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私はいまどき珍しいくらい、不器用で頑固な人間かもしれません。

夜遊びは学生時代から好きではありませんでした。
酒も煙草も賭け事もやりません。
結婚はしています。交際した女性は妻一人です。

真面目すぎると、よく言われてきました。
でも、こういう生き方を認めてくれる人間も少なくはなく、
友達もちゃんといますし、どちらかと言えば、深い人間関係を築けています。

ただ、こんな人間ですから、曲がったことが嫌いで、とても頑固です。
自分がこういう道を突き進むのは良いと思いますが、
私の残念な部分は、他人に対する包容力に欠けることだと自覚しています。

とにかく、他人のちょっとしたズルさや、わがままを許すことができません。
悪く言えば、自分の物差しで勝手に他人を計って、判断してしまっているのです。

性に奔放な人は理解できませんし、恋愛で駆け引きを使う人も理解できません。
見た目はそこそこと言われるのに、学生時代、誰とも付き合えなかったのは、これが理由だと思います。
ちょっとでも駆け引きされると、めちゃくちゃ頭にきてしまい、付き合うまで至りませんでした。
幸い、妻になってくれた女性は、私と同じくらいの堅物でした。
こういう人間が、自分の他にいたことに、ちょっと驚いたぐらいです。

人間なんてさまざまだと思いますし、いろいろな価値観を持っていて当然です。
ですが、私はそれを認めることができない。心の小さな人間です・・・。

それを如実に感じるのが、会社での人間関係です。
仕事はちゃんとやっていますし、言うこと、方向性は正しいと、上司にも言ってもらえています。
なのに、あんまり頼ってもらえません。

年少と言うこともあると思いますが、こういった頑固さや、頑なさが、
周囲から近づきがたい雰囲気をもたらしているのかもしれません。

痛いほど自覚はしています。このままではいけないと・・・

30歳になってしまいましたが、これから柔らかい人間に変化するために、
私が心がけなくてはいけないのは、なんでしょうか?

一方で・・・自分の価値観を捨てたら、それはもう自分じゃない、という気持ちもあります。

A 回答 (9件)

私は頑固ってほどではないですが、自分の価値観だけで判断してしまうという悪い癖があります。

30代になってようやく少しずつ修正できるようになりました。修正できるようになったきっかけは、なんといっても「失敗」の一言に尽きます。
自分の価値観だけで判断することによって失敗し、時には社会的立場まで失うことさえありました。そうやって、痛い目に遭って痛い目に遭って、ようやく少しずつ自分を修正できるようになりました。人間、失敗からじゃないとなかなか学べないんですな~。

上司からあまり頼られないのはそりゃしょうがないです。考え方がガチガチで遊びがない人は、想定外の状況にとても弱いからです。
昔から、優れたリーダー、名将と呼ばれる人は器の大きな人ですよね。例えば三国志に出てくる曹操という人物は、物語としての三国志では悪役ですが、一番大きな国を作った人です。彼の部下にはいろんな人物がいました。その中にはバランスがとれた人物ばかりではなく、優秀だけど欠点があったり問題があるような人たちも大勢いました。
曹操が優れていたのは、清濁併せのむ度量があったからです。そこが器の違いというものです。だから、少々失礼なことをいえば、質問者さんは曹操の部下にはなれても曹操にはなれないということなのだと思います。

あとは#6さんのおっしゃるとおりですね。
なんにせよ、自分を曲げるかどうかは自分の判断になります。私だって自分を曲げることには抵抗はありましたが、自分のやり方が間違っていたのは事実だし、時代に合わせて自分自身をモデルチェンジをしないと時代に取り残されてしまいます。そうしなきゃ生きていけませんでした。そう思ったから自分をモデルチェンジしました。それを節操がないと考えるか、柔軟な思考と考えるかは他人の勝手な判断になるのでどうぞご勝手に、というところですね。

ただまあ自分の根幹からくる欠点はなかなか直るものではなく、今でも仕事上であれプライベートであれ失敗するときは大抵「自分の勝手な判断に基づく失敗」です。このへんはなかなか根絶しないですねー。
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【一方で・・・自分の価値観を捨てたら、それはもう自分じゃない、という気持ちもあります。



