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タイトルのままです。
要点からはずれてしまうかもしれないので具体例はあげませんが、この問題について考えたことのある方、ご意見お待ちしています。

A 回答 (8件)

「精神的に未熟な親を諭す適任者」とは、結局、子供と親どちらの事情にも通じている人ということで、その子供達の担任や副担任といった教師である場合が殆どだと思います。


あとは、やはりカウンセラーでしょうか。
他には祖父母が考えられますが、これまでに起きた様々な事件を見る限り理想論だと思います。
「精神的に未熟な親」は、その親とは信頼関係を築くのに失敗しているケースが殆どで、いくら祖父母が世間では評価が高い人だとしても、既に子である親の方が聞く耳を持っていないと思います。聞くとしても親の前では良い子になっているか、友達感覚でいるか…そのぐらいのものでしょう。

つい最近、娘が大学でモンスターペアレントの対処法について講義を受けました。ここからの回答は、そのとき娘から聞きかじったこと、話し合ったことを元に述べて行きたいと思います。
(ご質問は「未熟な親=モンスターペアレント」という意味ではないと思いますが、根底の問題は同じだと思います。)
「モンスターペアレント」と呼ばれる人たちは、大抵が金銭的に困っていたり夫婦間で仲が上手くいっていなかったりと、家庭問題を抱えている人たちなんだそうです。そのように、根深い葛藤があるので相談相手を求めていて、身近な教師に攻撃の矛先が向くんだとか。

それで教師がどうするかというと、ひたすら傾聴してカウンセラーの役目を負うか、それでも手に負えない場合は、専門家(精神科医・臨床心理士など)の力を借りるそうです。
ともかく、「否定することは逆効果」なんだそうです。
かと言って、言いなりになるのでは本末転倒ですが、未熟な親が求めているものは“誠意”なので「出来うる限りの誠意を見せること」と「出来ることと出来ないことの線引き、けじめを示すことが大切」なんだそうです。

精神的に未熟なのに大人という現実。
“精神的に一杯一杯の人”を諭そうにも、これは、プロでもやっかいなものなんだそうです。
一例ですが、発達障害児を支援する学校でスクールカウンセラーとして勤めていた精神科医は、親からの相談が殺到するほど人気があったのですが、精神的な疲労が重なって、本職と平行してやることが困難になり、辞職願いを出したそうです。―― これは、その学校の親たちがモンスターペアレントだと言うのではなく、そのぐらい“共感者が少ない立場にある親”(精神的に一杯一杯の人)の悩みは複雑で、またそれを援助する側の苦労は並大抵ではないという例えです。

結局、親を諭したり変えようとするよりも、「子供を変えて行く方が効果が高い」そうです。
親には凝り固まった観念やプライドがあるけれど、子供の方が考え方が柔軟で修正が効き、成長するものなので、親との接し方をアドバイスするだけで状況が好転するものなんだそうです。
でも、これには教師が子供と信頼関係を築かなくてはなりません。

「子供の方を変えて行く」それでは子供にとって受難の様ですが、子供は親の価値観に引きずられていて、そのことで苦労していることが多いので、今の状況が当たり前だとは思わせないで、必要とあれば、状況を打破する為に教師など身近な大人の力を借りることをためらわさせないこと、親の言うことだけを鵜呑みにしない力を付けさせることが必要なんだそうです。

これが小さな、まだ話すことが上手くできない幼児や赤ん坊なら…。
保健所や幼稚園・保育所に努める保育士、先生が「精神的に未熟な親を諭す適任者」ということになろうと思います。
未熟な親というのは、本当は自分でも未熟なのは解っているのではないでしょうか。ですから、町内会や同じ学校・幼稚園の親の話、自分たちの親の話は聞かないと思います。酷くプライドが傷つきやすいから、「何くそ」と頑張ることに嫌気がさして、楽な方へ楽な方へと流れていった。そんな様に自分でも感じていることが多いのでは…と思います。ですから、あまりにも身近な人からは、諭されたくないと頑なになってしまうと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
非常に考えさせられました。
特に最後の、未熟な親というのは本当は自分でも自身が未熟なことをわかっている、という部分。プライドが傷つくのを恐れて人の話を聞かないのですね。
考えの引き出しがまた増えた思いです。
改めてこの問題についてまた考えてみます。本当にありがとうございました。

