激凹みから立ち直る方法

私は宗教や信仰にすごく興味があり、特に一部の人たちにカルトといわれ嫌われている
有名ないくつかの新宗教の人たちの話をいろいろと聞いてみたいと思っているのですが、
「信者にはならない」「入会はしない」という前提で、彼らを訪ね交流をもつことは可能でしょうか?

A 回答 (2件)

はじめまして


日土ともうします。
あなたの不信感はよくりかいできます。
宗教い言ういみは宗といって一面は元をかくすと言う意味があります。
これが(宀)うかんむり、に(示)しめす、と書きますが、うかんむりは隠すと言う意味が在ります。
即ち人間支配論なのてす。

もともとは自然信じなのです。
人があなたにバチが当たると述べたって、脅し論あって、その人は、あなたの人生をかえるけんげんは何も無いのです。

バチが当たると述べたって人はその宗教の法因といって自分自身が地獄にいるのがわからないのです。
あるいみ、病にかかっているのです。

あなたの人生はあなたしか無いのです。
だから安心して人生を楽しく幸せにおくってください。



わたしは
日蓮関連のお坊さんです。
日土
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この回答へのお礼

僕自身は宗教全般に対して不信感はないつもりです。
あるとすれば宗教や宗教団体、もしくは信仰心に対する無理解からくる不安くらいでしょうか。
だからこそ本を読むだけではなく実際に接して理解を深めたいと思い、こういった質問をしました。
御回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/06/17 14:59

はじめまして


日蓮関連のお坊さんです。
以下の文章でご質問があれば上記のメールをいただけたらと思います。


【カ ル ト 対 策 法】
さて カルトとは何か? その定義 実態 要素 を知ったあなたはもはやカルトに騙されることはありませんが 実際の撃退法を記します。


勧誘された場合に 最初に「その組織の詳細」を聞きます。 もちろん時間はただではありませんから

レストランでご馳走してもらいながら またはそれ相応の料金をいただきながら説明を受けます。


場所はこちらが指定します。 さらには第3者の友人も同行させるといいでしょう。 数的に場所的に有利にすることが大事です。

そして、「入信後は何をするか」これを明確に聞いてください。 破壊的カルトでは 勧誘/献金/献身この3つが実践徳目です。 これを信者は隠しますから そこを突いてください。



「まず参拝しよう」と言われれば、架空信者にされないように、「入信しないならば」という条件はハッキリと付けましょう。


そしてこのサイトのコピーを最後に手渡し また今度ね、と言いつつ別れます。

それでも懲りずに誘いの電話が掛かって来たら、その都度接待費は相手持ちなので、けっこう楽しいと思います。

寿司の次は高級中華、そしてホテルディナー、最後は「入信してあげるから5万円ね。」 これでトドメです。 創価学会の場合なら「票を入れてくれ」と言われます。

そこで「○○万円で入れてあげる」と言っても 「払いたくても違法だから払えない」と返されますが

「では私の目の前で○○万円○○に寄付してください。そうすれば票を入れます」と告げれば 会員はすごすご帰っていきます。


ご家族や周りの大事な人が嵌ってしまった場合、まずあなたが カルト/マインドコントロールを学ぶこと。その歪みや手口を論理建てて解説してあげましょう。

何故嘘をつくのか。オウム真理教に何故あれだけ信者が集まったのか。

何故「世界平和」を説くのか。何故新興宗教が嫌われるか。何故お金が掛かるのか。マインドコントロールされていれば、自分がマインドコントロールされていると気付けるのか。


本人の信仰と引き換えに、対話を持ち、徐々にその状態を解いて行きましょう。

そして、財布の紐は硬くしましょう。嫁が信者の場合、総財産を献金に使われる可能性も大きいです。


情報を得ないまま入信してしまった迂闊なあなたは その組織が上記情報と照らし合わせてカルトなら その詐欺体質を懺悔するよう勧誘親に促し

たとえカルトでも、そのままマインドコントロールされているほうが良ければ、そのまま頑張りましょう。 ただし 本人が嵌るのは良いですが 詐欺勧誘はいけませんね。

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【信 者 と の 対 話】


カルト信者との対話は成立しません。


カルトならカルトと、その定義、またその定義を導き出す要素の羅列が不可欠でありますが

それをこちらが示したところで 信者は自分ではカルトの定義をせず 意見を交換しようとしませんでした。 意見を交換できない場合は、永久に対話は開始されません。


そして 「その定義は事実ではない/憶測だ」との一点張り。

そもそも、定義とは「線引き」ですから、真か偽かはありません。定義とは 物事の意味・内容を他と区別できるように、言葉で明確に限定すること。とされ

事実か憶測かで分別することは不可能です。


信者の言う「カルト」とは または「カルトではない」とは 一体何を指すのでしょうか???

