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時々思うのです。「人はどうして生きる」のでしょうか?
生あるものはいつか死にます。それなのにどうして苦労をして生きるのでしょうか?みなさんのご意見をお聞かせ下さい。

A 回答 (24件中1~10件)

『人間はどうして生きるのか』については『人間はなぜ生まれるのか』について考えなければなりません。



仏教では人間の生まれる理由は過去世で得た「貪瞋癡」だといいます。

貪 =欲望(性欲・物欲・金銭欲・自己顕示欲)
瞋 =怒り・恨み・嫉妬・不満など
癡 =無知(空(幻)を知らない・十二因縁を知らない)

過去世で得たこれらの欲望がこの世に生まれる原因となっています。
つまり、人間は性欲・物欲・金銭欲・自己顕示欲 ・怒り・恨み・嫉妬・不満を成就するために『人は生きている』ということです。
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「人はどうして生きるのか」


・・・「生きる」というより「生かされている」と、私は考えます。この世に生まれてきて辛いことにぶつかったとき、「死にたい」と思ったとき、大事な人を悲しませたくないとか、死ぬ勇気もないとか、いろいろ考えますが、結局人は簡単に死ねないです。そう思うと、生きたくなくても生かされている?のかなと思います。ならば、何かしなくてはいけないことがあるのかな?何かすることがあって、生かされているのかな?と考えます。たとえ人の役に立たずとも「生かされている」のです。

苦労をして生きるのは辛いことですね。でも、苦労の甲斐があって、喜びもある。ということを私達はよく知っています。もちろん、長い間苦労を続けることはつらいです。辛くて仕方ないなら続ける必要もないと思います。そもそも人間は、なにかをしないではいられない苦労をしたがる生き物らしいですね。とくに、日本人は頑張りやが多いような気がします。そういう社会では、頑張っていないといけないような錯覚に陥ってしまう人も多いのではないでしょうか?それから、それを押し付ける人も中にはいます。でも、そこにきずいたときに自分を締め付けているロープを緩めながら生きていけばいいのではないでしょうか?人それぞれですから。人生苦労するのも、頑張るのも、楽しむのも。

トルストイの散歩道「人は何で生きるか」という本があります。ちょっと、人生の散歩に読んでみてください。
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このカテゴリーに合わない回答かもしれませんが・・・



地球が誕生したのは約46億年前と言われています。
その原始地球にやがて海が出来ました。
海の中のメタンやアンモニア、硫化水素などから
アミノ酸やヌクレオチド等の有機化合物が作られ、
やがてそれらからたんぱく質とリボ核酸が出来、
そして約36億年前遂にリボ核酸の力を借りて
たんぱく質が「自己増殖機能」を獲得します。
これが最初の生命、生物の誕生です。
やがて単細胞生物、多細胞生物、脊椎動物の登場、
魚類→両生類→爬虫類→哺乳類と進化し、やがてサルから
ヒトになります。

これらの過程は全て『偶然』による産物です。

つまり、ヒトも36億年というとてつもなく長い時間に、
奇跡に近い偶然が何度も起こって出来たのです。

この進化の間、生物は自己を増殖する機能、つまり
「子孫を残す機能(使命)」を維持し続けています。
(もっとも、それがないと進化も起こり得ませんが)

だから、成長して子孫を残すまで、その個体は生存し続け
なければなりませんし、子孫を残しその使命を終えると
(或いは生殖機能が衰えると)個体は死を迎えます。
多くの生物がそうです。
ヒトの寿命も元々50年位で、生殖機能を失う年齢と
ほぼ同時期です。
現在の平均寿命は、医療の発達などによるものです。

と、ここまでダラダラと書き連ねましたが、つまり私が
思うに、人(生物)が生きるのは、
『自己増殖の実現』
これに尽きると思います。
その目的を達成するために生存本能や性欲(恋愛感情)
というものがあります。

ヒトは脳が発達しているため、様々な事を考えます。
生きることに意味を見つけようともします。

しかし、先に書いたように、今地球上に人が存在している
のは偶然の積み重ねです。偶然起こった結果に意味を
見出そうとするのは、私は無意味な気がしますし、
人間の驕りだと思いますがどうでしょうか。
(気を悪くしたらスミマセン)
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よく考えて来たことなので初めての回答なのですが、書いてみます。


