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痛み、快楽
そういった感覚はなぜ生まれるのだろう
脳の機能だとしても、物質がある条件下のみ急に感覚が生まれるというのも変な話ではないか
むしろあらゆる物質には低次元の感覚のようなものがあって、それらが集合するとある程度高度な感覚になるのではないだろうか
その低次元の感覚というのは、物質的な目的(例えばプラスのものがマイナスに引き寄せられる)とき、快楽のようなものが生まれ、逆にそれに反するときに痛み・苦しみのようなものが生まれるの、というようなものだと予測している。

そう考えると、我々が死んでも苦しみや快楽は永遠に続くのではないだろうか。もちろんそのとき自分が過去に人間であったなどという記憶はない。ただ感覚だけが永遠に続く存在となる。

この考えをどう思いますか

A 回答 (12件中1~10件)

素粒子や原子レベルで物質が、低次元の快や不快の感覚を持ち、素粒子個々が我が存在することを認識し、意識しているというのは、考え難いですが、



そもそも、何故宇宙が存在していて、何故このような物理法則が存在していて、そして、意識を持つかどうかは分からないが素粒子が存在しているということ、つまり、物が存在しているということ自体と、それが成り立っていること自体が既に説明不可能なとてつもなく不思議なことであり、

そんな不思議な世界の中に誕生している「人間が我という意識を持ち存在する」ということぐらい、今更驚くことでもないのかもしれません、不思議さに関しては「物質の存在」と「精神の存在」は、『存在して、法則に従い動き、成り立ち、現象している』という点において、両者もはや同列の事なのかもしれません、ただ人間が『精神の存在』の方だけを特別に驚いているだけなのかもしれません、

素粒子が、小さな小さなマシンのようにただ物理法則に従い機械的に反応したりしているのではなく、もしかしたら生き物のように、素粒子レベルで低次元の感覚が存在しているのかもしれませんし、

素粒子が持つ低次元の感覚というのがどのようなものなのかは人間には分かりませんし、

素粒子の低次元の感覚というものが、人間と比べて、感覚と言えるようなものなのかもわかりません、

もはや、「素粒子が感覚の最小単位を持っている」、または、「素粒子は感覚を持たない単なる物理法則に従う小さなマシンで、そのマシンが有機的にネットワークを組むと意識が生まれる」のどちらでもよい事なのかもしれません、

そのような「感覚を持たないマシン(素粒子)が存在している」という事自体と、「意識(人間)という現象が存在する」ということの間に大差はないのかもしれません、

だとしたら、人間がただ『意識という存在』にだけ過剰反応して驚いているだけであり、意識と呼んでいる存在と、物理法則に従う感覚のないマシンである素粒子という存在の間には境界線などなく、とにかく存在が存在するという点において、同じ不思議な『存在』なのかもしれません、

しかし、素粒子という存在が存在する自体が不思議ですが、昆虫ですらマシンのように動いているだけか、それとも感覚や意識を持っているのか分かりません

物質の最小単位である、素粒子が感覚の最小単位だとしたら、物理法則=感覚による反応の結果、ということになりますね、

感覚という言葉自体もよく分からないものですね、物理法則にしろ感覚にしろ、それらが存在して成り立っていること自体両者不思議な事ですから、物理法則が感覚を生むでも、感覚=物理法則でもどちらでもよいですね、

『存在』が物理法則に従い無機物(素粒子)的な反応するときは感覚無しと判断し、『存在』が物理法則に従い有機物(生物)的な反応をするときは感覚有りと判断して、『存在』を区別しているだけで、

物理法則の中で感覚だけを特別視しているだけで、感覚有り無しを区別することにあまり意味は無いのかもしれません、

そもそも、『物理法則』と『感覚』の間に境界線は無く、 素粒子→原子→石→細菌→昆虫→動物→人間、の間で素粒子から昆虫までは感覚無しで、動物から人間までが感覚有りというような明確な区別は無く、おっしゃるように、物理法則がいつの段階で感覚を生むのかというものではなく、そのように分けるのは難しですが、

どの段階であろうと、結果的に物理法則のネットワークが感覚のような現象を生み出しているなら、物理法則=感覚でもよいことになりますね、

ただ、素粒子から昆虫までのレベルの物理法則のネットワークでは感覚のような現象が考えられないし、確認もできないというだけで。
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プログラムによって実行されているゲームの世界という例えで考えると様々に役立つと思います。



