漫画で孤高の人を読んで、登山に興味を持ちました!また、NHK総合の深夜に流れてる映像とか見てると私も本当に行って見たくなります。
しかし、極度に寒くない範囲で。
マンガでは、どうしてもひっかかるところがあります。なんで、凍傷になて指が壊死する状態になっても登るんですか?眼圧も変になって頭も朦朧としていても登る、それがわかりません。
美しい自然の中に入り、十二分に堪能して、それで、高いところまで行けたら嬉しいけど、、、なんでそのあと、命を失う危険をおかしてまで登るんですか??
個人的には、周りが突風だと楽しんでる余裕ないと思うんですが、プロの登山家の方はもっと達観しているんですか?
一応、決して登山家を批判しているのではないです。ただ、なぜ命を失うかもしれないゾーンに入ってまで登るモチベーションがあるのかしりたいだけです。
私的には、友人にキリマンジャロに誘われ登りにいこうと考えています。経験ある方いらしたら感想もよろしくお願いします!!
No.4ベストアンサー
- 回答日時:
登山歴35年ほどです。
最近はあまり厳しい山はやりませんが。まず、漫画の「孤高の人」は未見ですので、どのような脚色がされているのかよく判りません。質問者さんが疑問を抱いている部分は単なる漫画の脚色である可能性もあります。
新田次郎の小説、「孤高の人」は読まれましたか?タイトルからみて、漫画の原作がこの小説なのでしょう。
また、本作の主人公の加藤文太郎は実在の人物ですが、彼自身も「単独行」という著書を残しています。興味がおありでしたらご一読ください。
・・・私も中学生の時に新田次郎の「孤高の人」を読んで山に登り始めたので、なんとなく親近感が湧きます。
蛇足ですが加藤文太郎についてちょっと補足しておきます。漫画ではそこまで描かれていたのか知りませんので。
加藤は昭和11年に30歳で遭難死しているのですが、単独行が主なスタイルだった加藤が珍しくパーティーを組んで登った山(槍ヶ岳の北鎌尾根)で遭難死していることもあり、共に亡くなった吉田は、漫画ではどうか知りませんが小説では必要以上に"悪く"書かれているようですね。
ともあれ、当時、つまり昭和初期の「登山」というのは、人足を大勢雇い、荷物ももちろん担がせ、さらにガイドを雇って登る、という、要するに「ブルジョアの遊び」でした。とにかく金持ちでないと登山なんてできるものではなかったんですね。
「剱岳 点の記」という同じく新田次郎の小説があります。これは明治の話で、しかも純粋な登山ではなく測量のために剱岳に登った人の話ですが、話の中に小島鳥水が出てきます。この人が日本山岳会の創設者の1人です。
最近映画にもなりましたが、個人的には小島を仲村トオルが演じたのは許せないのですが、ま、それはさておき。
この映画、小説の中に宇治長治郎という「ガイド」が出てきます。
剱岳初登頂のルートとなった長治郎谷の地名は、もちろんこの宇治長治郎から来ています。剱岳や北アルプスの富山県側には長治郎の他にも当時のガイドの佐伯平蔵や宮本金作の名前が付いた地名がいくつかあります。
ま、あの映画も明治の登山界の雰囲気はぜんぜん再現できていないのですが、そんなわけで当時の登山は国家予算をかけたプロジェクトか、電源開発のためか(北アルプスの黒部川流域はほぼ電力会社によって開拓されている)、もしくはそれらと同等の資金力を有するお金持ちの道楽か、という時代が昭和初期まで続いたわけです。
伊藤孝一という名古屋の"素封家"は、自分の趣味の登山のために山小屋を3つも建設しています。大正12年のことらしいのですが、建設費は当時の額で20万円、現在の価値にすると約2億円、ということらしいです。これは建設費だけで、本番の登山にはまた人足やガイドの人件費もかかっているわけです。
前置きが長くなりましたが、そういう空気がまだ濃く残っていた時代に、特に金持ちでもない普通のサラリーマンである加藤が、人足もガイドも雇わない単独で登山をしていた、というのが、当時としては破天荒だったわけです。
装備も、「登山」という遊びがヨーロッパから輸入されたため、用具も当然"舶来品"がメインだったわけですが、加藤はそのような装備は一切使わず(買えるはずもなかったでしょうが)、地下足袋で山に登っていたらしいですね。
そういう貧弱な装備で冬の槍ヶ岳とか薬師岳~烏帽子岳とか登っていたわけですから(しかも単独で)、まあ想像もできない超人ですよね。
