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病原菌の存在意義は?

昔はコレラとか赤痢とかペストとかマラリアなどの非常に伝染力が強くて死亡率の高い病気がはやりました。
今でこそ、ある程度の予防や治療が可能ですが、大変恐ろしいことです。
文献での疫病流行の歴史を見ると、
「村ひとつが全滅した」
「数万単位の死者が出た」
「国を滅ぼさんばかりの勢いで疫病がはやった」
というようなことが書かれています。

そこでふと思うのですが、病原菌自体にとっては乗り移った人間の体は居心地のいい仮宿なわけです。
その宿主を殺してしまっては自分たちも共倒れです。

なぜこれらの強烈な病原菌は宿主さえも殺すほどの威力があるのでしょうか?
どうして共存共栄を図らないのでしょうか?
なんのために病原菌は存在しているのでしょうか?

あ、別に人間の体内以外にも媒介虫や媒介獣の体の中、不潔な水の中では長く生きているから、人間に感染した病原菌が共倒れになってもかまわない、ってことでしょうか?
もしそうだとしたら、人間に乗り移った菌としては「不幸」なわけですよね。早く水や媒介虫、媒介獣に乗り換えないと宿主である人間が死んでしまいますから。

いったい生命体のヒエラルキーの中で、彼ら病原菌はどういう存在意義を持つのでしょうか?

「神様がそうおつくりになったのです」という回答は結構です。

A 回答 (8件)

 獣医師でウイルスに専門知識を有します。



 感染症でも細菌、原虫、ウイルス等病原体の種類によって事情が異なります。
 質問で挙げられたものでは、コレラ、ペスト、赤痢が細菌感染症、マラリアが原虫病です。

 まずマラリアですが、ヒトはマラリア原虫の中間宿主ですので、別に感染したヒトが死んでもマラリア原虫は困りません。
 赤痢はたいして致死率が高くないので本質問の趣旨には合わない疾病だと思います。
 その他の細菌については、環境中や他の動物の体内でも生存、増殖ができるので(コレラ菌はヒト以外では増殖しませんが)、ヒトでの致死率が高くてもたいして困りません。

 他には結核も細菌感染症で致死率が非常に高いですが(抗生物質の発見以降は治癒率が大幅に改善されたのは他の細菌感染症と同じですが)、結核は潜伏期が長く、潜伏期間中にも増殖した細菌は感染者から排泄されます。また発病してからの病期も比較的長いので、最終的に感染者のほとんどを殺してしまっても、他のヒトに多数感染することができるので困りません。

 ウイルスは、細菌や原虫と異なり「自立で自らの存在を維持したり増殖したりすること」ができません。生きた細胞内に侵入し、細胞のシステムを横取りして自らを生産させることによって増殖する微生物です。
 つまりウイルスは、生きた動物に感染しないと増殖できず、また増殖以外の生命活動をしない微生物、ということになります。そのあたりが「ウイルスは果たして生物なのか」と言われる所以です。
 ですから、ウイルスは宿主を殺してしまうと本当に「困る」のです。

 でも、ウイルス病で致死率が高い感染症は非常に多いです。エボラやマールブルグ等の出血熱、黄熱、ハンタ、エイズ、最近アジアで鳥からヒトに感染しているH5N1亜型の鳥インフルエンザ、スペイン風邪(これもインフルエンザですが)、狂犬病、etc..
 これらのウイルス病がヒトに致死性が高いのは、「ヒトが自然宿主ではないから」であることが大半です。天然痘(痘瘡)くらいでしょうか、ヒトのみに感染する病原性が高いウイルス病は。

 まずヒトに致死率が高い疾病を引き起こすウイルスの大部分は、本来はヒト以外の動物を自然宿主としています。
 それらの自然宿主内では、そのウイルスは激烈な疾病を起こすわけではありません。病原性が低かったり、あるいはまったくなかったりしています。あるいは環境中で静かに生活しています。

 それが何かの拍子に自然宿主でない動物に感染してしまうと、とんでもなく強い病原性を発揮してしまうことがあるのです。むろん、感染しない、あるいは感染してもほとんど病原性を示さない例も数多くありますが。

 その理由はもちろん、新しく感染した動物に、そのウイルスに対する免疫がまったくない、という理由があるでしょう。
 また、ウイルスの増殖は感染した細胞の機能にかなり依存するので、「勝手が違う」細胞に感染したウイルスが暴走したような状態で増殖してしまう、ということもあります。