'不器用で頑固な人間'という自分を認めるように、
あなた以外の人も同じように'不器用で頑固な人間'だということ。

だから、あなたは気に入らないかもしれないが、それぞれに【自分】があって、それを保持しているだけのこと。
何も、あなたが仮に正義であったとしても100人全部にそれを押し付けることはできない。

キリスト教徒もいれば、回教徒も仏教徒もいる。
彼らは、自分の信じる神を仏をその教えを【正義】と思う。
それを人に押し付ける・・のは、騒動の元です。
ちょいと前は、某学会とかがこれをやってましたね、大きなお世話です。

あなたのおっしゃることは、自分は、キリスト教を信じている、熱心な信者である。
だから、仏教や、回教を信じるやつは許せない・・・と、同じことです。

仏教を信じることはできない・・・は、別にいいのです。

回教を信じている人(あなたとは違う絶対的な神)を、八百万の神の人(イロンナ価値観)持つ人が、
あなたが'キリスト教徒'(絶対的な正義)であると同じように、「そういう人もいるのだ」と
思うだけのこと。

あなたの頑固を許容するのに、他人にはその'頑固'さを許さないという
自分に同調できないやつは'ダメダ'は通用しないと学んだのでしょう?

他人も、また、あなたの気に入らないような方面にですが、あなたと同じだと(頑固=信者)認めることです。
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自分の価値観を捨てる必要なんてないです。



あなたはあなたのままで。
頼ってもらいたいから、と無理な演技で軽さを演じるのですか?

あなたはあなたの良さを大事にした方がいい。
それが自分らしさ。

人が沢山集まってくる人はそんなに良いですか?
表面をなぞれば同じになれるんですか?

顔や性格は違っているからいい。
この真面目さをいいなと思ってくれる人を心から大事にする。

人生は多数決ではないんですよ。大丈夫。
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>30歳になってしまいましたが、これから柔らかい人間に変化するために、


私が心がけなくてはいけないのは、なんでしょうか?

この発想が真面目で堅物~。
適当、適当で(*´ω`*)
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不器用で頑固な人間に足りないのは、多くの知識と、勉強をする努力です。


古い情報を元に作った自分の価値観を、他人に押しつけるので周りの人は大きな迷惑を被っています。

価値観、?ただの固定観念ではないですか。
今時こんな言葉を使う人が居るなんて信じられません。

他人の意見を素直に取り入れて、沢山勉強していけば、貴方の価値観は移り変わってきます。
軟らかい、柔軟な人になるためには、たくさんの情報を得て、それを自分の物にしなければなりません。

貴方は今立ち止まって、たたずんでいるだけです。
他人の言葉を、自分の価値観と比べて不定するのではなく、素直に受け止めて、常に価値観を見つめ直す努力が必要と思います。
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質問されている内容そのものが答えだと思います。



あなた自身が自覚なさっているのなら

ご自身の悪いと思う所を、変えるようにして下さい。

相手のいやな部分、嫌いな部分を見るのではなく

良い所を見るようにしてゆけば大丈夫です。

完璧な人間なんていませんし、悪い所だけの人間もいません。

相手を好きにならなければ、相手もあなたを好きになってくれませんよ

価値観なんて自分の考え方が変われば変わりますから難しく考えない方が良いです。

人生なんて長いようで短いんですから多くの人と話した方が気持が豊かになりますよ
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こうやってようやく丁寧に自分自身に向き合えたのが


