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24歳、性別は女です。
東北の地元で就職をして3年目です。

去年の夏に心身ともに調子を崩し、それから月に2回ほどカウンセリングを受けていました。
体の調子が悪かったこともカウンセリングを受けていたことも、周囲の人には言っていません。
9月でカウンセリングは一旦止めにしましたが、以前よりも調子よく過ごせていますし、ちゃんと休むことも覚えました。

カウンセリングではなぜ悩みを抱えるようになったのかという経緯を自分なりに認識しました。ただ、それが分かったからといってすぐに全てが解決するわけではないので、いまだに悩みはあります。
今は耐え時なのだ、やるべきことをやっていればいつか上向いてくると考えるようにしています。
しかし、心の奥底では、他の人の場合はそうかもしれないが“私はそうはなれない”と固く信じてしまっているところがあるのです。

カウンセリングを受けたり、さまざまな本を読んだりして、気持ちの持ちようがとても大切なことは分かりました。けれど、どうしても根拠なしに“私はできる”とか“私は幸せになって良い”とか信じられないのです。
こうやって悩んでいることが“私”という存在をつくっている、私の個性だと思っている節があることは自覚しています。悩みにしがみついているのです。
思いっきり、悩みも吹っ飛ぶほど楽しんでげらげら笑っていたら、私という存在は消えてしまうのではないかと密かに恐れています。おかしいですよね?
楽しめないことに悩みながらも、楽しむことが怖いという矛盾です。

楽しんでいる自分を想像することはできます。
こういう状態なら楽しいと思えるなぁ、きっと。ということもいくつか思い浮かべられます。
ただ、そのあとすぐに周囲の人(友達や職場の人)が出てきて、私にこう言うのを想像してしまいます。
“だから、言ったでしょ?何で前からそうしなかったの?”
もうその瞬間に気持ちが冷めてしまいます。
周囲の人や今の環境が嫌いなのかも知れません。


誰かがいい方向へ引っ張って行ってくれるとは思っていません。自分でどうにかしなければ、どうにもならないというのは分かっています。
自分で進むためにも心の奥底にある“自己否定”をどうにかしたいです。


“自己否定”を克服した方、同じように悩んだことのある方などどなたでも、具体的な解決方法でなくてもいいです。ただ、“私もそうです”ということでも構いませんので様々な意見・感想・アドバイス等を聞かせてください。




いつも思うのは、“私のフィールドをつくりたい”ということです。

A 回答 (1件)

私は調度24歳の時に「自分は一体いくつになったら落ち着けるのだろう」「いつ楽になれるのだろう」と自分だけが深い沼の底にいるような気分から脱することが出来ました。

あの時までの感情を思い出すととても重く暗くそして焦りと不安と寂しさで我ながら随分つらかったなぁと思います。長いトンネルから抜け出せないでいた私の目の前が明るい世界に一歩踏み出しようやく出られたかも知れないと思ったのは自分の自意識に気がついた時でした。私は物事を真面目に捉え自分なりにちゃんとやって来たつもりで卒業し就職して大人になったと思っていましたがそれ故に知らない内にプライドも高くなり学生並みに自意識が過剰であることに気がついたんです。日本人ですから今でも人の目を気にしないわけではないですがそれでもあの時の私は自意識でがんじがらめになっていたと思います。人から見た自分、人からの評価、人の態度や言葉にとても敏感でした。それらを考えただけで「自分のまま、あるがまま」を表に出すことに尻込みし人から評価されている自分があたかも本当の自分自身なような気がしてしまい、そう感じさせる周囲の人も内心嫌いになり家族も面倒に感じていました。

自己否定は癖になっている部分もあり自意識が働くとどうしても否定度が倍になってしまう。それでなくとも自分に自信が持てないでいるのに人から言われると立ち上がれないほど嫌になってしまうから誰とも係わり合いたくなかったし関われなかったんだと思います。