 インフルエンザが判りやすい例でしょう。
 このウイルスの「自然宿主」はカモなどの水禽類です。カモではこのウイルスは病原性がありません。
 余談ですが勘違いしがちなのは、「カモはインフルエンザウイルスを常時持っている」のではありません。カモでも他の動物や感染症と同じように、感染→抗体産生→ウイルスの排除というサイクルは同じです。つまり、無症状のまま、カモの間を渡り歩いている、というわけです。
 インフルエンザウイルスは鳥類全般に感染可能なのですが、特に鶏に感染すると激しく増殖します。病原性は相変わらず低いかほとんどないか、という状態なのですが。
 これを「鶏はインフルエンザウイルスに感受性が高い」という表現をします。
 また、鶏は「家畜」なので密集した状態で飼われています。つまり鶏→鶏の感染も極めて効率が良いわけです。

 そうなるとカモにいたときより、ウイルスの増殖回数すなわち「ウイルス遺伝子のコピー回数」が桁違い、それも何桁が判らないくらいの「桁違いさ」で増えることになります。
 すると、確率的にはほとんど起こり得ないはずの「感染した鶏を100%殺すウイルス」が変異によってできてしまうわけです。
 これが「高病原性鳥インフルエンザ」です。実験感染させると、潜伏期間さえほとんどなく、1日以内に全ての感染鶏を殺してしまうほどの激烈な病原性で、さすがにヒトではこれほどの感染症は見られません。エボラでも致死率は50-60%ですからね。

 このウイルスはヒトには感染しないのですが、アジアで流行しているH5N1亜型のインフルエンザは、比較的容易にヒトに感染し、しかも鶏ほどではないのですがかなり高い病原性を持っています。「病原性のメカニズム」は鶏の時とは異なるのですが。
 インフルエンザウイルスの遺伝子のどの部位がどのように変異すれば「高病原型」になるか、あるいはヒトに容易に感染する方になるか、は詳しく判っています。

 致死率100%のウイルスは、明らかに進化上不利です。感染個体が死んでしまえばウイルスも死滅するしかありませんから。
 次の個体に感染しても、集団全体に感染して皆殺しにしてしまえば終わりです。
 ですから、「高病原性鳥インフルエンザ」は、いわば「狂い咲き」のウイルスですね。

 放置すれば皆殺しまで止まらないかもしれませんが、ウイルスの病原性は低下していくでしょう。その方が進化上有利だからです。

 潜伏期間1日、致死率100%というウイルスは、実は極めて増殖効率が悪いです。1羽の感染個体が「次に感染させることができる個体数」が少ないです。潜伏期間3日、致死率50%の鶏の方が「感染した個体が接触できる(感染させられる)個体数」が多くなります。さらに致死率10%なら、もっと感染効率が良くなります。
 病原性が低下していくと言うことは、1個体の中で増殖する数は一般的には減少していくのですが、個体から個体の感染効率が良くなると、トータルでは増殖数が多くなるわけです。

 ですから、あまりに高い病原性のウイルス(これは基本的に細菌でも同じですが)は、流行の中で「病原性が弱まる」方向に変異するのが一般傾向です。正確には「病原性が弱まる方向への変異が起きれば、それが自然選択される」ですか。
 でも、ある程度弱くなると、今度は感染させる個体数が変わらないのに1個体中での増殖数が減る、という状況が生じ得るのですが、そうなると今度は再び病原性が強い方向への変異が選択されることになります。

 というわけで強毒化や弱毒化を繰り返し、ちょうどバランスがとれた状態になると、今度は強毒変異も弱毒変異も不利になって「淘汰」されるので、病原性が安定した状態が長く続くようになります。
 どの程度でバランスするのかは疾病によって異なりますが。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
大変難しい内容でしたので理解するのに時間がかかりました。
自然界は絶妙なバランスの上で成り立っているのですね。

お礼日時:2011/06/11 14:35

個人的な意見を述べさせていただきます。


多分、病原菌などに対する人間側の抵抗力が小さくなったと考えられます。
病原菌の大発生で、大量に死亡するのは、人間・家畜の場合が多く
野生動物の場合は少ないようです。実際に家畜などは野生動物が普段から持っている
病原菌で大量死することはあるようですので

また、病原菌の存在意義としては、生態系全体の中で増えすぎた種類の生き物の数の調整に
かかわっているのではないでしょうか、人間・家畜の数は生態系の中では異常なくらい増えています。
また、病原菌などに対し、薬などで治療すると、その薬に対して耐性のある病原菌が残っていくことになりますので、人間側が恐ろしい病原菌を作り出しているともいえなくは無いようです。

