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20代の男です。
私は好奇心旺盛で夢に向かってまっしぐらな熱い男だったのですが、
冷静に色々人生のことを考えているうちにすっかり無気力になってしまい意欲低下で何をするにもやる気が起きなくなってきました。

大きな夢もあり追いかけている途中なのですが、
欲望を満たして何になる?夢を叶えて何になる?
永久なんてものはないと思うしいずれつくったものも消えて滅びると思う。じゃあ歴史に何かを残して何になる?いつか全てが無駄になる。
人間はどこに向かっているのだろう?

・・・何に対しても冷めて欲が無くなってきてしまいました。

大人になっても熱く一生懸命な人がいますが
なぜあそこまで熱くなれるのか現在の自分では不思議でたまらなくなりました。
永遠というわずかな可能性を信じているのでしょうか?
あまり深く余計なことを考えてこなかっただけで純粋なだけですかね?
ただ今という一瞬を楽しんでいるだけですかね?

以前のように気力に満ち溢れた熱い人間に戻りたいのですが、
どうかアドバイスいただけたらと思います。
宜しくお願い致しますm(__)m

A 回答 (11件中1~10件)

銀河系は約6万光年の直径を持った薄い円盤で、太陽系が、銀河系宇宙を一周するのに、二億年かかります。

地球が太陽の周りをまわることになぞらえ、この二億年を一宇宙年といいます。
この宇宙年の計算では、6年ぐらい前に、地球上に原始的な生命が現れ、一年前には恐竜が歩き回り、最初の人間が出現したのは、つい昨日のことで、人間が進化して、言葉を話す様になったのはたった4時間前です。西暦元年は五分一五秒前という計算になります。
あなたが悩んできた20年間は、宇宙年からすると秒にも満たない一瞬です。

あなたが非常に小さな存在であることが実感できただけでも、大変な進歩です。宇宙年の瞬きするよりも短い時間を我慢すれば、その小さな存在をどう大きく活かしていくかが分かるでしょう。
あまり、焦ってはいけません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!
物凄く心に沁みました!あなた様に出逢えてよかったです。
少しづつ気力が湧いてきました…!

お礼日時:2007/12/10 00:33

本能とか欲望は盲目的なので後先考えず、不合理や矛盾も考えず唯命じるのみなので、実行した結果自分には何もならなくても死んだとしても、種の多数が生き残ったとすれば、それも立派な本能なのだそうです。



哲学の真髄(?)はグダーとすることで、無気力になることによって本能が何を得ようとするかというと「精神的な辛苦を怠けられる」ことに尽きるのです。

大局的な目標に向かうより例えばお腹が空けば食料の調達、疲れたら眠る、と誰でも絶対的な目標が出来ます。怠ける気力(?)がない状態(危険の回避)は生き生き実行しますね。これも本能です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。参考になりました。

お礼日時:2007/12/11 18:23

マーケティングの仕事に携わる40代男性です。



今年一年を振り返ると、どういうわけか「男女の消費行動の差」を
テーマとするような仕事が多かったなぁ、と思うのですが
その中で見つけたとあるエッセーを紹介します。
http://www.tama.ac.jp/blog/relay/doc.php?p=133

この教授は「無理を承知で態度・行動面での性差をまとめてしまうと、
男は課題志向的・結果志向的だが、女性は過程志向的な傾向が強いと言えよう」
と結論づけていますが、私も(いくつか調査などを経て)
現在ほぼ同じような結論に達しています。
そして、ご質問者さまも「典型的な男性脳の持ち主」だと思いました。

