ミッドゥエー海戦時のアメリカ戦艦部隊についてわからない事が幾つかあるので教えて下さい。

(1)Wikipediaではウィリアム・パイ提督がミッドゥエー海戦では7隻の戦艦を率いて出撃したとあります。その戦艦のうち6隻(テネシー、ミシシッピー、アイダホ、ニューメキシコ、コロラド、メリーランド)までは名前がわかったのですが、あと1隻の名前がわかりません。わかる方お教えください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3% …

(2)この戦艦部隊には空母ロングアイランドも参加していたようですが、巡洋艦、駆逐艦などのほかの船はどれくらい参加していたのでしょうか?

(3)ミッドウェー海戦時にこの戦艦部隊はどの海域(地点?)にいたのでしょうか?緯度経度?みたいな詳しい数値の分かる方お教え下さい。

(4)なぜ空母ロングアイランドは第16,17任務部隊に編入されなかったのでしょうか?
空母ヨークタウンは修理も完了しておらず、数百人の修理作業員を乗せたまま出撃しています。これほど無理をしているのになぜロングアイランドは部隊に加えなかったのでしょうか?

(5)ミッドウェー海戦でもしアメリカ空母部隊が壊滅していたら、この戦艦部隊はどう動いたのでしょうか?
日本艦隊と決戦?ハワイの防衛?西海岸へ後退?

A 回答 (3件)

既に適切な回答をされている方がいるので補足的なものを。



元々、ミッドウェー海戦で米空母艦隊が出てきたこと自体がイレギュラーなことでした。米海軍は、ミッドウェーに空母を派遣するつもりは当初なかったんです。

どういうことかというと、そもそもミッドウェー島は東京とハワイの2/3くらいの場所にある島です。ミッドウェーからハワイに行って帰ってこられる日本軍(陸海軍含めて)の軍用機はゼロ戦くらいです。だから、ミッドウェーが取られたところでアメリカにとってはさほどハワイの安全上にリスクはかからないことになります。
一方、ハワイからミッドウェーまでは、B17で往復することができます。ご存じだと思いますが、高高度を飛行するB17に対する有効な迎撃機は日本軍は持っていませんでした。

だから、米海軍は当初ミッドウェーは日本軍に取らせて、その後B17と潜水艦で海上封鎖をしようと考えていました。もし米海軍がこの作戦を採用した場合、日本軍は補給上のリスクを抱え込んだだけに終わったでしょう。ミッドウェーからさらにハワイを狙うには、日本の国力(補給能力)の限界をはるかに超えるものでしたので現実的には仮に米海軍の空母が全滅したとしても不可能であったでしょう。

ではなぜあえてリスクを冒してまで米海軍は出てきたのか。それはすべて日本軍の情報が筒抜けになっていたからです。相手の手持ちのカードの中身がわかったのであえて勝負に出たのです。しかもただ手の内を知っていただけではなく、日本海軍が油断しきっていたことまで知っていました。
だから、これはもしかしたら日本海軍を出し抜くことができるかもしれないと思って虎の子の空母艦隊を派遣したのです。
このあたりの勝負に対する度胸は、残念ながら日本人には真似ができません。アングロサクソンならではの勝負度胸ですね。

しかも米海軍は投入する戦力も抜かりありません。空母の数こそ日本4に対し米3ですが、米海軍の空母のほうが大型のため航空機の数はほぼ互角です。それにミッドウェー島の航空機を空母1隻ぶんに考えればそのぶんアメリカやや有利になります。
日本海軍がどれだけの戦力でどこに来るかがほぼわかっている。しかも、アメリカが反撃してくることはないだろうとたかをくくっているのもわかっている。だから勝負を挑んだのです。

そして空母対空母の戦いは、基本的に相討ちです。ミッドウェーでは奇襲を受けて日本海軍が甚大な損害を被りましたが、同じ条件なら、お互いに同じ程度の損害が出ます。航空戦力で比較すれば、米海軍が空母を2隻失っても日本海軍が空母を3隻失うリスクがあります。それなら、仮にミッドウェー島を失ってもアメリカ側の戦略的勝利になります。といっても、ニミッツは「空母を危険にさらすな」と無駄に勝負に出ないように厳しく諌めています。

