プロが教えるわが家の防犯対策術!

類似した質問だと思いますが、心のつかえを解消させたいために再度質問があります。

少し【A】~【B】の表現を変えた・文章を増やしたんですが、医者に伝えるために言い換え文を求めているんです。
誰か言い換えて回答下さい。
【A】と【B】に関しては文章にまとめて言い換えて回答下さい。
【C】に関しては「変換された」を「変換が起きた」「変換があった」というふうに言い換えたいんです。
【C】の《え:「ネガティブな内容を何らかに言われたり、そのように動かされた感覚など」》に関しては、以下のような感じで言い換えてほしいということです。
【C】の《え:「ネガティブな内容を何らかに言われたり、そのように動かされた感覚など」》に関しては「ネガティブな内容を強制的に考えさせられる感覚がありました」それ以外の言い換え文にしてください。


★最近でも以前にもあったことである。「今までやったのを治す」「さっきやったのを治す」「診察で聞いたことは関係なく治す」「関係なくやったのも治す」「ブログに書いたことは関係なく治す」「関係なく治す」「○○さんがやったのを治す」などの言葉が頭の中や心の中で≪発せられたりした≫感覚があった。
 それらの言葉は、≪精神病(症状)とかを何らかが治す意味である言葉≫だと思ったり感じたりしたんです。
 ↓
★以前から「今までやったのを治す」「さっきやったのを治す」「診察で聞いたことは関係なく治す」「関係なくやったのも治す」「ブログに書いたことは関係なく治す」「関係なく治す」「○○さんがやったのを治す」などの言葉が頭の中で浮かんだ。
 それらは、「私の症状を軽減する言葉」と感じた。

★自分の(頭の)中にあった「関係なく治す」と言う言葉が心の中や頭の中で出てきたが、何らか(例:職員さんの言動)のきっかけで「関係なく治さん」と言う逆の言葉に頭の中や心の中で≪変換されて発せられた≫ことがあった。
要するに、「関係なく治さん」と言うのは≪精神病(症状)などを動かさないと言う意味の言葉≫に思ったり感じたりした。
「関係なく治さん」と言う言葉が≪発せられる≫前までは「関係なく治す」と言う言葉が何らかの理由で≪発せられた≫ことがあった。
このような流れのことは何らかの理由で起きたことを感じた。
 ↓
★(1)「関係なく治す」という言葉が、自分の頭の中に突然浮かんだ。
(2)何らか(例:職員さんの言動)のきっかけで「関係なく治さん」という真逆の言葉に変わった。
(3)「関係なく治さん」という言葉は、「症状を固定化する」と感じた。
((1)から(3)の順序で起こり、とある理由で起きた事実を知った。)

★(1)心の中・頭の中で質問をする(=心の中や頭の中からある疑問が出てくる)(2)自分の外の音(=人の声、犬の吠える声、テレビの音)、自分の中の音(=幻聴・耳鳴り)、他人が動いているのを見た(=家族の誰かが2Fから降りてきたのがわかった、降りてきた場面を見た時など)ことなどがきっかけで自分の中から質問と関連した回答が出る(=心の中や頭の中で言う感じで、疑問として出したものに回答を当てはめる)それで辛く感じた。(3)回答の言い聞かせなどで、例えば「今日は○○さんからメッセージが来るのか来ないのか」と質問したことに対する回答が後で正確な回答だったりウソの回答だったりした
((1)~(3)の流れのことについて、自問自答だという意見を聞いたんです)

(2)に関しては操られた感じで言い換えると、「何らかがきっかけで回答を言わされた」「何らかがきっかけで回答が発せられた」「何らかがきっかけで回答が返ってきた」というふうに表現するということなんです。
 ↓
僕はふと疑問が生じたことに対し、外界からの刺激、己の内なる声や錯覚、自らが見聞した経験や事実をきっかけとして、自分の中で仮定と考察、反論を行う。その時、その判断が行われると直感的に気づく事に、あるいは判断そのものの中で、苦痛や辛さを感じることがある。そして、そのような工程を経て結論を出した後に、最終的に自分が正しかったり間違っていたり感じたことがあった。


ヒントをあげます。
・・・・・・「自分の意志で起こした」「自分の中の意志が起こした」「感じがした」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

【A】一昨年(2010年)喫茶店で働いているとき、心の中(=頭の中)で「ある」と言う言葉が浮かんできた(言った感じ)。その時、《あ:記憶されていた文字》「ある」がいっしょに浮かんできた。それが何らかのきっかけ(=喫茶店の利用者さんが「何だぁ」と言って嫌だったこと)で《あ:記憶されていた文字》「ある」が文字「有る」に変換された。
それを辛く感じたことがあった。要するに「有る」がモトの文字「ある」に変換されることなどに辛さを感じたということである。
変換が数ヶ月か起きた後、《う:文字が変換されるのが解除されるまでの流れの出来事も起きた》。

【B】パソコンで「Outlook Express」を開いた後、例えば「[受信トレイ]に20通の未開封メッセージがあります」「受信トレイ(20)」という文字を見たり心の中(頭の中)で言う感じではき出したりしたときに「おい」という幻聴がきっかけで「--通の未開封メッセージがあります」「0通の未開封メッセージがあります」という、《い:別の文字》に変換されたり、「--通の未開封メッセージがあります」「0通の未開封メッセージがあります」という言葉に頭の中(心の中)で変換されたりしたことがあった。変換内容が後で当たったり外れたりした(後で迷惑メール以外のメールなどが来ている[来てない]ことに気付いた)。

《あ:記憶されていた文字》ということについてですが、わかりやすく言うと、自分の目に焼き付いたり、頭の中に記憶されたりしていたもの(要するに文字を見てその見た文字が映って見える 要するに見た文字がそのまま長く残ったもの)が浮かんでくることなんです。
写真のように文字が記憶されると言えるんです。

「有る」という文字も、見た文字が自分の目に焼き付いたり、記憶されたりしていたものだと思うんです。

文字が長く記憶されている(見えている)のも例えば人の顔を見ると、見た人の顔がそのまま長く自分の中で見えるのや、人の顔を見た後に文字を見ると文字が人の顔に見えることと同じようなことだと思うんです。

《い:別の文字》というのも《あ:記憶されていた文字》と同様です。
《う:文字が変換されるのが解除されるまでの流れの出来事も起きた》の別の表現(言い換えた表現)も知りたいんです。

【C】実は、自分がどこにいても、「つなげて言う」「短く区切る」「ずっと鳴らす」「自分も動かす」「途中から読む」「朝もやる」「朝も言う」「何回も言う」「何回も変える」「考えが入ってくる」「捨てる」「まんまにする(=そのままにする)」「家にも何かやる」「体にも何かやる」「来週も操られる」「(曲の)題名を言う」と言ったような言葉が、頭の中で勝手に浮かびました。それらの言葉が浮かぶ以前は、《え:「ネガティブな内容を何らかに言われたり、そのように動かされた感覚など」》がありました。

【D】「できました」と心の中(頭の中)で言いながら筆談ノートに書いたが、喫茶店の職員さんが声に出して利用者さんに注意したり利用者さんに仕事を伝えたことがきっかけで(=その時自分にも声が耳に入っていた)頭の中(心の中)で「できた」という言葉が浮かんだ。「できた」という言葉が浮かんだ時に自然に「できました」というモトの言葉に変換もあった。いずれも辛く感じた出来事でもあった。それは、とある理由で起きたことを感じた。

【E】喫茶店で誰かが通りにくい所を通るために「通ります」と声に出して言った時、頭の中(心の中)で「通る」という言葉が浮かんだことがあった。それは、とある理由で起きたことを感じた。

これについてですが、その時僕も職員さんも利用者さんも厨房でいっしょに仕事していたんです。
「できた」「通る」という言葉は自分の心の中・頭の中で浮かんだんです。


【A】~【E】の言い換え文について、例えば【A】だけ言い換えるだけでも結構ですので、回答下さい。

言い換えた表現が1つだけでなく、いくつか知っていたらそれも書いて教えて下さい。

明後日と5月の精神科の診察で先生に伝えたいために言い換え文を書いてほしいのです。
遅くとも明日までには回答を下さい。

A 回答 (25件中11~20件)

しつこくてすみません。


病気はあるようなないような、お医者さんからは不安障害だか社会不安だかと言われたことがあります。
自臭症もありますから心はしっかり病んでいるとは思います。
あとネットや食べ物などに依存しています。
眠ることはできます、睡眠時間がずれているだけで、昼間に寝ています。
家電とかうるさいので耳栓は必須ですが、幻聴はとくにありません。たまに外で人とすれ違うとき、何か漠然と否定的なことをつぶやかれたかな、と思うくらいで、被害妄想のようなものだと思います。

自分の気持ちや思考することは普通にありますが、何か特定のフレーズが頻繁に心に発生するということはないです。
喋るのは苦手です、今年に入ってから他人とまともに会話していません。知人がほとんどいません。
過去に働いて貯めたお金に頼りつつ、ひとり引きこもりがちに暮らしているので気楽で空しくて退屈です。
私は自分の問題を放置してこんなふうに他人の問題に没頭することで、自分の人生問題に取り組むことを先延ばしにしているのだと思います。いわば逃げです。

