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勉強を始めたばかりで変な質問ばかり、すみません。

1、天台宗と各宗派(親鸞の浄土真宗、道元の曹洞宗、などなど)はそんなに違うものなんですか?
(逆にそんなに違うから自分で宗派を立ち上げた?)
あえて自分で立ち上げたのは(天台宗に留まらずに)、新興宗教ブームみたいに単に当時流行ってたとか。


2、上に少し関連しますが、例えば浄土真宗は、天台宗の浄土真宗と言えるのですか?それとも逆に完全に天台宗から独立した、全く別のものなのですか?
(日蓮さんが浄土宗を批判していたようで、同門が敵対するのは分かるのですが)


3、日蓮宗の映像を見るとかなり怖いんですが(右翼みたいというか)何故ですか?
叫んでたり暴力的というか。。。wikipediaに日蓮さんの主要著作のため"国家主義的" と書いてあり何となく分かる気もするのですが、なんで現代になってそうなるのか結びつきません。

あと何故長髪とか髭がOKなのですか?日蓮さんの絵を見ると普通のお坊さんですが、日蓮さんが許しているのですか?


4、例えば先祖が臨済宗のお墓の場合、栄西は元々延暦寺にいたからその人の血統は天台宗と言えるのですか?


まとまりのない質問ばかりすみません、
親会社(天台宗延暦寺)にいた社員(個性のある偉いお坊さん達)が子会社を作らせてもらって、その後完全に独立して別会社になっている。。。。そうゆう解釈自体そもそも間違っていますか。。。。。?

A 回答 (5件)

No.3です。



>おそらく一般的に、
>多くの方が延暦寺のお坊さんを偉いなあと敬うのに対し、

■先ず、認識の違いとして、平安時代・鎌倉時代等は、ある意味今で言う大学のような位置づけで“寺院”があり、そこで多くの僧は修学をしていたのです。比叡山延暦寺は、今で言えば“東京大学”にあたるでしょう。元々、比叡山延暦寺は、伝教大師:最澄が遣唐使て唐の天台山に修行の後、『法華経』を持って一乗止観院を建てた事が始まりで、天台宗というからには日本天台宗も開祖である伝教大師:最澄の時代、そしてその後の第二代座主までは、中国天台宗より最澄が持ち帰った『法華経』を主とした教義が展開されていました。しかし、第三代座主:慈覚大師:円仁は、その教義に弘法大師:空海の真言密教を取り入れてしまい、本来有るべき天台の教義からは大きく逸脱してしまう事となります。


>多くの方が創価学会を怖がったりするのではないかと思います。

■これは、創価学会のイメージが大きく歪められたり、捏造されたりして、広く誤った内容が伝えられ、それを真実だと勘違いされている事にあると思います。また、創価学会自体も、布教の姿勢とか選挙支援などで、相手に迷惑をかける事も少なからずや有ると思います。


>なぜ同じ仏教なのにそうなるんでしょうか?
>それが私が知りたい謎を解く鍵になるかなと思います。。。。

■同じ仏教だからではないからです。分かりやすく言えば、同じ学校で同じように同じ事を勉強しても、卒業する時には差が出る事もあるでしょう。また、専攻等が違えば、認識も変わる事もあるでしょう。そうして“違う認識の元に”多くの宗派が誕生するのです。
しかしながら、人間あるいは人間社会において、“幸不幸”の直接原因に『宗教』というものが係わっていたらどうでしょう?
それを一切の教典・釈書に見い出し、人間が根本から幸せになる“法”として『南無妙法蓮華経』というお題目を広めたのが日蓮大聖人なのです。
また、日蓮に連なる各宗派についても、誤った教義に捉われ、多くの分派分宗を生みだします。


>同じ仏教なのに何故その中の物同士が全く別の物なのか、もしくは批判するまでに至ったのかが分からないんです。
>子供っぽい考えかもしれませんが、仏教は本来もっと穏やかで寛容な神様達で、純粋に信仰するものじゃないんでしょうか。。。批判する自体が仏教ぽくないというか。 各宗派、重視するものが違うのは分かるけど。。。

■前文参照。
誤りが判っていて、それを指摘しないのは、それ以上の誤りです。事、仏法は人間における根本的な法理ですので、その間違いを指摘しないという事は、『宗教なんて、どうでもいい』って事になるでしょう。


>日蓮宗に関しては、ドキュメンタリーなのでそのまんまの映像です。一番偉い人も出ていましたが皆かなり強面で、護摩?の際も悪魔払いしているようでかなり怖かった。他の宗派のお坊さんと同じお坊さんと思えないというか。
昔は流刑で髪や髭を剃れないのは分かりますが、現代の方々がそうなので不思議でした。

■映像を見ていませんので、何とも言えませんが、本当に僧侶だったのでしょうか?


