出産前後の痔にはご注意!

「刺客列伝」の「壮士一たび去りて復た還らず」の
白文の読み方を教えてください。

白文が読めないので元の文が書けなくて申し訳ないです。
書き下し文はあるのですが全く読めずに困ってます。

よろしくお願いします。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (3件)

早々の折り返しありがとうございます。


「於是太子豫求天下之利匕首得趙人徐夫人匕首取之百金。使工以藥焠之以試人血濡縷人無不立死者。乃装爲遣荊卿。
 燕國有勇士秦舞陽。年十三。殺人人不敢忤視。乃令秦舞陽爲副。荊軻有所待。欲與倶其人居遠未來。而爲治行頃之未發。太子遲之疑其改悔。
 乃復請曰日已盡矣荊卿豈有意哉。丹請得先遣秦舞陽。
荊軻怒叱太子曰何太子之遣往而不返者豎子也。且提一匕首入不測之彊秦。僕所以留者待吾客與倶。今太子遲之。請辭決矣。遂發。
 太子及賓客知其事者皆白衣冠以送之。至易水之上既祖取道。高漸離撃筑荊軻和而歌爲變徴之聲士皆垂涙涕泣。又前而爲歌曰
 風蕭蕭兮易水寒
 壯士一去兮不復還

復爲羽聲慷慨士皆瞋目髮盡上指冠。於是荊軻就車而去。終已不顧。」以上の部分を試みに書き下してみました。
 
 >ここに太子、豫(=予あらかじ)め天下に利き(と・き)匕首(ひしゅ=短刀)を求め、趙の人徐夫人の匕首を得てこれ百金を取る。 
 工をして以って藥をこれに焠(や)かしめ、以って人に試すに、血、縷(る又はろう)を濡らし、人たちどころに死せざる者なし。乃(すなは)ち裝して荊卿に遣わさんとす。

 燕の國、勇士、秦舞陽、有り。年十三。人を殺し、人敢えてこれを忤視(ごし)せず。乃ち秦舞陽をして副と爲さしむ。荊軻待つところ有り。※與倶(ともに)せんと欲するも、その人、遠きに居りて未だ來たらず。 
 而して治行を爲すも、これ頃(しばらく)にして未だ發(発=た)たず。太子これを遲きとなし、その改悔を疑う。 
 乃ち復た請いて曰く「日、已(すで)に盡くる。荊卿、豈に意有りや。丹、請う、先ず秦舞陽を遣わすを得ん」と。 
 荊軻、怒り太子を叱して曰く、「何ぞ太子はこれを遣わさんとす。往きて返らざるは豎子(=じゅし)なり。且つは一匕首を提(さ)げて不測の彊秦(きょうしん)に入る。僕(われ)の留まる所以(ゆえん)は、吾(われ)客とともにするを待てばなり。今、太子はこれを遲きとなす。請う辭決(じけつ)せん」と。遂に發(た)つ。

 太子及び賓客その事を知る者、皆、白衣冠(はくいかん)し以ってこれを送る。 易水(えきすい)の上(ほとり)に至り、既に祖(そ)して道を取る。 高漸離筑を擊ち、荊軻和して歌い、變徴(へんち)の聲(=声)を爲すに、士皆涙を垂れ涕泣す。 
 また前(すす)みて歌を爲して曰く、
  風は蕭蕭(しょうしょう)として易水(えきすい)寒し
  壯士(そうし)一たび去りてまた還らず
と。 
 
 また羽聲(うせい)を爲し慷慨(こうがい)す。士は皆目を瞋(いか)らせ、髮は盡(=尽・ことごと)く上りて冠を指す。ここに荊軻は車に就(つ)きて去る。終(つい)に顧(かえりみ)ざるのみ。

 以上ですが余り自信はありません。
※與倶(とも)にせんと欲するも、その人、遠きに居りて未だ來たらず。の部分ですが、かつては「与(ともに)倶(ともに)」とお読みになられた年配の方々もいらっしゃるかと存じますが、「A与倶B」の形は「AはBと共に~する」の意味ですので、「~する」の具体的内容としての「~」が示されているべきです。
 けれどもこの文例では、その具体的な言葉が記されてない状態ですから、そこに補う言葉を文中から求めるとするならば、行もしくは往の文字に落ち着くかと考えられます。
 その理由ですが、文意が「荊軻には待っている人があり、その人と共に出かけようと思っていた」であることによります。“待っている人と一緒に「行動すること」に重点が置かれています。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