これがまったく信者の口からは述べられないので 対話開始は不可能なことでした。 言うことといえば、コピペだから・・ 証拠を出せ・・ のみ。

そもそも仏典からして コピペであり捏造が多いことは有名ですね。


熱心な信者は、組織に都合の悪い情報には すすんで触れようとはしません。
自分が信じた宗教が詐欺だったと「知りたくない」から、「その真実には触れようとしない」ので、

真実から逃げ続け、その結果死ぬまで騙され続けることになります。
カルトの「見せ掛けの尊さ」に囚われて、「中毒」にさせられてしまっているので、辞められないのです。

「宗教中毒、みんなで嵌れば怖くない」 という唄がありますが だからあんなに 勧誘熱心となれるのでしょうか。


ただ私としては カルト教祖は 偉大な経営者として尊敬しています。

大作さんも小谷さんも L・ロン・ハバードさんも庭野さんも 人の心を巧みに利用して大儲けするシステムを作ったのです。


その際はやはり 宗教を名乗り 政党と癒着するのがベストですね。

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【カ ル ト な 様 子】


カルトに染まっていく過程にはある決まったシナリオがある。


1.「接触」 知人から/家族から/同僚から/ など色々なケースがあるが、

縁遠い知り合いから突然「会わない?」と誘われた場合 99.86%は、カルト勧誘であると調査結果が出ている。

飲み会/芸能人に会える/お寺で法話/ などの誘いに乗ってその場へ行けば 「信者会合だった」というケースは 97.38%ある。


カルトはカルト組織との「縁」を強調する。「縁があったんだから。頑張りなさい」と言い 勧誘/献金/献身を勧める。

しかし「悪い縁」ならば、切った方が良いのは言うまでもない。


2.「導入」 大した情報を告げられないまま、まず参拝を勧められる。

勧誘親はまずは親切に勧誘子を導く。 親密な集団気密が被勧誘者を包み、断り難さが生まれ、次第に休日が組織活動に埋まっていくことから 生活スケジュール内容が変わって行く。


同時に 勧誘/献金/献身が勧められ 「わからないから他には勧められない」と返答すると

「まず実践だよ。やってみなければ分からない。食べなければ味は分からないでしょ」と言われる。

そして実際に食した物に麻薬性があれば そのまま知らないうちに「中毒」となってしまう。「患者」となった被勧誘者は、自覚症状の無いままに新たな麻薬の売人となって行く。


3. 同時に「救世/ご利益/一体感」などのカルトの魅力が被勧誘者を包み 新たな「新信者」が生成されて行く。

「寄らば大樹の陰」という安心感もあり 居心地も最高な「カルトハネムーン」が始まる。


4.「選ばれた/やらなきゃ損/懺悔せよ」 という煽りにより心が解凍されていく。

この時期になると 勧誘親は次第に「新信者」のあら捜しを始め、あらゆる「罪悪感」を引き出し始める。

はじめは「飴」だけだった導きに、「鞭」が加えられていく。

勧誘親は「新信者」を「指導」する快感に酔い、調子に乗り、いわゆる増上慢の塊「ヒットラーの子供」となって行く。

たとえ正当な言い分でも、従わないと「我が強い」と言う。 口では菩薩のようなことを言うが、その正体は 自己愛(ナルシズム)に満ちた優越感や誇りである。


5.「新信者」は、正しいスローガンに感化されながらも、心と行動が、

「慈善」と「絶対的上下関係」に挟まれて身動きができなくなり カルトの枠組みの中でストレスを感じるようになる。

そこから溢れ出る自我を垂れ流すために、勧誘子を造り、「指導という名の虐待」を行うようになる。 逆に 尊い説法をする「ミニ神仏」になろうとするが、必ず凡人ゆえの尻尾が出てしまう。


6. カルトに嵌りやすい者。

危機的状況にある者は藁をも掴む。 不幸に直面する者に「あなたのため」と言い近寄るのは 信者にとって最も効率的な点数稼ぎである。

しかも「救済」という名で装飾も施されているので

「自己欲の欺瞞」に気付くことも無い。 そして 精神の不安定さを多く持つ者は 進んでカルトを求める。そして安心する。

カルトという「松葉杖」を得ることで「元気に」なるが 気付けばそれを手放すことができなくなっている。


7. 美辞麗句は悪質カルトの主要素だが それを組織とは無関係なところで発揮しても

効果は保障されない。 「組織に関連付けられた貢献のみが奇跡を発現させる」という理屈なので 文字通り組織の虜となることを勧められる。

もし本人がそこから離れ、組織の命令と違う自分自身の決断をするなら「その力を引っこめてしまう」と脅し、

その人をいつまでもだれかに頼る未成年状態にしておく。

教え込みをされてしまったカルトのメンバーにとって、グループの外で安全を確保できると感じることは、ほとんど不可能に近い。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなってしまってすみません!
そして詳しい御回答ありがとうございました。
結論としては「カルト宗教の信者とはまともな会話、交流はできない」ということでしょうか。
実は僕自身半ば興味本位で日蓮正宗系の新宗教の人の布教に積極的に乗ってしまったことがあり
あとあと非常に面倒なことになった思い出があるのですが、一方でキリスト教系の新宗教の人は比較的紳士的な態度で色々な話を聞かせてくれたので(もちろんそれも布教活動の一環としてでしょうけど)、単に話を聞くだけということも可能なのではないかと考えたんですが、難しいのかもしれないですね…。
今後いろいろ模索してみたいと思います。ありがとうございました!

お礼日時:2011/06/14 23:22

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