>創価学会も謎だったのですが、日蓮からまた派生した"仏教"なんですよね??それ以外何も知りませんが、世間のイメージは良くないですよね。
(逆に仏教はポジティブなイメージ) 
そう考えると、仏教の中で日蓮宗だけは方向が違う気がしてきました。
勝手なことばかり言ってすみません。

■勝手な事を言って良いのです。そういう疑問を持つ事が真理を究める一歩なのです。世に言う偉人達は、そういった勝手な自分の思考に元ずいて、それを研究し証明していったのです。ある意味、日蓮聖人も同じだと思いますし、他宗開派の宗祖も同じだったのでしょう。

>日蓮からまた派生した"仏教"なんですよね?

■『仏教』という言葉は、厳密に言えば『仏教』=『釈尊(仏)の教え』ということになります。じゃあ、日本に存在する所謂『仏教』
というものは何なのか?・・・ということになるでしょう。『釈尊(仏)の教え』という事は、『教典』であり、それを時の僧侶、学者が解釈したり研鑽した書物を『釈書』といいます。本来、仏教として独自の宗派を建てるなら、こういった『教典』・『釈書』に基づかなければいけません。ですから、宗教を考える時、あるいはその宗の根本教義を調べていくと、『教典』・『釈書』の文字に当たらなければなりません。これを『証明』として引き出し、その教、宗派の優劣を争ったのです。
日蓮聖人がどれほどの人物かと言えば、文永8年、佐渡に流罪人として流されますが、そこでの“塚原問答”では、天台・真言・浄土の僧侶をことごとく論破しています。教学では誰一人として、日蓮聖人には勝てなかったのです。中には、そこで日蓮聖人に帰依(弟子になる)僧もおりました。

結論から言えば、前回の回答にも書きましが、『四箇の格言』の中で諸宗の誤りを指摘している通りです。誤った宗教を信じている限りは、人間にとって根本的な悩みは解決されず、返って不幸に陥っていくのです。


※※出来ましたら、次回質問の時までに、『四箇の格言』と『立正安国論』くらいは、一読して下さい。
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この回答へのお礼

色々と説明していただきありがとうございました。
創価学会は名前だけ(&良くないイメージ)だったのでウィキペディアですが読みました。
ウィキもたまに間違ってるので100%本当か分かりませんが、それにしてもトラブルや事件が多いのに驚きました。信仰の自由だけど迷惑行為だけはやめてほしいです。

日蓮の動画です。
http://www.youtube.com/watch?v=weUjxwHA-B8
百日行中なので単に剃らないだけかと思ったんですが、一番偉い人も伸びっぱなしなんで気になりました。
信者の方とお話してる場面は普通の優しいお坊さんなんですが、祈祷など見るとかなりアグレッシブなので、ちょっと気になっただけです。

お礼日時:2012/06/26 23:21

No.2です。


お礼、ありがとうございます。

>素朴な疑問で~宗はそんなに重要なのか、そこにこだわる必要があるのかと思いました。開祖は皆それぞれ良いことを言っているのにライバル視する意味が分からない、同じブッダなのに。

「信仰」ですから、自分の宗派が一番!と言いたい気持ちは分かりますが、自分の宗派以外を排除するというのはちょっと違うと、私も思います。

私は大学で仏教を学びましたが、そこで聞いて心に残っていることは、ちょっとした“たとえ話”を含んだ次のような話です。

仏教における目的は、「悟ること」。
各宗派は、「うちの宗派の教えを信じていれば、悟りに至ることができますよ」と布教する。それは衆生済度(凡夫を救いたい)という仏の願いが根本にあってのこと。