ある文献で読んだことがありますが、恐ろしい病原菌でも、研究室で培養して行ったものには毒性を失ってしまうものもあるようです。病原菌も自分を守るために毒性を持っているので、その効果が行過ぎた場合に恐ろしい病原菌となると思います。

生き物はいまだ進化の途中ですので、いろいろなことがおきても不思議ではないと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
まだ解明されていないことも多いんですね。

お礼日時:2011/06/25 15:49

「病原菌の存在意義は」ということですので、それ自体が単独で生存しなければ、そんな生意気な問題提起がおかしいことになります。

役人であれ会社員であれ、組織に属すれば、社会的意義は組織の単位にしかないのです。サラリーマン個人にはありません。どんなに優秀であっても組織が必要にしているだけです。すくなくとも自然科学的にはそうなります。社会科学では、そうならないのならば、それが宗教的だということでしょう。
今回、単独で繁殖できないウィルスの存在は根本的に的外れでしょう。知っていることではなく質問者の質問に答えなければ、宗教的な誘導活動になってしまいますので、細菌と真菌を対象にしてお答えさせていただきます。細菌や真菌の運命に対する質問者の同情なのだと誰しもが考えたことでしょうが。

まず、その他の回答者さんも勿論ですが、raidenさんの回答は参考になります。その回答をおします。質問者さんの疑問はなかなか頭を使う問題で、回答者としてもひかれる質問です。しかしraidenさんが私の言いたいことをほとんど言い尽くされてしまう。先に着眼点を見つけた人が偉いのです。その後の安全地帯に詳細だけひけらかすのは簡単です。そこで少し違う側面から回答をします。

細菌(細胞)が人間を殺すことに不条理を感じているようですが、細胞に知能があったにせよ、人類の愚かさを批判できれば、細胞が間抜けということにもならないのではないですか。本件で扱う「病原菌の運命」は、「ウィルスの運命」とは「性格」が異なります。細菌が生理反応を始めるのに必要な「物質」は栄養であって、人ではありません。殺して何が悪いのでしょう。戦略的に考えすぎです。他の細胞に依存しなければ物も言えないようなウィルスですら、その細胞を殺すのですよ(笑)そちらの手口の方がよっぽど矛盾していますよ。

いみじくもraidenさんが挙げられている数々の言葉の中に、「分解者」があります。そういうことでしょ。

そもそも、近年の社会学者や歴史家、憲法学者らが多用する「存在意義」という言葉自体が、人文社会科学の精神からも外れた、まさに「文学」なのですが、
病原菌は、病気を起そうが起すまいが、あくまで細菌や真菌なので、「分解者」として多少なりに働けば、存在意義があったと言えるでしょう。分解者が人を殺すと、意義に支障をきたすのでしょうか。

他の回答者もそうだと思いますが、こういうテーマでなければ、その意義すらも認めたくないという価値観が自然科学だと思います。意義を見出してはいけないのですが、恐ろしい現実は、自然科学系の専門家のほとんどが意義の存在を信条として肯定しています。科学者という肩書きの科学「宗教家」なのです。理科に強い宗教家です。
本当の科学精神は、プロや国家資格保有者でさえ身に着けているとは思えない性格なので、今回のように宗教めいてしまう疑問は、質問者さんの科学的知識の不足や不備が本質的原因ではありません。質問者さんが科学的専門知識を有していると逆に宗教性が隠れてしまうのです。キャリアという悪質なやつです。
擬人化は一般社会ではむしろ自然なお考えと言えるでしょう。テレビはもちろん専門家の話も、観測事実を離れると、擬人化のオンパレードですからね。観測事実ですら客観的事実ではない事が多い。そういう科学の商売人たちの存在意義は、客観的な意見を広める自然科学者としてではなく、自らの価値を高めようとする科学宗教家です。その見の置き場は実験室内で、さしずめ私欲を有した研究マシーン、機械君です。自分では考える事が出来ないので、いざ設定されていない問題を独力で考えると、能書きに物を言わせる、そうした専門知識の量の差があるだけで、結局、判断は、一般人と同じく文学的結論になってしまいます。門外漢は、肩書きではなく精神性を信じなければなりません。マシーンに、複雑な現実の判断をゆだねてはいけません。ウィルスはマシーンです。それと比べれば、人や細菌の仕組みには機械化しきれない、複合的な反応が無数にあります。そうした複雑な対象を機械論的に解釈していく方法の洗練作業が、マシーンではない人が、思考すべき高等課題なのです。そこに科学者の存在意義があるのですが…。知識の利用に関しては将来的に完全に機械化できるでしょう。

