架空の映画のネタバレレビュー

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6449033.html 以来の質問です。

Windows95が発売されて間もないころのPC入門誌を持っていますが、当時の事情が分からないため、これって本当?と思うものがあります。
Windows95の時代(およびそれ以前)は、イ~ハの事例はごく普通だったのでしょうか?
(かっこの部分は、文章を見ていて疑問に思った点です。)
答えるのは全部でなくてもかまいません。

----引用ここから----

イ:(ノート型は)液晶ディスプレイだから、映像のち密さが全然違う。
(その頃は、液晶とブラウン管では大きな隔たりがあったのでしょうか?今はデスクトップも殆ど液晶ですし、そのころから高額ながらもTFTはありましたが…)

ロ:(CD-ROMドライブの読み込み速度は)4倍速(600KB/s)以上がおすすめ。
(当時はCD-ROMの最大4倍速でも、十分間に合っていたのでしょうか?)

ハ:数年前(1990年代前半頃)、富士通のPCはNECに敗れた。しかし、今(1996年初め)は違う。
(Windows95以前と発売直後ではではそういうものだったのでしょうかね?富士通はその頃TOWNSを作っていましたが、Windows95の登場程度でPC-98から市場を奪えたのかは疑問符ですが…)

--引用ここまで--

A 回答 (19件中11~19件)

イ:その当時のCRTと言えば14~17インチで、解像度も800x600や1024x768が主流でした。


ノートPCの液晶は解像度640x480~800x600程度。TFTはまだまだ高価で、DSTNといった色再現性や応答性はTFTより劣るが、TFTよりは安価な液晶もありましたから、映像の美しさの面ではまだ液晶は歯がが立たなかった時代です。

ロ:Windows3.1時代のPC98を使っていましたが、2倍速CD-ROMドライブはその当時でも遅く感じましたね。当時のCDフォトアルバムを読み出すのに、1枚1枚表示するだけでももたついていた記憶があり、4倍速になっただけで体感的にはかなり良くなった記憶があります。
それでも、4倍速ではシャキシャキと読み出す感じではなかったですね。あくまでも2倍速との比較です。
十分間に合ったかというよりは、技術的にそれしかなかったからで、個人的にはもっと速くならないかとは感じていましたよ。

ハ:富士通は当時、TOWNSからDOS/V機のFMVに移行していた頃です。その後DOS/V機が主力になったことからもわかるように(もはやDOS/V自体が死後ですが)、Windows時代となって、日本独自のNECのPC-98が時代に合わなくなりつつあったのたは確かです。
それだけ当時Windows95のインパクトは強かったのですよ。あの頃はみなわけもわからずWindows95マシンを買ったものです。しかし、流行に踊らされ、買ったはいいが何をしていいかわからないユーザーが続出、3年後にはほとんど使われないまま中古で売りに出されるマシンも多かったですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

>流行に踊らされ、買ったはいいが何をしていいかわからないユーザーが続出、3年後にはほとんど使われないまま中古で売りに出されるマシンも多かったですね。

XPとか7とかではそういう話は当時ほど聞きませんが、なぜでしょうか?
PCリサイクル施行でごみとして取集しなくなったこともありますが…

お礼日時:2011/11/07 11:14

そちらの持っている雑誌に書かれている内容は、本当です。


それに他の回答者も同様です。

今の液晶モニタはメーカーが前々から画像データの表示速度、きれいさなどを限りりなく改良してきたからです。その結果、高品位ブラウン管の品質に追いつけたのです。それを忘れていけないです。
その頃はNECと東芝が強かったですが・・・。
液晶モニタの前に薄型モニタとして、オレンジ色のプラズマディスプレイも話題になったと記憶しています。

CD-ROMはもともと音楽用CDだったのをパソコンにも使えるようにしたのです。最初は1倍速だったのではないでしょうか。その頃はFDD中心でしたから、CD-ROMが出回るようになって、FDDの不便さから解放されたと記憶しています。データもそれほど多くなったですし。

NEC PC-98が負けたきっかけは、Windowsへの移行とIBMの日本語DOS/Vの実現で、PC98の必要性がなくなったのです。そう日本語処理が漢字ROMを必要としましたが、ソフトウェアで実現できたからです。
つまり、海外メーカーは日本語が壁だったので、市場として見ていなかったのです。
そこら辺がIBMのDOS/V開発関係を載せた読み物を読まれるとよいです。
コンパックの日本上陸で加速したと記憶しています。