何度もありがとうございました。
おかげでテストの問題が解けました。
本当にありがとうございました。

お礼日時:2012/10/15 00:09

 昨晩、僕の読み下しを送らせていただきましたが、現在での「底本」とされている『新釈 漢文大系』所収の「読み下し」を追送させていただきます。



>「於是太子豫求天下之利匕首得趙人徐夫人匕首取之百金。使工以藥焠之以試人血濡縷人無不立死者。乃装爲遣荊卿。
 燕國有勇士秦舞陽。年十三。殺人人不敢忤視。乃令秦舞陽爲副。荊軻有所待。欲與倶其人居遠未來。而爲治行頃之未發。太子遲之疑其改悔。
 乃復請曰日已盡矣荊卿豈有意哉。丹請得先遣秦舞陽。荊軻怒叱太子曰何太子之遣往而不返者豎子也。且提一匕首入不測之彊秦。僕所以留者待吾客與倶。今太子遲之。請辭決矣。遂發。
 太子及賓客知其事者皆白衣冠以送之。至易水之上既祖取道。高漸離撃筑荊軻和而歌爲變徴之聲士皆垂涙涕泣。又前而爲歌曰
 風蕭蕭兮易水寒
 壯士一去兮不復還

復爲羽聲慷慨士皆瞋目髮盡上指冠。於是荊軻就車而去。終已不顧。」

>『新釈 漢文大系九 「列伝二」』

「是(ここ)に於いて太子、豫め(あらかじめ)天下の利匕首を求め、趙人徐夫人の匕首を得たり。之を百金に取り、工(たくみ)をして藥を以て之を焠がしめ(にらがしめ)、以て人に試みるに、血、縷(いとすじ)を濡ほせば(うるほせば)、人、立ちどころに死せざる者なし。乃ち(すなはち)装して為に荊卿を遣はす(遣わす)。
 燕国に勇士秦舞陽(しんぶよう)有り。年十三にして人を殺す。人、敢へて(あへて)忤視(ごし)せず。乃ち秦舞陽をして副たらしむ。
 荊軻、待つ所あり。與倶(ともにともに)せんと欲す。其の人、遠きに居りて未だ來たれざれども、治行(ちこう)を為す。之を頃くして(しばらくして)、未だ發せず(はっせず)。太子、之を遅しとし、其の改悔を疑ひ、乃ち復た(すなはちまた)請ひて曰く、日、既に盡きたり(つきたり)。荊卿、豈に(あに)有意りや。丹、請ふ、先ず秦舞陽を遣はすを得む、と。
 荊軻、怒りて太子を叱して曰く、何ぞや太子をして太子の遣はすとは。往きて返らざる者は豎子(じゅし)なり。且つ一匕首を提げて(ひっさげて)不測之彊秦に入る。僕の留まる所以(ゆえん)の者は、吾が客を待ちて與倶に(ともにともに)せんとすればなり。今、太子、これを遲しとす。請ふ辭決せむ、と。遂に發す。
 太子及び賓客の其の事を知る者、皆、白衣冠にして以って之を送る。易水之(えきすいの)上(ほとり)に至る。既に祖して(そして)道を取る。高漸離(こうぜんり)撃筑を撃ち、荊軻、和して歌ひ、變徴之聲(へんちのせい)を為す。士、皆、涙を垂れて涕泣す(ていきゅうす)。又前而(また、すすみて)歌を為くりて(つくりて)曰く
 風蕭蕭として易水寒く
 壯士一たび去りて復た還らず、と。

復た(また)羽聲を為して慷慨す。士、皆、目を瞋らし(いからし)、髮、盡く(ことごとく)上りて(あがりて)冠を指す。是に於いて荊軻、車に就きて去る。終に(つひに)已に(すでに)顧みず。」

 以上です、ご迷惑をお掛けして申し訳ありません。
    • good
    • 0

 恐れ入ります。

「白文は読めないが書き下しは(手許に)ある」。これはどの様な意味でしょうか。「読み下し文」は「白文に読み仮名を振り送り字や再読文字に基づいて日本語に置き換えたもの」ですので、白文が読めないとの意味にはならないかと存じます。それは「現代語訳」のことでしょうか?。下記に『史記-列伝篇26』の当該部分を引用しました。よろしければ読み下しのできない部分をコピー・ペーストしていただいた上で折り返させていただきますが。