書くことが好きなので、書くことで人の役に立てるかもと思いました。質問者さんは誤字はなくても記述が苦手らしいので、役に立てると思い、そんな自分に期待しました。
日本人の書く日本語の文を、より分かりやすい日本語に直す翻訳の仕事です。報酬はありませんでした。
けれども、こういう感じ方をする人もいるのかと、わりと勉強になりました。
一人でばかり時間を構造化することから脱出することも少しはできました。
依存的にはなりたくないものですが、やはり人と関わるということも必要なのです。
でも私は自分自身に言い聞かせないといけません、質問者さんの課題や問題は質問者さんの課題や問題で、決して私の問題や課題ではないのですと。質問者さんに成り代わって問題を解決することなんかはできないのだと思うことにします、素人ですし。そんなふうに思わないと何かのめりこみすぎて癒着してしまう感じになりそうです。
人との関わりに際しては、いつどのようにやりとりを終わらせるかを主にさぐりがちです。

自己紹介ばかりしていてもなんです。
虐待の記憶はないとのこと、かなり意外でした、ご家族を悲観的に疑いすぎました、すみません。
虐待が本当にないならそれはそれで良かったのですが、ブログを読むと質問者さん近年しょっちゅう親に殴られているみたいに読めます。
なんか当たり前みたいに殴られたと何度か書いてありますから、家庭内暴力はあると思いました。
殴るとか殴られるとかしていたらだめじゃないですかと思います。

「おい」「コラ」は高校生の頃に記憶した声のフラッシュバックなのかも知れないのですか。
小学4年でいじめにあったとか。それで喋りたくなくなるの分かります。鼻づまりだと声ばかにされますよね。
人に「バカバカバカバカ」なんていういじめっ子はバカですが、たぶんそういう子も悲しい子で、自分の親だか誰かから、そんなふうに横暴な圧力や暴言や侮りの言葉をかけられているものなのだと思います。悲しみの連鎖です。

小学生とか中学生とか高校生の頃のトラウマみたいなのは何かで治癒できるのですかね。
心理カウンセラーさんといじめなんかについて話したことがありますけれど、共感されたり一緒に悪口を言ってくれたりしたくらいで、何かとくに改善されたような気はしませんでしたけれど。
ネットでこんなふうに書いて、文章を交わしてすっきりする、という質問者さんはなんというか純粋ですね。
ネットは便利で、依存もあるので諸刃の剣ですけれど、というかネットはもう普通の道具になりましたが、それでも身近にも誰か語らいが充分にできる人がいれば良いと思います。自分にも。

トラウマがないとすると、PTSDではなく自閉症に統合失調症みたいなのが加わってるのかもというので当たりなのかも知れませんね。
私が勝手に新たに診断したがっているのも、変な支配欲でおかしなことですが。
長文になる理由は、寂しさとか生真面目さとか、間違うことに耐えられない気弱さとか、それと支配欲だろうと思います。
自分で自分をうまく支配・コントロールできていないから、他人をどうこうしたいのだろうと思います。
診断したり定義づけしたり方向付けようとしたり。
あと私はやっぱりうつ病気味かも知れません。たぶんそうです。

頭が疲れたのでここまでにします、という自愛精神は良いですね、無理しない感じが好ましいです、共感できます。

質問者さんは共感されることや理解されることに飢えているようで、文章を人にうまく書き換えてもらうことが好きらしいので、サービス精神でもって翻訳してみます。
できることはこれくらいしかないです。できるともいえませんが。本当はもっと簡潔な文章に直せば、質問者さんの美意識や社会的合理性に適うのだと思いますけれど、言葉の使い方が下手なので長くなるのだと思います。頭が悪いのです、単に。なんだか腐った使命感や爛れたやる気だけが武器みたいな今です。眠たいです。

質問者さんの
『僕は中学の時人の声や犬の声が怒っているように聞こえ、簡素な言い方「ある」「~する」や、
 「○○○○」などの名前(○○○○=姓の次に名)を心の中や頭の中で言った時に、
 人が実際は笑っているのに怒った感じに聞こえることがあったんです。
 つまり簡素な言い方や名前などを心の中で言ったのが理由でそれを言われたように感じたんです。
 実は、自分は人の名前を呼び捨てにしたものが心の中(頭の中)に浮かんでそれを苦痛だと感じたりすることがあったんです。』

という少し分かりにくいと私が感じる日本語の文を、もう少し分かりやすい日本語の文に翻訳します。
すると

『僕は中学の時、笑っているはずの人の声や犬の声が、まるで怒っているように聞こえました。
 どういうことかと言うと、もし僕が心の中でもちゃんと丁寧に話さないと、それが人にばれて怒られると思ったのです。
 たとえば僕が心の中で丁寧語を使わなかったとします。心の中で「あります」ではなく「ある」と言ったり、
 「~します」ではなく「~する」と言ったり、また心の中で他人に対し「○○○○さん」ではなく「○○○○」と呼び捨てで呼んだ場合、
 そういう丁寧でない言い方や呼び捨ての言葉が、他人から聞こえ、気づかれているような気がしました。
 僕が心の中で失礼な言い方をしているせいで、他人が僕に怒っていると感じました。
 実際には笑って喋っている人が、僕にはまるでその人が僕に対し怒っているように感じられました。
 そして笑っているはずのその声も、僕には怒っているように聞こえました。
 さらに犬の吠える声まで、僕に対し怒っているような声に聞こえました。
 そのため僕は心の中で丁寧語を使いました。心の中で丁寧語でない言葉を使ったり、人の名前を呼び捨てにすることが苦痛でした。』

とかです。おそらく中学生の頃の質問者さんは人と親密になりたかったのだと思います。
他人が自分の心の中を聴いている、と思ってしまうサトラレ症候群の人は、内心とても他人と親密になりたいのだそうです、たしか。
質問者さんは他者と丁寧語でない簡素な言い方や呼び捨てで関わるくらいの親密さを築くことに飢えていたのだと思います。

なんか疲れさせた感じですみません。
長い文章は書く側も読む側も疲れますよね。
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この回答へのお礼

再度回答ありがとうございます。
そうですね。長い文章は書く側も読む側も確かに疲れます。
実は、質問と1件目から今までの回答内容をそのまま印刷したんです。
A4サイズの紙がもうこのやりとりだけで40枚近くに埋まりそうです。
すごい量だと感じました。
実は今日14件目の回答に対し、お礼を長い文章でしたせいか、頭が疲れて耳鳴りや幻聴などがすごく不愉快だと感じてイラッときました。
なので、2時間程寝てしまいました。
僕も夜中に目覚めて夜中から朝ずっとパソコンをやったり物を食べたりして過ごしていたことが多かったです。

回答者さんも病気持ちなんですね。
ネットや食べ物などに依存しているってことは、たくさんネットをやり、たくさん食べ物を食べる生活を送っているだろうと回答から自分が想像が浮かびました。

「おい」や「コラ」は高校生の頃に記憶した声のフラッシュバックかどうかはわかりません。
最初「おい」という幻聴が聞こえたとき、高校時代に接した生徒の「おい」に似た声に思ったかもしれません。
小学4年の時に「バカバカバカバカ」と言われたのは、鼻づまりで声がバカにされたんではないです。
小学4年の頃は声変わりして大人っぽい声になる前だったので、声がかわいい感じの声だったので、それを「バカバカバカバカ」と言われていたんです。

医者が言った誰でもあるということについて思ったんですが、トラウマでなくても【C】の言葉が浮かぶことなどはトラウマに限ってある訳ではないと思ったんです。
【C】の言葉について、他にも「飛ばして読む」や「(過去に聞いた音楽が頭の中で流れるのを)止める」「人の名前を言う」などの言葉も勝手に浮かんだんです。
《「あ」》勝手に浮かぶというのは、浮かぶ時もあれば浮かばない時もある そういう感じか、疑問に思いました。
なので疑問に思ったことを回答者さんに回答してほしいと思いました。
《ここまで「あ」の質問内容》

《「い」》それと回答者さんは翻訳の仕事をどこかでやっているか疑問に思い、心理学が得意なのか疑問が浮かびました。
《ここまで「い」の質問内容》

4件目の回答で回答者さんが述べている「暴かれた」は確かに被害妄想ですね。
でも実際に「暴かれてなくても暴かれた感じや思ったりするは有り得ます」ね。

中学生のときのことですけど、間違っている部分を×で、あっている部分を○で書きますね。
○ 『僕は中学の時、笑っているはずの人の声や犬の声が、まるで怒っているように聞こえました。』
 