その後、富士通を中心にしたいくつかのメーカーが販売しやすくなったので、NECのシェアをぶんどったんです。
NECはPC-98の強みがあったのですが、それを失った後は主導権を握れなくなったため、シェアはそこそこになっています。
でも、海外には販売力が弱いので、レノボと結んでやらないとやっていけない会社になってしまったのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

その本には書いてなかったのですが、95の時代は使いこなせず捨てたり売ったりするユーザーがXPとか7とかと比べて多かったと聞きますが、なぜでしょうか?

お礼日時:2011/11/07 11:15

イは異論がありますが、ロとハは常識でした。



イ:
液晶ディスプレイが小型だから緻密に見えただけでは?
当時のグラフィックカードが高解像(1024x768以上)を表示できたと思えません。
液晶は高価な時代はプラズマディスプレイのラップトップPCがありました。
ノートPCは東芝が液晶のダイナブックを出してから使われ始めたような気がします。

ロ:
CPUの性能がMPEG1(DVDのMPEG2の前の世代)の動画(解像度320x240)を処理する性能しか無かったと思います。
なので4倍速で十分「マルチメディアパソコン」を名乗れたと思います。(今なら苦笑ものです)
当時はグラフィックカード側で動画再生を支援する機能は無く、グラフィックの計算は全てCPU側で行っていました。

ハ:
PC-98とTOWNSでは使えるソフト(主にワープロなら一太郎と表計算ならロータス123)で勝負がついていました。
ところがWindows95が登場する以前にDOS/Vパソコンで
・グラフィックが640x480以上を扱うことが可能(PC-98は互換性のため640x400を維持)
・円高(1$が200円?)でもPC-98よりローコスト、ハイスペックのPCが自作できる
という環境でした。

ネックはDOSとソフトとドライバによる640KBというメモリ空間の圧迫でした。
ネットを接続する時は他のドライバを読み込まないようにするとか、ドライバの読み込み方法を自動で最適化するソフトが存在したくらいです。
それがWindows95でメモリ空間が大きくなり、その上ネットワークが標準搭載されたのでインターネットへの接続がものすごく簡単になりました。

富士通を初めとする各社はWindows95にマイクロソフトのWordとExcel等のソフトを添付したPCを販売し、企業の文章が一太郎からWordになるにつれてPC-98の優位性は薄れました。
(表計算ソフトもロータス123からExcelが標準となりました)
最終的にNECからWindowsパソコンが出ることでPC-98は終了しました。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
一太郎+ロータス123は、DOSや3.1の時代は売れていたとは聞いていますが…

お礼日時:2011/11/07 10:58

イ:Windows95が登場した頃は、確か液晶はSTNやDSTNが一般的でした。

95が登場した当時はブラウン管でも800×600~1024×768ドットが主力の時代で、15インチのディスプレイでした。私が初めてPCを触った頃の2倍以上の解像度になっていましたけどね。(あの頃は13から14インチ)
液晶は、バックライトの寿命が短く、素子そのものの透過性能が低かった。STN液晶は、TN型の先駆けで視野角は、今の任天堂が出している携帯ゲーム機3DSで3Dがほとんどちらつきなく見える距離や、位置と同じぐらいの視野角しかありませんでした。即ち、相当狭かったのです。
ちょっと視点が移動するとモノクロに見えたり、真っ暗になりました。尚、視野角がしっかりし始めたのは、IPS液晶やMV液晶が登場し始めた頃で、97年以降の話です。99年頃から、液晶は普及が始まります。

さらに、応答速度は話にならず、動画などはぶれぶれに表示されていました。
また、色数も少なくハイカラー程度が主力でした。

ロ:最初にCD-ROMドライブを登載したのは、富士通のFM-Townsでした。当時は、CD-XA(CD-ROM規格)の走りとなる機種で、等速の光学ドライブが登載されていました。その後、93年頃までに光学ドライブはデータ読み出し2倍速に達します。94~95年頃にようやく4倍速が主力となり、その頃Windows95発売となります。その後97年頃までに、6倍速、8倍速が主流になり、99年頃に最高速の52倍速(マルチビーム方式)に達します。尚96か97年頃から、CD-RとCD-RFSが等速や倍速で登場するようになりました。ちなみに、95年当時はハードディスクでも読み出し速度はサーバー機や汎用機を除き、2~8MB/s程度です。