> 以前のように気力に満ち溢れた熱い人間に戻りたいのですが
ひとつの信念なり美意識なりを貫き通すためには
かなりの精神力や体力が必要だと思います。
> 大人になっても熱く一生懸命な人がいますが
私事で恐縮ですが、最近、自転車にハマっています。
しかもロードレーサーです。
で、坂なんかを登って喜んでいます。
坂を登っている最中って非常に辛くて
> 激坂のぼりに熱く一生懸命な人がいますが
> なぜあそこまで熱くなれるのか現在の自分では不思議
なんて、しょっちゅう思っています。
でも、それで集中力が途切れると、途端に息が切れちゃうんですよね。
そこでパッと気持ちを切り替えられないと、登れなくなっちゃいます。
> なぜあそこまで熱くなれるのか
きっと、ずっと熱いわけじゃないんですよ。
冷めるときだってある筈。
でも、きっと気持ちの切り替えが早いんですよ。
何か違うモチベーションを探して、行動を継続するんだと思います。

実は「男性的な大儀」を見失ったとき
「女性的な経過重視」に視点を切り替えるのは
非常に有効だと考えています。
視点をマクロからミクロに切り替えるの。
日々の小さなことに一喜一憂して、感受性を取り戻すの。
> ただ今という一瞬を楽しんでいるだけですかね?
そういう価値観でいると、ミクロな視点って
刹那的に見えてしまうんじゃないかしら?
刹那的に見てしまっては、気力は蘇らない。
もし機会があったら、親戚やら友達やらを頼って
主婦の子育てとか買物につきあってみて下さい。
最初は「何て無計画、適当なんだ」と、シラ~としてしまうでしょう。
でも、しばらく行動を共にしている内に
必ず何がしかのヒントを得る筈です。。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。なるほど。参考になりました!

お礼日時:2007/12/10 18:37

意味を求め、


夢を信じて、
何事かを無駄だ、
と判断しているから"見失う"のですよ。

夢を信じて成りたい姿に成る行動は大切ですし、その信じたモノを手に入れるかもしれませんが、たぶん、何かを求めているかぎり、また無力感に行き当たるでしょう。永久的に死ぬまで夢なるものを追える気概があるなら別ですが。

人のできることは有限です。無限ではなかったと悟ることがある意味、
老化というか大人なのだと思います。自分が有限であることを知って、最大限に生きることが大切なのだと思います。

(一応、私も夢多き20代です
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2007/12/10 18:35

今という一瞬だけを生きています。

それが 永遠ですよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2007/12/10 18:35

熱が冷めてしまったといってしまえばそれまでですが、逆に


考える視野が広くなったとも言えるのではないでしょうか?
私なんかは俗っぽいほうなので、何か意味があるのか?
という考え自体に何か意味があるんだろうか?と考えてしまう
ほうなので、やっていることに対して疑問というか立ち止まる
ということをあんまりしませんし、良く視野狭窄といわれます。
あんまり大きい事を成し遂げようとか思いすぎないで、目の前
の小さな目標を一つ一つクリアしていたら何故か大事業を成し遂げて
しまった。
そんなところじゃないでしょうか、いつも一生懸命で熱い人という
人達って。無気力でダラダラしていたって気楽に生活できる
人もいれば、思い悩む人もいる。あなたは後者だっただけで、
人生に意味があるのかどうかは死ぬ直前まで分からない。
それぐらい余裕を持っていきましょう。
無気力になっても情熱的でも生きていくしかしょうがないんだから。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。参考になりました。

お礼日時:2007/12/10 18:35

私の場合は逆でした。



あまりに自分が欲深すぎるのでは?とすごく思い詰めてしまうのです。考えることをすごく欲して、高すぎる理想に向かって焦る焦る・・・w。(走る。のではなくただ焦ってるだけw最悪です)
疲れてしまうので、去年の初詣の願い事は「どうか欲がなくなりますように、考えることを欲さないでいられますように。」でした><。

ある日ふと、焦っていない自分に気づいたのです。なんか日々平穏で、「お花がきれいだな~~。」なんて。「あれ?なんか最近あんまり物事を一生懸命考えてないな~御利益?」幸せ~~♪
と思ったのもつかの間・・・「こんなことじゃいけない!」
平穏でのんびり生きたいと願ったのに、平穏さに気づいたらまた焦る焦る!