まあ、凍傷で指が壊死しかけていても登るのは何故か、という問いですが、単純に引き返せない状況だったかもしれません。
縦走だと引き返すより登った方が早い場面が多々ありますから。単純に考えると高低の半分を過ぎたところだと、帰るより行った方が早いですよね。当時の山ではエスケープルートなんてありませんから、「生きるためには登り続けるしかない」という状況は普通にあったでしょう。
現在の登山者が山に登る理由なんて、私も含めて「景色」であるとか「達成感」だったりとか、とにかく何かしらの「自分の快快楽」が占める部分が多いのでしょうが、当時の登山者は小島も伊藤も加藤も、いずれもこれまでに誰一人やったことがないことをしていたわけで、「達成感」かもしれませんがその質は私たちとはずいぶん異なっていたでしょうね。
岩や冬山、海外の高山に登る人は、その「達成感」が半端な登山では味わえなくなってきた人達です。私も一時はその世界に足を入れましたが、自分の技術、体力、それに気力が向上すると、どんどん厳しくて難しい領域の山をやりたくなります。
別に山だけではありませんから、それは人類の遺伝子にすり込まれている「本能」なのでしょう。
ちなみに加藤が遭難死した槍ヶ岳北鎌尾根は、それから13年後の昭和24年に松濤明という人がやはり遭難死し、その際の手記が「風雪のビバーク」というタイトルで刊行されて、今はどうか知りませんが私の世代で登山(ハイキングではなく登攀的な)をする人の必読書になっていました。またタイトルは忘れましたが、やはり新田次郎が小説化してます。
余談ですがキリマンジャロは難しいところはありませんし、ガイドさえ雇えば特に問題なく登れる山と聞いています。私の周囲にも「唯一の登山経験がキリマンジャロ」という人が複数いますし。
ただ、5000m以上の山なので高度馴致は大変みたいですけどね。
35年歴のベテランさんの回答をいただき嬉しく光栄なかぎりです。
単に引き返せない状態で、上に登るほうが早かった。なるほどそういうこともあるんですね。
また、当時の時代背景もありがとうございました。加藤文太郎は一流企業の会社員だったのではないでしょうか?どこから資金を集めたのでしょう?マンガの巻末に登山家のミニ情報が出てるのですが、詳しくではなかったです。
マンガでも奥さんの名前はハナちゃんです。
やっぱり、動機としては、景色、達成感ですね。昔の一部は征服やビジネスですね。ありがとうございました。
キリマンジャロの情報もありがとうございました。楽しんで行って参ります!
No.9
- 回答日時:
Jagar39です。
なるほど、そういう話なのですか。描写がとても真に迫っているという評判の漫画のようですので、機会があったら読んでみたいと思います。17巻もあるようなので気軽に全巻買って・・というわけにもすきませんが。
こういう話は滅多にする機会がないので私も嬉しいです。
「気力」の話を。
登山家の名前も山も記憶が定かではないのですが、確か竹内洋岳がアンナプルナに登ったときの話だったような気がするのですが(記事が掲載されていた山岳雑誌が倉庫の奥に積まれているので、ちょっと見つからないのです・・)、頂上近くで氷壁を200~300mほどトラバース(横断)した時の話がありました。
その氷壁はアイゼンの爪も数mmしか入らないほどカチカチに堅い氷で、3,000mほどすっぱりと切れ落ちているという写真で見ただけで胃が捻れるくらいの壁なのですが、そこを彼らは3人パーティーなのですが、ザイルも使わずにトラバースするわけです。
ピッケルを2本手に持ち、蹴り込んだアイゼンの前爪と両手に持ったピッケルのピックを打ち込んで、それらを支点に登る技術(ダブルアックスと言います)があるのですが、それでそんなカチカチの氷壁をザイルも着けずに200m、トラバースしていくわけですが・・・失敗したら3,000mの墜落が待っているわけです。
これ、写真を見て「ここをノーザイルでトラバース?」と思っただけで胃が口から出てくるような気分になるところなのですが、実は純粋に技術的には決して難しくはないんです。
地上1mのところで2mほどのトラバースであれば、道具(ピッケル2本とアイゼン&登山靴)さえ与えれば、おそらく質問者さんにもできてしまいます。そのくらい技術そのものは簡単なんです。
