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たとえばジャイアンがのび太をイジメていて、のび太が何かのときに仕返しをしてジャイアンがひどい目にあう。とってもわかりやすい構図です。
しかしながら、神風特攻隊やドイツのホロコーストなどの死者は因果も応報もありません。
不幸な時代の不幸な役回りになってしまっただけです。

この矛盾をどう説明すればいいのでしょう。
仮に来世があってその時に大幸運だったとしてもそれに何の意味があるのでしょう。
大体前世なんて覚えてないしそもそもないのではないかと思っている。

当面現在頭にキているのが、40代で無職でうつで参ってます。
とくにうつはおれがなをしたんだなんで苦しまなきゃいけないの、ってとこです。
因果応報がないんだったら好き勝手にやってしまおうか。。。ってそんな根性もないけどね。
ってとこで相当矛盾があるとおもうのですが、論破でも説教でも参考意見お願いします。

A 回答 (19件中11~19件)

『無門関』第二則「百丈野狐(ひゃくじょうやこ)」にある「不落因果」の状態ですね。



因果応報の矛盾とは「不落因果」の状態ですから、百丈野狐の状態ですね。正しくは、「不昧因果」ですね。
因果はくらませませんので因果応報もくらませないのですね。
因果応報が不滅の真理ですから、まず、全てをそれに合わせることが正しい道ですね。
因果応報が正しいとして、何が違っていたのかと考えることが本道ですね。運でも他人のせいでもないのですね。すべて自らの問題として考えてみるといいですね。考えられないときは無駄に考えず、空でも見上げることですね。太陽が東から昇って西に沈みますが、太陽は落ちても来ないし、西から昇ることもありません。
それが「不昧因果」ですね。
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この回答へのお礼

良く解らない部分もおおいですが、
空でも見上げてます。

お礼日時:2012/09/15 23:13

因果応報やモラル、宗教といったものは、遠い将来や


死後における裁きや罰が(実際に)どうこうというものでは
なく、それがあると信じる事で、現時点において社会が
うまく行く、というためのものなのだ。

個人の生が、肉体から拡張した社会生命性に依存して
いるにも関わらず、そうした他我を意識できず、感覚器官
が肉体に付属しているがゆえの、低認識における短絡的
利己への偏向を補正するために、毒(嘘)をもって毒(誤)
を制するものとして、神や因果応報の考えは必要なのだ。

もちろん、その結果として、「正直者がバカを見る」状況に
なるが、だからといって短絡的利己的な社会性の乏しい
者だけの集まった社会は、その全体が淘汰される事で、
因果応報を文化的に伝承させる方向に進化は保たれる。
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この回答へのお礼

なるほどね。
けれども現実問題いま僕の状態はとてもよくない。
回答どうもです

お礼日時:2012/09/15 23:17

人間の生死など、宇宙の摂理の中では、そんなに大きな意味はないと思います。


人間はいずれ皆死ぬので、早いか遅いかだけの違いです。

因果応報は、現世利益を考えると、矛盾があるかも知れませんが、現世利益を超越した部分で整合性がとれているのではないでしょうか。
何の根拠もありませんが、そう感じました。

あなたの現在の状況は、あなた自身が作り出したものです。
外的要因はあるにせよ、40年も生きていれば、それを挽回する時間は十分にあったはずです。

被害者意識を持ち続けていると、自分が実際に被害者の立場に落ち込みます。
引き寄せの法則です。

今の自分の状況は、あいつのせいだ。というのが、被害者意識です。
被害者意識を無くさない限り、今の状況から逃れることはできないでしょう。
今の状況を他人のせいにしても、何も改善しません。
全ての責任を自分で引き受けるつもりになれば、今の状況から脱出できるでしょう。
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この回答へのお礼

気が小さいので、あらゆる挽回の可能性に挑戦しました。
時既に遅し、うつ病10年、ここ10年の技術の進歩は普通の人には追いつけない。
普通で追いつけないのにうつで追いつけるかってとこ。
回答どうもです。

お礼日時:2012/09/15 23:23

この一瞬を生かされていることに眼を向けなさい。



あなたには感謝する気持ちが少し欠けているのです。

生きよう生きようと考えるのではなく、生かされていることを知りなさい。

そのうえで好きにやればよいのです。
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この回答へのお礼

生かされてるとか感謝とかってだれにですか?
どっちかっていうと楽に体面的に悪くなければ、死んでしまいたい。
この病気の特徴でもあるけど。
回答どうもです

お礼日時:2012/09/15 23:27

私は説教を担当します。



今の状態はあなたが招いたことなのは間違いないのではないでしょうか。
このご時世ですから失業を経験する人は多くいるでしょうが、失業したなら別な仕事を探せばいいし、うつ状態なのは自分の思考方法に問題があるのは間違いないわけですから。
社会や運命のせいにしている時点でへたれなわけです。
申し訳ないけれど貴方とホロコーストで死んだ人たちを同等に扱うことはできませんね。
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この回答へのお礼

>うつ状態なのは自分の思考方法に問題があるのは間違いないわけですから。
一理ありますが、これって病気なんですよ。症状によっては辛いってもんじゃないです。なってみればわかりまよ。
回答どうもです