【史記-列伝篇26】
 荊軻者衛人也其先乃齊人徙於衛衛人謂之慶卿而之燕燕人謂之荊卿荊卿好讀書撃劒以術説衛元君衛元君不用其後秦伐魏置東郡徙衛元君之支屬於野王荊軻嘗游過楡次與蓋聶論劒蓋聶怒而目之荊軻出人或言復召荊卿蓋聶曰曩者吾與論劒有不稱者吾目之試往是宜去不敢留使使往之主人荊卿則已駕而去楡次矣使者還報蓋聶曰固去也吾曩者目攝之荊軻游於邯鄲魯句踐與荊軻博爭道魯句踐怒而叱之荊軻嘿而逃去遂不復會荊軻既至燕愛燕之狗屠及善撃筑者高漸離荊軻嗜酒日與狗屠及高漸離飲於燕市酒酣以往高漸離撃筑荊軻和而歌於市中相樂也已而相泣旁若無人者荊軻雖游於酒人乎然其爲人沈深好書其所游諸侯盡與其賢豪長者相結其之燕燕之處士田光先生亦善待之知其非庸人也居頃之會燕太子丹質秦亡歸燕燕太子丹者故嘗質於趙而秦王政生於趙其少時與丹驩及政立爲秦王而丹質於秦秦王之遇燕太子丹不善故丹怨而亡歸歸而求爲報秦王者國小力不能其後秦日出兵山東以伐齊楚三晉稍蠶食諸侯且至於燕燕君臣皆恐禍之至太子丹患之問其傅鞠武武對曰秦地徧天下威脅韓魏趙氏北有甘泉谷口之固南有涇渭之沃擅巴漢之饒右隴蜀之山左關殽之險民衆而士厲兵革有餘意有所出則長城之南易水以北未有所定也奈何以見陵之怨欲批其逆鱗哉丹曰然則何由對曰請入圖之居有閒秦將樊於期得罪於秦王亡之燕太子受而舎之鞠武諫曰不可夫以秦王之暴而積怒於燕足爲寒心又況聞樊將軍之所在乎是謂委肉當餓虎之蹊也禍必不振矣雖有管晏不能爲之謀也願太子疾遣樊將軍入匈奴以滅口請西約三晉南連齊楚北購於單于其後迺可圖也太子曰太傅之計曠日彌久心惽然恐不能須臾且非獨於此也夫樊將軍窮困於天下歸身於丹丹終不以迫於彊秦而棄所哀憐之交置之匈奴是固丹命卒之時也願太傅更慮之鞠武曰夫行危欲求安造禍而求福計淺而怨深連結一人之後交不顧國家之大害此所謂資怨而助禍矣夫以鴻毛燎於爐炭之上必無事矣且以鵰鷙之秦行怨暴之怒豈足道哉燕有田光先生其爲人智深而勇沈可與謀太子曰願因太傅而得交於田先生可乎鞠武曰敬諾出見田先生道太子願圖國事於先生也田光曰敬奉敎乃造焉太子逢迎卻行爲導跪而蔽席田光坐定左右無人太子避席而請曰燕秦不兩立願先生留意也田光曰臣聞騏驥盛壯之時一日而馳千里至其衰老駑馬先之今太子聞光盛壯之時不知臣精已消亡矣雖然光不敢以圖國事所善荊卿可使也太子曰願因先生得結交於荊卿可乎田光曰敬諾即起趨出太子送至門戒曰丹所報先生所言者國之大事也願先生勿泄也田光俛而笑曰諾僂行見荊卿曰光與子相善燕國莫不知今太子聞光壯盛之時不知吾形已不逮也幸而敎之曰燕秦不兩立願先生留意也光竊不自外言足下於太子也願足下過太子於宮荊軻曰謹奉敎田光曰吾聞之長者爲行不使人疑之今太子告光曰所言者國之大事也願先生勿泄是太子疑光也夫爲行而使人疑之非節俠也欲自殺以激荊卿曰願足下急過太子言光已死明不言也因遂自刎而死荊卿遂見太子言田光已死致光之言太子再拜而跪膝行流涕有頃而后言曰丹所以誡田先生毋言者欲以成大事之謀也今田先生以死明不言豈丹之心哉荊軻坐定太子避席頓首曰田先生不知丹之不肖使得至前敢有所道此天之所以哀燕而不棄其孤也今秦有貪利之心而欲不可足也非盡天下之地臣海内之王者其意不厭今秦已虜韓王盡納其地又擧兵南伐楚北臨趙王翦將數十萬之衆距漳鄴而李信出太原雲中趙不能支秦必入臣入臣則禍至燕燕小弱數困於兵今計擧國不足以當秦諸侯服秦莫敢合從丹之私計愚以爲誠得天下之勇士使於秦闚以重利秦王貪其勢必得所願矣誠得劫秦王使悉反諸侯侵地若曹之與齊桓公則大善矣則不可因而刺殺之彼秦大將擅兵於外而内有亂則君臣相疑以其閒諸侯得合從其破秦必矣此丹之上願而不知所委命唯荊卿留意焉久之荊軻曰此國之大事也臣駑下恐不足任使太子前頓首固請毋讓然後許諾於是尊荊卿爲上卿舎上舎太子日造門下供太牢具異物閒進車騎美女恣荊軻所欲以順適其意久之荊軻未有行意秦將王翦破趙虜趙王盡收入其地