まあ、氷に引っかけたアイゼンの前爪だけで身体を支えなければならないので筋力は必要ですが、それでも2mくらいならなんとかなってしまうでしょう。200mであっても地上1mであれば、できてしまう人はけっこうたくさんいると思います。
でも、それを地上3,000mでやるのは「無理無理っ!」ですよね。標高8,000m近くで酸素も薄いということを除外しても。
まして、山頂に無事登頂しても、同じところを帰らなきゃならないんですよ・・・
ちなみに彼らがそこをノーザイルで通過した理由は、氷が硬すぎてきちんとした支点を作れない(通常はアイスハーケンを氷に入れて支点を作ります)というのと、3人がザイルで確保して通過すれば時間がかかり、日没までに安全圏に帰ってくることができない、という理由だったように記憶しています。
要するに地上50cmに設置された平均台なら誰でも簡単に渡れるけれど、地上100mに同じ平均台を設置すれば誰にも渡れない、というのとまったく同じです。
似たようなことは私もたくさん経験しています。
沢登りだと草付きの壁でやはり支点を作れず、40mノープロテクションで登る羽目になったり(40m登った地点で落ちれば40m墜落してしまう)したことはちょっと数え切れないほどありますし、200mは「無理っ!」ですけど10mくらいの「支点が取れないので各自『無事を祈る』モードでのトラバース」も、冬山のバリエーションルートでは何回か経験してます。
そういう時は、動作そのものはたいして難しくないのですが、単純に「恐怖感」との闘いになるわけです。
恐怖を感じてしまうと身体が堅くなってバランスを保てなくなる&無意識に斜面に身体を寄せてしまってバランスが悪い姿勢になってしまう→墜落、ということになるわけです。
周囲の状況を無視して目の前の斜面だけを見れば別にたいしたことないのに、恐怖を感じた瞬間、もう自分をコントロールすることができなくなるわけです。
その恐怖感をねじ伏せるのが「気力」なわけで。
正確に言うと恐怖感が完全に消えるわけはないので、文字通り「ねじ伏せる」のですが。歯を食いしばり過ぎて歯を折ってしまったやつもいましたね。
傾斜は強くないのですがヌルヌルの一枚岩の滝を登攀したことがあるのですが、私がトップで登り始めて20m、プロテクションを取れませんでした。一枚岩なのでハーケンを打てるリス(岩の割れ目)もなかったので・・・
起点が既に滝の上部だったので、20m登ったところからノープロテクションで落ちると40m落ちてしまうわけで、それだけの墜落をするとザイルを使っていてもパートナーが止めてくれる保証もありません(というよりかなり望み薄)。
それこそ「もう死ぬ、すぐ死ぬ、今死ぬ」とか思いながら登って、20m登ったところでようやく浅いリスを見つけてハーケンを打ちました。ちゃんと効いてるか効いてないかよく判らないようなハーケンだったのですが、1本打っただけで気分的にはすごく楽になるんです。
ところが、気が楽になった途端、さらに10mは登らないと滝の上に抜けることができないのですが、その10mを登るのが急に怖くなりました。
いや、それまでだって十分に怖かったのですが、ハーケン1本打って少し安全度が高くなった途端、恐怖感をねじ伏せることに失敗してしまったわけなんですね。
怖くなった途端に足ががくがく震えだしました。ヌルヌルの壁に微妙なバランスだけで貼り付いていたわけですから、足が震えて身体を保持できるわけもなく、そのまま敢えなく墜落してしまいました。幸いに打ったハーケンが効いていたので1mほど落ちただけで済みましたが。
ヒマラヤの200mの氷壁のトラバースは、多分こんな世界の延長線上にあるんだと思います。いや、遙か雲の上のレベルなので想像もできませんが。(だからぜんぜん極めてなんかないですよ・・)
別に壁や氷などの登攀的な山でなくても、吹雪になったり暴風雨に晒されたりといったことでも、「恐怖」に囚われてしまいます。そりゃ本格的に荒れた時の荒れ様は「圧倒的」ですから。
その時も、恐怖感に支配されてしまうと冷静な判断ができなくなります。それに恐怖感に囚われている状態そのものが体力を消耗します。
ですから、そういう悪条件に見舞われたときに恐怖感をねじ伏せることができなければ、生還できる可能性を低くしてしまうことになります。
1,000m程度の低山でも、道に迷って雨が降って夜になった、というだけで「疲労凍死」してしまう人はいます。本来、人間ってその程度で死ぬわけがないのですが。
