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喧嘩口論禁止令と、喧嘩両成敗って何がどう違うのですか?

武士道における喧嘩について調べていますが、まったくもってちんぷんかんぷんです。
徳川幕府に変わり平和になったことで、武士は戦闘者として戦うことがほぼ無くなりました。武士が戦闘者として唯一本領発揮出来る場が「喧嘩の場」だったわけですよね?
そこまではわかるのですが、調べていくうちに喧嘩口論禁止令と喧嘩両成敗が出てきて、何がどう違うのかわからなくなりました。

たとえば「お前の母ちゃんでべそ」って相手から貶されたら、上記の法はどのように適用されますか?

A 回答 (3件)

喧嘩口論禁止令は、そもそも喧嘩をすることを禁じたものです。


徳川幕府に変わったからといって簡単に平和になったわけではありません。
徳川幕府が一番腐心したのは、平和を維持する事。
その方法の一つが、争いの火種になりそうなものを遠ざけたり元から絶つこと。
戦がなくなるにつれ、武士に必要なのは武術より算術といわれるようになり、
武士として戦で功績をあげて出世する事ができなくなりました。
戦がなければ領地も増えず、戦利品もなく。扶持米の加増も期待できません。
次第に生活に困窮する武士も増え、思う存分体を動かせないストレスも加わり、
それでいてプライドだけは高い。
些細なことから喧嘩につながることは十分考えられます。
ひいてはその不満が幕府に向けられることを懸念したのです。
町人や農民についても同様です。
喧嘩口論禁止令では、農民に取水などのトラブルがあっても、武器を持って争うことも禁じています。
不満が一揆に発展することを抑えるためであったとも言えます。
喧嘩や口論をしたらいけないよ、というのが喧嘩口論禁止で、
相手にしなければ争いは大きくならないのですから、
それでも争ってしまったら両方罰しちゃうよ、というのが喧嘩両成敗。
家康は、裏で画策して相手に手を出させて自分の正当性を主張することも得意だったとか。
それを逆手に取ったのかもしれません。
火事と喧嘩は江戸の華というくらいですから、実際は喧嘩が多かったのかもしれません。
同心や岡っ引きは結構ハードワークだったらしいです。
少しでも、争い事や、そのあとの処理を減らしたかったのかもしれませんね。
相手に貶されて、名誉を侵害されたとお上に訴え出れば相手が罰せられるかもしれませんが、
それに言い返したら喧嘩両成敗で両方罰せられるでしょう。
まあお前の母ちゃん程度なら門前払いだと思いますが・・・。
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この回答へのお礼

皆様とても詳細な回答をありがとうございました。
ようやっと両成敗と禁止令が分かりました。

お礼日時:2012/05/24 23:38

質問文の中の一節


<武士が戦闘者として唯一本領発揮出来る場が「喧嘩の場」だったわけですよね?>
に疑問を感じます。

本来は「武士が戦闘者として唯一本領発揮出来る場が「公の戦いの場」だったわけです。」
で、平和になり戦いが無くなると、武士は来るかもしれない「公の戦いの場」に備える
戦闘待機者または事務官僚になって行きます。
「公の戦い」に対する「私的な戦い(闘い)、または決闘」やより低レベルな「喧嘩口論」は
武士たる者がすべきでは無いとして禁止されました。これが喧嘩口論禁止令です。

禁止令にも拘らず、喧嘩(口論)した場合は、その是非を問わず成敗されます。
つまり、両者に非が有るとして両者共に成敗されます。

vmg112氏(うじ)が甲氏(うじ)から「お前の母ちゃんでべそ」と挑発を受けた時に
「貴殿の母上100貫デブ」と応じたら、喧嘩口論禁止令に違反したとして処罰されます。

その際、甲氏が先に、しかも外見から直ぐ判るデブ以上に酷い隠したい「でべそ」と云う
事実を暴露したからという弁解は一切通用しません。
甲氏もvmg112氏も同じように喧嘩両成敗で罰せられます。

子供じみた言い合いですが、町民や百姓の前での言い合いなら、武士の体面を著しく
傷つけたとして両名切腹、お家断絶になるかも知れません。
武士に対する処罰はとても厳しかったのです。

赤穂浪士の例では、浅野匠の守は殿中で刀を抜き私闘に及んだとして切腹、吉良上野介は
刀も抜かず耐えたということで無罪となっています。
もし吉良も抜いていれば、喧嘩両成敗で両名切腹になっていた可能性が有ります。

「火事と喧嘩は江戸の華」とかいう言葉は、江戸町民の威勢の良さを表す表現で、
武士とは全く関係有りません、町火消しと大名・旗本火消しが勢いを競った事は
有るようです。喧嘩は武士とは無縁か、お家断絶覚悟の物というのが実情だった様です。

「切捨て御免」も制約の厳しいもので、下手をすると切り捨てたはずの武士が斬首と
云うような状況でした。下記URLを見てください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%87%E6%8D%A8% …

江戸時代の侍階級は全人口の5%前後、それが来るべき戦いに備えて日々鍛錬し、常に
武器を携行し、義を見てせざるは勇無きなりで弱い者を助け(卑怯者呼ばわりされる)、
疑惑を掛けられる不徳が有れば潔白を証明するために腹を切り、しかも大多数は低い
俸禄でした。
驚くほど犯罪が少なく、特権階級である侍の生活の慎ましやかな事に幕末の日本を
訪れた外国人の多くが驚いています。
彼らにとって、侍と刀と「切捨て御免」は怖かったようです。

ちなみに、今の日本では公務員が5%程度、昔の様だったら良いのにと思う今日この頃です。
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喧嘩口論禁止令 は 禁止令です



喧嘩両成敗 は 禁止令に違反して 喧嘩口論した者への対応です


先入観思い込みが強すぎて、見ても見えない状況なのでは
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