進兵北略地至燕南界太子丹恐懼乃請荊軻曰秦兵旦暮渡易水則雖欲長侍足下豈可得哉荊軻曰微太子言臣願謁之今行而毋信則秦未可親也夫樊將軍秦王購之金千斤邑萬家誠得樊將軍首與燕督亢之地圖奉獻秦王秦王必説見臣臣乃得有以報太子曰樊將軍窮困來歸丹丹不忍以己之私而傷長者之意願足下更慮之荊軻知太子不忍乃遂私見樊於期曰秦之遇將軍可謂深矣父母宗族皆爲戮沒今聞購將軍首金千斤邑萬家將奈何於期仰天太息流涕曰於期毎念之常痛於骨髓顧計不知所出耳荊軻曰今有一言可以解燕國之患報將軍之仇者何如於期乃前曰爲之奈何荊軻曰願得將軍之首以獻秦王秦王必喜而見臣臣左手把其袖右手揕其匈然則將軍之仇報而燕見陵之愧除矣將軍豈有意乎樊於期偏袒搤捥而進曰此臣之日夜切齒腐心也乃今得聞敎遂自刎太子聞之馳往伏屍哭極哀既已不可奈何乃遂盛樊於期首函封之於是太子豫求天下之利匕首得趙人徐夫人匕首取之百金使工以藥焠之以試人血濡縷人無不立死者乃装爲遣荊卿燕國有勇士秦舞陽年十三殺人人不敢忤視乃令秦舞陽爲副荊軻有所待欲與倶其人居遠未來而爲治行頃之未發太子遲之疑其改悔乃復請曰日已盡矣荊卿豈有意哉丹請得先遣秦舞陽荊軻怒叱太子曰何太子之遣往而不返者豎子也且提一匕首入不測之彊秦僕所以留者待吾客與倶今太子遲之請辭決矣遂發太子及賓客知其事者皆白衣冠以送之至易水之上既祖取道高漸離撃筑荊軻和而歌爲變徴之聲士皆垂涙涕泣又前而爲歌曰風蕭蕭兮易水寒壯士一去兮不復還復爲羽聲忼慨士皆瞋目髮盡上指冠於是荊軻就車而去終已不顧遂至秦持千金之資幣物厚遺秦王寵臣中庶子蒙嘉嘉爲先言於秦王曰燕王誠振怖大王之威不敢擧兵以逆軍吏願擧國爲内臣比諸侯之列給貢職如郡縣而得奉守先王之宗廟恐懼不敢自陳謹斬樊於期之頭及獻燕督亢之地圖函封燕王拜送于庭使使以聞大王唯大王命之秦王聞之大喜乃朝服設九賓見燕使者咸陽宮荊軻奉樊於期頭函而秦舞陽奉地圖匣以次進至陛秦舞陽色變振恐羣臣怪之荊軻顧笑舞陽前謝曰北蕃蠻夷之鄙人未嘗見天子故振慴願大王少假借之使得畢使於前秦王謂軻曰取舞陽所持地圖軻既取圖奏之秦王發圖圖窮而匕首見因左手把秦王之袖而右手持匕首揕之未至身秦王驚自引而起袖絶拔劒劒長操其室時惶急劒堅故不可立拔荊軻逐秦王秦王環柱而走羣臣皆愕卒起不意盡失其度而秦法羣臣侍殿上者不得持尺寸之兵諸郎中執兵皆陳殿下非有詔召不得上方急時不及召下兵以故荊軻乃逐秦王而卒惶急無以撃軻而以手共搏之是時侍醫夏無且以其所奉藥囊提荊軻也秦王方環柱走卒惶急不知所爲左右乃曰王負劒負劒遂拔以撃荊軻斷其左股荊軻廢乃引其匕首以擿秦王不中中桐柱秦王復撃軻軻被八創軻自知事不就倚柱而笑箕踞以罵曰事所以不成者以欲生劫之必得約契以報太子也於是左右既前殺軻秦王不怡者良久已而論功賞羣臣及當坐者各有差而賜夏無且黄金二百溢曰無且愛我乃以藥囊提荊軻也於是秦王大怒益發兵詣趙詔王翦軍以伐燕十月而拔薊城燕王喜太子丹等盡率其精兵東保於遼東秦將李信追撃燕王急代王嘉乃遺燕王喜書曰秦所以尤追燕急者以太子丹故也今王誠殺丹獻之秦王秦王必解而社稷幸得血食其後李信追丹丹匿衍水中燕王乃使使斬太子丹欲獻之秦秦復進兵攻之後五年秦卒滅燕虜燕王喜其明年秦并天下立號爲皇帝於是秦逐太子丹荊軻之客皆亡高漸離變名姓爲人庸保匿作於宋子久之作苦聞其家堂上客撃筑旁偟不能去毎出言曰彼有善有不善從者以告其主曰彼庸乃知音竊言是非家丈人召使前撃筑一坐稱善賜酒而高漸離念久隱畏約無窮時乃退出其装匣中筑與其善衣更容貌而前擧坐客皆驚下與抗禮以爲上客使撃筑而歌客無不流涕而去者宋子傳客之聞於秦始皇秦始皇召見人有識者乃曰高漸離也秦皇帝惜其善撃筑重赦之乃其目使撃筑未嘗不稱善稱益近之高漸離乃以鉛置筑中復進得近擧筑朴秦皇帝不中於是遂誅高漸離終身不復近諸侯之人魯句踐已聞荊軻之刺秦王私曰嗟乎惜哉其不講於刺劒之術也甚矣吾不知人也曩者吾叱之彼乃以我爲非人也

