

お礼日時:2011/05/28 22:20

「他人に馬鹿にされる」のが嫌な人は、本気の努力家か虚勢を張っているかのどちらかだと思います。


努力家さんは、実力があるため、馬鹿にされることはありません。一方、虚勢を張る人は、馬鹿にされる可能性があるため、「オレは、オレは・・・」と主張したがります。
私の身の回りにも、こんな人はたくさん居ます。

逆に、馬鹿にされることを恐れない人は、馬鹿にされるようなことがないか、馬鹿にされたことに対して真摯に受け止められる人だと思います。もともと優れているか、あるいは、進歩が望める人だと思います。

私も後者でありたいですね。
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この回答へのお礼

まず一番にお礼をさし上げたはずなのに、表示されていませんでした。自分の操作ミスですね。

いずれにしても、ご回答丁寧に読ませていただきました。

少し古い時代(江戸時代)の心意気のひとつの表現だと思いますが、山本一力さんがべたほめにしそうな一文かなと思いました。

お礼日時:2011/05/30 17:50

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