それは、「動かずに体力を温存しよう」とか「確実に判るところまで引き返そう」といった冷静で正しい判断ができなくなり、ムダに動き回って余計な体力を消耗したりすることと、焦ってパニックになった状態そのものが体力を奪うことの相乗効果、というやつなのでしょうね。
山に登る「報酬」は確かに、自分を見つめ直したり自然との一体感が得られたり、ということはあります。私もそういう感覚は好きですね。
ただ、そういう時(恐怖感をねじ伏せなければ死ぬかも、というような時)は、自分を見つめる余裕なんてもちろん吹っ飛んでしまってますし、ましてや「山との一体感」なんて微塵もありません。
一体感を味わっているときというのは、多少吹雪いていようが寒かろうが難しい岩場を登攀していようが、基本的に「何の問題もないとき」です。そういう時は自然は計れないほど大きく、自分は取るに足らないちっぽけな存在に感じます。
でも、恐怖感をねじ伏せているときは、自分が生きるか死ぬかの闘いを心の中でしているわけですから、自分の存在が全てです。
とにかく自分の存在を全面的に肯定しないことには恐怖感をねじ伏せる気力は生まれないのですが、まあ話の前後は逆なのかもしれません。そういう経験を通して自分の存在を肯定することを受け入れられるようになったのかもしれませんね。
まあ別に、その「恐怖感との闘い」を自ら求めて山に登る必要もないので、山には自分との対話や自然との一体感を求めて登ってもぜんぜん良いとは思いますが、「孤高の人」の主人公のような登山者は、それとはちょっと違う要素がないと入れない世界にいる、ということです。
まったくの余談ですが、私も今では自然との一体感だけで十分なのですが、学生時代にはねじ伏せなければならないほどの恐怖感もなく、まったくの平常心でそれこそぼんやりと自分との対話をしたり自然との一体感を楽しみながら通過していたような場所で、今じゃ「怖えぇ~」とか言いながら登っていたりすることがありますね・・自分の衰えが身に染みる瞬間です。
No.8
- 回答日時:
僕も加藤文太郎に感銘を受けて、北鎌尾根も単独で登りました(冬ではありませんが)。
単独での冬山は恐ろしく、僕の十数回の冬山のほとんどは南アルプスです(八ヶ岳1回だけ2人で他は単独)。
確かに冬の単独行は厳しく、心身ともに鋭敏になっていますが無意識という不思議な感覚で、自然と一体になっている感じです(歩いている間にもその日の全工程や天候・体調の変化が一体になっている)。
氷点下20度の早朝の闇の中、金属部にこびりつく皮膚をはがしながらテントをたたんでいると、胸がギュッとなります。
何と批判されようと何ともありません、そもそも山は、何かを得るために行くのではありませんから。
町ではお金や虚栄心といった社会的な虚構の価値に流されている、自分自身の生きている実感を感じるために行くのです。
だから、安全で楽な山より困難な頂の方が充実感があるのであり、その一方の極限が岩登りで、もう一方が冬山単独行なのです。
キリマンジャロは、標高が高いので高度順応が大変ですが、大きなロッジでフルコースの食事を堪能しながら登る、大名行列です(僕は麓までチャリで行ったので厳しかったですが)。
高山病さえ問題なければ、そんなに困難ではありません。
個人的には、そのちょっと西にあるメルー山(4,600m)や、ケニアのケニア山(登れるのは第三峰レナナ4,985m)がお勧めです。
あるいは、西アフリカ・カメルーンのカメルーン山(4,090m)も雄大で良かったです。
でも、何と言っても僕が日本人初踏破者になった、ヒマラヤ地域最長のトレッキングルート、ブータンのスノーマン・トレックが最高でした(23日間で5千m級の峠を8つ越える)。
他にも、ソロモン諸島・ガダルカナル島最高峰ポポマニシュウや、西サモア・サバイイ島最高峰シリシリも良かった。
日本国内で単独行を楽しめる静かな山だと、春の奥只見(鬼が面山、浅草岳など)やシーズンオフの屋久島(の宮之浦岳からの稜線)が印象深いものがありました(もちろん、北アの北方や南アの南方も静かで良いです)。
(吹雪のキリマンジャロ最高点ウフルピーク)
なるほど、社会の虚構からはなれるためですね。単独行の意味良くわかりました。いろいろいかれたのdすね、ここにはすごい回答者さんが何人もいらっしゃいますね。!