この回答への補足

わざわざありがとうございます。

於是太子豫求天下之利匕首得趙人徐夫人匕首取之百金使工以藥焠之以試人血濡縷人無不立死者乃装爲遣荊卿燕國有勇士秦舞陽年十三殺人人不敢忤視乃令秦舞陽爲副荊軻有所待欲與倶其人居遠未來而爲治行頃之未發太子遲之疑其改悔乃復請曰日已盡矣荊卿豈有意哉丹請得先遣秦舞陽荊軻怒叱太子曰何太子之遣往而不返者豎子也且提一匕首入不測之彊秦僕所以留者待吾客與倶今太子遲之請辭決矣遂發太子及賓客知其事者皆白衣冠以送之至易水之上既祖取道高漸離撃筑荊軻和而歌爲變徴之聲士皆垂涙涕泣又前而爲歌曰風蕭蕭兮易水寒壯士一去兮不復還復爲羽聲忼慨士皆瞋目髮盡上指冠於是荊軻就車而去終已不顧

ここの部分を教えていたただきたいです。
手間を取らせてしまいすみません。
お願いします。

補足日時:2012/10/11 19:21
    • good
    • 0

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q「せざるべからず」の現代語訳は?

「せざるべからず」の現代語訳はどうなりますか?
出典は石川啄木日記です。
「予の代用教員生活は恐らく数月にして終らむ。予は出来うるだけの尽力を故山の子弟のためにせざるべからず。」

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

ほとんど前の方の繰り返しですが、まだ締め切りになっていないので。

「せざるべからず」の「せざる」は「しない」の意味で、否定を外せば「する」です。「べからず」の否定を外せば、「べし」です。

つまり「せざるべからず」は、「すべし」(=するべきだ)が二重に否定されているわけです。

「すべし」の前半を否定すれば、「せざるべし」(=しないことを要求)、「すべし」の後半を否定すれば、「すべからず」(=してはいけない=しないことを要求)になります。

「せざるべからず」は、「すべし」の前後半両方否定していますから、「しないことを要求しないことを要求=しないことを禁止」というわけで、一周まわって「すべし」(=することを要求)と同じ意味です。

現代でも「しないわけにはゆかない」(「しない」と「ゆかない」と二重に否定。意味は「する」)という言い方をしますよね。それと同じようなものです。

Q『宋名臣言行録』の現代語訳

『宋名臣言行録』の一部で、

欲因呂蒙正弟献以求知。其弟伺間従容言之。


という文で、書き下し文は

呂蒙正の弟に因りて献じて以て知を求めんと欲す。其の弟間を伺ひて従容として之を言ふ。

となってます。

話は、朝廷の役人が古い宝である鏡を呂蒙正に差し上げようとして、その弟に頼もうとしているところだと思うのですが、一文目の「知」と二文めの「伺間」をどのようにとればいいか分かりません。
教えてください。

Aベストアンサー

求知は「歓心を得る」と取っていいでしょう。「伺間」は「機会をうかがって」でしょう。

Q白文を書き下し文に(漢文)

漢文の白文を書き下し文にするにはどうしたらよいのですか?
訓点や送り仮名が付いていれば簡単にできるのですが、ただ単に漢字だけが並んだ文を直したいのです。
さらに欲を出せば、その文を訳せるようにもなりたいと思っています。
どうすればよいのですか?教えてください。

Aベストアンサー

ごきげんよう。

漢文を白文の状態から書き下し文直しや現代語訳するにはどうしたらよいか?
う~ん、これができないとどう困るのかがよくわかりませんが、
とりあえず、
質問者さんの漢文関係の知識が高校レベルだと仮定して回答します。


漢字の横につけられている返り点や送り仮名というのは、
もともと白文であったものが読みやすくなるように、
後世の人間や研究者によって(勝手に)つけられたものです。
返り点をつけたのは五山の僧たちでしたかしら?