まだ、95年は第6世代プロセッサであるP6ファミリー(Pentium Pro)も産声を上げた頃ですし、P5(Pentium/5番目を意味するPentaと金属のiumの造語から、開発時にはi586になると言われていた製品のブランド名)は一部ロットにおいて演算におけるバグに悩まされていました。そんな時代の内部バスと周辺機器を結ぶ回路はとても遅かった。


ハ:NECが国内で最も覇権を握ったのは、80年代~90年代中盤で、独自の9800シリーズROMアーキテクチャが、閉鎖的な98プラットフォームを囲い込んでいましたから、強かったのです。何せ、日本語漢字ROMが標準で登載されていましたし、テキストRAMまで登載され日本語は、完璧でした。

Windowsの登場で、それがソフトウェアで行えるようになり、しかもDOSとは異なり、APIまで内包するようになりました。それで、NECのその強みが無くなったというのが、たぶん記事に書かれた内容でしょう。

現実として言うと、NECは95が登場しても販売台数は当時莫大伸びており、年率では97年頃~98年頃までは、シェアが下がってもNECは強い時代でした。富士通も同様に伸びていましたが、90年代に追い抜くことは出来ませんでした。98年頃でも5割程度のシェアがありましたからね。

NECが大転換を余儀なくされたのは、97年のアジア通貨危機前後からです。この頃NECはAT互換機の後継となるとされた、ウィンテル(ハードの主導はインテル、対応ソフトウェアはマ社)のPC97ハードウェアをいち早く取り込みます。PC-98NXと呼ばれるブランドで、ISAを排除し、PCIとAGPやスリープ機能、USBを標準登載したPCを発表するのです。これが事実上のAT互換機シフトとなりました。

NECの最終的な最盛期は、その後2年ほど、半導体で世界No2であり、パソコン事業では99年にパッカードベルト合わせて世界No1に瞬間風速的(僅か数ヶ月程度)ではありますがなっています。ただ、2000年からパッカードベルが凋落、NECのパソコン事業はそれとともに、減速し、2002年のITバブル崩壊へとと進みます。

今から、育つ子供なら、NECが単体で世界トップクラスのパソコン会社であり、インテルと競合するほどの半導体企業だったとは思わないでしょうね。インテルのx86とμPDが特許関連で訴訟をした時代もありましたが・・・。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
MSOfficeではなく、一太郎+ロータスのほうが有名だった時代では、PC-98もまだまだ勢いがあったということでしょうか?

お礼日時:2011/11/07 11:00


当時の価格的な物があったのではないかと。95のころはまだまだブラウン管がデスクトップの主流でしたし。
液晶モニタで20インチ超の大型化が普通になったのもここ数年の話ですし。


と、言いますかこの時代はMAXでも8倍程度だったかと。根本的に今のドライブと性能差が違います。

今のように高速で、色んなメディアに対応するコンボドライブなんて存在しませんでしたし。
(そもそもDVDすら出ていないけど)


このへんはWindowsっていうよりも、日本のPC業界自体がNEC-DOSからDOS/Vに移行していた時期だし。
NECが日本市場を独占という構図が崩れてきた時期ですしね。それに乗じて富士通が台頭してきたというのも間違いではないかとおもいます。(あまりそういう印象はないですが、NECが衰退し始めていたのは確か。)
PC好きで金銭面に余裕が有る人はNEC-DOSとDOS/V両方を持つというのが流行(?)だったし。

ほかにもEPSONがNEC-DOSから離脱したりと色々NECが衰退する要素があったので、そういう表現になっているのかも。
当時、NEC以外は何よ?って聞かれたらやはり出てくるのは富士通かソニーですし。世界的に見ればIBMでしょうけど。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
HDDよりCDのほうが容量が多かった時代(当時HDDは500MB程度の機種もあった)では、CDの倍速自体も求められてなかったのでしょうかね?

