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世の中を見てたら、おかしな事にきづきました。
頑張ってない人頑張ってる人に勝つのです。


命の重さはちがうのです。


どうして私はココに生まれ落ちたのでしょぅ
恵まれすぎてる気がします。

嫌な事はいっぱいあります。
でもそんな事を言える贅沢な暮らしをしていいんでしょうか、



私より小さく苦しんでいる発展途上国や貧しい地域の子供の現実を聞くと、申し訳なく思います。





どうして平等でないのでしょぅ
どうして頑張って幸せになれる世界じゃ、ないのでしょう


誰か教えてら下さい。

A 回答 (13件中1~10件)

仕方がないでしょうね。


人間は顔も形もそれぞれ皆違うのですから。
生まれた時の運命を背負って生きねばならないのです。
それでも、
誰かが言ってましたが、
どんな国の人種、国民も、未開民族でも、うまれついての知的な能力は変わらないということです。
努力すれば、可能性としては開けている。
平等というのはそういうことではないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/12/28 21:26

先日、赤ちゃん取り違えの訴訟がありました。


不動産会社社長の長男として生まれた子が、沐浴の後、貧困家庭の四男として渡され育てられた。結果、彼は60歳になった今でもトラックの運転手をしながら、義兄の介護をしています。
一方、貧困家庭に行くハズが、庭に鯉が泳ぐ池があって家庭教師が来る家で育った子は、家業を継ぎ、不動産会社の経営者となっていました。
実は世の中、大変不平等です。

>どうして平等でないのでしょぅ
恐らく、自然の摂理ではないでしょうか。

>どうして頑張って幸せになれる世界じゃ、ないのでしょう
どうも、それが『運』というもののようです。

恵まれて生まれたのなら、運が良かったのです。
その運を悪い人に取られないように、大切に守った方がいいです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

友達に相談しても運だと言っておりました。

運ってプラスイメージですが
とても恐ろしいですね。

お礼日時:2013/12/28 21:28

お金はお金のある所に集まるとか、金持ちの家に


生まれれば、何もしなくても金持ちだとか、色々な
不平等は存在しますが、それらは全て、経済的・
物質的なものが幸せの絶対基準であるという、
拝金主義的・即物的利己主義に基づいた判断です。

人の認識において有限な存在性=宇宙は生じて
いるという量子論的世界像において、全ての人は
平等となります。
認識の自律性の限りにおいて、何でも意志の対象
となり得、たとえば鼻クソを飛ばす事に生き甲斐を
感じれば、それによって最大の幸福感を得る事が
できるのです(金持ちとか権力とは無関係に)。

そして同じ「何でも喜びとなる」のであれば、生きる
必然性を意志できれば、喜びの量的(身体的)な
大きさ(寿命)と、質的(精神的)な大きさの追求を
一致させる事ができ、生きる真の目的である充足
量の最大化が可能になります。
その過程において、認識の発達は社会化(分業=
助け合い)を進め、得る事ではなく与える事で最大
に得る事(健全な労働での最大の充足)が可能に
なり、そこにおいては物質的に得る事ではなく与え
る(自分の可能性を尽くす)事が喜びとなり、「頑張
る事が幸せ」に直結する、平等な世界になります。
(お金を奪い合うためではなく、助け合いとしての社会)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

なんとなく理解しました。

しかし、理屈じゃないこのもやもや感。

お礼日時:2013/12/28 21:31

平等ではありませんし、あまりに不条理です。


でも、仮に完全に平等だったら、あなたのような世の中への思いは誰も持たなくなるでしょう。
だからと言って、不平等がよいというわけではありませんが、そこに救いがあるのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

平等とはそれはそれで怖いですね。

想像したら死んでいるのと同じようなそんな無世界が浮かびました。

お礼日時:2013/12/28 21:33

こんばんは。




>「どうして平等でないのでしょぅ
どうして頑張って幸せになれる世界じゃ、ないのでしょう」

どうぞ、同じ問いを、100年ずつでも遡って、

・・・ところで、「頑張って幸せ」って?時代遅れ??
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/12/28 21:37

平等?