その最後の到達点「悟り」を富士山の頂上にたとえるならば、各宗派はその「登り方」を指導しているにすぎない。

麓から自分の足で歩いて登る人。五合目まで車で行って残りを歩いて登る人。誰かにおんぶしてもらって登る人。ヘリコプター頂上まで連れて行ってもらう人。
北側から登る人、南側から登る人……。

人にはそれぞれ資質があって、足の悪い人は歩いて登れないだろうから車を使えばいいし、健脚を自慢したい人は歩いて登ればいい。

どの方法、どのルートで登っても、最終的に頂上に着けばいいわけで、どの登り方がいいだの悪いだのということはない。

今の日本の仏教界は、「衆生を救う」という本義を忘れ、教えというものはすべて「方便」だということを忘れて、未だ、宗派にこだわっている。これではもう先がないということをもっと自覚するべきだ。

と、こういう話でした。
仏教をきちんと分かっている人ならば、こういう考えをしているのではないかと思います。
そして多くの仏教人はそれに気づき、自分の宗派を尊重しつつ、他宗派との協調をし始めています。

「わが宗派が一番、他は駄目」と言っているのは、結局は自我から逃れられていないのですから、仏教からは遠く外れています。

とはいえ、少し擁護するならば、日蓮宗の方は、「衆生は愚かであり、キツく言わないとどうしても道から外れてしまいがちである」という考えで、愚かな凡夫を導く「方便」として、「折伏」という方法をとられているのだろうと思います。

ただ、その「折伏」の本来の意味を失って、単なる恫喝になってしまっては日蓮さんも「それは違うよ」と思っていらっしゃるのではないかと思うのです。

一つの方法だけでは、すべての衆生を救いとることはできません。
それぞれの資質にあった様々な方法を用意することで、すべての衆生を救いとろうというのが、各宗派が存在する理由なのです。
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この回答へのお礼

山登りの話、すごい分かりやすいです。
やっぱり他の考え方を批判するのは疑問です、
何千年も前から宗教が原因で喧嘩したり戦争したり何故なんでしょう、悲しいです。

大学で学問としても勉強するのはおもしろそうですね。
自分はあるお坊さんに偶然会うことができ、何となく人柄に惹かれて段々と仏教に興味を持ちました
(かと言って自分が仏教徒か分からないというか、こだわらないというか)

そのお坊さんは大変な修行をされてきたのに、とにかく普通。
考えすぎず誠実に普通に生きてりゃいいのと言われて、その時は何とも思わなかったけど後で思い返してすごく納得しました。


本来は天台宗の歴史に関しての質問だったのですが、哲学に上げてしまったので流れが微妙にそっち寄りになってしまいました、、、、でもとても勉強になりました。

再度のご回答を、ありがとうございました。

お礼日時:2012/06/27 01:56

創価学会 壮年部の者です。



1、天台宗と各宗派(親鸞の浄土真宗、道元の曹洞宗、などなど)はそんなに違うものなんですか?
(逆にそんなに違うから自分で宗派を立ち上げた?)
あえて自分で立ち上げたのは(天台宗に留まらずに)、新興宗教ブームみたいに単に当時流行ってたとか。

■親鸞は、浄土宗の開祖 法然の弟子です。ですから、根底にあるのは浄土宗です。法然も比叡山で修学しています。
道元はどうだったかな??


2、上に少し関連しますが、例えば浄土真宗は、天台宗の浄土真宗と言えるのですか?それとも逆に完全に天台宗から独立した、全く別のものなのですか?

■本尊も教義も全く別のものです。

(日蓮さんが浄土宗を批判していたようで、同門が敵対するのは分かるのですが)

■『四箇の格言』において、当時の浄土宗、真言宗、禅宗、律宗を批判しています。
これは、釈尊の説いた『法華経』お教えに反し、間違った本尊・教義を建てるため、当時の日本国土に災いが生じると指摘しています。


3、日蓮宗の映像を見るとかなり怖いんですが(右翼みたいというか)何故ですか?
叫んでたり暴力的というか。。。wikipediaに日蓮さんの主要著作のため"国家主義的" と書いてあり何となく分かる気もするのですが、なんで現代になってそうなるのか結びつきません。
あと何故長髪とか髭がOKなのですか?日蓮さんの絵を見ると普通のお坊さんですが、日蓮さんが許しているのですか?