お礼日時:2011/11/07 10:57

1, 白黒の2色、(ハーフトーンがない)っていう液晶ディスプレイもありました


2,一番最初のCDドライブは1倍速でしょう。(たぶん)
3、昔はNECとか富士通が世界のトップ5みたいなシェアだったんですよね

私は昔のユーザーじゃないですが、MACのパワーブックの白黒の2色を触らせてもらったことがあります。20年前ぐらいの?
「トラックボール」っていうポイントデバイスが付いていて、今見てもかっこいいのなんのって!!
あのデザインって、中身を最新にした復刻版が出たら私絶対に買います。
パワーブックとThinkPadは本当に昔から素晴らしいデザインだったんですよね。
ほかのメーカーのノートは今でも3年もすれば古臭く見えるのに。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
当時はワープロソフトが一太郎・ワード等から選べる時代だったことは分かっていますが…

お礼日時:2011/11/07 10:54

イ)当時の液晶は高額な上に技術的に未熟でした。

だからCRTが好んで使われていましたね。

ロ)4倍速が普及し始めた時期だったと記憶しています。私も4倍速のドライブ内蔵機を買いました。

ハ)95発売時は、コンパック(今のHP)がシェアを伸ばしていた時期だったと記憶しています。NECはIBM互換機への移行が遅れ、それまでの9800シリーズのシェアを奪われつつ有った時期ですね。富士通もIBM互換機の投入で売り上げを伸ばしたとは思いますがコンパックや本家IBMに勝ったという印象は無かったですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
TFT液晶でも、性能は今ほどなかったのでしょうか?

お礼日時:2011/11/07 10:53

イ:液晶は今でも所詮ドット単位で映像を描く点描画スタイルですので、昔の低解像度ではカクカクした映像にしかなりません。


 それに対し映像をそのままうつすブラウン管のほうが当事は高画質だったのです。
 今液晶綺麗なのが映るのはとりもなおさず、ドットを小さくする技術の向上により解像度がアップしたからです。

ロ:間に合うも何も当事は最高でも8倍速の時代、ないものは我慢するしかありません。

ハ:そういうものでしたし、現実としてPC-98市場は2年で消滅しました。


しかし・・・・・タイトルからして過去に何度も同様の質問してると思いますが、その都度「本当です」って回答もらっていませんか?
それなのに、まだまだ疑う質問者さん、いくら当時を知らないといえ何でそこまで雑誌・回答者ともに信用できないんですか?
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
真偽よりも、当時の事情が知りたいだけですね。

お礼日時:2011/11/05 19:09

イ:(ノート型は)液晶ディスプレイだから、映像のち密さが全然違う。


(その頃は、液晶とブラウン管では大きな隔たりがあったのでしょうか?今はデスクトップも殆ど液晶ですし、そのころから高額ながらもTFTはありましたが…)
当時のノート用液晶ディスプレイは 当時のCRTモニターと比べてもろくなものではありませんでした。
大きさも小さく、解像度も低く、視野角も狭く、反応速度も遅く、色の再現性も悪く、なにより部品として高価であったためにノートPCの値段を引き上げることになってしまいました。

ロ:(CD-ROMドライブの読み込み速度は)4倍速(600KB/s)以上がおすすめ。
(当時はCD-ROMの最大4倍速でも、十分間に合っていたのでしょうか?)
当時はそんなもんでした。間に合っていたというより それしかなかった、そんなものだと割り切られていたというところです。

ハ:数年前(1990年代前半頃)、富士通のPCはNECに敗れた。しかし、今(1996年初め)は違う。
(Windows95以前と発売直後ではではそういうものだったのでしょうかね?富士通はその頃TOWNSを作っていましたが、Windows95の登場程度でPC-98から市場を奪えたのかは疑問符ですが…)

売れに売れた国民機であるPC-9801の栄光で食っていけたのはWindows95の発売までです。
それ以降、OSさえWindowsが入っていればどの機種でも同じソフト動くことになりましたのでわざわざ高価な9801を買う義理はなくなりました。
とはいうものの9801の牙城を崩したのはCompaqなどの安い外資系メーカーが目立ちましたし、 富士通ならTownsではなくFMVシリーズです。
各社が入り乱れて9801の砂の城を崩したわけですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

TFT液晶自体は95の時代からあったので、当時はTFTといえども現在より性能が低かったのでしょうか?

お礼日時:2011/11/05 19:10

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