高校までの漢文の授業では習いませんが、
英語や古文と同様に、漢文(古代中国語)にも文法(漢文法)があります。
その文法や単語を理解すれば、
漢文そのものから現代語訳をすることも十分に可能になります。

文構造・語順としてはわりと英語に近くて、
 [主語][述語]
 [主語][動詞][目的語]
 [主語][動詞][目的語1][目的語2]
 [主語][動詞][目的語][前置詞][目的語]
 [主語][否定語(「不」など)][動詞][目的語][前置詞(「於」など)][場所を表わす名詞]

これらは文構造の単純な例ですが、こういう感じで漢字が並んでいて、
この構造がわかっていると返り点がなくても読む語順がわかります。

この構造に加えて、単語(動詞や名詞や副詞などの漢字)の意味がわかり、
固有の文法(高校で「句法」として習うもの+α)を理解すれば、
白文を見ただけでもおおまかな意味はつかめるのです。
それを洗練させていくと、適切な現代語訳ができるようになっていくでしょう。
(ここでは簡単に言ってますが、実際にやろうとするとけっこう手ごわい)


ただ、「書き下し文にする」のは現代語訳よりも厄介ですね。

現代日本語を読み書きしている私達が書き下し文を読めばわかるように、
ほぼ日本の古文調なのです。
これは、古代~近世の人間が漢文を日本語に直す時に、
「漢文の訓読」「自分の文法に沿った送り仮名のつけ足し」
を行なってきたためです。

したがって、
 ○漢字をどのように訓読して送り仮名をつけるか
 ○日本の古文の助動詞・助詞をどう補うか
というのが、私達現代人には非常に難しいレベルかな、と思います。

> どうすればよいのですか?教えてください。
う~ん、書き下し文にする場合、古代から現代までの日本語と中国語の両方に精通してください、としか。他の方の意見待ちかも。

日本における古文や漢文を専門に研究している研究者なら
送り仮名を含めた書き下しに慣れていて可能な人もいるかもしれませんが、
かなり特殊なスキルであることは間違いないでしょう。

漢文 - Wikipedia
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%A2%E6%96%87
返り点 - Wikipedia
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%94%E3%82%8A%E7%82%B9

追加や訂正などがありましたら、また。

ごきげんよう。

漢文を白文の状態から書き下し文直しや現代語訳するにはどうしたらよいか?
う~ん、これができないとどう困るのかがよくわかりませんが、
とりあえず、
質問者さんの漢文関係の知識が高校レベルだと仮定して回答します。


漢字の横につけられている返り点や送り仮名というのは、
もともと白文であったものが読みやすくなるように、
後世の人間や研究者によって(勝手に)つけられたものです。
返り点をつけたのは五山の僧たちでしたかしら?

高校までの漢文の授業では習いません...続きを読む

Q帰りにけりってどういうに訳すんですか?

に は完了ですよね?
けり は過去ですよね?

どっちも同じ意味なので訳がわかりません。
回答お願いします。

Aベストアンサー

はじめまして。

ご質問1:
<に は完了ですよね?けり は過去ですよね?>

はい、どちらもその解釈で合っています。


ご質問2:
<どっちも同じ意味なので訳がわかりません。>

意味は違います。

1.「けり」は時制が過去であることを表します。従って、その出来事は過去に起きたことになります。

2.「ぬ」は完了ですが、完了は時制に関係なく「してしまう」という動作の完了状態を示します。従って、この「ぬ」は未来時制・現在時制にも使うことはできるのです。
例:
ぬべし=完了の「ぬ」+推量の「べし」
意味は「~してしまいそうだ」「きっと~してしまうにちがいない」
この「べし」は未来推量になり、時制は未来になります。


ご質問3:
<帰りにけりってどういうに訳すんですか?>

以上から、これは「完了+過去」のニュアンスを出して訳せばいいのです。

現代訳は
「帰ってしまった」
となります。

ご参考までに。

Q【荊軻】の現代語訳を探しています。。

いつもお世話になっています。

書籍で漢文の荊軻の「傍らに人無き者のごとし」という本を購入したのですが現代語訳がついておらず語彙集もなくさっぱりでした…。

ネットで調べたのですが書き下し文ぐらいしか出て来ず困っています。
もし荊軻の現代語訳(大意)などあるサイトをご存知の方は教えていただけないでしょうか?

文頭は「荊軻者,衛人也~」始まる文です。
宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

史記の「刺客列伝」の荊軻だと思うので、こちらはいかが。

http://www17.ocn.ne.jp/~hasshi/
こちらの
「史記物語」→「刺客列伝 風蕭々として易水寒し1」の後半からが荊軻の解説ですが。

Q「あらむ」の文法的意味は?