結局のところミッドウェーの勝敗を分けたのは、勝負というものに対する狩猟系アングロサクソンと農業系大和民族のシビアさの違いであったといえるかもしれません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/20 23:47

大体はNo.1の方が回答済みですので、(4)に関してのみ補足します。



まず大前提としてロングアイランドは空母とはいってもエンタープライズやヨークタウンなどの正規空母とは異なる護衛空母であり、その任務も機動部隊に所属して航空攻撃を行うのではなく、船団に随伴して敵の航空攻撃から船団を護衛する艦種です。最高速度が正規空母に遠く及ばないのも輸送船団に付いていければ良いからであって、機動部隊に編入して使用することは全く考慮されていません。
更にこの護衛空母を米海軍では主に航空機の輸送用として使用していたようです。

仮にロングアイランドが第16,17機動部隊に編入されたとしても、正規空母の最大速力は30ノット前後(ヨークタウンは応急処置後だったので24ノットまでしか出せなかったとのことですが)、ロングアイランドは16ノット強、ロングアイランドの搭載艦上機数を考慮してもメリット(作戦参加機数の増加)がデメリット(空母部隊の総合的な機動力の低下)を上回ってしまいます。

万が一の不足時に戦艦部隊の航空支援ができれば、程度が適当なところだったと言えます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/20 23:46

(1)Wikipediaではウィリアム・パイ提督がミッドゥエー海戦では7隻の戦艦を率いて出撃したとあります。

その戦艦のうち6隻(テネシー、ミシシッピー、アイダホ、ニューメキシコ、コロラド、メリーランド)までは名前がわかったのですが、あと1隻の名前がわかりません。わかる方お教えください。
>ペンシルベニア

(2)この戦艦部隊には空母ロングアイランドも参加していたようですが、巡洋艦、駆逐艦などのほかの船はどれくらい参加していたのでしょうか?
>???

(3)ミッドウェー海戦時にこの戦艦部隊はどの海域(地点?)にいたのでしょうか?緯度経度?みたいな詳しい数値の分かる方お教え下さい。
>母港カリフォルニア州サンペドロ湾 カリフォルニア沿岸部で慣熟航海と哨戒、沿岸での演習及び船団警護
1942年4月14日から8月31日までの間、オーバーホールを終えたペンシルベニアはカリフォルニア沿岸部で慣熟航海と哨戒を行った。6月4日、海軍作戦部長兼合衆国艦隊司令長官アーネスト・キング大将は、1941年12月31日以来太平洋艦隊司令長官として艦隊を率いていたチェスター・ニミッツ大将に海軍殊勲章(英語)を授与するため、ペンシルベニアをその会場とした。次いで、ウィリアム・S・パイ中将指揮下の戦艦7隻の内の1隻として、日本軍のアメリカ西海岸攻撃阻止のために行動した。ミッドウェー海戦がアメリカの勝利で終わった後、部隊はサンペドロへ向かった。


(4)なぜ空母ロングアイランドは第16,17任務部隊に編入されなかったのでしょうか?
空母ヨークタウンは修理も完了しておらず、数百人の修理作業員を乗せたまま出撃しています。これほど無理をしているのになぜロングアイランドは部隊に加えなかったのでしょうか?
>空母機動部隊は30ノットはでます。ロングアイランドは16.5 ノットしかでません。これでは旧式戦艦のの護衛ぐらいしかできません。

(5)ミッドウェー海戦でもしアメリカ空母部隊が壊滅していたら、この戦艦部隊はどう動いたのでしょうか?
日本艦隊と決戦?ハワイの防衛?西海岸へ後退?
>もともとアメリカ西海岸攻撃阻止のために行動していました。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

Wikipediaにのってたようですね。
見落としてました。
それにしても驚きました。6月4日といえばもうミッドウェー海戦始まってるのにニミッツ提督に勲章授与するのに後方にいる戦艦を使っていたなんて。アメリカ軍というかニミッツ提督には随分余裕あったんですね。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/17 13:36

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Qミッドウェー海戦の敗因を教えて下さい

ミッドウェー海戦の敗因を教えて下さい。なぜあんなに強かった日本軍が負けてしまったのですか?理由を教えて下さい。ちなみに僕は戦史に関してはド素人ですので、その辺はご了承ください。