そのゲームの世界の全ての法則や物体の性能などは、プログラムによってどうとも設定できます。
何かの物体の性能や動作をその物体が実現させていることが要るとは限りません。
例えば、「2 * 3 + 4」という文字列を入力すると「10」という数値を出力するプログラムである場合、「2」や「*」などの記号が計算する性能や動作を実現させているのでなくて、プログラムが「2 * 3 + 4」という文字列を計算する性能や動作を実現させています。「2 * 3 + 4」という文字列は、計算する動作の材料であるだけです。プログラムによっては、「2 * 3 + 4」という文字列は、「2 * 3 + 4」という文字列のままです。
神経素子網の配列もそうであって、どんな配列がどんな性能や動作と対応しているかは、プログラム次第です。

> いかなる化学変化も、「存在」は生み出しません
そもそも私たちにとって、存在もが、質感(=クオリア)という、プログラムでもある私たちが扱っている材料です。
「2」や「*」などの記号の様々な組み合わせで様々な文字列や、その文字列の計算結果である数値を生成させ得るように、材料の様々な組み合わせで様々な質感を生成させ得るでしょう。対応もするでしょう。

つまり、この世界を実現させているプログラムに既に様々な性能や動作や質感が在ったという考えもが有効であるということです。
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>意識を感じる主体、「我」はいったいどこにありますか?



その事を#5に書いてあります。
心の中の現象に過ぎない「時空的広がり」の中に、
その原点であるはずの「自分」が、既に有限な大きさ
(階層現象表面的定性化)を占めているという事が、
「自我仮説(時間的流れ=過去)と時空仮説(空間的広がり
=未来)の相補分化」の根源を無(絶対無=不確定性無限)
に還元し得るのです。
(これ以上の「分かりやすい」説明は全て物理学の話に
なりますので自習して下さい)

この回答への補足

>#5に書いてあります。

書いていません。
質問の趣旨をわかっていますか
どこにあるか、と聞いているのです

Q.どこに「我」がありますか?
A,「自分(我)」がXを還元します

補足日時:2011/11/19 17:44
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この回答へのお礼

お礼日時:-0001/11/30 00:00

たとえば,エヴァが暴走しているときにも,中にシンジ君


が居るということではないでしょうか.このたとえは,
志向性とシステムがシンクロしていながら,志向性に反し
てシステムが感情を獲得した状態をあらわしていますが,
この状態がながびくと,エヴァが自我を獲得します.

ここで志向性という概念を用いましたが,宇宙自体に志向
性が関わっていることは,すでに予測されています.しかしそ
れが我々個々なのか,一つの系に繋がれた全体なのかに
ついては予測できません.真理の体系は膨大な量におよぶ
ので,答は出ないのかもしれませんし,いくつの系に分かれ
ているのかも知り得ないのですから.いま言えることは
「初めに光あれ」この言葉が真実であるということだけです.
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>物質がある条件下のみ急に感覚が生まれるというのも変な話ではないか



化学変化というものは、そういうものではないでしょうか、脳に限らず、

例えば、食塩(塩化ナトリウム)は塩素とナトリウムの化合物で、人間の体に必要な物質ですが、

食塩を構成する塩素は単体では毒ガスですし、ナトリウムという金属は水に触れると爆発する危険な性質を持っていて、両者単体では人間にとっては危険な物質ですが、

ひとたび両者が反応すると、その危険な性質は消え、安全で人間に必要な性質になります、

エネルギー保存の法則によると、塩素とナトリウムの単体に、『何か食塩になる魂のような存在が宿って』(プラスされて)食塩に変化するわけではありませんが、反応すると性質が全く変わります、

塩素ガスや金属ナトリウムも単体では、食塩の性質は何処にも存在しません、が反応すると突然生まれるのです、

意識や感覚という現象も、脳のニューロンなどを構成する物質はエネルギー保存されていても、塩素とナトリウムの食塩への化学変化のように、その物質の組み合わせで突然現れるようなものなのではないでしょうか。

人間が死んで火葬されて、灰や二酸化炭素に変わったら、その物質達(灰や二酸化炭素など)は人間としての痛みや快楽といった感覚はもはや存在しないと思います、

灰や二酸化炭素は人間としての感覚は存在しませんが、化学反応はできますので、その物質にとっての物理的反応や化学的反応などが低次元の感覚と言えるのかもしれません

この回答への補足

>化学変化というものは、そういうものではないでしょうか
違います
いかなる化学変化も、「存在」は生み出しません
だからこそ、感覚を感じる「我(存在)」はもともと物質にあるのだという結論です

補足日時:2011/11/19 17:48
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「人生は一度限り、あの世なんてない」という幻想を信じるならば、できるだけ今を楽しんだほうがいい。


知恵や才能があり、警察や税務署を出し抜けるなら、強盗、殺人、幼女強姦、拷問など、なんでも好きに楽しむのがベスト!