貴方にとっては節目の「30歳」だったと。
大切な事なんじゃない?
貴方の書き込みからは。
決して頑固さに執着している部分は感じない。
今の会社での人間関係の難しさとか、
自分自身が不安定に引っ張られてしまう部分を不本意だとは
思いつつも。
その原因として、自分自身の課題も明確に出来ているじゃない?
相手のせいに押し付けてもいない。
そういう客観的な目線がある時点で。
既に貴方は「脱」頑固さのプロセスを歩みだしているんだと思う。
勿論急には人って変われない。
貴方の頑固さは一つのアイデンティティーだから。
歴史を経ている頑固さだから。
今の、一部分の貴方を切り取って見つめても。対応しても。
貴方全体を変える事にはならないんだよ。
そしてする必要も無い。
ある意味貴方という「彩」でもあるから。
頑固じゃない自分は自分じゃない。
貴方はそう感じるでしょ?
自分じゃない自分になろうとする事は。
貴方を大切にしてくれた人、応援してくた人、
今の貴方を支えてくれている人、貴方を見つけてくれた奥さん。
誰も望んでいないんじゃない?
ただ、30になったからこそ。
貴方なりの「傾向と対策」は取れるんだと思う。
貴方の場合は、「全体的」に固いんだよね?
ラックオブフレキシビリティ。
頑固さは長所でもあるんだよ。
そこに信念があるから。
僕はこう思う、という「一筋」があるから。
貴方は頑固さという自分をプロデュース出来るんだよね?
それはそれで大事にすれば良い。
ただ、頑固な部分もあれば。
柔軟に対応する面もあって良い。
メリハリがあるからこそ。
貴方の頑固さが長所として引き立つ。浮かび上がる。
普段の、底辺の柔らかさがあるからこそ。
コミュニケーションがあるからこそ。
貴方の固さには「重み」が生まれてくる。
貴方の場合は誰が見ても固い。いつ見ても固い。
印象が単調なんだよね?
だから貴方に対しての頼り方が難しい。
柔軟に対応している貴方が見えないから。
当然絡みにくさを感じている他の仲間も似たような印象。
微妙に近づきがたいんだよ。
極端に言えば地雷を踏むのが怖いから。
どこに貴方の発火ポイントがあるのかわからないから。
ぶつかるのは当たり前で、違いが生まれても普通なんだけど。
貴方の場合は少し感情的に表われてしまう。
少なくとも相手に伝わる範囲ではね。そして警戒される。
印象だけではなくて、
貴方自身が正直に書いているように、
貴方の中の白黒の線引きに叶わないものに対しては。
実際の貴方は激しく反応する。
此処は譲れないなという部分もあり、
でも他者の目線、他者の感覚に歩み寄る部分もある。
柔軟性の中でこそ活かされる「固さ」なのに。
貴方はとにかく自分の感覚に合うか合わないか。
そこに極端な分水嶺を設けてきちゃったんだよね?
それでも得てきた仲間も居る。
でも貴方が自分で分けてしまった、隔ててしまった存在もいるんじゃない?
貴方なりに歴史を振り返ってみればね。
固い人間から、柔らかい人間になるには~という考え自体も。
実は「固い」んだよね?極端。
それは無理な事。
それよりも。
必要な時に、必要な場面で活かせる「頑固さ」を大切にしたら?
いつでもどこでも頑固では。
自分で自分を縛っているじゃない?
相手があっての自分。
自分あっての相手。
貴方も不完全で不安定だけど。
相手も同じなんだよね?
貴方が許す許さない、という大きな感覚で足を踏ん張る事が
常に求められている訳じゃない。
むしろお互いに「違い」があるからこそ。不完全だからこそ。
お互いに補い合っていく必要があるんだよね?
中々定まりきらない現実に、貴方の頑固さが一筋として
活かされる時もあるんだと思う。
逆に言えば、貴方が一筋しか見れずに視野を狭めている時に。
大きな心で、ゆとりを持って対応してくれる相手に救われる事も
あるんだと思う。
現に貴方はそういう部分でフォローされてきているんじゃない?
自分だけの生き易さだけでは成り立たない。
逆に相手の生き易さに合わせてばかりでもしんどくなる。
大切なのはバランスなんだよね?
貴方は少し偏っている。
その偏りを、30を経たこれからどのように整えていくか?
それはもしかしたら貴方の人生そのもののテーマかもしれない。
今何か一つの言葉や、一つの考えで変わるようなものではない。
急いで変える必要も無い。
でも、貴方は一人では生きていない。
その一人ではない、という足元に立って。
自分自身の感覚とも、他者の感じている部分にも丁寧に向き合いながら。
貴方なりの「生き易さ」を掴んでいけば良いんじゃない?
貴方の人生なんだからね☆
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ご自分の事を客観的に見られていて感心しました。