私が当時羨ましかったのはテレビに出ている有名人でも近所の綺麗なお姉さんでもなく道を歩いている何も考えてなさそうなオバチャンでした。語弊を恐れず言えばお世辞にも綺麗とは言えない格好とサンダルで手に何も持たず表情を作るわけでもなく変な髪形であんなに堂々と道を歩けるのか。そしてなぜあんなに楽そうでその自信はどこから来るのか。かと思うと同じ年くらいの女性達がコンビニなどで楽しそうに笑っていたりすると自分には関係ないのにそこを通るのも気が引けました。臆することなく自分をおおっぴろげに出し気を使っているでもなく自信満々に人に接している同世代の同姓を見るとコンプレックスが刺激されるのか悔しさと羨ましさを通り越して腹が立ってきたりしました。当時の私は「オバチャンを見た時の気持ち」と「同姓の女性達を見た時の気持ち」の根底には「羨ましい」という同じ感情があることに気がついていませんでしたからね。

自意識が過剰だと人からの評価も気にし過ぎますが自分自身で下した自己評価も過剰に気にすることになります。これを私はどうやって直したかと言うと自分を固めるものを意図的に一つずつ取り去って行く努力をしてみたんです。私の引き連れていた否定的な自意識はとても重くそもそも思考なのだから行動で変わるはずもないとも思いましたがそれでも辛かったので行動から変えようと思いました。つまりマネしてみたんです。

外出の時に普段着で出てみる。次は化粧をしないで出かけてみる。私は東京ですが最終的には素顔で渋谷まで行きました。すると思ったより誰も見ない。笑わない。自分で自分を気にするほど私を見ていないことに気がつきました。

次は人間関係で試しました。私はプライドと自意識で人に笑われておどけるなんて考えられませんでしたしわかっていることを忠告されると返事をする気にもなれず内にこもっていましたからまずは家族に笑われた時「そうかもね」と笑って対応するようにしました。友達にも「私」を言い当てられたようなことを言われた時一歩引いて心で否定せずに受け流してみたんです。すると少しづつ周囲が変わって来ました。否定も肯定もしないしムッとするわけでもなく気にする風でもなく機嫌が良さそうである私を見ると「自分を持っている」「自信がある」「変わった」「自分を知っていて断言している強さがある」と感じてくれるようになり私も周囲の反応を見て確実にハッタリである自分の言動が人をまず変えることを知ったのです。

言動から変えた時、周囲の見る目が変わりわたしは人は自分の思うほど人を気にしていないのだからもっとリラっクスして自分は何がしたくてどういう人間でありたいのかをゆっくりと模索することが出来たんです。そして気にしないフリを完全に出来た時、気づくと自分自身もあまり人の言ったことや態度に内心過剰に反応することがなくなっていきました。

とにかく生きることが楽であることが先決だと思うので内に篭って悩むより、人生の大半は人間関係と割り切ってまずは考えるのを辞め外に向かって努力することをお奨めします。

あまり考え過ぎないで騙されたと思ってやってみて下さいね◎頑張ってください。
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この回答へのお礼

丁寧な回答をありがとうございます。あぁ、同じだなぁと少しほっとしました。


「同世代の女性たちを見たときの気持ち」はとてもよく理解できます。
周りの女の子たちやテレビや雑誌に出ている女性たちはびっくりするほど女らしくて、見た目も声もかわいいし、ノリもいい。
色で例えると、彼女たちはピンク。私はモスグリーンという感じでしょうか。(その渋さが私らしさだと最近は思えるようになりましたが。)私はどうして彼女たちみたいに育てなかったんだろう、私は女の子として失敗作だと本気で思ったこともありました。
"ありのままの私なんて男性に評価されないから価値がない"なんてことも考えていました。おかげでまともに恋愛できていません。恋愛なんて…と半分諦めたフリをしています。少し寂しい気持ちです。


他人の評価を気にしすぎる部分を克服すれば、私ももっと良くなれるのではと思えてきました!
言動を変えることをやってみたいと思います。ちゃんと自分の人生を楽しむためにがんばります。

お礼日時:2011/12/17 23:09

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