余談ですけど、先日新聞を読んでいたら「アベノミクス第三の矢はミッドウェー」とかいう記事が載っていて、要するに第一、第二の矢(経済政策)はうまくいったが問題は第三の矢で、これが日本の今後の経済趨勢を決するという内容でした。

それで僕は、緒戦の快進撃から一転、大敗北を喫したミッドウェー海戦の敗因とやらをどうしても知りたくなった次第です。

Aベストアンサー

○日本には防衛研修所戦史室 (現在の防衛省防衛研究所戦史部の前身)が編纂した「戦史叢書」という全102巻にも及ぶ太平洋戦争について書かれた公刊戦史がありまして、ミッドウェー海戦について書かれたものは、その第43巻が「ミッドウェー海戦」として出されています。
「戦史叢書ミッドウェー海戦」・・・市立や県立図書館でも置いてるところは結構あります。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%89%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E6%B5%B7%E6%88%A6-1971%E5%B9%B4-%E6%88%A6%E5%8F%B2%E5%8F%A2%E6%9B%B8-%E9%98%B2%E8%A1%9B%E5%BA%81%E9%98%B2%E8%A1%9B%E7%A0%94%E4%BF%AE%E6%89%80%E6%88%A6%E5%8F%B2%E5%AE%A4/dp/B000J9GX1M

この本によると次の6項目が大きな日本軍の敗因として取り上げられています。

(1)情報戦の大敗。日本海軍の暗号が解読され、米軍は日本軍の計画を察知していたのに、日本軍は敵情がよくわかっていなかった。

(2)心のゆるみ。開戦以来の戦果から心にゆるみが生じ、作戦の計画と実行に慎重さを欠いた。

(3)山本長官の出撃。山本長官が戦艦に座乗して出撃したので、その位置を秘匿するため、無線の使用が制限され、作戦指導に支障を生じた。

(4)航空戦様相の事前研究、訓練の不足。索敵、偵察、報告などの地道な訓練及び、空母の被害局限対策の研究が足りなかった。

(5)5日の航空決戦の指導の誤り。二度の兵装転換によって弱点を作った。

(6)戦艦主兵思想の転換の不十分。戦艦部隊が後方遠く離れて航空決戦に寄与できなかった。


○ちなみに当時、敵であったニミッツ太平洋艦隊司令長官は戦後に出した著書の中で、「勝利は主として情報による。・・・日本軍は奇襲を試みようとして日本軍自体が奇襲された」と述べています。また日本軍が空母戦力を分散してアリューシャン作戦を行った事を批判し、その戦力分散が無ければ米艦隊が敗北していた可能性があると述べています。

○なお、アメリカ海軍公刊戦史を編纂したサミュエル・エリオット・モリソン少将はミッドウェー海戦について、日本の空母が最も脆弱な状態の時に、米爆撃隊が偶然に日本の空母を発見し攻撃できたという、幸運に恵まれた事から「100秒足らずの時間に起こった事実の相違で、日本軍はミッドウェイに勝ち、太平洋戦争にも勝利をおさめたかもしれない」と日本軍にも勝利の可能性が十分あったことを述べています。

○英国の著名な戦史家リデルハートはその著書で日本の敗因について、十分な数の索敵機を出さなかったこと、戦闘機の援護不足、空母の防火対策が不十分、空母での兵装転換時に敵に向かって航行したこと等、他にも色々指摘していますが、最後は「・・・これらの過失は自信過剰から生じたと言っても過言ではない」と述べており、日本軍の「自信過剰」を問題視しています。

○日本には防衛研修所戦史室 (現在の防衛省防衛研究所戦史部の前身)が編纂した「戦史叢書」という全102巻にも及ぶ太平洋戦争について書かれた公刊戦史がありまして、ミッドウェー海戦について書かれたものは、その第43巻が「ミッドウェー海戦」として出されています。
「戦史叢書ミッドウェー海戦」・・・市立や県立図書館でも置いてるところは結構あります。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%89%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E6%B5%B7%E6%88%A6-1971%E5%B9%B4-%E6%88%A6%E5%8F%B2%E5%8F%A2%E6%9...続きを読む

Q真珠湾攻撃で空母を大破していたら?

