
No.9ベストアンサー
- 回答日時:
お待たせしました。
まず、いくつか本を探してみたのですが、ト・ヘーゲモニコンという言葉をとりあげて解説してある本は一冊しかありませんでした。
以前、質問者さんがストアの参考文献を質問されたときに、#1の回答者さんがご紹介くださった本『現代思想としてのギリシア哲学』(古東哲明 講談社選書メチエ)です。
ちょっと独特な文体で、慣れるまで読みにくいのですが、とてもおもしろい本でした。
そのなかに、この文章が引いてあります。
「このわたしという存在は、それがなんであろうと結局はただ、肉体と、少しばかりの息と、内なるト・ヘーゲモニコン(指導的部分)より成るにすぎない」(第二章-二 訳は古東のもの)
血肉と呼吸するふたつの部分を、古東は〈役柄存在者〉、そして、ト・ヘーゲモニコンを〈生身の役者の存在〉と表現しています。
わかりやすいたとえですね。
役者というのは舞台の上で、自分の肉体を使ってある役柄を演じている。
観客からは、見えるのは、役者の肉体であり、演じている役柄であって、生身の役者を見ることはできないけれど、舞台上の肉体に生命を与えているのはこの生身の役者なんですね。
#2の方も#7の中でおっしゃっていらっしゃいますが、ストアでは、精神的なものにかかわる領域を、七分野に分けています。
五感、生殖機能、言語機能の七つです。
それをいきいきと動かしていくのが、ト・ヘーゲモニコン=指導的部分なんです。
これを
「「理性」や「知性」へ変奏してはならない」
と古東も書いています。
こうしたことを考えていくと、ト・ヘーゲモニコンは「指導理性」と訳すよりも、むしろ、自分という存在を統括するような「指導的部分」といった表現の方がふさわしいかと思います。
従って、
>(1)理性=ロゴス、指導理性=ト・ヘーゲモニコン、なのですね。すると日本語で同じ「理性」となっていてもかなり異なるものと思っていいのでしょうか?
このふたつは異なるもの、と考えたほうがよいと思います。
>(2)ロゴス=神の理性・法則で、それに人間がしたがって生きるのを邪魔するのが「パトス」。パトスから自由になるために「指導理性」が働く。だとすれば、指導理性は人間の中にあるもので、理性は神の者、ということでしょうか?
ストア学派の大きな特徴としてあるのは、二元論的立場をとらないということです。
二元論というのは、うんとあらっぽく言ってしまえば、良いものと悪いもののふたつに分ける、という考え方です。本物と偽物、あるいは、ものとこころ、というように。西洋哲学ではギリシャ時代に端を発したこの二元論がカントあたりまで続きます。
プラトンは、イデアの世界と感覚の世界というふたつの世界がある、と考えました。
たとえば魂を二種類に区別します。一方は、善美と悪醜の両方の馬に繋がれている人間の魂であり、もう一方は、善美なる馬にしか繋がれていない神々の魂です。
ストアっていうのは、おもしろいんですね。
もちろんギリシャの伝統を踏まえた哲学ではあるのですが、創始者であるゼノンはギリシャ人ではなかった。
その思想の中に、アジア的要素、セム語族的思想要素(キリスト教は当初このセム語族の宗教だった)を含んでいるんです。
だから、ギリシャ哲学ではあっても、二元論を採らない。
魂をプラトンのようにはとらえず、小さな宇宙と考えたんです。
だから、ロゴス=神の理性・法則ではないんです。
宇宙を貫くロゴスがあるように、人間の心の中にもロゴスがある。
神があって、人間がある、あるいはイデアがあって、現実がある、というのは二元論的なとらえ方で、
ストアの場合、この宇宙の存在はすべて物質でありながら、同時に生命的であり(種子的ロゴス)、精神的かつ神的である、と考えた。
ならばストアの神っていうのは何なんだ?となるんですが、これがおもしろい。
ニーチェにつながっていくんです。そうです。ニーチェのあの永劫回帰や超人思想の源流が、ここにあった(ここらへんは話し出すとほんっと長くなるんでやめます。古東さんの本にも出てくるのでそちらを読んでくださいね)。
とにかくストアにとっては神とは変化を繰り返す、この宇宙そのものなのです。
従って、その意味で、理性は神のもの、というのは適切ではないかな?
宇宙を貫く法則で、人間の中にも流れている、というふうにとらえればよいかと思います。
>(3)「指導理性は自らを目覚めさせ」る、というのは、「指導理性」は自分でコントロールできない自分の中の神みたいなものでしょうか?それとも「自分の意志」でしょうか?