私も曲がった事が嫌いな方ですが、肩の荷を下ろす事で変わりました。

高校生になり、妹も弟ももう大きくなったし、私が色々面倒見なくてももういいかなと肩の荷を降ろした事から変わってきました。

中3の頃から視力が悪くなり、高校生の時には進学校でしたがノート取ってませんでした…かと言ってメガネもかけたくはなかったのです。

幼稚園生の時から毎日あった偏頭痛(いつも頭が痛いのが普通だと思ってました)も、高校生になり、ノート取れなくても「まいっか」と言う考えに変わったらぴたりと止まりました。

一つ崩れると、あーこれもいっかという風に変わっていきました。

これはこうするべきで、これはこうあるべきでって前は良く思っていました。でもそう思えば思うほど、自分と違う人間が目に付きイライラする…

最近イライラしていたのは、携帯で話しながら車を運転する人です。すれ違ったりすると法律でも禁止されてるし、危ないなーと思っていました。

でも、そういう人なんだ、と思うようになってからはそういう人を見てもイライラしませんし、何とも思わなくなりました。

今は全てイラッときたら「そういう人なんだわ」と思えるようになりました。

なので「そういう人なんだ」と思うようになり、相手を受け入れる様に変わるか、私みたいに強制的にそういう状況になるのを待つか(私の場合は視力の低下)。

>年少と言うこともあると思いますが、こういった頑固さや、頑なさが、
>周囲から近づきがたい雰囲気をもたらしているのかもしれません。

については、笑顔で返答する、相手の言っている事を受け入れつつ、自分の意見も混ぜてみるはどうでしょうか?
やっぱり人間は笑顔の人と自分を受け入れてくれる人の所に集まりますから。

でも、無理にご自分を変える必要もないと思います。

>一方で・・・自分の価値観を捨てたら、それはもう自分じゃない、という気持ちもあります。
ご自分の価値観を捨てずに、こういう考えの人もいるのか~と相手の意見を受け入れる姿勢に持っていくのはどうでしょう?
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ご自分の事を客観的に見られていて感心しました。



私も曲がった事が嫌いな方ですが、肩の荷を下ろす事で変わりました。

高校生になり、妹も弟ももう大きくなったし、私が色々面倒見なくてももういいかなと肩の荷を降ろした事から変わってきました。

中3の頃から視力が悪くなり、高校生の時には進学校でしたがノート取ってませんでした…かと言ってメガネもかけたくはなかったのです。

幼稚園生の時から毎日あった偏頭痛(いつも頭が痛いのが普通だと思ってました)も、高校生になり、ノート取れなくても「まいっか」と言う考えに変わったらぴたりと止まりました。

一つ崩れると、あーこれもいっかという風に変わっていきました。

これはこうするべきで、これはこうあるべきでって前は良く思っていました。でもそう思えば思うほど、自分と違う人間が目に付きイライラする…

最近イライラしていたのは、携帯で話しながら車を運転する人です。すれ違ったりすると法律でも禁止されてるし、危ないなーと思っていました。

でも、そういう人なんだ、と思うようになってからはそういう人を見てもイライラしませんし、何とも思わなくなりました。

今は全てイラッときたら「そういう人なんだわ」と思えるようになりました。

なので「そういう人なんだ」と思うようになり、相手を受け入れる様に変わるか、私みたいに強制的にそういう状況になるのを待つか(私の場合は視力の低下)。

>年少と言うこともあると思いますが、こういった頑固さや、頑なさが、
>周囲から近づきがたい雰囲気をもたらしているのかもしれません。

については、笑顔で返答する、相手の言っている事を受け入れつつ、自分の意見も混ぜてみるはどうでしょうか?
やっぱり人間は笑顔の人と自分を受け入れてくれる人の所に集まりますから。

でも、無理にご自分を変える必要もないと思います。

>一方で・・・自分の価値観を捨てたら、それはもう自分じゃない、という気持ちもあります。
ご自分の価値観を捨てずに、こういう考えの人もいるのか~と相手の意見を受け入れる姿勢に持っていくのはどうでしょう?
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