× 『どういうことかと言うと、もし僕が心の中でもちゃんと丁寧に話さないと、それが人にばれて怒られると思ったのです。
 たとえば僕が心の中で丁寧語を使わなかったとします。心の中で「あります」ではなく「ある」と言ったり、
 「~します」ではなく「~する」と言ったり、また心の中で他人に対し「○○○○さん」ではなく「○○○○」と呼び捨てで呼んだ場合、
 そういう丁寧でない言い方や呼び捨ての言葉が、他人から聞こえ、気づかれているような気がしました。
 僕が心の中で失礼な言い方をしているせいで、他人が僕に怒っていると感じました。
 実際には笑って喋っている人が、僕にはまるでその人が僕に対し怒っているように感じられました。
 そして笑っているはずのその声も、僕には怒っているように聞こえました。
 さらに犬の吠える声まで、僕に対し怒っているような声に聞こえました。
 そのため僕は心の中で丁寧語を使いました。心の中で丁寧語でない言葉を使ったり、人の名前を呼び捨てにすることが苦痛でした。』

これについてですけど、『「○○○○さん」や「○○○○」というふうに名前を心の中で言ったり、心に浮かんだりすると自分の中で起きる何らかの理由なのか、他人が僕に怒っていると感じたり、実際笑ってしゃべっている人が僕にはまるでその人が僕に対し、起こっているように感じられた。さらに犬の吠え声まで、僕に対し、怒っているような声に聞こえた。そのために心の中で丁寧語を使ったり、簡素な言い方「ある」「~する」をしたんではない』ということなんです。

例えば自分が「good morning!おはよう」と言うふうに続けて言った時に同級生が笑ったことがあったんです。
その声が怒ったように聞こえたことは覚えてませんが、「good morning!おはよう」と言ったことに対し、何か言われたんではないかと思うんです。
それは偶然起きた出来事だと思うんです。

僕は小学高学年から自分の中にこびりついていた記憶などが強引に引き出た(意識に上った)感じがあったんです。
「電卓」という言葉が強引に引き出たんです。
それは統合失調症者には“暴かれた”感じに解釈してしまうと思うんです。
強引に引き出た感じは喫茶店で働いていてもありましたし、さらには喫茶店で働いていて引き出た感じを家に帰ってきてから、喫茶店で自分の中にこびりついていた記憶などが引き出た それが蘇った(引き出た)ことがあったんです。
喫茶店で引き出た言葉内容は「チューリッヒ」「けいさんキッスーメール」「エクボ」「さばえく」などです。
たぶん自分の頭の中(心の中)だと思うが、そこにこびりついていたものだと思うんです。
さらには人に怒られた時には自分が人の顔を見たものが長く残って見えるのも引き出た(統合失調症の方はそれを「暴かれた」と解釈することがある)こともあったんです。

実は、僕、2006年に「動くな」「動くな動くな動くな動くな」と言う言葉が心に浮かんできて辛く感じたんです。
それがきっかけなのか、動作をしようとしたり、体を動かしたりするとそれらが静止状態になったことが強く感じたんです。
《「う」》統合失調症の方の解釈(「操られた」という解釈)で言うと、「2006年、心の中で『動くな』などの言葉が浮かんだ。それがきっかけで、自分の中で起きる何らかの理由もあって、体が静止状態になったことがあった」ということなんです。
これを#6の【C】内容を言い換えたように言い換えてほしいということなんです。
静止状態というのは「他者に止められた」と統合失調症の方は言うと思うんです。
「動くな・・・・・・」と言ったりすると自分の中で辛い出来事が生じたりするので、「動くんだなも」「動くんだぱも」などの別の言葉を言って対処していた感じがあったということなんです。
《ここまで「う」についての質問内容》

また僕も長くなってしまいました。

お礼日時:2012/04/05 10:37

きのうと一昨日に長い回答を書いた者です。

心の健康のためにしょっちゅう退会します。
ブログを拝読しまして、精神科医さんが相談者さんに言ったという言葉を読み、思ったことがありましたのでまた書きます。
私は、相談者さんの心の中で言葉と言葉のせめぎあいがあったと思ったのですが、
たとえば喫茶店での出来事では「できました」と「できた」の二つの言葉が頭の中でせめぎあっていたと書きましたが、
そんなにせめぎあっていたわけではないのかも知れないと思いました。あるいは、その時はせめぎあっていたとしても、せめぎあう必要はないのかも知れないと思いました。冷静なお医者さんが言ったように。

心の中でふと置き換わる言葉に、抵抗して勝つほうが、より主体性が出て良いと思ったのですが、べつに抵抗しなくても良いのかもと思いました。
なぜなら単に、ひとつの言葉から別の言葉を連想するとか、幾つかの言葉を頭の中で比較するとかは、普通のことだからです。
例えば「ある」という文字が思い浮かんでから「有る」という文字を連想することは平凡なことですし、
「できます」や「通ります」や「忘れました」という言葉から「できる」「通る」「忘れた」という言葉を連想し、比べることもとくに病的なことではなくよくあることです。
お医者さんが言ったようにそれはそれほど気にしなくても良いことなのだと思いました。
ただ、それに伴う「おい」や「コラ」という幻聴は、PTSDのような虐待体験からくる短いフラッシュバックなのかもと、まだ思っています。

メッセージ件数が「20通」か「0通」「--通」かというのも、
件数が「20通」あるいは何通かある場合と、「0通」である場合の、それら二つの可能性を予想しつつ、比較的どちらかに多く期待しているというごく普通のことで、
一文にして書けば、「メールは来るかな、来ないかな」というごく普通の気持ちで、その気持ちが単に心の中に湧いたということだと思います。
「メールが来る」ことをへの期待がとても強ければ、「メールが来ない」「0通である」という予想はとても物足りない辛く感じるものだと思います。
冷静なお医者さんが言ったことになるほどと思ったのですが、自閉症の人とか統合失調症の症状とかは、何か考える際に視覚的な像をありありと結びやすいそうで、
「0通」「--通」と予想する際、「0通」「--通」という視覚的イメージが伴うのは、質問者さんの体質だか器質だかにとって普通のことらしく、
メッセージが来ないという予感・予想・予期に伴う心の辛さもまたごく普通の辛さ、さみしさ、物足りなさなのだろうと思います。
そしてそういうさみしさ辛さはごく一般的なので、耐えて我慢するべきものなのだろうと思います。

「音楽を止める」や「ずっと鳴らす」などその他いろいろな言葉が勝手に湧いてくるとあり、勝手に湧いてくる言葉というよりも、ただそういう気持ちになるのだととらえる方が相応しいと思いました。
「つなげて言う」「短く区切る」「ずっと鳴らす」「自分も動かす」「途中から読む」「朝もやる」「朝も言う」「何回も言う」「何回も変える」「考えが入ってくる」「捨てる」「まんまにする(=そのままにする)」「家にも何かやる」「体にも何かやる」「来週も操られる」「(曲の)題名を言う」
という『心に勝手に出てくる言葉』のほとんども、質問者さんの気持ちであり意志であって、ごく普通にそれらのように自分の意志や意図を働かせていこうという『気持ち』なのだと思いました。

「できました」と「できた」、「通ります」と「通る」、「忘れました」と「忘れた」も、単にそれら二つの言葉を比較しているだけで、
それらの比較をすることに辛さが伴う理由を想像してみると、簡素な言い方から丁寧語への言い換えが必要な場面、たとえば厳しい目上の人といる状況が過去にあり、質問者さんがそのとき辛い気持ちになったことがあったなら、丁寧語をやたらと厳しく教え込まれたなどして、それでいま普通の言葉と丁寧語との比較をする際、目上の人から叱られた辛さを想起したり、厳しくされ辛くあたられるという予感や辛さの想起があったりして辛いのかもと思います。

心にはいろんな働きがあって、気持や意志や欲求や感情や、予感や予想や直感や、反省や想起や、比較や分類や分析や、疑いや恨みや怒りその他いろいろあるようですが、フラッシュバックもそれに含まれ、
心に湧いてくる言葉なり声なり気持ちなりが、そのうちのどれにあてはまるのかがわかると自分の精神活動に納得できて心が落ち着くかも知れません。
喫茶店での「ある」と「有る」はたんなる比較というそれだけのことで、
問題はなぜそれだけのことなのに辛さが伴うのかということですが、
心理カウンセラーさんなどと共有すべき問題だと思いますが

高機能自閉症だから器質的に視聴覚が過敏なので辛いのだとか、更にもし統合失調症気味ならますます過敏になっていて辛いのだとかいう説明もできますが、
加えて言えるかも知れないことは、客の「何だぁ」という声が嫌だったという感情的な過敏さも辛さの理由としてあるということで、
また心に浮かぶ言葉や声をうまく整理できないことも不安で、心が不調なのだと思うと統合失調症に自分を当てはめれば自己イメージが安定しますが、それでもやはり病気なので辛さはあり、
いろんな過敏さについてなるべく気にしないようにという冷静なお医者さんの言うことがいちばん良いのかも知れませんが

暴力について
感情的な過敏さは、質問者さんの恐怖心、恐怖感が強まっていることによるものだと思い、またその恐怖感・恐怖心は暴力によって植えつけられたのだと想像します。
家庭内で弱い立場にある質問者さんが、日常的に殴られるとか暴力を受けている、受けてきた、ということは見過すべきではないことだと思います。
暴力のある環境は異常です。それによって増幅される恐怖心や感情の抑圧は、仕方がない結果ですが、そもそも暴力がある環境が異常です。
改善すべきです。
お医者さんは我慢を勧めたようですが、けれども暴力を受けることを我慢することは良くないと思います。
罵声、暴力、威圧的・高圧的な態度を受けることを我慢することは、すべきでない我慢だと思います。
どこでも良いので公的な保健機関に訴えて、受けてきた暴力、今も受けている暴力について打ち明け相談すべきだと思います。
自閉症者として心の運用がぎこちないなら、そこに更に他者の暴力やトラウマからの圧力が加われば更に辛いと思います。
親に言って暴力かなくならなければ、家庭外の第三者にメッセージを送り、暴力の事実があるということを報せ、助けを乞うほうが良いと思います。