古文に出てくる「あらむ」の文法的な意味を教えてください。動詞の「あり」+助動詞「む」だと思うのですか、「む」の意味のうち推量・意志・可能・当然・命令・適当・仮定婉曲のどれにあたるのでしょうか。

Aベストアンサー

こんばんは。
理系のおっさんです。

>>>動詞の「あり」+助動詞「む」だと思うのですか

そのとおりです。


>>>「む」の意味のうち推量・意志・可能・当然・命令・適当・仮定婉曲のどれにあたるのでしょうか。

「む」の意味は、基本は、推量・意思・勧誘の3つと考えればよいです。
推量から発展して、ときに、可能・当然・適当・仮定婉曲の意味になり、
意思・勧誘から発展して、ときに、命令の意味になります。
どれになるかは、文を見て、あるいは、文脈を見て判断するしかないです。

「明日は晴天にあらむ」 → 「明日は晴天であろう」 ・・・ 推量

「さあらむと欲す」 → 「そうありたい(なりたい)と思う」 ・・・ 意思

「ともに義を重んずる武士であらむ」 ・・・勧誘
(「武士であらむ」よりも「武士たらむ」の方が普通かも)

勧誘の場合は、話しかけている相手が主語、というシチュエーションなので、ほかとの見分けは付きやすいかと。

Q昔の短大の偏差値は高かったの?

ごく普通の大学を卒業し一流企業とやらに運よく勤めさせていただいている者です。

勤務先には35歳前後~それ以上の女性社員の方々が大勢おられ皆さん優秀なのですが学歴が案外高くない(短大卒の方がちらほらいる)ことに理不尽さを禁じえませんでした。

彼女らが言うには「わたしらが出たころの都内短大は偏差値55~60が普通だったし四大受かっても蹴って短大にいく女の子が多かった」と。

偏差値56~ってきちんとした大学並みですよね?
そんなわけないと思うのですが・・。

なぜ彼女らはこんな見栄をはるのでしょうか。
偏差値が本当にそれくらいあれば大学いくでしょ・・。

Aベストアンサー

No.2の回答者です。
いただいたコメントについて。

>>>今年の青学・学習院・明治等の普通の大学(四大のほう)の偏差値を調べてみたら55前後ですね。
>>>昔の短大の55~60が本当なら現在の四大よりも優秀だった、ということになりますが・・。

はい。一部の短大は、そうだったと思います。

>>>ああ、やはり信じられない・・(すみません)けど、就職率や縁談(?)に有利という理由で短大であっても人気が集中した結果入学が難化したということですね。

そうだったと思います。

>>>おっしゃるとおり、今は偏差値40でも35でも入れる四大がごろごろあります。
>>>昔はよかったとはいえ、今は短大卒の肩書が足かせとなっていませんか?
>>>(どんなに優秀でも短大卒として扱われるという点で)
>>>若手には私のように昔を知らないで勘違いしている人も多いので。

前回も書きましたけど、18歳の時点で、ライフスタイルとして短大卒として扱われる道を選んだのです。

有名短大の秘書科を出て一流企業で一般職として勤めるのが、女学生達の憧れだったのです。
そして、男子社員をつかまえて結婚し、結婚退職するか、あるいは、1~2人目ぐらいの子供が生まればほとんどの女子社員は退職するとか、そういう図式でした。

現在は、女性が四大を出て男と同等に社会進出するのが当たり前ですよね。
家の留守を守り、学校から帰ってくる子供に「おかえりなさい」と言って迎える母親が減少しました。
保育園の先生が、自分の子供をほかの保育園に預けるというケースさえあります。(私の家の近所)
そしてまた、当然ながら、仕事を求める人の総人数が多くなります。
すると、どうなるでしょうか?
求人数が変わらずに、仕事をしたい人が増える。
それはつまり、失業率が高くなることを意味します。

短大が隆盛を誇っていた時代というのは、「良妻賢母」がいた時代だったのです。

そして、私大の乱立により、わが子を大学に押し込めたいという馬鹿親が増えました。
塾や家庭教師などの教育産業も大流行り。
その結果、どうなったか?
子供1人にかかるお金が異常といっていいほど増えました。
すると、夫婦の心理としては、産む子供の数を少なくし、かつ、ある程度貯蓄をしてからそれを学資とするため、年を取ってから子供を産むということになります。
つまり、少子化が進みます。

また、企業を退職していったん専業主婦になった人が学資のために働くとなると、パート社員として薄給でこき使われます。
これによって、さらに失業率が高まります。

以上のことからわかるとおり、私大の乱立は今の世の中を悪くしている元凶なのです。

これにて演説終わり。
失礼しました。

No.2の回答者です。
いただいたコメントについて。

>>>今年の青学・学習院・明治等の普通の大学(四大のほう)の偏差値を調べてみたら55前後ですね。
>>>昔の短大の55~60が本当なら現在の四大よりも優秀だった、ということになりますが・・。