お礼日時:2011/06/08 18:44

具体例を省略されているので、なんとも言えませんが、『精神的に未熟な親を・・・。

』こうしたことはご本人の『脳』(前頭葉)にあると考えられます。一番人間(人)として物事を理解し、価値判断や意思の決断、善悪の判断、情動の抑制・・・etc

しかし、こうしたことは子供の頃の環境などからも影響があると思われます。『未熟』さ、年齢の割りに計画性の無さ、理知性の希薄さ(感情的)としたことを指しているのでしょうか。高齢による『認知症』からくるものも考え(有る)られます。ただ余り思慮深いとは言えない、といった程度の子供っぽさならそれはご本人の“パーソナリティー”と捉えることで気が楽になると思います。

繰り返しになりますが、固くなった『前頭葉』を柔らかくすることは至難なことでしょうね。周りに『諭され・・・』て改善される質のものではないです。きっとご本人も分かっているし気づいていると思われます。
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この回答へのお礼

前頭葉ですか。
なにぶん脳については疎いもので、いまいちピンとこなかったのですが…
そういった見方もあるわけですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/06/12 22:20

未熟だと自覚していない人を諭す事はまず無理だと思います。


未熟だと自覚していないという事はある意味自分は正常であると
思っているからです。

何か問題があれば誰かのせいにしたがります。
自分のせいなら自分の問題点を改善する必要に迫られますが
誰かのせいならば自分は何もしなくてすむはずですから。

未熟の問題というのは自分にも他人にも問題をもたらします。

自分に対してはいつまでも出来ない状態を続けさせてしまいます。
他人に対しては自分の出来ない事をやらせようとするでしょう。

問題の本質は出来るようになるため方法がわからないという事です。
どうやって出来るようにするのかというプロセスを学ぶ事が出来なかった
ためにいつまでも容易に出来ない状態でいられるのです。
そしてそれは次の世代にも何もしなければ引き継がれます。
なぜなら、それは前の世代から恐らく引き継がれているからです。

未熟な人が成熟した人を育てられているのなら問題は起きていないはずです。

未熟は放っておけば未熟を生み出します。

何故未熟なままでいるのかと言えば失敗や間違いをしないで出来るように
なろうとするからかもしれません。
失敗や間違いをしないようにするのなら何もしない事です。
何もしなければ能力は身に付く事はないでしょう。

未熟から成熟に向かうには自分で自分の育て方を習得する以外に方法はないでしょう。
自分で失敗や間違いをしながら様々な事を学び自分を育てるために役立たせる
ことで問題が解決していくのだと思います。

他人からのアドバイスが不要だということではありません。
自分の成長に役立たせることは可能です。
ただ、誰かがどうにかしてくれるだろうと思っている人には役立たないかもしれません。
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この回答へのお礼

うーん、「未熟な親」という問題からははずれたお話ではないでしょうか。

お礼日時:2011/06/11 13:13

多いですよね、未熟な親。



何をもって“未熟”という各印を押されるのかは人それぞれの微妙なズレがあるのは当然ですが。
私は個人的に今の世の中の親についての話を、あくまで伝聞なのですが、見聞きして未熟な親の話は非常に多いと思っています。

それで非行に走ってしまったり、孤独に苦しむ子供がいたら……何とかしてあげたいと、私も思いますよ。

他の方の解答を拝見して、何か具体的な策は……と仰られていたので、まだ未熟な私ですが書いてみたいと思います。一個人の机上の空論ですが。


はたして、未熟な親が生まれるから、子供も未熟になるのでしょうか。それとも、どんなに理想的な親の下でも、子供は未熟に育ち未熟な親になるのでしょうか。

未熟な親を諭すというのは、とても難しいと思います。諭されるには、相手の主張、意見を素直に聞き入れようとする謙虚な姿勢と、自分を変えようとする気持ちが大切だと思うからです。
未熟な親がそれを持ち合わせているでしょうか。今まで何十年と生きているうちに確立された価値観を変えるというのは、並大抵のことではありません。

