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No.5ベストアンサー
- 回答日時:
貴方は一人の人間として、一人の人を良く観察した場合、例えば或る会社の社長さんと、ひらの従業員を比べた場合、どちらがより自由と思いますか?
世の中が分らないうちは社長の方が、より自由が在ると思うかも知れません。ですが社長にしてみたら『労働基準法なんかないし、上手く行っている時には、まだしも、上手くゆかないときも多々あります。』人には会う機会が多くなって、おまけに責任が何処でも付いて回っています。
自由に判断した結果を全て引き受けなければなりません。その判断には全ての責任が付いて回っています。上手くゆかない場合でも、自分の給料は後にしても、従業員の給料は『借金しても払わないわけにはゆきません』
それに引き換え、平の社員の場合給料こそ低いし、社長の言う事は聞かなければ成り立ちませんから、自由は無いかも知れませんが、責任を負う事はなくなってきます。
そう考えた場合、自由と責任は対になっていると感じます。大きな自由を背負った場合大きな責任を負う事を意味します。それも『自由意志』です。
その自由を求める事も『意志』から出ています。ですがその『意志』も制約を受けています。それは時間やお客様や、従業員の制約です。そこの社長も、自由にものを言った場合『お客様や従業員』から総スカンを食らう事も在るかも知れないという意味です。
そう考えると『社長業』はお客様と従業員に気を使って、『社長の好きのようにはならいと云う事になります。』自由に振舞っているはずの社長こそ、世の中を『思い通りに出来ない事を判っている事が大事』と言う意味になります。
思い通りにいかない事を分っていながら、なおかつ『思い通りに行かせている事を意味します』その事から推し量ってみた場合、『人間に意志や自由はあるのか?』と云う事に戻った場合、自由意志を『得ようとすれば失い、捨ててしまうなら手に出来ている』と言う不合理な結論が導かれます。
この原理を人生にまで拡大した場合、人間には『最後には死が訪れるのだから、人生は不自由であって、本当の意味では「死」に縛られている存在だから、人間は自由ではない』と云う事になるところですが、それは自由に制約されている立場を超えられない事を意味します。
制約を受けた存在としての人間が、その制約を受けている『生と死』に付いての制約を解除する方法を、この制約を受けているはずの人生で見つければよい事になります。
良い方法は『生と死』を分別しないで見る事が出来たなら可能と云う事になります。人間が自由を制約されていると思っている『心』を捨てる事を意味します。
生が良いと言う見方、死を厭うと言う見方の変更です。
質問者様がもし『自分自身の自由が制約を受けているとお思いなら』貴方は自分自身が自由になりたいと思う『心』をお捨てなさいと言いたいです。
貴方が『この人生で自由』と言う気持ちになれないのであれば、貴方の中に自由と云う事と、不自由と云う事を『分けて考える見方があるためです』貴方が自由になれない事を認める事が出来ない見方を『貴方が貴方の心の中に作っているためです』
貴方が自由になりたいという気持ちを『捨てさえするなら』貴方は何時でも自由になれる事を意味しています。貴方が自由になりたいという気持ちを捨てた時『貴方はもう既に自由である事が分ります』
不自由である事を認めた時、同時に、自由になりたいという気持ちも捨てた事を意味します。地獄に落ちても良いと言う決心をためらっているだけです。
地獄に落ちても良いと決心した時『極楽に入った事』を意味します。
なるほど、自由と責任というものは反比例の関係にあるように思える。しかし、自由でないということは自身が勝手にそう思っているものであって、その考えを捨てて自由と不自由の境をなくすことで、自由になれるということでしょうか?
迷いこそがより自分を不自由にするということでしょうか?