吐き出すことに伴う辛さについて、フラッシュバックについて書きます。
人から聞かされた言葉、とくに辛い気持ちとともに得た記憶、恐怖感を伴いながら得た記憶や言葉や声が、心の中にこびりついているなら、その不愉快な声を言葉をノートに書くなり、カウンセラーさんなどに打ち明けるなりして吐き出すことは心の健康のためになることだと思います。
その吐き出す行為が、外界の音声やフラッシュバックとしての幻聴などによって邪魔されると辛いだろうと思います。
自然な気持ちがあれこれ湧くことや、意志や意図や、心の中で言葉や言い方を比較したり、幾つかの可能性を予想したり期待したり悲観したりすることもごく普通のことだと思いますが、
そのごく普通の気持ちや意志や連想や比較や予想を心の中でするにあたり、「おい」とか「コラ」とかいう不快な声が差し挟まれることというのは、うっとうしいだろうなと思いますし、やっぱり気になります。
質問者さんが気持ちや意識や意志を持ち、言葉を使って思考するとき、しばしば苦痛、辛さを感じるのは、その主体的行為を禁じるかのような不快な声としてのフラッシュバックがあるせいであるような気がします。
本人ではないのでわかりませんが。「おい」や「こら」は短いフラッシュバックだと思うんです。

もしかすると殴るとか殴られるとかの問題もたいしたことがないのかも知れませんが、
「ある」と「有る」の二つの言葉が単なる普通の連想や比較でしかないという解釈のように、暴力もじつは軽い普通の問題なのかも知れませんか、
あたかも耐性ができて暴力に平気なのか慣れているのか、でも慣れてはいけないことだと思います。
もし暴力や暴言などに慣れて気持ちが麻痺して辛さをあまり感じなくなっても、のちにフラッシュバックになり鋭い辛さとして出てくることになるだろうからです。
私は暴力があんまり好きじゃないので、おおげさに問題視しているのかも知れませんけれど。

本当はたぶん質問者さんがたくさん書いて吐き出すほうが良いのだと思います。
分析や解釈や助言は冷静なプロの人に任せて、素人の私はだらだら分かった気になって無様なものを並べるより、頼まれたぶんだけ文の書き換えを手伝うくらいにすれば良かったのだろうと思います。
また長くなりましたすみません。

この回答への補足

補足します。
過去の体験
★「つなげて言う」「短く区切る」「ずっと鳴らす」「自分も動かす」「途中から読む」「朝もやる」「朝も言う」「何回も言う」「何回も変える」「考えが入ってくる」「捨てる」「まんまにする(=そのままにする)」「家にも何かやる」「体にも何かやる」「来週も操られる」「(曲の)題名を言う」などの言葉が頭の中(心の中)で勝手に浮かびあがってきたり、「できました」「通ります」「忘れました」と過去の記憶を自分が心の中(頭の中)ではき出したり、他人が声に出して「通ります」と言った際に「通る」という言葉が頭の中(心の中)で浮かんだなど
★僕は中学の時人の声や犬の声が怒っているように聞こえ、簡素な言い方「ある」「~する」や、「○○○○」などの名前(○○○○=姓の次に名)を心の中や頭の中で言った時に、人が実際は笑っているのに怒った感じに聞こえることがあったんです。
つまり簡素な言い方や名前などを心の中で言ったのが理由でそれを言われたように感じたんです。

これらに関しては自分の勘だと思うんです。
過去の体験がずっと自分の中にこびりついていてそれが浮かび上がったりしたということです。
一気に全部は思い出せないんです。

補足日時:2012/04/05 05:13
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この回答へのお礼

退会したと思ったら、再度回答が来ていてびっくりです。
回答ありがとうございます。

まず回答者さんが病気持ちかどうか、何の病気持ちかを知りたいのです。
僕は回答者さんは何らかの精神的な病気があるために文章が長くなったり、寝不足になるのかと疑問に思いました。
言い換えると自分の頭の中(心の中)で疑問が浮かんだということです。
高機能自閉症~統合失調症の方が良くあることに思いました。

昨日医者に行って主治医の先生が誰にでもあるし、病気でなくてもある、文字の変換は自閉症からきているかと思うようなことをおっしゃってました。
主治医と家族の二方の意見が一致していたということです。
それで回答者さんも「つなげて言う」「短く区切る」「ずっと鳴らす」「自分も動かす」「途中から読む」「朝もやる」「朝も言う」「何回も言う」「何回も変える」「考えが入ってくる」「捨てる」「まんまにする(=そのままにする)」「家にも何かやる」「体にも何かやる」「来週も操られる」「(曲の)題名を言う」などの言葉が頭の中(心の中)で勝手に浮かびあがってきたり、「できました」「通ります」「忘れました」と過去の記憶を自分が心の中(頭の中)ではき出したり、他人が声に出して「通ります」と言った際に「通る」という言葉が頭の中(心の中)で浮かんだなどが経験があるのかどうか疑問に思いました。

「通ります」と「通る」という2つの言葉が同時に出たのは自分の中で起きた何らかの理由が原因だと思うんです。
何らかの理由は正確に言葉にできないんです。
何らかの理由が起きたことに対し、ストレスや苦痛さが生じたことだと思うんです。
それがきっかけになって「通る」という言葉が湧き上がってきたように思いました。

「おい」や「コラ」の幻聴に関してですけど、高校時代に接した男の人の声だと最初聞こえ始めたときに感じたんです。
高校時代、男子校に通っていて、僕以外の生徒が「おい」や「コラ」の言葉を使っていたんです。
「バッチンだよ」「バッキュンだよ」に関して、聞こえ出す前にそのような言葉を聞いたことはなかったように思います。
過去に家族の人に虐待されていたこともなかったように思います。
ただ、引っ越して転校したばかりの小学4年の時、いじめにあいました。
僕が職員室に入る際「失礼します」と声に出して言ったが、僕の声変わりする前の声に対して、いじめた立場の人が「バカバカバカバカ」と言ったんです。
それがきっかけでそれ以来ずっと外に出たりするとしゃべらなくなりました。

僕は中学の時人の声や犬の声が怒っているように聞こえ、簡素な言い方「ある」「~する」や、「○○○○」などの名前(○○○○=姓の次に名)を心の中や頭の中で言った時に、人が実際は笑っているのに怒った感じに聞こえることがあったんです。
つまり簡素な言い方や名前などを心の中で言ったのが理由でそれを言われたように感じたんです。

実は、自分は人の名前を呼び捨てにしたものが心の中(頭の中)に浮かんでそれを苦痛だと感じたりすることがあったんです。
今回は頭が疲れたのでここまでにします。

お礼日時:2012/04/05 05:08

あと、これはわりとどうでもいいことですが、どうせブログに載せるなら、なるべく全文を載せてほしいです。



なんだか切りがなくなるので、このあたりで回答をやめます。
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お礼日時:2012/09/17 19:34

ブログを少し読んだのですが、質問者さんは親から日常的に殴られているようです。


養っている人であっても、養われている人のことを殴ったり暴力をふるったりすることは、良くないことだと思います。
障害のある人に対しても、暴力をふるうは良くないことだと思います。
障害者に対する虐待だと思います。
質問者さんはブログに幾度も「親に殴られた」と書いているのに、これまで誰もそのことを問題視しなかったのですか。
精神科医さんや心理カウンセラーさんやヘルパーさんなどに、そのことを伝えるべきだと思います。
つまり、自分は親から日常的に暴力を受けている、ということを言うべきだと思います。
一昨年も、また現在も、あるいは生まれてからずっと、親から殴られ、怒鳴られっぱなしである、ということを伝えるべきです。
暴力をふるうという行為をやめさせるべきだと思います。
質問者さんには親や他者から暴力を受けない権利、殴られない権利があります。
その権利を奪うことは、人権の侵害です。
これは質問者さんの人権や心の健康を左右するくらいの、見過ごせない事だと思います。
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この回答へのお礼

 

お礼日時:2012/09/17 19:34

ブログに載せていいと思います。


私の文章には誤字がやたら多いので、目障りだったらてきとうに直してくれていいです。
参考にいくつか挙げた薄めなサイトの説明もずれていましたし。
質問者さんの文章は誤字がとても少ないと思います。
ブログなどを見ると、質問者さんはけっこうすぐ怒る人なんですね。
私はひきこもりニートなので、私の意見なんかは重視する価値がないと思います。

でも「バッチンだよ」「バッキュンだよ」は不穏なので気になります。
質問者さんは怒ったり怒鳴ったりするらしいですが、そういうのは怖いですが、私は自分が弱いので人の弱さの面にばかり着目します。
回答した内容も、とくに【C】なんかはこちらで勝手に質問者さんをわかりやすいトラウマサバイバーにしたてあげて書いてしまいました。