■映像は作られたものですので、忠実に再現しているものは少ないと思います。
ただ、日蓮聖人は流罪も多く、その都度カミソリなどが手に入らない場合も有ったのも事実だと思います。

"国家主義的"⇒『立正安国論』の事でしょうか?
これは、時の最高権力者、北条時頼に宛てた書で、国の飢饉、疫病、地震、洪水などの災害は、日本国中に流布された浄土宗をはじめとする間違った教えにある事を指摘したものです。


4、例えば先祖が臨済宗のお墓の場合、栄西は元々延暦寺にいたからその人の血統は天台宗と言えるのですか?

■栄西は臨済禅の僧です。ですから、その場合は禅宗に当たり、天台宗ではありません。

この回答への補足

おそらく一般的に、
多くの方が延暦寺のお坊さんを偉いなあと敬うのに対し、
多くの方が創価学会を怖がったりするのではないかと思います。

なぜ同じ仏教なのにそうなるんでしょうか?
それが私が知りたい謎を解く鍵になるかなと思います。。。。

補足日時:2012/06/25 23:00
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この回答へのお礼

いろいろと教えていただきありがとうございました。

同じ仏教なのに何故その中の物同士が全く別の物なのか、もしくは批判するまでに至ったのかが分からないんです。
子供っぽい考えかもしれませんが、仏教は本来もっと穏やかで寛容な神様達で、純粋に信仰するものじゃないんでしょうか。。。批判する自体が仏教ぽくないというか。 各宗派、重視するものが違うのは分かるけど。。。

日蓮宗に関しては、ドキュメンタリーなのでそのまんまの映像です。一番偉い人も出ていましたが皆かなり強面で、護摩?の際も悪魔払いしているようでかなり怖かった。他の宗派のお坊さんと同じお坊さんと思えないというか。
昔は流刑で髪や髭を剃れないのは分かりますが、現代の方々がそうなので不思議でした。

創価学会も謎だったのですが、日蓮からまた派生した"仏教"なんですよね??それ以外何も知りませんが、世間のイメージは良くないですよね。
(逆に仏教はポジティブなイメージ) 
そう考えると、仏教の中で日蓮宗だけは方向が違う気がしてきました。
勝手なことばかり言ってすみません。

お礼日時:2012/06/25 22:49

1.


天台宗は、先の回答にもありますが、「総合大学」みたいなものです。円・密・禅・戒・浄土と、様々な仏教の“要素”を学ぶことができます。
そこで修行した坊さんたちが、たとえば栄西や道元なら禅に特化し、法然や親鸞なら浄土系に特化して、追究していったということになると思います。

「当時流行っていた」というのは「新しい宗派を立ち上げること」ではなく、禅や浄土などに特化した宗派が中国でもてはやされていて、その「流行」に乗ったという方が、まだ近いと思います。

2.
宗派としては、天台宗、浄土真宗、臨済宗、曹洞宗、日蓮宗など、全部別々の宗派です。先にも書いたように、天台宗の中にそれぞれの要素はありますが、教義や修行法としては全く別物と言ってもいいと思います。

3.
日蓮宗については全く詳しくないのですが、高校で習う程度の知識で言えば、「布教するため」ではないかと思います。
他の祖師もそうですが、日蓮さんは特に、ご自身の教えが正しくて、これが衆生を導く一番の教えだという自負があったのでしょう。その信念に基づいて、言葉は悪いですが「脅しをかける」ことで衆生を導こうとしたのではないかと思います。

有髪の件も日蓮宗の方でどうなっているのか存じませんが、頭を剃るといった戒律を厳密に守るよりも、きちんとした教えを体得し、それを布教していくことに重点を置いていたのではないでしょうか。
日蓮さんがそれを許していたのかどうかは分かりませんが。

(日蓮宗の方、どうぞ訂正なさってくださいませ)

4.
今となっては栄西は「臨済宗の人」です。天台で得度していますし、実は台密(天台宗の中の密教部門)の一流派をなした天台宗の重要人物でもありますから、がっつり天台の系譜に連なってはいますが、今は「日本臨済宗の祖」という位置づけで見ることが多いように思います。