結局繰り返しです。質問者様もまた”熱い人間”に戻っちゃいますよ。きっと。No.4 様 がおっしゃるように多くを望まない、望む必要性を感じない人生の方がよっぽど幸せな気がしますが。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。おもしろいですね。参考になりました。

お礼日時:2007/12/10 02:34

熱い男には原因はどうであれ無気力な時期も必要なように思えます。


一生ずっと熱い男を続けることはまず出来ません。
有名な熱い男たちをみればわかるでしょう。
七転八起するんですね。転んだときは誰もが惨めなものです。
大きく転んで起きあがるから、彼らは伝説的熱い男たちなんです。

>ただ今という一瞬を楽しんでいるだけですかね?

今という一瞬を楽しんで既に終わっているわけではありませんよね。
人間にとって、今が常に今であり続けることは大変な事なのです。
あまりにも当たり前すぎると思われるかも知れませんね。
いずれ滅びようがどうしようが、歴史がどうであれ、この事実だけは変わりません。「戻りたい」と思うのではなくて、充電期間を終えたら当然のように「選ぶ」のですよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございました!

お礼日時:2007/12/10 02:28

>以前のように気力に満ち溢れた熱い人間に戻りたい



果たしてその方が幸せなのだろうかと思うと、私には迂闊にアドバイスできません。

どうせ人間は生きている間、できる範囲のことしかできないし、しないのです。
できる範囲のことをする。それだけでいいんです。

ただ、多くの人は頑張りすぎる。限界を求めてしまう。
最先端を争うことが総てのように思っている。
彼らはある種の夢を見ているのではないでしょうか。
だって、彼らは頑張りながら、それが最終的にどこに向かっているかは全く知らないのですから。

無欲。いいじゃないですか。
本当に無欲な人は、「戻りたい」などという欲など持ちませんが、まあそれはそれ、一種の迷いのようなものが残っているんでしょう。
いっそのこと開き直って無欲を突っ走るのも悪くはないんじゃないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
夢を見ているのでしょうね…。私もそうです。
解明されていないことが多いですし希望を信じているからこそ
頑張っているんだと思います。

お礼日時:2007/12/10 01:05

>永遠というわずかな可能性を信じているのでしょうか?


面白いですね。我々日本人は明治以降の150年ぐらいで、こうまで西洋人の世界観に影響されてしまったとは。日本人の世界の認識の最も深いところには、変化する世界、諸行無常の世界、ダーウインの言う進化する世界があったはずなのに、未だにダーウイン以前の「永遠」なる変化しない世界があると考えている方がいらっしゃるとは。

そう言えば西洋では、刹那的に存在する「変化」の典型である「渦」を最初に本気で研究して絵画に画いた画家はダビンチだったとか。ところが、それよりも数百年以前、あるいは数千年以前に中国人も日本人も絵画の中にしきりに渦をまく「変化」する雲を描いておりましたね。

永遠とは「在る」世界という無時間的な静的な世界です。変化とは「成る」世界という動的な世界です。今までの日本人はこの世界を「成る」世界という言葉で表現される「時間の流れ」を認識していたようですが、今の若者達はどうなのでしょうか。

>ただ今という一瞬を楽しんでいるだけですかね?
今という一瞬を生きているのがほとんどの動物だと思います。しかし人間だけが、この「今」から解放されているのだと思います。そして、その認識の中に深い「苦しみ」と、深い「幸せ」を体得しているのだと思います。

貴方は動物のように生きるのか、それとも人間のように生きるのか、どちらなのでしょうか。

この回答への補足

ありがとうございました。

補足日時:2007/12/10 00:52
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この回答へのお礼

失礼しました!
永遠という表現が誤りました。
乱文すみません。
変化しつつも最終的にすべて無駄であってほしくないと…。
宇宙は膨張しているがまた縮小し無に戻ると聞いたことがありますので。
もしその繰り返しだとしたら無気力になりますね。
分かっていないからみんな名誉などを残したがるのだと思いますが。
可能性を信じて頑張ってみましょうかね…。

お礼日時:2007/12/10 00:52

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