ギリシャ思想がいまの考え方と大きくちがうのは、つぎの点です。
いま、道徳的に生きるといったとき、多くの人が連想するのは、自分の欲望を意志の力で抑えつける(克己心とか言いますよね)ということだと思うんです。
けれども古代の人はそうは思わなかった。
理性がとらえる正しいことをすれば、それがすなわち喜びなんです。
エピクロスの「快楽」もそういうことだし、ストアの「ロゴスに従って生きる」ということもそういうことです。
間違った欲望が生まれるのは、理性が正しく働いていないからであって、誤った欲望をなくすには、抑えつけるのではなく、理性を働かせればよい。
さらにストアはそれを一歩進めて、理性がもっとも働きやすい環境、アパティアを考えました。
怖れや動揺、怒りや貪欲のために悪に向かってしまう欲求を、意志の力によって抑えつけるのではなく、理性を働かせることで無化させていこう、ということなのです。
コントロールっていうのは、抑えつけて、ある方向に向かわせようとすることですね。
そうではなく、一番自分にとって自然なこと(=すなわち、良いこと)はなにか。いまの自分にはわからないけれど、指導的部分はそのことを知っているから、指導的部分の教える声に耳を傾ければそれがわかる、というふうに解釈できるのではないでしょうか。
いろいろ書きましたが、私自身、十分にわかっているわけではありません。
ただ、今回改めて読んでみて、ニーチェやフーコーとの繋がりが見えてきたし、ストア学派の考えが非常におもしろいものであることを発見しました。
この機会を与えてくださった質問者さんに感謝します。
質問者さんがどのようなきっかけでストアの本を読んでみようと思われたかはわかりませんが、今後とも、いろいろ読んで、疑問を持ち、考えることを続けていってほしい、と心から思います。
最後まで読んでくださって、どうもありがとう。
No.10
- 回答日時:
#2です、今回で私の回答は終わりにします。
ご質問のなかに、ト・ヘーゲモニコンと書いてあったのをみて、
カタカナからギリシャ語を推測してみようと、ほんの軽い言葉遊びのつもりで
始めた回答でした。しかし、哲学のことばは底なして広がっていきますね。
今回、ghostbusterさんの#9にあった、 「ゼノンはギリシャ人ではなかった」を読み、
では一体どこなんだろうと気になって、『ギリシャ哲学者列伝(中)』を調べてみました。
すると、そこに、ト・ヘーゲモニコンの記事も見つかりましたので、
追加回答することにしました(もういいという声も聞こえますが)。
ディオゲネス・ラエルテス『ギリシャ哲学者列伝(中)』加来彰俊訳
7巻第1章ゼノンにストア派の哲学についての説明が100ページほどあり、
そのなかにト・ヘーゲモニコンに関し下記の記述があります。
この本ではト・ヘーゲモニコンを【統轄的部分】と訳してあります。
--------------------------------------------
ところで、魂(生命・心・精神)には八つの部分(機能)があると彼らは主張している。
その部分とは、5つの感覚機能と音声(言語)機能と思考機能および生殖機能でする。
・・・
また彼ら(ストア派)は、魂の部分(機能)として八つのものをあげている。
すなわち、五つの感覚機能を、われわれのなかにある種子的原理(生殖機能)と、
音声(言語)機能、および理性的(統轄的)部分である。
・・・
また魂の統轄的部分(ヘーゲモニコン)とは、魂のなかの最も重要な部分のことであって、
その部分のなかで表象や衝動は生ずるし、またその部分から言葉は発せられるのである。
そしてそれは心臓に座をもっている。
--------------------------------------------
ストア派と聞くと、『人生の短さについて』『怒りについて』等の著作や、
『年代記』に書かれているその死に様から、まずセネカを私は思い浮かべてしまいます。
しかし、創始者ゼノン(BC355?-263?)から、クレアンテス(BC331-232?)、
クリュシッポス(BC281?-205?)、・・・、セネカ(BC5?-65?)、
エピクテトス(55?-135?)、マルクス・アウレリウス(121-180)と
ほぼ400年経ており、ト・ヘーゲモニコンの意味もアウレリウスの頃には
ストア派初期の頃と変わっていると考えるほうが自然ではないでしょうか。
なぜなら、上の魂の八つの内から前の7つを除いたものがト・ヘーゲモニコンとすると、
この言葉の意味はおそろしく広いですから。
言葉は、基本的なものになればなるほど、ことばでもって定義することは困難です。
ストア派のト・ヘーゲモニコンもこの類のことばだと思います。
したがって、ヒルベルトが「点、直線、平面の代わりに、テーブル、椅子、ビールコップを
使っても幾何学はできるはずだ」と言って書いた幾何学基礎論のように、
基本的な言葉の定義は、それらの結合関係から定めるしか方法が無いと思います。
そこで、マルクス・アウレリウスのト・ヘーゲモニコンの意味を知るには、
ト・ヘーゲモニコンを実行したと思われる、マルクス・アウレリウス、
あるいは彼が影響を受けたとされるエピクテトスの著作・言行・人生から
推測するしかないと思います。
この方法で私が考えるト・ヘーゲモニコンは前回に回答しました。
みなさん、ありがとうございました!
