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私は子どもの時から、なんて書けばいいか難しいですが、「○○○で作った○○○」に価値を見いだせません。例えば空き缶で作った恐竜とか、所詮空き缶ですので綺麗に作れるわけはなく、どうみても適当です。これならちゃんとした材料でちゃんと綺麗に作ればと思います。
ただ、上記の題でも「小学生がリサイクルの勉強のために作った」などであれば否定しません。
それはそれでアリと思います。

それとか空き缶で作った何かわからないものだけど、光を当てて影が恐竜になるとか、ひねったおのは「おおー」と思います。

最近でよくわからないのが、「墨のF1」です。作者がもともと同考えても絵が下手なのは仕方ないですが、墨で書く理由がわかりません。墨だから特別綺麗かというとそうでもなく、絵が下手なことも相まって特に墨で書く理由も見当たりません。あれならペンや筆で綺麗に書けばいいと思います。

上記は一例ですが、「○○○で作った○○○」はペンや筆で綺麗なものを書けばエエやん。と思ってしまします。

ところが山下画伯のようなちぎり絵も「○○○で作った○○○」にあてはまりそうなのですが、これは小学生の時に見入ったこともあり、迫力はよく覚えています。

みなさまはどうでしょうか?

A 回答 (3件)

芸術というものの判断は人それぞれなのでしょうけど


「芸術」と呼ばれるもののいくらかは「アイディア」に過ぎないように思います。
「○○○で作った○○○」などはその典型でしょう。
作った人の作家としての意識や手腕は評価できるとしても、
作品そのものは「リサイクル工作」の範疇を越えないものだと思います。
まあ「それらを含めて、あるいは、それが芸術だ」と言ってしまえばそれまでですけど(笑)
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「墨のF1」については「ダンボールアート」と同様に早く発表した者の勝ち的なものでしょう。
同じ土俵で戦っても勝てないのが分かっているのなら
別の場やルールの下で相手の意表をついて勝ちに行く、ってのもアリなのかもしれません。
才能のない芸術家が生きていくにはアイディアしかありませんから。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

アイディアと芸術を分けて考えれば、すっきりしますね。

後半部分は全くそのとおりだと思います。

お礼日時:2011/08/22 14:24

「綺麗」「うまい」と芸術性や自己の感情の表現は、まったく異なるものだからだと思います。



「綺麗」とか「うまい」は、ほとんどの人が類似した評価を下しますが、芸術や自己表現になると、好みが分かれるものです。
私個人の感覚で言うと、ゴッホは良いと思わないのにヴラマンクは好きで、友人から「同系列や!」と突っ込まれています。
「好みは説明できない」のですから、質問者さまは質問者さまの考えで良いのではないでしょうか。もちろん他人には他人の評価基準があることを認めるのは、大前提ですが。
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まあ、確かに言いたいことは少しわかります。


しかし、ちゃんと作る、というのはどういうことでしょうか?
たとえば、「所詮空き缶ですので綺麗に作れるわけはなく」というのは少し引っかかります(笑)
サイトの写真をご覧になればわかると思いますが、空き缶でもこのような完成度の作品は作れます。
「缶で作る」ことが重要なわけではないんです。「限られた素材、資源、形をいかに工夫するか」ということが大事であり、そこでオリジナリティが産まれるのだと思います。
 確かにF1をわざわざ墨で書く必要はないかもしれませんが、だからと言ってペンや筆で「ちゃんと」書いてもそれでは今までと同じ枠の中での表現になってしまいます。そういったことをするのは「自分の表現したいこと」を「いかに形にするか」という表現方法の模索だと解釈はできないでしょうか?

参考URL:http://acidcow.com/pics/8234-amazing-red-bull-ca …
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