アフリカの山の情報もありがとうございました。
No.7
- 回答日時:
Jagar39です。
結末を知ることにはあまり拘りがない方なので、遠慮なく教えてください。
生き残っちゃったんですね。震災があったから結末を変えた、というのも安直な気はしますが、まあ始めから違う話のようですからそれはそれで良いのでしょう。
ヒマラヤでは登るときに工作したルートを下るのと未知のルートを下るのでは困難さが天と地ほど違います。それにベースキャンプに戻れないとどうにもならないですから。
また、そもそもネパールでは「登ったルートを下る」のが登山許可の際の条件だったりもするようです。
ネパールなんて登山隊から取る登山料で食べているような国ですから、未踏峰やルートの制限や解禁は「国としての経済政策」です。
>加藤文太郎は一流企業の会社員だったのではないでしょうか?
現在の三菱重工の前身会社ですから、一流企業であったことは間違いありません。でも、尋常小学校卒業後に就職して働きながら工業高校の夜間部を卒業している人なので、決して裕福な人ではなかったでしょう。
wikiにも載ってますよ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%97%A4% …
wikiってこんなマイナーな人まで掲載されているんですね。さすがです。
>何よりも疑問だったのは、山岳部の学生だけでなぜそんな縄(ザイル?)とか貼らなきゃ登れないとこに登るんだろうという疑問です
指導教官なりが引率すべきとかいう意味でしょうか?
「大人」がついていれば安全というわけではありませんよ。
登山(ザイルを張らなきゃ登れないような、という意味での登山)をやり遂げて無事に帰還するためには、体力、気力、知識、経験が必要です。
このうち知識は若くても何とかなります。経験は年数に依存するので、若い学生は「大人」と比較すると少ないでしょう。
でも、体力と気力は桁違いに充実しているのが学生時代なんですよ。
で、知識と経験はパーティーの一番レベルが高い人が「そのパーティーの実力」になるのですが、体力と気力に関してはパーティーの中で一番レベルが低い人が「そのパーティーの実力」になってしまいます。
経験が浅いパーティーが無鉄砲に突っ込んでいくより、経験者はいるけれど体力がパーティー間で大きくばらついていたり、何より「息が合っていない」パーティーの方が遙かに危険、というレベルの登山があるんですよ。
学生時代の体力と気力って、今から思い返しても本当に桁違いです。あのむちゃくちゃな体力と気力を数年間同じレベルで維持、というよりさらに向上させることができる人がヒマラヤで開拓的な登山ができる人なんだろうな、と思います。
その中に「異質な人」、つまり経験はあるけれど体力と気力が桁違いに低い人、が入るのは、それだけで非常に危険な要素を孕んでいます。
山での判断、行けるか行けないか、行くべきか返すべきか、というのは、嵐だとか雪崩だとかいう「自然条件」と、「自分の実力」の相対評価で決まるものです。
8,000mの高所で吹雪かれて夜になってしまってビバークする羽目に陥っても生還する人もいれば、そのあたりの1,000mの山で道に迷って夜になって雨が降った、というだけで死んでしまう人もいるわけですから。
体力や気力が大きく低い人が入ったパーティーというのは、この「自分の実力」の評価が非常に難しくなります。
この気力というのが難しいというか面白いのですが、経験に支えられる部分もあります。
ピンチに陥ったときに、「この程度のピンチは過去にも経験があるから今回も切り抜けられる」ってやつですね。
でも、若くて無鉄砲な気力というのは、経験に裏打ちされた気力より桁違いに大きいですね。
やっぱり自分の人生が軽いからでしょうね。まだ学生ですから、本当の意味で「自分の人生」をまだ生きていないわけですし、自分が死んでも親兄弟と友人が「悲しむだけ」ですから。
社会に出て家族を持ったときの自分の人生の重さとはまったく違います。