自然淘汰の生存競争には平等などは全く在りませんが

人間になって 平等ではなく 人権を守る 守ろうという考えが在ります

これも平等ではなく 最低限の文化的生活を誰もが 等しく受けられるように・・・・と言うことです。

平等で思い出すのは 母親が自分の子供達を平等に愛そうとする

どの子も自分の子 自分を頼りにしてる だからみんな愛そう というとき

「お兄ちゃんズルイ」とか「陽子ばっかり・・・」とかいう平等を求める気持ちが出ます

未来の理想は皆平等に豊に・・・でいいのではないでしょうか

皆平等に貧しく・災害に遭って と言うのがちょっと怖ろしい気がします。

人が皆等しく豊かさと愛を受け取れる時代が来ればいいですねえ^^
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

私なんかが他人を心配することは失礼だとおもいますが

私もそんな未来がいいです。

お礼日時:2013/12/28 21:39

松下幸之助の言葉を時々読みますが、


以下のような文章がありました。

額に汗して働くことはすばらしいが、それだけではいけない
工夫しなければ前には進めない

つまり頑張るだけでどうにかなる世の中ではないのです。
頑張ればどうにかなるという考えで居ることが甘いのです。

平等ではないのはそれが世の中の理であるから、
答えは自分で見つけるしかないです。
平等にしたいのなら平等になるように努力してみてはどうですか?
それか、世の中の流れに従うか、それしかないですよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

ちなみにあなたは今流れにそっていますか?

逆らっていますか?

お礼日時:2013/12/28 21:41

こんにちは。


まず遺伝的に個人差があるというのは生物に過ぎない存在として自然なことで、平等なのは‘生物としての限界は誰でも同じだ‘ということです。そして社会的動物に過ぎない生き物として人間は価値を為して対価をもらう必要があり、そんな中で「頑張ることイコール価値(成果)」ということに必ずなるわけではないという厳しさはあると思います。生まれ落ちた‘環境・前提条件‘という縁のもとでもがき、それが良かれ悪しかれ自分の軌跡となっていく。それが人生なのではないでしょうか。そうした各人各様の千差万別の人生を(それが他者の人間性を否定しないものならば)ことさらに否定し合わず認め合えるようになれば、不要ないがみ合いは起こらずに済むようになるかもしれませんね。
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平等じゃ無いですよ。


そもそも世界は弱肉強食が基本です。
生物である以上人間も一緒です。

自分の意思で選べない要素は多いです。
例えば生まれた国、時代、環境…

しかし、人は弱者を思いやる感情があるということです。
それさえも無い人もいますがねぇ。

日本に関しては法治国家ですから、国民は法の下に守られて一定上の生活を送る事が出来るシステムにはなってます。
途上国は内戦などでそういうシステム自体が無いのです。
そういう国に生まれてしまった不幸だとも言えます。
貧困の理由は多くは戦争です。
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質問者さんは、事実と当為を混同しています。


事実と、かくあるべし、とを混同しています。

人間は、それぞれ個性がありますし、環境も
異なります。
だから、不平等になるのは当然です。

しかし、それは倫理的にはおかしい、という
のが当為です。


”どうして平等でないのでしょぅ”
    ↑
平等という価値観は、人間か勝手に造り出した
価値観だからです。
ありもしない神やら天やらを想念して、かく
あるべき、なんて信じるので
おかしい、と錯覚するだけです。
裏を返せば、神など存在しない、という
証拠でもあるわけです。


”どうして頑張って幸せになれる世界じゃ、ないのでしょう”
    ↑
頑張っても、必ずしも報われません。
しかし、頑張らなければ、もっと報われません。
頑張らなくて報われるひとは、運の良い人です。
運に頼ると報われなくなります。
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