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「Cogito,ergo sum」という命題が「Ego sum cogitans」という命題に等しいのだと注釈しています。
というのは、「私は考える、ゆえに私はある」という命題は、一見すると、考えるという作用から作用の主体である私の存在を推論しているように見えますが、それは懐疑の過程において必然的にいきつく意識の直証的事実を表現したものと考えるべきであって、すなわち、私が何かを疑っている限り、疑っている当の私の存在は絶対に確実でなければならないという直観的事実を表現したものと考えるべきである、ということです。
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