私は、哲学に関しては完全に素人です。しかし、このOKwebでの議論は、ここ数年でも一番精神的に充実したものの一つでした。
回答を拝読したあと、古東さんの本を借りて読んでみたのですが、あるいみ、トヘーゲモニコンというのは完全な定義はない、というか、i536さんのおっしゃるとおり数学のsyntaxの公理にあたるものでしょうか。
同じ理性と訳されていてもずいぶん違うのですね。ghostbusterさんのロゴスと指導理性の説明には特に目を見開かせて頂きました。(ロゴスってウパニシャッド哲学のブラフマンにちょっとにてるかな、と感じました。)
ロゴスに沿って生きることは大変なことではなく、快楽。そのために、それを分かっている指導理性の声を聞く必要がある。。。ニーチェ、フーコーは全く知りませんが、私も近いうちに読んでみたいと思うようになりました。
その前に、i536さんも書いている『人生談義』『怒りについて』を読みたいと思います。
すばらしい回答と、充実した時間をありがとうございました!
No.8
- 回答日時:
#2です、補足しようとしたら投稿されてしまいました。
『人生談義』『怒りについて』『自省録』を読んだ私の感じでは、
指導理性(ト・ヘーゲモニコン)≠理性です。
言葉ではうまく言えませんが、
自分の意志に属するものと、そうでないものとを明確に知り、
後者にはいい意味でも悪い意味でも決して影響されない意志みたいな感じです。
No.7
- 回答日時:
#2です、whit-tigerさん、ソクラテスみたいに突き詰めて考えられますね。
ところで、私は、『自省録』神谷美恵子訳を読む前に、
エピクテトス『人生談義』(上・下)鹿野治助訳、
セネカ『怒りについて』茂手木元蔵訳を読んでいました(すべて岩波文庫)。
それで、マルクス・アウレーリウスのいわんとすることを、この延長でとらえたので、
指導理性という言葉が気にならなかったのではないかと思います。
ちなみに、『人生談義』にはトヘーゲモニコンは、【指導能力】と訳してあり、
上巻の第15章の訳者注に次のように書いてあります(P249)。
『知性だけに限った能力ではなく、感情的なものや意志的なものも
含まれていた広い意味のものである。したがってある場合には、
「良心」の意味でもあり、ある場合には理性とか知性、ある時には
意志の意味でもある。ストア哲学では霊に八つの能力を認めているが、
なかんずく、「指導的なもの」(トヘーゲモニコン)を最もすぐれたもの
となしている』
#2のギリシャ語辞典のトヘーゲモニコン(το `ηγεμονικον)訳:
the authoritative part of the soul(reason)
と上記訳者注中の「霊に八つの能力」とを組みあわせると、
この訳の末尾の括弧()は、soul=reasonという意味ではなくて、
the authoritative part of the soul=reason
という意味で括ってあるのでしょうか?
すると、この辞典では「霊(the soul)に八つの能力」の中に含まれている理性が
トヘーゲモニコンということになります。
じゃなぜ、ロゴスという言葉を使わなかったか?
なんかもっと深い理由もありそうですね。
上記セネカの本の訳注には、下記の記述があります(P247)。
ストア思想では善は自然の理に従って理性的に生きることであり、
悪は自然の理に反して衝動的に生きることであるが、
生・死・快・苦・健康・病気のごときは「善悪いずれでもないもの」
とされた。
---
指導理性が極度に気になられるのなら、
先に『人生談義』を読まれたほうが良いかもしれません。
あるいは、ゼノン、クレアンテース、クリューシッポスと
たどっていくかですね。
whit-tigerさんなら、きっと看取されると思います。
No.6
- 回答日時:
NO3です。
哲学辞典の「理性」の説明では、
人間は理性的動物であるといわれる。したがって理性とは、人間を人間たらしめ、他のすべての動物から区別する人間特有の能力と考えられている。それが本能や衝動や感覚的欲求によって左右されるとなく、思慮に基づいて自己の意志や行為を規定するような能力を指していることは、容易に理解される。
とありますように、やはり自己を規定できるような指導的な役割が果たせるのが理性の能力ですので、他のものが従うべき「指導理性」は、意味的には「理性」となるでしょう。
また、理性をどこに求めたかは別問題となると思いますが。
No.5
- 回答日時:
補足要求を拝見いたしました。
きちんと回答を読んでいただいていることがわかって、とてもうれしいです。
そういう方には、こちらもきちんとした回答をしなくちゃ(って普段そんなにいい加減にはしてないつもりなんですけどね^^;)、と思うので、少しお時間、いただけますか?
