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私は高知出身なのですが土佐闘犬を観たことがなく、これから観てみたいと思っています。
そのため闘犬について調べていたのですが、現在は動物愛護の流れから規模を縮小しているようでした。
闘犬をなくすことが動物愛護につながるのか疑問でしたので質問します。

そもそも「犬」は人間の価値基準で人間によって作成された動物のため、
ほとんどの犬種は人間の保護がないと生きられません。
よって「闘犬が廃れる=闘犬に使われる犬種の死」を意味します。

闘犬の犬種を無理やり人間に置き換えてみると、
「産んでごめんね!お母さん間違ってたわ。だから死んで!」という状況ですよね。

上記の流れから、なぜ闘犬を廃止することが動物愛護につながるのかわかりませんでした。
説明できる方は理由を添えて回答をお願いします。

A 回答 (7件)

素晴らしい回答が出揃っていますね、NO3~6の皆さん。



私も、質問者さんの〝よって「闘犬が廃れる=闘犬に使われる犬種の死」を意味します〟という唐突な結論には論理的ではないと感じます。

土佐犬を英語名でいうと、Japanese Mustif 、元々は明治時代に日本犬と西洋犬のマスティフやグレートデンなどと掛け合わせてこう配された新犬種なのです。
多くのかたが四国の純血種だと勘違いしているみたいですが、先ずはそれをご認識ください。
そしてそのときにこう配されたどの西洋犬も今の日本では家庭で大切にされながら飼われている割と高価な犬種ばかりです。
こちらをご覧ください。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E4%BD%90% …
マスティフ犬種の好きな愛好家で、
土佐犬を家庭犬として(肩身の狭い思いをしながらも)飼っているお宅はいくらでもあります。
おそらく質問者さんがご存知ないだけでしょう。mixiのコミュニティーも存在しますが、もし同様のご質問をコミュニティー内で投げられたら一斉に抗議の声があがるでしょうね。

>上記の流れから、なぜ闘犬を廃止することが動物愛護につながるのかわかりませんでした。
説明できる方は理由を添えて回答をお願いします。

犬カテなので揚げ足とりはしませんが、「上記の流れ」記述の中に論理的ではない部分を含んでいるので、説明には値しません。
「闘犬に使われる犬種≠すべての土佐犬」です。
むしろ、今どきそんな飼い方をしている家はヤクザくらいなものでしょう。

攻撃的な回答を書いてしまいましたが、個人的に犬に限らず、動物同士で殺し合いをさせて喜んでいる人種は、軽蔑します。
闘鶏もしかり、闘牛(日本の一部農村での牛同士の方です)しかり。
悪しき風習、
恥ずべき因習だと思っております。スペインの事は知ったことではありません、よその国なので。

動物愛護なんとかの類いは実は嫌いなのですが、
これに関してだけは賛同したいと思います。

獣を戦わせて喜んでいる人間は、獣。
(開催している業界のお兄さん達の多くが、それを物語っているでしょう)
失礼を承知で書かせて頂ければ、それを見て喜んでる人種も大して変わりません。









 
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>「闘犬が廃れる=闘犬に使われる犬種の死」を意味します。



そうでしょうか?
犬に闘犬としてのしつけ教育をしない、つまり、犬を闘犬には育てない。
闘犬を得るための交配はしない。
私はこう解釈しますが。

人間は、仕事をこなす、必要な犬種を増やしてきました。
人間に都合のいい犬を作ってきたのです。
でも、そんな犬のほとんどは、現在はペットです。
かつて闘犬で、今はペット・・・ブルドックもそうじゃないでしょうか?
それが、人間と犬とのかかわりです。

「闘犬の廃止」は、まず人間が闘犬を辞めることでは?
その犬種をなくさないために、闘犬を辞めないというのは、人間の勝手な言い分。
動物愛護とは間反対だと思いますよ。
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こんにちは。


私は、「動物愛護」の考えにはふたつあると思います。ひとつは、人間から見てその動物が「痛ましい」から保護しよう、という考え方。もうひとつは、その動物が減少・絶滅の危機にあるから保護しなければならない、という考え方。
この二通りの考え方がミックスされてる場合も多々あるとは思いますが・・・
読みかじりですが、昔の秋田犬は、現在のような姿ではなかった時期があったそうです。秋田犬による闘犬が一時期盛んになり、より強い犬にしようとしてマスチーフ等の血を入れたりした結果、立ち耳・巻き尾の日本犬とは程遠い格好の秋田犬がたくさん存在したと言うことです。
が、本場の闘犬となると、秋田犬では土佐闘犬にはやはりかなわず、秋田犬はだんだんすたれて行った。秋田犬の減少と、秋田犬本来の姿が失われることを憂えた一部の愛好家が、苦心と苦労をかさね、秋田犬の本来の面目を濃く保つマタギ犬などを探し求め、交配を繰り返し、ようやく今のような「伝統的」秋田犬を復活させた、とのことでした。
この場合ですと、秋田犬は、闘犬としての犬種は死んだけど、伝統的和犬としての犬種は生き残った、ということになるでしょう。
現在の犬は、少なからぬ種類が、この秋田犬のような道を通っていると思います。つまり、人間の用途の変化に従って、犬も用途が変化させられているわけです。だから、闘犬がすたれても、闘犬の犬種もすたれる、ということは一概には言えないと思います。土佐犬を闘犬に使わず、愛玩犬として飼っても、土佐犬という犬種に変わりはありませんから。
むしろ、犬のすたり・はやりは、容姿の可愛らしさや飼いやすいサイズなどに左右されるほうが大でしょう。この点で、土佐犬がすたれる、という可能性は(汗)・・・そこで、「闘犬がなくなれば闘犬種も滅びる」という発想が出てくるのではないでしょうか。
で、「闘犬を廃止することは動物愛護だ」という考えですが、これは最初のひとつめの動物愛護の考え「人間から見て痛ましいから」というのが大きいと思われます。犬が人間にけしかけられて血まみれになって戦うなんて、かわいそう!という思い。が、こんな考えも捨てたものでないですよ、人間の優しさから発しているのですから。
むしろ問題は、土佐犬という犬種を未来に存続さすべきか、存続さすべきならどのようにするべきか、ということではないでしょうか。私は戸川幸夫の愛読者だったので(笑)見事に訓練された闘犬はすばらしいものだと思うので、存続すると嬉しいと思います。が、それは、かつての秋田犬存続の場合と同じように、地道な苦労と苦心、それと何よりその犬種への無償の愛が要求される事業になるでしょうね。われわれが出来ることは、それに協力できないまでも、それを理解することだと思います。
ながなが書きましたが、「動物愛護の観点から闘犬廃止」という考えは、「かわいそうで見るに耐えないから」という理由のみでは、私もはてな?と思う所です。しんじつ愛護するのなら、その犬種への理解、存続させるための用途の変更、それに即した改良・交配を考えるべき(もうどこかがしていると思いますが)ですから。闘犬を相撲のような伝統的行事と考えるなら、保存協会のような専門機関を作り、古式の闘犬を育成するということも必要でしょうね。
それにしても、人間は、どのように用途を気ままに変えられても文句一つ言わずに付き合ってくれる「犬」という種に、深く感謝をしなければいけませんね…
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
>むしろ問題は、土佐犬という犬種を未来に存続さすべきか、存続さすべきならどのようにするべきか、ということではないでしょうか。

