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前回も似たような質問をさせていただいたのですが、
内容的には別物なので、再び質問させていただきます。

皆さんは、どこからどこまでが芸術だと思いますか??

私は、つくりあげた本人が芸術だと思っていても、
他の誰かに認められていないと、
大きな声では芸術と言えないような気がします。

今芸術についてのレポートを書いているのですが、
途中でこのことをふと思ってから、これでいいのかと悩んでいます。
提出するからにはすっきり納得してから出したいので、
どうか皆さんの考えを聞かせてください。お願いします。

A 回答 (3件)

わたしにとっては非常に残念なことながら、


芸術の定義は物を作り出す人の数だけあります。
すごーく簡単に言えば「人それぞれ・何でもあり」ってことです。
ですので、どこからどこまでが芸術か、の定義は不可能、ご質問には明確な答えが出ないと思います。
(前回のご質問の方が的を射ていたのではないかと思いますよ(^o^)。)

ということを踏まえて、自分にとっての「芸術」を定義するとですね、
何しろ「芸」であり「術」であるからには、一般的な人間には出来ない「技」を用いて作品を作って欲しい。
わたしは、やれば誰でも出来るじゃん、ていうものは発想のみの作品とみなして基本的に嫌いです。それなりの訓練を経た上の技の部分を見せて欲しい。
コロンブスの卵自体を否定するわけじゃないけれど、アルテはアイディアだけで成り立つわけではないのダッ。(と常々思っているのです!←ついつい熱くなる(^_^;))
ここが「芸術」の最低ラインかなあ。

ここからはさらに個人的な好みですが、
芸術には美であって欲しい。そして美の定義も「人それぞれ・何でもあり」なものですが、わたしは「心に光を与えてくれるもの」を美としておりますので、どろどろぐちゃぐちゃはキライです。何がかなしゅーて他人の暗い内面を見せ付けられなければならんのダッ!

以上でおわかりのように、わたしは現代アートぎらいであります。「面白い」「気持ちいい」まではあっても光を感じさせてくれるような神性がないから。
(そういう作品に出会いたいと長年思っています)

わたしがついこの間読んだ本に、岡本太郎の「呪術誕生」があるのですが、この本はご質問の参考になるかもしれません。
書かれている内容はわたしの考えとはまあ正反対ですけれど、文章が明確でわかりやすいので、岡本太郎にとっての「美とは」「芸術とは」はよくわかります。
興味深く読みました。

以上のようなところでしょうか。回答にちょっと冷静さを欠いているが……(^_^;)。
では失礼します。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
やはり芸術の定義っていうのは難しいんですよね。
手持ちの辞書にもそう書かれていました。
前回はメインが芸術に対しての意識だったんで、
私としては同ジャンルの別の問題だったんです。
それで今回はこんなモヤモヤした質問をすることになってしまいました。
紹介していただいた本、今度読んでみますね。
ありがとうございました。

お礼日時:2004/01/26 23:53

芸術についての定義は百人百様、千人千様であるという1001番目の定義があります。

私も1003番目の定義を思いついたことがあります。

人が人の心を動かすこと。

というのがそれ。人が作り出したもの、絵画や建築や音楽や詩。あるいは、人がその肉体をもって表わしたもの、バレーやスポーツ、いやそればかりか日常のなにげないしぐさや言葉のきれっぱし。それらをすべて含みます。

ですから芸術はこの世界に偏在し無辺であるということもできるし、われわれの心の中にしかない、と言うこともできると思います。

それはきわめてあいまいなものである。けれども確かに存在する。時代によって評価はさまざまに変わるだろうが、表層の流行に過ぎない。それによって富はゆすれ動くだろうが、ミューズの女神のあずかり知らぬところである。

年齢を経て分かることもあれば、逆に分からなくなるものもある。あれはきっと特化した芸術なのだ。そしてまた質の違いというものも歴然とあるので、ある人にとって芸術でも別の人にとって木石であったりする。すぐ分かるものもあれば、奥深く仕舞われているものもある。われわれがそれに気づかないのはそこに息づくものへの無知であるからに違いない。・・・・

この辺でやめます。勝手に始めたモノローグでも、何かの役に立つでしょうか?
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この回答へのお礼

やはり自分以外の人間が居ないと芸術って成り立たないんですよね。
自分だけだと自己満足になってしまうから。
大きすぎてわかりにくいものだから、もっと理解したいんです。
ご協力ありがとうございました。

お礼日時:2004/01/29 21:50

前回の質問にも回答させて頂いた者です。



>私は、つくりあげた本人が芸術だと思っていても、
>他の誰かに認められていないと、
>大きな声では芸術と言えないような気がします。

 その通りかと思います。芸術も一種の商売です。会社が自分達の商品を誰も受け入れない場合、その会社が倒産するのと同じように、芸術というショーバイも、時間によってであれ、リアルタイムであれ、いずれにしても「受け入れる側」がなければ成立しないと思います。
 
 他の誰にも認められず好きなように制作しても、それが作者にとって自分を満たすのであれば芸術足りえるかもしれません。規模は個でありますが、需要と供給が存在していますから。ただこの場合、「趣味」とか「生き甲斐」という言葉の方が当てはまるかもしれませんね。
 社会的に芸術と呼ぶには、他の仕事と同じように、多数の支持者なくしては難しいでしょう。その制作者が生存中に認められないにしても、死後認められるケースがありますね。前回の回答では、時間による芸術の成り方みたいなことをお話させて頂きましたが、つまり社会的認知が最低ラインかもしれません。 
 
 上を求めれば、完成度、技術力、共感などが深まれば深まるほど、高い地位を得られるように思います。完成度や技術力はともかくとして、作品に個人的精神性を求めるのはそれほど歴史が古くないのは確かです。だからこそ、判別しにくいんでしょうね。
 個人的精神性による共感なんてものは、非常に定義づけが困難です。時代が求めるものを(意識的であろうが無意識的であろうが)人々の心の深いレベルに提供出来たとき、「芸術性が高い」という評価がもたらされるような気がします。
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この回答へのお礼

趣味・生き甲斐、そういう考えもあるんですね。
芸術よりはレベルの低いものになってしまうんでしょうが...
前回に引き続き、気づかなかったことに
気づかせていただいて本当にありがとうございます。
私が作り出すものが芸術と認められるように頑張りたいと思います。

お礼日時:2004/01/29 21:44

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