真珠湾攻撃の日に空母3隻は湾にはおらず打ち漏らした事は良く聞きますが、この3隻を大破していたら歴史は変わったのでしょうか? 3年8ヶ月の太平洋戦争が4年になったのでしょうか?? 大勢には影響しなかったと思いますが、実際はどうでしょうか? 歴史にたら、ればで論じても仕方のないことですが、こうなった事には変わりないくらいのコメントでも頂けると参考になります。

Aベストアンサー

>歴史は変わったのでしょうか?

その可能性はあります。
日本の勝算は上がったでしょう。

真珠湾攻撃の時、太平洋にはアメリカの大型空母3隻がいました。
エンタープライズはオアフ島西約200浬に位置し、レキシントンはミッドウェー島南東約420浬に位置し、サラトガは本土のサンディエゴで整備中でした。
これが全て真珠湾で大破し(大破の状況にもよりますが・・・複数の魚雷を受け大きな損傷負って修理に手間取り戦線復帰に半年もかかるとか、そこまでの損傷ではなく2~3カ月で復帰するとか、色々考えられますが)、それと空母に所属する飛行隊も壊滅したと仮定しますが・・・
まず、最初の日本軍の真珠湾攻撃において空母を大破させたなら、日本軍は史実では行われなかった第二撃を行う可能性もあるかと。第二次攻撃を行わなかった理由の一つが敵空母の所在不明です。それが真珠湾で大破し、ましてや史実での戦果予測ではハワイの敵航空部隊も壊滅に追い込んでいる状況です。特に日本側の水平爆撃隊は損失機0でもありました。第二次攻撃を行いさらなる戦果を得たかもしれません。
それはともかく、当然、米国としては空母を大西洋から回すと考えます。

当時、大西洋には就役したばかりで訓練中のホーネット(1942年2月より任務開始)、レンジャー、ワスプ、ヨークタウンの4隻の大型空母がいました。
ただし、レンジャーは防御に問題のある艦であり、史実でも太平洋での戦闘は無理だと判断され主に大西洋で輸送、護衛、訓練、上陸支援などの任務につきました。1942年10月の南太平洋海戦で米国は無傷の大型空母が0隻となる「アメリカ史上最悪の海軍記念日」と米国側が言うほどの最悪の状況だったにも関わらず、レンジャーが太平洋に投入される事はなかった事から、真珠湾で空母3隻が大破してもレンジャーだけは大西洋で任務につくかと考えます。
なお、ワスプは史実では1942年に太平洋艦隊に編入されるまでは、マルタ島への戦闘機輸送任務を数回従事するなどしており、日本との開戦後、すぐに太平洋に投入するとすれば、その分、マルタ島の航空戦力が低下し、地中海を通る北アフリカ戦線のドイツ軍への補給路への攻撃がその分、和らぎ、ドイツ軍に多少有利な状況になるかもしれません。

そんなわけで、おそらくワスプ、ホーネット、ヨークタウンが太平洋に回されると考えます。
そして、ミッドウェー海戦までは史実と同じような展開になるのではないかと考えます。
そして珊瑚海海戦でも史実と同じように米国空母1隻が撃沈され、1隻が中破となり、ミッドウェー海戦になるかと思いますが、ここで仮定の上に推測でしかありませんが、真珠湾で大破した空母が修理を完了し戦線復帰。
米国は無傷の空母1隻に復帰した3隻の計4隻の空母で日本艦隊を迎え撃ちますが、問題は空母の航空部隊です。
史実では、ミッドウェー海戦での米空母部隊は訓練が完了していないパイロットまで作戦に参加させるほど切迫した状況でした。
今回はハワイ攻撃時に3隻の空母の航空部隊は打撃を受けているので、なおさら酷い状況かと思います。空母は戦線復帰しても技量の未熟なパイロットを多数使う事になり、この点において、日本側は非常に有利になるかと思います。

ただし戦争に絶対はありませんから、日本が史実通りミッドウェーで敗北する可能性も充分あります。
その場合は、やはり史実通りの展開となり敗戦の道を辿っていくかもしれません。