その通りだと思いましたのでベストアンサーとさせて頂きました。



ベストアンサーを選択すると質問の補足ができなくなってしまいましたので、
ここでお礼と合わせて質問の補足もさせて頂きます。


論点の分かりづらい質問文書いてしまい大変失礼しました。
質問に至った経緯は以下の通りです。
「現在飼育されている土佐犬の大部分は闘犬として戦い、ペットとしてのニーズはほとんどない」(と思っていた)

「動物愛護の観点から闘犬の規模が縮小した」(と思っていた)

「闘犬の廃止によってニーズがなくなり、管理する人がいなくなり犬種が絶滅してしまう」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%B6%E6%BB%85% …
(これを犬種の死と表現しました)

「闘犬を廃止することは動物愛護につながるのでしょうか?という疑問が発生」




皆様からのご指摘で、質問の前提に間違いが2点あることがわかりました。

1.闘犬は動物愛護の流れから規模を縮小している
純粋に闘犬そのものに人気がないと判断しました。
http://www.google.co.jp/trends?q=%E9%97%98%E7%8A …

2.土佐犬の闘犬に占める割合
闘犬に使われるのは1/30頭ということなので、
むしろペットとしてのニーズの方が高いと判断しました。
http://www.tosa.or.jp/DogInfo/qa11.html


仮に闘犬が廃止されたとしても、すぐに土佐犬が絶滅してしまうような
状況にはならないということがわかりました。
回答していただいた皆様、ありがとうございました。

お礼日時:2011/12/27 00:00

「土佐犬=喧嘩好き」という前提が間違いです。



>おい!元気だったかい!
>ゴロニャーン!

とっても愛らしい♀の土佐犬です。

>おじちゃん、その犬触っても大丈夫?
>大丈夫だよ!しゃがんで近づいてごらん!
>わーっ!舐めた!

子供達とも遊べる♀の土佐犬です。
随分と長く看板犬をしていますから、知る人は知っています。

>あっ、犬舎にそれ以上近寄ると噛まれるよ!
>家族でも背を向けたら噛まれるからね!
>油断も隙もあったものじゃーない!

これは、闘犬として土佐犬を飼っている家を訪ねた時の会話。

「犬は、氏よりも育ち」ですよ。
「犬は、氏よりも育ち」ということを考えれば、質問の前提に偏りがあるかと・・・。

なお、「闘犬の禁止=動物愛護」ではなく「闘犬の禁止=飼育の正常化・適正化」だと思いますよ。

>「闘犬が廃れる=闘犬に使われる犬種の死」を意味します。

飼育の正常化・適正化が犬種の死を意味するってのが良く判りません。
新たな飼育スタイルに沿って緩やかに変貌していくでしょうが、それを「死」と形容するのは無理があるでしょう。

それぞれの犬種も100年前と比較するとかなり変化していますよ。
「飼育スタイルの変化=繁殖の選択・組み合わせの変化」と犬は密接不可分な存在。
それが、犬ですから・・・。
そういう変化=死という決めつけは、ちょーっと無理があると思いますよ。
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人間が、勝手に感情移入して、人間の立場で


動物愛護を考えているからだと思います。

あの犬が人間だったら、やりたくもないケンカを
無理矢理やらされて、カワイソウだな、

てことでしょう。

犬に言わせれば、俺はケンカが好きなんだ、
闘っているときが一番幸せだ、というかもしれません。
事実そう主張する闘犬愛好家も少なくありません。

そもそも動物愛護運動てのが胡散臭いです。
愛護の対象になっている動物は、愛らしいとか
カリスマ性がある、とかばかりです。

イルカしかり、鯨しかりです。

愛護に名を借りた、自己主張に過ぎないと思っています。
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動物愛護もそうでしょうが、人気自体無くなったのでは?

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
動物愛護に関係なく単純に人気がなくなってきたということですね。
正直、私もそんな気がしてきました。

お礼日時:2011/12/26 23:04

プードルは鴨猟の回収犬だったけど


鴨猟しなくなっても死滅しとらんぞ
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