確かに結果論では辛いばかりを生きるのは無駄に思います。

結果の前に当然、原因と過程ありきで
カミュは「生命は悲惨な執着(?)を抱く、それ以前に更に強力な生きる習慣(実践感覚)を身につけてしまう」と、何かで読みました。
もっと難しく説明しているそうなのですが、
私の思う解釈では、本能と経験だけが頼りの動物と違い、人間は想像力とか目標を打ち建てるという習慣もあり、習慣、実践感覚は『快楽志向』だからだと思います。

幸福の基盤は目的に近づくこと。
やりたいようにやれると過去の後悔が薄れ、
今と未来に自信と自由を感じる。
嬉しくなる、気持ち良くなる。=快楽。
価値ある快楽と認識すると無意識にでも自由意志においてもやってしまうもの。
苦労も無駄も、辞め辛くなり、
自らの意志では「まだ死に損ってる!?」と考えることもなくなる。

つまり悪意のない挫折(死)からの逃避欲求が、快楽的行為(生)ですね。

死が逃避なら生も逃避。
生と死は同等に救済であり罪かなと思います。
でも儚い生なくしては頑固たる死の存在も有り得ないのも確かです。
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哲学については全くわからない一般人ですが、とても興味深い質問だったので、回答させてください。



わたしは、27歳の主婦ですが、10代の頃は
「いつ死んでもかまわない」
といつも考えていました。それどころか、
「早く死にたい」
とも考えていましたが、自殺する勇気も気力もありませんでした。
しかし、20歳で現在の主人に出会い、生きようと思いました。
それからは、わたしにとっての生きる理由は主人です。
主人が
「生きたい、僕が生きていくには君が必要」
と言ってくれるので、主人のために生きています。
主人が生きている限りは、何があろうと生き残ろうと思います。
全く回答になっていないかもしれませんが、
とりあえずこれがわたしの生きる理由です。
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大変興味のあるご質問で、まだ締め切ってなかったので私にも回答させて下さい。



「人は何故生きる」この問題を解決するためには、その前に「人は何故地上に存在しているのか」を考えないといけないと思います。

私は何らかの存在が人間を含めたあらゆる生命を実験的に遺伝子操作で作ったのであろうと考えます。その存在を便宜上「神」と呼んでも良いと思います。

私は医師ですが、学生の頃から授業でたかだか4つの塩基の配列でアミノ酸やたんぱく質が決定、合成され、何兆個と言う細胞から構成される人間が作られ、その生命活動が維持されていることが不思議でなりませんでした。他にもたった一個の受精卵が2,8,16と分割されるにしたがって、皮膚になったり、骨になったり、手足になったりする事の不思議さ。そしてそれらが最終的に神経系・消化器系・循環器系・生殖器系等々の驚嘆に値する巧妙な仕組みとして働く事の神秘、、、。

とにかくこの様な複雑・精緻なシステムがたった数億年の自然活動の中で偶然に発生し得る確率は「1/全宇宙の原子の数」よりもはるかに少ないとの事です。

イメージとして言えば鈴木光司氏の「リング」「らせん」シリーズに出て来る、スーパーコンピューターで作られた意識のイメージでしょうか。我々にはその創造主の思惑を想像する事は不可能です。ただの手慰みにしか過ぎないのかも知れませんし、彼らの壮大なプロジェクトの一つなのかも知れません。

だとすると、我々は生きていると言うより、生かされていると言った方がイメージとしては近いような気がします。

そう考えるとちょっと寂しい気はします。しかし、逆に見ると、だからこそこの問題の答えは初めからないのであり、どういう風に捕らえても間違いではないのです。100人、100様というか、だからこそ個人個人で、自分なりの回答を見つけなければいけないのだと思います。永遠の課題と言うより、もしこの地上で生きて行こうとすれば、その個人の哲学を持たなければ生きて行けないのではないでしょうか?