ここらへんは実は私もきちんと習ったのではなく、ずざざざーっと読んできた領域なので、理解も不十分なんです。
これをいい機会に、私自身、もちょっと勉強したいので、本をいくつか読んでみるつもりです。
いまちょっとやらなきゃいけないこともあるので……。
でも、必ず回答しますから、少し待っててくださいね。お願いします。
No.4
- 回答日時:
『自省録』持っていたはずなんですが、手元になくて、探していました。
指導理性、という言葉が全然記憶になかったので(^^;)、ざっと読み返してみなくちゃならなかったんです。
えとえと。
まずですね、
>普通の理性
から考えていきましょう。
本の中では理性、と訳されていますが、もともとは「ロゴス」という言葉です。
これは西洋哲学の中でもキーワードと言えるほど、重要な言葉なんです。
聖書に「初めに言葉があった」の「言葉」も、もとは「ロゴス」だったし、過去ログ、ダイアローグなどのログも語源はこのロゴスです。
ストア学派は、世界は物質からなる、と考えました。ただ、物質は、そこにあるだけだけれど、宇宙には、宇宙の秩序があり、宇宙を導く「神の法則」のようなものが存在する。この法則のことをロゴス、と呼んだのです。太陽が昇るのも、風が吹くのも、ロゴスの働きによるものである、と。
人間はほかの動物と違って、理性をもっているから、こうした神の理性(ロゴス)にあずかることができる。理性(ロゴス)に従って生きるのが人間の務めである。
理性、というのは、大雑把に言って、このような意味です。
ところが、自然の動きの中には、地震や火山の噴火、洪水など、人間に災いを及ぼすものもあります。
こうしたものも、神の秩序の一環ではあるわけですから、「悪」ではない。
人間の中にも、ロゴスの声に耳を傾け、従おうとするとき、妨げになる感情や欲望があります。
理性が正しい判断を下せないのは、理性がこうした感情や欲望などによって非合理的理性になってしまっているからなんです。
ただ、そうした感情や欲望を「悪」としたわけではないんです。
魂の中に、良い部分と悪い部分があるわけではない。
感情や欲望からの影響を受けない状態をアパティア(情念を意味するパトスからの自由、という意味)と呼びますが、それは、指導理性が働いているからなのです。
#1さんの回答にある指導理性の説明も、そういうことを言っているのです。
そのように理解していけば、
たとえば
「われわれの指導理性は自らを目覚めさせ、自ら進むべき方法を定める」
のような文章も理解できるのではないでしょうか。
この回答への補足
下(お礼)の 質問(3) について少し補足させてください。
この自省録のなかでエピクテートスの引用として「自由意志を盗み取るものはない」という段落があります。
指導理性とは別に自由意志という言葉を使っている、ということは、指導理性は自由意志ともまたべつのものでしょうか?
非常に分かりやすい説明をありがとうございます!
一気にモヤが切り開かれたような気がします!
質問してよろしいでしょうか?
(1)理性=ロゴス、指導理性=ト・ヘーゲモニコン、なのですね。すると日本語で同じ「理性」となっていてもかなり異なるものと思っていいのでしょうか?
(2)ロゴス=神の理性・法則で、それに人間がしたがって生きるのを邪魔するのが「パトス」。パトスから自由になるために「指導理性」が働く。だとすれば、指導理性は人間の中にあるもので、理性は神の者、ということでしょうか?
(3)「指導理性は自らを目覚めさせ」る、というのは、「指導理性」は自分でコントロールできない自分の中の神みたいなものでしょうか?それとも「自分の意志」でしょうか?
No.2
- 回答日時:
ギリシャ語辞典(Liddell & Scott, A Greek-English Lexicon )で調べました。
下記(P763)のように書いてあります。
το `ηγεμονικον
the authoritative part of the soul(reason),
esp. in Stoic philoshophy, Zeno stoic.(1).39,etc.;
but also , the governing part of the universe, of the aether or sun,
Chrysipp.Stoic.2.I86
---
’理性の信頼できる部分’とでもなるのでしょうか?
white-tigerさんが良い訳を考えてください。
私も25年前に読みましたが、
この言葉で引っ掛かった覚えが全くありません。
white-tigerさんのように、深く読まなかったんでしょうね。
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