お礼日時:2012/09/15 23:33

>この矛盾をどう説明すればいいのでしょう。


人生なんて運で決まっちゃうからです。運が悪いとどうにもなりません。たとえばアフリカの最貧国で生まれた赤ちゃんは運が悪いからすぐしんじゃいます。

>神風特攻隊やドイツのホロコーストなどの死者は因果も応報もありません
それも運が悪かったからです。特攻隊員は運悪く戦時中に生まれてしまったから死んじゃったのです。ユダヤ人は運悪くヒットラーが猛威を振るっているときに生まれちゃったから、虐殺されたのです。

>40代で無職
それも運が悪いからです。denzaさんが運悪く不況になる数十年前の日本に生まれてしまったから、無職で苦労することになっているのです。

>うつ
それも運が悪いからです。denzaさんが運悪くうつになる体質で生まれてしまったため苦しんでいるのです。

>相当矛盾があるとおもう
因果応報という考え方をしてると、矛盾してると感じるかもしれませんが、全て運で決まるとおもえば、矛盾でも何でもありません。

>参考意見お願いします。
とりあえず、運悪くうつになる体質で生まれちゃったのは、もうどうにもならないです。運悪く不景気の数十年前の日本に生まれちゃったのも、もうどうにもならないです。どうにもならないのはあきらめて、どうにかなりそうなことに挑戦してみればいいのでは? 挑戦してみてだめなら、『運が悪かったのが原因』と思ってあきらめる。失敗したらそれは『運のせいだ』と思っておけばOK。そして、別のことに挑戦する。そうやって、挑戦をくりかえせば、運のいいときにうまくいくはずです。難しいことは考えずに、とりあえずやってみて、『うまくいくかどうかはすべて運しだい』という考え方でいいのでは?

「もっと手っ取り早く運がよくなる方法おしえろよ」って思うかもしれませんが、私はとんでもなく運が悪いです。そんな方法あるなら、とっくの昔にやってます。
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この回答へのお礼

運ですか。。

>「もっと手っ取り早く運がよくなる方法おしえろよ」
って教えてくださいよ。
つか食いつぶしているもので。。

回答どうもです。

お礼日時:2012/09/15 22:56

「因」と「果」を分けて考えすぎでしょう。



人が生きている限り、起こることも起こらないことも、「因」であり同時に「果」でもあります。

「ジャイアンがのび太をイジメている」これは「因」に見えますが、同時に過去の関わりから派生した「果」でもあります。
どんな理由があろうと、いじめ自体が悪いことなのは言うまでもありませんが、「イジメ」が発生するには発生するだけの人間関係だとか、きっかけだとかがあります。

そして「のび太が仕返しをしてジャイアンがひどい目にあう」これも「果」であると同時に、次に向かう「因」です。
だいたい「仕返し」自体が、形を変えた「イジメ」ですよね。
仕返しをされたジャイアンは、結局は、また「のび太をイジメる」可能性が高くなります。

死者にしても同じことです。
生あるものは必ず死にます。
それが、どんなに他者から見て不幸な役回りであったとしても、あるいは幸福に見えたとしても、それは、その人にとって何の意味もありません。
ある人の一生がアンラッキーへ天秤が傾いているように感じても、余りにも恵まれ過ぎているように感じても、宇宙という大きさから見れば微々たるものです。

そうは言っても、因果のバランスが取れてなさすぎじゃないか?、と質問者さまはお思いなのだと思います。
それは当然です。
なぜなら、因果応報というのは、人間が勝手に考えた理想であって、物理的化学的法則ではありません。

最後に、因果応報というと、「良いことをしたら良い結果があるよ、悪いことをしたら悪い報いがあるよ、だから良いことをしようね」と取られがちですが、本来、先の回答者さまがお答のように仏教用語です。
この世には「因」と「果」があって、色々な行いが、次々と新たな事を産み出し、産み出されたものがまた新たな事を生み出す連鎖がある。これが因果応報なので、本来はここからの解脱を求めるべきものです。
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この回答へのお礼

参考になりました
ありがとうございます

お礼日時:2012/09/15 23:41

質問文を見て因果応報という言葉の意味を調べました



元々は仏教語の様ですね。
前世があり、来世があるという前提での言葉なので
あまりそういうのに興味が無い場合この言葉に振り回される必要ないと思います。

来世も前世も信用してないのに因果応報という言葉に振り回されるってなんか辛いですしね。


勿論気持ちがよくなる程度に「今良い事をしておけば死んだ後天国に行ける」ぐらい考えても良いと思いますが、質問主さんの様に現状に苦しんでいる人にそんな言葉を向けるのは少々酷な様に感じます。

質問主さんの「好き勝手」の内容が分かりませんが
例えば今の状況から脱する為に一度因果応報という言葉から離れ、目の前の自分のしたい事を選択するのは悪い事ではないと思います。


人間ってそんなに元から立派にできている訳ではないので
因果応報だろうがなんだろうが、その時だけでも「好き勝手」にやっても良いと思います。

あ、でも犯罪はダメですよ(笑)
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この回答へのお礼

犯罪以外でガンバて見ますよ。
気が小さいのでどうせ出来ないし。

つか昨今の会社へはいると犯罪まがいのことさせられますよね。
姉歯は氷山の一角で。

どうしたものか。

お礼日時:2012/09/15 23:46

因果応報とか仏教でいう因縁の考え方は、個の人生のなかで、個の時間軸の中で起きる不都合に関する解釈です。



個人の時間軸を超えた歴史上のできごとに左右される人の人生にまで、因縁を適用してはいけませんよ。
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