しかし、ミッドウェー海戦で勝利した場合は戦局が大きく動くかもしれません。
まず、ミッドウェーで米国側がパイロットの低い技量が災いして敗北し、空母が全滅したとして、日本軍が次に狙うのはハワイです。
これは史実でもミッドウェー海戦前に、9月以降を目処にしてハワイ攻略戦の準備命令が陸軍では既に出されています。
ですが、その前にインド洋が焦点になります。
史実では6月に北アフリカ要衝のトブルク要塞を陥落させたドイツ軍が勢いに乗っており、ドイツとイタリアからインド洋での通商破壊強化と有力な艦隊派遣の要請が来ていました。
この状況に日本もインド洋で潜水艦隊や水上艦部隊を派遣する命令を出し準備していましたが、ガダルカナルの戦いが生じ、インド洋での作戦は極少数の部隊に任される事になりました。
しかし、ミッドウェーで勝利すれば米国はハワイの防備強化と航空部隊、艦隊再建に忙しく、ガダルカナルへの反攻は行わないでしょうから、日本は史実で予定されていた通りか、それ以上の戦力をインド洋に投入して通商破壊戦を行うかと思います。

インド洋は連合軍にとって、北アフリカ戦線、ソ連へのレンドリース(ソ連への軍事援助で全体の約3割がインド洋を通りました)、ビルマ戦線、中国戦線への補給路であるばかりか、インドからイギリスへ戦略物資を運ぶ海上交通路でもありました。
もし、この海上交通路が阻害されれば、各戦線は崩れるかもしれませんし、イギリスは戦争遂行に大きく響くでしょう。
特にイギリスは1942年にはドイツのUボートの通商破壊戦により、穀物などの輸入量が低下し消費量が輸入量を上回り備蓄で何とか凌いでいました。また貯蔵していた商船の燃料も3ヶ月分を切っている危険な状況でした。これにインド洋でさらに大きな被害を被ればイギリスは持ち堪える事ができないかもしれません。
元々日本には政府上層部の言う「通商破壊戦により英国の死命を制し米国の態度を変える」「英米連合軍の弱点は英国にあると考えられる。海上交通を断ち英国を餓死せしめて英国を屈服せしむること最も捷径なり」「英国の屈服に際し之と直ちに講和する事なく英国をして米国を誘導せしめる」という、まず英国を叩き、それにより米国との講和へ持ち込もうと言う戦略がありました。これが実際に成功するかどうかはともかく、英国の死命は海上交通路にあり、もしインド洋を日本が制すれば、前述した各戦線に致命的であり、英国にも大打撃だった事でしょう。

また、日本の潜水艦隊は開戦時に南方とハワイ方面に大きく二分され作戦しており、ミッドウェーで勝利した場合も当然、インド洋だけでなくハワイ~米本土、オーストラリア~米本土間で通商破壊戦に全力をあげる事になるかと思います。
史実では大戦初期は日本の潜水艦も遠く米本土沿岸で暴れ周りましたが、戦局の推移とともにそれもできなくなりました。しかし、ミッドウェーで勝利し米国の大型戦闘艦艇も多くを沈めたとなれば太平洋で通商破壊戦に力を入れる事も可能になるかと思います。
そうなれば、米軍も大西洋にばかり護衛艦を投入するわけにもいかず、その分、大西洋のUボートが楽になり戦果を拡大し英国を一層苦しめる事になるかもしれません。

そして、太平洋ではハワイ攻略戦となりますが、日本の潜水艦の通商破壊戦がうまくいけば、ハワイの防備も思うようには進まないかもしれません。
攻略自体は制海権、制空権をとれれば可能かと思います。あまり陸軍の大兵力を投入できないでしょうが制海権、制空権を握れば圧倒的有利になります。フィリピン攻略戦やマレー攻略戦、ジャワ攻略戦でも日本軍は連合軍より兵力が少ないにも関わらず勝利したのは、そうした要素において勝っていたからです。