それともうひとつ。
経験値の話ですが、まあ学生山岳部の体制とかいろいろ条件はあるでしょうけど、学生山岳部のたった2~3年の経験値は非常に濃く大きいです。
私は山岳部時代、最多で年間200日、山に入っていました。毎週末のクライミングに夏山合宿は4週間、冬山合宿や春山合宿はそれぞれ2週間、冬山や春山の偵察山行、初冬には冬山訓練、それに加えて個人山行も50日以上してました。まあ当然のごとく留年しましたが。
若くて知識や技術の吸収力がある時に反復学習しているわけですから、あの時の200日は社会人になってからの30年分を遙かに上回る経験値を得た、と思います。
というわけで、学生は学生だけで登るのがベター、なんですよ。というより少なくとも気力も体力も馬車馬のような学生だけで構成されたパーティーでないとできない山、というのが確実にあるわけです。顧問の教官が同行する、となれば最初から成立しない計画がある、というより全てがそんな計画でしょう。指導教官を連れて行くのなら大幅にレベルを落とさなきゃならないし、そんな山行はつまらないので誰も行きたがりません。従ってそま計画は却下、です。
現代の中高年登山者での事故は、その何割かは「昔バリバリ登っていた人が実力の衰えを評価し損ねてドツボにはまる」パターンです。私も何回か危ない目に遭っているのですが、こればかりは相当注意しても正確に自分の実力を評価するのは難しいです。「下がっている」ことを明確に知るのは限界を超えちゃった時ですから。それはもう一歩間違えれば「事故」になる状況であるわけです。
>自分を犠牲にして恋人を救うか、恋人の命を見捨てて自分が助かるか
まあ、山に恋愛感情を持ち込むのはなんだか嫌、というか、そういう登山をしているときは余計なことであまり感情を動かしたくないので、そういうシチュエーションを気軽に設定に取り入れられるとちょっと拒否反応・・ですが。(新田次郎の小説では、山に色恋沙汰を持ち込んだパーティーはたいてい遭難している)
ですが、別に恋人でなくてもパーティーの一員、時には面識もない他人でもそういう場面はけっこうあるものです。
剱岳で毎年夏山合宿をしていたのですが、誰かが事故を起こすと周囲のパーティーで即席の救助隊が組まれていました。
別に誰かが指示するわけでもなく、近くに居合わせたパーティーが集まってきて救助活動に加わるのですが、剱岳には山岳警備隊もいるのに(特に富山県警の山岳警備隊は世界でも有数のハイレベル)、誰も何も言わなくても救助活動に十分な人数は集まっていましたね。警備隊もたいてい1人しか来なかったので、最初から周囲のパーティーの協力を前提にしていたのだと思います。
その時、あまりにもヤバすぎて絶対に「登山対象」にはしない落石の雨が降るルンゼ(谷)とか、崩壊しそうな雪渓の下に入ったりしたことが私にもあります。登山経験がないとどれだけ危険な場所か判らないでしょうから詳しい説明はしませんが、今思い出しても胃がきりきりするような場所でした。
状況的には「救助」ではなく「遺体収容」になることが確実で、実際そのとおりだったのですが、それでも特に何の疑問もなくそんな危険な場所に入ってましたし、それはその時に居合わせた他のパーティーの連中も同じです。
「恋人」でなくても、人は簡単に自分の命を賭けるんですよ。
まあ、自分の人生が軽いからこそできたことだとは思いますが(なので職務としてそれをしている警備隊の人には、当時でも神様くらいに思ってましたが今ではもっと敬意を持ってます)、それでも本当に軽いと思っていたわけではなかったから、他人のためにそんなことができたわけでしょうね。その前に本当に自分の命を「軽い」と思っていたら、多分あっという間に事故って死んでいると思いますが。
でも、救助活動って少なくともノーマルの登山よりは数倍困難で、中には上に書いたような「あそこに3回行ったら2回は死ぬ・・」と思っているくらいヤバい場所に入ることもけっこうあるのですが、二重遭難ってないわけではないですが、その危険度からは考えられないほど少ないです。