だから、子供のうちに少しでもその教育に影響を与えられる場を、万人に認められるような公平さを持った立場から働きかけるのが精一杯だと思います。これ以上は、法律的にも倫理的にも不可能なので。「お前は未熟だ。だから私(達)がお前に変わって教育する」なんて言えないですから。

そういう意味で、私は学校教育の場から、多くの価値観を子供に見せてやるのがいいと思っています。絶対的な親という存在は、あくまで社会の中のたった一部でしかなく、この広い世界にはいろんな考え方を持った人達がたくさんいると。親は選べないが、未熟な親の下で育つしかないが、その子供が自分の親は未熟だと気づき、変わっていけるように。

未来の未熟な親を、現在が諭すのです。
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この回答へのお礼

真剣に回答してくださりありがとうございます。

初等教育から改善していこうということですね。
まあ未来的に、理想としてそういった方向へ向かっていけばそれに越したことはないですよね。大きな歴史の流れとして。
しかし教育を変えるのは事実としてかなり難しく、そして時間のかかることでしょうから、今の現状に対する向き合い方としてそれは(教育改革というのは)直接的な対処にはならないとおもうんですよね。

そりゃあ理想を練り上げていくのは大事なことですけどね。でも、
少々脱線してしまいますがそういった「制度」というものはだんだんと、ゆっくり、自然に変わっていく(改善されていく)ものなんだとおもうんですよね。
この質問は制度、システムを変えることとは別の次元の問題として考えてもらいたいのです。

お礼日時:2011/06/07 07:36

No.2の者です。



最も簡単かつ効果的なものは、「親の手の届かない場所に子供を移し、しかるべき者が育てる」でしょう。
それにも問題がある事は重々承知していますが…。
問題の問題(?)は、「子供は実の親が育てるべき、最後には親元に戻すべき」
という前提があるからでしょう。
実際、親子に血縁関係がなくとも立派に育た方はたくさんいます。
もし「実の親が育てるのが当然」と言い張るなら、そうでない親にも子供にも大変失礼な話です。
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この回答へのお礼

親を諭すことは不可能であると前提して、ということですね。

子供を第一に考えるとそうすることが最善である場合があるかもしれないですね。

ありがとうございました。

お礼日時:2011/06/06 21:54

はじめまして。



現実は無理かも知れませんが、常に子供を諭す(教育する)のは「親」だと思っています。

子供がろくでもないのは親の責任、子供が立派なのは親のおかげ、と思っています。

 ゴルフの石川遼くんのようなコメントがあの若さで言えるのは、おやのおかげと私は思います。

ボクシングの亀田兄弟のコメントも親のレベルの低さだと思っています。

つまり、あなたの親を諭すのは、あなたの祖父か祖母です。他界していたらそれは不可能です。

参考にならなくてごめんなさい。
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この回答へのお礼

問題は私自身の親についてではありません。

目を止めていただきありがとうございました。

お礼日時:2011/06/06 20:38

多分、どなたも無理です。


精神的に未熟だと、子供からの意見は「子供の癖に」、親の意見は「年寄りの癖に」
と考えるでしょうから、まず無理です。
子供を諭す事が出来るのは、親や教師が子供にとって絶対的な力を持っているからで、
ある程度自立してしまったら、それ以上は中々難しいでしょう。
上司とか国家権力とかは「諭す」物ではないと思うので…。
ちなみに私の両親は学校卒業後に学校に就職(教師になった)したので、
かなり未熟というか、学校の外を知らない世間知らずです。
もう無理です。
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この回答へのお礼

一般的にはそう考えられていますね。私もその考えに傾いています。が、このままでは子供が犠牲なることを止めることができません。
そこでお聞きしたいのは、精神的に未熟な親から子供を救う具体的な手だてについてです。
改めてお考えがあればぜひお願いしたいとおもいます。

お礼日時:2011/06/06 20:36

子供。

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この回答へのお礼

特に小さな子供が、
言葉によってではなく、行動によって、
という意味でとってよろしいでしょうか。

もっと現実的、具体的な「策」としてのご意見がありましたらぜひお聞きしたいです。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/06/06 20:31

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