非常に興味深い意見です。
回答ありがとうございました。
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No.4
- 回答日時:
自由と言うのは、自由であると言う実体があって、イメージはその後に続くものと思っています。
例えばりんごと言う実物があって、それを精緻に写したりんごの絵がありえるようなものです。
端的に言えば、動揺しないとか、物事や見解に囚われないとか、健全であるとかいったイメージに結びついているでしょうか。
意思に関しては、自ら発動するものというイメージを持っています。字としては意志のニュアンスが含まれています。
人間には自由や意思は存在すると思います。しかしそれは実現せねば存在し得ないものであると思います。
わかりやすく言うと、それは、眠れる遺伝子のようなものでしょうか。それが起動したなら、自由になれるし、意思も発揮できると言う感じです。
イメージは自由である実像の上に成り立つということですか。
しかしそれは実像というものに縛られていて、本当に自由なのかという風にも私は思えます
意思に関しては、その自ら発動するというイメージが本当に自ら思い描いたものというものが存在するのだろうかと思ってしまいます。
実現するということはそれだけで「自由」であり得るのかと私は思ってしまいました。
回答ありがとうございました。
No.3
- 回答日時:
これはとても重要な事なのですが、人間がイメージしたものの中には、残念ながら「自由」は起こり得ない様になっています。
イメージしているという事そのものが、既に囚われであり束縛されている状態だからです。既に囚われたイメージであり、既に束縛されたイメージの上に成り立っている「意思」もまた、人間らしい意思というよりは、動物的な、感覚的な、条件反射となってしまっている「意思」です。
そういう意味で、
>本当に人間に意思や自由というものは存在すると思いますか。
僕は、この様には思いません。「自由」や「意思」についてのイメージを持った状態では、「自由」も「意思」も存在しません。まずは、この事を明確に理解する段階から始まると思います。
まずは、既に囚われているイメージというのがどういう事であるのかについて明確な理解をする事で、その囚われや束縛から解放された先に、次元が上昇されたイメージと出会います。
上昇されたイメージとの出会いを通して、人間そのもの、宇宙そのものがゴソッと変化しますので、そのゴソッと変化した新しい人間像によって、その人間が観る「自由」「意思」というモノは、真に「自由」や「意思」であるとして誕生しますね。
それは、出会ってみて分かる事です。
>「自由」や「意思」についてのイメージを持った状態では、「自由」も「意思」も存在しません。
確かにそう思います。
>まずは、既に囚われているイメージというのがどういう事であるのかについて明確な理解をする事で、その囚われや束縛から解放された先に、次元が上昇されたイメージと出会います。
上昇されたイメージとの出会いを通して、人間そのもの、宇宙そのものがゴソッと変化しますので、そのゴソッと変化した新しい人間像によって、その人間が観る「自由」「意思」というモノは、真に「自由」や「意思」であるとして誕生しますね。
なるほど、「自由」や「意思」といったものに対する既存のイメージを捨て去れば、もう一つ上の次元に行けるということなのでしょうか? しかしそれでも「答え」は私には出せるかはわかりません。結局は解釈の仕方によるのかもしれませんが。
その上の次元にはいったい何があるのでしょうか?
回答ありがとうございました。
No.2
- 回答日時:
可能性の与えられた世界では、自由という言葉も意志という言葉も意味を為します。
しかし、全てが前もって決まっている世界ではその二つの言葉に意味がありません。さて、私達はどちらの世界に住んでいるのでしょうか。可能性が与えられればそれは「自由」や「意志」が存在するとうことでしょうか?
その「自由」や「意志」とは何なのか気になりますね。
すべてが決まっている世界とは宿命論的な考え方だとはおもいますが、その世界にいる場合私たちがこうして議論すること自体が何か虚しいことのように思えてきますね。
本当に我々はどこに住んでいるのでしょうか。
回答ありがとうございました。
No.1
- 回答日時:
人は、認識していないものを、意思する事はできません。
たとえば、社会生命たる人類において、自己の生命は
社会全体に依存しているにも関わらず、そうした組織性の
発達において、それを自覚化する認識性を発達させる労を
怠って、自己チューなままお金や出世といった“馬車馬の
目の前のニンジン”により、非自覚的に社会行動をとらせる
方法が発達しました。
その“お金をもうける自由”とは、自己存在の本質に根差し
たものではなく、自己のトータルな生における他の欲求と
矛盾し、また低い認識による希薄な充足感として結果する
事により、真の生きる目的である「人生を通算した精神的
充足量の最大化」に反するものとなります。
換言すれば、真の自由とは、認識の深化において可能に
なるものです。
もちろん世界には、それに抗する物質や他人が存在しま
すが、実はそうした他律的存在に思えるものも、実は認識
の不完全さに由来する“自己矛盾”として生じているのです。
最新の量子論的世界像において、有限な存在性は観測
される事によって生じています。
自我仮説に対する相補して時空仮説が生じているならば、
全てのものは、あなたが存在するための(物理的根源に
まで遡った)必要なのです。
宇宙は、あなた自身の意思であり、その認識は無限の自由
=最大限の充足を可能にする。
>換言すれば、真の自由とは、認識の深化において可能に
なるものです。もちろん世界には、それに抗する物質や他人が存在しますが、実はそうした他律的存在に思えるものも、実は認識の不完全さに由来する“自己矛盾”として生じているのです。
人間は社会的に依存している動物でありながら、自己中心的で刹那的な浅い充足感を満たすことに行動にいきがちで、本質的なものを認識することを怠ってしまっているのでしょうか。
では結局人間は、他者とかかわることでしか充足感を満たせないのでしょうか。
私たちはその中で「自由」や「意志」を得るのでしょうか。それは認識にとらわれたもののように思えます。
しかし、自己矛盾という点はなるほどそういう見方もあるのかと思うことができました。
回答ありがとうございました。
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