それってやっぱり、「気力」なんだろうな・・と思います。もちろん技術と知識は前提ですが、どんなに技術や経験があっても「こんなヤバいところ、誰が入るか」って場所だったりするわけですから。
あの気力は今じゃ逆立ちしても出ないです。
なので今の体力、気力でできる登山をやれば良いわけで。学生山岳部にしかできない無茶をできたことは幸せだと思っています。
この回答への補足
恋愛感情云々のレベルではないのですね。回答者さまはとても極められたのでしょう。すごいですね。また、学生だけというのが、気力や体力が高いというのは、知らない者からの盲点dした。なるほどといった感じです。なにはともあれ、大変に有意義な回答を本当にありがとうございました。おかげさまでとても勉強になりました。
補足日時:2012/03/14 00:58大変に参考になるお返事をどうもありがとうございます!
お礼が遅くなり失礼しました。孤高の人を探したのですが、仕舞い込んでしまっており。。しかし、覚えている限りでは、行きと道が同じだったかは忘れましたが、相棒は小説と同じく悪いやつで描かれています。雪崩で自分を助けようとロープを切って、結局、主人公が助かりました。主人公はてっぺんについた時、意識がおかしく(やっと保つ)なっているので、そこまでして。。という感想をもちました。帰りで遭難した遺体からチョコをとったりして麓に帰った次第です。
No.6
- 回答日時:
こんばんは
マンガの方が読んでいませんが
原作は読んでいますし
ヤマケイ関係は目を通しています
自分自身を見つけることが出来るからではないかと思うんですよ
誰も助けてくれない孤独ですよね
自分を信じるのは自分だけ そこで体力の限界にいどむわけです
それで指をなくしても
友人をなくしても
例え家族と会えなくなってもそれは結果論ですよ
自分を見つけるからですか。参考になりました、ありがとうございました。
自分としては、家族と談話しながら登る登山はいいけど、ビバークしながら指が壊死する登山は疑問でした。でも、たしかに自分と真に向き合えそうdすね。
No.5
- 回答日時:
No.4のJagar39です。
漫画版をちょっとだけ調べてみたのですが、時代背景も人物設定も何もかも大きく違う話のようですね。
まだ未完なんですか?
最後はやはり建村歩と遭難死するんでしょうか・・・
ご質問の「凍傷になっても・・云々」の話、場面がよく判らないのですが、例えばヒマラヤの頂上アタックの時の話だったりすれば、これは単なる「自殺行為」です。ヒマラヤの場合は登ったルートを降りるわけですから、「登った方が早い」という場面はあり得ません。
それどころか高所では酸素不足のため、基本的にテントの中などの暖かい場所でじっと動かずにいても、時間と共に「消耗」していきます。エベレストでも昔は8,000mより上に最終キャンプを設置していたのですが、そこで宿泊すること自体が生還率を低くするということが判ってきて以来、サウスコル(約8,000m)から一気に頂上アタックをすることがノーマルになってきています。
そういう「そこにいるだけで死に近づく場所」で、凍傷などの何らかのハンデを背負ってしまってからさらに登るというのは、多くの場合遭難死に直結しています。
まあ眼圧や意識云々は、この高度では宿命のようなものらしく、そういう手記はよく見ますけど。
その代わり、頂上の50m手前で撤退、というような記録もしょっちゅう見ますよ。高所登山の頂上アタックはある意味時間との競争ですから、50mを往復する時間が命取りになる、と判断すれば撤退していますね。
興味がおありでしたら、実際のヒマラヤ登山史や手記、記録などの本も読んでみてください。
漫画とどちらが迫力あるか・・・ですね。私も漫画の孤高の人、ちょっと読んでみたくなりました。
余談ですが、「孤高の人(小説の方)」は映画化して欲しいなぁ・・と前から思っているのですが、木村大作はもう勘弁だな。