ハワイの失陥は米国にとり大きな衝撃となるでしょう。
そもそも開戦前の米国の新聞には「日本は我々を攻撃する事はできない。軍事的にも不可能な事だ。ハワイの基地にしろ日本艦隊の有効攻撃圏の外にある」と載っていたくらいです。
おそらく、ここで活気付くのが米国内の黒人などの有色人種です。
開戦時、米国は一つに纏まっていたかのように言われますが、実はそうでもありません。
第一次世界大戦で黒人は待遇改善、地位向上を目指し、戦争に積極的に協力しましたが終わってみれば何も実りはなく失望だけが残りました。その経験から第二次世界大戦に米国が参戦した時も、有色人種の間では冷ややかに戦争を見ている部分がありました。
また、大戦を勝ち抜くため軍の増強と軍需産業での人員確保に黒人も組み込まれますが、黒人のこれまでの不満を和らげ、また人手不足を解消するために、これまで働けなかった職場や地位に黒人が就きました。
それに反発したのが白人労働者で職場放棄や暴動を起こしています。黒人側も歴史的に差別されている事から当然不満と反発がありました。1943年だけでも全米47都市で100以上もの人種暴動が発生しています。これにより、軍需産業の生産にも影響が出ています。デトロイトの暴動では黒人が軍の武器庫に突入しようとしました。軍内部でも黒人対白人の暴動が発生しています。
暴動で逮捕された黒人指導者の中には「黒人は米国内の日本軍だ」「東条首相に日本の勝利を祈る」と言い放った人もいました。
日本の勝利がこうした米国内の不満分子である有色人種を刺激し、より一層、反政府運動を大きくするかもしれません。
もしそれが広がれば米国内は酷い紛争状態となり兵器や物資の生産は遅れ、生活用品の流通にも影響を及ぼし、市民の不満を更に募らせるかもしれません。ただでさえ戦争で食肉やバター、ガソリンや暖房用燃料等色々な物が配給で不足気味なのです。それが更に悪化したら・・・
そうなれば、米国は日本と戦うより先に国内問題を解決しなければならず、日本に有利な状況で講和という事になるかもしれません。

史実では、前述した1942年10月の「アメリカ史上最悪の海軍記念日」の後に、米国では上下両院議員選挙が行われましたがルーズベルトの民主党は51議席も減らしました。ミッドウェーで負け、ハワイも攻略されたら民主党はもっと大敗し、ルーズベルト政権ももたないかもしれません。

>歴史は変わったのでしょうか?

その可能性はあります。
日本の勝算は上がったでしょう。

真珠湾攻撃の時、太平洋にはアメリカの大型空母3隻がいました。
エンタープライズはオアフ島西約200浬に位置し、レキシントンはミッドウェー島南東約420浬に位置し、サラトガは本土のサンディエゴで整備中でした。
これが全て真珠湾で大破し(大破の状況にもよりますが・・・複数の魚雷を受け大きな損傷負って修理に手間取り戦線復帰に半年もかかるとか、そこまでの損傷ではなく2~3カ月で復帰するとか、色々考えられます...続きを読む

Q99式艦上爆撃機は何故あんなに命中率が高かったのですか?

本屋で本を読んでて気になりました。
第二次世界大戦では零戦や戦艦大和など有名なのが
ありますが、99式艦上爆撃機とはあまり知りませんでしたが、命中率が8割を超える精度だったとありました。

実際99式艦上爆撃機とはどんな所で作られ、何故あの時代にあれだけの精度が出せたのですか?

Aベストアンサー

99式艦上爆撃機は昭和11年に海軍省から試作を命じられた中島と愛知の両メーカーが競作した航空機で、結果的には愛知が競作に勝利し昭和12年12月に試作第1号機が完成し、昭和14年に制式化されました。

当時愛知はドイツからの今で言うライセンス制作で、いくつかの艦爆機を作っていましたが、この99艦爆は日本独自のオリジナル設計による艦爆機で、これが日本における艦爆の嚆矢となった機体で、日本最初の全金属製の低翼単葉艦爆でもあります。

99式は終戦まで各型あわせて1294機が作られ、日本海軍の主な作戦のほとんどで使用されています。

80パーセントを超える命中率は開戦当初の戦歴で、その戦歴は相当無理な急降下にも耐えうる機体の頑丈さと優秀さもありますが、当時の厳しい鍛錬を積んだ搭乗員の技術によるところが大きかったといえます。