ブログは家族の人も見ているんですかね。
虐待トラウマ問題がもしあれば、心理カウンセラーさんに頼って、その問題に果敢に取り組んでほしいなとか思います。
自分も耳栓生活をしている鼻づまりですが、そしてカウンセラーさんに家族仲を修復してもらおうとしたのですが、諦めてしまいました。

質問者さんはネットとかでの人とのやりとりを大切にしているようですね。
ネット以外での言葉のやりとりの不足をネットで補っているのかもと思いました。
私みたいにべらべら長く書く者では、あまり相手としてはふさわしくないようにも思います。
質問者さんと真理的な問題を、ずっと深く共有することには、不向きです。
私は心の問題にたいし、知識やスキルや柔軟性を持ちません。
本当は人助けをしたいのですが、ずれた分析や解釈ごっこにしかなりません。

なにかとウツっぽい自分です。
睡眠と運動が足りていません。
以下、ちょっとだらだらとぼやきます。
分析ごっこではなく、単なる言葉のやりとりをするくらいなら、してもよさそうですが、モチベーションがあまり湧きません。

でも質問者さんは人とのやりとりを頻繁にしたい感じのようです。
自分もひきこもりニートなので、暇すぎて他者との関わりを求めますが、疲れています。
そして私は長文の書きすぎとか寝不足とかでけっこう疲れています。
人との距離感をうまくとることができないので、こういうページでやりとりを続けることになにか危惧や不安があります。
時間を他者と構造化するなんてのは、自分の課題なのですが。

私はこれまで書いてきたように、素人のくせにずけずけと勝手に書いてしまうばかりなので、対話の相手としてふさわしくありません。
ひとりの素人としての言葉のやりとりをただやり、質問者さんの思いをなるべく汲み取る、みたいなことも、できるかわかりませんし、素人だからこそ、私には後ろだてがありませんから、私は自分の心の健康のために、そういうやりとりをつつしむべきかもとも思います。
自分が他人についてネットでどんどん情報を吸収していくことにも、不気味さを感じます。

私は「ひとりのカウンセラーさんとじっくり語らうように」と人から勧められたことがあります。
それは、あんまり多くの人から意見をあれこれ聞きいれていると、混乱するからとのことでした。
それで私が頼った心理カウンセラーさんも、けれどもあまり頼りにならず、ただお金がかかっただけみたいになりましたけれど。

ブログを見ると、質問者さんは実際に精神科の医師とか、あるいはネットで心理カウンセラーさんとかとやりとりしているようです。
精神科医さんは、幻聴とトラウマとフラッシュバックとPTSDと虐待の可能性について何か考慮しているのですかね。
していないなら考慮するのもひとつの手だと思います。
薬だけではなかなか治せない問題があるかも知れないので。
私は高機能自閉症の人が身近にいないので、質問者さんや質問者さんの家族などの気分がほとんどまるでわかりません。

虐待とかPTSDとかトラウマとかについて、それがもし質問者さんにあれば、過去の虐待経験の棚卸しをするという作業を、心理カウンセラーさんとすることを勧めるばかりです。
こういうのは馬鹿の一つ覚えというやつです。

家族仲の修復や和解は、自分には出来なかったことですが、だからこそなんだか、質問者さんの家族がそういう問題から目を逸らしているとしたら、私はなんだか不満なんです。
余計なお世話みたいな感じです。

過去の負い目なんかと向き合うことは面倒なことで、虐待をしたとかされたとか、暴力を用いたとか、そういうのに直面することは面倒ですが、面倒なことをすることには、それなりに辛さと意味とがあるでしょうけれど、たぶんすることの方がよいでしょうよ、というのも嫌がらせみたいなものかも知れません。
過去の物語にこだわりすぎるのも心の健康にはよくないとかいいますし。

私は妙に質問者さんの抱える問題を大げさにとらえて、それに対する解決策を言って、マッチポンプみたいな役立ち方をしたいのかもしれません。
どうすればいいのかはやはり専門家の判断とか次第なのかもわかりません。

私は頭が固いですし、臆病なので、なにかしら問題とか出来事があれば、それについて安易に、きっと原因はあれだとか、解決の仕方はそれだとか、すぐさま狭く指摘して、すぐさま問題を解決したがる者です。
人に対してはあれこれ簡単に言えます。
私は無責任なものです。
なので色々書いてすみませんとまた謝るしかないです。
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この回答へのお礼

再度回答ありがとうございます。

回答者さんは寝不足で疲れているんですね。
パソコンをやりすぎて頭を使いすぎて疲れることだと思います。
僕もパソコン最近たくさんやってます。
パソコンで悩みを聞いてもらったりすると心のつかえが解消したり軽くなったりするんです。
もちろん心理カウンセラーとやりとりしたり、主治医にも質問したりしてそれをブログに書いたんです。
今後も書くつもりでいます。
2010年の前でもブログをやってましたが、今のFC2ブログではないブログをやってました。
2005年からブログをやっていますが、始めたきっかけは「障害発達センターでブログを書いてみたらどうですか」と言われたからです。
それ以来ブログを書くことに興味を持つようになり、ブログを続けてます。
やめないつもりでいます。

睡眠時間は6~8時間とるのが理想だと思います。
朝早くから投稿してくださり、驚きですし、大歓迎です。
さらに言い換え文まで作ってくださり、嬉しいです。

今日は主治医の精神科の通院する予定なので、言い換え文などを書いた文章を医者に見てもらおうと思います。
もちろん質問もあるので聞いてもらおうと思います。

お礼日時:2012/04/04 07:00

【A】を書き間違えたので書き改めます。



【A】一昨年(2010年)喫茶店で働いていた。
そのとき、突然心の中に「ある」という文字がくっきりと浮かんだ。
それは幻聴ではなかった。
「ある」という文字だけがくっきりと心に浮かんだのだが、その文字はそれ以前にどこかで見た「ある」という文字を明瞭に思い起こしたものだった。
そのとき、その場にいた客が「何だぁ」と言った。
自分はそれを嫌な声だと感じた。
するとそれまで心に浮かんでいた「ある」という文字が別の文字に切り替わった。
「有る」という文字に置き換わった。
その置き換わりは強引なものだった。
この「有る」という文字もまた、それ以前にどこかで見たものがそのままはっきりと記憶に定着したものだと思う。
文字の変換が起きたきっかけは、客の不快な声だった。
その客が言った、「何だぁ」という嫌な声を、自分は今もはっきり覚えている。
その嫌な声を聴いたことがきっかけになり、想起していた文字が強引に切り替わった。
そのことにも辛さを感じた。
自分はすみやかに心の中で、その「有る」という文字を、自分の意志によって、元の「ある」に変えた。
そうすることで自分は、「有る」を「ある」に戻すことができた。
それ以前の自分は、心の中の文字が勝手に切り替わっても、そのままにしていたが、その時は自分で直すことをした。
しかし、元に戻したはずの「ある」は、また「有る」に強引に切り替わった。
自分は辛さを感じた。
自分は変換をくり返し、心の中が「ある」と「有る」のせめぎあいになった。
それは辛い出来事だった。
その喫茶店で起きた「ある」と「有る」の変換は、その後もさまざまな不快な刺激をきっかけにして、数ヶ月間つづした。
その度に自分は辛さを感じた。
それから数ヶ月以上経つと、「ある」と「有る」の文字の変換は起こらなくなった。
なんらかの不快な刺激があっても、「ある」と「有る」の切り替わりは意識に上らず、気にもならなくなった。

この回答への補足

追記です。
回答者さんのokwave IDは載せてません。
#9のお礼入力欄などにお礼を書くつもりです。

補足日時:2012/04/04 05:11
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この回答へのお礼

再度たくさんのご回答ありがとうございます。
実は回答内容をそのままブログに載せましたが、大丈夫ですか?
もしいけない点があれば教えて下さい。
お礼の続きを#10の補足に書いてみてもし書ききれなかったら#9のお礼入力欄に書くつもりです。

お礼日時:2012/04/04 04:32

【D】「できました」と心の中(頭の中)で言いながら筆談ノートに書いた。

それは耳からの明瞭な他者の声の記憶を、文字にして出すという行為だった。過去に他人から聞いた「できました」という声の記憶を、心の中から吐き出して文字にしたような手応えがあった。ある日、強制的に耳から入ってきて、心の中に残っていた他者の声が、自分自身の力で文字として吐き出せたという手応えだった。
 その時、喫茶店の職員さんが嫌な声を出した。その声は利用者さんに向かって注意をしたり、仕事を伝えりした。自分はその声を聞いたことがきっかけで、頭の中(心の中)では、「できた」という言葉が浮かんだ。元々自分が思ったことは、そして外に文字として出した言葉は、「できました」なのだが、とっさの不快な声によって、つい「できた」という言葉に変わった。この言い換えに自分は辛さを感じ、速やかにその「できた」という言葉ではなく、モトの「できました」という言葉を念頭した。それから「できた」という言葉と「できました」という言葉が頭の中でせめぎ合い、そのことを辛く感じた。またそういう出来事が起きることや、それらの出来事を辛く感じるのは、ある理由によるものだと思った。