追伸ありがとうございます。
マンガは完結してます(^-^)/私は夫と一気に二日で読んじゃいました。
終わりを言っていいんでしょうか? お伝えしたく論じたい気持ちは山々なのですが一応遠慮しときます。
ヒマラヤ(K2)では同じルートなんですね。大変に参考になる情報をありがとうございます。
登山のない生活をしていた私にはいい興味喚起でしたが、いろんな意味で疑問が多くのこりました。原作孤高の人とはたしかにずいぶん違って 、現在のワーキングプアみたいな青年が主人公です。
極限の判断を考えるキッカケとなったのもよかったです。
たとえば、自分を犠牲にして恋人を救うか、恋人の命を見捨てて自分が助かるか。
しかし、何よりも疑問だったのは、山岳部の学生だけでなぜそんな縄(ザイル?)とか貼らなきゃ登れないとこに登るんだろうという疑問です。起こりうる危険があるならば自殺行為だとやっぱり思ってしまいます。
No.3
- 回答日時:
>山がそこにあるから以外の理由
なんでそのあと、命を失う危険をおかしてまで登るんですか??
個人的な感慨かもしれませんが・・・広義に考えると「好奇心:一生に一度は見たい・体験したい」「挑戦者精神:新記録・初制覇へ永遠のトライ」、初物や未体験ゾーンへの好奇心と探検心による抑え切れない挑戦者精神では無いでしょうか・・・
>個人的には、周りが突風だと楽しんでる余裕ないと思うんですが、プロの登山家の方はもっと達観しているんですか?
私は怖くて、そんな危険なところ・場面では身体が縮み上がり天候や条件の回復を待つのみですが・・・
それでも、しばらくして怖い物見たさに再び訪れたくなる事があります。
まして、プロは、そこに職業的な必要性とか存在感とかが職業意識としてあるのでしょうし、自信や経験から与件も高くビジネスチャンスが生まれるのでは・・・
>私的には、友人にキリマンジャロに誘われ登りにいこうと考えています。経験ある方いらしたら感想もよろしくお願いします!!
スイマセン。
海外の高山に登った経験がありませんのでノーコメントです。
天候に恵まれ、ご健勝で楽しく快適に、そして何よりもご無事に沢山のお土産話と一緒にご帰国されますよう、心より祈念申し上げております。
好奇心、挑む精神ですね。
プロでは、職業意識やビジネスチャンス。
ありがとうございました。
また、ご祈念にもありがとうございます。アフリカに行くの初めてですが、自然を堪能してきたいと思います。
No.2
- 回答日時:
キリマンジャロはけっこう楽に登れますよ。
危険な山じゃないですし、日本の山を登ったことがなくても若くて体力がある人なら普通に頑張れば登れます。頑張れば大丈夫。
私も登山が好きですが、飽くまでその山道や山道に生えてる植物を見て楽しむのが好きです。そして頂上についたときもとってもうれしくなります。そこで弁当を食べて写真を撮って、また少しずつ降りて家に帰ったら疲れて寝る。これが楽しいですね。
エベレストや各大陸の高山を登る人たちというのは、基本的には山が好きというのと、単に一番高い山を制したい!という記録重視な方も多いと思います。あと、山を登る行為自体が生死の狭間なので一番人が一所懸命になれるというか、輝いて生き生きします。そういう非日常を味わえるのが登山です。山って色々なものが詰め込まれています。急斜面、穏やかな場所、クレバス、氷河、岩、突風、雨、空腹、食事、貧血、一度にたくさんのことを経験できるのも山の魅力です。実際8000メートル級になれば、植物は生えていませんし頂上に上ったところでその景色は別に美しいものではありません。ただ一度も見たことのない景色を見れます。登るまでの困難が一気に吹き飛ぶ瞬間です。
過程の植物はステキですね。あと、非日常。
たまに記録重視。参考になりました、ありがとうございます!
キリマンジャロの情報もありがとうございました!
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