会社員が会社を潰し、役人が国を潰す。単細胞思考の現実です。しかし、企画実行業務拡大できるバリバリ会社員や、理想の高い積極性のある役人が、組織の存続にとって有益とは言えませんよ。むしろ致命的なことをするのは活動性の高い連中です。進化のスピードを速めていることに過ぎません。たとえるならば、種としての寿命を早めているランナーズハイに過ぎないとも見なせるでしょう。

人の肉体よりも、不幸な場所を、仮りのすみかにしている生物はたくさんいると思いますよ。視野を広くしたらすぐにそれが分かりますよ。むしろ人をすみかにする場合、当面一番邪魔なのは、すみかが人であることなのです。そいつが自分の利益を考えて生体防御してきます。そういう嫌な場所なのですから、長生きを考えるほどの悠長さはないのですよ。他にたくさん話はあるのですが、とりあえず質問者さんが幸福だと思われている細菌・真菌のケースについてその幸福を疑ってみてから考え直せば、客観的に現実世界を把握できますよ。単なる無機的な世界観に誘導しようとしているのではありません。擬人化したままでも、幸福に見える菌の運命は、決して幸福ではないのですよね。

政治・社会・歴史・生活などで生じる客観性のない私的な感情論を、科学的に裏付けようとするのがインチキ精神の始まりです。いろいろな生き方が存在していいのです。科学的にそっちが得だと思うのなら、そうすればいいじゃないですか?それを選択できずに、たった一人の自分のために、みんなの科学を逆さにしたらダメですよね。社会人として、道理を曲げるのが一番ダメなんですよ。おかしな裁判だってそうでしょ。他者にとって一番困るのは私利私欲のある判断の他者への適応ですね。

人を病原菌と呼ぶのは文学ですよね。人と人以外の区別がつかなくなるのは脳に危険ですからね。擬人化をさけて、人ではないという区別をつけておかないと今回のように、細菌や他の動植物の観察を通じて、得られる事実を正しく拾えなくなると思うのです。つまり科学的事実では得しなくなって、科学の宗教化が始まるのです。人と獣、科学と宗教の区別をなくすと、頭がとんでもなく悪くなりますよ。宗教的性質を好まない質問者さんは、科学を、精神安定の依りどころにしないで下さいね。科学から得る物は非宗教的な、つまらない客観的事実なのです。妄想的快楽が得られても、事実の判別が出来なくなる精神状態は、人間として損だと思いますよね。甘い妄想科学の方がいい?(笑)人間には意義があるけど、人間を死にいたらせる病原菌には意義がないとしますか。そうすると優先された人間の存在意義とはそもそも人文科学的意義だったことになりますよ。矛盾しない組み合わせの選択肢を自前に用意するのが科学的思考に思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
じっくり読んでみますね。

お礼日時:2011/06/14 11:14

宗教的、というのは言いすぎでした。


申し訳ありません。

ただ、ちょっと、病原菌を擬人化しすぎかな、とも思いました。


>>じゃ、なにもわざわざ人間に感染してこなくてもいいのにね。

これについてですが、細菌の運動性では空気中ではほぼ動けないわけでして、細菌が自分の意思で人間に感染してくるというわけではなく空気とか虫とか水、食物、接触など、様々な外部要因で感染します。
もし細菌の心を擬人化すれば、なんか周りに振り回されて気が付いたら人間の体の中にいたからここで生きていこう、といった感じですね。

まあ、例え話だとは思いますが、ちょっと気になったもので。


>>我ら人類は菌のエサですか。なんか情けない話ですね。
いやいや、多細胞生物と細菌は密接に関わり合ってますから。腸内細菌がいなければ哺乳類は全滅しますし、窒素固定細菌がいなければ植物の植生にも大きなマイナスを働きます。その一方で多細胞生物の影響で細菌の生育環境や形質も大きく変化しています。そもそも細菌が分解者である以上、有機物の塊である多細胞生物が分解対象となるのは当然といえば当然であり、その働きがなければ生態系が崩壊するのは必然です。

細菌と多細胞生物は生態系において複合的な総体を形成しており、それは敵味方やエサといった単純な話ではありません。
質問者さまは細菌と人間に感情移入しすぎてるのかな、と質問文や受け答えを見ていると感じます。