その他の祖師方も、天台宗(比叡山)で修行した方は天台宗の系譜に連なっている(天台宗の○○という坊さんの弟子であったという記録が残っている)でしょうけれど、宗派を立ち上げた段階で、その宗派の人から「開祖」と祭り上げられていて、そちらの方がメインになっています。

>親会社(天台宗延暦寺)にいた社員(個性のある偉いお坊さん達)が子会社を作らせてもらって、その後完全に独立して別会社になっている

これについては、「子会社を作らせてもらった」のではなく、「天台宗の教えに満足できず、自分から天台宗を捨てて(キツイ言い方をすると造反して)、新たな宗派を作った」というべきです。

鎌倉新仏教が生まれる前は、南都六宗・天台宗・真言宗が時の政権と癒着して勢力を伸ばしていました。
そこに新仏教が擡頭してきて庶民を引きつけていったので、旧仏教も政権も、「こりゃ我々の存亡の危機だ」ということで、新仏教を弾圧したのです。

ですから、「子会社を作らせてやった(作らせてもらった)」という表現は当たらないと思います。
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この回答へのお礼

延暦寺がお坊さんの総合大学だったというので
とてもよく分かりました、ありがとうございます。

最近まで仏教は仏教ひとつだけで、
そこに~宗というのが存在することすら知りませんでした。
素朴な疑問で~宗はそんなに重要なのか、そこにこだわる必要があるのかと思いました。開祖は皆それぞれ良いことを言っているのにライバル視する意味が分からない、同じブッダなのに。

お礼日時:2012/06/25 21:52

仏道に邁進すると言っても、色んな実践があるわけです。


何を重視するかで宗派が派生していったと考えたらスッキリしますよ。

天台宗は、今で言う東大みたいなもんで、
あそこは勉強し研鑽を積む所。
誰にでも実践できるようにはなっていない。

そこで、ひたすら座禅するとか、
阿弥陀仏におすがりするとか、
妙法蓮華経を一心不乱に唱え続けるとか、

民衆でも実践できるように分かりやすく易しく説いたのが鎌倉新仏教です。

真言宗は創設者がすごすぎたせいか、
完成された哲学のせいか、
弟子が師匠を超えるということは起こっていませんね。

台密の方が東密の後塵を拝していたのに、
次代の仏教隆盛はみんな比叡山から出たというのが興味深いです。
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この回答へのお礼

既にお礼していたと勘違いしていたのに今気づきました!
大変遅れてしまい申し訳ありません。
何を重視するかで宗派が派生していった⇒かなりスッキリしました!

天台は密教を含めいろんなことが学べる総合大学、
真言宗は全部が密教なのでその分野では完成されているというのも分かりました。
気になったのは、そもそも在り方が違うというか、
総合大学の延暦寺だから色んな考えの人が集り、卒業後は自分の好きな道に派生していくのは自然なことで、
弟子が師匠を超えるか超えられないか、仏教の教えの中で何がベストとかベターとか、そうゆう概念がよく分かりません。より深い考え方とかそうゆうのはあると思うのですが、いろいろ考えているとまさに哲学というか断定できない域にどんどん入って訳がわからなくなります。(おそらく私があまり頭が良くないから。)

唐に渡ったときは超エリートの最澄と、一緒に連れていってもらえた的な空海が、帰国後は立場が逆転、空海が唐で勉強したものを最澄に見せてあげなかったとか、おもしろい話をどこかで読みました。

真言宗の教えが天台宗よりベター的な情報もよく目にするのですが、
最澄は偉いお坊さんをたくさん育てた延暦寺を作ったし、現代でも人気があるというか、思想的にも&変な言い方ですが経営的にも、成功してる感じがします。
逆に高野山の方は比叡山と比べると人気がないというか、お金お金な感じで良い印象を受けなかったというブログなど結構読みます。
より難しい思想だから大衆には理解しずらい⇒人気が出ない⇒経営が難しくなって商売っぽくならざるを得ないとか、、、勝手に色々と想像しました。

長々と好き勝手に述べてしまいました、、、、

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/06/26 19:39

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