また、震災で財産失ったとか、病で先がみえているなど「がんばっても、この先いいことはない」というのがリアルに分かるなら、残りの人生楽しむために、違法や灰色のことをなんでもやって金を稼いで豪遊するのが、良い生き方となる。

もちろん、そういった犯罪を犯す才能・度胸の無い人は、法律の範囲で生きるほうが幸せでしょうけどね。

また、死んでしまえば終わりなんだから、津波でひどい目にあって死のうが、不治の病で死のうが、私たちは彼らを悲しんだり、同情する必要さえもない。

ただ、「あの世がある」と思うかたは、来世、来来世での因果応報を考えて、上記のような生き方はしない。

この回答への補足

タイトルだけ読んで答えを投下していませんか?

補足日時:2011/11/18 20:17
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人生は一度限り。


あの世なんてありません。

せっかく生まれてきたのに、死後の世界を夢想して無駄に時間を過ごしてしまいます。
現実をちゃんと受け入れて、その中で人生論を考えてください。

生きたくても生きられない人は沢山います。
病とか震災で亡くなられた方々も、沢山います。

この回答への補足

補足日時:2011/11/18 20:16
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この回答へのお礼

お礼日時:-0001/11/30 00:00

#4の者です。


「自分の意識とは独立して、環境に物質が存在し、その反応の
中で結果的に意識が発生している」という、古典的なお考えの
ようですが、それが違っています。

実は、相対性理論にしても、量子論にしても、認識体との相対に
よってしか存在は無い、という帰結を潜在的に持っています。
客観的時空や絶対的存在というのはない、というものです。
認識性を除外した存在は、無=無限不確定性になります。
その無限の闇に、認識体の仮定断面の運動(プランク定数hの
収束の時系列化)を想定すれば、相対的に無の風は光になり、
認識体はその光の向うに、自我仮説の補完としての時空仮説
=宇宙を認識します。

「自我仮説」が、宇宙膨張=光速の低下=物体収縮=不確定
性(h)の収束における、hの減少の時系列化である時、それが
架空の時間軸となって、空間的確定性としての無限不確定的
空間性が、超光速(過去=経験)と光速下(未来=予測)に相補
分化する受け皿となり、直交基底をなす事によって、相補的不
確定性を生じ、経験による予測=現象表面的定性化における、
有限的存在(=非光速)を幻出しているのです。

即ち、「何か有るんじゃないの?」という疑問(自我仮説)の相補
として生じた時空仮説に対して、「本当はないんだけどね」という
無の射影として、存在は生じていると言えます。
無いとは分からない事が有なのです。
逆に言えば、全てのものは、あなたが存在するための(物理的
根源にまで遡った)補完なのです。

(「目の前の「コップ」という存在はなく、全て電子や陽子の並び方
に過ぎない」というのは確かですが、そういうあなた自身も、その
“階層現象表面的定性化による仮象”に他ならないのです)

この回答への補足

意識を感じる主体、「我」はいったいどこにありますか?

補足日時:2011/11/18 20:31
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この回答へのお礼

>自分の意識とは独立して、環境に物質が存在し、その反応の
>中で結果的に意識が発生している

他人の意識とかまさにその表現そのものだと思うんですが、それが古典的な考え何ですか
具体的に物質そのものが意識の最小単位であるということに対する反論はできないわけですね?

お礼日時:2011/11/18 20:12

意識が脳のニューロネット(神経線維網)の産物である事は、


既に臨床的に確認されています。
哲学的論議の対象ではなく、医学・脳生理学の対象です。
疑義があるならば、脳に電極を差し込んで幻覚を見させて
もらうと良いでしょう。
逆に事故や疾病の臨床例において、意識の喪失やその
回復の事例と研究は、もはや古典的です。
ご指摘のような仮説の成立する余地はありません。

この回答への補足

人間の意識と呼ばれるものは確かにニューロネットとかいうものが原因でしょうね
しかし私が質問しているのはそういうことではありません
ニューロネットは、所詮様々な物質のあつまりです。
その物質がなぜ意識を持つのかということなのです。
基本的に我々の体は陽子・中性子・電子(面倒なのでこれ以上分けませんが)で構成されていますが、では意識の正体はなんなのかということなのです。ニューロネットにはこの中にはない何かがあるのですか?
そんなことはないでしょう。
ニューロネットはそれらが特定の配列で繋がったに過ぎません。
ではいったい何が感覚(意識)の正体なのか。
そういったときに、物質そのものが感覚を持つという答えにたどりついたのです。

返答お待ちしてます。

補足日時:2011/11/17 22:08
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物質が影響を与えない状態でも幻覚という内部からの刺激により感覚は生まれます。


死後に魂があると仮定すると、魂が受ける感覚というのは上記のようなものと思います。

この回答への補足

僕の言っていることと少し違うように感じます。

補足日時:2011/11/17 22:09
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