私は微生物を学び、細菌の分析や検査なども経験してきましたが、細菌とは極めて機械的であり化学的な存在です。
こうした問題を考える時は感情や文学的表現を排し、考察対象を人間も含めてある種のシステムとして認識し、客観的に考える必要があるかと思います。
無論、あえて擬人化して考えるという方法論もありますが、それは方法論の一種であると自覚して行う必要があります。

宗教的な考えが嫌いと仰る質問者さまなら分かっていただけるのではないかと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
宗教は嫌いですが擬人化して考えるのは好きなので。

病原菌というのは他の動物に入り込んでそこでぬくぬくと生きているわけで、いうなれば巨大企業に就職したが、働かずに適当にサボって、ついでに会社の金に手をつけたり職場不倫なんかしちゃって「あー、天国天国」と怠けているダメ社員みたいなモノかと。
目立たずに怠けていれば定年までいられるのに、なまじ欲が出て、社長の女に手をつけてクビになったり、会社の金を何億円も横領して会社を倒産させたりするから路頭に迷う。
ほどほどにしとけば「共存共栄」が図れて楽に生きて行けたものを・・・

もちろん企業社会ではこんなダメ社員はさっさと放り出したいものです。

かたや、強烈な病原菌は借宿主である人間を高確率で死に追いやっても、それは自らの死を招くだけなので、一体何の意味があろうかと。ただただ人間を殺すためにこの世に存在しているのか、と思ったのですが、いろいろな回答を寄せていただいて理解できました。
借宿の人間が死んだ後でも外部に脱出することができるんですね。

共存共栄は図る必要がないことがわかりました。

お礼日時:2011/06/11 14:48

>>そこでふと思うのですが、病原菌自体にとっては乗り移った人間の体は居心地のいい仮宿なわけです。


人間にとって病原性を発揮する菌はたいてい人間以外に病原性を発揮しない宿主がいたり、もっと適切な増殖の場があります。
つまり、人間は居心地のいい借宿、という前提自体が過ちと言えます。


>>その宿主を殺してしまっては自分たちも共倒れです。
問題ありません。体液、排泄物、死体を通じていくらでも外界に出て行けます。でなければ流行病になりません。空気中や土、液体中でだって細菌は生きていけますから。


>>なぜこれらの強烈な病原菌は宿主さえも殺すほどの威力があるのでしょうか?
進化の過程で、人体の免疫系を上回る増殖速度を身につけた、その菌なりに効率のいい代謝機構を得たら人体に対して強烈な毒性のある物質を生み出すようになった、などなど、その菌種がもともと生きてきた環境に適応した結果、偶然、人体と相性の悪い形質を得たのでしょう。
菌の進化自体は環境に応じた機械的なものです。別に人体に対して悪意を持ってたとかそういう理由はありません。
あえて言えば単なる偶然です。


>>どうして共存共栄を図らないのでしょうか?
細菌には脳はありませんので、意思とか気持ちはありません。極めて機械的に周囲の環境に応じて増殖するだけです。なので、共存共栄を図ろうとするような知能はありません。
ではなぜ人体と共生する方向に進化しなかったか、と言えば、そう進化しなくても十分増殖していけるので、淘汰圧がかからなかったからです。
そして、人体と共生する方向に進化した菌種はすでに我々の腸内や皮膚、鼻などに多数生きています。
共生といっても何かあれば病原性を発揮する種類もいますけど。


>>なんのために病原菌は存在しているのでしょうか?
これは宗教か哲学の分野ですね。生物学的に言えば、ただそういう性質を持った生物種が現在の環境で生きている、としか言えません。
生物学では特定の条件を設定しないと「なんのために」ということは言えません。



>>あ、別に人間の体内以外にも媒介虫や媒介獣の体の中、不潔な水の中では長く生きているから、人間に感染した病原菌が共倒れになってもかまわない、ってことでしょうか?

ある意味その通りです。まあ、病原菌自体は周囲の環境に合わせて機械的に増殖してるだけですので、「共倒れになってもかまわない」とか考えてはないと思いますが。あと、上述したとおり、宿主の人間が死んでもそれまでに大繁殖してさらに死体や死体にたかるウジ虫などを利用して生活範囲をどんどん広げられますので、仮に菌に心があったとしても別に困ってないと思います。


>>もしそうだとしたら、人間に乗り移った菌としては「不幸」なわけですよね。早く水や媒介虫、媒介獣に乗り換えないと宿主である人間が死んでしまいますから。

これは上述の通り。もし人間に病原性を発揮することが不利となる菌がいれば全滅するか、人間に病原性を発揮しないように進化するだけのことでしょう。


>>いったい生命体のヒエラルキーの中で、彼ら病原菌はどういう存在意義を持つのでしょうか?