 質問者さんにとって「通る・通ります」「できた・できました」「忘れた・忘れました」などの言葉が気になる理由は、それらが二つの意味で印象的だからなのかもと思います。
 一つは言い直しというか、丁寧語に直すことを覚える際に、人に厳しく注意されたことがあるためなのかもと思います。ぜんぶトラウマのせいにすると考えやすくて楽なので私はついこう書きますが、言葉を覚える段階で虐待があったなら、その記憶した言葉を使う際にトラウマが、悲しい感情だけとか、悲しさも麻痺し萎縮した情緒で言葉だけがフラッシュバックすると思います。人から厳しい口調や声や態度で言い直されたり、指示されたり命じられたりしたことの辛さが記憶に残っていて、蘇りやすいのだと思います。他者から他者への指示や不満の表明や注意などに接しても、過去の幼いころに無力で受動的でしかなかった自分の記憶が断片が蘇るのだと思います。 
 二つ目の理由はそれらの言葉の意味が、わりと重要だからだと思います。記憶(忘れる)や能力(できる)や声(通る)などという、わりと存在にとって近くて大切なところにある言葉で、質問者さんが希望している状態に関係している事柄だから、頭の中にこびりついたり、フラッシュバックのように明瞭な想起になるのだと思います。できるという言葉と事実とイメージは自己効力感の表れですし、人や声などが狭いところをそれでも通るということもまた、自らが社会的状況において通有するというイメージや事実や効力感に通じますし、忘れる方が良いことを忘れることも質問者さんの存在感を健やかに保つことになるのだと思います。
 
 質問者さんの文面では、「統合失調症の方」と「僕」との間にずれがあり、自分を統合失調症なのだと自分で思い込んだりそう診断されたからという理由で、もし自分が統合失調症ならこのように考えたり思ったりするものだろうと統合失調症らしさを自分への解釈に持ち込んでいるようですが、統合失調症の症状を客観視できているので、統合失調症ではなのではないか、単に自分を統合失調症に分類されうるかのように考えているだけか、あるいはたとえ今その統合失調症らしい症状があっても、統合失調症ではなくなりかけているような気がしますし、なぜ統合失調症っぽくなったかの理由を考えていく作業、つまり心理カウンセラーさんとか心の専門家の人とあとはじっくりPTSDについて取り組んで、「バッキュンだよ」とか「バッチンだよ」とかいう怖いおそらく過去からの声が、頭の中にもう響かないように認知とかの作業をしていくといいと思います。

 こんなふうにずけずけと支配的に書いているのも変ですが。
 私は自閉的な暮らしをしています。たぶん統合失調症ではないですが、音楽がぐるぐると頭から離れないときなんかはざらです。アニメとか熱心に見た直後なんかはよくそうなります。そういう時はたいてい記述が不足しているので、ノートやパソコンに自分の考え事を記述をして自分の言葉で頭の中を運用するようにします。すると音楽が止みます。書いていてたまに自分の実人生を生きていることをしっかり感じられる快感になります。あと本や人の文章を読むのはうっとうしいものです。めんどくさいものです。文字だけの夢もたまに見ます。
 質問者さんはあらゆる文字の中でも一部だけはっきり記憶するそうですが、どういう文字を記憶するのかがわかかれば、自分のこだわりが何なのかについてのヒントになるかもと思います。明瞭に記憶と想起をしやすい文字を、できるだけ多く書き並べてリストを作り、それについてじっくり眺めて考えてみれば、なにかしら自分の記憶の傾向がわかってくるかもしれません、自分がなぜそのたぐいの文字をありありと記憶しているのかわかれば、それによって腑に落ちることもあるんじゃないですかと思います。
 
 人の顔を見た後に文字を見ると、文字が人の顔に見えるということをご存知か、という疑問について、私は人の顔をあまり見ない暮らしをしているせいかわかりません。骨という文字はなんかガチャピンみたいに見えますがロボットにも見えますし、でも骨は骨という文字でしかなくにしこりは松井秀喜みたいですがにしこりです。人の顔に見えるのは私の場合は文字よりも空の雲に対してです。
 質問者さんは視覚と聴覚の記憶力が高いのだと思います。そして大事なことはというか、意味のあることはというか、知る甲斐のあることがあるとしたら、目での残像や耳での残響の内容についてであり、質問者さんがどういう内容の文字や声をとりわけ想起するのか、や、どうしてそういう文字や声を想起するのか、ということについて、自問するというかやっぱり専門家の心理カウンセラーさんとじっくり語らうことが大事なのだと思います。
 
「できました」や「忘れました」は質問者さんが書き出して心から吐き出すべき言葉のリストの一端なのだと思います。筆談ノートなどで質問者さんはすでに書いて吐き出す作業をしているのだと私いま気づきました。
 過去に人から言われて辛かった言葉や声を書き出すことなども、心理カウンセラーさんとの作業には含まれると思います。トラウマの相対化とか客観視とか直面化とか、よく分かりませんがトラウマと別れたり共存したりするとかになるのかと思います。
 文が長くてごめんなさい。
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お礼日時:2012/07/24 17:12

【C】どこにいても耳鳴りや幻聴の音声が聞こえます。

喫茶店で働いている時はその音が小さいのですが、逆に、家にいると耳鳴りや幻聴が大きくなります。どこにいても、以下のような言葉が頭に浮かんできます。
「(言葉を長く詳しく)つなげて言う」「(言葉を)短く区切る」「(音を)ずっと鳴らす」「自分も動かす」「(長文を)途中から読む」「朝もやる」「朝も言う」「(同じ言葉を速く)何回も言う」「何回も変える」「考えが入ってくる」「捨てる」「まんまにする(=そのままにする)」「家にも何かやる」「体にも何かやる」「来週も操られる(来週も自分で自分を動かす)」「(曲の)題名を言う」
 そういう言葉を頭の中に浮かべます。それらの言葉によって自分は自分を補います。それらの工夫によって自らの主体性を保とうとします。つまりそうする方が何かにつけ心地よくて楽なのです。
 それらの工夫の言葉を思い浮かべる以前は、今よりもうまく主体性を保てませんでした。他者か自分から禁じられている感覚があり、事実としてではなく、主に感覚としてですが、実際に強い禁止の中で育ったその名残だと思います。まるで他者から命じられ、さまざまなことが禁じられているような感覚が続いていました。また自分で自分にさまざまな禁止や命令を出しているようでもありました。
 なのですが、ことのはじまりは幼い頃に、他者から制限と禁止を強く与えられていたことだと思い、それを自分は今でもよく覚えているのだと思います。その制限や禁止や命令がふさわしくないくらい強すぎて、今でも自分の心の中に、ふさわしくない場面で蘇ってきます。それが幻聴のように聞こえるのです。
 自分から自由さを奪うネガティブな声、つまり過去に虐待されていた頃の記憶、例えば「バッチンだよ」「バッキュンだよ」などの声が頻繁にフラッシュバックするのでした。その辛い記憶にある嫌な声を聞きたくないので、自分は頭の中に音楽をずっと流していました。そうする方が心が楽なのです。自分は記憶力が高いので、嫌な言葉や声も明瞭に記憶しますが、美しい音楽もまた明瞭に記憶したり想起したりできるのです。
 けれどもある日、職員さんの言動に接したとき、自分の心の中に「鳴らすな」という言葉が蘇りました。それも過去に人から言われた言葉かと思います。または自分で自分に言い聞かせたことのある言葉かもしれませんが、言われた言葉だと思います。いずれにせよ心の中にあえて流している音楽を、鳴らすなということなのかなと思いました。もし音楽を止めれば、また嫌な虐待の記憶が蘇ってきそうなので、自分は辛く感じました。自分は家にいると耳鳴りや幻聴の音声が大きくなるのです。
 しかし、それに対し自分には自分なりの工夫があります。上記のいくつかの工夫のことです。それらは対抗のための言葉なのでした。遠い過去に明瞭に記憶したまま蘇ってくる否定的な声に、流されないための抵抗の言葉です。「鳴らすな」に対しては「鳴らす、鳴らし続ける」という言葉と行為を自分は自ら選ぶことができます。それが「自分も動かす」という工夫の意味です。他者の声や幻聴やつまり過去の虐待経験が蘇ってきてそれにゆり動かされ、心の中で無理な禁止をされた感じがしても、自分は自分で自分を動かすことを選べるようになったのです。
 でも否定された記憶が根強く明瞭にあるので辛いです。否定的な声の記憶が、しばしば実際の生活や仕事を邪魔します。それに対しいちいち抵抗することもけっこうたいへんです。
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この回答へのお礼

 

