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自分がサッカーに興味を持ち始めたのは、ちょうどトルシエ監督時代でした。
当時はトルシエ監督が五輪代表の監督を兼務しており、オリンピックを戦っていましたが、それと同時にA代表も率いてました。

初めて知った時はそういう状態だったので、それが普通だと思っていたら実は結構特殊なんだということがわかりました。
トルシエ監督以降、兼務した人がいません。

そこで質問なのですが、トルシエ監督は自分から兼任したいといったんでしょうか?その理由とは?

また、世界的に見てもこういう例はまれなんでしょうか?

A 回答 (2件)

こんばんは。




フル代表と五輪代表の監督を兼ねるのは稀のようにおもいます。でも、何度か耳にしたことがあります。

五輪ではありませんが、1978年アルゼンチンワーフドカップをケンペス・アルディレスらを要して制した、名将メノッティー氏が翌年のワールドユース(現U20ワールドカップ)日本大会も指揮してみごと優勝しています。

当時のメンバーにはマラドーナやディアスなど優れたメンバーがいました。彼らは4年後の82年スペインワールドカップの主力になると思われそのままメノッティーが指揮をとったと思われます。(結果はマラドーナの報復行為による一発退場など散々な結果でしたが・・・)

トルシェの場合は、本人の意思が大きかったと思われます。ワールドユース97年組には中村俊輔・中田ヒデ・宮本・松田・柳沢ら才能あふれる選手が、99年組には小笠原・遠藤・稲本・中田浩二・小野などいわゆる「黄金世代」がいてワールドユース準優勝と言う、なでしこが優勝するまでの日本サッカー史最高の偉業を遂げました。

2002年日韓ワールドカップの主力たちを身近に置いて、戦術を高めていきたかったのでしょう。協会も当時のメンバーからしてトルシェに任せるべきと考えたようです。結果としてシドニー五輪では無敗でベスト8の好成績でした。(準々決勝のPK負けは公式記録は引き分けとなります)。

以降掛け持ちが見られなくなったのは若い世代での活躍が見られなかったことが大きかったのではないでしょうか。

兼任はスタイルを統一する意味や、将来に向けての準備としてはあってもいいと思うのですが、監督自体への負担は大きくなります。トルシェの場合ワールドカップは自国開催で予選がなかったことも兼任のきっかけになったのかもしれません。
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僕もそれ気になったんですが、


考えつくのはあの頃のA代表とオリンピック代表って、
選手がほぼ同じじゃなかったですか?
中田や稲本、小野が活躍した黄金時代が中心となって。
オリンピックにオーバーエイジ枠も導入されたときでしたし。
それなら同じ監督の元でやった方が戦術的にも
混乱がなくてよいかも知れません。
推測ですいません。
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