ただ急降下という敵に肉薄せざるを得ないような攻撃方法のため、艦船からの対空砲火に食われる確率が他の攻撃機よりも格段に高いものでした。

99式のもっとも華やかな戦歴はインド洋海戦といわれ、このとき99式は英空母ハーミスと巡洋艦コーンウォール、ドーセッシャーを撃沈しており、ソロモン海戦あたりが99式の栄光の絶頂だったといえます。

ただその後は経験豊富な搭乗員の消耗が激しくなるにつれ戦果も目立って少なくなり、マリアナ海戦を最後に第一線機としての名誉を彗星に譲っています。最後は特攻作戦にも使用されるようになりました。

99式艦上爆撃機は昭和11年に海軍省から試作を命じられた中島と愛知の両メーカーが競作した航空機で、結果的には愛知が競作に勝利し昭和12年12月に試作第1号機が完成し、昭和14年に制式化されました。

当時愛知はドイツからの今で言うライセンス制作で、いくつかの艦爆機を作っていましたが、この99艦爆は日本独自のオリジナル設計による艦爆機で、これが日本における艦爆の嚆矢となった機体で、日本最初の全金属製の低翼単葉艦爆でもあります。

99式は終戦まで各型あわせて1294機が作ら...続きを読む

Q空母赤城の処分について

 ミッドウェー海戦で被弾した空母赤城は自艦の
爆薬が誘爆し焼けただれて戦闘不能になりました。
しかし魚雷は受けていないので浮いています。

 国内では庶民の鍋、釜などの金属供出までして
鉄を集めている状況で、この何万トンもの金属を
魚雷で処分したのはなぜでしょうか。
日本に曳航してスクラップにして再使用することは
考えなかったのでしょうか。

 曳航中に船団が再度米空母の攻撃に晒されるからというなら
近くには戦艦大和など主力部隊もいるし、他の空母を呼び寄せて
赤城曳航を囮にミッドウェー海戦の報復戦をやってもいいように
思うのですが、どうなんでしょうか。

 

 

Aベストアンサー

popps さん、こんばんは。

 真珠湾も、ミッドウェーも空母の所在が分からなかったから、
囮でおびき寄せる、というのは簡単な話ではないでしょうか。
 まあ、勝ち負けはわかりませんが、準備万端対策を立てれば
劣勢挽回の目もあったのでは。


それは後知恵で不可能だと思います。あちらには空母が3隻健在でこちらは1隻です。当然使用できる航空機も少ないです。ほかの空母を要する部隊との距離もかなり遠くて移動展開をするのに10時間以上かかり、攻撃を仕掛けるには難しいのです。こちらの狙いは水上部隊をできるだけ敵艦隊に近づけるということですが、それでも敵の航空機の餌食になるでしょう。こちらの狙いといえば、潜水艦による捜索攻撃以外は期待できません。
とにかく連合艦隊の作戦立案能力に問題があったとしか考えられません。広い作戦域に薄く艦船をばらまいていますね。こんなのは邪道な考え方だと思います。これでは一つの部隊を攻撃されたときもう一つの部隊が支援に向かわせることができませんね。


国内では庶民の鍋、釜などの金属供出までして
鉄を集めている状況で、この何万トンもの金属を
魚雷で処分したのはなぜでしょうか。
日本に曳航してスクラップにして再使用することは
考えなかったのでしょうか。

これは戦争も後半に入ってからのことですから、時期的にずれていますね。

popps さん、こんばんは。

 真珠湾も、ミッドウェーも空母の所在が分からなかったから、
囮でおびき寄せる、というのは簡単な話ではないでしょうか。
 まあ、勝ち負けはわかりませんが、準備万端対策を立てれば
劣勢挽回の目もあったのでは。


それは後知恵で不可能だと思います。あちらには空母が3隻健在でこちらは1隻です。当然使用できる航空機も少ないです。ほかの空母を要する部隊との距離もかなり遠くて移動展開をするのに10時間以上かかり、攻撃を仕掛けるには難しいのです。こちらの狙いは水上...続きを読む


人気Q&Aランキング

おすすめ情報