
考えるとは何か、と考えてみると
果たして私は考えているのだろうかと思い当たります。
考えているそのプロセスを観察すると、思考というお芝居を鑑賞している存在(意識)がおり、
それがお芝居中で起きた出来事を第三者(他人)に自分の考えはこうだと説明するわけです。
お芝居の結末が悲劇なら、自身のマイナス思考又は不安、他人の事ならば警告又は助言になるわけです。
つまり、「私」と「思考」は分離可能だと思われますがどうでしょうか。
共感という現象も思考部分のコンセンサスをとればいいのですから案外簡単のような気がしますし、思考の結果についてそれほど「私」が悩むこともないのかもしれません。
思考とは何かの前に「私」と「思考」を分けてみましたが、皆さんは自分の思考についてどう感じますか。

No.3
- 回答日時:
現代哲学では、心身は「私」の必要条件でも十分条件でもないそうです。
そういえば御釈迦様も、身体は当然、感覚や記憶や識別や判断作用なども「私」ではないと言っていますね。
さてさて、そうすると「悩み」というのはどこに生ずるものなのでしょう。
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