お礼日時:2012/07/24 17:12

文章が長くてすみません、わざととかいやがらせとかではないんです、つい長くなります。



私は思い込みが強いです。医者も案外そうかも知れません。
質問者さんは自分自身にどういう分類をしているかわかりませんが、自己紹介ページを見ると高機能自閉症とか、そういう人の中にはカメラやテープレコーダーで記録したような明瞭な記憶を持ったりすることがあるとか、
それと統合失調症と書いてありますが、診断されたということで、その病名(統合失調症)が質問者さんの事実や実感と合っているかは解からないと思います、
実は合っていないのにそういうレッテルを間違えて貼ってみると説明があれこれつくから間違えたまま貼り続けるという、つまり誤診もありうると思いますが、
私は質問者さんをそもそも被虐待経験のトラウマを抱えたPTSDの人だと思っています、統合失調症はそのPTSDの上でこじれて起きてくる症状なのかもと思います、これもよくある見方の当てはめなので間違えているかも知れませんけれど、それでもその上で書きます。トラウマPTSD路線で書きました。
でもあんまり多分こういう所でこういう素人が精神分析ごっこみたいな心理カウンセリングごっこをするのは楽しいけれど良くないと思いますけれどします、だめニートなんで暇なんです。

「ある」「動く」「鳴る」は生き物の基本的なことだと思います。禁じられるなら悲しいことです。「ある」の反対である「ない」に近い「あるな Don't be」は悲しい命令なので、「ある」から「あるな」への変換よりは「有る」への変換の方が気分的にましなのだと思います。

高機能の脳で記憶力が高いなら嫌な記憶も鮮明だと思います。視覚的記憶(見た記憶)の想起を伴わないフラッシュバックもあると思います。音だけのフラッシュバックです。過去に身近な人から「バッチンだよ」や「バッキュン」だよと言われたなら、そういう暴力や脅しによって質問者さんは行動を制限されていたかも知れず、児童虐待とかドメスティックバイオレンスとかがあったのかもと思います。
そして、頭の中で流れる音楽が止むと、児童虐待の記憶がよみがえるので辛いのかも知れません。
また、頭の中に音楽を流してばかりいても、自分なりの思考の邪魔になるなら困ります。
幻聴が、もし質問者さんが過去に人から言われた声のフラッシュバックなら、虐待のトラウマによるPTSDであって、統合失調症ではないんじゃないかと思います。

 音声だけのフラッシュバックも多分あります。フラッシュなので光景みたいに思いがちですが。質問者さんは音声のフラッシュバックが多いのだと思います。本当に嫌な内容のフラッシュバックを隠すためにも、ほかの幻聴や音楽や言葉や視覚情報などで心を埋めることもあると思います。PTSDの人の心の奥にこびりついて息づいている、本当に嫌なフラッシュバックの源と向き合う作業は、専門のカウンセラーさんとのやりとりの中することらしいです。

フラッシュバック http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9% …
以下いくつかサイト
フラッシュバックについて http://ameblo.jp/sute-neko/entry-10158885405.html
幻聴か、フラッシュバックか。統合失調症と誤診について http://www.appuyer.jp/counseling/d.html
トラウマ、フラッシュバックに悩んでいる人の質問 http://oshiete.goo.ne.jp/qa/2869038.html
PTSD http://d.hatena.ne.jp/satochan8/20110216/1297863 …
PTSDとトラウマ http://www.aikokoro.net/pt.html.html
フラッシュバックの治療 http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2008/0426/180763. …
本 忘れる技術 : 思い出したくない過去を乗り越える11の方法 岡野憲一郎著
http://kokoiede.exblog.jp/13794459/

PTSDとは何か http://sheport.co.jp/site/mcpo/materials/ptsd.html (専門家との面接で心の棚卸しをする作業をするとか)
 
【A】のつづきです
 喫茶店で起きた「ある」と「有る」の変換は、以降、数ヶ月間つづいたが、その後は変換が起こらなくなった。もし自分が統合失調症者であれば、「何者かに操られたため変換が起きなくなった」
と解釈し、その解釈を自ら信じ込むのだろうが、自分はそうは思わない。自分は統合失調症者のような解釈の仕方には違和感がある。変換の解除には、別の解釈と理由があると思うが、自分はそれらをうまく表現できない。
 変換は解除された。けれどもそれは何者かから意のままに操られたからではないと思う。なぜなら、変換の解除を。そう思う自分はおそらく統合失調症者とは違う。
 ではそもそも変換はどうして起きたのだろう。幻聴や幻覚はなかったと思う。「ある」とは聞こえなかった。ただ以前見た「ある」という文字をその時なぜかそのまま思い出しただけだ。自分は記憶力が良いから、おそらくフラッシュバックのようなものであり、けっして幻覚や幻聴ではない。よってこの「ある」と「有る」の変換と解除の出来事は、自分が統合失調症であることを証明する出来事にはならないと思う。
「ある」あるいは「有る」という文字を自分がつい気にし、こだわっていた理由は、統合失調症とは別に他にあるだろう。

(「解除が起きた」ということを別の表現にするなら、気にならなくなったとか、こだわらなくなった、忘れた、意識に上らなくなった、とかだろうか)

「ある⇔有る」「人からメールが来ていない⇔人からメールが来ている」「できました⇔できた」「通ります⇔通る」などは、存在の有無、社会的関係の有無、社交場面での自由さの多少など、質問者さんの存在感の伸縮を示しているように思いました。
 質問者さんが喫茶店で働いていたとき、そこで社会的な存在としての自分の存在感をこれまでよりも強く自覚的に感じ、自分が「ある」という感覚が強まって「有る」という感じ方になったりしたんじゃないのかなとか思いました。

 また、「ある」「治す/治さん」などの言葉は、質問者さんの存在に深く関わる言葉で、存在の根深いところに作用し左右する言葉なので、質問者さんの存在感覚がよわまり頼りなくおびかされ揺らいでいるような状態にある場合、他の言葉よりもそういう「ある」などの根源的な重たい言葉が気になるのだと思います。
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この回答へのお礼

 

お礼日時:2012/07/24 17:11

以上のことをふまえて回答しなおします。



【A】一昨年(2010年)喫茶店で働いているとき、「ある」という言葉がうかんできた。幻聴のようだった。その時「ある」という文字も心に浮かんできたのだが、それは以前どこかで見た「ある」という文字を、そのままの明瞭さで想起するものだった(まるでフラッシュバックのような明瞭さだった)。その明瞭な記憶である「ある」という文字の様子が、その場にいた客の「何だぁ」という嫌な感じの声によって、「有る」という文字に置き換わった(この「有る」もまた以前どこかで見たものがそのままの明瞭さで記憶に定着したものと思う)。
 そのことを自分は辛く感じた。きっかけは客の「何だぁ」という嫌な声だった。そしてその「有る」という文字が、他のきっかけによってモトの文字「ある」に置き換わったこともあり、その際にも心が辛かった。
「ある」と「有る」の変換は数ヶ月起こり続け、それ以降は次第に変換は起こらなくなっていった。

【B】パソコンで「Outlook Express」を開いた後、例えば「[受信トレイ]に20通の未開封メッセージがあります」「受信トレイ(20)」という文字を見て、その文字を心の中でつぶやいたときに、「おい」という幻聴が聞こえた。それがきっかけとなり、「[受信トレイ]に20通の未開封メッセージがあります」「受信トレイ(20)」ではなく、「--通の未開封メッセージがあります」「0通の未開封メッセージがあります」という異なった文字を、以前その文字を見かけ通りの明瞭さではっきりと想起した。また変換が起きた文字を心の中でつぶやいた。
 「20通」から「0通」「--通(マイナス通)」への(錯覚としての)変換内容は、当たったり外れたりした。つまり、受信トレイを開いてみて、迷惑メールしか来ていない場合は実質0通であり、なら変換内容が当たっていたことになる。また逆に迷惑メール以外のメールが来ていれば変換内容は、はずれということになる。迷惑メールでないメールが来ることの方が気分としては当たりだ。

【C】実は、自分がどこにいても、「(言葉を長く詳しく)つなげて言う」「(言葉を)短く区切る」「(音を)ずっと鳴らす」「自分も動かす」「(長文を)途中から読む」「朝もやる」「朝も言う」「(同じ言葉を速く)何回も言う」「何回も変える」「考えが入ってくる」「捨てる」「まんまにする(=そのままにする)」「家にも何かやる」「体にも何かやる」「来週も操られる(来週も自分で自分を動かす)」「(曲の)題名を言う」と言ったような言葉が頭の中で勝手に浮かびました。またその言葉に自ら従うことによって自分で自分を操作し、自らの主体性を保ちました。それらの言葉が浮かぶ以前はまるで他者から命じられ、さまざまなことが他者によって禁じられているような感覚がありました。自分の自由を奪うネガティブな声が頻繁にフラッシュバックするのでした。

【D】「できました」と心の中(頭の中)で言いながら筆談ノートに書いたが、喫茶店の職員さんが声に出して利用者さんに注意したり利用者さんに仕事を伝えたことがきっかけで(=その時自分にも声が耳に入っていた)頭の中(心の中)で「できた」という言葉が浮かんだ。「できた」という言葉が浮かんだ時に自然に「できました」というモトの言葉に変換もあった。いずれも辛く感じた出来事でもあった。それは、とある理由で起きたことを感じた。

【E】喫茶店の厨房で僕も職員さんも利用者さんもいっしょに仕事していた。そのとき誰かが通りにくい所を通るために「通ります」と声に出して言った。すると僕の頭の中(心の中)で「通る」という言葉が浮かんだことがあった。それは、とある理由で起きたことを感じた。