回答らしくない回答で申し訳ありません。人間工学を専攻された質問者さんならもっと具体的なイメージがあるのでは?と思います。ご意見お聞かせ下さい。
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●自殺するひともいれば 生きてることがたのしくてたまらないと言う人も


 いますよね。つまり生きている動機は人それぞれということです。

 もうひとつ生きている意味という観点があります。
 生命の存在意味ですよね。
 これは現象であるとしか言い様がありません。
 もうひとつ言えることは「生命の存在意味をつかむため」に生きている。
 ということです。なぜなら生きていることは時間を越えて残せることそして
 変化できることにほかならないからです。
 いつの日か その存在意味がわかる日が来るに違いありません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
とても参考になりました。

お礼日時:2002/02/02 22:46

生きてて楽しい事もありますけど、辛い事も多くありますね。



図形に例えるなら幸福が一つの球だとすると、不幸はその球の外側を取り囲んででいる大きな勢力のような感じがします。

オレは生きる意味を思う時、自分の外側にあるものを見つめるんだ。
彼らはその答えは言ってくれませんが、とても落ち着いた気分になれます。

その落ち着いた気分が、生きていく活力になっているような気がしますね。
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この回答へのお礼

お礼が送れて大変すいませんでした。
回答ありがとうございました。
とても参考になりました。

お礼日時:2002/02/02 22:46

私もよく考えます。


「人間は遺伝子の乗り物に過ぎない」と、どこかで読みました。
そうなると、こんどは、「どうして、遺伝子を存続しないといけないのか」
と、考えるようになります。
・・・で、結局、私の頭脳レベルで出る答えとなると、
「そういう性質だから」としか思い浮かびません。
「水は冷やすと氷になり、温めると湯になり、さらに蒸発して水蒸気になる」
のはなぜ?と言われても、「そういう性質」としか言え無いのと同じです。
水が凍るメカニズムを解説出来ても、なぜ?と言われても答えは無いと思います。
でも、ホント、不思議ですよね。「生まれる」のも「死んでいく」のも。
 
 実は、一月ほど前、義父の死の瞬間を見ました。貴重な勉強をさせてくれたなと
感じました。つい、今しがたまで、動いて、温度のあった人体が
急に動かなくなり、冷たくなっていく・・・。
火葬場で、入れる直前までは、「お義父さん」でしたが、火葬後、
出て来た「白い、大きな大腿骨」を目の当たりにした時、
「カルシウムの塊」に見えてしまって、「物質」に変身した・・・と
感じました。まだ、つきあいが短いので、こんなにも冷静に見ていられましたが、
ダンナや妹さんや義母は、号泣していました。
おそらく、私も実の親ならそうなっているでしょう・・・。
つまり、「人が生きる」と言う事に意味を見出すとしたら、
「死んだ時に泣ける」関係を築くコト・・・と思います。
一緒に、泣き笑いを共にしないと、そういう関係は築けないモノです。
生きて、体温が温かいうちに、色々なコトをしましょう・・・。
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この回答へのお礼

貴重の体験をお聞かせ下さってありがとうございました。
とても参考になりました。

お礼日時:2001/11/16 20:23

僕も、nctssさんと全く同じ思いなんですよ!!。

もうしょっちゅうですヨ!思ってるのは(^_^;)。。。僕も同じこと質問しようと思ってたぐらいですからね(^^ゞ。

ただ、こんな風に悩み始めたとき、とても助かった詩があるのですが、ここに載せますね。でも、最初は感動したけど、もう何回も読んでるんで、正直飽きちゃいました!(^_^;)。

『 今、この瞬間こそ出発点
 
  人生とは、毎日が訓練である。
  わたくし自身の訓練の場である。
  失敗もできる訓練の場である。
  生きているを喜ぶ訓練の場である。
 
  今この幸せを喜ぶこともなく、いつ、どこで幸せになれるか。
  この喜びをもとに全力で勧めよう。
 
  わたくし自身の将来は、今この瞬間、ここにある。
  今ここで頑張らずに、いつ頑張る         』

この作者は、京都大徳寺塔頭大仙院住職の、尾関宗園さんの詩です。
どうして生きるのかの質問に対して、はっきりと答えはわかりませんが、僕は、この詩で、ずいぶんと助かりました。
今は、もうこの詩はなかなか効き目ないんで(^_^;)、今はみなさんの回答を読ませて戴いております!!。
しかし、みなさんの回答、とても参考になります!。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
とっても良い詩をご紹介して頂き感謝です。

お礼日時:2001/10/12 01:10

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