はい。一部の短大は、そうだったと思います。

>>>ああ、やはり信じられない・・(すみません)けど、就職率や縁談(?)に有利という理由で短大であっても人気が集中した結果入学が難化したということですね。

そうだったと思います。

>>>お...続きを読む

Q間違えて買った本を返品したい

昨日簿記2級の本を4冊買ったのですが
一つだけ間違えて3級の本を買ってしまいました。
本当に世間知らずな質問で申し訳ないのですが
このような場合は返品は可能でしょうか。
ちなみに買った書店はオリオン書房です。

Aベストアンサー

買った店の判断ですが、
おそらく難しいと思います。
領収書をもってできるだけ即時でしたら
なんとかなるかもしれませんが・・
今質問していてもうかなりたっていると思います。
無用であれば
新品なので古本屋で売るかアマゾンで売るか
オークションで売るかしたほうがいいかもしれません。
ただ古本でよければ安くも購入できます。
ただ3冊も2級を買い明らかに3級は間違えて
買ったことをアピールししかも
その種類の2級に交換はできるかもしれません。
その際、そのほかに新たに何かかうアピールも
して今後間違えないようにすると
いうことを伝えたほうがよいでしょう。
近所で長い付き合いの常連であればいいのですが・・

Q横たえる(lay)と横たわる(lie)の違い

横たえると横たわるという日本語の違いがよくわかりません。
lieを辞書で引くと横たわる、横になると書いてあるので横になるの方で覚えていたのですが問題を解いていると
He was so tired that he (lay,laying,lain,laid) himself on the grass. 彼は非常に疲れていたので芝生の上に横になった。
という選択問題がありました。
横になったなのでlieの過去形のlayにしたのですが、答えはlaidでした。

横たえると横たわるというのはどの様に違うのですか?
後、上の問題の解説を教えてください。

Aベストアンサー

はじめまして。

lieとlayの問題はよく出題される問題ですので、しっかり違いを把握しておきましょう。

1.lieは自動詞で「横になる」「横たわる」という意味。自動詞ですから目的語をとりません。活用は
lie lay lain lyingとなります。

2.layは他動詞で目的語をとり、「~を横たえる」「~を横にする」という意味。活用は
lay laid laid layingとなります。

3.lieの過去形と、layの現在形が同じなので間違い易いですが、要は問題文の中で、自動詞か他動詞を区別できれば解答を導けます。

4.ご質問文では、主節がHe was so tiredと過去時制になっているので、that節の中の時制も、過去時制に一致させなければなりません。選択肢の中で、過去時制なのはlayかlaidになります。

5.himselfに注目して下さい。himselfは他動詞layの目的語になっています。「他動詞+oneself=自動詞(の意味)」という公式があります。つまり、他動詞に再帰代名詞oneselfという目的語を取ると、自動詞の意味になるのです。例:

You lie on the grass.(自動詞lie)
「あなたは芝生に横たわる」
You lay yourself on the grass.(他動詞lay+oneself)
「あなたは芝生に自分自身を横にする」→「あなたは芝生に横たわる」
この2文は結局同じ意味になります。

6.himselfという目的語があることから、ここの動詞は他動詞のlayだとわかります。その過去形はlaidとなるわけです。

7.ちなみにlieには「嘘をつく」という別の動詞もあり、活用は
lie lied lied lying
となるので、自動詞lie「横たわる」と区別して下さい。

以上ご参考までに。

はじめまして。

lieとlayの問題はよく出題される問題ですので、しっかり違いを把握しておきましょう。

1.lieは自動詞で「横になる」「横たわる」という意味。自動詞ですから目的語をとりません。活用は
lie lay lain lyingとなります。

2.layは他動詞で目的語をとり、「~を横たえる」「~を横にする」という意味。活用は
lay laid laid layingとなります。

3.lieの過去形と、layの現在形が同じなので間違い易いですが、要は問題文の中で、自動詞か他動詞を区別できれば解答を導けます。

...続きを読む

Q★「封建制度」を簡単に説明してください!

★「封建制度」を簡単に説明してください!

世界史の時間によく「封建制度」なる言葉が出てきます。

いろいろと調べてみたのですが、いまいちよくわかりません。

理解力を深めたいので、封建制度を簡単に説明できる方よろしくお願いします!

Aベストアンサー

封建制度とは「封」(封土=土地)を与えて家来を「建てる」と言って、つまりは
「土地をなかだちとしてむすばれた主従関係(しゅじゅうかんけい)にもとづく社会のしくみ。」
のことを言います。
御恩と奉公ですね。
もちろん日本・中国(周)・中世欧で指す封建制度とはそれぞれ少し意味が異なったりしますが、基本的には上記の意味です。

ちなみに対義する言葉は絶対王政や絶対君主制です。


人気Q&Aランキング