この回答への補足

#6に対するお礼の続きです。
説明不足な内容があったので、追記します。

>【D】
実は「できました」という言葉は、過去に得た情報を自分自身が頭の中(心の中)ではき出した感じだと思うんです。
つまり、過去の情報「できました」が頭に上り、それが外に出たと感じたということです。
そのために何か別の表現が知りたいんです。

Eについては体験したことと矛盾してないと思います。

(追記)
実は昨日(2日)喫茶店で朝礼前に筆談ノートに「(帽子とエプロンを)忘れました」と言うふうに書いたんです。
その時に昨日以前に得た「忘れました」という言葉が頭に上り、心の中ではき出した感じだと思うんです。
それが何らかのきっかけ(=職員さんの言動)で「忘れた」という言葉が頭の中(心の中)で浮かんだことがあったんです。
つまりお礼内容「D」と同じ感じだと思うんです。

これについてですが、「できました」「忘れました」という言葉が浮かぶ以前からずっと「できました」「忘れました」という言葉が自分の(頭の)中にこびりついていたと言うことだと思うんです。
以下の流れの出来事が起きていたと想像できるんです。
(1)「できました」という言葉をどこかで聞いたりした
(2)どこかで聞いたりした「できました」という言葉が自分の(頭の)中に長くこびりついていた
(3)こびりついていた「できました」が頭の中(心の中)で浮かんだ
「忘れました」も同様なんです。
つまり過去にどこかで得た知識(=情報)をいつまでも自分の(頭の)中に保存していたということが言えると思うんです。
※自分の(頭の)中=自分の中でもあれば、自分の頭の中でもあるということです。

#5を見てどういう想像がつくか書きますね。
「自分も動かす→主体的になってみる」:これについてですが、「自分も動かす」という言葉が頭の中で浮かぶ前の状態を説明しますと、(1)例えば「ある」と言う言葉が自分の頭の中(心の中)で浮かんだ(2)それが職員さんの言動などの外部な刺激および内なる幻聴などがきっかけで「ない」という逆の言葉に頭の中(心の中)で変換が起きた(3)変換が起きてから速やかに「ある」や「ない ある」と言うふうにモトの言葉などに変換が起きた わかりやすく言うと、(3)の出来事が起きるのが制限されたということだと思うんです。
それがネガティブな出来事で、それが解除されて、「自分も動かす」と勝手に頭の中(心の中)で浮かんで#6で回答者さんが述べている「その言葉に自ら従うことによって自分で自分を操作し、自らの主体性を保ちました」ということだと言えると想像できるんです。

「途中から読む→少し飛ばし読みする」:左辺の言葉が頭の中(心の中)で浮かぶ前までは何らかのきっかけ(=統合失調症の方はそのような症状を「操られた」や「途中から読むのを禁じられた」と思ったり感じたりすると自分は想像するし、自分の中でもそういうようなことが起きていた)で最初の部分から黙読して離れられなかったことがあったりしたんです。少しとばし読みすると最初から連続して出てしまう(=統合失調症の方はそのような症状を「言わせられる」「読まされる」「最初から連続して読まされる」と思ったり感じたりすると自分は想像できる)と感じて辛さが出るので途中から読むのが難しく感じたということだと思うんです。

「脳内音楽を止める →頭の中に流れる音楽を止めたいと感じた、ちょっと止めたくなった、自分で止めてみたくなった、止めたられるかなと思って止めた、音楽が止むほうが好ましいような、心地よい用ような気がしたから音楽を思い浮かべつづけることをよした、無意識が内的充実を図り、沈黙か言葉の主体的運用求めたため音楽を消した、無意識が心を静かで落ち着いた状態にしようとしたらしいので、そんなみずからの内なる声にためしについしたがってみた」:僕の中ではまさに回答者さんが言うように「頭の中に流れる音楽を止めたいと感じた」り、「ちょっと止めたくなった」、「自分で止めてみたくなった」などが起きていたんです。
「止める」と言うふうに心の中(頭の中)で浮かぶ前でもそういうふうに思ったりしたことがありました。
「止める」という言葉が浮かぶ前までは、やはり「ネガティブな出来事(何らかのきっかけで音楽を止めるのを禁止されたと感じたり思ったなどが統合失調症の方に出る症状だと思った)」があったりしたんです。
サビから音楽が流れたときに何らかのきっかけでイントロからエンディングまで流れて止まらないことがあった感じだと思うんです。
統合失調症の方の考えで言うと、それは「意のままに操られた」と言えると思うんです。


あとフラッシュバックについてですけど、
僕は過去に見た文字が何年も自分の中に焼き付いていて、目を開けていたり閉じていたりすると文字が見えることがあるんです。
日常にあふれている文字がそのままくっきりと見える訳でなく、一部が残って見えるということだと思うんです。
回答者さんが、人の顔を見た後に文字を見ると、文字が人の顔に見えるということをご存知かどうか疑問に思いました。
それと同じようなことが起きているんです。
今日でも過去にパソコンで見た文字が残って見えたりしたんです。
これが本当にフラッシュバックかどうか知りたいです。
精神科医さんにこのようなことを言ったんですが、「葛飾北斎のようにカメラのような目を持つ自閉症の方を聞いたことがある」とのことを言ってました。
それと同じ現象かもしれない気がしました。

補足日時:2012/04/03 13:07
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この回答へのお礼

沢山の回答ありがとうございます。

【A】
Aに関して、、、「ある」という言葉が浮かんできたことが幻聴のようだったとは感じませんでしたし、「ある」と幻聴は聞こえてきませんでした。
つまり、当時(2010年)の時は「ある」という言葉が心の中(頭の中)で浮かんだだけです。
浮かんだ「ある」という言葉は、2010年以前に自分が声に出したり心の中(頭の中)で言ったものだと思うが、それが浮かんだんです。
「想起」というのは過去にあったことが思い起こされることって調べてわかりました。
フラッシュバックというのは、過去に見た文字がその時に目に焼き付いて消えることなく、そのまま映って見えて、後で浮かぶことを言うのは間違ってないかどうか疑問です。

例えば「フラッシュバック」という文字を今日の朝5時に見たとします。
それが見た時に、消えずに(一部が?そのまま)残って見えて朝の6時になっても消えることなく、見えるということが自分の中で起きていた現象だと思うんです。

「有る」という文字も2010年より以前にどこかで見たものがそのままの明瞭さで自分の中で定着していたものと思うンです。そう言う方が正しいと思ったんです。

変換が起こらなくなったというのは、統合失調症の患者さんがそのような体験をした場合、「操られた(意のままに動かされた)」と感じると思うんです。
別の表現をまだ知りたいんです。
要するに「解除が起きた」ことの別の表現を知りたいんです。

【B】
Bに関してはほぼ合っている(自分の体験と同じ)だと思いました。

【C】
Cについて、、、「主体性を保ちました」の部分をわかりやすく説明してほしいと思いました。
「ずっと鳴らす」という言葉が頭の中(心の中)で浮かぶまでは、以下のことがあったんです。
※過去に聞いた音楽や音声などが頭の中(心の中)で再生されたり浮かんだ時に、職員さんの言動をきっかけに「鳴らすな」という言葉が心の中(頭の中)で浮かんだんです。
その「鳴らすな」という声が過去に聞いた音楽が頭の中(心の中)で再生されるのが禁じられていたということに思えたんです。
「まるで他者から命じられ、さまざまなことが他者によって禁じられているような感覚がありました」とお書きになられていますけど、他者によって禁じられたりすることは有り得なくても感覚は有り得ると思うんです。
でも実際は自分で自分に禁止の命令を出したと思ったんですが、そうなのかどうか知りたいんです。
「ネガティブな声がフラッシュバックする」という意味をわかりやすく教えてほしいと思いました。
「(音を)ずっと鳴らす」というのは、違う気がします。
「心の中(頭の中)で過去に聞いた音楽が再生される」や「幻聴・耳鳴りの音が大きくなって聞こえる」ということだと思うんです。
実は喫茶店で働いているときは耳鳴りや幻聴の音声が家にいるときよりも小さく感じるんです。

【D】
実は「できました」という言葉は、過去に得た情報を自分自身が頭の中(心の中)ではき出した感じだと思うんです。
つまり、過去の情報「できました」が頭に上り、それが外に出たと感じたということです。
そのために何か別の表現が知りたいんです。

Eについては体験したことと矛盾してないと思います。

(追記)
実は昨日(2日)喫茶店で朝礼前に筆談ノートに「(帽子とエプロンを)忘れました」と言うふうに書いたんです。
その時に昨日以前に得た「忘れました」という言葉が頭に上り、心の中ではき出した感じだと思うんです。
それが何らかのきっかけ(=職員さんの言動)で「忘れた」という言葉が頭の中(心の中)で浮かんだことがあったんです。
つまりお礼内容「D」と同じ感じだと思うんです。

再度【A】~【D】と追記内容に対する返信(言い換えなども)下さい。
文章がすっごく長く感じました。

お礼日時:2012/04/03 06:43

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