ヒエラルキーという条件があるなら答えられますね。分解者です。他の細菌と同じです。生物の死体を分解し、他の生物に利用可能な小さい分子へと分解します。
人間にたいして病原性を発揮する、ということ自体は生物学的にはなんら特別な意味をもちません。
人間だって生物学的には多数いる多細胞生物の一種でしかありませんから。
多細胞生物でも脊椎動物でもほ乳類でも言葉はなんでもいいですけど。


質問自体がちょっと感情的で宗教がかってますね。
学術的に考えるなら生物を人間も含めてもっと客観的に見つめる必要があるかと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
大まかには理解できました。

>質問自体がちょっと感情的で宗教がかってますね。
学術的に考えるなら生物を人間も含めてもっと客観的に見つめる必要があるかと思います。

いいえ、私は宗教的に物事を思考するのは嫌いな性格です。
質問文の最後の「神がそのようにしたから、という回答は結構です」という文章でお分かりいただけると思います。

言葉足らずでしたが、質問タイトルの「病原菌の存在意義何か?」というのは

借宿である感染相手を次々に絶命させて共倒れにしていく病原菌とは、病原菌自身にとってどのような存在意義があるのか?

という意味です。決して

我ら人類にとって有益でない病原菌などこの世から駆逐してしまえ! 病原菌に存在意義などありはしないのだ! なぜあんなものが地球上に存在するのか!

という意味ではありません。

質問する前は
感染相手を次々に死に追いやり、自分もその借宿の中で朽ちてゆく、なんて一体何のために菌が生きているのかわかりません。
「相手を殺して自分も死ぬために、そのために生まれてきました」
などという、特攻隊みたいな人生、いや菌生って楽しいのかなあ、意味があるのかなあ、と思っていました。(まあ、菌は”楽しい”という感情は持ってないだろうが)
と思っていましたが、これまでの説明で大まかにわかりました。

人間にとって有害な伝染病原菌にとってはたまたま人間に感染したときに、悪性を発揮するがそれは偶然、ということですね。

お礼日時:2011/06/11 06:45

胃や十二指腸潰瘍や胃がんを起こすことで有名なヘリコバクター・ピロリを除菌してしまうと、h・ピロリが尿素を分解してアンモニアを生成し、胃酸濃度をコントロールしていた機能が失われるために胃酸過多が起きます。


そこでh・ピロリは除菌せず、プロバイオティクスのヨーグルトを食べなさいとh・ピロリの発見者がおっしゃっています。
病原菌がなくなることは、生物多様性を失うことになります。
今のところ痘瘡が駆除されたことによる重篤な問題は認識されていませんが千年後に何が起こるか分かりません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

天然痘を駆逐したことでしっぺ返しが起こるかもしれませんね。

お礼日時:2011/06/11 06:26

生物の目的は


自分の子孫(コピー)を残すことであり
今を生きることではありません。
つまり、病原菌にとって人間は
子孫を残すための餌でしかないわけです。
子孫を作り出す(細胞分裂する)速度が速いのは
他の菌に負けないためです。
残すのは自分の子孫であり他の菌(人間も菌に例えてもいいでしょう)ではありません。
もちろん、餌がなくなれば滅びるだけですが
他の全ての菌を圧倒した跡で一番最後に滅びるのであれば
それは本望なのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

我ら人類は菌のエサですか。なんか情けない話ですね。

お礼日時:2011/06/11 06:24

変異する場合、それは意思を持った方向への変異ではないんですよね。

 きっと。
変異した状況が環境にどのようにマッチングするかということで、残るか残らないかが決まっていくだけのことです。 で、たまたま残っているものの中に、人間に感染すると、結構致死率が高いものもあるだけの話です。 だいたい、人間以外に別な宿主を持っていて、その中では宿主を殺すことはあまりなかったりするわけです。 存在意義については良くわかりませんが、人間の存在意義と同じなんじゃないでしょうか? 遺伝子を後世に伝えるというだけです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>だいたい、人間以外に別な宿主を持っていて、その中では宿主を殺すことはあまりなかったりするわけです。

そういうことですか。
じゃ、なにもわざわざ人間に感染してこなくてもいいのにね。

お礼日時:2011/06/11 06:22

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